帝都の鬼姉妹。 ふぉっくすらいふ!外伝   作:百合道いおりん

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21話 奇跡

赤猫が逃げ延びた先。

それは秋奈町から他の街に向かうバイパス道路、その脇にある小さな山の裾であった。

そこは雑木林になっており、ところどころから虫の鳴き声や羽音が聞えてくる。

樹液の独特の香りや、湿り気のある空気に溶けるように樹木や苔の青臭く生きている植物の臭いが漂ってくる。

化け猫はその香りに嫌悪感を示すことはなかったが、自然になれていない様子のユリカは臭いに顔をしかめた。

「じとっとしてるし…虫…いや…。」

「我慢しなさいって、ここが目的の場所みたいだし。」

目の前を飛び交う羽虫を手で払いながら悪態をつくユリカに化け猫が言った。

二人が追う赤猫は生い茂る草木の葉に赤い印をつけるように血を付着させながら雑木林を進んでいく。

やがて少し拓けた、一本の木を中心に小さな円を描くように切り拓かれた痕跡の残る場所に辿り着く。

そして赤猫は中心にそびえる一本の木の根元に辿り着くと、その場に停止した。

「うぇっ…。」

その場所、木の根元に視線をやったユリカが雑木林の臭いとはまた別の不快感を感じてかおをしかめる。

化け猫も鼻をひくつかせ、眉をひそめた。

「あそこ、埋まってるっぽい?」

「絶対埋まってる…滅茶苦茶…残ってる。」

ユリカの言う残っているというのはおそらく怨念、死した動物の憎悪であろうと化け猫は理解する。

化け猫も常人より強い嗅覚をもって死臭を感知した。

死臭というものは少しばかり穴を掘った程度で隠しきれるものではないのだ。

つまりここを調べるか張り込むかすれば犯人に辿り着ける。

そう化け猫が考えたところでユリカに異変が表れた。

「うっ…やめっ…がぁ…!」

「ちょ…どうしたのよあんた!?」

頭をおさえてユリカが苦しみだす、同時に木の根元のそばにいた赤猫の肉体がぐじゅり、ぐじゅりと音をたて、変化を始める。

「やばい…他の死体と…勝手に…!」

「チッ…手掛かりは見つかったけど、かわりに余計なもんまでついてきたか…いいわよ、やってやろうじゃにゃいか…!」

巨大な怨念と呼応したことでユリカの制御を外れ、赤猫が土の中に横たわる他の死体と結合しはじめた。

土の中からもう動くはずのなかった肉塊たちが、蘇ったかのように動き始め半ば腐敗した血肉を地上に晒す。

雑木林に漂う瑞々しい生きた香りとは対照的な、生臭い死の香りが一気に周囲にたちこめた。

化け猫がそうはさせまいと大通しを発現させて一気に赤猫に向かって踏み込む。

勢いを載せて赤猫に向かって大通しを振り下ろすが、遅かった。

赤猫は振り下ろされた大通しを口でくわえて受け止める。

化け猫は構わずそのまま力を籠めるが、くわえられた大通しは万力で固められたかのようにびくともしない。

その間にも赤猫はどんどんと周囲の屍体と結合し、その身を猫を越えた巨大な獣へと変化させていく。

「くそっ!!」

化け猫はもう動かすことができない大通しをあきらめて分離させ、片側を切り離すことでその場から離れる。

赤猫──いや、もはや猫とは言えない獣、ネコ科の大型の肉食獣と化した怪物を前に、化け猫は冷汗を垂らした。

「ちょっと気晴らしに良いことしようとした結果がこれ?神様がいたら呪ってるわよ…。」

片割れとなった大通しを右手に持ち、逆手に構えながら化け猫が苦笑する。

同時に懐から勾玉が通された数珠を取り出し、神域を発動させた。

「ユリカ、あんたは逃げなさい…あの怪物があんたを狙わなくても、巻き込まれない保証はない。」

「…ッ…わかった…ッス…!」

