鈴宗が社長室から出てきたとき、ツツジは3本目のタバコに火を灯していた。
そして新たに漂ってくる血臭を嗅ぐと、歯を剥いて笑みを浮かべる。
「殺った?」
「ああ。」
ツツジの問いに鈴宗は簡潔に答える。
その答えを聞いたツツジは口笛を吹き、社員二人か顔を蒼白にした。
鈴宗はそれ以上は何も言わないままオフィスを後にして階段を下っていき、ツツジが後に続く。
そして屋台が並ぶ通りにさしかかると、まばらに人がいる通りに出る前にツツジが問う。
「後始末はいらねえのか?」
「それは俺の仕事じゃない…。」
「そっか、お疲れ。」
普段から声を張るようなことはない鈴宗であったが、今夜はより一層声が低い。
流石にツツジもからかうような言葉遣いを自重し、少しばかりの労いの言葉をかける。
そして屋台通りに入ると、ツツジは方々から漂ってくる香りに心奪われ、やがて焼鳥屋の屋台に目を付けて親指で指さした。
「おい、寄ってかねえか、奢るぜ?」
「いらん。」
「そう言うなよ、お前、食わねえと心配されるぜ?」
誰に心配をかけるか、ツツジは言わなかった。
しかし鈴宗は意味を理解したらしく、渋々といった様子で頷いた。
鈴宗が頷くと、ツツジは早足に暖簾をくぐり、重ねたビールケースにくたびれた座布団を敷いただけの屋台席に座る。
「適当に10本くらい焼いてよおっちゃん、何食っても美味そうだし、あとビール一本、コップも一つね。」
席に座るや否や、ツツジがそう注文する。
考えるのが面倒で言った注文だが、言い方ひとつで相手もあまり悪い気はしないものである。
乱雑な注文にも店主の男は嫌な顔はせずに頷くと、瓶ビールとコップをカウンターに置いた。
未成年の飲酒にも寛大な時代ではあった故、店主は年若い二人に何も言わない。
瓶を掴んだツツジに店主が栓抜きを渡そうとするが、ツツジは首を振った。
「いらねぇよ、っと。」
ツツジは左手で瓶の腹を持ち、無造作に右手を振る。
するとピシリと乾いた音が鳴り、一拍の間をおいてビール瓶の首が落ちた。
ビール瓶のくびれた首の部分が綺麗に折れ、泡が噴き出ていた。
しかもツツジは座ったままである。
店主は焼き鳥の準備を一時忘れ唖然とした表情でそれを見ていたが、ツツジはこぼれる泡を気にせずにコップにビールを注ぐ。
鈴宗もツツジならそれくらいはできるだろう、と別に驚きはしない。
ツツジはビールが注いだコップを口に運ぶ前に、鈴宗の方を向いた。
「…もしかして、今夜くらいは飲みたいとか言う気だったかい?」
「飲まん…俺が下戸なのは知っているだろう。」
「いっしっし、わりぃわりぃ、一応な。」
意地の悪い笑みを浮かべながらツツジは乾杯もせず、喉に放り込むようにビールを飲む。
鈴宗はその様子に少し呆れたような表情を浮かべつつも、お冷を店主に頼みタバコに火を灯す。
鈴宗がタバコを一本吸い終えるころにはツツジはもう瓶ビールを空にしており、二本目を店主に頼んでいた。
店主もビールの首をぽきぽきと折られては堪らないのか、栓を開けてから二本目を差し出す。
そしてコップ一杯ビールをあおってからツツジは口を開いた。
「鈴宗、この後は一緒に帰るぜ、あの家によ。」
「…逃がす気は──」
「ない、あの子も寂しがってるからな、口には出さねえけど。」
少しばかり複雑そうに眉をひそめ、ツツジが言う。
鈴宗は諦めの表情を浮かべながらも、ほんの少しばかり落ち着かない様子で片肘をついてカウンターの奥を眺める。
そうこうしているうちに二人の目の前に焼き鳥が並べられた。
たっぷりとタレがかかったもも、皮、ハツの三本に加え雑多に串に打たれたホルモン串が二本、安っぽい皿の上に置かれて差し出される。
ツツジは待ってましたとばかりにホルモン串を二本まとめて食らいつき、鈴宗は手を合わせてからハツをじっくりと味わう。
