――ガヴ・ヴィディアの檻を叩き切って、後に残るのは、僕と師匠だけ。二人は見知った場所へと放り出されて、周りにはリリスも、フィーの姿はない。
強欲龍だって、ガヴ・ヴィディアだって、ここにはいないのだ。
僕たちは二人だけで、
――師匠の山の、あの腰掛けに座っていた。
「……どういう奇跡だろうな?」
「別に、奇跡ではないですよ。――あの檻が壊れた時、あの場にいた存在は全員どこかへ飛ばされましたが。百夜の転移の影響下に、僕らはありました」
「だから、縁のある場所へ飛ばされたってことか」
師匠の言葉に頷いて、二人で空を見る。
夜空には、星が散りばめられていた。現実のそれとは並びが違う。そもそもこの世界の星々は、それらが概念として存在するだけのものだ。
太陽も、太陽という概念によって存在し、月にも概念が存在する。
そんな世界で、僕らは概念に包まれて、
「――キレイだな」
「ええ、とても」
ただ、見入っていた。
――強欲龍たちのことはいいのか、と思うだろうが、しかし今の所、問題は無いと言える。フィーやリリスだって、これまで何度も窮地を切り抜けてきた手練。そうそうやられることはないし、何より――
僕は、自分の手に収まったそれを見た。
「……取り戻したんだな」
「ええ」
――そこには、師匠の懐中時計が収まっていた。
「でも、どうやって?」
「あの場所は師匠の心が形を為したもの。ちょっと変な言い方をするとあれは師匠そのものなんです。当然、師匠と一緒に転移した懐中時計は檻の中に収まりますから――」
――中で手を伸ばせば、僕はそれを掴むことができるのだ。
「……そっか」
「そうですね」
二人でそうやって納得して、僕たちはまた黙る。ぽつり、ぽつりと、会話は続かない。師匠はそれを成し遂げたのに。ここには師匠が求めた形見があるのに。
僕たちは、ただただ言葉を連ねた。
話題は、やがて益体もないものへと移っていき、僕らの視線は、空を向いたままだった。
「結局――さ」
それが終わって、こちらを向いた師匠は、
「――あの檻の中でガヴ・ヴィディアが口にした言葉には、私の本音も含まれてるんだ」
「ええ、知ってます」
師匠は言った。
自分のわがままなど、持ってはいけなかった。
それで周りに迷惑をかけて、失敗して、師匠の作戦は成就しなかった。ケリをつけたのは僕で、奪い取ったのも僕だ。
だから師匠の言葉には、嘘はなかった。あったのは本音と、正論だ。
「今更、君の無茶をどうこう言うつもりはないさ。君がマーキナーと戦うというのなら、私はそれに付き合うよ。たとえそれが敗北に終わったとしても、
「師匠……」
「まぁ、答えを出せないのはどうかと思うけどね」
といって、僕を小突いて師匠は笑った。空元気だ。無理に作った笑みは、引きつっていて、とても見ていられるものではない。
ただ、僕はそれを変えようとは思えなかった。師匠のこれは、生来のものだ。
ここまでくると、筋金入りなのだ。
「いいじゃないですか、失敗したら誰かを頼って、失敗してでも成し遂げればいい。生命あっての物種です。最後に勝てばいいんですよ」
「……本当なら、そうなんだけどね。
――師匠の目の前で失われた生命。
師匠とともに何かを成し遂げてきた人達。当然僕も含まれるだろう。というか、僕はその究極系だ。でも、僕にだって失敗がなかったわけじゃない。
偶然が味方したことなど、数え切れないくらいある。
それに――
「一度成功したからと言って、その成功が永遠に続くとも限りません。本来の歴史におけるライン公の結末は師匠も知っているでしょう」
「そうだけどさ。……君から何度も、聞いてきたけどさ」
でも、違うのだと師匠は言う。
