黒い高級車が、その外見に不釣り合いな普通の住宅街の中を走っている。
一見するとただの高級車にしか見えないが、内装は別。
特殊な儀礼を施された装甲を数種類、それを幾重にも張り合わせた造りをしており、フレームも組織によって対妖怪用に開発された特注品である。
更に車内には特別強力な勾玉が装備され、緊急時にはそれを使用し神域を作り出すことも可能だ。
車は恐るべき速度で住宅地を疾走しており、時折けたたましいタイヤ音を鳴らしながら余裕のないカーブを曲がっていく。
車内には運転手含め3人の人間──いや人の形をした存在がおり、それぞれ多少の差異はあれどみな一様に黒いスーツ姿に身を包んでいた。
運転手以外の2人は常軌を逸した運転に何も言わず、黙々と個人の装備を確認している。
ある者は剣の柄のような形状をしたものを手にし、ある者は己に向き合うように車内で禅を組んでいる。
「今回の相手、鬼というのは本当なの?」
剣の柄のようなものを手にしていた一人が言う。
くるりとした丸っこい瞳をした小柄な女性であり、パンツルックの着崩した黒いスーツを着ていた。
髪型は短いボブカット。
そしてその頭からはぴょこりと小さな猫の耳のような物体が生えており、どうやらそれは飾りではなく実際に身体から生えているものらしい。
「鬼と言っても感知された妖力は大したものではない、精々餓鬼に毛が生えた程度のものだ。」
運転手を務めている者が淡々とした口調で答える。
男性とも、女性とも、区別がはっきりつかない曖昧な外見をしているが、男性者のスーツをきっちりと身に着けており、手には革製であろう薄い手袋をしている。
白に染まった長い髪を後ろで一つに束ねており、一見して人らしからぬ、妖しげな雰囲気を漂わせている。
残った一人は会話に参加せず、一人禅を続けていた。
深いスリットが入った長い丈のスカートタイプのスーツ姿で、ポニーテールに黒い髪を纏めた長身の女性である。
一見普通の人間に見えるが、その目には夜だというのに真っ黒なサングラスがかけられており、彼女もまた普通ではない存在感を醸し出していた。
「あと一分で到着させる、準備はいいな?」
「大丈夫、大通しは問題はないよ。」
猫耳の女性は大通しと呼ばれた、剣の柄のようなものを懐にしまいながら答える。
「僕も…。」
ぼそりと、サングラスの女性が言い、大きく息を吐きながら禅を解いた。
「よし、みんな…今日も生きて帰るぞ。」
「すーちゃん、大丈夫?」
「ああ、問題ない。」
鈴音は花鈴に肩を借りながら立ち上がる。
先ほどまで死の淵にいたとは思えない自分の肉体に、鈴音は複雑な感情を覚える。
花鈴の姿は先ほどまでに鬼のような姿から、普段の人間であったころと同じ姿に戻っていた。
鬼との闘いが終わり、鈴音の肉体が修復されると手にしていた姫斬りは赤い光の粒子となって霧散し、花鈴の身体を鞘とするように吸い込まれた。
同時に花鈴の姿は元の肉体へと戻っていたのだ。
これからどうすればよいのか、鈴音は自身に問いかける。
あまりにも日常離れした出来事、その後始末のことを考える段階になって今更頭が痛くなってきた。
先ほどまではただ無我夢中で、流れのままに目の前の出来事に対処していたが今はそうもいかない。
警察を呼んだとして、どう説明すればよいのだ。
あの鬼の死体の説明などどうすれば良い。
悩みながら鈴音が鬼の死体へと目をやる。
鬼の上下で真っ二つに分かれた肉体は和室の畳にどす黒い染みを作っていた、そして、鈴音はあることに気づく。
「お前…まだ生きて──!?」
鬼はまだ、生きていた。
呼吸の気配を一切感じなかったため気づけなかったが、鬼の目が僅かに動いたのを鈴音は見た。
「おう…死にぞこ…なった。」
力なく笑いながら鬼が言うが、その口はほとんど動いていない。
言葉を発するというより別の何か、空気とは違う何かの波長を読み取るような感覚だった。
「これが聞こえるということは…お前も…人では…なくなったな。」
頭の中に響くように声が伝わる。
花鈴がすぐさま姫斬りを呼び出し、とどめを刺そうとするがそれを鈴音が制止する。
「待て、花鈴。」
「すーちゃん!?どいて!そいつ殺せない!」
「そいつには聞くことがある。」
鬼から目を離さないように鈴音は花鈴に言った。
そして距離を取ったまま鬼に問いかける。
