帝京歴784年。
ガイア2大都市の一つ、帝都。
多くの若者は、この地を目指す。時代の最先端、あらゆる技術、娯楽が集う場所。
これは帝都で巻き起こったある姉妹の物語。
帝都、秋奈町。
近代都市であるその町中にある小さな体育施設、十数人も人が入ってしまえば手狭になるその場所で
少女が二人、互いに向き合っていた。
その手には木刀が持たれ、その身には武道──いや、古流武術の稽古に使用される袴を着用している。
一人の少女はその木刀を天に立てるように上に向け、右の脇を締めて右の頬の辺りに柄がくるように構えている。
俗に八相と呼ばれる構えである。
八相構えに相対する少女は相手に切っ先を向け、真っすぐに刀を向ける構え。
剣道の基本的な構えでもある正眼であった。
八相の少女がゆっくりと、まるでガラスについた微かな水滴が、静かに表面を垂れていくようにじわりと距離を詰める。
正眼の少女は動かない。
まるで作り物のように静止したまま、動かない。
呼吸音すら聞こえない。
肺が動いてるようにすら感じられない。
八相の少女が間合いを詰める。
正眼の少女は不動で迎える。
恐ろしいまでの静かな空間であった。
もはや心臓の鼓動すら聞こえてくるのではないかとさえ思わせる静寂である。
そのやりとりが数分続いた。
もう足の爪半分動けば互いの間合いに入るところまで八相の少女が距離を詰める。
それでも正眼の少女は動かない。
そしてついに間合いに入る──八相の少女が足を浮かせ、木刀を振り下ろさんと動く。
その刹那、正眼に構えられた木刀の切っ先が微かに逸れた。
ほんの、ほんの微かな動きだった。
その動きで八相の少女の動きが止まった。
瞬きの出来事だった。
見ている者の目には感じられないほどの、相対した者同士にしかわからない機微。
その一瞬の機に正眼の少女が動いた。
まるで水面を滑るアメンボのように音もなく、距離を詰める。
八相の少女が木刀を合わせるように振り下ろすが、遅い。
正眼の少女の木刀が八相の少女の手首を捕えていた。
振り下ろされる手首に当たる寸前でぴたりと木刀が止まる。
遅い、といってもはたから見れば二人が同時に動いたようにしか見えないほど微かだ。
しかしその微かな差が生と死を分ける。
ゆっくりと二人が離れた。
互いに床を滑るように距離をとり、構えなおす。
そしてまたしても同じように木刀を交差させた。
あらゆる構え、あらゆる角度から、延々と繰り返す。
そう、これは所謂型稽古と呼ばれるものである。
型の通りに動き、なぞるのみの稽古。
だがこの二人の型稽古はものによっては形骸化しつつある型稽古とは違う趣があった。
緊張感が並みのそれではない。
受太刀──一本とられる側の役割を担っている、先ほど八相に構えていた少女が本気で一本を狙っているのだ。
型の通りに動くがそれはそれとして流れのままに一本取らせようとする気はない。
その稽古をたっぷり1時間ほど二人でこなす。
互いの額には大きく汗がにじんでいた。
そうしたところで互いに木刀を下げ、床に座して右脇に木刀を置きゆっくりと礼を行う。
ゆっくりと互いに頭を上げ、向き合った。
その少女二人の顔は同じ顔をしていた。
双子である。
しかし顔の造りは似ながらも纏う雰囲気は全くの別物であった。
「ありがとうございました」
先ほどまで受太刀を務めていた少女が言う。
肩程度まで伸びた黒髪を小さく後ろにまとめ、前髪を目元のあたりで切りそろえている。
そのせいで目元が見えづらく、さらに目の下には隈が浮かんでおり、陰鬱な雰囲気を纏っている。
顔立ち自体は整っており、美人といってよいはずだが纏った雰囲気がそれを台無しにしている。
「相変わらずだな、
向かい合った少女が言う。
その言葉に陰鬱な少女──鈴音は小さく頭を下げる。
「面目ないです、