化け猫の言葉にユリカは苦虫を噛みつぶしたような渋い表情で答える。

そうして怨念の強烈な瘴気に当てられ痛みを訴える頭を押さえながらその場からのそのそと逃れる。

その姿を視界の端で見送り、改めて怪物に向き合った。

怪物が牙を剥く。

その牙は先ほどの猫の様な可愛らしい牙ではなく、己より巨大な動物の血肉を軽々と引き裂く、巨大な殺意の塊と化していた。

化け猫は笑った。

己も獣であった名残であるように残った八重歯を月明かりに煌かせ、あふれ出る怨念が生み出す殺意に対して不敵に笑う。

「ちょっと骨が折れそうだけど安心しなさい…。」

汗が垂れる。

額を流れ落ちる汗が口元に辿りつき、舌に触れる。

しょっぱい。

化け猫は思った。

感覚が鋭敏になっている。

風が吹く。

死臭が鼻を突く。

蚊とハエが首筋と足首に一匹づつ。

キリキリと音が鳴る。

カミキリムシが鳴らす音。

良い。

良い感覚だ。

「成仏させてあげる…!」

化け猫と、怪物。

先に動いたのは化け猫であった。

猫の様に足音を立てず、湿った草と土の上を駆ける。

真っすぐではない。

草食動物が肉食の獣から逃げるときのようにじぐざぐと左右に、緩急をつけて駆ける。

怪物も化け猫が脅威であることを理解しているのかむやみに突撃はせず、力を溜めるバネのように身を縮め機会を待つ。

化け猫が怪物の間合いに入る。

バネが弾けた。

怪物が溜めた力を爆発させて化け猫に向って飛び込み、振り上げた前足を袈裟懸けに振り下ろす。

化け猫が流れるように左──怪物の右側面に向かって跳びその一撃を回避し、怪物の前足は地面を抉るのみにとどまった。

だが地面にはクワで耕したように深々と爪痕が残り、草と土が周囲に飛び散る。

「ひゅう…ッ!」

化け猫が大通しで怪物に斬りかかるが、怪物はその場から飛びのき、難なく距離を取って回避する。

ネコ科の動物の高い敏捷性はたとえ身体が大きくなろうとも健在であった。

怪物はすぐさま攻撃態勢に入り、今度は化け猫の足をすくう様に足元に狙いを定めて飛び込んでくる。

化け猫は咄嗟に跳んだ。

横でも、後ろでもなく、前に向かって。

跳び箱を飛ぶかのように怪物の頭上を越えてその背後に降り立つ。

同時に身体を反転させ怪物の後ろ脚を大通しで斬り払った。

妖力で固く結合したその肉体を両断はできなかったが、それでも深々と肉を抉り、ドス黒い血をまき散らす。

怪物が姿勢を崩した。

生きてはいないが肉体が動く原理は生きている動物と同じである。

両足を斬り払われ支えが弱くなればこうなることは必然であった。

「しゃあ!!」

化け猫は怪物の背に飛び乗り、首筋に向かって逆手持ちの大通しを突き立てる。

怪物は背に乗った化け猫を振り落そうと暴れまわるが、化け猫は乗馬をするかのように巧みにバランスを取り、幾度も、幾度も、幾度も刃を突き刺す。

しかし弱まる気配を見せない怪物は縦横無尽に駆けまわり、暴れまわった。

「暴れん…にゃ!!!」

化け猫が突き刺した大通しを支えにするようにして振り落とされぬように耐える、怪物は背中にいる化け猫に向かってかみつこうとするがその牙は虚しく届かない。

「この!!」

こちらに向かって顔を向ける怪物の目に、またしても化け猫が指を突っ込んだ。

中指を眼窩に引っ掛けて新たな支えとし、自由になった片手で支えにしていた大通しを引き抜き、脳天から顎に向かって思い切り突き刺す。

しかしそれ悪手であった。

怪物は激しく首を振りながら体を動かして暴れたことで首の動きと身体の動き、二つの異なった大きな力にさらされ、化け猫はバランスを崩した。

「やばっ…!?」

化け猫はどうにか深く刺さった大通しを引き抜くが、その瞬間に怪物から振り落とされた。

