神々がコロナに翻弄されるのは間違っているだろうか? 作:tubuyaki
令和二年師走某日某所にて
2020年も残りあと僅か。この時期には、コロナによる波乱に満ちた一年を振り返る人も多いことであろうが、それは神とても例外ではなかった
「むーん…… 今年はどうも振るわなかった。疫病退散は我が十八番のつもりであったが、これが中々どうして上手くいかぬ。最近の世は病魔らも進化しておるものよのう」
一人静かにこの一年を思い起こしているのは、神界の有力者、スサノオであった。
「我を崇める祭りも、祇園をはじめとしてそのごとくが、縮小に中止…… 致し方ないこととはいえ、歯がゆいことよ」
神と人との関係は、次のような言葉で言い表されることがある。
神は人の敬うに依って威を増し、人は神の徳に依って運を添う*1
要するに、人々の崇敬が深く、信仰が盛んであればあるほど、神は力を発揮できるということだ。神スサノオにとってもそれは例外ではない。だが、ここにジレンマがあった。神スサノオがコロナ禍を抑え込むためには、祭りごとにより神威を増さなければならない。ところが、その祭りごとは、当のコロナのせいで元通り行うことが出来ない。政治で例えるなら、不況で財政出動が必要なのに、それに必要な税収が不況で手に入らないようなものだ。八方塞がりである。
「問題はそれだけではない。アマビエとか言ったか、新参者の妖怪にだいぶ信仰を喰われたからのう。……おのれ、妖怪の分際で我が病魔調伏の領分を侵しおって! しかも結局、コロナは収まっておらんではないか!」
神界指折りの実力者だが、スサノオはその名の通り
「加えて、我が姉も姉だ。冬になったからとて、動けなくなるとは情けない」
彼の言う姉とは、日本の神界における最重要神物、太陽を司るアマテラス大神のことに他ならなかった。彼女も、当初は日の勢いが増す夏場に、コロナを死滅させんと張り切ってはいたのだ。しかし病魔は闇に潜るのが得意なもの故、熱い夏場に勢いを落としつつも、しぶとく生き延びていた。そして彼女の活動時間とイコールである日照時間が短くなる冬場に、コロナは再びその勢いを取り戻して来たのだ。ちなみにスサノオが問い質したところ、彼女曰く、冬場はあまりにも寒いため体が震えてしまい、長い時間外に出ていられない。故に日照時間が短くなるのだそうだ。日が短いから寒くなるのか、寒いから日が短くなるのか? 鶏が先か卵が先かというような話だった。
「いかんいかん、他所は他所、我は我ぞ。姉や木っ端妖怪のことなど気にしてはおれぬ。
コロナという病魔は変異を遂げ、より強力になりもするらしいことが、彼に危機感を抱かせていた。
「要は我の力が増しさえすれば良いのだ。さすれば、わが指からすり抜け、あちこち逃げ回るコロナめを調伏することも出来よう。今年はともかく、新年にはな。新年、そう新年だ。新年にこそ、我は大活躍を遂げるのだ!」
スサノオの抱負は、ただの願望というだけではなかった。彼には、2021年からの神威増強に向け、秘策があったのだ。彼は周りに誰もいないことを見て取ると、おもむろにかっこいいポーズを取り、唱えた。
「
途端に、スサノオの体が金色の光に包まれた。神々しい光が落ち着いた後には、赤く長い角が付いた牛の
「天知る、地知る、我が知る!
