蟲師『デク』   作:老人X

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 雰囲気作りが難しい。




第3話『常闇を抜けて』

 

 

 樹木の根本で、叫んではならない。

 

 

 棲み着くのは、生けるものばかりに非ず。

 

 

 護れぬのなら――

 

 

 

 

 懐古に咽び、(みず)を溢せ。

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 『偶然』

 

 この言葉は、予測の足りぬ愚者が使うものと、とある男が嘯いた。偶然などない。この世は必然に満ちているのだと。何も知らぬから、そんな言葉を使うという。

 

 知らぬこと自体は、罪ではない。無知とは生物が生まれ持つ素質であるからだ。ただ、その無知を振りかざす、あるいは知覚しないことが罪なのである。知らぬことを知らぬものと知覚し、認めることが出来るのであれば、それは研鑽を積み、いずれは賢者に至れよう。

 

 

「いや、本当に驚いた。こんな場所に来るのは僕ぐらいだと思っていたんだが……」

 

 

 さて、この場におけるふたりは、果たして賢者か愚者か。無表情に近い微笑みを携えて、(かぶり)を上げる片方。癖の強い白髪が揺れ、掴んだ腕をするりと離した。

 

 

「……散々ガン無視決めた挙げ句、勝手に出ていった奴が……今更、俺に何の用だ? あぁ?」

 

 

 それに応じたのは忌々しいとばかりに、吐かれる毒だった。だが、普段の高圧さは影を差している。口調こそ平時を装っているが、いつになく静寂なもの。また、その静寂さは、重圧といった形で相手を威嚇していた。真剣、というのが今の彼に与えられる最適な言葉だろう。

 

 そんな表情をするのには訳があった。彼の幻聴も原因の一角ではあるのだが、それだけではない。彼が、誰よりも優れていたことは、既に説明したことだろう。優秀、故に傲慢。間違いのない事実だ。

 

 そして、同時に責任感が強いのもまた事実。自分を越える者を見ないということは、自身が全ての責を負う必要がある。当人も、そう考えてきた。ヒーローとしての頂点。敗北など論外。常勝の責。全てを自己完結させることが最低条件である、と。結果、他者を傷つけたという事実は容認できない。そのような『汚点』を、自尊心に掛けて許すわけにはいかない。

 

 ……と、思うよう育つはずだったのだろう。

 

 そうは、ならなかった。知ったからだ。この世に、取り返しのつかないことは、あるということを。絶対的に必要であり、意味を為さない贖罪が、あるということを。

 

 爆豪という少年としての心に、深く、根強く、それは残ったのだ。

 

 

「別に用って程でもないな。ただ、山から麓のお前さんが見えたから、寄ってみただけだ」

 

 

 その根源が、他愛もなく笑った。その表情が、肩に課された重責を加速させる。何も気にすることがない、と佇むその姿が余計に。

 

 

「そうかよ、じゃあさっさと消えろ。こっちはテメェに用なんてねぇ」

 

 

 眼も合わせることなく、身を翻した。関わる必要がないと、言い聞かせて。問うべきことはあったはずだ。5年の間で変わった風貌や口調もだが、それらは無視。それ以上に聞き望む答も、意味がないと決めつけた。というより、半ば答えを予想出来るために聞きたくなかった。

 

 

 

 

「ったく、連れないねぇ。5年前までは甲斐甲斐しく、訪問してくれてたってのに」

 

 

 

 

 それを聞いて、動きを止めた。

 

 

 

 どうにも、引っ掛かってしまったのだ。昔、あれだけ無反応だったこの男が、自分からその話題を振ってくるなど、異様としか思えなかった。しかもそれは、我々が普段使う『皮肉』という形で。言葉は脳内を駆け巡り、認識したと同時に口を開いていた。

 

 

「……ハッ。んだよ、漸く恨む気になったってか?」

 

 

 故に、応答する。そこに微々たる喜色があったのは、気のせいだろうか。訝しげな表情を維持しつつも、口角は上がっていた。その様は、まさしく嘲笑。向けた先が、目の前の男なのは、きっと間違いではないはず。けれど、次がれる言葉は、まるで言い聞かせるような口調で紡がれた。

 

 

「テメェの人生を奪った張本人だ。過去と視覚の半分を奪って……さらには変な幻覚まで見るようにさせちまった野郎だもんなぁ? やっとそれらしい自我を引っ提げて来やがったと思ったらそういうことかよ。そうなりゃ当然、恨みたくもなるよなぁ?」

 

 

 不思議と心が軽くなるようだった。次いで、口も軽くなる。遅すぎる男の復讐心を、心から祝福した(わらった)。そして、この問答に意味はある、とも思ってしまった。それならば話が早い。受け入れるべき、環境が整ったのだ。何を迷うことがあるだろうか。

 

 

 

 

「全部だ……全部が、気に入らなかった!!」

 

 

 

 

 言ってしまえ、全て。

 

 

 

 

「グズで、泣き虫で、無個性で……!!」

 

 

 

 

 咎める者など、居るはずもない。

 

 

 

 

「他人に看過するなんざ、100年早ぇクソナードが!!」

 

