仮面ライダーアズール スピンオフ・アプリ   作:正気山脈

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これは、仮面ライダーアズールが誕生するよりも前に戦っていた、独りの戦士の物語であり――
とある怪物の物語である


EP.00(エピソード・ゼロ)
CODE:Revolve[孤高の戦士(前編)]


 ――三年前。

 夜闇に閉ざされた、降りしきる雨の下。

 一人の青年が、銃のマークが描かれた一枚の灰色のプレートとメタリックグレーカラーのスマートフォンのようなデバイスを片手に持ち、腹には同じくメタリックグレーのベルトのようなものを巻いて、ある一点を見つめて道路の上に立っていた。

 視線の先にいるのは、歪んだシルエット。二本足で立つ人間のように見えるが、それにしてはどこか違和感のある姿。

 突如、稲光が天を裂く。その瞬間、影は鮮明な形となった。

 それは、真夜中に遠目で見れば人に似てはいるものの、人間ではなかった。腕には翼が生え、頭部は羽毛がなく赤みがかっており、嘴が生えている。脚も、鳥の蹴爪のようになっていた。

 その姿は、まるでハゲワシかハゲタカのようだ。

 青年はそのハゲタカ人間に対して、殺意と怒りに満ちた視線を送っている。まるで、その眼だけで相手を殺そうとしているかのような気迫だ。

 

「テメェらだけは許さねェ……」

 

 怒りの籠もった声のまま、青年がプレートについたスイッチを起動する。

 すると、そのプレートから無機質な電子音声が流れ始めた。

 

《アーキタイプ・マテリアル……GUN(ガン)!》

 

 その音声が流れると同時に、青年はベルトのバックルにあるスロットへと、静かにそのプレートを装填した。

 今度は、ベルトの方から同じように音声が流れる。

 

《ビギニング・トゥ・ラン! ビギニング・トゥ・ラン!》

 

 変化はそれだけでは終わらず、青年の眼前にガンメタルグレーカラーのキューブのようなものが漂い始めた。

 キューブの表面には銃器のようなマークがついており、青年を護るようにして周囲をクルクルと回っている。

 

「変……身!」

HEN-SHIN(ヘンシン)! マテリアライド!》

 

 青年は半ば叩きつけるように、スマートフォンに酷似したデバイスをかざした。

 

GUN(ガン)・メイル! マスクド・アームズ、インストール!》

 

 瞬間、青年の全身が赤色のパワードスーツに包み込まれ、さらにキューブが展開して装甲に変化し、スーツをプロテクトする。

 そして、その左手にはキューブから飛び出した、黒いハンドガンが握られていた。

 青年が変化したその姿を見て、ハゲタカの怪人は嘲るように鳴き声を発した。

 一方、青年の怒りに満ちた眼差しは、仮面越しでもなお威圧感を醸し出している。

 

「デジブレインは……」

 

 一歩、水溜まりのできた路面に踏み込む青年。

 怒りに震える声を「デジブレインは!!」と先程よりも大きくし、その脚でさらに大きく踏み出した。

 

「データの塵ひとつ残さず、この俺がァッ!! ブッ潰す!!」

「クゥルオオオーンッ!」

「覚悟しやがれ!! オォラァァァッ!!」

 

 変身した青年は雄叫びを上げると共に、ハゲタカの怪人へと真っ直ぐに突き進み、右拳を振り上げた。

 ハゲタカの怪人は翼を大きく拡げ、握り拳を作って彼を迎え撃つ。

 両者の拳がぶつかり合う音が、雨に濡れた道路に響き渡った。

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 シズマテクノロジーが主導し、様々な企業を傘下に納めて取り込み続けた巨大企業、Z.E.U.Sグループ。

 そのZ.E.U.Sが本拠地として構え、繁栄を続けてきた来た大都市、それが帝久乃市だ。

 市内に存在する帝久乃大学に在籍する者は、大抵がこのZ.E.U.Sへの就職を目指している。

 

「くあァ……」

 

 駅前にある大鷲のモニュメントの下で欠伸をしている灰色の髪の青年も、その大学生の一人だ。

 名は静間 鷹弘(シズマ タカヒロ)。左胸と背中に拳銃がプリントされた赤いTシャツにオリーブグリーンのパンツ、そして茶色いブーツといった装いで、黒色の薄い上着を腰巻きにしている。

 Z.E.U.Sグループの会長兼CEO、静間 鷲我(シズマ シュウガ)の一人息子である彼は、大学での社会勉強を経ての入社を目指しているのだ。

 その彼が今、何をしているのかと言うと……。

 

「静間くんお待たせ!」

「おう、滝」

 

 モニュメントの前で立っていた鷹弘が振り向くと、そこには同じ年代の女性が鷹弘の方へと歩いていた。

 茶色い髪で、ローズピンクカラーのワンピースの上から白い上着を羽織り、さらに白いパンプスシューズを履いている。

 彼女は滝 陽子(タキ ヨウコ)。鷹弘と同じ帝久乃大学の生徒であり、二人は同じ射撃部に所属する友人である。

 ちなみにこの射撃部、銃器の所持条件の問題もあって、かつては日本国内のどの学校でも部活として認められない存在であったが、eスポーツとして射撃競技が台頭してからは一転して注目され人気が出始めた。

