「お見苦しいところを見せてごめんなさいぃ…私は演劇部の八村咲って言います。」
「どうも、私が生徒会の悩み相談を引き受けてます、鹿角鈴音です。」
鈴音は彼女が落ち着いたところでどうにか生徒会室に入ってもらい、ようやく八村という名前を聞くことができた。
彼女は驚く程高い背丈に反して気は小さいようで、大きい体を縮こませながら生徒会室の椅子に座っていた。
目元も気弱な性格に倣うようにタレ気味で、おっとりとした顔立ちをしており、髪はショートカットにしているが前髪だけは目元を覆い隠すように長い。
しかし演劇部とはどういうことだろうか、鈴音は演技をした経験は一切ない。
「それで、八村さんはどういったご用件で?」
「あ、あのぉ…私今度の文化祭の演劇で…主役のお、王子様を演じることになったんです…。」
「王子様?…ああ、男性の役を演じるということですか。」
「はい、それでぇ──」
男性の役を演じるということは殺陣の悩みだろうか、と鈴音は思った。
演劇の殺陣にリアリティを出すために剣術や格闘技に通じる鈴音に相談に来たのだろう、そう考えたのだが八村の答えは予想外のものだった。
「バンチョ──鈴音さんに男らしさを教えていただきたいんです!」
「そういうことな………は?」
男らしさ?
八村の答えに鈴音は思わず言葉を詰まらせた。
「あの八村さん…。」
「はい?」
「私は女です。」
「はい。」
「…いやその、だから、私は女なんですが。」
鈴音は女だ。
多少、いや多分に、世に言う普通の女性とはかけ離れた日々を過ごしているが女性だ。
改めてそれを確認するように八村に問うが、八村はそれがなにか?とでも言いたげに表情を変えない。
「なら男子に聞いてください、以上で相談は終わりです。」
「えええええ!?そんなぁ酷いですよぉ!!」
「酷いのはどちらですか…私は女です、男らしさがどうだの言われてもわかりません。」
「でもでもでも、鈴音さんはこの学校のバンチョーって聞きました!バンチョーって一番喧嘩が強くて男らしいんじゃないんですかぁ!?」
「ち が い ま す。そもそも周りが勝手に話してるだけで私は番長じゃありません。」
なにやら勘違いしているらしき八村に鈴音がきっぱりと言い放つ。
これで諦めるかと思いきや、なんと八村は文字通り鈴音に泣きついて来た。
「お願いですぅうううう!私女の子一家で育ったから男の子とか苦手なんですううう!!貴女だけが頼りなんですよぉおお!!」
「や、やめてくださ──ぬぅ!?」
鈴音の胴体に思い切り抱きついて逃さない姿勢を見せる八村であったが、その力が予想以上に強い。
まるでプレス機の様に思い切り鈴音の身体を締め付けており、普通の人間ならこの力に耐えきれず気絶してしまうのではないかとさえ思えた。
ぐぎゅうううううう、と強烈な力で大きな八村の身体に飲み込まれそうになる感覚に、思わず鈴音の顔に笑みが浮かぶ。
上等だ。
胴に巻き付いた八村の両腕を鈴音の両手が掴む、そして渾身の力を籠めて八村の腕を引きはがしにかかった。
「え、え、えぇ~!?」
「何が"えぇ?"ですか…こっちが困惑してるくらいなんですよ…?」
そう言いながら鈴音が口元を緩ませ、にぃ、と笑みを浮かべる。
それとほぼ同時に八村の腕が完全に鈴音の胴体から離れた。
八村は気弱な性格とは裏腹によほど自分の力には自信があったのか、呆気にとられた表情を浮かべて身体から力を抜き、その場にへたりこんだ。
「…勘弁してください八村さん、貴女に怪我させたくないので。」
八村の腕から手を離しながら鈴音が言った。
鈴音でさえ少しばかりてこずる程の力であった、下手をすれば怪我をさせてしまう。