ツツジはホルモン串が気に入ったのか追加で五本注文し、同時に三本目のビールも頼む。
鈴宗は触感は柔らかいが歯ごたえがあり、噛む度に肉汁と脂の旨味が感じられるホルモンをゆっくり咀嚼しながら、お冷を飲んでいた。
結局、ツツジはその後も追加で食欲のままに食べまくり飲みまくり。
鈴宗はその様子を見て自身の財布の中身を念のため確認し、小さく息をつく。
二十分後、奢ると言いながら案の定会計が足りなかったツツジに鈴宗は紙幣を差し出していた。
それから数十分後。
二人は帝都のある町、秋奈町の住宅街に来ていた。
ツツジはビールを瓶で四本分を短時間で飲んだが特に歩様が乱れている様子もなく、しっかりとした足取りをしていて顔も素面の様だった。
しかし住宅街の中にちらほらと見える京都風の家屋のうちの一軒、その玄関前に立つとまるで酔いが巻き戻ったかのように微かに頬が赤らみ始める。
「うぅ~、鈴宗ぇ、あたし返り血とかついてねえか?大丈夫?」
「今更何を言う…仮にお前に多少返り血がついていても、その酒臭い息に比べたらどうにも思われん。」
「かぁ~!マジかよ!ガムでも買っとくんだったぜぇ…。」
どうしたものかと頭を掻き、せっかくの綺麗な黒髪を台無しにしながらツツジがぼやく。
それを半ば無視しながら鈴宗は玄関の鍵を開け、家の中へと入っていく。
鈴宗もツツジもこの家の合い鍵を持っていた。
ツツジも慌ててその後に続き、ショートブーツを無理やり踵で蹴って脱ぎながら家の中へと入っていく。
家の内側も外と同じく京都風の内装で、扉は障子戸や襖がほとんどだ。
そして二人が家の中に入ると、とたとたと小走りで誰かが駆け寄ってくる音が聞こえる。
障子を開け、姿を現したのは二人と同年齢と思わしき少女だった。
背が平均よりもやや低い、ほっそりとした身体をゆったりとした寝間着で包んでいる。
顔の輪郭も身体と同じくほっそりとしていて肌の色はやや不健康に見える程白い。
鈴宗の肌は生まれ持ってのもので陶器のような白さがあるが、それとは別種の日に当たっていない白さだった。
黒い髪を肩ほどまでに延ばしているがツツジのような艶やかさはなく、瑞々しさに欠けている。
だが目鼻立ちはスッキリと芯が通った美しさがあり、目は細長いがまつ毛が長く綺麗で、常に微笑みを浮かべているような穏やかな表情をしている。
細い見た目とは裏腹に、不思議と柔らかく、包容力に満ちた少女だった。
少女は先に家に入っていた鈴宗と目を合わせると、より表情を柔らかく変化させ、嬉しそうに笑いながら鈴宗を迎えた。
「おかえりなさい、鈴宗さん。」
「…ただいま、花音。」
少女の名は志島花音。
後に、鹿角鈴宗の妻となる少女だった。
そのやりとりを後ろで眺めていたツツジが不満そうに口をへの字に曲げ、間に割って入る。
「ちょっと~あたしもいるんだけど…。」
「あっ、ごめんね久しぶりに会ったから驚いちゃって…おかえりなさい、ツツジ。」
「たっだいま花音!たまたまこいつに会ったから連れて来たよ~グッジョブでしょあたし!」
「うんうん、ぐっじょぶ!だね。」
得意げに話すツツジに花音が親指を立てて頷く。
そのまま三人は居間に向い、小さなちゃぶ台を囲みながら他愛もない会話を始めた。
花音もツツジと鈴宗と同い年であり、幼馴染であった。
花音も退魔師の家系に生まれた人間である。
ただ、花音はほっそりした見た目に違わず幼い頃から身体が弱く、退魔師としての道は早くから閉ざされていた。
いずれ退魔師になる者同士から関係が始まった鈴宗とツツジとは違う。
この三人が友人同時になったのは十年前に起きた事件が発端だった。
花音の両親である退魔師が妖怪との戦いで亡くなってしまったのだ。
