時は八咫総合事務所の面々が海水浴に向かう前日にさかのぼる。
鈴音は”黒猫”というカフェでツツジと会っていた。
内装を見る限りでは老舗という雰囲気が漂っている良いカフェで、店内には常連らしき客の姿がちらほらみえる。
鈴音とツツジが座っている席の近くでも、なにやら大学生らしき四人組がこみま?とやらについて話し合っていた。
”こみま”といえば花鈴と化け猫の会話の中でたまに聞いたことがあったな、と鈴音がちらりと学生たちに目線を向けると、そのうちの一人と目が合った。
綺麗な銀髪をぱっつんに切りそろえ、黒い衣服を身にまとったかなりの美人。
彩度の高い黄色の瞳がどことなく狂骨と似ていた。
「「…。」」
ほんのわずかな時間、視線が交差する。
だが銀髪の女性は隣にいた長い黒髪を束ねた女性に”どしたの留美子?”と声をかけられるとすぐに目線を外す。
鈴音も少し不躾なことをしてしまったと反省し、目線を戻すと目の前に置かれたコーヒーを一口飲んだ。
中々美味しい。
適当にアーモンドコーヒーとやらを頼んでみたが、普段飲むベーシックなコーヒーと香りが違って味わい深い。
店の雰囲気も程よく常連がいる空間は心地よく、今度一人でも訪れてみようと鈴音は思った。
ツツジは店を気に入った様子の鈴音をみて小さく笑みを浮かべる。
「どうだい、いい店だろ?」
「はい、気に入りました。」
「そりゃよかった、で、話って何だい?」
ツツジは鈴音に向かって小さく首をかしげる。
そう、今日ツツジと会いたいと申し出たのは鈴音である。
そしてツツジが会話のために選んだ店がここだった。
「はい…実は、事務所の皆と海に行くことになりまして。」
「ほぅ、そりゃよかったじゃないか、ゆっくり羽伸ばしてきな。」
「ただ、その招待券をくれたのが安倍晴明なんです…。」
「…何か、裏があるかもしれないと?」
「はい、考えすぎかもしれませんが念のため。」
「…分かった、私の方も気を付けておくよ。」
ツツジは苦い顔をしながらコーヒーを口に運ぶ。
そして一息つくと鈴音に目線を向けた。
「…そう考えるってことは、最近何かあったのかい?」
「はい…最近カマイタチが暴走する事件があったんですが、一度八咫烏に保護されていたと聞きまして。」
「ほぅ…そりゃあのクソガキが関わってそうな臭いがするねえ。」
クソガキ、とはおそらく安倍晴明のことであろう。
ガイア広しと言えども、あの人をクソガキ呼ばわりするのはツツジくらいだろうなと鈴音は小さく肩をすくめた。
「とはいえ、私の方もまだあのクソガキについちゃ全然情報はあつまってないんだがね。」
「以前昔馴染みに話を聞くとおっしゃてましたが、それも?」
「ああ、皆口を閉ざしてる…」
頭を掻きながら不服そうな口調でツツジが言う。
そして煙草が入った胸ポケットをまさぐるが、灰皿のないテーブルを一瞥するとため息を吐きながら椅子にもたれかかる。
「しかし、そうなってくると鈴音、あんたの仲間は信頼できるのかい?」
「…。」
ツツジの言葉に、コーヒーカップを握る鈴音の力が強まる。
「…どうなんだい?」
「分かりません、それが素直な言葉です。」
小さく息を吐き、答える。
分からない、当然だ。
そもそもこの一件、まだ不確かなことが多すぎる。
失踪した祖父の行方、鹿角家に受け継がれてきたもう一本の太刀、安倍晴明の目的。
それに八咫総合事務所の面々も、過去の記憶が残っていない。
彼女たちになにかしら晴明の手が加わっている可能性は低くはない。
故にわからない。
だが、同時に言えることが鈴音にあった。
「でも、私にとっては、もう皆は家族みたいなものなんです。」
「…。」
「私は、皆を信じます。それだけです。」
「分かった、肚決めてるなら十分だ、私は何も言わないよ。」
真っすぐな言葉に、ツツジが微笑む。
その後、互いにコーヒーを飲み終えるまで、無言で刻を過ごした。
近くの席からは相も変わらず学生たちの賑やかな話声が聞こえてくる。
その声もどこか、普通の日常らしく二人にとっては心地よかった。
