何もない、ひたすらに空虚な日々だった。
妖怪でありながら人間を捨てられず。
人間でいられるような強さも持っていない。
中途半端なひ弱な存在。
死にたくないという弱さのおかげで生きることを決めたものの、はたして自分は生きているのか死んでいるのか、分からなくなるような日々。
一人ぼっちには慣れっこのはずであったが、耳障りだとさえ思っていた周囲の人間の声が聞こえてこないだけでここまで孤独感を感じるとは思わなかった。
八咫烏を経由して国家的に運営されている妖怪専用の収容施設、そこに私はいた。
神域と呼ばれる特殊な空間に幽閉されたように隔離されている私は更生活動の一環として時折職員が運んで来る書類の校正作業なんかをしながら日々を過ごす
職員のそばには常に銃や以前見たことがある刃が出てくる柄の様なものを携帯した巫女服姿の人間がおり、その姿がここがどういう場所であるかを示していた。
「はぁ…。」
私は細かい書類仕事にうんざりしながら思わず人差し指と中指を重ね合わせてとんとんと叩き合わせる。
もう一月近く煙草を吸っていない。
せめてガムでもくれればいいのにと思いながら私は書類の校正を進める。
まるで酒でも飲んで書いたかのような酷い文章に赤ペンを入れながらあくびを一つ。
丁寧な文章より多少は校正のしがいはあるが、それでも退屈は退屈だ。
そんな作業を終わらせた頃、普段はこないであろう時間に職員がやってきた。
「…何?」
時間外の訪問者に私はぶっきらぼうに問う。
職員は簡潔に用件を伝えてきた。
どうやら更生活動の一環に私を使いたい妖怪がいると。
そのための面接を行う時間を伝えてきた。
「物好きがいたんだ…。」
独房──そういっても差し支えないだろうこの部屋に設置された寝台に寝ころびながら私は呟く。
しかし多少は退屈も紛れるだろう。
どうせ私など使われるとは思わないが、退屈しのぎには良い。
そう思いながら私は眠りにつく。
やることがないせいで最近睡眠時間が増えた──
面接当日。
私は相も変わらず仰々しい装備の巫女に連れられ、小さな個室に連れられる。
少しでも変な動きをすればすぐさま私はへんてこな銃で穴あきチーズにされてしまうだろう。
簡素なパイプ椅子に腰かけ、私は待った。
約束の時間は過ぎているが相手の姿は表れない。
「…チッ。」
小さな舌打ちを思わずもらす。
そんな小さな舌打ちにすら巫女は反応し、こちらに視線を向けてくる。
仕事熱心なことだった。
そんなやりとりをしているうちに、ようやく相手が姿を見せる。
その姿を私は知っていた。
「あーごめんね遅れちゃって、久しぶり!」
「え…あっ…。」
男女どちらとも見分けがつかない中性的な外見、年若い外見にそぐわない白く染まった長い髪、肌を隠す様にきっちり身につけられた黒いスーツ。
私が引き起こしたあの事件の時、出会ったあの人──いや、妖怪であった。
とんだ物好きがいたとはおもったがよりにもよってこの妖怪が相手だとは思わず、上手く言葉が紡げない。
呆気にとられた私をよそに妖怪はパイプ椅子に座るといきなり質問を投げかけてくる。
「君、パソコンできる?」
「え…?」
「ここだと書類の校正とかしてるみたいだけど、パソコンで書類つくりのソフトとか使えるかな?」
「…人並みには。」
もう人ではないのに人並みとはこれいかにと自分で思いながらそう返す。
そう答えた瞬間に妖怪は頷いた。
「オッケー、じゃあ採用で!日程決まったらうちのメンバーと迎えに来るから準備しといてねー。」
「え、あ…え…!?」
ほとんど会話という会話をしていないにも関わらず、あまりにもあっけなく採用を決めると妖怪は席を立ち、面食らっている私を置いてさっさとこの部屋から出ていこうとする。
「ちょ…ま…!」
