あの鬼の来襲から1週間。
鈴音は多忙な日々を過ごしていた。
母と父の葬儀に、保険云々や契約関係の名義に関する数多の会社とのやり取り、それに八咫烏という組織に今回の事情の説明を行い今後に関する話し合いなど休まる時間がなかった。
鈴音と花鈴の身元に関しては八咫烏が作った名義の人間を後見人としてくれることになった。
世間的に公にできないだけで妖怪のような存在の被害にあった人間は多く、そういった人間を援助するために組織的に管理されている名義らしい。
おかげでいろいろな契約関係の話が楽になったと鈴音は感謝している。
鈴音と花鈴にはもうお互い以外の親族はいなかった。
母の両親──母方の祖父母は早くに亡くなっており、父方の祖父母は行方知れずだった。
今回の葬儀で連絡をとろうとしたが父方の祖父母はまだ父が幼いころに離婚しており、祖母とはそれ以来連絡をとっておらず生死自体が不明。
祖父は父が鹿角家を継いだすぐ後に失踪したらしく、行方不明になっている。
そんな日々を過ごし、久々にまともな睡眠時間をとった鈴音は簡素な布団から軽く肩をまわしながら起き上がり、周囲の景色を見た。
まだ見慣れないが、狭さとしては落ち着く小さな部屋。
置いてあるものは小さなキャリーケースと鈴音の制服であるセーラー服に学生バッグに木刀が一本。
全て鈴音の私物を家から持ってきたものだが必要とするものはあまりに少なかった。
服も寝間着が洗い替え用に数着と運動用兼私服のジャージがいくつかに稽古用の袴くらいだった。
小さなキャリーケースが余るくらいの量であった。
ささっとセーラー服にそでを通し、あらかじめ中身が準備されたバッグを持ってその部屋を出る。
今日は諸々の事情で休んでいた学校へ一週間ぶりに登校する日だった。
部屋から出た先にはオフィス──と言えば聞こえはいいが、申し訳程度に応接用のテーブルと椅子が置かれた以外は雑多に私物が散らかされた広い空間が広がっており、そこには4人?の存在がいた。
そのうち2人はオフィスに置かれたテレビの前に座って虚ろな目でゲーム機を操作しており、鈴音が起きてきたことに気づくと画面に目を向けたまま口を開く。
「あーおはよ…すーちゃん…そういや学校行くんだっけ…。」
「おー鈴音ちゃん…おはよ…早いわねえ…。」
「おはようございます化け猫さん…おはよう花鈴、何をしてる…?」
2人──花鈴と化け猫がひたすらにゲームをしていた。
明らかに徹夜でゲームをしていた様子の二人の足元にはエナジードリンクの空き缶と空になったスナック菓子の袋がいくつか、それに山盛りになった灰皿が一つ。
その姿に呆れながらオフィスの中に漂う煙草の臭いに鈴音は顔をしかめ、換気のために窓を開ける。
心地よい冷たい風がオフィスの中に入ってくると、その冷たい風を感じたのかもぞもぞとソファーの上で何かが動く気配がした。
「あぁー鈴音さんか…早起きだねぇ…。」
「狂骨さん…また呑んでたんですか…?」
狂骨と呼ばれた、この八咫烏3人のリーダーを務める白髪の中性的な存在が頭を押さえながら起き上がる。
普段はきっちり着ているスーツは派手に着崩され、ソファの脇に置かれたテーブルには500mlサイズのビールらしき空き缶がいくつも転がっていた。
着崩されたスーツから見える素肌には傷とは違う切れ込みのような箇所がいくつも見受けられる。
散らかった空き缶を鈴音が片付けていると背後でぬーっと動く気配があった。
「おはよう…。」
「おはようございます、蟷螂坂さん…。」
朝からサングラス姿にきっちりスーツを着こなした女性を、鈴音は蟷螂坂と呼んだ。
しかし今朝はそのスーツの上からエプロンを着けており、その手には大盛りの朝食──特に朝から肉類が多い皿が持たれていた。
蟷螂坂は空き缶が片づけられたテーブルにすっとその皿を置き、隣に普段は狂骨が使っているのであろうビールジョッキに並々の牛乳を注いで添えてくれた。
そして何を言うでもなく腕を組み、じっと鈴音と料理を見つめている。
鈴音はその視線に答えるようにテーブル前に座ると、静かに手を合わせて蟷螂坂に会釈した。
「…いただきます。」
こくり、と蟷螂坂が頷くと、鈴音は朝食を食べ始める。
その間も蟷螂坂はじっと鈴音を見ていた。
今日の献立はバターの匂いが香ばしいマフィンに山盛りのスクランブルエッグとポテトサラダ、そしてまだ油がしたたる肉厚のベーコンにウィンナーがどっさり載せられていた。
鈴音としては大歓迎の量の朝食なのだが、じっとこちらを見てくる蟷螂坂の視線は少々気になる。
まずマフィンにかじりつくが、美味い。
おそらく市販品であろうが焼き加減とバターの塩梅でここまで変わるものかと感嘆する。
