帝都の鬼姉妹。 ふぉっくすらいふ!外伝   作:百合道いおりん

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31話 鹿角の大太刀

 

 

 

冷たい空気が張り詰め、暗闇に包まれた板張りの広間に、一人の老人が座していた。

背筋が伸び、綺麗に足がたたまれた綺麗な正座姿である。

服装は着古された黒い袴姿である。

一見して和装に身を包んだ老人がただ座っているように見えるが、一般的な正座と異なる点があった。

両足の膝が触れ合うことなく、拳二つ分ほど離れていることだ。

これは有事の際に素早く立ち上がるためである。

つまりこれはただ正座をしているわけではない。

礼儀として正座の形を残しながらも、素早い動作を想定した形。

武道の正座である。

その証拠に、老人の傍ら──右脇には大きな太刀が一振り鞘を前、柄を後ろ側に向けて横たわっている。

刀を右脇に置き柄を後ろにするのは相手に敵意がないことを示す作法だ。

居合は左腰に差した刀を用いることを前提にした技術のため、刀を抜かないことを示しているのである。

その姿勢のまま老人は半眼になり、目の前にいないはずの敵を想定する。

一足一刀──一歩踏み出せば刀の間合いに入る距離からわずかに外。

相手が誰であろうと間合いに入れるような度胸は、この老人にはない。

敵はにこやかな笑みを浮かべながらその場に腰を落とし、左腰に差した刀を鞘ごと抜いて老人と同じく右脇に置こうとする。

そして刀に手をかけたその瞬間、鯉口を切って瞬時に刀を抜き老人に斬りかかろうとする。

しかし遠い。

老人に致命傷を与えるには一歩前に踏み出すだけではわずかに足りない。

その距離が生死を分ける。

老人は瞬時に膝を立て右脇に置いた太刀を掴み、身体をひねりつつ後ろに向って転がり、敵の振るう刀を避けた。

マット運動の様に身体をまっすぐにしたまま後転はしない、そうすると相手の刀が当たってしまうからだ。

老人は身体を起こしながら両手で太刀を頭上に掲げる。

敵は居合抜きの一刀を外すや否や両手で刀を振り上げ、頭上から振り下ろしてくる。

その刀身を鞘で受け止める。

そして鞘を持った手を滑った敵の刀で切られぬように留意しつつ、反撃のために太刀を抜刀し──

 

「……ダメか。」

 