そんな中、彼女と接点を持ったのはまずツツジだった。
ツツジも同じく両親がいなかった。
ツツジは生まれて間もなく寺の前に捨てられており、さらに偶然にも妖怪を視る力があったために退魔師の世界に入った珍しい存在だった。
今の苛烈な性格は生まれ持ってのもの以外に寺の厳しい環境と、両親がいないことによる周囲への反発からによるものも多分に含まれている。
そんな彼女は自分の妹分が欲しかった。
だが下心を抱いて接してきたツツジに対しても花音はその穏やかな姿勢を崩さなかった。
両親が死んで間もないというのに、幼い花音に自身の不幸を呪い続けるような黒さはなかった。
その姿勢にツツジはすっかり骨抜きにされてしまい、同じ退魔師の子供がいるから連れてきてやると花音に紹介したのが鈴宗であった。
鈴宗はツツジと正反対に物静かで落ち着いていてはいたが、その実は意地っ張りで頑固な子供らしさを持っていた。
そんな性格は反対ながらも気性自体は激しい二人に、穏やかな性格の花音は凹凸が重なる様に相性が良く、気が付けば三人で集まることが当たり前になっていた。
それから十年。
ツツジと鈴宗が退魔師になり、会う機会は減ったものの関係は変わらない。
ただ、鈴宗は退魔師となってから意図的に花音に会うことを避けている様子だった。
今日はそのこともあり、ツツジが強引に鈴宗を花音の家へと連れて来たのである。
三人で顔を突き合わせて話すのは数か月ぶりであった。
ツツジはちゃぶ台に座ると少しそわそわとした様子で部屋の中を見回し、やがて花音の方を見て口を開いた。
「あ~、えっと花音、身体の調子はいい感じなの?」
「うん、最近は大丈夫だよツツジ。」
「そ、そっかぁ~じゃあ、あの…今度の休み!映画見に行かない!?二人で!!」
「映画?」
どこか緊張した面持ちでツツジは花音にそう問いかけ、急な提案に花音が首を傾げる。
「うん!その最近面白い映画がやるって…あ…その…ほら"諜報員 零零七号"シリーズの新作とか!」
落ち着かない様子で手をわたわたと振りながら話すツツジの言葉に鈴宗が溜息をつく。
「ツツジ…よりによって"零零七号"はないだろ…。」
「おおん!?じゃあお前ならどうすんだよ!?」
「そもそも映画は長いこと座ってしんどいだろ…近くで美味い甘味処でも探して行って来い。」
「ぐぬぬぬぃっぐぁぁぁッッ~……それじゃあお出かけ感がねえだろうがぁぁ!!」
「あはは…別に私は近くの甘味処でも、お出かけ出来たら嬉しいよ?」
「マジ!?じゃあじゃあ、あたし美味いとこ探しとくから!」
はしゃぐツツジをほほえまし気に花音は見つめ、鈴宗は片肘をちゃぶ台につけながらじとーっとした目を向けた。
そして花音はちらりと何か期待するように鈴宗を見た。
鈴宗は気づかない。
否、気づかぬようにした。
否、気づいていないふりをした。
「…。」
それに気づいたのはツツジである。
ツツジは両者の間に流れる空気を感じ取り、悩まし気に頭を掻き、首を振り、腕を組んで眉をひそめてから言った。
「おい鈴宗、こうなったらあたしと勝負だ!」
「…は?」
「お前のアイデアにのるのは癪に障る、だからどっちが良い甘味処見つけるかで勝負!審判は花音、それぞれイチオシの甘味処に連れて行って点数が高い方が勝ち!」
「くだらんことを…。」
鈴宗は腕を組み、ツツジから目を逸らして口をとがらせる。
しかし腕を組んだ指先はどこか落ち着きなさそうに動いており、目も微かに泳いでいる。
まるで何かを見たいが見ないように意識している、その意識の揺れと同じように目が泳いでいた。
そして小さく息を一つ吐くと、ツツジの方に目を向けて言う。
「俺の勝ちが見えている勝負だ、やるだけ無駄だな。」
「鈴宗ぇ~…ぜってぇ吠え面かかしてやっからなぁ…!!」
