___ぼくは、優秀なトランスポーターだと。ずっと思っていた。
この都市の中でもそれなりに生きていけるような存在だと思っていた。
トランスポーターと言う仕事は荷物や郵便物、そして人すら届けることもある。
人の想い、願い、富、そして破滅を届けたりもする。
評判が良ければ翼に依頼されたりもするだろう。
___父さんはすごい人だ。ミノスからこの龍門までやってきて、フェンツ運輸を創った。
最初は小さかったが、小さいからとてあきらめずに実績を伸ばして、様々な組織から信用されるような会社になった。
有名になればなる程、周りには変な奴が沸くものだ。利害関係に媚び諂う排他的で卑しい人たち。裏路地のネズミ、羽根のなり損ない、指からはみ出した組員。
この都市の人らしいと言えば、人らしいのだが。
それらはとても複雑で、煩わしい。本当に。それでもぼくは対応できている方だと思う。
それがこの都市の中で生きていく術だから。
でも父さんはこういったことがある。
「大地の彼方は素晴らしい」と。
# # #
轟。混濁する意識の中、妙に響く低い音を耳にした。
一度じゃない。ずっと、ずっと聞こえる。絶え間なく。気持ち悪くもなってしまうほど。
__いや、そう考えている時じゃない。
「...うッ!ぼ、ぼくは...」
目を開けば、そこは見知らぬ車内だった。周りにはしつこく追ってきているスーツ姿のマフィア達。
結局自分は捉えられた。それがはっきりとわかる状況だった。
さっきまでの、と言うよりペンギン急便や街灯事務所の皆と合流できそうになったところまでは覚えている。そこから何があったかは知り得ない。
「なァにぶつぶつ言ってやがんだ!?」
急に大声でしゃべらないで欲しい。意識が戻ったばかりで脳内が揺さぶられてしまう。
「目が覚めたならおとなしくしとくんだな。変に動けばお前の顔を整形しちまうことになる。男前になりたいってんなら止めねぇけど」
隣に座っているマフィアは拳をちらつかせ、此方を牽制してきている。勿論今は動く気は無い。
抵抗できるほど感覚が戻ってきていない。未だ指先はしびれていて感触が曖昧だ。
じっと黙り、目を合わせない様に明後日の方を見ておく。
「フン、ボスがペンギン急便を潰せば次はお前の番だ。楽しみにしとけ」
__ペンギン急便や街灯事務所の皆はまだあそこで戦っているのだろうか。打ち勝ったのか、退却しているのか。負けているとは中々考えづらい。あんな滅茶苦茶な人たちが簡単に負けるはずがない。
都市において、ああいう人ほど生き残る...と言う話を父さんから聞いたことがある。変わり者程生きていけるって。
然し、何よりも自分の無力さを嘆いてしまう。簡単に捕まって、こうして運ばれて。
ぼくだってフェンツ運輸の人間だ。こんな状況、認めるわけにはいかない。
キキーッ。そう思考を巡らせているうちに車が停まった。
マフィアが何やら話しているが、耳打ち程度の声で話しているせいでうまく聞き取れない。
少なくともぼくを捕まえて来ただのなんだの言ってるはずだ。
「__いや、ちょっと待ってくれ!どういうつもりだ!?」
「カポネさんの命令だ」
「カポネだと?こっちはボスの命令だぞ!あンの野郎が...調子に乗りやがって___」
何やらマフィアが慌ただしい。明らかに仲間割れか何かしている空気感だ。
言っては悪いが、都市らしいと言えばとても都市らしい状況だった。
「__それで?俺が調子に乗ってるだって?」
声がまた一つ増えた。起き上がって状況を確認してもいいが、下手に動くのは得策とは言えない。
波が立たない様に、静かに。
__瞬間、何かが発射される音がした。
「___ッ!」
視線を音のした方に向ければ、其処にはボウガンを構えている男と、無残に胸を貫かれたマフィア。
何が起こったかは一目瞭然だった。
そう、文字通りの仲間割れだ。それも命が奪われるほどの。
男はボウガンを降ろし、此方に気味の悪い笑顔を向けて来た。
「よく来たな、フェンツのお坊ちゃま。お初にお目にかかるぜ」
「...今、自分の仲間を殺したの?」
