帝都の鬼姉妹。 ふぉっくすらいふ!外伝   作:百合道いおりん

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27話 狂骨

 

 

夕暮れ時からすっかり日が沈み、月明かりが海面に反射する時間。

守と連絡を取ろうにも、携帯が壊れてしまったせいで連絡が出来ない狂骨は昨夜も訪れた食事処を訪れていた。

とりあえず身近な人間から探ってみるかと考えたのである。

「なんか、人通り少ないなぁ。」

昨夜に比べて明らかに人通りが少なかった。

昨夜は地元民がそこらの店に入る姿や仕事帰りに立ち寄っている姿が見えたが、今夜はその姿が全然見えない。

不穏な空気を感じながら狂骨が食事処の中に入ると、おばちゃんがどこか浮かない表情で笑みを浮かべた。

「あらあんた、今日も来てくれたのかい。」

「うん、でも今日はお酒飲む気分じゃないから、ご飯ものだけお願い。」

「分かったよ…でも、今夜はご飯食べたらさっさと帰った方が良い、悪いことは言わないからさ。」

カウンターの裏で料理の準備をしながらおばちゃんがそう忠告してくる。

狂骨はカウンターに座りながら落ち着いた様子で肘をついた。

「…人通り少ないけど、何かあった?」

「分かんないよ、ただ今日はどたばた若い衆が駆けまわってるから。」

「それだけ…?」

「…それだけだよ。」

おばちゃんは何かを隠す様に会話を打ち切ると、手慣なれた様子ながらも少しぎこちない手つきで魚の切り身を切り始める。

守の連絡先を聞けたらと思ったが、この様子では聞けそうもなかった。

とりあえずご飯だけ頂いてほかの手段を探すことを狂骨は決める。

そして狂骨の前に出されたのはたっぷりの刺身がのった海鮮丼であった。

かなり美味しそうだ。

昨日の夜、締めに食べなかったことを後悔するほどだ。

ご飯と共にたれのかかった刺身を口に運ぶと、たまらない幸せを感じる。

そうして半分ほど平らげたころだった。

ガシャン!と、激しい音を立てて乱暴に入り口の戸が開かれた。

狂骨とおばちゃんが入り口に目線を向けると、堅気ではない若い男の集団が中に入ってくる。

よく見ればその中には昨日砂浜で見かけたような姿がちらほら見える。

その中でもリーダー格の男が前に出てきた。

「あ…。」

リーダー格の顔を見て思わず狂骨は小さく声を出す。

それは昨日鈴音にビーチ相撲で敗れた横綱だった。

横綱は狂骨に目もくれずにおばちゃんに向かって歩みを進めると、おばちゃんを睨みつける。

「な、なんなんだいあんたら…。」

「ババア、ここに浜村のアマが来なかったか?」

浜村──というと守のことであろう。

彼女のフルネームは浜村守だったはずだ。

「アマってあんた…あの子になんて口きいてんだい!?」

「知るか!あいつはもう組の人間じゃねえ…いいから来なかったか言いやがれ!」

「来たよ…でも今夜は出歩くなって忠告に来てすぐ帰ったさ!それだけだよ!あんたらも帰んな!」

「ほぉ~来たのかここに、じゃあやっぱここも探さねえとな…!」

横綱は下種な笑みを浮かべると、後ろにいた若衆に向かってあごをしゃくり、家探しをするように促した。

若衆はそれを合図にずけずけと店内に入っていく。

「あんたらやめなさい!警察呼ぶわよ!」

「あぁん?黙れババア…余計なことするとどうなるか分かってんのか?」

狂骨はじっと座りながらどうしたものかと箸を止めていたが、横綱がそんな狂骨に目を付けた。

横綱はにたにたと笑いながら狂骨の肩に手を置き、そしておばちゃんに視線を向ける。

「たとえば大事なお客さんが…。」

横綱はまだ中の残っているどんぶりを奪い取ると、狂骨の頭からそれをかぶせた。

「こうなっちゃうかもねえ!」

狂骨の頭上からぼとぼとと残っていたごはんと刺身がこぼれ、タレがつぅーと顎に向かって垂れていく。

狂骨は垂れてきたタレを無言で舌で舐めると、面倒くさそうに頭に被されたどんぶりを外した。

「あんたお客さんになんてことすんだ!?」

「うるせえ!間違えても通報なんてするなよババア、今度はてめえが痛い目に遭うぞ!」

「ひっ!?」

横綱がカウンター越しにおばちゃんの胸倉をつかもうと手を伸ばした。

が、その手は届かなかった。

横綱の手首を狂骨が掴んで止めたからである。

「て、てめ…なんだ…!?」

「私に手を出したのは百歩譲って、食べ物粗末にしたのは一万歩譲って許してもさ…。」

狂骨はまるで横綱の手首を握り潰してしまうのではないかというくらい力を籠めた。

「あがああああ!?」

人間離れした力に横綱が悲鳴を上げる。

「おばちゃんに手をだすのはダメでしょ!!」

狂骨が思い切り横綱の顔面をぶん殴った。

一撃で体格の良い横綱がぶっとばされ、壁に叩きつけられる。

がらがらと音をたて壁にかけられていたメニューの書かれた木札が揺れ、いくつかが落下し横綱の頭に落下する。

横綱は一撃で気絶していた。

「あ、兄貴!?」

「お…お前なにすんだコラァ!」

家探しを始めていた若衆がこの事態に一気に狂骨の元へ集まってくる。

そのうちの一人が背後から狂骨の肩に手をかけるが、狂骨は振り向くまでもなく裏拳一閃。

手の甲で鼻がつぶれた感触を感じ、人が倒れた音を聞くとゆっくりと振り向いた。

「なにすんだはこっちのセリフなんだけど…まぁいいや、最近暴れてなかったし、久々に暴れさせてもらおっかなぁ~。」

狂骨は軽く首を曲げて音を鳴らし、準備運動のように肩をまわす。

若衆は狂骨のあまりにも余裕がある様子に少しばかり気圧されそうになるが、数の有利があることを思い出し一斉に襲い掛かった。

「死ねえええ!!」

一番間近にいた男が右手を振りかぶって殴りかかってくるが、がら空きの顔面に向かって思い切り前蹴りを叩き込んだ。

靴底の跡が残るほどに強烈な蹴りを受け、男がぶっ飛ばされる。

後ろに続こうとしていた集団にもたれかかるように蹴り飛ばされた男を、思わず他の若衆が受け止めた。

そこに向かって狂骨が駆ける。

軽く助走をつけて勢いをのせた状態で跳躍、両膝を胸に抱えるように曲げ、一塊になった集団目がけて思い切り足を伸ばした。

「いよっとぉ!!!」

強烈なドロップキックが炸裂していた。

まるで爆弾でも爆発したかのような威力であった。

体格の良い男たちがボウリングのピンのようにあっけなく吹き飛ばされ、周囲に転がっていく。

ある者は壁に、ある者はテーブルに、ある者はカウンターに頭から突っ込むようにぶつかって止まり、そのまま動かなくなった。

あまりの光景に残った若衆たちが後退る。

狂骨は地面から起き上がるとにっこりと笑みを浮かべながら全員に目を向けた。

「さーて、楽しませてもらおっか。」

 

 

 

 

 

 

 