「一度でも成し遂げたことは、永遠に残る。たとえその結末が悲劇に満ちていたとしても、それは間違いなく偉業なんだよ。なあ、君の目から見て、紫電のルエにそんな輝かしい偉業は存在したかい?」
「師匠だけでやり遂げたこと――敗因を生き延びさせたこと。そして、紫電の少女を導いたことです」
「…………」
「特に、後者はすごかったですよ。よくあれを導いたなんていいはれますよね」
「君は私の味方か敵かどっちなんだよ!」
――いや、擁護するつもりだったのだけど。師匠はあの紫電の少女を自分の復讐に巻き込んだようなものだよな、と思い返すと少し言葉が歪んでしまった。
ああ、そうだ。
復讐。
「――師匠の迷いの中に、強欲龍への復讐というのは、含まれていたんですか?」
「急になんだよ? まぁ、含まれていないといえば嘘になるが」
師匠は少し額に手を当てて、難しそうに考えながら答える。それだけ、複雑ということだろう。
「一応、自分の手で一度は止めを指しているわけだしね。ケジメはつけている。だから君がどうしてもあいつと共闘するというのなら、私はそれを飲み込むよ」
「共闘はしませんよ、同じ敵をそれぞれ同時に殴ることはあっても」
「だろうね。で、そう考えると……そもそも、一度仇を討った相手が蘇るなんてことがそもそもイレギュラーすぎて、どう反応すればいいかわからない」
ですよね、とうなずく。
複雑、と言ってもそもそもどう反応すればいいのかも、師匠は解っていないのだ。だからこそ、僕はその上で答える。
「だったら、
「そんな適当な」
「適当じゃないですよ。――取り戻さなきゃいけない形見があったんでしょう?」
――僕の言葉に、師匠は停止した。
否定できない。僕の手には形見の懐中時計が握られていて、それを取り戻すために師匠は動いたのだ。それを復讐だと呼ばずなんという?
――未練でなければ、何だというのだ?
「…………そう、かもしれないけどさ。正直なところ、今でもわからないんだよ」
「何がですか?」
「自分の中で、その懐中時計をどう思えばいいのか、ってさ」
父の形見。父にとっては絶対に手放したくなかった大切なもの。
「無念だったろうと、思う。奪われて、本当に悔しかったろうと思う。父は寡黙だけど、感情表現はしっかりする人だったから」
「……」
「――でも、私にはそれ以上の思い出がないんだ。父の大切なものは、父の大切なものに過ぎず――取り返す必要はあった。そして取り返した」
けれど、と自分の胸に手を当てて、師匠はこちらを見た。
その顔は、
「――――それで、私のするべきことは、終わってしまったんだ」
どこも、見てはいなかった。
ああ、師匠はつまり、珍しく勇気を出してやった自分のわがままがミスで終わって、その原動力だった復讐も終わってしまって、
「――どうすればいいか、わからない。と」
僕の言葉に、答える師匠は。
「…………うん」
いつもの、師匠という殻すら纏えない、二十と生きていない、小さな小さな、一人の少女だった。
ああ、なんていうか。
僕の喉から、それは思わず飛び出していた。
「――――極端だなぁ、ルエは」
師匠、なんて言葉は使わずに。
敬語で呼びかけることもなく。
僕は、思わず吹き出してしまっていた。
「なんだよ!? 君が背中を押したんじゃないか!」
「それはそれ、これはこれ。そうやって悩むルエは、随分子供っぽいと思うよ」
「……君に言われたくない!」
むくっと頬を膨らませて、少女は叫ぶ。それすらも、幼さがにじみ出ていて、らしくないといえばらしくないけども。
師匠という
どうすればいいのかもわからなくなってしまった師匠は、
ルエという少女の感性は、このくらいで止まってしまっているのではなかろうか。
「これも言う必要はなかったから言ってなかったけど、実は僕、ルエより年上なんだ」
「嘘だろ!?」