 

「珍しいね、一緒に出かけようなんて」

 

 どこか嬉しそうに、陽子は言った。すると鷹弘は眉をしかめて「そうか?」と訊ね、二人で並んで歩き始める。

 

「だって、静間くんって部活以外はいっつも勉強とか研究ばっかりじゃない? 図書室に籠もってたりとか」

「Z.E.U.Sの科学者志望なモンでね……だからたまにはどっかで息抜きもしてェんだ、俺だって」

「なるほどねー。でも、私に声かけてくれるとは思わなかったなー」

 

 からかうように笑う陽子。鷹弘は小さく首を傾げて、意図を問う。

 

「だって結構マジメそうっていうか、女の子と遊び歩くタイプに見えないし?」

「まぁ堅物ではあるかもな。言われてみりゃ女子と遊んだ事もねェや、どこ行くよ?」

 

 じっと自分を見つめる陽子から視線を逸らしつつ、頬を掻きながら鷹弘は答える。

 すると陽子はまたくすくすと笑い、ぴょんとステップして鷹弘の前に回り込む。

 

「じゃ、今回は私が静間くんに女子との遊び方をレクチャーしてあげよう! これであなたもリア充になれーる!」

「なんだそりゃ」

 

 半ば呆れたように笑いながら、鷹弘は言った。陽子もそれにつられて微笑みつつ、鷹弘を先導する。

 

「ところでどうして私なの? 同じ部にも他に女子いるのに」

「それは……何だって良いだろ」

 

 鷹弘は再び空に視線を泳がせ、頬を僅かに紅潮させる。

 その様子を見た陽子は楽しそうに薄い唇を釣り上げ、軽い足取りで彼の前を歩くのだった。

 

※ ※ ※ ※ ※

 

「ですから会長! 何度も申し上げているじゃないですか!」

 

 Z.E.U.Sグループの本社ビル、そこに備えられた秘密の地下研究施設の執務室にて。

 頭の禿げ上がった臙脂色のスーツ姿の男が、机を叩いて目の前にいる会長と呼ばれた男に呼びかける。

 この臙脂のスーツの男の名は近取 疾拓(コンドル トシヒラ)。Z.E.U.Sの社員であり、この地下施設でとある研究に没頭している研究者だ。

 

「会長の提唱する新方式の改造手術よりも、今の方が圧倒的にカタルシスエナジーの出力が大きいんです! なぜわざわざ兵士の質を落とす手法を採る必要が!?」

 

 疾拓が熱弁する一方、会長と呼ばれた清潔な白いラボコートの男は静かに目を閉じ、首を横に振った。

 その男こそZ.E.U.Sグループの会長、静間 鷲我だ。彼は疾拓に対し、毅然とした態度で応対する。

 

「近取君。君こそ、いい加減その兵士という呼び方を改めたまえ。被験者は兵隊になるのではない、人類を守る戦士……『仮面ライダー』になるのだ」

「そんな事はどうだっていいでしょう!? 今の問題は……」

「君の言い分も理解はできる。確かに勝つためならエナジーの出力が大きいに越した事はないだろう」

 

 言った後で、鷲我は「だが」と付け加えた。

 

「それでは負荷が強すぎる、変身者が危険だ。彼らは生身の人間であって機械ではない。壊れたら取り返しがつかないんだ、安全に配慮すべきだ」

「では会長がかつて選定したご友人、あの前任者はどうなんです? 彼は今の方式でしっかりあの力を操ったそうではないですか」

「あれは……彼が特別なだけだ」

 

 鷲我はそう言った後に首を横に振り、それでもなお食い下がる疾拓に対し「とにかく!」と語気を強めて反論する。

 

「当時の改造手術は緊急性の高い状況だったから採用したまでだ、変身者にかかる負担を考えれば現行の方式は認められない。慎重になった方が良い」

「……では会長。変身者自身が負担を考慮した上で、現行の手術を受けるのならば、如何です?」

 

 意図が読めず、鷲我は目を細めた。

 するとそれを食いついたのだと勘違いした疾拓は、嬉々として妙案を口にする。

 

「志願者を募るのですよ! 危険を承知で飛び込んでくる勇敢な者を! まさに会長お望みのヒーローじゃないですか、んんー我ながら素晴らしい案だ!」

「……それは本気で言っているのかね? 安全な方法があるというのにそちらを選ばせると?」

「しかしその方が強くなるのですよ? 会長が提唱する方法よりも。ならば、命を捨てても良いという志願者を募ってみようじゃないですか! どうせ自分から死んで良いという人間なんだ、それなら構わないでしょう!?」

「君は科学者として狂っているよ」

 

 眉間を指で押さえ、鷲我は疲れた顔で疾拓を睨め付ける。

 そして蚊でも払うかのように手を振り、彼に対し「もう退室してくれ」と促した。

 すると疾拓は茹で蛸の如く顔を真っ赤にして、机をバンッと叩く。

 

「私は現行の手術でやらせて貰いますからね!!」

 

 そう言い残して、疾拓は大股で歩いて退室した。

 彼の後ろ姿を見送って、鷲我は深く溜め息を吐き、椅子にもたれかかる。

 