「うぎゃあああああ!!」

食事処のドアを突き破り、若衆の一人が道路に転がった。

壊れたドアの木材と散らばったガラスの破片を革靴で踏みならしながら、ゆっくりと狂骨が歩く。

地面に転がった若衆は気を失ってはおらず、ふらつきながらも立ち上がり狂骨から逃げようとしたが、その首根っこを狂骨が掴んだ。

そして地面に向かって力づくで引きずり倒すと胸倉をつかんで無理やり身体を起こさせる。

「な…んなんだ…お前…?」

「名乗るほどのもんじゃないよ、とりあえず、なんでこんなことをしたか教えてくれない?」

「だ、誰が言う──へぶっ!?」

口答えしようとした途端、狂骨が顔面を気絶しない程度に殴り飛ばした。

「教えてくれるよね!?」

「わ、分かった…はなふ!はなふから!」

口から折れた歯の欠片を吹き出しながら、必死に頷いて狂骨の言葉に従う。

「あいつが…姐さんが急に組長を半殺しにしやがったんだ…。」

「へぇ…。」

「親を半殺しにするなんて普通じゃねえ、あいつは絶縁受けて、今組から追われてる。」

「それで、ここにはいないみたいだけど、他に心当たりは?」

「…。」

「心当たりは!?」

「ひぃ!?びょ、病院だ!!昨日入院したあのガキ!!いざとなればあいつを使えば浜村は…姐さんは黙るからって!」

「そうか…それは最低の考えだね…。」

守ではなく美船の方を先に訪ねるべきであったかと狂骨は小さく舌打ちする。

そして不意に壊れてしまった食事処のドアに視線を向けると、若衆の懐をまさぐり始めた。

「な、何を!?」

「いやー、ドアの修理代、もらっとこうと思って。」

「ふざけんな!」

「おー、あったあった!」

狂骨は財布を見つけると、胸倉をつかんでいた手を離して立ち上がる。

若衆が解放されたとほっと一息ついたところ、顔面に向かって思い切り蹴りが飛んだ。

若衆はその一撃で完全に気絶する。

狂骨はそんなことには目もくれずに再び食事処の中に入ると、カウンターに奪った財布を投げ込んだ。

おばちゃんは目の前の光景を信じられないという風に眺め、唖然としながら狂骨の方を向く。

「あんた…強いんだねえ。」

「それなりにね、おばちゃんごちそうさま!」

一言おばちゃんに声をかけ、狂骨は店の外に出る。

向かうは病院だと思ったところで、周囲を見回すとそこかしこの道路から続々とガラの悪い集団が集まってきていた。

「時間がないってのに~仕方ない、ここはウチのランボー者共に…って!私携帯壊れてんじゃん!」

この場を八咫総合事務所の面々に任せようと考えたが、そこで携帯が壊れていることを思い出す。

「えーっとえーっと…電話借りてホテルに繋いでもらって…ってそんなことしてる暇ないし~ああ!もう!」

やけくそだと狂骨が喧嘩に備えて身構える。

だがそこで予想外の声とガラスが割れ飛ぶ音が聞えた。

「誰に喧嘩売ってると思ってるのかにゃあ!!?このクソチンピラがぁ!!」

「化け猫!?」

狂骨がいた食事処から数件挟んだ先にあるレトロな喫茶店。

そのドアを突き破って男が一人地面を転がると、その後を追う様に化け猫が喫茶店の中から現れ、倒れる男に容赦なく蹴りを入れている。

そこらの筋者よりよっぽど恐ろしい剣幕で化け猫はブチギレていた。

「おいやめろ女!やめねえと──うごはぁ!?」

倒れている男に執拗に蹴りを入れる化け猫を止めようと別の男が店から出てくるが、その頭に向かって容赦なく椅子が叩き落された。

椅子の一撃で倒れた男の背中を踏みつけ、店の明かりに背中を照らされながら口に煙草をくわえたユリカが姿を現す。

「あー最悪、これじゃ私まで荒くれ共みたいじゃん。」

椅子を担いで煙草をくわえ、悪態をつく様子は明らかに堅気ではない。

どうやらユリカも順調に八咫総合事務所の面々に毒されているようだ。

言葉とは真逆のえげつない行動に狂骨が顔をひきつらせていると、今度は別の店のドアがぶち破られた。

「破ァ!!」

「か…蟷螂坂…。」

蟷螂坂が体当たりで男を数人纏めて吹き飛ばしていた。

その手に持たれているのは職人技によって綺麗に切り分けられた色とりどりの刺身たち。

刺身はまるで綺麗に咲いた花びらのように盛りつけられたまま一切崩れておらず、非常にシュールな光景であった。

「食事の邪魔…。」

どうやら狂骨と同じく食事途中に邪魔をされたらしく、妖怪相手以外にはめったに怒りを見せない蟷螂坂がキレていた。

やもすれば背中から威嚇するカマキリの姿が浮かび上がっているかのようにさえ見える。

間違えても相手を殺したりしないでくれよと狂骨が祈っていると、また別の店のドアが破壊される音が響く。

「また!?というかみんなドア壊しすぎだよ!?」

自分も食事処のドアを破壊したことは棚に上げ、狂骨が叫ぶ。

音がした先には案の定、鈴音と花鈴がおり、そして地面を転がる男がいた。

男は地面を這いながらプラプラと力なく揺れる自分の手首を眺め、泣きそうな表情を浮かべている。

おそらくどちらかに手首を外されてしまったのだろう。

「あ…あが…俺の…手首…!?」

「お前…何すーちゃんとのディナータイム邪魔してんの、死にたいんだよね?」

「私の…私の焼き魚とつぼ焼きと刺身…味噌汁とご飯…煮つけと酒蒸し…海鮮丼とラーメンを返せ…!」

二人もまたほかの面々と同じくブチギレていた。

食い物の恨みは恐ろしいと思いながらも、思わぬところで皆に助けられたことに感謝しつつ、他の面々が起こしている喧嘩の隙を見て狂骨は病院へと走った。

 

 

 

 

 

 

