小山を登っている最中からカイリューの叫び声が聞こえて来た。剥き出しの、あらん限りの、一生分の感情が籠っているかのような叫び声。
それから、ひたすらにそれらを殴っている音も。
ウインディが顔を顰めた。血の臭いを感じたのだろう。
「……すぐ近くに居るか?」
ウインディは頷いた。
「……分かった」
そして、辿り着いた。
……既に、その二体は原型が無かった。肉も骨も、何もかもがぐちゃぐちゃになっていた。カイリューが叫びながら、泣きながら、もう原型の無いものをそれでもひたすら殴り潰していた。
俺も、子を誰かの手によって喪ってしまった時にはこうなってしまう可能性があるのだろう。
いや、父親になったならば誰だってそうなのだろうか。
カイリューの姿に俺は怯えもしたが、自分自身に恐れも抱いた。
その時だった。飛び散っていた肉片がぽつ、ぽつと光り始めた。
え、と言うようにカイリューが動きを止める。光はカイリューの手を染めていた血からも出始めていた。
飛び散る血や肉片の全てから残さず光が発せられ、そしてそれらを包むかのように浮き上がり始めた。カイリューが一層強く叫ぶ。
きっとこれは、そういう事なのだろう。カイリューもきっと、分かっている。
テレビの中の人が言っていた事だ。伝説のポケモンは転生する可能性がある、と。
殺しても、完全にこの世から消滅させる事が出来ない。それに対してカイリューはふざけるな、と怒り狂いながら叫んでいた。
光を掴もうとしても、ただ透けるだけだった。破壊光線を放っても光には何の影響も出ない。カイリューの体にこびりついた肉や血の全ては、元から無かったかのように消え失せていく。
空へと光が飛んで行く。カイリューがそれを奪おうと飛び上がろうとして、がくりと膝を折った。流石に体力はもう、殆ど空っぽだったのだろう。
そして残ったのは、カイリューの傷跡だけだった。
納得しきれないように、カイリューは地面を叩きつけていた。
皮肉な事に、雨雲はもう一つたりとも無かった。濡れた木の葉が夕日を浴びて輝いていた。
カイリューの傷跡と荒らされたこの場所だけが、あった事を生々しく映していた。
そしてやっと、カイリューが近くに居た俺とウインディに気付いた。その顔に一瞬恨みが浮かんだように見えたが、それもすぐに失せた。
それから、カイリューは泣き始めた。
俺とウインディは、それでも立ち尽くすだけだった。その一瞬の見えたような恨みは、見間違いではなかった。俺だけではなく、ウインディの脚もがくがくと震えているのがその証拠だ。
けれども、それが一瞬で消えたのも同じく見間違いではない。
カイリューはもう、地面を叩きつけてはいなかった。子供が純粋に泣くかのように、ただただひたすらに溢れる感情をぶちまけて泣いていた。
そして、唐突に倒れた。恐れながらも近付くと、気絶していた。
やはり、その焼け焦げて痣塗れな全身を見る限り、ダメージは大きかった。そして心も体に等しいか、それ以上に。
そんな様子を見て、俺は空のハイパーボールを取り出した。
ウインディもそれを見つめる。
「……いや、やめておこう」
どうするのがカイリューにとって一番良い事なのだろう。ボールに入れてポケモンセンターに連れて行くのは、最善では無い。特に、勝手に気絶している最中に俺のポケモンにすると言う点で。
治療すべきなのか、しないべきなのか。傍に居るべきなのか、居ないべきなのか。
俺の思った最善を通して良いのだろうか。それすらも分からない。
少し悩んだ末に俺はハイパーボールを仕舞って元気の欠片と回復の薬を取り出した。俺の思った最善は、最悪じゃない事は確かだろうと思いながら。
元気の欠片を砕いて口へと入れる。そのカイリューの顔、涙の痕がやけに印象的だった。
空が黒くなり、焚火を付けた。
星が見え始めている。一通りの治療を終えても、夜を迎えてもカイリューは目を覚まさなかった。
俺とウインディは、ただカイリューが起きるのを待った。
ココドラは夜飯を家で待っているのだろうか。
小さい体だから外にも出れるようにしてあるし、どこかの廃材を勝手に食ってるかもしれない。
ふぅ、と俺はもう数え切れない程に息を吸って吐いた。空腹もあったが、それ以上に緊張していた。
カイリューが起きた時、どう声を掛けようか。それにとても悩んでいた。
寧ろ、俺にとってはここからが本番かもしれない。
日が完全に沈んでから暫くした頃にやっと、カイリューが目を覚ました。
腕時計では20時を過ぎていた。
「……起きたか」
目を擦り、酷く疲れたような目で俺とウインディを見ていた。ゆっくりと体を起こすと木に凭れて体の力を抜いた。口をぽっかりと開ける程に。
復讐は終わった。納得出来ない形であろうと。
伝説と呼ばれる存在が転生するのはどれ程の時間が経った後なのか、そして転生した後に転生前の記憶を持っているのか、それらは分からない。
誰も実証した人は居ない。
「なあ」
そんなカイリューに俺は語り掛けた。話す口が震えているかどうかが俺自身気になったが、それでも続けた。
「前に進む気は無いのか?」
どういう意味だ、と言うようにカイリューは首を傾げた。
俺は唾を飲み込みたくなる気持ちを抑え、なるべく平静を保ちながら言った。
「忘れろ、とは言わないし、言えやしないけれどさ。新しく子を育てたりとかをするつもりは無いのか?
