――これは、旅の途中でのこと。
今、僕と師匠は、リリスたちから離れて、とある場所を訪れていた。そこは、
偶然、というには僕たちの旅は目的地が定まっているものばかりだけれど、まぁ、意図せず僕たちはここに立ち寄ったのだ。
墓参り、といえばリリスのそれを思い出すが、彼女の場合、そこに眠る彼女の母親は幸せに逝った。彼女の母親の人生は波乱万丈と言う他なく、正直なところ、不幸である時間のほうが長かっただろうが、それでも、終着が幸福だったから。
――娘の幸福を祈って逝くことができたから、彼女はきっと幸福だろう。
師匠の父親は、その逆だ。彼の人生は、どちらかと言えば幸運な時間のほうが長かったという。一介の概念使いとして村に受け入れられ、子を成して、その子にも憧れの眼で見られて、
最後にそれを失ってしまったという事実以外は、彼の人生は幸福で彩られていた。
――しかし、それ故に娘を一人で放り出さなければいけなかった彼を、果たして誰が幸福と言えるのか。
対照的だと、僕は思う。
だが、同時にどちらにも等価の価値がある、とも思う。
師匠が失ってから歩き出したように、リリスは幸福を手に入れるために歩いたのだから。
とはいえ、それは今ここでするような話ではないが、ともかく。
「――あの頃の、ままだな」
そういって、風になびく髪を抑えながら、師匠がつぶやく。
――そこには、何もなかった。破壊の跡も、人の跡も、強欲龍は等しくすべて、薙ぎ払って消えていったのだ。視界の端にちらりと見える、かつてあっただろう家の土台程度しか、ここに村があったという事実を伝えるものはない。
強欲龍が暴れていった跡には、何も残らない。この村も、またそうだった。
「私は、村では良くも悪くも浮いていて、同年代の友人というやつはいなかった。一人でいることが多かったけれど、それを誰かに邪魔されることはなく、まぁ、気楽ではあったよ」
焼け焦げた地面を踏みしめながら、目を細めて師匠は語りだす。村の中央、広場になっていただろう場所から、周囲を見渡して、
「別にこちらから話しかけて、拒絶されることはなかったからな。私を傷つけて、父を怒らせたくなかったのだろう。父が概念使いである私は、父と同じように化け物と思われていたのかもしれないが――」
「……弱者とは、思われていなかったんでしょうね」
「そうだなぁ、まぁ、自分で言うのも何だが、意思はそこそこに強い方だったと思う。一方的に虐げられるような雰囲気は、してなかったんだろうさ」
やがて、師匠が歩き出す。向かう先は、すでに決まっているようだった。僕もその後に続いて、しばらく、二人は無言だった。
「それでも、家は村の一番端の方だったけれどね」
――たどり着いたのは、師匠の家があっただろう場所だ。みれば、中央に穴のようなものがぽっかりと開いている。
「とはいえそれを望んだのは、きっと父だっただろう。村人を怖がらせたくなかったのだろうね。あの人は、そういう人だった」
穴の大きさは、数人の人間が入ることのできそうな穴。有事の際には、数名の村人を隠すことができるだろうそれは、しかし実際には師匠一人しか入れられることはなかったのだろう。
「それは、思ってみれば優しさの他にも、怖がられることを恐れる気持ちも、どこかにあったのだろうね」
「やっぱり、師匠と師匠のお父さんは似た者同士ですね」
「……私も似たようなものに、見えているのかなぁ?」
――眼の前で弟子が死ぬのが怖くて、自死を選ぶ師匠は、なんというか父親譲りの考え方をしていた。まぁ、それがいいか悪いかはともかくとして。
「僕は嫌いじゃないですよ」
「……ありがとうな。私は、君に救われたんだ」
そう言って、師匠は一歩前に出る。
「――ただいま、父さん」
ぽつり、と。
懐かしむように、寂しがるように、けれどもどこか誇らしげに、師匠の言葉は、軽やかだった。
「戻ってきたよ。――もう、戻ってくることはないと思っていた。理由はいくつもあるけれど、一番大きいのは、ここに戻ってくる勇気がなかったからだ」
そういって、師匠は自身の手のひらを見る。小柄な背丈の、小さな手だ。けれども、この村から逃げ出したときよりは、ずっと大きくなっているだろう。
「何より――私は思っていたんだ。強欲龍に勝てるわけがないって」
師匠の心のなかにある、この村に来れない理由。それは勇気がなかったから、そして何より、
その二つは、師匠にとって大きな楔となっていたはずだ。