「裏切り者は殺す。どの組織でも、どの指でも当たり前のことだ。龍門の裏路地にもそういう"礼儀"はあるだろ?」
「そんなことは聞いてないよ...あなたの目的は何なんですか...」
「そりゃ、取引だ」
男は口角をさらに釣り上げ、言葉を続けた。
「ガンビーノがやってることは血の気が盛んな愚か者の蛮勇に過ぎない。このままじゃあファミリーが栄光に溺れて滅亡するしかない。それこそ"指"には絶対になれないんだよ。
俺はそんなことは望んでいない。勿論
「...何が言いたいの」
「ガンビーノを潰すのを手伝うと言ってる」
「貴方のことが信用できると思えるの?」
「...なぁに、お前がペンギン急便とやり合うことになっても手を借りるぜ。拒否権なんて与えると思うか?」
目の前の男も、私欲を満たすためにぼくを使うらしい。
どっちのマフィアも本質は同じだ。身勝手極まりない。
「俺だって馬鹿じゃない。何年も準備もしてきたし、
お前の親父は権力者だ。このクソでかい龍門の民間トランスポーター業の七割を支配している。
そして、龍門の上層部とも戦略的な協定関係にあるとも聞いた。
どっからどう見ても、ペンギン急便の連中はお前さんの会社にとって障害だろ?」
男は深く息を吸った。
これからの事を高らかに宣言するために。
「俺が欲しいのはただ一つ。ペンギン急便のパイプを全て引き継ぐことだ。それさえ出来ればこの龍門裏路地に根を下ろすことも出来る。指に成り上がるのも夢じゃない。
そしてこの借りを作っておけば、後でフェンツとの商売話も上手く行くだろ?」
「父さんとエンペラーさんは息の合うパートナーみたいな関係だ。フェンツとペンギンの話は、ただの憶測に過ぎないけど」
「フェンツ運輸みたいなでけぇ会社が、本当にお前の親父さんの一枚岩で成り立ってると思ってるのか?
お前は俺達の事を甘く見てるな。確かに今はファミリー自体は消耗しているが...。昔、俺達の祖先はシラクーザに在った当時の"親指"の一員だ。誇りをもって自らを"シチリア人"と名乗っていたぞ。血みどろの粛清を見て来たんだ。
正直に吐けよ。お前の親父の周りの人間がペンギン急便をどう思ってる?龍門をどう思ってる?」
視線の鋭さがさらに鋭くなっていく。
「そして、お前はどう思ってるのか?」
「...さっきからファミリーファミリー言ってるけど、少し前に目の前でそのファミリーを殺したよね。そんな奴の提案、飲み込めると思う?」
「此奴の死は単に...俺とのビジネスが合わなかっただけだ」
「フン。貴方が払うのは紙幣か火薬か、分かったものじゃないよ」
そう言い切った後、程なくして引き金に指を添える音がした。
これだけ言ったんだ。こうされても仕方がない。
が、少し短気な気もする。目の前の男が何故自身のファミリーを大きくできないかが分かった気がする。
「__ハァ、残念だよ。俺はお前がもっと賢い奴だと思っていたが、とんだ勘違いだったらしい。まさか自分とは無関係で些細なことで死ぬなんてな」
引き金に指を添えたまま、ボウガンをこちらの顔に向けて来た。瞬間、死が目の前まで迫ってきていることを実感する。
掌にはジワリと汗が滲み出てきて、無意識に奥歯を噛みしめた。
死ぬのが怖い。目の前の男すら見ていられない。
「怖いだろう。いずれはフェンツ運輸を引き継ぐと言えど、まだ乳くせぇガキだ」
「そ、それがどうしたんだよ。ミノスの男は若い時から勇敢で度胸があるって有名なんだけど」
「どうなっても考えを変えないみたいだな。もしお前が生きていけるのなら、この先こういうことも見ていくことになるんだろうな。だが、残されてるのはあの世への一本道なんだよ」
必死に縄から逃れようとするも、中々抜け出せない。結構の上物なのか、それともキツく縛り上げてるだけなのか。どちらにせよピンチには変わりない。
手の皮膚が痛い。多分血すら出ているかもしれない。それでも抜け出さないと死んでしまう。
__死んでしまう。
「お前が死んだらフェンツ運輸は混乱するだろうな。そんでもって近衛局も巻き込んでしまうかもな。そういう状況を利用するのも一興だ。
おしゃべりは此処までだ。じゃあな、坊ちゃん」