老人が一人呟く声が、広間に響いた。

その手の中にある太刀は抜かれぬまま、鞘と鍔がぴったりと合わさったまま動いていない。

老人は眉をひそめ、手慣れた様子で大太刀を袴の帯に差し、息をつく。

老人の名は鹿角鈴宗。

家族を妖が関わる世界から遠ざけるべく姿を消し、現天皇である安倍晴明の駒として暗躍していた猛者である。

かつては封印された姫斬りと共に鹿角家に伝わっていた大太刀を用いていたが、数か月前よりその大太刀が妙な妖気を発し始めた。

それと同時に鈴宗はこの大太刀を抜くことができなくなった。

長年この大太刀を用いてきた鈴宗にとっても初めての出来事である。

理由として考えられるのは一つ、封印されていた姫斬りが目覚めたということだ。

姫斬りはかつて強力な鬼である鈴鹿御前を討ち果たし、その後手にしたものが狂ったために封印されていたという逸話を持つ妖刀。

その妖刀が目覚めたと同時に抜けなくなった大太刀。

この大太刀が一体姫斬りとどのような関係を持っているのか、鈴宗には分からない。

だが知らなければならないことは確かだ。

それは未だに顔さえ見たことのない孫が姫斬りを抜いたということ、そしてその姫斬りを安倍晴明が観察しているということ。

鈴宗には安倍晴明の目的は分からない。

八咫烏という組織の設立、その前進ともいえる退魔士組織ウタイの排除、退魔の活動において回収された妖怪を用いた実験の数々。

そして安倍晴明に対して都合よく巻き起こったテロ、殺人事件、権力者の死去。

彼は世界を手中に収めようとしているのが目的なのか、安直に思い浮かぶのはそんな目的だ。

しかし鈴宗はそうは思わない。

あの怪物──晴明はその程度で満足する器とは思えなかった。

彼の目的は分からないが、もし姫斬りの力が利用されるとするならば鈴宗にとって益のあることになるとは考えられない。

故に鈴宗の持つ大太刀をどうにかしなければならないが、現状ただひたすらに抜刀を試みるしかなかった。

無心になれば抜けるものかと、意識が夢と現の境界に溶けるまで座り、無意識に幾千幾万と繰り返してきた型を実行するまでには至ったが、意味がなかった。

思わず溜息を一つ吐く。

一つ息をつき、再度型稽古に集中しようとした、その瞬間だった──

「ぬ…!?」

突如として現れた何者かの気配を感じ、反射的に大太刀の柄に手をかけ、振り向く。

そこに立っていたのは、女性であった。

暗闇の中、淡くぼやけたように不鮮明な立ち姿。

闇の中でなお目立つ光沢のない漆黒の黒髪。

髪は顔を半ば覆い隠すように長く、その隙間から青白い死人のような肌が微かに覗いている。

その身にまとうは白一色の死に装束。

なんと古典的な姿の幽霊であろうか。

ただその佇まいに異質なものが一つ見受けられる。

黒髪の隙間から突き抜けるように生えた二本の角。

帝都と京都の境界を越え、さらに海をまたいだ先にある地方では死霊を鬼と呼ぶ文化があるとは聞く。

しかし目の前にいる霊は帝都で一般的に鬼と呼ばれる妖怪、そうとしか思えなかった。

その証拠に周囲の霊力と妖力が、鈴宗の肉体に流れる霊力も含めて木枯らしに風が飲まれるように引き込まれようとしていた。

鬼の霊が、ゆるりと動く。

間合いは一足一刀からまだ遠い。

「───。」

鬼の霊が、頭上に両手を掲げる。

同時に現れるのは、霊剣。

その形を見て鈴宗は微かに目を見開いた。

「大太刀、だと。」

それは鈴宗が手にする大太刀と似た──いや、瓜二つといっていい形をしていた。

鬼の霊が霊剣を構える。

頭上に刀を掲げ、天上に向ってほぼまっすぐに刀を構える形。

上段の構え。

剣道の上段は手首の動きを柔軟にするべく剣先を斜めに構えるが、まっすぐに剣を立てる構えをしていた。

新陰流において雷刀と呼ばれる構えに近い。

正眼の構えそのままに両手を振り上げたような構え。

その構えのなんと圧力のある事か。

女性の体格は小柄だ。

背丈は百五十センチ半ば程度。

百八十センチ半ばの鈴宗との身長差は三十センチ。

それでも鈴宗の方が思わず気おされそうになりそうな圧があった。

その圧を身に受けた鈴宗は自然と、本能の様に柄にかけた右手を動かし、抜刀していた。

不可思議であった。

あれほど抜くことができなかった大太刀がまるで自らその身を晒すかのように鞘から抜けた。

鈴宗が大太刀を正眼に構える。

圧を受け流すように切っ先を鬼の霊に突き付けた。

例えるなら急流の中にそびえたつ岩。

いかな激流を受けようとも揺るがずにその場に立ち、分かれ目を作る岩。

互いの間に静寂が満ちる。

心臓の鼓動どころか血液の流れる音さえも聞こえてきそうな、静寂。

呼吸音すら聞こえない。

死霊は当然ながら、生きている鈴宗からも呼吸の音が聞こえない。

呼吸を悟られると容易に隙を突かれる、故に隠す。

間合いは手が長い分鈴宗の方が遠い。

遠いが、攻められない。

相手も鈴宗の間合いが自身より遠いことは理解しているであろう。

静かに、ただ刻のみが過ぎていく。

まだ間合いは遠い。

すると間合いそのまま、鬼の霊が微かに動いた。

剣先がゆっくりと後ろに倒れる。

まっすぐに天井を向いていた切っ先が徐々に、徐々に後ろへと向いていく。

時計の秒針が動くように一定の速度で淀みなく。

鈴宗の目がほんの一瞬、その動きを目で追ってしまい──

 

間合いの外にいたはずの鬼の霊が、間合いの内に入り込んでいた。

 

どう間合いを飛び越えた!?

鈴宗がそう考えたのはこの戦いが終わってからであった。

思考が頭をよぎる隙間すらない、刹那の一刀。

鈴宗がその一刀に反応できたのは夢現の狭間にて剣を振るえるほどまでに積み重ねた業の厚み。

鬼の霊が上段からまっすぐに振り下ろす太刀に対し、鈴宗が微かに遅れて太刀を上げ、太刀の刃同士を合わせる様に振り下ろす。

一刀流において切り落とし、新陰流において合し撃ちと呼ばれる技法。

遅れて刀を同じ軌道に振り下ろすことで相手の刀を弾き飛ばしつつ斬る技術である。

刀は板状の形をしているわけではなく小高く膨らんだ鎬と呼ばれる部分があり、その部分を用いて相手の刀を弾けるように設計されている。

鹿角流では"(おぼろ)"と呼ぶ技だ。

勝機は朧月の様に掠れて、捉えがたく、それでもたしかに存在する。

故に朧。

わずかに遅れて振り下ろされる鈴宗の太刀が鬼の霊の太刀と交差した。

互いの太刀の鎬が交差し、交わり、一体となり、やがて流れる様に一方の太刀が弾け飛ぶ。

 

 

そして──

 