 

 

 

 なぜなら、それは――。

 

 

 

 

「勝手に『守った』気になって、いなくなってんじゃねぇよ!!」

 

 

 

 

 慟哭と云う、贖いなのだから。

 

 

 

 

「…………恨んじゃいないさ。そんでまあ……その事に関しては、何も言えない」

 

 

 少年は、ばつの悪そうな表情で頬を掻いた。

 

 悲観するような感情はある。だが、それは憂いだ。少年にとって、叫び倒す爆豪の姿は酷く歪んで見えた。そうさせてしまったのは自分だ。分かりきっていた事ではあるが、実際に目の前にすると堪えた。

 

 

「お前さんの言う『過去』ってものを……僕は知らない。あるのは、銀色の何かを見たのと、どうにもならん程に暗い道を、宛もなく歩き続けてたことだけだからな」

 

 

 どかり、と腰を下ろした。背負っていた鞄が、重く地面にのし掛かる。朝露が生地を濡らすが、少年は気にも留めない。鞄から一本の棒の様なものを取り出し、口に咥える。そして、文明の力(ライター)を取り出して、火を着けた。深呼吸するように棒を吸い、煙を吐く。さも、当然のように法に触れるような真似をする姿に爆豪は瞠目した。それに対して「何、依存性も害もないよ」と笑う少年。何となくではあるが、それが事実であると分かってしまうのが爆豪(おさななじみ)として腹立たしい。

 

 

 

 

「話そうじゃないか。『過去』じゃなく『今までの僕』についてとやらをさ」

 

 

 

 

 それからは、全てを語った。

 

 自身が居なくなった5年間を。他の目に見えぬモノの正体を。自意識に芽生えた夢を。

 

 そして、10年前の真相を。

 

 

「『トコヤミ』……という蟲がいる。名に偽りなく、その蟲に呑まれると、常闇に包まれ、自分の居場所が分からなくなる。厄介なことに居場所だけでなく、自分が誰なのか、過去すらも忘れてしまうらしい」

 

 

 物憂げに表情を染める。少年は覚えているからだ。あの場所を。

 

 暗い、のではない。『闇』なのだ。一寸先を見るはおろか、自身が立っているのかすらも分からなくなりそうな『闇』。自分が此処にいる理由も、誰なのかも、分からない。だが、足を止めてしまえば、唯一あるこの体さえ無くなってしまう気がした。それが嫌、というよりはただひたすらに恐ろしかった。怖くて、恐くて、畏くて……だから、歩くしかなかったのだ。

 

 

「けれど、過去に抜け出せた者も、幾ばくか居るらしい。何とか『自分』ってものを思い出せれば、抜け出せるらしい。もしくは、自身に新しい名を見出だせれば、或いは――と」

 

 

 流すような視線に、爆豪は察する。無論、その先を言わずとも、彼にも理由は分かる。目の前に、その解答(こたえ)がいるのだから、これ以上明白なことはない。

 

 

「……で、テメェは後者ってクチか?」

 

「なんでそう思う?」

 

「テメェの状況が既に証明してんだろ。舐めんなクソが」

 

 

 矛盾。そして、明らかな代償。少年は、持ち得ていた記憶を失って帰って来た。記憶の想起が解放の道理であるのに、全てを忘却している少年。前者であるならば、些か話の具合が悪いというものだ。改めて考えれば、当然の疑念であるといえるが、それを聞きながら理解できる辺り、爆豪の聡明さが光るのを感じる。

 

 

「うん。まあ、正解。僕はあの空間を抜け出すために、新たな名を見出だした。けど、意図的に出来た訳じゃない。偶然にも、そうなっただけさ」

 

 

 全部、偶然だ。と、言いながら頬を掻く少年。

 

 

「その結果、何もかも忘れちまった。『それまで』の存在を食われたらしい。そして、気が付けば闇は晴れていて、沼の前で倒れてたってわけだ……これで、全部話したぜ」

 

「……まだ、あんだろ」

 

「んー……? あぁ、そうか。『見た目(コレ)』についてか」

 

 

 トントンと自分の髪を指差すように叩く爆豪に促され、合点がいった。

 

 確かに説明不足ではあるが、どちらかと言えば、コレは副産物に近い。トコヤミに呑まれた時点で少なからず、こうなることはやむを得ないのだ。

 

 

「トコヤミと共生する蟲がいるのさ。名は、銀蠱(ギンコ)。明け方には銀色に輝きを放ち、その光を浴び続けると生き物はトコヤミと化しちまう。その前兆として、それらの生き物は色素が薄くなり、緑眼化した上に片方を失うんだ。俺はソイツの光を間近に受けたから、こんな風になったらしい。見た目は……そう、山椒魚(さんしょううお)(なまず)の中間のような感じ、だったかねぇ?」

 

 

 懐かしむ。そんな感情が表情から溢れた。少年はまるで実際に見たかのように語る。いや、実際に見たのだろう。爆豪からすればその表情が心底理解できない。自身の記憶を奪った相手を知っているはずなのだ。だのに、何故そうも他人事のように済ませられるのか。