これぞスサノオの秘策、病魔対策に特化した変身フォームの牛面ライダー、その名も
因みに、祇園精舎*2の守り神というのは、自称である。当の 祇園精舎があるインドでは、牛頭天王が信仰されておらず、それどころか仏教伝播の通り道となった中国・朝鮮にすら、その信仰の跡が見られないと言う。そのため人の世では、牛頭天王はもっぱら日本で生まれた日本独自の神だと囁かれているとか。真相は、こうだ。牛頭天王とは、日本に仏教が伝来し仏教ブームが巻き起こった際に、スサノオが便乗し、ハッチャけた姿なのだ!*3 仏教ブームに乗じ、嫁や自分の子供、加えて親戚の子供たちまで無理やり巻き込んで役に入り込み、謎の牛仮面としてブイブイ言わせていたスサノオは、時に身バレして焦ったりもしたが*4、結局開き直ってスサノオ=牛頭天王であることがバレバレのまま過ごして来たのだ。そんなスサノオにとって、牛頭天王の名とはプロレスでいうリングネームであり、祇園精舎の守り神というのは異名のようなものであった。真実がどうであれ、病魔という
ではなぜ、この牛頭天王への変身が2021年からの秘策となるのか? 察しのいい読者はもうお気付きであろう、牛頭天王はその名の通り、牛属性である。だからこそ、
「聖なる
何かカッコつけているスサノオだった。
「ぬぅわーっはっは! 」
「これはこれは頼もしう」
「誰ぞ!」
この場に自分ひとりだけだと思っていたスサノオは、一人笑いの瞬間を見られ罰が悪い思いをしながら、声の主に振り向いた。そこには、牛を引き連れゆったりと歩く平安装束の男の姿があった。
「おお、そなたか。道真よ。そなたの連れているのは、此度の干支か?」
学問の神様として人の世の崇敬厚い菅原道真公は、スサノオにうやうやしく礼をしてから答えた。
「如何にも、その通り。これなる牛に、新年の干支を担わせることになっておりまする。牛は我が眷属故、いつものごとく引き連れて参る役目を負ったのでございます」
「うむ、うむ。黒く艶やかな毛並みの、見事な牛だ」
公の連れた雄々しき牛の姿に、これなら新しい年も力強く過ごせようとスサノオは感心していた。
なぜ菅原道真の眷属が牛なのかについて、神界の者は実のところよく分かってはいない。道真の生まれが丑年であったからとも、その墓所を定めるのに牛が場所を示したからとも言われているが、実際のところは本人が生前をあまり語りたがらぬ故、不明のことであった。しかし道真と牛とは、彼が神として祀られて以来千年を超える深い仲であることだけは確かであり、その縁あって、12年毎の丑年に牛を引き連れて来ることのが、彼の役目であった。
「時にスサノオ殿、丑年の力を借りてのご活躍を期されているとか。私も加わらせては貰えますまいか。私の神使いも牛ゆえ、丁度よいご縁かと思います」
スサノオは唸った。
「しかしのう。そなた、
「いやはや、それを言われると面目ない」
そう言って、道真は自分の頭を扇でぽんと叩いた。
意外なことに、学問に秀でた菅原道真の祖は、スサノオの言う通りバリバリの肉体派である。菅原氏の祖にして相撲の祖でもある
「確かに私は力仕事が出来ませぬ。しかし、そもスサノオ殿に力仕事で敵う者なぞ、そうはおりますまい。スサノオ殿お一人で、力仕事は全て事足りましょう」
「むう、そうか。確かにそれもその通りであるな」
スサノオの反応を受け、道真は続けて言った。
「私がご協力申し上げたいのは、力仕事の方ではなく知恵の方で御座います。我が頭脳には最新の学問なぞも悉く入っておりますゆえ、必ずやお力になれるものと存じます」
「ふうむ…… 言い分は分かるが、どうしたものかのう」
「それに何より、私にも一暴れする力はありまする。何も肉体を振るうだけが力ではありますまい。お忘れではございますまいか? 私が 元は、何の神であったのかを……!」
これを話している内に、理知的な菅原道真の顔には険が入り、凶悪に歪んでいった。辺りにはたちどころに暗雲が立ち込め、雷鳴が至る所に轟き始めた。暗雲の作り出した影の内に、鬼・妖怪の類が次々に姿を現していく。ついでとばかりに、道真の引き連れていた牛の目も爛々と輝き始め、その口からは灼熱に燃ゆる息を吐くよう変じていった。
「我が神としての始まりは祟り神なれば、荒ぶる力には事欠かぬというもの」*7
「我も負けん!」
張り合ったスサノオは、指を口元に咥えると、とてもただの口笛とは思われないような悍ましい音を吹き鳴らした。途端に辺りには暴風が吹き荒れ、荒浪のごとく雨が降り、それに交じって過去に流行った幾多の病魔が、畏怖すべき支配者の元に馳せ参じ、飛び回っていた。
そう、二人ともその本性として、荒ぶる神、祟り神としての側面を強く持っている。今でこそ平和な生活の守護者として振る舞っているこれらの神々だが、その昔 彼らを祀ることが不十分であった時分には、むしろ彼らこそが最凶最悪の神々として、幾多の魔に属する者を配下に置き、社会に疫病を初めとする様々な災厄をもたらして来たのだ!
「コロナが凶悪? 我が凶悪さに敵うはずはあるまいて」
「毒を征すには毒でというもの」
「蛇の道は蛇よ! 我に挨拶の一つも寄越さぬ不遜な病魔風情、捻り潰してくれようぞ!」
厄気を思いっきり身に纏った二神は、世界を滅ぼす魔王がごとき表情で、悪魔のように高笑いしながら、新年を手ぐすね引いて待ち受けるのだった。くわばらくわばら*8