「あの姫斬りという刀は一体なんなんだ?」
直球な疑問を投げかける。
死の淵に立った時、脳内に映像の様に流れ出たあの光景。
その言葉に微かに鬼は意外そうな表情を見せる。
「む…本当に何も…知らぬのか?」
「先祖が鬼だか妖怪だかを斬ったという話は聞いていた、御伽噺としてな。」
「御伽噺扱いか…かつては妖殺しと呼ばれた鹿角家が…こうなっているとは…。」
「話してくれるのか?」
「負けたからな。」
朧げだった声から一転ハッキリと、自身が敗北したという事実を告げた。
そこがこの鬼にとっての線引きらしい。
鈴音はその単純な線引きは嫌いではなかった。
「姫斬りというのは…鬼の姫…鈴鹿御前を斬った刀だ…。」
「鈴鹿御前…」
先ほど脳内にて甲冑姿の女性が討ったと言っていた名前だった。
「人の間では…鈴鹿御前は人の元に…嫁いだと伝えられているが…実際は…違う。」
「たしかに、そんな伝説を聞いた覚えがある。」
「鈴鹿御前は…夫であった鬼…悪路王を人間に討たれ…その後…夫を討った人間に嫁いだ…復讐として。」
「復讐…?」
「人になびいたと思わせ…機会を待った…夫の仇討の…ため…うぐ…ぅぅ!」
言葉の途中で鬼が大きく血を吐き出した。
しかしその口を一度固く閉じ、鬼は言葉を続ける。
「人が、鬼に呑まれることを…。」
「呑まれる?」
「そうだ…」
鈴音が問いかけると、鬼は微かに視線を花鈴へ向け、そう答えた。
「人が…悪路王の様な…上位の鬼を斬って無事では済まない…徐々に侵されるように…鬼になる。」
鈴音は先ほどの花鈴の姿を思い起こし、その言葉に頷く。
先ほど姫斬りからは膨大な…妖力と言えばよいだろうか、人ならざる力を圧縮した塊のような気を感じた。
花鈴はその力を、姫斬りそのものをその身に突き刺すことで受け止め、自らのものとしたのだろう。
言わば鬼と一体化したことに変わりはない。
その言葉を聞いた花鈴は怪訝そうに顔をしかめる。
「てことはなに?私もそのうち頭がおかしくなるとでも?」
「分からん…が…鬼に伝わる言伝ではそうだ…鈴鹿御前は狂った人間の伴侶を利用し大きな戦を起こした…。」
「肝心なところが分かんねえじゃん…。」
「花鈴…やめてやれ。」
花鈴の頭をなでてなだめつつ、鬼に言葉を続けるように促す。
「その鈴鹿御前を討ったのが…鹿角…お主たちの先祖…。」
「そして鈴鹿御前を斬ったのが姫斬りと?」
「そうだ…。」
おかしい。
鈴音は先ほど頭に浮かんだ光景との食い違いを感じた。
姫斬りが生まれたのは小りんと呼ばれた鬼の姫を封印した際であった、
この鬼が嘘をついているようには感じ取れない、まだこの姫斬りの話には裏がありそうであった。
「それで、お前は姫斬りを利用して…今の世の中で戦でも起こす気だったのか?」
「そうだ…力を…使い…主のたむけに…。」
「主?」
「酒呑童子…今は亡き…俺の主!」
盛大に口から血を吐きながら、鬼は力強く言い放った。
そして苦痛に歪めるように顔をしかめ、歯を食いしばり、そして一筋の涙を流して口を開いた。
「狐もどきになった小娘共に殺された…俺は…何もできず…今まで生きて…結局…何も…。」
「…。」
「…戯言だ…主も…俺も…ただ弱かっただけ…姫斬りも…曲りなりにも鬼である俺より…その女を…」
「そりゃね、お前…すーちゃんも殺せないくらい雑魚だったし。」
冷ややかな目を向けて花鈴が言った。
その言葉に自嘲するように鬼が笑う、くくく、くくく、と涙を流しながら笑う。
その姿が見るに耐えず、鈴音は小さく首を振ってから口を開いた。
「お前、手加減していただろう…。」
「本気だった…お主が妖力を使えぬことが…わかっていたから…使わなかったのみ…。」
最後の花鈴と鬼の一瞬の交差は、人ならざる領域の闘いだった。
最初から鬼が妖力とやらを使っていれば、1秒もかからずに鈴音はひき肉になっていただろう。
それを手加減と言わずしてなんと言うか。
しかし鬼のその、意味のない尊厳が鈴音は嫌いではなかった。
この鬼は両親を殺した。
どんな事情があろうとも鈴音にとっては家族であった二人を殺した。
しかし目の前のこの鬼を、鈴音はどうしても嫌うことができなった。
「楽しかったよ。」
「お主…。」
「私は忘れない、まだ人であるうちに鬼と…お前と殺しあったことを。」
もう、鈴音は花鈴に与えられた血によって自身の身体が尋常の人間でなくなったことを察していた。