「ヤツらを倒すためとはいえ……先頭に立って戦えない我々が、流石に手術の段階で命を落とさせるワケには行かんのだよ。これはそもそも私の問題なのだから」

 

 指を組み、机に肘を乗せる鷲我。天井を見上げ、ポツリと一言呟いた。

 

(タダシ)……君はこんな私を笑うかな?」

 

 

 

「まったく、あれだけの技術力と財力があるというのに。会長の弱気には困ったものだ」

 

 社内のトイレの中で、疾拓はひとりごちる。

 便器の前から去って手を洗っている途中でも、まだブツブツと文句を垂れ流していた。

 

「トップが無能では技術も会社も腐るだけだ、ならばいっそこの私が……」

 

 こう愚痴を垂れ流している疾拓だが、実は彼が現行の手術というものに拘るのには理由があった。

 それも――意地汚い欲に塗れた、身勝手な野望が。

 

「これが醜い嫉妬から生まれたものだとしても、証明してやる。私の優秀さと正しさを」

 

 トイレから出て行く疾拓。その後彼は静かに、人目を避けて一階の駐車場へと歩いていく。

 そして運転手がおらず誰も使ってさえいないトレーラーに近付き、荷台を開いた。中にはテレビが山のように置いてあるのみだ。

 誰も見ていない事、そして尾行者がいない事を確認して、疾拓は荷台へ滑り込む。

 すると、先程覗き見た時はテレビしかなかったはずの、そもそも荷台の中だったはずの場所が、全く別の空間に変わっていた。

 まるで高級なホテルの中のような、豪奢な装飾の絨毯やソファーやベッド、大型テレビが設置された場所になっているのだ。

 

「……そろそろ時間のはずだが」

 

 右腕に着けた、宝石で装飾された豪華な金時計を見ながら、ソファーに座った疾拓が言う。

 すると。

 

「いやぁ失礼、お待たせ致しました」

 

 突然背後からそんなよく通る声が聞こえ、驚いて疾拓が振り返る。

 そこにいたのは、ダークブルーの礼服と白いワイシャツを纏っている紳士だ。両手には白い手袋、首にはマラカイトグリーンのリボンタイが巻かれ、タイの結び目は孔雀の羽根を模したブローチが付いている。

 彼の顔の上半分は孔雀の羽根飾りが付いた紫色のマスクで覆われており、口元には優しく柔和な笑みを浮かべている。

 その姿を見るなり、疾拓は咳払いをして腕を組む。

 

「プロデューサーくん、だったか。私も今来たばかりだ」

「そうですか、それは良かった」

「それよりも本題だ。例の件、よろしく頼むよ」

「えぇえぇ、勿論ですとも。あなたをCytuberに加える……そしてその見返りとして、あなたが私に最新の兵器を提供する、という事でしたね」

 

 ニヤリと疾拓が笑う。

 彼の野望。それは、Z.E.U.Sで培った技術を利用して最新の兵器として売出し、軍需関係にもシェアを伸ばそうというもの。

 そして、行く行くは自分がZ.E.U.Sの全権を握る。兵器をバラまき、人々の心を掌握する。

 表社会も裏社会も、疾拓が牛耳ろうというのだ。

 

「Cytuberの定員は666人です、既に600人以上が加わっていますが……」

「頼むよ。私は必ず役に立つ! 是非とも、その666人の中に私を入れてくれ! そして私の願いを叶えてくれ! あの会社に相応しいのはこの私だ!」

「ふむ」

 

 疾拓が熱弁を振るうと、プロデューサーと呼ばれた男はパチンと指を弾く。

 

「まずは、あなた方の力とやらを見せて頂きましょうか」

 

※ ※ ※ ※ ※

 

「えっ!? 静間くんのお父さんって、Z.E.U.Sの会長なの!?」

「あぁ、まぁな」

 

 同じ頃。喫茶店に来た鷹弘と陽子は、二人で向かい合って席に座り、タピオカミルクティーを飲みながら世間話をしていた。

 今は陽子が鷹弘の家族構成について訊ね、彼女が驚いているところだ。

 

「へぇ~……あーでも、確かに苗字同じだね」

「何気にその話で驚かれたの初めてだな」

「え、そうなの?」

「親父がそれだけ有名人なんだろ……俺より、滝の親父さんは? 何してる人なんだ?」

 

 興味深そうに鷹弘が訊ね返すと、陽子は遠い目をしながら微笑み、その問いに答える。

 

「医者だよ、開業医だけどね」

「立派な仕事だ」

「ふふ、そうね。でもお父さんってばなんていうか……江戸っ子気質っていうのかな。お薬をちゃんと飲まなかったら『てやんでぇー!』とか言ってお客さん相手に怒鳴ったりするの」

「面白い人だなそれ」

 

 フッと笑って鷹弘は言う。陽子も笑って、その言葉に同調した。

 しかし、その眼には薄く涙が見える。それに気付いた鷹弘は、驚いて硬直していた。

 