鬼の霊の太刀が、鈴宗の頭上に打ち下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺…は…。」

鹿角鈴宗は座していた。

鬼の霊と相対し、斬られた。

そう理解した途端、夢から醒めたかの様に視界が切り替わった。

あれは夢か、気づかぬうちに眠っていたか。

違う。

違う。

本能が告げる。

あれは夢ではないと警告するように心臓は早鐘を打ち、脳が訴える。

ならあれはいったい何だったのか。

呼吸を一つ。

二つ。

三つ。

心臓が落ち着きを取り戻していく。

四つ。

五つ。

ようやく心臓の鼓動が正常に近しい状態まで戻った。

そして腰に差していた大太刀に手をかけ、ゆっくりと抜刀を試みる。

やはり、抜けない。

あの鬼に勝てたとき、再びこの大太刀を抜くことができるのだろうか。

分からない。

だがやはりこの大太刀には何かが潜んでいる。

無名の鬼ではない、何かしらの名を持つ強力な鬼がいる。

先ほどの鬼の霊との攻防。

おそらく、上段に構えた刀を動かして鈴宗の目を誘い、意識を向けた途端に後ろ足を前に寄せていたのだと思われる。

後ろ足を前に寄せた分だけ間合いが縮まり、鈴宗は知らぬ間に間合いを越えられていたのだろう。

ただ刀を動かしただけでは鈴宗の意識が向くことはない。

その動きがあまりにも淀みなく等速であったせいで初動に気づかず、まるで刀が瞬間移動したかのような錯覚を覚えてしまい意識がいってしまったのだ。

完敗だ。

勝機を外され、勝負の動き全てを組み立てられていた。

なんという見事な技か。

思い出すだけで恐怖と歓喜が胸の中で溢れ、混ざり合い、溶け、膨らみ、ややもすれば狂気となって身体に満ち溢れそうになる。

年甲斐もなく心が昂ぶる。

立ち合いというものは良い。

鈴宗は左の腹──肋骨を触りながら想う。

少し前に旧友、ツツジとの立ち合いで砕かれた部分だ。

今は完治しているがまだ痛みを思い出せる程に新鮮な傷跡。

互いに素手で殺さないように加減はしたが、気を抜けば死んでもおかしくない勝負であった。

鈴宗は肋骨を砕かれながらもツツジの肘を折りそこで勝負を預けあう形にしたが、より深く拳が突き刺さっていれば折れた肋骨が臓腑に刺さっていた可能性もある。

あの夜は久方ぶりに満足できた。

一つ息を吐いて鈴宗は立ち上がる。

まだ強くなろうとする思いが心に満ちていることに安心しつつ、広間を歩き、扉の近くに近寄ると部屋の電気をつけた。

暗闇が一気に消え、明るい光が満ち溢れる。

窓が一切ない板張りの広間。

窓がないことには理由がある、ここが八咫烏の訓練施設であるからだ。

退魔を生業とする組織、八咫烏は警察と連携しているが公には存在しない組織である。

その性質上外部から隔離された訓練施設が存在し、ここもその一つだ。

稽古を終え、掃除をして帰ろうと扉に手をかける。

掃除道具は近くの用具室に設置されている、そのため部屋を出たのだが、同時に鈴宗の顔が渋く歪んだ。

「…何故こいつがここにいるんだ。」

「くー…すぅー…むにゃ…らいじゅう…そのジャーキーは…犬の…」

稽古部屋の扉の脇、そこには巫女装束に身を包んだ少女が一人、座り込んだまま眠っていた。

その頭にはなんらかの小動物のものであろう耳が生え、

呑気に寝言を交えながら眠る姿に緊張感は微塵もない、その証拠に鈴宗がすぐ近くにいるというのに起きるそぶりが一切見受けられなかった。

「おい、起きろ。」

「ひゃっ──あ…おはようございます師匠!」

「誰が師匠だ…。」

声をかけてようやく目を覚ました巫女の言葉に鈴宗は溜息をつく。

以前彼女は安倍晴明について調べる老婆──鈴宗の旧友であるツツジを尾行した際に人気のないところまで誘い出された挙句、パートナーである妖怪と二人で襲い掛かったものの素手で打ちのめされてしまった。

そこに鈴宗が割って入ったのだが、それ以来勝手に師匠扱いされ付きまとわれている。

「…ここが八咫烏の施設だからといって気を抜くな、そのうえ眠るなどもってのほかだ。」

「う…すみませんでした、師匠。」

「まぁいい、今から掃除をするところだったが…せっかくだ軽く稽古をつけてやろう。」

「いいのですか!」

「勘違いするな、任務で死なれると寝覚めが悪いから付き合ってやるだけだ。」

「はい!!」

巫女は元気よく声を張り上げ、立ち上がる。

そして稽古部屋に入って数時間後、板張りの床に這いつくばりながら彼女はこう呟いた。

 

 

『任務…より…辛…い。』

 

 

 

 

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