高所から落ちた猫のように化け猫はその身を地面に転がしてサッと起き上がるが、眼前に怪物の前足が迫っていた。

起き上がった勢いのまま後ろに飛び退り寸でのところでその一撃を回避する。

またしても怪物の一撃は空を切り、ただ地面を引き裂くのみに終わった。

終わるはずだった。

「にゃッッ!!?」

地面を裂いた一撃で飛び散った土。

その小さな塊一つが、不運にも化け猫の片目に入り込んだ。

思わず化け猫は目を閉じてしまった。

仕方ないのだ。

肉体を、脆弱な眼球を護るための、本能的な反射なのだ。

運が悪かったのだ。

鮮血が舞う。

腐った血肉の血ではない。

生きている、鮮やかな、生の血液。

化け猫の胸元から腹にかけて、赤い線が引かれた。

「あ…ぎ…ッ!?」

深々と化け猫の身を抉った怪物の爪は肉だけではなくその衝撃で胸骨にヒビを入れていた。

怪物が容赦なく追撃を行う。

怪物は化け猫に飛びかかり、小柄なその身体を簡単に押し倒すと大口を開いた。

その口から醜悪な臭気と同時に腐った血が飛び散り、化け猫の顔に零れ落ちる。

「臭ぇのよ…あんた…。」

ヒビが入った胸骨が呼吸するたびに強烈な痛みを訴える中、か細い声で化け猫がそう言い放つ。

その肩甲骨が、ぐにゃり、ぐにゃりと動いた。

怪物が化け猫の頭に食らいつかんとするが、化け猫は寝ながらそれを回避する。

瞬間的に肩甲骨を動かすことで地面を滑るように動き、頭の位置をずらしたのだ。

同時に大通しを怪物の首筋に突き立てる。

「この程度で私が死ぬかよ!!!」

怪物が首に刺さった大通しを外そうともがき、前足を使って攻撃しようとするが、それによって化け猫と怪物の間に隙間ができた。

化け猫は大通しから手を離し瞬時にその隙間を利用して怪物の下から逃れ、素手になった状態で構える。

ぐにゃり、ぐにゃりと肩甲骨が動いた。

怪物はその動きを感知すると警戒するように身を縮め、化け猫の周囲を回り始める。

肉体が覚えているのだ。

あの波の様な衝撃を伝えるカウンターパンチを喰らったことを。

三十秒──

怪物は化け猫の様子を伺ったところで、飛びついた。

一度姿勢を低くするように飛び込むが、怪物は足元を狙うと見せかけて、跳んだ。

恐ろしいことにこの怪物は化け猫の動きを学習し、足元を狙うと見せかけて跳ぶことで先ほどのように頭上を飛び越えられることを阻止しようとしたのである。

しかもその動きはフェイントにもなっていた。

だが化け猫にとってそれは些細なことであった。

大通しを失った化け猫にとって今はもう、この拳を間合いに入った途端全力で打ち込む、それしかなかったからである。

「にゃらあああああああああああ!!!!!!」

波が怪物の眉間で弾ける。

化け猫の拳にもおそらく数百キロはあるであろう肉体が勢いを乗せてぶつかってくる衝撃が来た。

だがその衝撃を化け猫は耐えた。

拳から足まで、衝撃のベクトルが伝わる流れを一本の線になるように固め、小さな足からは想像もできない強靭さで耐えた。

逆に宙に浮いた怪物の肉体には支えがない。

怪物の身体がぶっ飛ぶ。

見えない壁に突っ込んだどころではない、まるで高速で走るトラックに衝突したかのように吹き飛んだ。

化け猫がスッと拳を腰に引き、残心をとる。

とったところで思わず目を見開き腕をプラプラと振った。

「いってぇ!!!」

化け猫の拳はさすがに耐えきれずに手の甲の部分の骨、中手骨にひびが入っていた。

しかしこの衝撃をうけてヒビ程度で済むのはさすがは妖怪といったべきか。

胸元の傷も既に血が止まり、微かにではあるが塞がり始めようとしている。

怪物の顔面は鋼鉄製のハンマーで叩き潰されたようにひしゃげ、歪な肉塊と化していた。