失った物ばかりを悔やんでいても、何にもならないだろう」
これもまた、ドラマでありそうな陳腐な台詞だ。
そして言えば、カイリューは怒るかもしれないと俺は思っていた。けれども、カイリューはそうか、と言ったかのように空を眺めただけだった。
何だろうか。それは復讐を終えた後の典型だった。
気力も何も、カイリューからは消え失せていた。まるで抜け殻のようだった。今までカイリューを傍でかなりの間見て来たが、そんな風になる程復讐だけの為に生きていたとは思えなかったのに。
俺は、それ以上何も言えなくなってしまった。
反応は何も無いに等しく、それを予想してなかった俺はどうすれば良いのか分からなかった。
……引っ張るべきだろうか。
そう、思った。今まではただ見ているだけだった。肉体の強さからしても、そして身に受けて来た経験も、俺やウインディとは全くの別物だった。
雷に打たれようが嵐に揉まれようが平然として居られる程の強靭な体も持っていなければ、子を喪うような壮絶な経験もしていない。
俺はカイリューと似ていると思ったとは言え、それはカイリューが大人向けの本だとしたら、俺はそれを分かり易く、綺麗な部分しか見せていない絵本のようなものだった。
そんな俺が引っ張っても良いのだろうか。
前を向いて生きてみろよと、カイリューを無理矢理引っ張っても良いのだろうか。
……いや、資格の有る無しではない、か?
悩んでも、正答のあるものでもなかった。
こういう時、悩んでしまう自分である事に多少なりとも後悔を感じる。直感で動ける人間だったらいいのに。
……決める、か。
「ここに居るばっかりじゃ色々不便だからな」
耳は傾けているものの、カイリューはぼうっとしたままだった。
そんなカイリューに俺はハイパーボールを取り出して、軽く下から投げた。
カイリューは出会った時と同じように、半ば反射的にそれを掴んだ。ボールはその時と同じく、見事に反応していない。
そんな動きを見ると、トレーナー達……それも沢山が執拗に追って来るのに捕まらないように、身に備えざるを得なかった特技のように思えた。
カイリューはそのボールをまじまじと眺めてから俺にそれを返して立ち上り、そして俺を見つめて来た。
初めて出会った時と、とても似ている。
しかしここに車は無く、勿論ルーフに乗る事も無い。そして俺の前に立ち、俺を見つめて来るカイリューは身振りも手振りもしなかったが、もう一度投げて来いと言っているように感じられた。
付き合ってやるよ、と言った仕方なく、みたいな事なのかもしれないが。俺はもう一度、返されたボールを投げた。
するとカイリューは今度は何も抵抗せず、ボールに入った。ボールは震える事もなく、カチッ、とゲットした事を示す音を鳴らした。
拾い上げ、出して、言った。
「帰るか」
言うと、カイリューはゆっくりと頷いた。それからもう一度カイリューをボールに入れて焚火を踏み消し、ウインディに乗る。
「ありがとな」
ウインディは答える事無く走り出した。
小山を抜けると、早速街灯が見えた。
家まで戻って来ると、懐かしい青い光が見えた。
恐怖を覚えもする、その炎。スマホの電源を消したままなのを今更思い出した。
「ウインディ……」
ウインディの足も止まった。
その炎はシャンデラが魂を燃やして出しているものだと言う。そしてそれに焼かれたら、永遠にこの世を彷徨うとか言われている恐ろしいポケモン。
事実かどうかは、そうでないと思いたいが、事実らしいのが更に困る。
同じ炎タイプのウインディでさえ恐れる程だ。
妻は俺を見止めると、肩を怒らせて歩いて来た。隣にはムシャーナも居た。
「何で電話切るの。どれだけ心配と思ってるの」
「いや……」
言い淀んでいると、はぁ、と妻は一息吐いてからまた言った。
「無事だった事は良かったわ。で、どうなったの?」
多少言い辛い事だが、きっと話さないと家にも入れないだろう。
単刀直入に言う事にした。
「カイリューは、トルネロスとボルトロスを殺した。トルネロスとボルトロスは光になって消えた。カイリューは俺の手持ちになった」
沈黙が、流れた。
「……はぁ?」
「詳しくは、後で話すよ」
「殺したって何よ」
「伝説のポケモンは生き返るらしいぞ」