空気に浸るようにゆっくりとコーヒーを飲み終えた二人は会計を終え、入り口で小さく別れの言葉を交わす。
そして互いに背を向けようとしたところで、鈴音が不意に口を開いた。
「あの、ツツジさん。」
「ん?」
「良かったら今度、父や、祖父…おじいちゃんやおばあちゃんのこと、教えてください。」
「どしたんだい、いきなり?」
「私は花鈴…妹以外の家族のこと、何も知りませんから。」
「…。」
「それだけです。」
相も変わらすの無表情のまま、鈴音が言う。
しかしその表情の中には一抹の寂しさの様な、微かな憂いの様なものが見えた。
その表情を見るとツツジは目線を落とし、小さく頷くと鈴音に近づき、突然その頭をわしゃわしゃと乱暴に撫ではじめた。
いきなりの出来事に鈴音は目を丸くする。
「つ、ツツジさん?」
「ったく!あんたはいい子だねえ!そんなもんいくらでも話してやるよ!」
ツツジはしばらく頭を撫でた後、ポンと鈴音の肩を叩いて離れる。
そして少しばかり照れくさそうに笑みを浮かべ、表情を隠す様に背を向ける。
「まぁ、あれだよ、私は鈴音のことはまぁ…勝手に孫みたいに思ってるから。」
「ツツジさん…。」
「…その、まぁ…話してやるよ、いろいろな。」
「…ありがとうございます。」
そうして二人は別れた。
その翌日、鈴音は八咫総合事務所の面々と共に秋奈町を離れる。
一人町に残ったツツジは、普段通り過去の知り合いの足跡を辿りつつ、情報収集に勤しんでいた。
鈴音が町を経ってから二日。
海沿いの町である事件に八咫総合事務所のメンバーが巻き込まれていたその日の夜、ツツジは帝都の繁華街を一人歩いていた。
いくつかの居酒屋を梯子し、ややふらついたような足取りで人ごみをかき分けながら通りを歩く。
そのまま大きな通りを離れ、トタン小屋の様な飲み屋が並ぶ小路をくぐり、やがて誰もいない薄暗い裏路地に辿り着いた。
ツツジがその場に足を踏み入れると放置されたごみにたかっていたネズミが一気に動き、物陰や排水溝に逃げ込む。
同時に、ふらつきながら歩いていたツツジの足がぴたりととまり、酔いに揺れているようだった身体が真っすぐに伸びる。
そして胸元にあった煙草、ベージュの下地に濃紺の文字が刻まれたものを一本口にくわえると、火を点けた。
「どうだい、遊ぶにはよい場所だろう?」
一人、ツツジが呟く。
まるで誰かに問いかけるように。
ツツジの声に応えるように、影が二つ、現れる。
一体はツツジの後方から、もう一体は建物の屋上から飛び降りてツツジの前に立つ。
背後にいたのは一人の巫女服に身を包んだ少女。
だがその頭からはイタチの耳の様なものが生えており、強いながらもどこか不安定な、揺らぐような妖力を纏っていた。
もう一人は黒いスーツに身を包んだ少女で、頭からは犬の様な耳が生えている。
犬耳の少女がそっと口を開く。
「気づいていましたか。」
「そりゃあね、酔ったふりにかかってくれてババアは嬉しいよ。」
「このところ、我々を探っている様子ですが…何が目的です?」
眼を鋭く細め、犬耳の少女が問う。
その言葉にツツジは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「我々ね、とうとうそっちから出向いてくれたわけだ、八咫烏の嬢ちゃん。」
「…晴明様に仇なす気であれば、相応の手段を取らねばなりません。」
「仇をなすかはあのガキ次第だよ、色々聞かなきゃいかんことがありすぎる。」
「貴様…晴明様になんという口を…!」
犬耳の少女の顔が憤怒に歪む。
同時に、風が突如としてその場に吹いた。
ツツジの頬を前から後ろに撫でるように、くくった髪が浮き上がるほどに強い風が流れる。
「むっ!?」
ツツジは不穏な気配と妖力が強まりを察知し、とっさにその場から飛び退いた。
寸前までツツジがいた場所を土埃やごみを吹き飛ばしながら強烈な空気の圧の様なものが通り過ぎていく。
それは真空波であった。
カマイタチが放つような、見えない真空の刃。
ツツジが背後に目を向けると、霊剣を発現させた巫女の姿が目に入る。
巫女はスッと正眼に霊剣を構えながら、冷めた感情のない瞳をツツジに向ける。