「そう思うならもう少しまともに振れるようになんなよ。」
ぶっきらぼうに鈴音に向かって言う少女──花鈴には陰鬱な雰囲気と対照的な、明朗な雰囲気があった。
髪は短髪にさっぱりとまとめており、いかにもスポーツ少女といったような風体である。
中性的な美人であった。
短い二人のやりとりであったが、姉妹…それも双子にしては異質なやりとりである。
明確な上下関係を感じるやりとりであった。
ゆっくりと二人が立ち上がる。
同時にガラリと借りている体育施設の扉が開け放たれた。
「花鈴!待たせたな!」
「父さん!」
坊主頭にスーツ姿の、体格の良い中年男性が勢いよく花鈴に声をかけた。
朗らかな笑いと共に花鈴の姿を見ると大きく頷く。
「今日も手は抜いていないようだな、関心関心!」
「父さんに追いつかなきゃいけないからね、頑張るよ」
「言うじゃないか!こいつ!」
豪快に笑いながらくしゃくしゃと花鈴の頭をなでる。
くすぐったそうに笑いながら花鈴がそれを受けた。
「どうだ!飯でも食いに行くか?」
「だめだってー、母さんがごはん作って待ってるじゃん。」
「おー、そうだったな、じゃあおとなしく帰るか!母さんに叱られたらたまらん。」
そう言って父親は花鈴に外に出るように促す。
その後方で、鈴音は一人、立っていた。
無言のままで二人を見送り、父が扉を閉めるまで不動のままでいた。
その姿に、花鈴が一瞬目線を向ける。
ほんの少しその唇が歪んだ気がした。
鈴音は誰もいなくなった借り物の施設を掃除し、荷物をまとめて走って自宅まで帰る。
帰るまでの途中にある公園で筋力トレーニングを行う。
片足スクワット、ブランコを使った腹筋トレーニング、鉄棒の懸垂、荷物を重し代わりにしたブリッジ。
最低限これだけは行う。
身体を追い込んでから自宅までまた走り出す。
自宅に帰るころには真夜中である。
汗を流し、冷蔵庫に残された一人分の料理を温めて食い、皿を洗う。
家族と食事をとる機会は滅多にない。
最後に自分用にあてがわれた小さな部屋で翌日の準備をした後、眠る。
それが鈴音の日常であった。
花鈴はとっくの前に自宅に帰り、家族と夕飯を食べて床に就いていた。
鈴音と花鈴は双子の姉妹である。
ここまで両者の間に扱いに差があるのはただ一つ、花鈴の剣の才がより優れていたから。
それだけである。
この家はそういう家であった。
まだ空が薄暗い時間、鈴音は目を覚ます。
さっさと制服──通っている高校のセーラー服にそでを通し、昨夜のうちに準備しておいたバッグを手にとる。
朝食は買い置きされていたバナナと牛乳を適当に流し込み、昼食用に昨日の夕食の残りをつつんだ大判のおにぎりを作ってラップに包み、バッグの中に放り込む。
そうしている間に花鈴が起きた気配を感じる時間になる、それを感じ取ると鈴音はさっさと家を出た。
花鈴とは同じ高校に通っているのだが一緒に登校はしなかった。
家を出るときにふと表札を見る。
鹿角、とそこには刻まれていた。
はるか昔、ご先祖が妖怪だか鬼だかを斬った時にいただいた名前だとか父が話していた旧い記憶をふと鈴音は思い出した。
そんな古い言伝が伝わっている程度には一応歴史ある家だ。
最もそんな馬鹿らしい話の影響で冷や飯を食わされている身としては眉の一つもひそめたくなるものなのだが。
鹿角家は代々古流の剣術を継承してきた一族である。
流派名は単純にして明快、鹿角流。
800年近く前の帝京戦争が起こった頃には既に存在しており、時代と共に変容しながら時に断絶の危機に陥りつつも現代まで継承され続けられてきた流派だ。
話に聞く京都ならいざ知らず、この帝都にてこんな技術を伝承する意味があるのか分からないし、断絶の危機があったのも頷ける。