鈴宗の言葉にツツジがすさまじい眼圧で睨みかかる。
その眼圧から逃れる様に顔をそむけた鈴宗の視線の先には、花音の顔があった。
「…楽しみにしてるね、鈴宗さん。」
その時、鈴宗の顔を見ていたツツジにはそれがよく見えた。
鈴宗の口の端がほんの少しだけ、高く上がっていることが。
──っとまぁ、あたしと鈴宗、それに花音の関係はそんな感じかねえ。」
ツツジは飲みほしたコーヒーカップの持ち手を指でなぞりながら、昔話を終えた。
鈴音はゆっくりと椅子に座り直し、一息ついてツツジの方を見る。
「そして、その後に祖父は花音さん…祖母と結婚して父が生まれたと。」
「ああ、しかし坊…あんたの父ちゃんも大変だったねぇ、いろいろ。」
「そうなんですか、父にもなにか事情が…?」
「まぁねぇ、鈴吉が鈴音にやらかした所業はぶん殴っても許されんが、なんでそうなったのか想像がつく。」
「鈴吉…ああ、そういえば父の名前がそうでしたね。」
まるで遠い記憶を掘り起こされたかのように、寂しげに口元を歪ませながら鈴音が言った。
その言葉にツツジは目を丸くする。
「鈴音…。」
「物心ついてから父とまともに話した記憶がありませんでしたから、すっかり、忘れてました。」
「…そうかい。」
ツツジと鈴音とマスター。
三人しかいない空間に静寂が訪れる。
マスターも何も言わない。
ただ静かに、もう何度も磨かれたであろうグラスとカップを磨き、カウンターの棚に並べている。
しばらくマスターが布巾を動かす音だけが響いていたが、静かにツツジが口を開いた。
「…才能がなかった。」
「ツツジさん…?」
ツツジはカウンターに両肘をつき、顎を手に乗せながら話す。
「鈴吉はねえ、生まれつき妖怪を視る力もなければ、身体も特別強くなかった。言いたくないが、花音の血が濃かったんだろうね。」
「父は別に身体が弱かったとは──」
「弱くはなかった、でも鈴音、あいつはお前みたいに強くもなかった。」
「私みたい…に?」
「ああ。」
ツツジの言葉に鈴音は首を傾げた。
鈴音は別段、自分の体が優れてはいないと思っている。
168cmと女性にしては高い身長にくわえ相当に鍛えてはいるが、そもそも鈴音は女性だ。
剣術含め、あらゆることに対する才能も持ち合わせてはいない。
強いて才能があるとすれば、才能をある程度努力で補うという才能があったくらいであろうと思っていた。
決して怠けてこなかった、それだけは鈴音が誇れることだった。
肉体面に関しては誇れるほどではない、自分より力が強い人間などこの世にごまんといる。
「私は別に身体が強くは──」
「言っとくけどね鈴音、普通の人間がお前みたいな努力をしたら、身体が追い付かなくて先にぶっ壊れちまうんだよ。」
「壊れる?」
「ああ、鈴吉もそうだった、もっとも、そうなる前に鈴宗が止めたがね。」
そうしてツツジは改めて鈴音に目を向ける。
オーバーワーク。
基本的に筋肉は傷つき、回復することで強くなるが、過剰なトレーニングで筋肉を傷つけ続けると回復が間に合わずに筋力が落ちてしまう。
場合によっては筋肉のみならず関節や靭帯を痛め、時には一生痛みを抱えたり動きに不自由することになってしまう。
それがオーバーワークだ。
だが時にそれを凌駕する才能を持つ人間が稀に存在する。
いくらトレーニングしても身体に不調が出ない。
トレーニングで痛めた足が一晩寝れば治っていた。
腕を痛めたのに気にせず、普段と変わらないトレーニングをしていても治っていた。
そんな人間が時に存在する。
鈴音はまさにその才能を持っていた。
ツツジは鈴音の肉体を眺め、そして少し悩まし気に言った。
「その身体作って、どこ痛めてねえのかい…。」
「ウェイトトレーニングなんかはできませんでしたし…捨てられたブロックとか石なんかは使ってましたが。」