しかし怪物はそれでも立ち上がる。

その肉体はあらゆる生物の肉体の、生の残滓。

たかが頭一つ潰れた程度で動きを止めるはずもない。

「チッ…しぶてぇにゃあ…ッ!」

化け猫は首をコキコキと鳴らし、左手を腰に引くようにして構える。

もう右手はしばらく使えない、使えないこともないができれば使いたくはなかった。

その時であった──

「神域が…!?」

先ほど発動させた神域を破り、何者かが侵入する気配を感じる。

それは稲妻の如く現れた。

雑木林の木立の隙間を縫う様に駆け抜け、怪物の血によって草木が赤く染まったこの小さな闘技場に降り立つ。

「独りでなに楽しそうなことしてんだよ化け猫ぉ!」

「花鈴!!?」

花鈴は無造作にその場に立ち、怪物に向かって煽るように手首を振って挑発する。

「あいつ…ユリカから事務所に連絡が来たんだとよさ、お前がヤバそうだから来てくれって。」

それでちょっと外出してた自分に連絡が来て、他のメンバーより早くにここへ到着できたのだと花鈴が付け加える。

「ふん、別に独りでやれたわよこの程度。」

「私が言いたいのは、愉しみを独り占めすんなってことだよ。」

不意に表れた新たな敵に対し怪物が牙を──ひしゃげた口元の隙間から白い凶器をちらつかせ威嚇する。

花鈴は一切臆することなく、笑って見せた。

「こいつは食いでがありそう──」

花鈴が笑みを浮かべたとたん、怪物が一見無防備な花鈴に飛びかかった。

一閃。

月明かりに鈍い乳白色の光が反射する。

次の瞬間には飛びかかった怪物の腹から臓物をまき散らす様に大量の血が零れ落ちた。

花鈴は飛びかかった怪物の身体の下に潜り込むようにその場にしゃがみ込み、腰を落とす動きに連動させ姫斬りを発現──いや、身体から抜いたのだ。

卓越した抜刀術であった。

「猫まっしぐら神妙剣…てね!」

敏捷さで人間を圧倒的に優る猫に人間は追いつけない。

ならばどう斬るかといえば答えは一つ、己から近寄らせるに限る。

血を帯びた姫斬りが赤く、妖しく輝いた。

まるで血肉を喰らっているかの如く生き生きと、生きているかのように生々しく、物言わぬ歓喜の声をあげるように光った。

その一撃に怪物が身体をぐらつかせ、動きを鈍らせる。

化け猫の拳を犠牲にするほどの強打を与えたうえで、高い妖力を持つ姫斬りによって斬りつけられたからであろうか。

その隙を見逃さなかったのは化け猫だ。

「オラぁ!!!」

化け猫が足を振り上げ、真下から怪物の頭を蹴り飛ばす。

怪物は頭をカチ上げられ、そのまま腹を向けるように体をのけぞらせた。

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!!!!」

まだ姫斬りの傷跡が生々しく残る腹部に化け猫の渾身の連打が叩き込まれる。

左ミドル。

右肘。

左ボディ。

右膝。

左バックブロー。

右ミドル。

右ミドル。

左ハイ。

右肘。

左アッパー。

「オラァ!!!」

アッパーで浮いた怪物の身体に向かって渾身の後ろ回し蹴りを化け猫が放つ。

怪物がぶっ飛んだ先にいたのは、花鈴だ。

花鈴は刃ではなく姫斬りの峰の方をぶっ飛んでくる怪物に向け、八相に──いや、違う。

これは、野球のバッティングの構えだ。

「秘剣!ピッチャー返し!!!!」

カキーンという甲高い金属音ではなく、ぐちゃりと鈍い音をたてながら、怪物が宙を舞った。

止めは化け猫に譲るとばかりの、とんでもない峰打ちである。

とんでもないピッチャー返しに、化け猫が笑った。

「バッカ…私右手ぶっ壊れてんのよ…。」

そう言いながら化け猫は左の腰に左拳を沿え、肩甲骨をうねらせた。

 

「まぁ…左手あっけどさ!!!!!」

 