鈴音はこれで八村も頭が冷えて諦めるかと思った、しかし──
「かっ……」
「…か?」
「かっこいぃ…!!」
「…嘘だろ。」
八村は頭が冷えるどころか、爛々と目を輝かせながら鈴音のことを見つめていた。
そしてその場からバッと勢い良く立ち上がり、今度は強引に鈴音の手を握ると思い切り顔を近づけて来た。
「やっぱり貴女がいいですぅ!これから劇の稽古をやるので私に何が足りないか見て欲しぃんですよぉ!!」
「あ、あの…ですから…!」
「男らしさっていうのは私が間違ってましたぁ!鈴音さんらしさです!バンチョー!貴女の意見が欲しいんですぅぅ!!」
「…はぁ…分かりました、あくまで私らしさ…という意見で良いならお手伝いしますよ。」
あまりの熱意にとうとう鈴音が根負けした。
それに"男らしさ"については答えられないが"鈴音らしさ"というならあくまで自分の意見として答えることができる。
しかし自分に何ができるだろうかと一抹の不安を抱きながら、鈴音は八村に連れられて演劇部の練習場所へと向かった。
演劇部が練習に使っていたのは、放課後に使われていない空き教室だった。
八村と鈴音が来た時にはもう部員が準備を始めている頃で、各々台本の確認や声出しの練習をしたり、複数人で打ち合わせをしている。
「では鈴音さん、私は準備がありますので~ここで待っててください。」
「分かりました、邪魔しないように待ってますよ。」
鈴音は八村の言葉に頷き、教室の隅まで邪魔にならぬように移動する。
文化祭の劇とはいえ、部員たちのやる気は見るだけで分かるほどに満ちていた。
ちらちらと部外者である鈴音のことを見ることはあれど、すぐに自分の作業へと戻っていく。
そんな中、一人だけ鈴音の元へ歩いてくる部員がいた。
黒縁眼鏡をかけた、小柄な女性部員だ。
八村とは対照的に目元が少し吊り上がった鋭い目つきをしており、遊ばせるように伸ばした髪を前髪だけ縛って纏めている。
その手には付箋だらけの劇の台本らしきものがあった。
軽く鈴音が彼女に会釈をすると、彼女は軽く手を上げてそれに答えた。
「ども、えーっと…鹿角さんだっけ、やっつんが呼んだ。」
「やっつん?──ああ、八村さんのことですか。はい、私が鹿角です。」
やっつん、とは八村のあだ名のようなものであろう。
その通りだと女性部員は頷き、そしてどこか安心したようにほっと息を吐いた。
「いんやぁ、やっつんの無茶に付き合わせて悪いね。私は台本の伊藤だよ。」
「伊藤さんですね、まぁこれも相談役の仕事ですから…まさか男らしさを教えてくれと言われるなんて思いませんでしたが。」
「ほんとごめんねぇ、やっつん、演技は上手いんだけど納得いかないと変なスイッチは入っからさ~なんかラストに納得いかないって。」
「そうなんですか…簡単に劇の内容を教えてもらっても?」
「いいよぉ~、帝都の首都じゃなくて東欧地方を舞台にしてるんだ。」
伊藤が語るあらすじはこうだ。
ある国の王子と隣国の姫が許嫁の関係にあったが、王子が愛していたのは自分の従者の少女だった。
王子は許嫁との結婚式が近づく中、従者と添い遂げるべく、隣国との関係を良く思わない大臣と共謀し駆け落ち計画を企てる。
しかし計画実行の日、本当は王子自身を抹殺したかった大臣が裏切り、誰の助けも得られぬまま王子と従者は城を飛び出す。
最後は追い詰められた二人が心中するという悲しき結末を迎える話だった。
「……なるほど、分かりました、そして八村さんはこの最後に納得がいっていないと?」
「本人は違うって言ってるけど、そうだろうね、どうせ役の王子に入り込みすぎてハッピーエンドにしたいとか思ってんでしょ。」
