――紫電のルエの父は、勇猛で、それでいて臆病な戦士だった。いや、誰もが彼を勇猛だとたたえ、臆病だとは思っていなかったが、ライン公や、親しい友人だけは知っていた。
彼は畏れていたのだ。
失うことを、目の前で大切な人を守れずに終わることを。
「お前さん達は、親子そろってそっくりだと言わざるを得ない! いやまったく、ここまで何から何までそっくりな親子っていうのも、そうないだろうな」
「君とクロスを見ているとよく分かるよ」
それを言うなよ、とラインは自慢の茶葉で入れたお茶を、楽しげに飲む。香りを楽しんで、それから味を舌の中で転がして、僕もそれに倣う。うん、この前と同じ、いい味だ。
……僕はそこまで、舌がいいわけではないが、こころなしか、あの時よりさらに美味しくなっている気がした。
クロスも成長しているのだろう。
「――しかし、親にとって子というのは、誰もそんなものさ。誰だって、自分より先に子を失くしたくはない。……あいつの場合は、自分の子だけに限らなかったが」
子を失うことが怖いというより、失うことそのものが怖い。師匠もそうだが、目の前で誰かを失うことを、失ったということを知ることが嫌いなのだ。
これは、ゲームでも描写されていて、知っている。
知らなかったのは、どちらかというとライン公と師匠の父の繋がりの方だ。ゲームでは、強欲龍と師匠からそれぞれ聞くことになる話だからな。
「そうだなぁ、私の母のことを、父はずっと後悔していたよ。……あの懐中時計も、もともとは母の形見だったんだ」
「彼がはじめて君の母と出会ったときに、君の母さんはそれを落としてしまっていたそうで、それを拾ったのが彼だったのだ」
――それは、はじめて聞いた。
聞けるルートがなかったものだから、当然といえば当然なのだけど――
「いくら概念使いだからと、崖際に引っかかっていた時計を取るために崖から飛び降りるのは、些か無謀だと思うがな」
「……なんだか、思い出すものがありますねぇ」
「いや、アレは目の前で死にかけていたんだから、当然のことをしただけだろ」
主に、例の人工呼吸だの何だの、あの辺り。
多少の無茶も、師匠や師匠の父にとっては、
そういうあり方は、眩しさを疎む人はいたとしても、多くのものに好かれる特性だろう。たとえ心配していたとしても、それでも自分のために手を貸してくれるという事実を、人は嬉しく思うのだ。
「――あの頃は、目の前のことだけを考えて生きていればよかった。楽しかったなぁ。世界のことも、人類のことも、絶望的な状況ではあったものの、それでも未来は輝いていた」
「……今は、違うのかい?」
「今は、後ろに守るべき者が多すぎる。ただ、身近にあるものだけを守って、担いで、好きに動き回れるような立場でも、年でもなくなった」
若気の至り、とでもいうべき、それは青春というやつだ。僕の場合はゲーム……というか、ドメインシリーズを通しての同好の士との交流。そういったものを経て、ライン公は大人になって、今は地に足をつけている。
なんとも、不思議な感じだ。
「私には、どうにも想像できないな……」
「オイオイ、俺たちと国を作ったり、アルケのやつと街を作ったり、それはお前さんにとって青春というやつではなかったのか?」
――師匠の場合は、少し複雑だ。そういった時期を迎える前に、父を失い、それからも失い続けて成長してきた。だから実感は薄いだろう。
でも、ライン公の言う通り、師匠がライン公の為したことを助けたことも、アルケの為したことに助力したことも、師匠にとっては立派な青春のはずだ。
本人にその自覚なく、それを成し遂げてしまっただけで。
「――まぁ、今にして思えば、アレは得難い経験だった。きみたちという縁は、今も私を助けてくれている。ありがとう、感謝する」
「ははは、そう言われると照れるな。大陸最強のお前さんに、そう言われると」
「……今だと、最強を名乗る概念使いが増えすぎて、私はだいぶ霞んでしまうけどね」
そんな師匠に変化があったのは、自慢ではないが僕――だと、思う。
僕と、リリスと、フィー。
僕たちは師匠にとって新しい風になった。恋を知らない師匠に恋を教えて、ともにいる楽しさを分かち合い、そしてここまで進んできた。
その事は、否定したら師匠に――それから、リリスにも、フィーにも怒られてしまうことだろう。
「師匠は、師匠の人生を歩んできたんですよ。確かに、大変なことも、辛いことも多かったけど、師匠はまだ生きています。生きていていいんです。だったら、それはいいことだと思います」
「……そうだね」
「
「ハハハ、お熱いな」
そういえば、ライン公に師匠との関係を話したことはあっただろうか。隠してはいないが、話してもいない。情勢的にそれどころではないというのもあるし、話すのが気恥ずかしいというのもある。
なんというか、タイミングがない、というか、タイミングを測りかねているというか。