嗚呼、此処で終わりみたいだ。程よく幸せな時間を過ごしてきただけで、こうも急に死んでしまう。
都市とは、やっぱりこういうものなのかもしれない。
自分自身の死から目を背けるように、瞼を降ろし___
「おやおや。バイソン君に手を出したら、君はファミリーの掟から外れるんじゃないかな?もう少し冷静に考えれるようになろうよ」
__意識がなくなることはなかった。
そしてどこからか、聞いたことのある声がした。
「それとも、今ここで自分自身を終わらせたいのかな」
「だ、誰だッ!」
「通りすがりのトランスポーターさ。人探し中のね」
いつの間にか、このマフィアの背後を取る様にモスティマさんが立っていた。
最初からそこに居たかのように。
「...お前には見覚えがある。角の生えたサンクタだな。今夜、俺達の事を邪魔してくれたみたいだな」
「お褒めに預かり光栄だよ。最も、邪魔するのがメインじゃないんだけどね」
「ペンギン急便やら何やら情報を漁ってもお前のことは全く書いてなかった。お前、何者なんだ?」
「そうだね~...それを言ったところで私にメリットってあるかな。
私はただ、昔に無くしたものを探してるごくごく普通のトランスポーターさ。それ以上でも以下でもない」
こうしているうちに周りにマフィアが増えて来た。本当にどこに隠れていたんだと言いたくなるくらいに増えて来た。
マフィア多数、対モスティマさんただ一人。ぼくは戦力に数えられない。
流石にまずい状況だ。一刻も早く縄から抜け出さないといけない。
「...そんなに私を見つめて。そんなに気になるのかい?
私はいつでも大丈夫。何なら今すぐでも良いよ。何せ急いでるからね」
「ふん...普通のトランスポーターね。
まぁいい。今はお互いやることがあるだろうしな」
そう言うとマフィア___カポネは踵を返して背を見せた。
「俺の、俺達の目的は生き延びることだ。一時の感情に流されて死んだら本末転倒だろうが」
「そんなに怖がらなくてもいいのに。今は人探し専門のトランスポーターなんだけどなぁ」
「角の生えたサンクタが普通と言っても誰も信じないだろうが。
俺はお前と戦わない。好きにしろ」
「さっきは殺して口封じしようとしてたのに。考えが変わったの?」
「マフィアに限ったことじゃないが、生きていたらこういうことは山ほどある。
その坊主が協力しないうえに殺せないとなると、別の道を探すしかない」
背を見せたまま、他のマフィアを連れて道の向こうへと歩いて行った。
さんざん吠えていたというのに、少し情けなく思う。
急にどっと疲れがこみあげてきた。生きるか死ぬか、その二択が迫られた直後だ。こうも精神が緊張していても何も可笑しくはない。
本当に恐ろしい時間だった。
「...本当に行ってしまった」
「もう少しで縄が解けそうだね。手を貸そっか?」
「じゃあ少しだけ...流石に手が痛くて」
「了解。じゃあそっちに回るよ」
早くマフィアの亡骸から離れたい気持ちでいっぱいだが、身動きが取れない。只管に苦痛の時間だったが、やっと解放されそうだ。
助手席の方へとモスティマさんが来てくれて、血やら何やらでべとべととした縄をほどき始めた。
「そう言えば、モスティマさんの言う人探しって...」
「嗚呼、バイソン君のことじゃないんだけど...やっと会えそうな人が居てね」
「それって...大切な人とか、ですか?」
「そうだねぇ、確かに大切だ。あの人が居なくなった時は本当に困ったし、寂しかったな。
___よし、これで君は自由の身だよ」
その言葉と共に、一気に体の自由が戻ってきた。腕も自由に動かせるし、色々苦しくもないし。
掌を見ると、案の定真っ赤に染まっていた。否、皮が持っていかれていた。緊張が無くなったのもあって一気に痛みが押し寄せてくる。
早いうちに処置をしないといけなさそうだ。
「本当に助かりました。有難うございます...」
「ところで、他のみんなは?」
「うッ...」
「あはは、振り回されてるみたいだね」
「皆さんのテンポが早すぎて...いつの間にか置いて行かれるんです」
「言ったでしょ?それで、何処にいるって言ってた?」