伊藤はもとから鋭い目つきをさらに鋭くしながら吐き捨てる様に言った。
なるほど、台本担当からすれば自分の話を否定されたような気分になるのだろう。
そして八村もどうしてよいか分からず、藁にもすがる思いで鈴音に泣きついて来たのかもしれない。
しかし伊藤も言う通り二人の意見は食い違っている。
八村は"男らしさ"を教えて欲しい、つまり役になりきれないから納得がいかないと言い。
伊藤は役に入り込みすぎて台本を否定しているだけだと決めつけている。
「まぁ、八村さんが納得できるまで私も付き合いますよ。」
「ふぅ~ん、なんていうか鹿角さん、相当なお人よしだねぇ。」
「別に、仕事ですから。」
意外そうな顔で伊藤が鈴音を覗き込み、鈴音が目を逸らす。
こういうときに愛想笑いの一つでも返せればよいのかもしれないが、残念ながら鈴音はこういうときには笑うことができなかった。
そうこうしているうちに八村の準備も終わり、練習が開始できるようになったらしい。
とてとてと大柄な体に似合わない小さな歩幅で八村が鈴音の方にやってきた。
その顔には薄く劇用のメイクがされており、おっとりした目元にアイラインが引かれ、一気に力強さを感じさせるものになっていた。
普段は目元を覆い隠す前髪も自然な形で後ろに撫でつけられ、気弱な印象を覚える顔立ちが一変している。
思わずその技術に見入ってしまう鈴音であったが、八村はいつも通りおっとりとした笑みを浮かべていた。
「お待たせしましたぁ~、今から練習始めるので、見ててくださいね~鈴音さん!」
「しっかり見ておきますから、頑張ってください。」
小さく手を振って八村を送り出すと、さっそく練習が始まった。
練習しているのは物語のラストに近いシーン。
信頼していた大臣に裏切られ、城から逃げ出す決意をするシーンだ。
『王子、君がもう少し利口であれば好きになれたものを。』
『大臣!?貴様ぁ!!!!』
『感情の制御できない人間などゴミ同然なのだよ!!』
『そのゴミを利用した貴様が何を!!』
王子を演ずる八村が声を張り上げて演技を行う。
その姿は先ほどまでの八村とはまさしく別人の様だった。
素人目に見ても八村の演技は上手いことが分かる、普段は縮こまってみせていた高い身長をまんべんなく使い、身体でも感情を表現していた。
そのまま大きなトラブルもなく練習は続き、台本担当の伊藤や他の部員も違和感を感じて止めるようなこともない。
練習だけあって時折細かな修正や指導は入るものの、八村に対してはそういったものはほぼなかった。
それほどまでに八村が演じる王子は違和感がなく、自然なものであり、鈴音も八村が何故自分を頼ったのか分からないほどであった。
ただ台本担当の伊藤だけ、八村の一挙一動全てに注視している。
おそらく八村が感じている違和感の正体を必死に探ろうとしているのだろう。
しかし八村が演技に違和感を感じているような挙動、仕草、表情は見えず、そのまま練習が進んでいく。
そしてラストシーン。
『嗚呼、我が愛しの君…私と共に永遠を受け入れてくれるかい?』
『王子…私と永遠を誓ってくれるのですか!?』
『そうだ、共に…永遠に…なろう。』
王子がそう言って従者を抱きしめると教室の電気が消され、スピーカーから何かが水に落下する音が響く。
これが舞台上であれば照明が消され、二人が落水して心中したように演出されるのだろう。
「むぅ…。」
そのラストシーンを見て鈴音は小さく首を傾げた。
最後の王子を演じる八村のセリフ、そこだけが少し歯切れが悪いように感じた。