きっと、気兼ねなく語ることができるようになるのは、全てが終わった後のこと。
まぁ、楽しみにしておくべきだろう。僕はそう結論づけた。
「――それに、別にまだ青春が終わったわけじゃないだろう。そもそもお前さんの父が、母と出会ったのは二十を過ぎた頃だ。お互いに、いい年の大人が、子供のようなこっ恥ずかしい恋愛をしていたんだよ」
「貴方はそもそも出会いすらなかったですけどね」
「余計なお世話だなぁ!」
初々しい二人のやり取りは、数年続いたという。師匠の父はライン公といろいろな場所を飛び回り、母はそれに同行していたそうだ。
危なくないか、と思わなくもないが、複数の概念使いに守られる状況は、下手に一つの街にとどまるよりもよっぽど安全なのだ。
――そのうちの一人が、自分のために生命すら捨てる覚悟を持っていると言うなら、なおさら。
「そうして、長い長い時間を掛けて近づいた二人は、やがて愛を紡いだ。羨ましいことに、まったくもって羨ましいことに」
「おい君、君が変なことを言うからライン公がおかしくなってしまったではないか」
「僕のせいですか……?」
不満げに言うが、まぁ僕のせいだった。
それを、三人で笑い合う。ぽつり、ぽつりと彼と彼女の馴れ初めを、僕らは紅茶とお菓子を頂きながら聞き入った。
両親はふたりとも奥手で、父は無骨、母は臆病。見ている分には微笑ましさよりも、もどかしさが勝つ関係。
――僕たちとは、真逆だろうな。
師匠が横恋慕というのもあるが、師匠はそれはもうグイグイくる。フィーが嫉妬することすら楽しいのではなかろうか。嫉妬されることも、することも、師匠にとってはそれが一番の青春だから。
フィーが、恋に恋しているのと同じこと。
彼女たちは、ああしているのが一番楽しいのだ。
……だからって両者が横並びになった状態で、二人の膝を片方ずつ借りて膝枕をさせられる僕の身にもなってほしいのだけど、言ったら僕が敵になるので、賢い僕はなすがままだ。
まぁ、柔らかくていい匂いだしね、そこはね。
やがて、ティーポットの中身が尽きた。それぞれのカップに、最後の一杯。おかわりはいるかというラインの問いに、師匠は十分だと答えた。
そして、
「――なぁ、ライン。母さんはどうして亡くなったんだ?」
きっと、一番聞きたかっただろうことを、聞いた。
「伝染病ってやつだよ。魔物じゃない、大罪龍でもない、本当にちょっとした病気で、あっという間に……な」
「……そうか」
――師匠を産んだばかりで、体力が落ちていたのが悪かったのだろう、とラインは語る。それは、誰かが、という意味ではなく、タイミングが、という意味で。
師匠も、父も、助けられなかった者も、誰も悪くはないのだ。ただ、そうやって終わる生命は、この世界には当たり前のように
「お前さんの母は言った。自分は幸せものだと――今の時代、何かを残すことをできて、幸せだった時間を抱えて死ねるのは幸福だと。最期を迎える場所が、ベッドの上であることは幸運だと」
――それは、リリスの母もそうだった。
リリスの母も、師匠の母も、余りある幸運の末に、幸せな最期を迎えた。――そのことを、本人は一切悔やまずに、惜しむ周囲を置き去りにして。
「……私は、でも、そうは思えない」
「師匠……」
「一応、自分の幸福ってやつを、置いてかれる怖さってやつを、認識してはいる。ラインたちと頑張っていた時みたいに、自分が無茶をすれば、とはもう思わないさ」
――でも、
「でも、私は、どうしても
「ルエ……」
言葉を失う。何を言うべきか分からず――それは、師匠の父に対してもそうだったのだろう。ラインは言葉を続けられなかった。
――もうずっと、そうだったのだろう。だから、僕が代わりに口にする。
僕は、師匠の方を向いて言う。
「
「おい?」
ラインが咎めるように言う。
「
「……お前なぁ」
けど、あいにくとその反応はすでに何度も見てきたものだ。でも、しょうがないだろう? ここまでそれでやってきたんだから、一応、説得力には自信があるつもりだ。
「まぁ、幸いなことに――私の弟子はこういうやつだ。だから、私は一応、自覚はしたけど、それを変えるつもりはないよ」
「…………なぁおい、お前さんよもや」
そこで、ラインがふと、気付いたように問いかける。ああ、うん、だって師匠のそれは
……気づくよね、師匠のこと。
「ふふ」
――師匠は、紅茶のカップを両手で持ち上げて、僕に流し目を送りながら、少しだけ頬を紅潮させて言った。
「――秘密」
まったくもって、艷に満ちたその笑みは、ラインの顔を引きつらせるには十分で、僕はただ、苦笑する他なかった。
――――だから、
「でも、
師匠の独り言。
呆然とするラインには届かない、師匠と僕だけの独白は、けれど、
「私は、強欲龍に勝てるのかな」
――その真意を問いただすことの出来ない、隔絶した壁の向こうにあるものだった。