時には自分より重い重量を持ち上げることもある高負荷のウェイトトレーニングは筋力向上への効果的な手段ではあるが、怪我のリスクが大きい。
鈴音にそんなトレーニング施設を使わせてもらえるような機会はなかった。
それが幸いしただけだと鈴音は話すが、ツツジは首を振る。
「鈴音はまだ16歳だろう?まだ身体が完全に出来上がってる訳じゃない、いくら自重トレーニングしてたって、やりすぎりゃ壊れる。」
「…そう、ですか。」
「悲しいがね、努力するにも才能がいるんだ、そして鈴吉にはそれすらなかった。」
鈴音の父に話を戻し、ツツジが続ける。
「鈴宗はそれを察した、だから自分の仕事を──鹿角流の技術は継がせても退魔師としての仕事は継がせないことに決めた。」
「…そして祖父は父を──家族を完全に退魔師の世界から遠ざけるため、現天皇"安倍晴明"と組んで姿を消した。」
「ああ、ただ鈴吉はやっぱり鈴宗には及ばなかった、名目上は鹿角流を継いだとしても本人は納得してなかっただろよ。」
「だからツツジさんは父に関して想像がつく、と。」
「…鈴宗を越えたかったんだろうね、たとえそれが自分の血を分けた子供であろうともよかった、そんなとこだろう。」
「それなら、父の気持ちも分かります、花鈴──妹は才能の塊でしたから。」
「鈴吉のバカもその才能に狂っちまったってことかい…はぁ…鈴音にはつくづくすまないことしたねぇ…私ら退魔師の都合で…。」
「気にしないでください、今は妹とも仲良くしてますから…一緒に住んでいる皆も良くしてくれていて、困っていることもないですし。」
苦い顔をしてツツジが小さく頭を下げるが、鈴音はそう答える。
もう、鹿角の家のことは鈴音にとって過去のことだった。
まだぬぐい切れない過去への不安感はあるが、少なくとも今に不満はない。
しかしこの時、鈴音は今少し困っていることがあったような、とふと思い、その原因を思い出す。
「あっ…。」
「ん、どうしたんだい鈴音?」
「いや、別に今までの話とまったく関係ないんですが…少し困っていることはあったな…と。」
「なんだいなんだい!なんでもこのあたしに話してみな!?」
「くだらないことなんですが…文化祭で出し物をやらされることになって…それで悩んでて…。」
「文化祭か、いいねぇ青春だ…そうだねあたしなら──」
そういえば文化祭のことで悩んでいたことを鈴音は思い出し、唐突に話が変わってしまうがよい機会だと相談する。
その相談にツツジは楽し気に言葉を弾ませた。
ツツジにとっては孫同然である鈴音が初めて年相応らしい悩みを話したのである、それが嬉しいようだった。
そしてツツジはしばらく腕を組んで悩んだ後、口を開いた。
「うーーーーーん……あっ!あれだよ!護身術講座とか流行ってんじゃないか!?」
「護身術講座ですか…たしかに良いかもしれませんね。」
「…ところで鈴音よ、護身術ってどこまでやっていいんだい?」
「…知りませんが、襲われてる前提ですし殺さなければよいのでは?」
「おう、それならいくらでもやり方があるねぇ。」
「…いやお二人とも…そりゃダメだろ。」
今までずっと無言で会話に水を差さなかったマスターが、ここで割って入った。
家族に関するプライベートな話題に割り込む気は毛頭なかったが、日常の話題となれば話は別だった。
だがマスターの言葉を聞いて二人は首を傾げる。
「ダメなのかい!?」
「いや俺も知らねえけど…やりすぎたら過剰防衛とかあるだろ…?」
「かじょう…ぼうえい…そうか、考えたことなかったですね。」
「…この婆さんはやばいって知ってたけど、君も相当危ない子だって今よく分かったよ。」
鈴音の反応を見たマスターが肩をすくめる。