「テキサスさんは一時間後に"大地の果て"で集合と言ってました。モスティマさんは大地の果てが何処かご存じで?」
「勿論。私も此処に来たら必ず行く処だからね。案内するよ」
そう言うと「ついてきて」と言わんばかりに歩き始めた。車の後ろに詰まれていた自分の荷物やら何やらを持って、今度は遅れないようについていく。
鞄の中にはN社製の包帯がひと巻き。父さんから渡されていたものだ。
こんな高価なものを持たせるなんて、とは思ったが今は感謝している。こうなることでも予想していたのだろうか。
一先ず包帯を取り出し、手にぐるぐると巻いていく。どういった原理かは知らないが傷やら直ぐに治るらしい。
特異点とは本当に便利なものだと痛感させられる。
「それで、大地の果てって...その名前にどんな意味が?」
「なんでこの名前にしたかは聞いて無いなぁ。ボスの使ってる拠点の一つってことは知ってるんだけどね。
各地からこの龍門に来た人が態々集まるお店らしいんだ。少なくともこういう裏路地の人には結構知れてるんじゃないかな?」
「それって、つまり...」
「うん、ただのバーだよ」
# # #
裏路地を二人で歩いていく。周りには相も変わらず人が行き来している。色々と忙しくて忘れていたが、今日は安魂祭だ。こうあるべきなのだろう。
掌の痛みもかなり引いてきた。否、もうほとんど痛くもないし痒くもない。流石はN社製の包帯と言ったところだろうか。
「__で、これは何をしているんですか?」
「テーブルクロスの下に隠れて仮装してるんだよ」
「...」
移動だけしていたはずなのだが、いつの間にか自分達も仮装をしていた。然も一番無難なお化けの格好。
周りを探しても此処まで安直なものはない。少なくとも服装から違っている。
__そもそも、仮装をしている場合だろうか。
「こうした方が周りに溶け込める。何を言いたいか、君には分かると思うけどなぁ」
「...マフィアに見つからないため?」
「うん、百点満点の答えだね」
「少しずつ、どういう意図があるか分かるようになってきた気がします」
かつかつ、かつ。焦らず、不自然にならないように歩む。
「そう言えばなんですけど、モスティマさんはアーツ使いなんですか?」
布の向こうで微笑まれた気がした。
「昔はね。こう見えて訓練してたんだよ。
万年おさぼりのエクシアと違って、ね」
「モスティマさんはエクシアさんと旧知の仲なんですね」
「この話は歓迎会でするつもりだったんだけどなぁ。詳しいことはまたあとで教えてあげるよ」
言葉を交わしつつ、人混みから外れて細い路地に入っていく。表の道から少し外れているだけなのに、雰囲気が急に変わった。
薄暗く、湿っぽく、今にも壊れてしまいそうだ。
「表の人通りはすごかったですね。こんな時間なのにまだ増えてきてる」
「安魂祭はこういうところがいいんだよね。
面白いでしょ?表じゃあいろんな屋台を巡ったり、仮装したり、そうやって楽しんでるのに。場所が少しずれるだけでこうも変わるんだ。
たった一枚の壁で分けてるだけなのに」
「面白い、ですか...」
「時間もあまり残されてないね。少し急ごうか」
そう言われ、歩む足を加速させていく。
直進。右折、左折。同じような、代り映えのしない道をただ進んでいく。直ぐ近くにあった喧騒もいつの間にか遠くまで息をひそめ、静寂が場を満たし始めた。
程なくして道が開けた。
「ここは...墓地?」
「そうだよ。こんな場所に墓地を作るなんて龍門くらいじゃないかな」
実際、場所的には此処は裏路地区域の中心部に当たる場所だ。
心臓ともいえる場所にこうして墓地があるのは、中々風変りだ。
様々な都市を引っ張っていく存在でもある龍門ならでは、なのだろうか。
少なくともぼくの地元にはそういう文化は無かった。
墓地の周りに横たわる道を進んでいく。さっきの表通りのような騒がしさも好きだが、こういう落ち着けるのも好きだ。考え耽るならこういうのがいい。
ふと墓地の方を見れば人影が見えた。黒い服に身を包んだ人たち。
「...あそこの人、みんな喪服を着ています」