「でもね、私が昔医者になりたいって言ったら、ものすごい勢いで反対されたの。『お前には無理だ』ってさ」

「そりゃまた、なんでだよ?」

「私には兄弟がいるんだけど、多分私よりお兄ちゃんに継がせたかったんじゃないかな」

「……そういうモンか?」

 

 鷹弘には良く分からない話だった。そもそも、彼に兄弟はいないのだ。

 ただ、陽子がなりたいと言ったものに対して厳しく反対したのには、どうにも納得しかねるものがあった。

 そこで鷹弘は、ひとつの質問を陽子に投げかける。

 

「まだ医者になりたいのか?」

「うぅん、今はそんな事ないよ。人の命を預かる仕事には確かに憧れるけど……やっぱり大変そうだからねー、Z.E.U.Sでお仕事したいなって。医療機器メーカーとか興味あるの」

「そうか。まァ、別の道見つけてんならそれがいいのかもな」

 

 タピオカミルクティーのタピオカを吸うのに難儀しながら、鷹弘は更に続ける。

 

「医者の世界ってのも結構厳しいらしいからな。親父さん、お前がそこで生きて行けないかも知れないと思ったんじゃねェか?」

「え?」

「だから、ワザと突き放したような言い方したんじゃねェかな。そこで諦めても、諦めなくても、お前にとって良い方に転べば良いと思って」

 

 底にへばり付いて詰まったタピオカをストローで突き、鷹弘は言った。

 そして呆けて自分を見ている陽子に、さらに「いや、なんとなくそう思っただけだから分かんねェけどよ」と付け加える。

 すると陽子は微笑み、そんな彼に小さく「ありがと」と言った。

 

「なんか話聞いて貰ったらスッキリしちゃった。ずっと心に引っ掛かってて」

「……納得したのか?」

「うん、本当にそうかは私にも分かんないけど……言われて見たら、お父さんそんなところあるからね」

「そうか」

「静間くんって結構、お父さんに似てるのかも」

「なんだそりゃ? 俺は江戸っ子じゃねェぞ」

 

 鷹弘がマジメな顔をしてそう答えたので、陽子は思わず噴き出してしまった。

 その顔を見て鷹弘も笑い、二人でひとしきり笑い合った後、次の目的地を決める。

 

「どうしよっか、私はちょっとバイク見たいんだけど」

「……それ、本当に女子の遊び場なのか?」

「ううん、私の趣味」

「あぁうん……まぁ別に良いけどよ。ダーツとか行かねェか? 店知ってんだ」

「お、流石射撃部のエース! 良いねー、それじゃそのお店に行ってみようか!」

 

 二人は立ち上がり、目的の場所へ向かう事にする。

 店の場所は鷹弘が知っているため、今度は鷹弘が先導する事になるが、陽子は突然隣に立ったかと思うと彼の右手を握って歩き始めた。

 

「お、おい?」

 

 思わぬ出来事に鷹弘も狼狽する。すると、陽子は僅かに上目遣いになりながら「ダメだった?」と訊ねた。

 鷹弘は何も言えず、視線を逸らして左手で頭を掻くと「好きにしろ」とぶっきらぼうに返した。

 その頬は僅かに紅潮している。それを見た陽子はイタズラっぽく笑い、鷹弘の案内に従って歩くのであった。

 

「ところで、なんて店に行くの?」

「ビリヤード&ダーツの『Seagull(シー・ガル)』だ。夜はBARもやってるらしい」

「へぇー……日本語でカモメかぁ」

 

 N(ネイバー)-フォンで言葉の意味を検索した陽子が言った。

 そんな会話をしながら並んで歩いていると、ふと鷹弘はあるものが目に入り、足を止める。

 彼の様子を訝しんで、陽子は「どうかした?」と声をかけた。

 

「いや、アレ何だ?」

「アレ?」

 

 鷹弘が指し示しているのは、路地裏のゴミ箱の上にぽつんと放置してあるノートパソコンだ。

 電源は切れており、型が旧く汚れと傷が目立つが、まだ使えるようだ。

 誰かが捨てて行ったのか、と小さく呟き、不審に思いながらも鷹弘がそれに近付く。陽子も気になるようで、後ろから追従した。

 だが、その時だった。

 

「……?」

 

 突然そのノートパソコンが点灯したかと思うと、周囲の風景が水面に広がる波紋のように歪み始め、その歪みの中から無数の腕が伸び出て来た。

 それを目撃した鷹弘と陽子は、当然絶句する。しかし驚く間もなく、今度は腕だけではなく頭、続いて胴体と徐々に人の形をした何かが無数に這って現れ始めたではないか。

 その何かは目も鼻も口も耳もなく、ただ顔面や肩・肘・膝などに白い装甲だけが張り付いているという、まるでのっぺらぼうのような姿をしている。

 鷹弘たちは、今自分たちの目の前で何が起きているのか、まるで理解が追いつかなかった。

 

「なんだ、これ……」

「な、なんなの……何が起こってるの!?」

 

 鷹弘は比較的平静を保っているが、陽子はあまりの出来事に完全に恐慌状態になっている。

 そうして我を失った陽子の足元まで、数体の白い顔の奇妙な怪人が這って迫り、彼女の足首を掴んでいた。

 鷹弘はそれに気付くと、すぐさま足を振り上げてその怪人を狙う。

 