「知ってるけど、それは仮説でしょうよ」
「実証されたようなもんだ。それに、な。子供を面白半分に殺す様な伝説だし、今回どれだけの被害が出たんだ? ちゃんとは知らんが、かなり出ただろ」
「う……」
人も少なからず死んだだろうし。
「……それにまあ俺も、お前と話したい事がある。
取り敢えず、中に入ろう。腹も減った」
「分かりました、よ」
シャンデラの炎が燃え盛らなかった事に内心ほっとしつつ、ふと、思い出した。
掃除を余りしてない家の中。特にウインディの毛だらけになっているベッド。俺は青褪めた。
*****
卵が動いていた。
その目の前に居るカイリューはそわそわとしている。その顔は、少し複雑そうでもあった。
やっぱり、思う所はあるのだろう。
リュウラセンの塔に見舞いに行った時も、カイリューの気分は重いままだった。まあ、その時にハクリューを連れていたトレーナーとまた会って、そのハクリューがカイリューに進化して、新しい番になった訳だが。
俺は特別な事などは何も言わなかった。引っ張ると言っても、やった事は連れ回しただけだ。ココドラも一緒に。
仕事の時も休みの時も、ボールから出して連れて歩いた。
バトルもしたし、釣りもしたし、色んな物も食った。ココドラもコドラに進化して、今ではカイリューでも持ち上げるのが辛い程の重さになっていた。
玉鋼を食わせると、今までにない光悦とした表情になっていたのは忘れられない。
俺も、妻と仲直りした。やっとの事だ。それに連れてウインディがベッドで寝る事も無くなった。その後家具屋に行ったら、ふかふかのでかいクッションに陣取られた挙句毛塗れにされて、買う羽目になったが。
こいつは甘やかすと本当に碌な事が無い。
それと結局、原因となった事に対しては、子供には十分に大きくなってから、両方の主義主張を聞かせて自由にさせよう、という事になった。
たった一つの、カイリューに比べれば些細過ぎる事で俺と妻は止まっていた。そしてヨリを戻せたのも、今となってはカイリューのお陰かもしれないと思う。
そんな色んな物事と共に過ごしていくに連れて、カイリューはゆっくりと気力を取り戻していったように見えた。
子を喪った傷跡は残ったままであれど、顔も段々と活力のあるものになっていき、日々の出来事を楽しむようになっていった。
時間が解決してくれる。結局の所、そんなドラマで言われるような事は、現実ではまず起きない事もあれば、起きやすい事もあったりもする。
ウインディも、この頃休みの日は勝手にどこかへ行っている。帰って来る時の寂しそうでも満足気な顔からするに、どこかで逢瀬でもしてるんじゃないかと思う。
今もここには居ない。そのどこかで多分、とても、とても楽しい時を過ごしているのだと思う。
コドラは今も食っちゃ寝ばかりだ。日向で鋼の体を艶めかせながら、親から貰ったオーブを大切にしながら、今も良い顔で寝ている。
カイリューが空を眺めて緊張を解し始めた時、卵が激しく動き始めた。
ぴき、ぴき、と殻に皹が入り、強く割れて行く。そしてぽっかりと穴が開くと、中からミニリュウが顔を出した。
カイリューは少しだけ固まっていたが、何かを決めたような顔でミニリュウを持ち上げ、顔を近付けた。
その顔は、吹っ切れていた。
陰は僅かにあるが、前を向いた、今まで以上にとても快活な顔だった。
設定:
カイリュー Lv85 ♂ さみしがり
はかいこうせん たたきつける しんそく ?
ウインディ Lv47 ♂ のうてんき
しんそく インファイト ? ?
ココドラ Lv8 → コドラ Lv28 ♂ ずぶとい
がむしゃら ? ? ?
持ち物:オーブ(ポケダン空のポケモン固有の持ち物。何故ポケダンのアイテムを持っていたのかとか、そういう深い事は考えてない)
でかい作品を書いた後は活動報告書くのが習慣になりつつあるんですけど、
今は自分が今まで書いてきたポケモン二次小説を改稿して投稿しているところで、これもその一つです。
なので、活動報告書く時はそれら全部を投稿した後に全体的な所感を書き連ねる形になるかと。
正直ここまで行くとは思ってなかったのですが、沢山の人に読んで頂けてとても嬉しかったです。
読んで下さってありがとうございました。感想、評価など頂けるととても喜びます。