爛々と月が煌き、街灯が明るく道を照らす夜。

浜村守はその光から隠れるように裏路地を通り、時には私有地の軒下や民家の庭をも通り抜けて病院へとたどり着いていた。

病院にはすでに組の若い衆の姿があり、入り口に数人の見張りと車の中で待機しているのが大勢。

この様子だと病院内にも何人いるか分かったものではない。

「どうする…?」

闇の中、守は一人呟いた。

正面突破をするわけにはいかない、最悪の場合、美船が危機にさらされる。

どうにかして中に入り込めないかと考え、病院の見取り図を頭の中に浮かべたところで美船の病室の番号を思い出した。

美船が入院しているのは1〇5号室、つまり一階だ。

あまりやりたくない手段だが、一階から窓を突き破って侵入するという手が使える。

病院の窓など割ろうものならすぐに警備会社の人間が飛んでくるだろうがそれでもかまわなかった、美船をこの手にまた抱きしめることができた後なら問題はない。

「美船…今行くからね…!」

守はそう誓いながら周囲を警戒しつつ、病院の裏手に回り込む。

若衆が騒ぎ立てる様子もない。

そうして守はあっさりと1〇5号室の外まで辿り着く。

そして窓を破ろうとした、その時だった。

不意にヒヤリと、冷たい金属が背後から頭に触れる感覚がした。

「おっと、動くなよ姐さん。」

「…内藤か、随分なことするじゃないか。」

不覚だった。

守は目的地にたどり着いたせいで気が抜けたところをあっさりと銃を突きつけられてしまった。

銃を突きつけた男、守に内藤と呼ばれた男は表面上は余裕そうな表情を浮かべつつも、額には冷汗が浮かんでいた。

「そりゃ、姐さん相手にするなら銃の一挺くらい使うでしょうよ。」

「ビビってんなら見逃してくれてもいいんだよ?」

「抜かせよ…あんたはここで終わりだ、手上げな。」

守は一旦おとなしく手を上げる。

もちろんこのまま終わる気は毛頭ない。

内藤が仲間を呼ぼうとする瞬間でも何でもよい、隙を見つけ次第反撃に出る気であった。

その機会を疑っていた、その時だった。

「む、むぐぉ!?」

背後から急に、くぐもった声が聞えたかと思うと、何者かが地面に倒れるであろう音がする。

「ふぃー…危機一髪ってとこ?」

「その声…狂骨…!?」

守は聞いたことのある声に驚きつつも声を抑え、振り向く。

中性的な見た目に長い一つ結びにした白髪、闇に溶け込むようにしっかりと着こなした黒スーツ姿。

見間違えるはずがない、それは間違いなく狂骨だった。

「助かったよ…でもここまで首突っ込んでくるなんてね。」

「正義の味方っていったじゃないか、正面は無理そうだし、そこから入る気だったんでしょ?」

悪戯っぽい笑みを浮かべながら狂骨は1〇5号室の窓を指さす。

ご名答と守は頷くと窓に手をかけ、肘を軽くガラスにコツコツと当てると一気に振りぬいた。

ガシャーン、と大きな音が響き一発で窓が叩き割られる。

同時に遠くの方から警報機が鳴り響く音が聞えるが、守はおかまいなしに窓を乗りこえて病室に入った。

「きゃっ!な、なに…って、守姉!?」

「美船!よかった…ちゃんと無事で…!」

守は病室にいた美船の無事を確かめるとぎゅっと力強く抱きしめる。

美船は何があったのかと困惑した様子でいながらも、どこか守が来てくれたことに安心した様子だった。

「美船…私はもう全部わかってるから、警察に言って全部話そう…?」

「話すって…ま、守姉…私は何も覚えてないんだって…。」

「嘘言わないで…何年の付き合いだと思ってるの、美船が嘘ついてたら分かるって…。」

「…。」

守が真っすぐに美船の目を見据えて言うが、美船は守からすぐさま目を逸らす。

「よっと、取込み中ごめんね、私もいるよー!」

「きょ、狂骨さんまで…!?」

目を逸らしていた美船が、守と同じく窓を乗り越えて病室に入ってくる狂骨に驚きの声をあげる。

「えーっと…実は、私も知ってるんだよね~、美船ちゃんがどんな目に遭ったか。」

「な、なんで…?」

「あんた…どこの筋からその情報を!?」

「海にいる美船ちゃんの秘密の友達…だよ。」

「あ、あの子が…って、狂骨さん貴女も見えるの!?」

「見えるというか…実は同族というか…。」

美船の言葉に対し狂骨は答えづらそうに視線を泳がせる。

守は二人の話が理解できず眉をひそめるが、無理に聞き出す必要はないかと判断すると再度美船に向き直る。

「美船…ごめんなさい、貴女を船で連れ去ろうとしたの…ウチの組なの…。」

「…うん…分かってたよ、なんとなく…。」

美船は守の言葉に対し嘘をつくことをやめ、頷いた。

やはり美船は全てを覚えていた、しかしそれを隠していた理由はまだ不明であり、狂骨は首を傾げた。

「美船ちゃんはなんでそれ、隠してたの?」

「…。」

狂骨の問いに美船は声を詰まらせる。

その様子を見て、守が代わりに口を開いた。

「…この子を売ったのが、母親だからだ。」