「この野郎、離れろ!」

 

 狙った通り、怪人の顔面に鷹弘の靴底が命中した。

 だが不思議な事に、鷹弘にはその感触が一切伝わって来なかった。攻撃は確実に当たったというのに、触れた気がしなかったのだ。

 しかも、当の怪人も何事も起きなかったかのように、再び陽子に迫っている。

 

「なんだ……!?」

 

 今度は顔面を殴りつける。だが、それも通じなかった。

 さらに、鷹弘の背中にも同じ姿の怪人が張り付いて、首を掴んでいる。

 

「うっ!? 何しやが……」

 

 瞬間、鷹弘は全身の力が抜け、自分の意識が徐々に薄くなっていくのを感じた。

 陽子も同じ状況のようで、地面に膝をついて虚空を見上げている。その眼からは生気が失われつつあった。

 こんなワケの分からない状況で、何が起きたのかも知らないままで、自分たちは死ぬのか。

 薄れていく意識の中、鷹弘がそんな事を思った、その時だった。

 突如として銃声が響いたかと思うと、自分の首を掴んでいた白い怪人が吹き飛ばされ、地面を転がった。

 

「!? ゲホッ、ゴホッ!」

 

 首を押さえ、鷹弘は咳き込む。そして陽子の方へ駆け寄り、再び彼女の救助に動く。

 彼女を苦しめていた怪人も、いつの間にか倒れていた。陽子は鷹弘に助け起こされ、安堵の息を吐く。

 一体何が起こったのか。鷹弘と陽子は、銃声の聞こえた方を振り返った。

 すると、彼らの背後には灰色の銃器のようなものを持った数名の男女が集合しており、その先頭には同じく銃を持つ男が立っている。

 灰色のジャケットの下に白のワイシャツを着込んだ清潔感を感じさせる20代の男で、黒い髪を短く切り、銀縁の眼鏡をかけている。

 その集団は全員で銃を一斉に放ち、白い怪人たちを瞬く間に倒してしまった。

 

「やぁ、大丈夫だったかい?」

 

 フレンドリーな態度で、その眼鏡の男は言った。

 状況が上手く飲み込めず、陽子を守るように前に出て鷹弘は「あんたらは……?」と訊ねる。男は驚く二人の前で、微笑みながら名乗った。

 

「僕の名前は御種 文彦(ミタネ フミヒコ)。正義の味方、ってところかな」

「え?」

「まぁとにかく、本当に危ないところだったね。偶然通りかかってなかったら今頃君たちは『デジブレイン』に……」

 

 鷹弘たちにとって聞き慣れない単語を口にした直後に「おっと」と言って口を手で押さえつつ、文彦と名乗った男はウィンクして再び微笑んだ。

 

「とにかく、無事で何よりだよ」

「あんた、あの怪人について何か知ってるのか?」

「それはその、あまり突っ込まないでもらえると……っていうか君どっかで見た顔だな……」

 

 微笑みが引きつり始め、たじろぎながら文彦が答えに迷ったり話題を変えようとしていると、パトカーのサイレンが鳴り響いて警官が到着する。

 そして一人の男が、警官たちに指示を飛ばしながら近づいて来る。

 髭を顎と口周りに伸ばしている、白髪交じりの50代の男性刑事だ。ヨレヨレの派手な赤いアロハシャツの上に、薄汚れた黒っぽい革ジャンを羽織っており、どこかだらしない雰囲気だ。

 その中年の男を見るなり、文彦は助けが来たとでも言うように喜びの声を上げて呼びかける。

 

「刑事! 安藤 宗仁(アンドウ ムネヒト)刑事!」

「よう文彦。どうした」

「彼ら一般人なんで、安全なところに誘導をお願いします!」

 

 言われて、鷹弘と陽子は顔を見合わせてから、文彦に向かって「はぁ!?」と驚愕の声を放った。

 

「ちょ、ちょっと待て! ちゃんと説明してくれよ!?」

「アハハハハ、いやぁごめんね。悪いけど立場上そういうワケにも行かないからさ」

「そんな!?」

 

 鷹弘の追求も跳ね除け、文彦は「さー帰った帰った」と、それ以上の干渉を防ごうとする。

 しかし、助けを求めた相手である刑事の方は、鷹弘の顔をじっと見つめて唸っている。

 

「安藤刑事? どうされました?」

「なぁ文彦。この坊主、ひょっとして鷲我のトコのガキじゃねぇのか?」

「……へっ?」

 

 文彦の眼鏡がズレ、目が点になる。鷹弘も目を丸くしつつ、その言葉に頷いた。

 

「静間 鷲我の事を言ってるんだったら、俺は息子ッスけど」

「……えええええーっ!?」

 

 銃声にも負けない声量の絶叫が、その場に響き渡った。

 

 

 

 その二時間後、Z.E.U.Sグループ本社ビルの地下研究施設にて。

 執務に没頭している鷲我の部屋の扉に、ノックの音が鳴った。

 鷲我は扉に目もやらず、ただ「どうぞ」とだけ言う。すると勢い良く扉が開かれ、思わぬ人物が入り込んできた。

 

「親父! これはどういう事だ!?」

「鷹弘!?」

 