波を、怪物の腹に向かって叩き込む。

叩き込んだ拳を今度は真っすぐではなく、拳が衝突した途端肩甲骨を瞬間的に縦に可動させ、波を天に向かって突き立てた。

その一撃で数百キロの巨体が、3メートルは垂直に跳ねあがる。

怪物はそのまま地に墜ちるともはや動くことはなくなった。

そして妖力によって不自然に結合された肉体を崩れさせ、徐々に妖力を霧散させながら消えていく。。

化け猫はその光景をみて怪物が二度目の死を迎えられたことを理解し、神域を解除した。

「つっ…かれたぁー!!!!!!!」

そして土に汚れることも構わず、寝ころぶ。

飛び散った怪物の血が妖力となって消えていく中、草に滴る夜露が化け猫の額に落ちる。

ヒヤリとした心地よい感触に、思わず笑みがこぼれた。

「疲れたじゃねえって、無茶したな本当。」

「こうなるとは思わなかったのよ…いッつつ!!」

胸元を押さえながら化け猫が痛みに顔を歪めた。

いくら妖怪の傷の治りが早いと言っても上位の妖怪でもなければ傷は瞬時に治るものではない。

しばらく化け猫が寝ころんでいるとガサガサと草木が揺れ、戦闘から離れていたユリカが姿を現した。

ユリカはまだ胸元に生々しい傷跡が残る化け猫を見て顔をしかめた。

「ひっどい怪我…。」

「別にこの程度問題ないわよ。」

「…その姿で言っても説得力ない。」

「うっさい。」

ユリカの言葉を聞いて化け猫が無理して身体を起こす。

胸を伸ばすと傷に響くからか、猫背に身体を曲げながら胸元をさすった。

「流石に今日は帰ろうかしらね、できればここに張り込んでおきたかったけど。」

「あーユリカから聞いたわよ化け猫、お人よしねーあんた…私は張り込みまで付き合わないからね。」

「別に付き合ってくれなんて言ってないし~。」

花鈴の言葉に化け猫が舌を出しながら否定した。

明日からしばらく張り込みになるからどうするかと化け猫が考え始める。

その時、不意に音が響いた。

雑木林──道路に面する方から車が停車する音が聞こえた。

ドアが開閉する音が聞こえ、それからガサガサと草を分けて誰かがこちらに歩いてくる音。

「張り込み、する必要なくなったかもね。」

化け猫が呟く。

そして一人の人間が姿を現した。

人間の女性である。

利発そうな女性であった。

顔立ちも整っており、髪も綺麗に整えられた跡があり、後ろで一つに纏めて結んでいる。

身なりも綺麗でゆったりとした可愛らしいフリルのついたシャツとロングスカート身を包み、長袖カーディガンをしっかりと前ボタンを閉めて着ていた。

どう考えても雑木林に入ってくる格好ではない。

足元も飾り気のある縫い目の入ったパンプスである。

洒落た店の並んだ繁華街でも歩いている方が違和感のない姿であった。

ただその手には汚れた軍手がはめられており、厚手の布でくるまれた荷物を手にしていた。

その二つの要素が服装にたいして強い違和感を感じさせる。

女性は三人の姿を見て驚き、明らかに挙動不審な様子で目を泳がせる。

「な、なんなの貴女たちは!?」

「なんなのって、それ、こっちのセリフなんだけれど?」

化け猫が苦笑しながら言う。

胸元を朱に染め、ズタズタになった衣服をまとう姿に女性は理解が追い付かない様子で目を見開き、息を荒くしながら問う。

「なに?なんであなた血まみれなの?もしかして私と同じなの?」