「売った…ってことはやっぱり人身売買か…。」

「そう、身代金目的の誘拐なんかじゃない、危うく美船は海の外に売られるところだったんだ…。」

「つまり、美船ちゃんはお母さんを庇うために嘘をついてたと…。」

狂骨は美船に向かって視線を送ると、美船はそっと、視線を落としながら頷いた。

納得したように狂骨は頷き、今度は守に視線を向ける。

「で、その取引に絡んでたのが守さんのいた組ってこと?」

「…そうだよ、あたしにばれたら確実に警察にタレこむから、秘密裏に進んでた。」

「原因はやっぱり、リゾート建設で取り締まりが厳しくなって稼ぎができなくなったから?」

「そうだよ…海の外にとっかかりを作って稼ぎにする予定だったらしい。」

細かいことは分からないけどね、と守が付け加えながら言った。

「まぁ、こうして美船も確保できたし、あとは警察に行くだけ…。」

「オッケー、でも…つい長話してる間に、警察より先に厄介なのが来たみたいだね。」

狂骨がそう言うと、病院の廊下からドタバタと荒っぽい足音が聞えてきた。

病院内の異変を察知したのだろう、組の若衆たちが一気に病院へとなだれ込んできたのだろう。

「チッ…先に警備会社の連中かサツに来てもらいたかったよ。」

「ど、どうするの守姉…!?」

「このままじゃ口封じに殺されるだろうね…守にあいつらが手を出さなかったのは私への抑止力になるからだし。」

「そうだろうね、守さんが警察にタレこんだら美船ちゃん殺すとでも脅されたんじゃないの?」

「正解だよ、でもこうなったら私とまとめて口封じだろうね。」

「普通に考えたら最悪の状況だよね。」

狂骨はそう言いながらもにやりと笑みを、それは楽しそうな浮かべて見せた。

言葉とは裏腹に楽し気な狂骨を見ると、守も笑みを浮かべた。

最初は呆れた様に。

そして苦々しく。

最後は楽し気に。

笑った。

「たしかに、最悪で最高だね、こりゃ。」

「ま、守姉…狂骨さん?」

この状況にもかかわらず、笑う二人に美船が戸惑いの声をあげる。

そんな彼女を尻目に狂骨はこきこきと首を鳴らし、守は手首を曲げながら肩をまわしている。

「君は二人で窓から逃げてもいいんだよ?守さん?」

「どうせこの部屋に私がいないってわかると狂骨のことは相手しないだろうさ、それなら二人で正面突破した方が良い。」

「オッケー、美船ちゃんは後ろにいてね、もし窓から誰か来るようなら大声上げてよ。」

「わ、分かり…ました…。」

ぽかんとしながら狂骨に美船が返事を返すと同時に、病室の扉が激しい音を立てて開かれた。

扉の外にいたのは、柄物や原色の派手な色のシャツを身にまとった男たち。

男たちは病室を一目見渡すと大きな声を上げた。

「や、やっぱりいやがったな浜村ぁ!」

先頭にいた男がすぐさま守に向かって殴りかかる。

右の拳が守の顔面に当たる──その瞬間、守は瞬時に半身を切り、まるですり抜けるかのように拳を避けた。

当たると思った拳が当たらない。

拳骨にくるはずの衝撃が来ない。

空振ぶらなかったはずの拳が空ぶったせいで男はつんのめるように体勢を崩した。

「ばぁーか。」

体勢を崩した瞬間、守が男の顎に向かって掌底を突き上げた。

すると男は見えない鉄の棒に顎が引っ掛かったかのようにその場で後ろに向かって倒れ、後頭部を地面に叩きつけれられた。

呆気なく、一撃で男が気絶する。

「ちくしょう!死ねや!」

その光景に怯えを見せながらも一人が腰の後ろに手を伸ばし、おそらくベルトに挟んでいたナイフを抜いた。

抜いた勢いそのまま、男は守の顔に向かって思い切りナイフを突き出す。

守の頬を、ナイフが掠った。

否、守がナイフを頬が掠るほどギリギリの距離を保って避けたのだ。

避けると同時に、踏み込む。

踏み込みながら守は肘を男の鼻っ柱に突き刺した。

鼻骨が歪み、軟骨がつぶれ、砕けた前歯の破片が口から飛び散る。

しかし守は止まらない。

そのままナイフを持つ男の腕に巻きつけるように腕を絡め、肩の関節を極めると体重を落とし、一瞬で肩関節を外した。

それは関節技というよりまるで打撃技の様に素早い早業であった。

めちゃり、と肉の繊維が引き裂かれる音が鳴る。

可動域を超えた関節の動きに耐え切れなくなった靭帯が引きちぎられたのだ。

病室に、男の悲鳴が響く。

男はナイフを手から落とし床の上で悶え苦しんでいたが、守が顔面に蹴りを入れるとすぐにおとなしくなった。

固い床を利用した後頭部への一撃、人体で一番堅い肘という凶器を利用したカウンターから電光石火の関節技。

見事な業であった。

しかし狭い病室なら数の有利で押し込めると思ったのだろうか、男たちはさらに病室へと入り込もうとしてくる。

だがここにいるのは守だけではない。

「おぉーっと、病院で走らないでくださーい!」

男たちが病室に入ってこようとした途端、狂骨が思い切り病室のドアを閉じた。