「でも、私に勇気をくれた人がいた。共に戦ってくれる仲間ができたんだ。一緒にいてくれるその人達に、私は感謝を欠かしたことはない、とおもう」
――まぁ、一人は恋敵なんだけど、と苦笑する師匠は、普段の年齢を感じさせない雰囲気はかき消えて、等身大の、少女らしい笑みを浮かべていた。
「でも、みんな大切な仲間だ。私が今、一番失いたくないものだ」
「…………師匠」
「……ありがとな、一緒に戦ってくれて――ああ、父さん。報告するべき事があるんだ」
僕に、視線を少しだけ向けて、そして師匠は自信に満ちた顔つきで、宣言する。
「
勝利宣言。
この村に帰ってくることの出来た、最大の要因。――師匠は凱旋したのだ。倒すべき敵を倒し、報告するべき相手に、師匠はそれを報告したのである。
◆
「――すまないな、手伝ってもらって」
「いえ、やりたいことをしただけですから」
僕と師匠は二人で、ぽっかりとあいた大穴に、この村の残骸をありったけ持ち寄って、埋め立てた。ここは墓標だ。この村のあった歴史。それを記すための墓標。
師匠にとって、ようやくこの村を過去のことにする決心がついた証でもあった。
「それにしても……やっぱりなかったな」
「……お父さんの形見、ですか」
しかしそうやって探し回って、結局見つからなかったものが在る。師匠の父の形見。彼の痕跡は、これと言えるものがさっぱり見つからなかったのだ。
――激戦のさなかに吹きとんだ、とも言えるが。
「――懐中時計」
ぽつり、とつぶやく。
「父さんの概念化に必要な道具だったんだ。肌見放さず持っていて、多分強欲龍に敗れるその時も、持っていたはずで」
「……」
「――それが、一番の父さんの証、なんだけどなぁ」
けれどもそれは、どこにもなく。そして僕たちは、それがどこに行ったのかを知っていた。というか僕が知っていて、師匠がそれを聞いたのだ。
「強欲龍……か」
――持っていったのだ、強欲龍が。
事の経緯は簡単だ。強欲龍に対し、師匠の父は奮闘した。結果はすでに知れている通りだが、その戦いの中で師匠の父に興味を抱いた強欲龍は、勝利の後、彼の概念化に必要な懐中時計を持ち去ったのだ。
本来の歴史であれば、それが知れるのはそれから数百年が経った後なのだが。
「まぁ、直接相対しているときに、知ることにならなくてよかったよ。もし、知っていたらさすがの私も、冷静じゃいられなかった」
――そして実際に、ゲームではそれはもう烈火のごとく怒りに満ちた師匠は、師匠が見えるヒロインの少女と共に、それはもう暴れまわったわけだけど。
ともかく、
「――しかし、倒したからと言って、落とすわけじゃないんだな」
「本人が所有していると認識したものですからね。というよりも、
「逆に言えば、
「ええ、なにせ――」
僕は一拍置いて。
「
「……父さんを悪くいうわけじゃないけど、なんだって、父さんの懐中時計なんだ?」
「それだけ、強欲龍にとって、師匠のお父さんは衝撃的な存在だったんですよ。実感はわかないかもしれませんが」
これは意外かもしれないが、師匠と強欲龍には、強欲龍側にも因縁が在る。面識は一切なかったが、強欲龍ももし、師匠の父が、
ともかく、
「それにしても、……本当にいいんですか?」
僕は改めて、師匠に問いかける。これまで何度も、この後の予定として話し合ってきたことを、もう一度確認するのだ。
「ああ、私はね、
「こっちからだまし討ちして、恨まれるようなことはしたくない……ですよね」
「そういうことだ。だって、こっちから一方的に憎めないと、寝覚めが悪いだろ? あいつにはそういう存在でいてもらわないと困るんだよ」
これから僕たちがすることは、強欲龍にとっては、
だまし討ちだってできるのだ。
それをしたら、あいつは奪う側ではなく、奪われる側になってしまうのだが。
――それをして、あいつの顔が憎悪に歪む様を見れば、その時はスカッとするだろうが、最終的にはあいつに憎悪を抱く自分すら矮小にしてしまいかねない。
師匠はそれが嫌だったのだ。自分たちが打倒した強欲龍は、凶悪で、強欲で、そして強烈でなくてはならない、と。
「それに、どうしても私達の戦いに、強欲龍の星衣物が必要なんだろう? 父の形見を取り戻すこともできて、私達にとっては一石二鳥だ」
だから、と師匠は僕に告げる。
「だから、
――こうして、僕たちは師匠にとっての一つのけじめを終えて、ある一つの決意とともに、大罪龍を蘇らせる星衣物、暴食卵が眠る遺跡へと、足を向ける。
そこで、四天との最初の激突が待ち受けていることを、覚悟しながら。