「まぁ、若く見えるってよく言われるけどね」
なんて、思い切り笑って、言葉を交わして。
――気がつけば、師匠は随分と幼くは思えるけれど、普段と同じように僕と話をしていた。ちょっと調子が戻ってきたと見て、僕は切り込む。
「――やることがないなら、これから見つけていけばいいと思う。ルエは女の子なんだから、好きっていう感情に従ってみるのも肝要だ」
「それをすると、私は君をフィーから奪い取らなきゃいけなくなるんだが」
「失敗を畏れたら何も出来ませんよ」
「今、私がフィーに負けると言ったか!?」
すでに負けてますけど。
なんて、冗談めかして言う。いや、こういうのを僕が言うのもどうかと思うけど、僕らはこれでずっと関係を構築してきているので、お互いにコンセンサスが取れていれば、こういう会話だってただのコミュニケーションだ。
「君はなー! そうやってなー! 恋人持ちの余裕みたいな目で私を見てくるのがなー!」
「すいませんって。あ、いた、いたた、ポカポカしないでください。子供じゃないんですから!」
「子供扱いするのはどっちだー!」
まぁ、痛い目は見るわけだけど。
それが、楽しくないわけじゃない。
「……つまるところ君は、やることがないのなら、これから見つければいい。自分も付き合うから、とそういいたいんだね」
「ええ」
やがて、落ち着いて。僕の言葉を噛み砕いた師匠は、ようやく納得したようだ。そこに至るまでに、随分脱線したけれど、でも、その脱線が大事だと思うから。
自分には
あるのだ、それまで自分を形作ってきたものが。全て行き詰まってしまったと、終点にたどり着いてしまったと思う人でも、振り返ってみれば、分岐点はいくらでも。
「さしあたっては、僕のお願いを聞いてはくれないかな」
「なんだい?」
――気がつけば、地平線の向こうには陽光が見えた。太陽という概念が、日の出という概念によって現出する。幻想的なその一筋の光は、僕らの顔を、照らしていた。
「機械仕掛けの概念を倒したい。そのために、君の力を貸してほしい」
僕は手を伸ばした。
その手には、懐中時計が載せられている。師匠の手を伸ばすように差し出されたそれを、師匠は一瞬ぽかんと眺めた。
やがて、その顔は、穏やかなものへ、優しげな笑みへと変化していく。
「――私で良ければ、喜んで」
ああまるで、プロポーズのようだな、と。自分の言葉を苦笑するように思い返しながら、それでも僕は続ける。
「それから――」
僕の手を取った師匠は、どうしたのかとこちらを見る。視線は不思議と重なって。僕も笑みが溢れるのを感じたのだ。
「これからも、僕の師匠でいてください」
――言わなければならないことではあったけど。
これはもう、本当にプロポーズだな、と。
顔を真赤にして、僕の手を強く握る師匠をみて、思うのだ。
「わ、私は! 君の師匠だ! 紫電のルエだ! そ、それで! だな!」
「……はい」
思わず、僕まで少し気恥ずかしくなってしまう。
「それで! ……だ。それで、自分では、どうしようもなく行動を起こす勇気を持てなくて、しかもいざ起こしたら失敗で終わる間の悪い人間だ」
「…………はい」
「でも、君がそばにいてくれた」
陽の光が、僕らの視界と重なって。思わず二人揃って手で覆う。可笑しくなって、笑いあいながら、師匠は上がりきった太陽に、自慢するように言ってのけるのだ。
「だから私は、きっと君となら、どこへでも行ける」
つないだ手は離さない。
心はすでにつながっている。
師匠は僕の、ただ一人の師匠なのだ。
だから、
「――行こう」
「行きましょう――」
僕たちは、足を踏み出す。
「皆が待ってる、あの場所へ」
「それから
翼は連理。
心は比翼。
勇気は、つないだ手から、とどまることなく溢れ出していた。