閉じた、というより扉で殴り飛ばしたとでもいえばいいだろうか。

「うげぇ!?」

ドアと壁に挟まれ、最初に病室に入ろうとした男が呻き声をあげる。

だが狂骨は一度だけでなく、男が挟まれたまま二度、三度とドアの開閉を繰り返す。

そして四度目にドアを閉めた時に男が意識を飛ばしたと分かるとドアを開け、思い切り前蹴りで蹴り飛ばした。

ドアの前にいた他の男たちが逃げるように後ろに下がる。

当然だ、今の彼らにとってドアはもはやなんでも喰らう怪物の口の様なものだ。

次にドアをくぐった途端、同じ目に遭う。

男たちが怯んだとみるや否や、狂骨が勢いよく病室から飛び出た。

「そぉいや!!」

「ぐふぇ!?」

狂骨は適当に近くにいた肥満気味な男一人の胸倉を掴み、頭突きを叩き込む。

そして頭突きで怯んだ隙に胸倉を掴んだまま腕を引っ掴むと、力まかせに背負い投げのように背中に担いだ。

肥満気味な男の体重はおそらく九十キロ近くあるだろうが、狂骨は軽々とその巨体を担ぎあげると、他の男たちにパスでもするかのように投げ飛ばす。

「う、うわぁあああ!!?」

「助け──ふぎゅぁ!!?」

九十キロの肉の塊を投げつけられた男たちはその重量を受け止められるはずもなく、あっけなく押しつぶされる。

潰された男たちはその場で呻いて倒れているが、肥満気味な男だけは鼻血を垂らしながらもどうにか立ち上がる。

「お、お前…何者だ…?」

目の前にいる狂骨に向かって問いかける。

しかしその答えは背後から帰ってきた。

「教えてやろうか?」

「ッ!?」

暴れる狂骨に意識が向いている間に守は病室から抜け出していた。

更にいつの間にか男の背後に回り込んでおり、思い切り肘を振りかぶる。

「正義の味方だとさ!」

後頭部に肘を思い切り叩き込むと、男があっけなく前のめりに倒れていく。

これで病室の前にいた一団は一通り片付いたが、まだ入り口の方からバタバタと他の組員が走ってくる音がする。

狂骨は音のする方に視線を向けながら、何やら照れくさそうに笑っていた。

「いや~いざ言われると照れるね、正義の味方って言われるの。」

「なーに照れてんだか、自分で言ったんじゃないかあんた。」

「いやー、そうだけどさぁ、こうなんかむずむずする感じ?」

「はいはい…じゃあもうひと頑張り頼むよ、正義の味方さん。」

「はーい、任されて!」

張りきった声で狂骨が答える、その瞬間に病室から大声が響いた。

「ま、守姉!!窓から!!!」

「え、やば!?」

「美船!!」

病室に目を向けると、男が一人窓をよじ登って来ていた。

しかもその手には拳銃が握られている。

先ほど内藤と呼ばれた男が持っていた銃をうっかり回収し忘れていたせいだった。

銃を持っている男が窓枠に膝を着き、銃を構えようとする。

だが急な危機に瀕しても狂骨と美船の無駄にうろたえず、すぐに行動に入った。

美船は病院の中に地面を転がりながら入り、先ほど男が持っていたナイフを拾いながら体を起こすと、同時に手にしたナイフを窓にいる男目掛けて投げつけた。

刃物を投げつけられ、男が慌ててその身を伏せて避ける。

しかしそのおかげで隙が出来た。

「てりゃあああ!!」

狂骨が窓にいる男目掛けて突っ込む。

そして銃口が向くよりも早く男に接敵すると銃身を掴み、銃の動きを封じたうえで思い切り殴り飛ばした。

男が銃から手を離し、窓の外に叩き落されて地面に力なく落下する。

狂骨は慣れた動きで銃を手にするとマガジンを抜き取り、薬室に入っていた銃弾を抜くとスライド部分を外して分解、最後にスライドを地面におとして踏みつぶした。

流石に金属製のスライドは割れはしなかったが明らかに形が歪み、もう元に戻せないことは一目見て分かるくらいに変形していた。

「あっぶなかった~。」

「やけに使い慣れてるわね、あんた…。」

「ま、まぁそれは企業秘密で…。」

銃を慣れた様子で使う狂骨に守がじとっとした目を向けるが、狂骨は目を逸らす。

しかしこのまま病室に美船をいさせてはまずいと、二人が美船に外に出るように促し、皆で外に出る。

「よっし、じゃあここから入ってこれないように…でりゃ!」

外に出たところで狂骨は1〇5号室のドアに目を向けると、閉じたところでドアをぶん殴った。

つぶされないない程度に殴られたドアは大きくゆがんでしまい、開閉が出来なくなってしまう。

「うっそ…。」

その姿を見て美船は茫然としているが、狂骨は明るく笑っている。

「これで安心、前だけ見て全員ぶっ倒そう!」

「強引だねぇ狂骨、でも嫌いじゃないわやっぱこういうの。」

軽快に守が笑って見せる。

そうしているうちにまた新たな一団が皆の前に立ちふさがった。

狂骨と、守が、構える。

新たな一団がこちらに向かってきても、二人の顔から笑みは消えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「よっし…これで最後かな。」