すなわち、人として最後に向き合った相手は、この鬼である。
「お前は…どうだった?」
「俺…?」
鬼は、もう光が閉ざされつつ眼で、それでもしっかりと鈴音を見た。
その姿が、何故だろうか、どこか、鬼のただ一人の主を思い起こさせた。
走馬灯の様に、鬼の頭に遠い日の記憶が駆け巡る
鬼はかつて、餓鬼と呼ばれた存在であった。
周囲の餓鬼たちはこぞって人間の女を弄び、愉しむことを目的として生きていたが、後に鬼となったこの餓鬼は違った。
ある日偶然、遠目にみた最強の鬼、酒呑童子という存在。
最強というあまりにも純粋な強さの称号と、その名を冠するに相応しき佇まい。
一匹の餓鬼は、その姿を見て以来狂った。
痩せこけた身体は長い──人の一生を軽く超える年月を費やし、幾度もの死線を越えたことで餓鬼ならざる存在へと変わった。
餓鬼は鬼となり、酒呑童子の近くにいることを許された。
それ以来、酒呑童子は元は餓鬼であったその鬼を気に入ったのか、よく共に酒を飲み交わしながら遊んでやった。
酒が回ってくると犬がじゃれあう様に喧嘩を行い、また酒を飲んでは喧嘩をした。
餓鬼は同じ鬼になったとはいえ、酒呑童子とは力に雲泥の差がある。
人と子犬どころか、人と羽虫ほど力の差があるというのに酒呑童子は上手く力を抑えてその鬼と遊んだ。
『楽しいなぁ。』
酒呑童子は幾度もじゃれあいながら、鬼に言った。
鬼にとってなににも代えがたい言葉であった。
長い年月が経ち、死の淵に立たされている今でも、鬼は楽し気な酒呑童子の顔ははっきりと思い出せる。
その顔が、どこか鈴音と重なった。
「うん…うん…!」
血まみれの赤く染まった顔をぼかさせるように、先ほどは一筋しか流していなかった涙を、ボロボロと子供の様に流しながら鬼は頷いた。
「楽しかったよ…俺も…。」
「…。」
「鈴音と…呼ばれていたな…。」
鬼の問いに、鈴音は相手に分かるようしっかりと頷いた。
「忘れん。」
最期に、そう言い遺して鬼は息絶えた。
武人だった。
鈴音は鬼に対して心の中で敬意を払う。
鈴音のその姿に少し辟易したように、花鈴がため息をつく。
「すーちゃんてさ、そういうとこあるよね。」
「え?」
「私にあいつらは親だなんて言っときながらさ、親ぶっ殺した相手にその態度?」
「それとこれとは別だ。」
「まーそういうとこ嫌いじゃないんだけど、ちょっともやもやするんだよなぁ。」
べー、と舌を出しながら花鈴が言う。
そして舌をしまうと鈴音の前に回り込み、首を傾げた。
「で、これからどーしよっかすーちゃん、私はすーちゃんといれるならどこでもいいけどさ。」
「分からない…が、とりあえず花鈴と一体になった姫斬りことを調べた方が良いと思う。」
「さっき言ってた狂うってやつ?心配性だなぁー大丈夫だってそんなの。」
「ダメだ、当てはないが調べる。」
「当てねぇ、まぁそういうのってさ、何もしなくても当ての方から来るんじゃない?」
花鈴の言葉に鈴音はハッとなった。
その通りだ、膨大な力を持つ姫斬りの存在を欲する存在は先ほどの鬼の様に存在するだろう、それを迎え撃つという手はある。
「他にはさ、案外人ならざる化け物と戦ってる組織があったりとか──」
花鈴がそう言葉を続けた瞬間、ぞくりと身体を何か、薄い膜の様なものがすり抜ける感覚が二人を襲った。
それと同時に世界が静止する。
無意識に耳が聞いていた周囲の物音が消え、虫や小動物のような生き物の気配も消えた。
自分の心臓が波打つ鼓動の音さえ聞こえる様だった。
「──するかもとか思ったけど、これがさっきの鬼が言ってた神域ってやつ?」
「神域?」
「鬼があの男…親父を殺すときに、神域も使えないのかーって呆れてた、多分結界みたいなやつじゃない?」
「なるほど…たしかに言われてみればそんな感覚だ」
花鈴の直感じみた言葉に鈴音は頷いた。
消えた物音、生き物の気配、妖力を持つもの以外を排除する結界と考えれば腑に落ちた。
「さーて、すーちゃん鬼が出るか蛇が出るか?」
「…どちらも遠慮してほしい。」
鈴音の答えに花鈴が笑みを浮かべる。
そして宙を見ながら一瞬目を閉じ、周囲に気を巡らす。
鈴音は単純に五感を働かせ、周囲の気配を読み取った。
「「三つ」」
互いの声が被る。
この静止した世界でこちらに向かってくる気配は三つ、間違いなかった。