「私と同じって何?訳の分からないこと言わないでよ。」

「訳が分からないのはそっちでしょ!!?」

女性は声を荒げる、そして手に持っていた荷物を地面に投げ捨てると、前までしっかり閉じていたカーディガンを開いた。

その胸元は赤く染まっていた。

白いシャツが血によって染まっているのだ。

その血は既に乾き、赤というより黒味を帯びてきていているが湿り気が残っており、比較的新しいものだということが分かる。

女性に見る限り外傷はない。

それはその血が何か別の生物から出たという証左であった。

「ね、ほら、私も一緒だから、素直に話しなさいよ。」

目を見開き、瞳孔の開いた瞳で女性が言う。

同時に投げ捨てた荷物の布が解け、中に入っていたものが姿を見せる。

赤黒い塊だった。

それはよくみれば血で染まった新聞紙であり、隙間からなにか、毛の様なものが見える。

新聞紙でくるまれた、小動物の死体であった。

「残念だけど私はあんたの仲間じゃない、むしろあんたを捕まえるためにこんなになったのよ。」

「は?私を捕まえる?なんで?なんでよ!!?」

女性が吠える。

「なんでって…自分がしたこと考えればわかるでしょ!?」

「違う!私は何も悪いことしてない!!してないのよおお!!!!!」

狂ったように女性は叫んだ。

悪いことはしていないと彼女は言うが、このようにこそこそと行動している時点で自分のしている行為が罪であると理解しているはずだ。

それでも彼女は自分は悪くないと叫ぶ。

「こいつらが悪いのよ!」

女性は新聞紙でくるまれた死体を蹴り飛ばす。

新聞紙が剥がれ、中から出てきたものは子猫の死体であった。

化け猫は無残な死体を見て歯を食いしばる。

悲しみと、それ以上の怒り。

何かの拍子に爆発してしまいそうな怒りを無理やりこらえ、生唾を飲み、小さな深呼吸をして口を開く。

「何が…悪い?」

「笑ったのよ!!!!」

女性はそんな化け猫を意に介さずに言い放つ。

「こいつら!いっつも!いっつも!私を見て笑ってるんだ!!だから殺した!!だって笑うのよ!馬鹿にして!!」

意味の分からない理由であった。

常人には理解できない言葉を発し、そして女性は急に笑い始めた。

これは笑いごとだと。

そんなに大事じゃないのよと。

何を怒っているのと。

笑う。

「殺してなんだっていうの?」

笑いごとにしようよと。

だって笑い事じゃないのよと。

「こいつらは私を笑ったんだ。」

笑う。

「死んで当然よ。」

嗤う。

「だって、所詮は猫じゃない?」

化け猫はその笑い声を聴いて、表情をなくした。

もう目の前の女に対して感情をなくしていた。

何も思わない。

だってそうではないか。

所詮人間だもの、あの女は。

だったら──

「死んで当然よ、お前。」

化け猫は女性に飛びかかっていた。

まだひびの入る右手を痛みを忘れたかのように動かし、女性の首を掴んだ。

そのまま片腕で女性を地面に引きずり倒す。

「んげぇッッ!!!!!?」

口から唾液を吐き出し、女性はもがく。

しかし化け猫の右手はびくともしない。

折る──

化け猫は思う。

こいつは生きていてよい者ではない。

ただ一つ、生に対する慈悲として、苦しませはしない。

そう思った。

 

 

 

「やめてええええええええええええ!!!!!」

 

 

 