 憤った様子で入って来たのは、鷲我の一人息子の鷹弘だ。

 何故この場所を彼が知っているのか。鷲我自身が話した事もなかったので、見当もつかない。

 しかも、その背後には鷹弘と同年代の、女子大生と思われる人物もいる。射撃部仲間の滝 陽子だ。

 

「デジブレインの事も、この『ホメオスタシス』って組織の事も! 精神失調症も、神隠しもだ! 全部聞いたぞ! なんで俺に隠してたんだ!」

「……」

「黙ってないでなんとか言えよ!」

「……まだZ.E.U.Sの人間でもないお前には関係のない話だ。それよりも、お前はちゃんと平穏無事な大学生活を送っていろ。こんな話に関わる必要はない」

 

 その言葉を聞いて、鷹弘は鷲我の前にある机に向かって歩き、バンッと両手で叩いた。

 流石の鷲我もこれでは無視できず、鷹弘の顔を静かに見上げる。

 

「あの怪物をこの世界に生み出しちまったのは親父だって話も、刑事さんから聞いた。どうして話してくれないんだよ! 親父がひとりで抱える必要ねェだろうが、家族だろ!」

「家族だからこそだ! お前にまでこの重責を背負わせるワケには行かんのだ! これは私の責任でお前は関係ない、口を出すな!」

 

 鷲我は断固として鷹弘の言い分を聞き入れず、さらには退室を促す。

 すると鷹弘は大層落ち込んだ様子で、机から離れて俯きながら扉へ向かった。

 

「じゃあ俺は、親父に対してなんの手助けもしちゃいけねェってのかよ……」

「静間くん……」

 

 鷹弘の背に、心配そうに陽子が寄り添う。そうして二人はそのまま、執務室から去るのであった。

 その後部屋から出て休憩所まで移動した二人は、隣同士に座って息を吐く。

 しばらくお互いに口を開く事はなかったが、沈黙に耐えかねたのか、陽子から鷹弘に話しかける。

 

「なんか……ビックリしちゃった、いきなりあんな話聞かされて」

「俺もだよ。っていうかスマン、折角遊びに行こうって話だったのにな」

「あ、うぅん。静間くんのせいじゃないよ」

 

 話しながら自動販売機を見つけた鷹弘は、冷たいコーヒーを二缶買って陽子に手渡す。

 そうして気持ちを落ち着かせた後で、また口を開いた。

 

「それにしても、人間の感情を喰う怪人か。まさかそんなモンが現実にいるとはな」

「ビックリだよねぇ。しかもZ.E.U.Sがそれに関わってるんだもん」

「その上、それを生んだ張本人は親父だ……一人でずっと抱え込んで、相当堪えてるだろうよ」

「……静間くん、お父さんの事大好きなんだね」

 

 父親の事を心配そうに語る鷹弘に、陽子は微笑みながらそう言った。

 すると照れ臭そうに頬杖をつき、唇を僅かに釣り上げた。

 

「大好きっつーか、まぁ尊敬してんだよ。親父はすげェよ。こんな会社を立ち上げて、その上この世界を守るための組織まで作って……」

「Z.E.U.Sだからできた事、って感じだよね」

「……本当に、俺に何かできねェのかな……」

「そうだね……何かできたらいいんだけど」

 

 重い責務を抱えている鷲我の手助けがしたい鷹弘と、思い悩む鷹弘の力になりたい陽子。

 そんな二人の背中に、突然一人の男の声が投げかけられた。

 

「おや、君は静間会長の御子息の!」

「はい?」

 

 驚いて振り返ると、そこには禿げた頭の臙脂色のスーツ姿の中年男性の姿があった。

 Z.E.U.Sの社員、近取 疾拓だ。鷹弘も顔見知り程度には認識している存在であり、彼の姿を見ると目を丸くしながらも「どうも」と頭を下げる。

 まさか、疾拓もホメオスタシスに関わっているとは思っていなかったのだ。

 

「奇妙なところで会うな。ところで、さっき聞こえてしまったんだが……何か困りごとでもあるのかな?」

 

 優しい笑みを浮かべる疾拓に、鷹弘は「実は」とぽつぽつと今日あった出来事を話し始めた。

 父の犯した罪を、それを贖うために彼が今も戦い続けているのを知った事。そして、彼の力になりたいという事を。

 すると疾拓は、ニッコリと笑みを見せて鷹弘の両肩に手を乗せた。

 

「それなら、是非君に手伝って欲しい案件がある! これはホメオスタシスの、そしてお父上のためにもなる事だ!」

「手伝うって……えっと、何をスか?」

「うむ、よぉくぞ聞いてくれた! 実は、デジブレインに対抗するために我々はある装備を開発しているのだが……それを使うためには、改造手術が必要なのだよ!」

 

 手術、と聞いて陽子は身構える。

 それがどの程度のものなのか概要は明かされていないが、少なくとも良い予感はしない。デジブレインに対抗するという話も含めて、危険な提案に思えた。

 一方鷹弘は、その言葉に心を動かされ始めている。

 

「この手術に志願してくれる者を求めているのだが、これが中々手強くてね……今のところ希望者はゼロだ」

 