 

 

「相手は蟲。分かりやすく言えば、まあ個性みたいなもんさ。個性を扱う『人間』には罪があるかもしれん。だが、起きた超常自体に罪はないだろう? 蟲はその超常単体で成り立ってる存在なんだ。ほら、怒ったところで仕方がないんじゃないか?」

 

「……ッ!?」

 

 

 苦虫を噛み潰したが如く顔をしかめた。まさか、少年の過去の焼き増しで社会風刺されるとは思っても見ない。伝えたのが無個性の少年だったからこそ、呪うような皮肉に聞こえたし、誰が言うよりも説得力があった。

 

 そして、誰よりも個性を欲していた少年からそんな諦感めいた台詞が飛び出してくるとは露程も思っていなかった。

 

 だが、少年の次の言葉で、爆豪は彼を理解することとなる。

 

 

 

 

「ま、そんな蟲にどうしようもなく惹かれてな。『蟲師』として歩むと決めちまったんだ。母さんにゃ、悪いことをしたと思ってる……けど、もう覚悟を決めたから、な」

 

 

 

 

 …………あぁ、そうか。

 

 

 何も……変わってないんだな、お前は。

 

 

 

 

 惹かれた「存在」が違うだけだった。目の前にいるのは、確かに自分の知る少年だったのだ。

 

 過去の少年が『超常(こせい)』を欲し、今の少年は『超常(むし)』を望んでいる。姿や口調が違えど、その原点は昔のままだ。お節介で、お人好しで、無個性で。絶対に道を曲げようとしない、頑固者。慟哭にて、言葉をぶつけられたのは過去の少年だけではなく、爆豪の思惑から外れて、確かに今の少年にも響いていたのだ。

 

 

「っと、いけないな。本来伝えようと思っていたことを、忘れるところだった」

 

「あ……?」

 

 

 納得はしつつもある種の衝撃を受けていた爆豪は、少年の行動に呆気にとられる。目の前には、白くなった癖っ毛が突き出されていた。俗にいうお辞儀という状態だった。斜め30°程度の簡素なもの。そうされる理由が見当たらない爆豪は困惑した。今一度、礼をされるようなことは、何もないはずだというのに何故、と。

 

 

「かっちゃんが名前を呼んでくれなかったら、僕はトコヤミになっていた。こうして此処に居られるのも、お前さんのお陰だ。だから――」

 

 

 

 

「名前を……『デク』って名前をくれて、ありがとな」

 

 

 

 

 理解、してしまった。

 

 それは晴天の霹靂と云わざるを得ない。だからこそ、心底嬉しそうにする少年に瞠目するしかなかった。そして、内に渦巻いた疑問は全て晴れ、形容しがたいぐちゃぐちゃな感情だけが残された。

 

 奪われ、救い、そして与え、今一度奪った。

 

 少年は正しい行いだと、肯定した上で感謝した。だが、それは知らぬだけだ。少年が許そうとも、他者や自分が許さない。責に駆られ、奔走した結末は、第三者からすれば残酷としか言い様がなかった。

 

 名前を呼んだから、救えた。名前を呼んだから、失わせた。もう、限界だった。許容できる事態を越えているのだ。吐き気と目眩がする。

 

 恨まれると覚悟していたはずだった。むしろ、そうではなくてはいけなかった。それがどう狂えばこうなるのか。こんなことなら知るんじゃなかった。けれど、同時に酷く安堵してしまうという違和感を抱く。一体、この感情は何処から来たのだろう。爆豪の心は揺れに揺れた。

 

 

「おま、え……は――」

 

 

 

 

『…………君、だれ?』

 

 

 

 

「……ッ! お、れ……俺は……!!」

 

 

 耳を塞いだ。膝を付いた。何も聞きたくない。これ以上は理解したくない。理解しようとすれば間違いなく、自分の中の決定的なナニカが壊れる。そう、予見できるのだ。今は、自分の聡明さが憎い。分かってしまうのがツラい。やめろ、止めろ、辞めろ、ヤメロ――!

 

 

「……! お前さん、まさか」

 

「やめろ! 俺に、触んじゃねぇ!!」

 

 

 肩に手が触れていた。目を見開き、刹那に振りほどく。肩で息をしたまま、言葉を紡いだ。思った以上に弱々しいソレに、自分でも驚いた。だが、言うべき事は伝えた。後は、去るのみだった。

 

 

「おい! 待てよ!!」

 

 

 が、少年がそれを許さない。再度、腕を捕まれる。振りほどこうにも、振りほどけない程に、今度は力強い。煩わしいという言を、顔一杯に張り付けて振り返る。せめてもの抵抗だった。

 

 少年は、神妙な雰囲気を纏っていた。到底、齢十五の少年のものとは思えない。余りにも強く、真剣で、止めどない。そんな気迫に爆豪は押し黙った。

 

 数順の後に、少年は口を開いた。そして、告げる――。

 

 

 

 

 

 

「――お前さん、蟲に憑かれてるぞ」

 

 

 

 

 

 

 宣告に、木々が揺れた。

 

 

 

 

 





 短くてすまない。

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