「…晴明様を愚弄するのですか?でしたら私は貴女を許しません。」
「巫女!落ち着いてください!」
「落ち着くのは貴女です雷獣、やはりこの方は晴明様に仇なす逆賊です、直ちに処分しなければ。」
犬耳の少女、巫女に雷獣と呼ばれた少女が突如としてツツジに攻撃を加えた行為を嗜めるが、巫女は聞く耳を持たない。
その様子にツツジは呆れた様に肩をすくめ、煙草をくわえたまま口の端から紫煙を吐き出す。
「なんだい、仲間割れは勘弁しておくれよ。」
「減らず口を叩く暇はありませんよ。」
巫女が正眼に構えた霊剣を振り上げ、上段から振り下ろす。
同時にカマイタチの刃がツツジに向かって放たれた。
だがツツジは霊剣を出すまでもなくカマイタチの軌道を読み、軽く横に跳んで避ける。
「ほう、カマイタチかい、懐かしいね…昔を思い出す。」
思わずツツジは呟いた。
カマイタチは保護されるようになってから久しいが、過去は身近な人間に害のある妖怪として大量に陰陽師に狩られてきた。
故に古いカマイタチは人間に怨恨を持つものもおり、それらとツツジは相対したことがあった。
長い人生の中、数多の妖怪との闘いを潜り抜けてきたその経験値は並のものではない。
カマイタチを牽制にするように巫女が霊剣を八相に構えツツジに向かって駆け出す。
巫女はツツジが剣の間合いに入ると八相に構えた霊剣をそのまま袈裟懸けに振り下ろすと見せ、急に姿勢を低くすると足に向かって横薙ぎに霊剣を振る。
脛斬り、一部の剣術流派では多用される技術である。
競技剣道においては反則であるため見受けられないが、競技薙刀においては決まり手の一つとして認められており、脛斬りを得意とする流派には薙刀術を併伝とするものがある。
顔や上半身を危険にさらし防御がおろそかになる、相手の戦闘力を奪うことはできるが致命打にはならないなど、リスクも多々あるが有効な攻撃手段である。
だがツツジはその場から退いて避けようとせず、逆に一歩前に踏み込んで靴裏で巫女の腕を蹴り、脛斬りの動作を止めた。
「甘いねえ。」
呆気なく攻撃を止められた巫女の表情に微かに驚きが浮かぶ。
だが巫女はすぐさま腕を引き、上段に霊剣を構えなおして真っ向からツツジに斬りかかったが、またしてもそこでツツジが前に向かって踏み込む。
ツツジは先ほど脛斬りを止めた時点で既に剣の間合いを踏み超えていた。
巫女が霊剣を振り下ろすよりも早くツツジは懐に入り込むと、まず霊剣を持つ巫女の腕に向かって左の前腕を跳ね上げるようにぶつけて制す。
ツツジは踏み込んだ勢いを利用して右の拳を巫女の顔面目掛けて打ち込むが、寸でのところで巫女がツツジの拳を首を捻って避ける。
だが突き抜けたツツジの拳はそのまま戻らず、巫女の奥襟を掴んだ。
そのうえで口に咥えていた煙草を不意に巫女の顔目掛けてプッ、と吹き付けた。
一瞬、ほんの一瞬巫女の意識が吹き付けられた煙草に向かってしまう。
その隙をついてツツジが左の貫き手を巫女のわき腹に叩き込む。
「ぁ…がぁ!?」
肋骨の隙間を穿ち、内臓を直接抉りぬくような強烈な貫き手の一撃。
巫女がその苦しみに思わず身体をくの字に曲げ、顔を歪ませて嗚咽の声を漏らす。
さらにツツジは掴んでいた奥襟を引っ張りながら巫女の顔面に容赦なく右の膝蹴りを叩き込んだ。
巫女が一瞬白目を剥き、意識を飛ばす。
顔面に膝蹴りとは、それほどまでに必殺の一撃となりうるのだ。
ツツジがさらにそこでもう一発膝蹴りを叩き込もうとしたが、そこに一つの影が割り込んでくる。
「巫女を離せ!!」
雷獣が雷を纏わせたミドルキックをツツジに向かって放つ。
ツツジはさっと巫女から離れてミドルキックを避けると、雷獣に向かって身構えた。
「ちょっと遅かったねえ、相方はあれだよ。」
「黙れ!」
巫女は地面に片膝を着いてはいるがまだ意識が朦朧とした様子であり、膝蹴りによって噴き出た鼻血が地面に落ちる様を焦点が合わない目で見つめている。
雷獣が左ジャブ、右ストレートとワンツーパンチを放つ。