素人の鈴音からしても意識していれば気づける違和感だ、演劇部の皆がそれを見逃すはずはない。
実際に鈴音の隣にいた伊藤はあからさまに顔をしかめて不機嫌そうな表情を浮かべている。
「たしかに、最後の演技だけおかしかったですね。」
「ね、分かるっしょ?やっつんもバッドエンドが嫌なら言えばいいのに、そーじゃないそーじゃないって…チッ。」
「まぁまぁ…その、落ち着きましょう…。」
「別に落ち着いてるよ私は…。」
大きな舌打ちまでしておいてそれはないだろうと、鈴音は伊藤の言葉に少しばかり呆れたように眉をひそめた。
そうこうしているうちに演技を終えた八村がとてとてと二人の元にやって来る。
大きな身体とは対照的な小動物のような動き、先ほどまで大きな仕草で身体全体を使って演技していた八村とは別人の様だった。
「どうでしたかぁ~鈴音さん!私の演技はぁ~?」
「やっつんラストが全然ダメ、鹿角さんも変だってさ。」
「えぇ~!イトーちゃん相変わらず厳しいなぁ…。」
鈴音が答える間もなく伊藤が八村に答え、八村が大きく肩を落とした。
「いや、その…素晴らしい演技でしたよ、本当に八村さんとは別人みたいで。」
「ほんとにぃ!?嬉しいですぅ!!」
「だからこそ最後の演技に違和感がありました…素直に感想を言うとそうです。」
「はぁ~…やっぱりわかっちゃうんだぁ…どうしよぉイトーちゃ~~ん!?」
「どうしよって…あんたがラストに納得いってないんでしょ!?やっつんが納得しなきゃどうしようもないし!!」
「違うよ~~ラストはあれでいいと思うんだけど…うう~ん…そのなんだろう…セリフなのかなぁ…違和感があって…。」
歯切れの悪い言葉を並べる八村を見て伊藤のこめかみがぴくぴくと動く。
これはもう爆発すると見た鈴音がその間に割って入った。
「改めて話は分かりました、私もその違和感が分かる様に協力しますから、少し時間をください。」
「時間って…もう文化祭は迫ってんのよ…。」
「無理は承知です、ですが八村さんも無関係な私にすがるくらいには本気でこの劇に向かい合っています、なら私はそれに応えたい。」
「…まぁやっつんが本気なのは私も分かってるけど…あ~~もう!分かった、じゃあ鹿角さんにどうにもできなかったらやっつんは大人しく私の脚本を受け入れる!それでOK!?」
びしっと八村を指さして伊藤が言った。
その言葉に八村は大きく胸を弾ませ、鈴音も安心したようにほっと息をつく。
「やったぁ~!じゃあ頑張りましょう鈴音さん!」
「はい、しかし頑張ると言っても何をすればいいか分かりませんが…。」
「鈴音さんはいつも通りの生活をしてください!それを見て私が勝手に演技の糧にしますから~!」
「分かりまし…え…ということはまさか…八村さんしばらく私の生活に同行するということですか…?」
「はいぃその通りです!!お泊りセットはしっかり準備してきましたので!よろしくお願いしますぅ~!!」
「はぁ…本気ですか…。」
まさかの展開に鈴音は思わず溜息をついた。
しかし八村の勢いは止まりそうもない、そう判断した鈴音は大人しく携帯機器を取り出し、八咫総合事務所の電話番号を入力する。
どうやらこんばんは一人分の食事が増えることになりそうだ。
思えば少々特殊ではあるが、鈴音にとっては初めての友人を家に招くという行為になる。
自分も変わったものだと鈴音は一人思いながら、電話口から聞こえるもう聞き馴染んだ家族の声に安心感を覚えていた。
「ただいま帰りました。」
「お、お邪魔しますぅ…。」
鈴音と八村が八咫総合事務のドアをくぐる。
花鈴はまだ文化祭の準備で忙しいらしく、まだ学校に残るとのことで今日は一緒に下校することはなかった。