「んーどうしたの?」
「いや…その…。」
問いたいことは山ほどあった。
他に聞きたいことはないのかとか。
他の仲間はどう思っているのかとか。
なんで書類作りができたらよいのかとか。
そもそも貴方はどういう存在なのかとか。
私でなきゃいけない事情があるのかとか。
実は強制されてるんじゃないかとか。
家族でも人質に取られてんのかとか。
頭の中で疑問が疑問を呼び、パニックになる。
「なんで…?」
そうして出た一言は、単純な疑問だった。
かすれるような、か細いその声はどうにかドアを開けて去ろうとする妖怪の耳に入ったらしく、妖怪はうーんと考えるように顎の下に指を当てる。
そしてにんまりと口角を上げて笑みを浮かべると口を開いた。
「実は…今緊急事態が起こってねえ…。」
妖怪は一転神妙な表情に顔つきを変えると腕を組みながらそう言った。
「ウチの事務所…今度から君に来てもらう場所なんだけど…そのメンバーが…さ…。」
「…。」
妖怪は物憂げな眼で部屋の天井を見上げながら言い、そして芝居がかった動作で眉間に指をあて首を振りながら言葉を続けた。
「誰も…事務仕事ができないんだ…。」
「…はぁ?」
「君…アル中と猫と機械音痴に…書類が作れると思う?」
「…はぁ!?」
唐突な言葉に思わず私の語気が荒くなる。
妖怪はそんな私を一切気にすることなく、芝居がかった動作を繰り返しながら話しかけてくる。
「そんな中つい最近!ついに我が事務所にまともに書類作りができる子が入ってきてくれた…この喜びが君に分かるかい!?」
「いや…しらないよ…。」
「だけど…そんな喜びも束の間…その子は思った以上にその…頭がよろしくなかった!」
「少なくともアル中よりましじゃないの…。」
私の言葉に妖怪が見るからに図星といったように胸を押さえる。
そういえば酔っ払いが書いたような書類を散々手直ししたがまさか、という思いが私の頭をよぎった。
「んっ…んん!それでその子が追試受ける羽目になっちゃって、この先もこの子に書類仕事をさせてたらやばいと。」
「…で、私?」
「そう!うちの事務所のメンバー、人間臭い面子ばっかりだし、新人二人もつい最近妖怪みたいな存在になったばかり!君も人間に近いからピッタリと思って!」
「…はぁ…いや待てよ!」
少し納得がいきそうになったが、そう簡単にはいかないだろうと思わず私は席を立って声を荒げそうになるが、途端そばにいた巫女に制止させられる。
私はおとなしく席に座りなおしながら小さく深呼吸してから問う。
「それでも私は…あれだけあんたの仲間を傷つけたんだぞ…。」
「…。」
「それで簡単に仲間になんてなれるはずねえじゃん…なんでなんだよ…。」
「そりゃそうだろうね、でも、だからこそかな。」
「…だからこそ?」
「そう!だからこそ、君はウチに来て借りを返してもらわなきゃいけない!」
「なんて理由だよ…。」
私はその言葉に一気に力が抜ける。
そして私はだらりとパイプ椅子の背もたれに力なくもたれかかりながら妖怪の言葉に頷いた。
「分かったよ…それなら分かりやすいし、納得した。」
借りを返せと言う言葉はシンプルでわかりやすく、私にとっては納得にたる理由であった。
善意とか、好意でなんて言われたら一切信用できなかったが、その言葉なら信用はできる。
「…あんた…名前は?」
「狂骨。君は黒崎ユリカだよね?」
「そうだよ…よろしく、狂骨サン。」
「えー、というわけで、鈴音ちゃんの追試合格祝い及び黒崎ユリカさん歓迎会を始めまーす!カンパーイ!」
狂骨の声が馴染の焼き肉店の中で響いた。
しかし和気あいあいとした雰囲気の店内や明るい狂骨の声に反して一同の表情は暗い。
テーブルは六人席で片側には鈴音と花鈴が隣り合わせで座り、その隣に狂骨が座っている。