ツツジは軽く首を振って二つの拳を避けるが、雷獣はツツジが避けたところを狙って右のハイキックを放つ。
だがツツジはハイキックが届くより早く雷獣の軸足を軽く足で払うと、それだけで簡単に雷獣はバランスを崩して転んでしまう。
「なっ…くそっ!!」
雷獣は転びながらも咄嗟に地面に手を着き、身体を転回させながら後ろ回し蹴りを放つが無理やりの体勢で放たれた蹴りなど当たるものではない。
しかし雷を纏い、青い稲光が弧を描きながら放たれる蹴りはツツジの接近を防ぐことはできた。
ツツジは軽く身体を引いて避けるが、その雷に小さく口笛を鳴らす。
「こりゃ、組討ちは使えそうにないか。」
「減らず口を…!」
雷獣が立ち上がり、蹴りは簡単に使うのは危ないとみたのかボクシングのように拳を構え、パンチのコンビネーションを繰り出そうとする。
雷を纏った拳を武器に、左の拳を上げてフェイントを見せてから右のストレートを放とうとした。
しかしフェイントを挟んだせいでわずかに初動が遅れた。
ツツジはそのフェイントを軽く見切っており、初動が遅れた隙を突いて雷獣の拳が届くより早く右の上段回し蹴りを放った。
攻撃姿勢に入っていた雷獣がその蹴りを避けられるはずもなく、ツツジの上段蹴りがまともに雷獣のこめかみを捉える。
さらにその蹴りは足の甲ではなく靴の爪先を利用した蹴りであり、力が小さな一点に集中した一撃になっていた。
「…ッッ!?」
「蹴りってのはこう使うもんだ。」
雷獣の体勢が揺らぐ。
膝が折れ、身体が揺らぎ、ぶれる視界の中懸命に倒れまいと食いしばって耐えるが、その姿は隙だらけであった。
「精進しな。」
ツツジの掌底が、雷獣の顎を撃ち抜く。
すると雷獣の身体から糸が切れた人形のように力が抜け、地面に膝を着くとそのままうつぶせに倒れ伏した。
「ら…らいじゅ…う!」
倒れる雷獣を見た巫女がまだ意識が朦朧とするなか立ち上がるが、まだ霊剣をまともに構えられないほどにダメージが残っているらしい。
正眼に構えようとする霊剣の切っ先はふらふらと揺れており、身体の軸も大きくぶれている。
「あんたら今日のとこは帰んな、私がただのババアじゃねえってわかっただろう?」
「く…そ…!」
ツツジは言いながら地面に落ちたまままだ火の残っている煙草を踏み、火を消した。
つまりツツジは煙草一本を吸い終えるまでにこの二人を倒したということになる。
実力差があることは明白であった。
だがその時だった。
「!!?」
ツツジは背に、するりと冷たい何かが、滑るように這う感触を感じた。
氷のつぶてが背をするりと撫でていったような、冷えと同時に強烈な熱ささえ感じる、そんな感触。
ツツジはまるで急な物音に驚いた猫の様に飛び跳ねてその場から逃れた。
先ほどまで浮かんでいた余裕のある表情は消え失せ、急に溢れるように噴き出た冷汗を浮かべながら苦虫を噛み潰したように歯を食いしばる。
そのツツジの背には何の変化もなかった。
ただ殺気を当てられた、それだけである。
もしその気であったならお前を斬ることが出来ていたという、明確な殺意。
その殺気を鋭敏に感じ取ったツツジが、背中を斬られる感触を鮮明に感じ取ってしまったのだ。
殺気に気づいたツツジの視線の先に、一人の男がいた。
背の高い、一見ひょろりとした細身の老人であった。
老人は夏の夜だというのに黒い、光沢のない漆黒のスーツを上下に身を包み、その下には薄いタートルネックの黒いインナーを着ている。
靴も革靴だというのに故意に消されたかのように光沢がない黒で染まっていた。
だがその肌は対照的に絹のように白く、年老いているというのに不思議と艶やかな美しさがある。
顔立ちも整っているが、特に目を惹くのは白い肌の中に煌く赤みがかった焦げ茶色の瞳。
髪は微かに白髪が混じった癖のある長い黒髪を首元で無造作に束ねていた。
ツツジはその姿に嫌というほど見覚えがあった。
最後に出会ったのは二十年程前だが、ツツジにとってその顔は決して忘れられる存在ではなかった。
「久しぶりに顔突き合わせたってのに、とんだご挨拶じゃないか…
老人の名は、
失踪した鈴音と花鈴の祖父であった。