どうやら護身術講座は難しそうだと二人は考え、再び頭を悩ませる。
「しゃあないねえ、じゃあ試し割でもやるかい。」
「試し割というと、ビール瓶を切ったり瓦を割るアレですか?」
「ああ、しかし簡単すぎてつまんねえんだよなぁアレ…地味だし。手品だなんだとか言う面倒な奴もいるからねえ。」
「となると…派手なものを壊す必要がありますね。」
「…よし、鈴音、不良にバイク乗ってるやつとかいるだろ、それぶっ壊しちまえ。テレビゲームでそんなん見たことあるし盛り上がるぜきっと。」
「いやツツジさん、それはできません──」
あんまりなツツジの提案に対し、首を振る鈴音にそりゃそうだろうとマスターが頷く。
「もう不良のバイクは一度壊してしまったので、二度目は流石に。」
「ちょ、ちょちょちょっと君…何言ってるのかな…?」
肩を落とす鈴音の言葉に目を丸くしながらマスターがツッコミを入れるが、ツツジはケタケタと子供の様に笑っている。
「あっはっはっは!!もうやってたのかい、そりゃ面食らったねえ!」
「昔、不良が妹を狙おうとしていたので…止めようとしたときに喧嘩になって…つい…。」
「くッくくく…それでそれで?」
「一人がバイクに乗って"お前を轢くぞ!"と脅してきたので…脅しが本気になる前にバイクを蹴り飛ばしたらタイヤの当たりが曲がったんです…。」
「…君の逆鱗に触れた不良に同情するよ。」
半ば呆れたようにマスターが言う。
そのまま他愛もない会話を三人は楽しんでいたが、鈴音が店内に掛けられた時計の時間を見て席を立つ。
「すみませんツツジさん、もう家に帰らないと…。」
「もうそんな時間かい、ババアの長話に付き合わせてすまなかったね。」
「いえ、楽しかったです…ではまた。」
そう言って財布を出す鈴音の手をツツジが制し、今夜は奢りだと伝える。
素直にその好意を受け取った鈴音はツツジとマスターの二人に頭を下げ、帰路についた。
マスターは空席になったカウンターからカップを下げながら、ポツリと呟く。
「…いい子だね、あの子は。」
「ああ、私にとっては可愛い孫みたいなもんさ。」
「ただ少し心配なとこもある。」
カップを洗いながらマスターは独り言の様に言葉を続ける。
「俺は親父の背中を見て育った、それが憧れで目指すべきもんだった…けど、あの子は何を見て育ったんだろうな。」
「…。」
「はぁ、こんなこと気になっちまう自分が嫌になるね、すっかりおじさんの仲間入りだ。」
「そうだねえ…。」
マスターの言葉に、ツツジはすぐに答えることができなかった。
鈴音が目指した場所。
それは才覚に満ちた妹を越えることか、それともどこにでもある家族の幸せを掴むことか、あるいは──
分からない。
ただ一つ、彼女は今でも求め続けているもの、唯一揺るぎない一つの絶対的な価値。
それだけはツツジも理解していた。
「強さ。」
「…婆さん。」
「あの子にとって最も大切なものはそれだろうさ、自分が強ければ妹を守れたのに、強ければ普通の家族として生きることができたのに、何故自分は弱いんだ…多分そう思ってひたすらに強くなった。」
「普通の人間にはできない生き方だな、そりゃ、いつかどこかで限界が来るのが普通だぜ。」
「でもあの子にはできちまった、そして今は強くなければ死が待っている退魔師の世界に足を踏み入れてる。」
「…大丈夫なのか、あの子は?」
「分からん、ただ強いからあの子は優しい、そりゃたしかだ…少しばかりやんちゃなところもあるけどね。」
「ふっ、そのやんちゃさも婆さんに比べたら可愛いもんか。」
「おうその通り──って何言わしてんだい!」
二人だけの店内にツツジの怒号が飛ぶ。
本日の黒猫が閉店までに迎え入れた客数は、二人を含めて六人。
今日も今日とてマスターは明日が不安なまま、黒猫は店を閉めた。