多少なりとも鈴音は料理はできるが、これには驚いた。
スクランブルエッグは半熟でさらにはチーズが入っており、適当に作るとパサっとした食感になりがちなスクランブルエッグがしっとりとしていて豊かな味わいになっている。
ポテトサラダも丁寧につぶされたジャガイモにしゃきっとした食感のきゅうりが良いアクセントになっていて、隠し味に入れたのだろうリンゴの甘みと酸味が舌の中に広がる一品。
添え物にするのはもったいないレベルだ。
そこで肉厚のベーコンにかぶりつく。
美味い。
旨い。
シンプルに美味。
焼き加減がこんがりと表面を焼きながらも焦げ付かせていない絶妙さ。
更にウィンナーは恐ろしいことに手作りらしく、皮をパリッと噛んで中から広がる風味には様々なハーブやスパイスの風味があり、それが鼻まで突き抜けていく。
ハーブやスパイスというと敬遠しがちな人間もいるがこのウィンナーを食べると認識がかわりそうだと鈴音は思った。
そしてなみなみと注がれた牛乳が空になった頃、鈴音は大量の朝食をあっさり食べ終えていた。
「ごちそうさまでした。」
「…。」
「美味しかったです…とても。」
鈴音がそういうと蟷螂坂は小さく拳を握ってガッツポーズをして、ささっと皿を片付けると昼食用の弁当を鈴音に差し出し、オフィスの裏にある台所へと消えていった。
鈴音は弁当が傾かぬようにバッグにしまい、洗面所に歯磨きに向かおうとするとオフィスに声が響き渡る。
「にゃああああ!!!ペネトレイトとかいうクソカード使ってんじゃねえにゃああああ!!!!」
「うるっせえんだよ!初心者相手にばんばん宝具カード使ってる馬鹿猫が!!!」
この調子だと花鈴は登校する気はなさそうだ。
鈴音も何度かプレイさせられたがいまいち面白さが理解できなかったテレビゲームに夢中になる二人と温度差を感じつつ、歯を磨く。
花鈴は剣術一筋な鹿角家の雰囲気と仮面優等生を演じていたこともあってゲームに触れてこなかったが、いざ触れると夢中になっているようだった。
しかし鹿角家のしがらみから解かれ自由になった花鈴の表情は明るく、鈴音としてもうれしいところだった。
…学校までサボるくらいに夢中にはならないでほしかったが。
「では、行ってきます。」
「はーい…頑張ってね…。」
「すーちゃんいってらー!」
「いってらっしゃいにゃ!」
私物がとっ散らかったオフィスで暴れる化け猫と花鈴を尻目に鈴音はオフィスを出る。
オフィスがあるのはくたびれた雑居ビルの3階。
リズムよく階段を降り、郵便受け──鈴音が来るまで全く整理されていなかったが今では空になった中身を確認し、通学に向かう。
そこで鈴音は振り返り、雑居ビルの3階に申し訳程度に掲げられた看板を見た。
“八咫総合事務所”という一見何をやっているのか全くわからない、連絡先も書かれていない簡素な看板を見て、小さく息をつく。
表向きは謎の事務所、裏では妖怪と戦う組織“八咫烏”のメンバーたちがそろった妖怪退治専門の事務所。
先日の事件から花鈴と鈴音はその事務所に間借りさせてもらい生活をしていた。
学校に到着し、鈴音がクラスに入ると重苦しい雰囲気に教室が包まれた。
表向き、鹿角家で起こった惨劇は強盗による殺人事件として処理されている。
自宅にいた父と母が殺され、通報によってかけつけた警官によって犯人は取り押さえられたことになっていた。
先日の葬儀にも生徒代表として花鈴の所属する生徒会の会長が駆けつけてくれた。
まぁその花鈴は面倒だからと出席を拒否したのだが。
今もまだ花鈴はショックから立ち直れていないと学校に説明して休ませている、現実は徹夜でゲームをしてサボっているだけなのだが。
こそこそと噂話が飛び交っているのが感覚が鋭敏な鈴音には聞こえていた。
曰く実は強盗を取り押さえたのは花鈴だとか、いや鈴音が強盗を半殺しにしたとかいう噂だった。
その内容にくだらないと眉をひそめる。
面と向かって騒ぎ立てる人間がいないだけましだろうかと思い、鈴音は授業の準備を始めた。
バッグの中からノートを取り出すと、蟷螂坂が包んでくれた弁当が見えた。
それを見て鈴音はふと事務所の八咫烏のメンバーを思い出す。
まず彼らは人間ではない、妖怪の類の存在だ。
そんな彼らが八咫烏という組織に所属している理由は、なんでも妖怪だったころ退治されかけたところを温情である人物に救ってもらったとか。
その人物が八咫烏のトップであり、現天皇でもある
国の直属だと聞いていたのでそれなりに権威がある存在がトップだとは思っていたが、まさか天皇がトップだとは思わなかった。
『我々は晴明様に救われた恩を返すべく、こうして活動しているんだよ。』