狂骨は病院前の駐車場にいた最後の一人を止まっていた車のボンネットに叩きつけ、その意識を断つ。

1〇5号室から駐車場にかけて、まさに死屍累々と言った感じで人が横たわっていた。

ある者は力なく横たわり、あるものは呻き声をあげ、ある者は異様に曲がった自分の手足を押さえて苦しんでいる。

「助かったよ狂骨、私ひとりじゃここまでやれずに逃げ回ってるとこだった。」

「気にしないでよ、だって正義の味方だし!」

「はいはい、ありがとう。」

狂骨の言葉に守が苦笑する。

その守の手には、美船の手がしっかりと握られていた。

美船は目の前でえんえんと荒っぽい光景を見せられたせいでさすがに疲れているような姿を見せるが、けがはなかった。

「なんか…すごいもの見ちゃった…。」

「あはは…さすがに刺激が強すぎたかな…。」

「あんた正義の味方の癖にやること荒っぽいのよね、美船に悪い影響が出ないか心配だわ。」

「いやいやいや、守さんの方が絶対悪い影響与えそうだから!」

思わず狂骨がツッコミを入れていると、遠方からサイレンの音が聞えてきた。

その音を聞いて三人の緊張が僅かに解ける。

おそらく通報を受けた警官が駆けつけてきてくれたのだろう。

まぁこのまま保護もとい連行されてタダで帰れるとは思っていないが、それでも美船の安全はたしかだろう。

安心したように皆の表情が緩んだ。

サイレンの音は徐々に大きくなり、病院の前までパトカーが一台やってきた。

三人は待ってましたとばかりに道に出ると、狂骨がパトカーに向かって手を振った。

「あれー、一台しか来ないんだ…三人で乗るの狭そうだなぁ。」

まるでタクシーでも呼んでいるかのように狂骨が言った。

狂骨の言葉を聞いて、守もパトカーに目線を向ける。

そして暗がりのなか目を凝らしてパトカーを見ていると、パトカーが街灯の下を走り運転席を照らした途端、守が表情を変え声を上げた。

「ッッッ!!!?狂骨逃げて!!!」

「え、どうしたの守さ──」

叫び声と共に守が美船を駐車場に向かって突き飛ばす、そして狂骨がつい守に視線を向けてしまった瞬間だった。

狂骨と守にむかってパトカーが突っ込んだ。

狂骨は猛スピードで真正面からパトカーに轢かれて吹き飛び、守は避けようとするも太ももの辺りを思い切り跳ね飛ばされ、地面に倒れこむ。

吹き飛んだ狂骨の身体は地面に落ちても勢いは止まらず、アスファルトの地面でスーツをズタズタに傷つけながら転がり、動かなくなった。

「きょ…狂骨…ぅが!?」

守は地面から起き上がろうとしたが、太ももに走る激痛のせいで立つことが出来ず、再度その場に倒れてしまった。

折れている。

守は確信した。

右足の太ももの骨が折れている。

守の右足は折れ曲がりさえしてはいなかったが少しでも何かに触れると激痛が走り、吐き気さえ襲い掛かってきた。

「ま、守姉!!!守姉!!!!」

美船だけは守が咄嗟に突き飛ばしたおかげで擦り傷程度で済んだ。

美船が無事だったことを確認すると守は微かに表情を緩めるが、パトカーのドアが開く音を聞くと歯を食いしばって眉を吊り上げ、怒りの表情を浮かべた。

そして激痛が走る右足を無理やり動かして立ち上がろうとする。

またしても倒れそうになるが咄嗟に美船が守を支えたおかげで、美船は立つことができた。

パトカーのドアから出てきたのは警官ではなかった。

派手な柄シャツに、趣味の悪い豪奢な金のアクセサリーを身に着けた男たち。

「なんだあんたら…いつの間に警官に転職したんだい?」

「いやー、ちょっと足が必要になってちぃーっと借りたんだわ…そしたらあんたらが飛び出してきて、困るなぁ。」

男たちはにたにたと下卑た笑みを浮かべながら、自力で立つことさえできない守を眺める。

おそらく、パトカー相手なら守たちが油断するだろうと、無理やり奪ってきたのだろう。

こんな警察に真っ向から喧嘩を売るような真似をして無事で済むはずがない、文字通りの最終手段だ。

しかし人身売買の事実が公になることと、今回の騒動を一部の組員の独断という形でトカゲのしっぽのように切り離し、いくらかの銭をばらまくことを天秤にとり、後者を選んだのだ。