 つるつるとした頭を手で擦りながら、疾拓は言う。希望者がいないという話に、鷹弘はより大きく心を揺さぶられた。

 希望者が全くのゼロという事は、つまり自分が志願すれば確実に選ばれるという事。

 ひいては、それが父への手助けに繋がるという事だ。

 

「できる事なら、誰か勇敢な若者に志願して欲しいのだが――」

「やります」

「んん? 今なんと?」

「俺に……やらせて下さい!」

 

 こうして、鷹弘はアプリドライバーを使うための改造手術の被験者に志願するのであった。

 目の前にいる疾拓が胸の内に抱える欲望に、気づく事さえできずに。

 

※ ※ ※ ※ ※

 

「くくく、上手く行った」

 

 自分はなんと幸運な事だろう。

 鷹弘の志願を受け入れた後、また例のトレーラーの荷台の中に入った疾拓は、一人でほくそ笑んでいた。

 疾拓にとって鷹弘がホメオスタシスの存在を知り、侵入して来たのは想定外だったが、嬉しい誤算でもあった。

 彼を改造手術の実験台とし、わざと失敗させ死亡まで追い込めばどうなるだろうか? 当然、鷲我は意気消沈するだろう。しかも後継者まで失うのだ、Z.E.U.Sへのダメージは計り知れないものとなる。

 そしてそのダメージを自分が補い、鷲我を社長の座から転落させる。それこそ、疾拓が鷹弘を勧誘した目的だ。

 

「ま、他の人間でも構わんがね。成功したら……それはそれで、私の有能さが証明されるのみだ」

 

 鷹弘や誰かが犠牲になるかも知れないというのに、さも愉快そうに疾拓は言ってのけた。

 既に彼はZ.E.U.Sへの妄執と欲望に、そして"羨望"に取り憑かれ、人の心を失っているように思えた。

 

「おや、また来たんですねぇ」

 

 そんな疾拓の背後から声をかけたのは、プロデューサーと呼ばれた礼服の男だ。

 疾拓は彼を見ると、大層上機嫌な様子で満面の笑みを見せる。

 

「やぁプロデューサーくん、我々の開発したマテリアガンの威力の程は如何だったかな?」

「まずまずでしょうかねぇ、普通の人間でもベーシック・デジブレインを倒せる程度の威力を持つ兵器を量産しているとは思いませんでしたが」

「そうかそうか、それは良かった。実は吉報がある、この件が上手く行けば……私はホメオスタシスを乗っ取った上で、Cytuberとして活動できるのだ!」

「おやおや……それはそれは」

「どうだね、私は役に立つだろう!? これで万事上手く行けば、その時は……」

 

 ふむ、と考え込んでいる様子のプロデューサー。その彼を急かすように、疾拓は何度も頭を下げる。

 そうしてしばらくの後、ポンと自らの手を叩いたプロデューサーは「そういう事でしたら」とひとつ提案を投げかけた。

 

「もしあなたがホメオスタシスのトップに立てたなら、その時はあなたを特別待遇で迎え入れる事にしましょう」

「本当か!?」

「ええ、二言はありませんよ……そうだ、少し良いですか?」

 

 プロデューサーは疾拓に近付き、N-フォンを出すように指示する。

 訝しみながらも疾拓は彼の言葉に従い、端末を差し出す。プロデューサーはN-フォンを右手で取り、左手でパチンと音を鳴らした。

 その瞬間、N-フォンの画面が妖しい赤色の輝きを帯び始める。何事かと思っていると、プロデューサーは微笑んで画面を見せ、疾拓は大いに驚いた。

 自身のN-フォンの中に、ベーシック・デジブレインが入り込んでいたのだ。

 

「これだけではありませんよ。さぁ、次は右手を」

 

 言われるがまま、疾拓は右手を差し出す。

 すると、プロデューサーは自身の仮面についた孔雀の羽根を一枚毟り取り、その先端で疾拓の右手の人差し指を薄っすらと切りつけた。

 

「うっ!?」

 

 次にプロデューサーも、自身の右手の人差し指を薄く切る。彼の手からは、黒い液体が噴出した。

 そして、地面に滴り落ちるはずの血と液体は宙に浮かんで混ざり合い、球状となってN-フォンの画面の中に吸い込まれてしまった。

 その血を内部のデジブレインが取り込む。

 直後、そのデジブレインの姿に大きな変化が起きた。腕に翼が生えて両脚も鳥の蹴爪のようになり、頭部は赤みのかかった鳥類のそれに変化し、口部には嘴が生える。

 あまりの出来事に、疾拓は恐怖と同時に困惑していた。

 

「これは一体!?」

「あなたの欲望を得て、デジブレインが進化したのですよ。このくらいの事で怯えて貰っては困りますねぇ」

 

 ゴクリ、と疾拓は唾を飲み込む。いつの間にやら切られたはずの指の傷は消え、元通りになっていた。

 疾拓は恐怖していたが、同時に「なんと頼もしい護衛だ」と心強くも思っていた。自分もついにトップに立てるという高揚感が、彼の感覚を麻痺させている。

 

「これで100%、確実に私は会社を乗っ取る事ができるぞ……!」

「……では、ごきげんよう……」

 