「あの厳粛な感じに弔ってるのは、ラテラーノを思い出すなぁ」
「ラテラーノ...サンクタの皆さんの祖国ですよね。どんなところなんですか?」
「おや、気になるのかい?そんなに面白いことはないよ?」
「まぁ、そうですね。実はぼくは前から、もっと遠く...いろんなところに行ってみたいって思ってるんです。
いつか国際トランスポーターの資格取れたらいいんですけど...はぁ...」
「国の間のネットワークは日々進化してる。それこそW列車なんていい例じゃないか。直ぐに街からは出れるようになるよ。
でも...トランスポーターとしてなら話は別だね。国際トランスポーターの本質は国家間を行き来するフィクサーみたいなものだから」
「...そんなに大変なんですか?」
「そうだね。敵は沢山いるよ。例えばならず者とか...旅の最中に嫌と言うほど会えるよ。でも一番の敵は天災だ。この大地全てが敵に回るんだ」
「天災...」
天災。学校の教育では映像を見させられているが、実際には見たことがない。実際に見ない方が俄然いいのだが。
「以前、とある物流拠点に居た時にね、天災トランスポーターから貰った情報をうっかり忘れたせいで、一度だけ天災を見たことがあるんだ。
空が真っ黒に染まって、落ちてきて...生きた心地がしなかったなぁ」
「でも、都市に居る限りは大丈夫じゃないんですか?そのための移動都市ですし...」
「それは確かにそうだけど、他に困ることがある。
その天災のせいで目的地の都市が移動していくんだ。移動していくのを見ることしかできないんだよ」
「うわぁ...」
「こうならないためにも、天災トランスポーターとは仲良くすべきだよ。あと、絶対に聞き逃さないように。居眠りとか厳禁だからね」
「...なんだか、今の話を聞いてたら、やっぱりモスティマさんの方がぼくの同業者って感じがしますね」
実際、ペンギン急便の皆と比べるとそう感じてしまう。
本来、運送会社は名前の通りに物を運ぶ職だ。喧嘩を高頻度に行う組織じゃない。
隣にいる彼女こそ、トランスポーターらしい。言い表せない親近感やら、安心感やらがほんのり感じる。
「...」
__返事がない。ふと隣を見ると、何処かを見るモスティマさんの姿があった。
「ええっと、調子に乗り過ぎましたか...?」
まだ返事がない。
「あの、モスティマさん...?」
「...間違いない」
「へ...?」
腕を掴まれ、一気に引き寄せられた。一瞬心臓がはねてしまったが、直ぐにそんな高鳴りも失せた。
明らかに様子がおかしい。声色も何だか冷静さを欠いている。
「急ぐよ、バイソン君」
「えっ、ちょっ...!」
腕をがっちり握られたまま、半ば引きずられる様に連れていかれてしまった。
# # #
「次は~...これや!これが何年物か当ててもらおかぁ~?」
...。
「ウェッオッホン...この濁り、芳醇な香り、強烈で癖の強い甘み...これこそォ___」
「俺も貰っていいかな。最近飲めてなかったし...」
...。
「って、これは唯の甘酒じゃねぇか!?」
「おッ、あったり~!流石は龍門一の酒利き師やなぁ~」
「ん~!このアップルパイ甘くてさいッこう!」
「...おそくな~い!?」
遅い。
遅い。
遅すぎる。
一時間後に此処に集合とバイソン君は知っているはず。なのに何故此処に来ないのだろう。
もう一時間半くらい経ってるはず。
「どうしたんだ、エクシア」
「だって、バイソン君がまだ来ないし。折角のアップルパイが冷めちゃうよ」
「何れは来る。今は待っているしかない」
取りあえず炭酸を一口。うん、今日も美味しい。しゅわしゅわとはじける泡たちがとても愛おしい。
こうも飲むだけで気分が良くなって、その上吐く必要のない飲み物。完璧とも言える飲み物だ。最早生活必需品である。
もう一口。
もうちょっと。
ぐび、ぐび。
「ぷはぁ~ッ!!」
「上機嫌だな」
「そんなことないよ~、いつも通りでしょ?」
炭酸の次はアップルパイを軽くフォークで切り分け、口の中に運ぶ。
今日の出来は悪くない。悪くないだけで良くもない。