ドアを開けた途端、事務所からはそれはそれは香ばしい料理の匂いが漂ってきた。
どうやら蟷螂坂が鈴音の友人が来るということで相当気合を入れたらしく、まだ日が沈み切っていない時間だというのにテーブルの上には既にいくつか料理が並んでいた。
綺麗に刻まれたレタスにパプリカ、玉ねぎの上にマリネされたトマトを乗せた色とりどりのサラダ。
トーストされた小さなバケットの上にツナサラダが載せられたブルスケッタ。
この二つが大きな皿に綺麗に盛り付けられていた。
「す、すごいですぅ!お宿のご飯みたいじゃないですかぁ~!」
八村がキラキラした目で料理を見つめる。
鈴音もその気合の入りように少し驚いていると、キッチンの陰からスッと蟷螂坂が顔をのぞかせた。
「おかえり、鈴音…こんにちは…鈴音の友達。」
「ひゃッ!?こ、こ、こ、こんにちは!や、八村咲って言いますぅ。」
「蟷螂坂さん、わざわざすみません、気合入れて料理してもらったみたいで。」
「僕が作りたかっただけ…だから…八村は…嫌いなもの…ある?。」
「な、ななななんでも食べますよ!人間の──じゃなくって、私お料理大好きですから!!」
ぐっと拳を握って蟷螂坂の質問に答える八村。
その答えに小さくうなずいて蟷螂坂がキッチンに引っ込むと、背後から階段を上ってくる音が聞こえた。
「いや~鈴音ちゃんが友達呼ぶなんてびっくりだよね、おかげでゴミ捨て大変だったけど。」
「マジそれ、狂骨サン、酒瓶と缶溜めすぎ。」
「ほんっとそうよ、にゃんでゴミ袋三つ分も溜め込むのよ!!」
「二人だってタバコの吸い殻テキトーに袋にまとめてそのままだったじゃないか!!人のこと言えないもんね!!!」
どうやら狂骨、化け猫、ユリカの3人が慌ててゴミを処理してくれていたらしい。
鈴音はその気遣いがありがたいような、普段からゴミは纏めておいてくれと言いたいような、複雑な気分だった。
「たっだいま…ってうわ!!君が鈴音ちゃんの友達!?」
「ど、どうもぉ八村と言います…今日はお世話になりますぅ。」
「うーん…まさかこんな子を連れて来るとは思わなかたわねぇ…。」
「鈴音の学校、どうなってんのよ一体。」
この中だと一番背が高い狂骨でさえ少し見上げる程の八村の身長だ。
特に背の小さい化け猫など頭が胸元に届きそうもなく、二人が向かい合うといっそう八村の背の高さが際立つ。。
しかし背が高いだけでそこまで言わなくてもよいと思うが。
「まぁまぁとにかく歓迎するよ八村ちゃん!鈴音ちゃんは今からトレーニングでしょ?その間は私たちが相手しておくからさ。」
「え、えっとぉ私はトレーニングにお付き合いできないんですかぁ鈴音さん?」
「いえ、別に私は同行しても構いませんが──」
「お嬢ちゃん、悪いこと言わないからやめときにゃさい…。」
「鈴音のトレーニングとか付き合ったら死ぬから、マジで。」
「どんなトレーニングしてるんですかぁ鈴音さぁん!?」
鈴音に密着するという目的でやって来た八村がトレーニングへの同行を求めるが、事務所のメンバーが引き留める。
鈴音としては問題ないのだが、客観的に見てそう判断されるなら事務所の皆が正しいのだろう。
「…そうですね、八村さんは事務所の皆さんとお話していてください、面白い方たちですから何か演技の参考になるかもしれません。」
事務所のメンバーは個性的な性格をしている、彼女たちとの会話がなにかしらのきっかけになるかもしれないと鈴音は判断した。
「わ…わかりました!ではトレーニング、頑張ってきてください!鈴音さん!」
「はい、では皆さん、八村さんをお願いします。」