「しかしこれでお前らも終わりだ、でも俺らはやさし~いからよ、せめて仲良く海に沈めてやるから安心しな。」

「私がそんなことさせるかよ…。」

守が怒りで目を見開き、美船の肩から手を外して無理やり歩こうとするが、一歩前に踏み出そうとしただけで呆気なく地面に膝を着いてしまう。

まるで男たちに対してひざまずくように膝を着く守を見て男たちは笑うと、そのうちの一人が守の顔に思い切り蹴りを叩き込んだ。

「ぐぁッ!?」

「守姉!!!!」

咄嗟に腕で顔を庇ったものの、固い革靴で思い切り顔面を蹴られたため守があっけなく地面に仰向けに横たわる。

意識こと失いさえしなかったが視界が歪み、鼻から生ぬるいなにかが零れ落ちる感触が顎に向かって伝わる。

起き上がろうとするが、地面が揺れるせいで全く起き上がることができない。

守は虫のように地面を這った。

這いながら立ち上がろうと地面をもがくが、そのたびに地面が反転し、歪み、起き上がり、沈むせいでどうにもできない。

それでも守は立とうとする、立たねばならないと、何かがそうさせる。

不意に守の身体に何かが覆いかぶさった。

突然何かが身体に触れる感触にびくりと守が身体をこわばらせたが、どこか安心する感触に、こわばりはすぐさま解けていく。

その感触によって、守は朦朧とした意識が一気に明瞭になった。

「み…みふ、ね。」

美船が守を庇うために、その身体に盾のように覆いかぶさっていた。

震えた歯が打ち鳴らされる音が守にまで聞こえてくる。

心臓は早鐘のように鼓動を早め、身体はがちがちに強張っている。

それでも、守を庇おうとする腕には力が籠められていた。

「だ…め…逃げて…。」

「い…嫌…!」

懸命に美船が腕に力を籠める。

その姿を見て男たちは苦笑いを浮かべて肩をすくめると、笑みを浮かべたまま容赦なく美船の横腹を蹴り飛ばした。

「うぎゅ…ッ!!!!」

「み…ふねぇ!!

それだけで呆気なく力を籠めた美船の腕は解け、地面を転がった。

しかし転がりながらも横腹をおさえ、美船が立とうとする。

だが非情にも男たちはそんな美船に対して足を振り上げ、またしても蹴り飛ばそうとする。

その光景を見て、守は立った。

折れた足の激痛も、歪む景色も、体にまとわりつく吐き気も、すべてが怒りによってかきけされ、立った。

立った、が走れない、歩けない。

地面に倒れこみながらも、守は美船の元に向かおうとする。

しかし間に合わない。

男たちの振り上げた足が、美船に向かって落とされる。

 

その瞬間、男たちが宙を舞った。

 

比喩ではなく、文字通り、見えない何かによって掴み上げられたかのように身体が宙に浮き、振り回される。

男たちは突然の超常現象に呆気に取られていたが、自分が置かれた状況に気づくと大声を上げ手足を振り回して暴れだした。

「な、なんだこれ!?」

「なんだ…なんかが、なんかが俺の身体に触ってる!!!?」

「た、助けて!助けてくれ!!!」

男たちは暴れていたが、その手足が何かに押さえつけられるかのように動きを止めた。

ありえない形で服のしわができあがり、ぎちゅぎちゅと関節の軋む音が響く。

まるでそれは、見えない巨大な掌に掴まれているようであった。

「なに…これ…。」

守は唖然とした様子でその光景を眺めていた。

しかし美船は違った。

美船はまるで見えない何かが見えているかのように男たちではなくはるか頭上を見上げている。

ぎちゅ、ぶつん、ぐきゃ、と音が響いた。

男たちの肋骨が折れ、肩が外れ、骨のひしゃげる音。

「ぷ、ぷぐ…ぷごぁ…ぁ!」

ごふりと男たちが口から血を吐き出し、白目を剥くと口から蟹のように泡を吹く。

鮮血に染まった水泡がぷくぷくと口の端から噴き出て頬を流れ、見えないなにかを伝いながら地面に滴り落ちる。

「だ、だめ…死んじゃう…!」

美船が男たちを掴む見えない何かに近づき、頭上に向かって必死に呼びかける。

だが美船の訴えもむなしく、男たちは意識を失ってからも解放されることはなく、締め付ける力は増していき──

ぶちゅ。

音がした。

どう形容していい音か分からなかった。

もしかしたら血肉がパンパンにつまった麻袋に穴を突いたらこんな音がするのかな、と、想像するくらい。

当たり前だ。

人がつぶれ、内臓が口からはみ出た音など、どう形容したらいいのだ。

身体をつぶされ、男たち──いや、肉塊とかした物体がようやく見えない何かから解放され、地面に落下する。

肉塊から噴き出た血が大量に滴り、見えないなにかのシルエットがおぼろげながらも姿を現す。

それは間違いなく巨大な掌であった。

五指に分かれ、それぞれに血が滴り、人の手のシルエットを見せる。

だがそれはところどころに隙間が空き、細かった。

そう、人間の骨がそのまま形になったような姿だった。

そして、骨の手はゆっくりと動き出すと、今度は守に向かって掌を向けた。

「嘘だ…ろ…。」

掌が近づいてくる、が、守はろくに動くことができない。

またしても地面を這って逃げようとするが、ゆっくりと動く手は徐々に速度を上げ、守に迫る。

だが、守は少し安堵した。

狙われたのが自分でよかった。

自分にできることは、少しでもこの謎の怪物から時間をかけて殺されること。

その間に美船が逃げられるかもしれない。

だから、這う。

少しでも、1分、1秒、秒に満たない時間でも、稼ぐ。

背中越しにもう何かが迫ってきている気配を感じる。

そうだ、こい、こっちに。

這う。

這う。

這う。

背中に何かが触れる感触を感じる。

ああ、終わったんだと、そう、守は思った。

 

「守姉!逃げて──きゃああああ!!!!!」

「美船!?」

 