そしてもう片側にはエリカを挟み込むように蟷螂坂と化け猫が座っていた。
蟷螂坂と化け猫の目には明らかに警戒心が宿っており、その二人に挟まれ針のむしろに包まれたユリカは表情には出さないもののかなり緊張している様子だった。
花鈴はユリカの真向かいに座りながら睨みを効かせており、剣呑な雰囲気が周囲を包んでいる。
「花鈴…大丈夫だから、そういう目するの…やめよっか…。」
「…うん、わかった。」
「あー…蟷螂坂と化け猫もね…一応祝いの席だから…ここ…。」
「祝いねぇ…そういやあの事件の時もここで焼肉食ってたわね、誰かさんのせいで大慌てで店出ることになっちゃったけど。」
以前は酒を入れていた化け猫も今日はソフトドリンクで済ませている。
いざというときを警戒してのことだろう。
しかし化け猫も厭味ったらしく言葉を並べた後で、少しばかり思うところがあったのか小さく息をつくと、ぽんと手を叩いて鈴音に視線を向けた。
「ま!鈴音ちゃんの合格祝いでもあるし、じゃんじゃん食べていいのよ鈴音ちゃん!食べ放題外のメニューでもなんでも頼んじゃいなさい!!」
「みなさん…すいません私のために色々…。」
「鈴音は…悪くない…よ。」
「そうそう、もとはといえば仕事おしつけてた私たちの責任なんだから!ほら食べて食べて!」
「はい…いただきます。」
狂骨が場の雰囲気のせいで網の上で放置されかけていた、焦げ目のついた塩タンを山盛り皿にのせて鈴音に回してくる。
鈴音は小さく会釈をしながら皿を手に取り、特盛のライスと共に口の中に運び始める。
それを皮切りに各々が食事を始めた。
「かーりーん!それは私が育ててたカルビだっての!!」
「はぁ!?名前書いとけよそれなら!!」
「書けるか!!」
「鈴音…ホルモン焼けた…。」
「んぐ…ふみまへん…いたらきまふ…。」
「店員さーん!生中追加で!!」
テーブルをはさんで肉を取り合う化け猫と花鈴。
既に特盛のライスをたいらげた鈴音にどんどん肉焼いてを渡す蟷螂坂。
そして狂骨は相変わらずビールをすさまじい勢いで消費していた。
今日も車での来店だが帰りは蟷螂坂の運転になるのであろう。
ただユリカだけがどうしてよいのか分からず、ただただ座ってその光景を眺めていた。
いや、眺めてさえおらず、うつむいて一人、この五人の世界に入らないように置物のように黙っていた。
目の前にはジョッキに入れられたハイボールが置かれているが手を着けていない。
狂骨から酒は飲めるかと聞かれ、飲めると言うと勝手に注文された代物だがはたして飲んでよいものかとそのままにしていた。
「…。」
そのユリカの様子を見ていた狂骨であったが、どう声をかけてよいかわからず口を出せないでいた。
まさかここまで剣呑な雰囲気になるとは狂骨も思っておらず、いささか楽観視しすぎたと反省していた。
そんなユリカに声をかけたのは鈴音であった。
「…ユリカさん…。」
「ひっ……な…に?」
突然かけられた声に驚きながらユリカが言葉を返す。
鈴音は新たに運ばれてきた特盛のライスを口に運びつつ言葉を続ける。
「あの時…ご自身のからだを盾にされたの…。」
「は…はい…。」
あの事件の時の話である。
ユリカは半ば自暴自棄になりながら自身の身体を盾にするようにして鈴音の前に立ち、結果として鈴音に強烈な一撃を与えることに成功した。
そのことをユリカは思い出し、何を言われるのかと身をすくめて鈴音の言葉を待つ。
「…見事でした。」
「は?」
「あの時私が一人なら…負けていました。」
まさかの賞賛の言葉にユリカは目を丸くする。
戸惑うユリカをよそに鈴音は言葉を続ける。
「もう…負けません…。」
「へ?」
「次があるなら…斬ります。」
「…ひっ!」