2時間後、すっかり日が落ち街灯が光を灯す時間帯に鈴音は事務所に帰って来た。
普段の鈴音はより長い時間トレーニングをしているが、今日は八村のことを考え2時間で終わらせた。
しかしただ時間を短くしただけでなくいかに2時間で限界まで身体を追い込めるかを意識してのトレーニングを行った。
階段ダッシュに片足スクワットや片手懸垂など高負荷の自重トレーニングを重ね、筋肉を徹底的に疲労させた状態で鹿角流の型稽古を繰り返した。
良い刺激になったと鈴音は思う。
今までとにかく長い時間トレーニングをしていたが、少し考えを改めた方がよいかもしれない。
そんなことを考えながら事務所の前に到着すると、そこにはようやく学校から帰ったのであろう、制服姿の花鈴がいた。
花鈴は事務所の前で何やらげんなりした表情をしており、ドアに手を掛けることをためらっている様子だ。
「おかえり花鈴、どうしたんだ?」
「あー、ただいますーちゃん…いや、中が凄いことになっててさ…。」
「…どういうことだ?」
「見てみれば分かるよ…てかあの妖怪は一体誰の友達なんだよ…。」
首を傾げる花鈴を見て鈴音は不思議に思いながらも事務所のドアを開ける。
その瞬間、むわっと事務所の中から強烈なアルコール臭が外へと流れ出て来た。
思わず鈴音が眉をひそめるが、事務所の中を見てその光景に目を丸くする。
「よぉっし!!狂骨さん隠してた一升瓶開けちゃうよぉ~~ん!!」
「狂骨サぁ~ン?また経費からくすねて買ってんじゃねえかぁそれぇ?」
「違うもん!!ちゃんとお給料から買ったもん!!狂骨もう反省したもん!!」
ゴミを片付けたはずの事務所の床にはすでにおびただしい数の酒瓶が転がり、狂骨とユリカの二人が真っ赤な顔で大騒ぎしている。
テーブルには綺麗にたいらげられた大皿がいくつも並んでいるのに、キッチンでは蟷螂坂が片手でフライパンを振るいながらもう片手で鍋の灰汁取りをしていた。
とにかく自分の料理を食べてもらえるのが嬉しくて仕方がないらしい。
「それで~、お姉さん今フリーにゃんだけどぉ…八村ちゃんはどうにゃのよぉ~?」
「はぁ…化け猫さん、何をしてるんで…す…か?」
そしてソファのある方向からは化け猫の声が聞こえてくる。
どうやらキャバクラの時のような悪い癖が出て、八村を口説いているらしい。
それは止めなければと鈴音がソファに目を向けると、思わず鈴音は声を失った。
「えぇ~~どうしましょうかぁ~~妖怪さんに口説かれるの初めてでぇわかんないでしゅう~。」
八村の声だ。
普段の間延びした声をさらに緩ませてはいたが八村の声だ。
その前に中身が半分ほどなくなったワインが一瓶置かれており、その手にはグラスがある。
飲んでいる、酒を。
しかし何よりも鈴音が驚いたのはその外見だ。
八村は下校してそのまま事務所まで来たために制服姿であったはずだが、何故か今はゆったりとした白いワンピースに身を包んでいた。
さらに肌の色も石灰を連想させる白色に変わり、血を連想させるワインを嗜む姿はまるで人とは思えなかった。
いや、これは最早──
「あ~鈴音ちゃんおかえんにゃさぁ~い!」
「あ…はい…ただいま化け猫さん…あの…」
「いやぁ鈴音ちゃんもやるじゃにゃいの!まさか友達って妖怪連れて来るにゃんてねぇ!!」
「…え?」
化け猫の言葉に鈴音は思わずぽかんと口を開けてしまった。
困惑する鈴音が八村に視線を向けると、八村はグラスに残っていたワインを飲み干し、目元をとろんと緩ませながらにっこりと笑みを浮かべる。
「どぉもぉ~~鈴音さん改めましてぇ!八尺様のぉ~八村でぇ~~す!!」
「………。」
「はぁ…!?」