「そう言えばエクシアさん、ずっと聞こうと思ってたんですけど...」
「ん?どうしたのさ、ソラ」
「なんでいつもアップルパイを作ってくれるんですか?」
「わお、そこ聞くかぁ~...」
「話しにくい内容なら遠慮するので...」
またアップルパイを口に運ぶ。さく、さくと焼けた生地の美味しそうな音が口の中でする。
即座に湧き上がる甘く鼻孔を擽る香り。
それを纏めて飲み込んだ。
「簡単に言えば、此れは私なりの未練とか、そんな感じだよ。
ラテラーノに居た頃に仲の良かった人がいつも作ってくれたんだ」
そう。これは私とあの人を繋げている縄のようなものだ。
あの人の味を忘れないために。忘れたくないがために。
そして、今でも覚えていると言う証明のために。私が今も、あの人のことが好きだと言う証。
「...もしかして、エクシアさんの元カレですか!?」
「驚いたな。エクシアに彼氏がいたのか」
「まさかペンギン急便の色恋話を聞けるとはな」
「そんなんじゃないって!何言ってるのさ~!」
本当は、そうなりたかった。
元、なんて文字を付けない。そんな仲に。
「あともう一つだけ、良いですか?」
「まだ聞くことあるの?珍しいねぇ」
「バイソン君に大地の果ての場所、教えてますか...?」
「...」
「...」
「...探してきた方がいい?」
「流石に一人ではここまで来れないと思うので...?」
「...ボス~、バイソン君の捜索代後で徴収するからッ!!」
最後に炭酸を飲み切り、そのまま店から飛び出した。
ボスの反論何て耳を貸さずに。
# # #
「バイソン君~、どこ~?」
探すと言っても、大地の果ての付近から離れるつもりはない。
むしろ離れない方がこの場所を知らせれていいとは思う。この声さえ聴けば此処にたどり着けるはずだ。
然し、大地の果ての前にあるこの通りは全く人が通らない。大体表通りの安魂祭に持ってかれているのだろう。
私も混ざって屋台を巡りたいが、そういうわけにもいかない。
マフィアを釣り上げてしまう可能性もある。
うらやましくても我慢の時だ。
「...でも、待ってるのも暇だなぁ」
少し位移動しても問題ないだろう。大地の果ての周辺は比較的安全だ。ここで何かを起こせば必ずボスからの報復があるからだ。
それもきっついやつ。そうボスが言っていた。
一応護身用の銃を腰に備えて、いざ出発。
淡い月明かりに照らされながら歩く街中は何処か幻想的だった。
そう言えば、落ち着いてこの道を見ることが少なかった。いつも誰かを追いかけていたり、逃げていたり。
そうやって騒がしい日々を過ごしていた身だから。
この空も、きっとあの人とも繋がっている。そんな感傷的なことを考えてしまうほどに何もない。静かな日だ。
「...はぁ」
本当に、何処にいるんだろう。同じ空の下なら会えるはずなのに。
あの月と同じ髪の色の貴方は、今どこで何をしているの。それを知れたらこんなには苦しまないだろう。
「ねぇ、デュイス兄さん」
呼んだところで返事が来るはずもないのに。
考え耽って歩いているうちに、いつのまにか人気のない路地に入っていた。
からんからん、と缶の転がる音ばかりが響き続ける。唯空しい。
__いや、それだけじゃない。向こう側に誰かが居る。かなり大きな影だ。
頭上にはサンクタの輪が浮いている。暗闇でも光らないと言うことは、つまりは
本能が逃げろと警鐘を鳴らしている。黒い輪のサンクタは公証役場の人間か、それか単なる犯罪者か。どっちでもそれなりに警戒すべき相手だ。
一歩、二歩...着実に路地から抜けようと撤退していく。
「そこに居るのは誰かな。足音は...うん、女か」
「ッ...!」
ばれた。案の定ばれた。裏路地の、黒輪のサンクタ相手に逃げ切れるとは思えなかった。
恐怖に手足が縛られ、身動きが取れなくなっていく。
然し、何故だろう。
私は
「___...なんで。なんでこんな裏路地にいるんだよ」
「ぇ...ぁ...」
視認出来る距離にまで来た、その人の顔を見た。
__やっぱりだ。この声も、知っていた。ずっと昔から知っていた。
「デュイス、兄さん」
頬を血で汚した、あなたが居た。