続けられた鈴音の言葉にユリカは小さく悲鳴を漏らす、その様子を見て花鈴がくすくすと笑い始めた。
「すーちゃんいきなり何言ってるのさ、怖いよそれは。」
「事実だ…悔しかったからな。」
「すーちゃん的には褒めてるのかもしれないけど、それ脅してるようなもんだから!」
「そうか?…そうだな…。」
鈴音が己の発言を思い返し、その通りかと納得する。
その様子を見て花鈴がさらに笑い、狂骨も思わず笑みをこぼす。
「鈴音ちゃんは怖いよ~少なくともこのメンバーの中では一番敵に回したくないね私は。」
「…誉め言葉だと受け取っておきます。」
「鈴音は強い…私も…勝てるか分からない…。」
「買いかぶりすぎですよ…蟷螂坂さん。」
そうしてようやく多少は会話に花が咲き始めた。
ユリカは相変わらず話すことはほとんどなかったが、それでも多少は会話に参加し、少しばかりの肉も食べた。
最初の状況から考えれば十分だろうと狂骨は酔った頭で考える。
ただ化け猫だけは相変わらず不機嫌そうな表情で肉を食べていた。
猫、特に雌の猫は縄張り意識が強いと聞くが、もしかすると元は猫であった頃の名残が残っているのかもしれない。
突如テリトリーに侵入してきた部外者にいまだに心を許せない様子であった。
そうして今日は無事に食べ放題の終了時間を迎えることができた一同は店を後にする。
「いやー食べたねえ、じゃあ蟷螂坂は運転頼むよ~。」
「承知。」
狂骨の言葉にそれぞれ車に乗り込むが、化け猫だけは車に乗らなかった。
「あー私はいいわ、ちょっと歩いて帰る。」
「…そっか、じゃ、お疲れ様、先に待ってるよ。」
化け猫の言葉を狂骨はあえて何も言わずに受け入れた。
今日の雰囲気に馴染めなかったことは狂骨からしても明らかだった、気疲れもあるだろうとその言葉に頷く。
かくして化け猫は一人、夜の街に消えていった。
「あ~…呑みすぎた。」
早朝の町はずれ、まだ始発が出るか出ないかくらいの時間帯を化け猫は歩いていた。
昨日皆と別れた後、気分転換にと飲み屋をいくつかはしごして色々と楽しんでいたらいつの間にか日付は変わり、日が昇っていた。
酒臭い息をごまかすように煙草ではなくガムを噛みながら、心地よい朝の空気を浴びて伸びをする。
時刻的に湿っぽさが薄れている冷たい夏の空気のおかげで幾分かは二日酔いの頭痛もやわらいだ。
そうしながらまだ酔いの残る足で住宅街を歩いていると、小さな人影が一つ裏路地の方から出てきた。
「んー?」
それは一人の少女であった。
150センチに満たない化け猫よりも目線がさらに低い、おそらく小学生であろう子供。
おとなし気な顔立ちをしており黒く長い髪をなびかせており、おしとやかな印象を受けさせる少女だった。
少女は明らかに狼狽した様子で胸に手を当てており、顔面は蒼白であった。
ただ事ではない様子に思わず化け猫が一言声をかける。
「おーい、お嬢ちゃん。」
「ひっ!?」
「まだ人通りも少ないんだから、こんな時間に外でない方がいいわよー。」
「は、はい…ごめんなさい…帰ります…。」
化け猫の言葉に少女は小走りで──いや、全力で駆け出して住宅街を帰っていった。
「うーん。」
不審な様子に化け猫は首をかしげる。
そして興味本位であの少女が出てきた裏路地を覗き込んだ。
そこは普通の裏路地であった。
特に何もなく、壁沿いに配管や換気扇のダクトやいくつかの室外機が設置されている程度、特に不審な様子はない、見る限りでは。
「なにもないわねぇ、でも。」
ある臭いが化け猫の鼻を突いた。
新鮮な洗剤の臭い。
それも結構な量を使ったのか路地裏を覗いただけで臭いが伝わってくる。
「一体何があったのかしらね…多少は想像がつくけど…。」
化け猫は自分の酔いが一気にさめていくのが分かった。