『すーちゃん!』
「花鈴!?」
もう家の前まで到着する少し前、鈴音は突如遠い昔に聞いた、懐かしい声を聞いた気がした。
荷物を放り投げ、木刀を一本携えて自宅まで全力で走る。
間もなく、家の前に辿り着くと自宅から漂ってくる異臭に気づいた。
生臭い血の臭い。
ゾッとするような感覚が背筋を走り抜けた。
閉じられた玄関を蹴破るように開き、中に入る。
「っ!?母さん…?」
一瞬鈴音にはそれが何か分からなかった。
見慣れたはずのモノであったそれは、母と同じ形をしながら存在するはずのものがなかった。
首から上がまるで握りつぶされたかのようになくなっていた。
辺りに元は母の頭であったのだろう、瑞々しいピンク色の肉片や白い破片が飛び散っていた。
あまりにも現実離れした光景に理解が追い付かない。
どうやったらこんな風に人が死ぬ?
大型の拳銃でも撃てばこうなるのか?
「花鈴…!」
考えている暇はない。
花鈴はどこだ、鈴音は自然と荒くなっていた呼吸を必死に落ち着かせながらまずリビングに入る。
誰もいない、あったのは──父の死体のみ。
「くそっ…」
思わず唇から声が漏れる。
どこだ、どこにいる!?
その時、ドン、と鈍い音が和室の方から響いた。
銃声のような破裂音ではなく、鈍器で壁を打ったような鈍い音。
聞いた時には駆け出していた。
廊下と和室を隔てる障子戸を蹴り飛ばしてぶち破り、鈴音が室内に突入する。
室内で確認されたのは黒いコートを着た大男と、男に壁際に追い詰められた花鈴の姿。
その姿を確認したとき、既に鈴音の身体は動いていた。
大男が鈴音に気づき振り向くよりも早く、袈裟懸けに振るわれた鈴音の木刀が男の後頭部を打っていた。
「すーちゃん!」
花鈴の声が響くと同時に、ばきぃ!と乾いた音が鳴り響く。
木刀が折れていた。
掌に鉄柱を打ったような感触が伝わり、びりびりと痺れが腕に響く。
「ほう、ただの人にしてはやる。」
大男が感心したようにそう言った。
鈴音は返答をしない。
折れた木刀に動揺もしない。
流れるように半分ほどに折れた木刀の柄先を左手で握り、折れた分のリーチを補うようにしながら
片手で突きを男の口内に向かって放つ。
「!?」
「ほふは…」
男はそれをあろうことか突き出された木刀の先端にかみつき、咥えることで防いだ。
それどころかくわえたまま首を振り、そのまま木刀を掴んだ鈴音ごと振り回そうとする。
鈴音の身体が宙に浮いた。
鈴音の体重は60キロ以上ある。
それを咥えただけで保持し首の力だけで浮かせたのだ。
危険を感じ、とっさに鈴音は木刀を離して地面につま先が触れた瞬間その場に立たずに崩れ落ちるように後方に転がり、距離を取った。
先ほどまで鈴音がいた場所を丸太のような男の足が振りぬかれる。
下手に木刀から手を離さずにいたら間違いなく当たっていた。
「…朝の変な殺気はお前か?」
無手のまま、両手をだらりと下げて自然体に立ち、構える。
「やはり気づいておったかお主は!」
ぷっと木刀を唾でも吐くように床に落とし、男が言った。
「目的は?」
「分からぬか?」
楽し気に笑いながら男が言い、構える。
半身になりながら右手足を前にしつつ腰を深く落とし、正中線を隠す様につま先と拳を置き左拳を鳩尾当たりの前に置く構え。
古流の武術やそれを源流にする格闘技に見られる構えだ。
相手の構えを分析しながら、鈴音は相手の目的について試案する。
しかし答えに辿り着く前に相手が動いた。
鈴音の顔面に向かって右拳の順突きが飛ぶ。
体捌きで半身を切り、拳に対し側面に回り込むように鈴音が避けるが、さらに右腕がしなるように動き裏拳へと変化する。
鈴音はボクシングのダッキング──おじぎするように頭を下げて回避する。
「くはは!」
楽しそうに男が笑う。
笑いながら不意に身体を沈め、床に手を着けながら地面を薙ぐように左足を振るう。
咄嗟に飛びのいた鈴音に対し、男は足を振るった勢いのまま回転、身体を伸びあがらせながら上段の後ろ回し蹴りへとつなげてきた。
鈴音の前髪を擦るほどの至近距離を男の踵が突き抜けていく。
身体を逸らせて鈴音が避けたのだ。
蹴り足を戻し、男が元の通り構える。
その目を真っすぐに見据えながら鈴音も構えを直した。
「目的…まさかとは思うが、姫斬りか?」
警戒を崩さす、鈴音が問う。
「その通り。」
「鬼が復讐に刀を奪いに来たとでも?」
「その通り。」
どうやらその通りのようだ。
全く馬鹿らしいが、今私は実際化け物染みた存在に襲われて家族を殺されている、これが現実だ。
御伽噺のようだが現実だ。
ならば抗うしかない。
「刀を渡すと言っても…?」
「見逃す気はない。」
「復讐だもんな。」
「人へのな。」
「人かよ。」
とんでもないスケールの話に巻き込まれているらしい。
会話をしながらにらみ合うように向かい合っていると、自嘲する様な笑みを男は──鬼を自称する男は口を開いた。
「ただお前は逃してもいいかもしれん。」
「む?」
「強くなったお前と殺りあうのは楽しそうだ。」
鬼さんがすーちゃんに再度拳を振るった。
私──花鈴はそれを見ているしかできなかった。
さらにあの鬼さんの目的は姫斬り?
ふざけんな!
ふざけるな!!
この家はどこまで私を!すーちゃんを滅茶苦茶にするんだ!
いらない
やっぱりいらない
すーちゃんさえいてくれればいい
すーちゃんだけが私を私でいさせてくれる
今日みたいに
いつもみたいに
いつも
いつも
いつも
いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも!!!!!
いつだって私を見ていてくれた
そうだ
死ぬわけにはいかない
姫斬りだ。
あいつが取り戻したがっているということは、なにかしらの理由があるはず。
すーちゃんが引き付けている隙にあの刀を──
私はすくんで動かない足を引きずるようにして地面を這いずり、姫斬りが入っていると言われている箱まで向かう。
必死に息を殺し、前に進む。
聞こえるのは鬼さんの拳と足が空気を薙ぐ音と、笑い声、不意に漏れるすーちゃんの声。
もうあと少し、ほんの数十センチの距離が私には遥か遠くに見える。
届く、後もう少しで。
「させんぞ。」
暗い声が聞こえた。
その声に私が顔を上げると、鬼の手刀が眼前に迫っていた。
そして
手刀が私に突き刺さる前に
すーちゃんの身体を鬼さんの腕が突き抜けていた。