昔は門弟がいたとか時には優秀な門弟が養子として後継に選ばれたという話もあったらしいが、今鹿角流を継承しているのは父と娘二人のみである。
哀れなほどに衰退の一途をたどっていた。
それでも仕来りとして伝承されるだけなら良いが、そのやり方も常識を逸していた。
幼いある日、鈴音は花鈴と二人呼び出され、父から淡々とこう告げられた。
『今日、花鈴を鹿角家の継承者とすることに決めた。』
花鈴の剣術の才は鈴音に比べてずば抜けていた。
型を一度通せば身体に馴染ませ、初めて木刀を握ったその日に腕ではなく身体で振ることを覚えた。
鈴音にはそんな才はない。
型を覚えるのは長い時間を要し、木刀は力任せに振ることしかできなかった。
せいぜい長じていたことは生まれた時間が僅かに早かったことで姉になったことくらいであろうか。
花鈴が鹿角家を継ぐことが決まって以来、鈴音は徹底的に花鈴を後継者に相応しき存在にするための道具になった。
あらゆることを花鈴のために行った。
父が考案した稽古法の効果があるのか、体に負担はないか、花鈴が稽古を行う前にまず鈴音が実験台になる。
時には他流の技術を盗むために道場に放り込まれ、短い時間でそれなりの技術を身につけてくるよう言われたこともあった。
が、一番辛かったのはひたすらに妹に──花鈴に竹刀で打ち据えられた時であった。
建前としては模擬試合ということだったが、鈴音と花鈴では実力に天と地ほどの差があった。
そんな二人を向かい合わせたらどうなるかは火を見るよりも明らかである。
理由はわかる。
どうやら人というものは本能的に相手を傷つけることに嫌悪感を感じるらしかった。
その嫌悪感を取っ払うにはどうするか。
慣れることである。
兵士が人に見立てた形の標的を撃つことで、徐々に人型のものを撃つことへの嫌悪を捨てていくように。
父は花鈴にそうしむけた。
吐き気すら感じさせる所業だ。
この時代に、こんな技術はもう必要ない。
必要ないのだ。
自らを振り返るようにそう思いながら鈴音は学校への道を歩く。
その時であった。
「!?」
何か殺気の様な…不穏な何かを感じとり、周囲を見渡す。
殺気というと幻想的なものと捉えられるかもしれないが、殺気というものは間違いなく存在する。
少なくとも鈴音はそう思っていた。
人というのは攻撃的な意思を見せるときに身体が変化を見せる。
それは明確に感じ取れるものではない、直感的に感じられるあいまいなものだが、外観以外にも体臭など目に見えない何かが間違いなく変化する。
それを鈴音は感じ取ったのだ。
今までもこういった経験はある。
一度叩きのめした不良が数日後に不意打ちを仕掛けてこようとしたとき同じように不穏な気を感じた。
「誰だ?」
犬のように鼻をひくつかせながら周囲を見渡し、呟く。
しかしその時にはもう不穏な気配はしなかった。
「逃げたか…」
残念そうに小さく息を吐いて、鈴音は再度歩みを進める。
常に周囲を警戒することを忘れずに。
「気づくか…さすがはあの鈴鹿御前を討ったという鹿角の後継だ…」
少女を眺め、一人の男がどこか楽し気に呟く。
男は黒いフード付きのコートを身にまとい、目元が隠れるほど深くフードを被っていた。
かなり大柄な男である。
背も常人に比べて頭一つ高いがそれ以上に体の厚みが普通ではない。
常人が着れば大きくゆとりがあるはずのコートの肩口がはちきれんばかりに膨らんでおり、肩回りの筋肉の凹凸が服越しにでも判別できる。
その手には俗にダルマと呼ばれるウィスキーの酒瓶が握られていた。
丸く膨らんだ形をしているダルマの瓶を男の大きな手は鷲掴みにしていた。
「酒呑殿、そちらに逝く前にせめてもの手向け…楽しき祭りになればよいが…」
瓶の蓋を開け、ちびりとウィスキーを喉に流し込み、ぎゅっと顔をすぼめる。
「美味い。」
小さく酒瓶を空に掲げ、男はにっこりと笑った。