 そんな言葉を背に、疾拓はその場を後にするのであった。

 

※ ※ ※ ※ ※

 

「……ねぇ、本当に志願するの?」

 

 ホメオスタシスの地下研究施設から出た陽子は、帰り道まで送るために隣を歩く鷹弘へそう言った。

 鷹弘はキョトンとしながら、その問いに対して強く頷く。

 

「俺が親父の役に立てるかも知れないんだ。だったら、やるっきゃねェだろ」

「絶対危ないよ、改造手術だなんて。正直私は賛成できないよ」

「そうは言うけどよ、そもそもそんなに心配する必要あるか? だって、Z.E.U.Sの最新技術だぞ?」

「……万が一って事もあるかも知れないでしょ!?」

 

 陽子の強い叫び声に、鷹弘は思わずたじろいだ。

 そして自分の行動を少しずつ思い返し、確かに勢いに任せて軽はずみに請け負ってしまったかも知れない、と徐々に後悔し始める。

 

「とはいえ今更取り消すのもなァ……」

 

 それにデジブレインと戦う事そのものは悪い話ではないはずだ。様々な事件を起こして街を乱すような存在である以上、いつ自分が巻き込まれるかも分からない。どの道鷹弘にとっては見過ごせない問題なのだ。

 しかしそう考えつつも、今になって鷹弘は唸り声を発して悩み始める。

 するとそんな二人の前に、見覚えのある風貌の眼鏡をかけた男が姿を現した。

 ホメオスタシスのエージェントの隊長格、御種 文彦だ。

 

「あれ、あんた……」

「おや。鷹弘くん、また会ったね」

 

 文彦は初めて会った時と同じく、にこやかに鷹弘と陽子に声をかける。

 この人になら相談できるかも知れない。そう考えた鷹弘は、彼に開発中の装備と改造手術の件を打ち明けるのであった。

 話を最後まで聞き、文彦は「なるほど」と頷く。

 

「僕がパトロールしてる間にそこまで話が進んでいたのか……」

「知らなかったんスか?」

「いや、その装備と改造手術の件は耳に入っていたけど、既に志願者を募集していたとは聞いてなかったんだ」

「その……御種さんはどうするんスか?」

「僕かい? 当然、志願するよ。命の危険があるとしてもね」

 

 鷹弘と陽子が仰天する。落ち着いた判断のできる人間に見える文彦が、そんなにもあっさりと決めてしまった事が、意外に思えた。

 その視線を受け、文彦は困ったように微笑んだ。

 

「僕だって大した理由があるワケじゃないんだ。ただ、現状の装備にあまり満足してなくてね……欲しいんだよ、もっともっと強い力が」

「どうしてそこまで? 今日だってデジブレインを倒せてたじゃないスか」

「アレは弱い敵だったからさ。けど、もっと強力な相手が出て来た場合……今の装備じゃ確実な勝利を手にする事なんてできない。やるなら100%勝てる戦い方をするべきだ」

 

 そういうものなのか、と鷹弘は呟く。

 まだ迷いは吹っ切れない。戦うために力を欲している文彦を見て、むしろ本当に自分が志願して良いものか、悩みは深みに入ってしまった。

 するとそれを見かねたのか、文彦は優しく笑顔を見せながら、一つの提言をする。

 

「迷いがあるなら、どちらにせよ戦う道を選ばない方が良い。一瞬でも僕らの方に傾けば、きっと後戻りはできなくなるよ」

 

 後戻り、という言葉を聞いて鷹弘は気付いた。

 彼らホメオスタシスはもう、戦う運命を選び取ってしまったため、普通の生活には戻れないのだ。それも、人々の平和を守るためという使命感によって。

 父の手助けがしたい、というだけの軽い気持ちで戦う道に進もうとしていた自分に、どこか恥ずかしくなって、鷹弘は俯いて沈黙してしまう。

 

「戦えない人間を守るのが、ホメオスタシスの仕事だ。僕はそのために……正義の味方になってみせる。それが夢なんだ」

 

 肩に手を乗せて真っ直ぐに向けられたその言葉を受け、鷹弘は顔を上げる。

 決意に満ちた文彦の瞳。それが真っ先に鷹弘の目に入った。

 この強い意志を持つ目なら、信じられる。自分の代わりに戦う道を、そして父の事を任せられる。鷹弘にはそんな気がした。

 

「……そういう事なら、俺はあんたに任せるよ。俺は俺で、戦う以外に力になれる道を探してみる。だから、親父の事をよろしくお願いします」

「ああ! 君たちは安心してくれ!」

 

 そう言って、文彦は颯爽とパトロールに戻った。

 頼りになる彼の背中を見送りながら、鷹弘も陽子も再び帰り道を歩き始める。

 

 ――その翌日、鷹弘と陽子はホメオスタシスの科学者としてアルバイト扱いでこっそりと入社。

 鷲我にはすぐに見抜かれたものの、直接戦場に立たない仕事という点と存外にも優秀な研究者であった点から、叱られはしたがお咎めなしとなった。

 そして、鷹弘が文彦と出会って一週間後。

 ついに改造手術の準備が完了し、その瞬間が訪れるのであった。


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