リーダーである狂骨がそう説明してくれた。
花鈴はその言葉に少し顔をしかめていたが、妖怪にはそんな存在もいるということなのだろう。
しかし立場的には特殊な彼らは八咫烏の本部から少し遠ざけられ、秋奈町の雑居ビルにちょっとした事務所をもらってそこに住んでいる。
そこが八咫総合事務所だ。
彼らとしても妖怪同士でいる方が気楽らしく、妖怪退治をして八咫烏から給料をもらいつつ気ままに生活をしているらしい。
個性的なお三方だった。
まずは化け猫。
その名の通り妖怪化した元猫であり、今は人の形を保って活動しているが頭には猫耳が生えている。
一応彼ら妖怪の名残を残すものは一般人から認識されないらしい、そもそも妖怪自体が姿を見せる意思を見せない限り見えないのだとか。
鈴音が知っていることは身長は150㎝にも満たない小柄な体格で幼い顔つきをしているがヘビースモーカー。
白地に青い柄が入ったシンプルなデザインの煙草を愛飲しており、瞳は煙草の柄と同じ青色で綺麗な群青色にきらめいていた。
もっともその綺麗な瞳も徹夜明けの朝には淀んだ青に見えてしまうのだが…。
次に狂骨。
もとは恨みが募った白骨の見た目をしており、今でも肉体はもっていないのだとか。
今の肉体は八咫烏の化学班によって製造された人工的な肉体であり、その肉体に狂骨が憑依する形で動いているらしい。
きっちりと普段着こなしたスーツの中身の肉体には関節部にいくつもの切れ込みが入り、稼働している。
肉体がいまいち男女区別ハッキリつかないのはそのせいで、本人も自分の性別に関しては分からないらしい。
一見真面目な性格をしているが生活はずぼらで天然気味、肉体は人工的なものだが不思議にも酒というものの酔いは感じるらしい。
本人曰くそういった人間らしい機能も搭載した化学班の技術の結晶だといっていたが、テーブルに山積みにされた空き缶を見て辟易している鈴音からするとそんな機能つけるなと言いたくなる。
最後に蟷螂坂。
曰くかまいたちと似た存在の妖怪らしく、八咫烏によって保護されたらしい。
なんでもかまいたちは今は数を減らしており、今では人間に害をなさぬよう伝承みたいに人の身を斬らず、悪戯にその行為をとどめることで生かされているらしい。
妖怪も現実の生物の様に絶滅の危機に瀕するとは世知辛い話だと鈴音は思った。
本人の性格はいたって寡黙。
鈴音も物静かで寡黙と思われるがそれ以上であり、滅多に話さない。
ただ料理が好きらしく鈴音が多く食事を摂るタイプだと知ると毎回大量の料理を作ってくれるようになった。
感情がいまいちわからないが料理をほめると素直に喜ぶ、思ったよりも素直な性格なのではないかと鈴音は考えていた。
その目にはいつもサングラスがかけられているが、その裏の目は人間の目ではなく虫の様な複眼になっており、それを隠している。
妖力のない人間からすると認識できないらしいが妖力を持つ八咫烏の人間にはそのまま認識されるため、気遣いとしてつけているのだと。
その気遣いをもう少し口数を増やすことにあててくれれば鈴音としては楽であった。
「はぁ…。」
思い出しただけでもあまりにも個性的なメンバーに小さくため息をもらす。
一応今は間借りしているだけでいずれ出ていくつもりだが、それまでは共同生活だ。
実家はまだ警察やそれに交じって八咫烏の人間が出入りしており、立ち入り禁止の幕が立てられ保存されていて立ち入れない。
私があの変人?集団の中に入ってやっていけるだろうか。
鈴音はそう思いながら始業の鐘が鳴る音を聞いていた。
「…なにやってるの鈴音ちゃん?」
「トレーニング…です…が?」
所用で事務所から離れていた化け猫を事務所で出迎えたのは、学校から帰宅した鈴音だった。
ジャージ姿でオフィスの隅…鈴音が片づけたのであろう空間で片手で逆立ちをしながら、腕立をしていた。
単純に考えて60キロ近い負荷が鈴音の片腕にはかかっているが、大量の汗をかきながら鈴音はそれをこなしている。
究極の自重腕トレーニングと言われる倒立片手腕立をまだ高校生の彼女がこなしているのだ。
「妖力…使ってにゃい…わよね…。」
「使い方…わかりま…せんから…。」
妖力と言われても鈴音には使い方が分からない。
花鈴は直感的に使えているようで、鈴音も人ならざる肉体になったことで妖力が身体に流れているはずだが、いまいちわからなかった。
それに鈴音にとってこのトレーニングは日課である。
「…。」
「どうか…しましたか…?」
「変人だにゃ…。」
「え?」
化け猫の言葉に、なぜとでも言いたげな鈴音の声が響く。
かくして八咫総合事務所は3人の変人集団から5人の変人集団へと姿を変えたのでした。