絶叫が雑木林に響く。

その声で数匹の虫が飛び立つ羽音が鳴り、小動物が草をかきわけ移動する音が聞えた。

突然の絶叫に化け猫は亡くした感情を取り戻した。

驚いて顔を上げ、右手から力を抜く。

「今の声…ユリカ!?」

化け猫がユリカの方を向く。

ユリカは息を荒くし、歯を震わせながら小さく頷いた。

「ダメ…そいつ殺したら…私も…死ななきゃいけない。」

「あんた…。」

「だから…お願い…。」

俯き、化け猫から目を逸らして、それでもハッキリとユリカが自分の言葉を化け猫に伝える。

そう、ユリカも多くの命を奪った。

いくら事情があったとはいえ命を奪ったという事実はもう取返しがないものだ。

それでも生きることを許されたのは、罪を償ったわけでもなんでもない。

ただ生きたいと願った、それだけである。

もし化け猫がその女性を殺してしまえば、自分と同じく尊い命を奪った存在を殺してしまえば、自分も同じく死ななければならない。

だから殺さないでくれ。

そう願ったのだ。

「だってさ化け猫、どうする?」

いつの間にか化け猫の真横にいた花鈴が問う。

花鈴も化け猫の行動にすぐさま動き、最悪の事態になる寸前で止めようとしていたのだ。

幸いなことに、その動きは無駄になったのだが。

「…わかった。」

化け猫は女性の首から手を離す。

女性は気絶していた。

首を絞められたことが原因ではなく、本気の殺意にさらされたせいで気を失ったらしい。

化け猫はその顔に唾を吐き、ふてくされるようにポケットに手を突っ込んだ。

それはもう手を出さないという、化け猫なりの暗示であった。

そうして頭が多少冷えたのか、ユリカに歩み寄りながら口を開く。

「あんがとな…。」

化け猫の言葉に、ユリカはその場にへたりこんだ。

しかしその胸元の傷に視線を向けると、苦々しく口元をゆがめる。

「別に、私はなんも…てか…私の力で、化け猫…さん、結局酷いことになっちゃったし。」

「この程度気にしなくてよいわよ、元はと言えばわたしの勝手が原因だし。」

「でも、でも…。」

「だぁー!!!もう!!いい加減になさい!!!」

化け猫が耐えきれずに声を荒げる。

「ユリカ!あんたのおかげで私は助かったの!その力のおかげで!だから胸を張れ馬鹿!!」

バシッ!とユリカの頭を叩いて化け猫が怒鳴る。

しかし語気とは逆に、その言葉は素直な、本当に素直な感謝に溢れていた。

やや不器用ながらも真っすぐにぶつけられた感謝の言葉と叱咤激励。

ユリカは叩かれた頭にどこか感慨深げに触れ、そして今度は顔を隠す様に俯いた。

「いってぇ…。」

その声は微かに震えていた。

小さく、鼻をすする音が漏れる。

そしてその目から小さな、一粒の雫が零れ落ちた。

あふれ出る感情が心の器から零れ落ちるかのように、ユリカの瞳から涙があふれ出る。

涙が地面に沁みた。

するとその涙に呼応するかの様に一粒の光の粒子が、地面から浮かび上がる。

粒子は次々に地面から浮かび上がり、宙に浮かぶ。

それはまるで少し季節から外れた、蛍が飛んでいるようであった。

草木を飛び交う蛍のように、粒子は宙を舞う。

月明かりしかなかった辺りは一変、幻想的な光に包まれ、煌いた。

化け猫と花鈴、そしてこの光景を生み出したであろうユリカも信じられない目の前の光景に目を奪われていた。

やがて光は形となった。

それは猫の形をしていた。

様々な種類の、何匹もの、今回の事件で犠牲になったであろう猫たちが光となって現れたのだ。

やがて光の猫たちはそれぞれ動き始める。

同じ方向ではなく、違った方向に。

光の身体で草木を通り抜け、光の尾を引いて、駆け出した。

「ユリカ…あれ…は?」

化け猫が唖然とした顔で猫たちを見送って言う。

ユリカも信じられないと言った顔で、しかし、それでも胸に一つ抱いた確信を言葉にした。

「帰るんだって…みんな…なんか、わかった。」

猫たちが向かった先は、もう二度と帰れるはずがなかった家族の元。

伝えられなかった最期のさよなら。

奇跡によって与えられた仮初の姿で、それを伝えるために。

それは怨念ではなく、感謝の心。

ユリカの力。

その力が怨念を形にするというものから一つ殻を破り、成長を果たした瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、SNSを中心に秋奈町で小さな話題が生まれた。

帰ってこなかった猫が夜に姿を見せ、光となって消えていったという話題。

それも一人だけではなく何人もの飼い主──家族たちが、同時刻に起こったことを報告しあっていた。

そして警察によって一人の女性が動物愛護管理法違反、つまり愛護動物を殺害したことで逮捕されたという話題も。

女性は人間関係のストレスが原因で精神を病み、猫が自分を笑っているように見えたから殺したと証言し罪を認めている。

家族たちはその現実に深く心を痛めながらも、あの奇跡によって心を救われ、悲しみを背負いながら生きていく。

そんな小さな一夜の奇跡はすぐさま他の話題によって消え去り、多くの人々の記憶から忘れ去られていった。

 

 

しかし、それを忘れない人たちがいる。

奇跡を目の当たりにした家族たちは、一生あの夜を忘れない。

黒崎ユリカは、間違いなくあの夜、何人もの人間の心を救った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほい、これあの時のお礼ね!」

 

「…煙草のカートン…しかも私の吸ってるやつじゃないし…です。」

 

「プレゼントに細かいこと言わないの、てかその気持ち悪い敬語やめなさいよ、キモい。」

 

「キモいって…うっざ。」

 

「にゃあ゛ん?ため口は許しても悪口はゆるさにゃいわよ!」

 

「でたにゃん語…キモ。」

 

「にゃああああああん!!?」

 

 

 

 

 

 

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