美船の声が響くと同時に悲鳴が鳴り、守が背後を振り向く。

そこには守を庇って代わりに謎の腕に捕まった美船がいた。

謎の腕はギリギリと美船を締め上げ、力が強まる度に悲鳴がどんどんと弱まり、かすれた呼吸音へと変わっていく。

「ぁ…ぁも…り…ねぇ…。」

「美船!美船!!!」

「に…げ…。」

「だめ…!美船を離せぇ!!」

守は必死に立ち上がると見えない腕に縋りつくかのようにしがみつが、あっけなく弾き飛ばされる。

地面に倒れると折れたふとももに激痛が走り、息が詰まる。

腹膜がせりあがって肺を圧迫し、息ができないせいで胃液が逆流し、酸っぱいものがのど元までこみ上げてくる。

それでも、口から黄色い胃液を吐き出しながら、痛みを気合でこらえて立ち上がり、腕に向かって縋りつく。

腕に滴る血に黄色い胃液が混じり、奇妙な色になってまじりあった。

すると、突然謎の手が美船を締め上げる力が少し緩んだ。

美船のか細い呼吸が徐々に大きくなっていく

同時に守は見えなかったはずのものが、自分が見えているようになっていることに気づいた。

目の前に、血染めの骨がいた。

骨である。

巨大な人骨とした形容できない存在。

巨大な人骨はその手で美船を握りしめており、頭上を見上げれば眼球のない窪みの部分を美船に向けていた。

まるでないはずの目で見つめるように。

さらに顎がぎりぎりと軋んだ音を立てて稼働すると、声が聞こえてきた。

『ねぇ…。』

それは声というより、脳に直接響くような、不思議な感覚であった。

『どうして君は、逃げずにこの女を守ろうとするの?』

「なんでって…。」

『教えてよ。』

美船が言葉を詰まらせると、ぎゅっと骨の手が力を籠める。

苦しさに美船が小さく呻き声をあげるが、覚悟を決めたかのように口を開いた。

「好き…だから。」

「美船…。」

『うそだ…。』

美船の答えに、骨の怪物が静かに、しかし怒りを込めた様に言う。

『そんな理由で、命を捨てられるなんて、うそだよ。』

「嘘じゃ…ねぇ!!!」

美船の言葉に奮起した守が、転ぶように体を前に泳がせながらも、骨の手をぶん殴った。

そのまま骨の手にもたれかかりながら何度も、何度も、殴り続ける。

肉塊から噴き出た血で染まった守の拳。

何度も固い骨を殴った拳はたちまち肉塊の血ではなく守自身の血で染まっていく。

それを一切意に介さず、守は殴り続けた。

「美船はなぁ!私のせいで昔死にかけたんだよ!!」

殴る。

「私がお守をサボったせいで、美船は昔海で溺れて死にかけたんだ!」

殴る。

「そんな私にも美船は何も言わなかった!全部許してくれた!」

殴る。

殴る。

殴る。

「だから私はなぁ!一生かけてでも美船を幸せにしてやるんだよ!」

殴る。

殴る。

殴る。

殴る。

殴る。

殴る。

殴る。

「てめえなんかに…分かるかよ!!!」

もう、守の拳は、とっくに砕けていた。

拳骨はつぶれ、小指はひしゃげ、拳が歪んでいる。

それでも守は殴り続けた。

「…守姉は…ずっと私のそばに…いてくれた…。」

美船が、細い手足を必死に動かし、骨の手から逃れようともがく。

「お父さんが悪いことしてるのはしってた、お母さんがそれを見てみぬふりしてるのも、そのせいで私はみんなから嫌われてた…。」

美船がもがけばもがくほど、骨は握る力を強める。

それでも美船はもがいた。

拳が壊れても殴り続ける守と感覚を、痛みを共有するように。

「人間の友達なんて…好きだなんて…愛してるって言える人なんてもう守姉だけなの!!!」

叫んだ。

血を吐きそうな勢いで、叫んだ。

「守姉がいないなんて…絶対に私は嫌…死んでも…嫌なの!!!!」

声が響く。

するとその声の響きにかき消されたかのようにふっ、と、骨の怪物の姿が消えた。

突然の出来事に美船はうまく着地できず、地面に横たわるように落下した。

守も支えになっていた手がなくなったせいでその場に転んでしまう。

お互いに寄り添いあうように地面に倒れた二人は互いが目の前にいるとわかると、お互いの無事を確かめるように抱きしめあった。

「美船…無事!?」

「守姉…大丈夫だけど、私より守姉が!」

「私は大丈夫…よかった…美船が無事なら…!」

二人は安堵しきった様子で声を掛け合う。

そんな姿を眺めるように、一つの人影があった。

その人影はいかにも人ならざる雰囲気を纏っていた。

背の高く、痩せた女であった。

その髪はまるで色素がないかのように白く透き通り、肌も白を通り越して蒼く見えてしまうほどに薄い白色をしていた。

身にまとっている衣服も、死に装束である

顔立ちも人形のように美しく、その美しさがまた人ならざる雰囲気を助長させている。

ただ、その顔に煌く瞳だけは別だった。

まるで紅玉のように鮮やかな赤。

その赤だけがまるで彼女が生きている証であるかのように、生き生きと煌いていた。

『…むかつくなぁ。』

そっとその人影は、二人を眺めて呟いた。

『私には、いなかったのに…。』

そしてもの哀し気に呟くと、姿を消す。

まるで最初から何もいなかったかのように。

その姿が消えたとたん、道路の方からなにやら何かが動く音が微かに響いてきた。

ぎしぎしと何かが軋むような音を響かせながら、そいつは現れた。

ズタボロになった黒いスーツ。

綺麗な直毛の白髪は乱れ放題で、ところどころに血と思しき赤い液体がこびりついている。

身体が動くたびにぎしぎしと、まるで油を差していない機械が無理やり動かされているかのような音が響く。

 

「あいつらあああ!!許さないぞ私は!!温厚な狂骨さんもブチキレだよあれは!!!?」

 

ズタボロになった狂骨が怒りの形相を浮かべながら意識を取り戻していた。

そして怒りの形相で駐車場を眺め、その惨劇の様相を見るとぽかーんと口を空け、困惑の表情を浮かべる。

 

「…………なに、これ?」

 

 

 

 

 

 

 

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