――僕たちの旅路の中で、マーキナーに干渉することなく、マーキナーとそれ以外を隔離する概念技は一つだけ存在する。隔離する対象をマーキナーだけではなく、
しかし、マーキナーは言った、僕らの記憶の中にその概念技は存在しない。
故に使用することは出来ず、そもそも覚えていたらマーキナーが可能性を観測してしまうため、拘束できない。だから
つまり、逆に覚えていなければ、
そう、それはマーキナーに挑む前、傲慢の神殿での会話。
「――忘れてしまえばいいんです」
「……どういうことだ?」
首をかしげる師匠に、僕は端的に言った。
「これから、マーキナーへシステム解除の攻撃を叩き込む手段を説明します。それを、僕たちは綺麗サッパリ忘れてしまうんです」
「いや、無茶でしょ。知っちゃったことを完全に忘れるって、人の機能として不可能だと思うわ」
フィーが否定する。確かにその通り、いくら忘れた気になっても、それは表面的なことで、実際には記憶の中にしまわれて、引っ張り出せないだけ。
もちろん、マーキナーはそんな引っ張り出せない記憶だって読み取ってしまう。
「でも、
「それって――」
リリスが、一拍考える。
彼女と、その概念技は遠くはあるが無関係ではない。少なくとも、僕は彼女たちにその概念技のことを話したことがある。
それは、そう。
「アルケの妹さん!
――使用者は、幻惑のイルミ。使用されたのは、
大事なことは、
故に、時の鍵で使用できる概念起源なのだ。
効果は、
「――その概念起源なら、マーキナーの思考透視に引っかからない?」
「そういうことです」
師匠の言葉を肯定する。
そう、これこそが僕の持っている切り札、この旅路の中で手に入れた、伏せられたままのジョーカーだ。
「そして、ここからが難しいところではありますが、記憶を忘れたあと、
「そういう風に、記憶改変を行うこともできるってことね」
「便利なの」
ただし、と僕は前置きして――
「――思い出すと同時に、行動しなければ意味はないけどね」
「……まぁ、それはそうだな」
そして、普通ならばそんなことは不可能だ。ありえない記憶が突然湧き上がった時、人の行動はその記憶の受容ではなく困惑がまっさきに出る。
普通に考えて、記憶を受け入れることはない。
だから、
「必要なのは、思い出す記憶の中に、強烈な意思を込めること。困惑を塗り替えて余りある、行動の意思。絶対的なまでの覚悟を持って、思い出した行動を即座に実行に移すこと」
「それは――」
「できないのであれば、僕たちは敗北します」
難しいだろう、という言葉を、その一言で切って捨てる。
そうだ、もしもそれが出来ないのだとしたら、僕たちは負けるしかない。可能か、不可能か、ではない。やるしかないのだ。
故に、僕は訴えかける。
「これから僕たちは
「――!」
「打開の希望は、これしかない。これしかないんです。だったら、僕たちはそれに希望を託すしかありません。師匠は、未来がそんなにも絶望的なものに思えますか?」
――概念技を行使するのは、当然ながら師匠だ。
時の鍵を師匠が有している以上、彼女にしか未来は切り開けない。そしてそれを、師匠は誰よりも難しいと思うだろう。
「――――私は、未来に、あまり希望が抱けない」
ぽつり、と語る。
それは、そうだ。アタリマエのことだ。未来を怖いと思うのは当然のことで、そして師匠はその思いがこの場にいる誰よりも強い、だって――
「だって私は、これまで過去に多くの失敗をしてきた。だから、心のどこかで思ってしまうんだ、
「師匠……」
「私がこれまで、頑張ってこれたのは、
――復讐という、目標があった。
師匠の中で、父の仇である強欲龍に対し、復讐を誓う心が、どこかにあった。しかしそれは、師匠の中で
相手はあまりにも強大で、そして師匠はあまりにも失敗を積み重ねてしまったから。
たとえどれだけ成功しても、同じ数だけ失敗をすれば、
師匠の心にそれは、拭えない淀みとして、今も残されていた。
僕が側にいなければ。
「――記憶を思い出した時、私が行動するのは何よりも君のため。でも、
故に、
「怖いんだ。そうすることが。――君が側にいないまま、前に進むことが、私は怖いんだ」
師匠は、そう吐露したのだ。
「――
切って捨てたのは、フィーだった。
剣呑に、嫉妬に満ちた瞳で、フィーは師匠を睨んでいた。それは――意外にも珍しい光景だった。フィーは嫉妬の権化、羨望の妄執が根底にある大罪の龍。
だとしても、彼女はそれをあまり他人に向けることはしてこなかった。これまでの旅で、フィーは師匠が僕にいいよったとしても、怒りはしても敵意を向けることはしなかった。
それは、僕に対する信頼と、今、この仲間と共に旅をすることの幸福が、彼女の嫉妬を和らげていたからだ。
ああ、しかしこれは。
――今の師匠は、ダメだよな。
「記憶の改変ができるんでしょう? だったら不安になる要素を忘れたらいいじゃない。自分は希望に満ち溢れた人間だと、そう記憶を書き換えちゃえばいいじゃない」
「エンフィーリア……」
僕は、それに割って入らない。
――今この場で、フィーの思いを最も口にできるのは、師匠の迷いを躊躇いなく切れるのは、ただ一人、フィーしか存在しないのだから。
「何? 出来ないっていうの? だったら、アタシがやってあげようかしら? ついでにやってあげるわよ、
その言葉尻は、どんどんと早いものになっていく。詰め寄るものになっていく。
フィー自身も師匠へとにじみより、そして、
「
「――――」
「選べ!!」
叫ぶ。
呆けるように、フィーを見る師匠に、真正面から。
その瞳は語っていた。
僕を――
師匠の瞳が揺れる。フィーへ、リリスへ、そして僕へ向けられて。
「――ふざけるな! 私は! 私は君たちがいたから、ここまでこれたんだ! それを今更捨てて、別の私になって、
「なら!」
「――ああ! 解ってる。……解ってるさ。なぁ、君」
そして、覚悟をもって師匠は僕を見た。
「君が私を師匠と呼んでくれるなら。君が私の弟子でいてくれるなら」
――そして、今。
「私はその希望に、応えなくちゃいけないんだよな」
マーキナーの眼の前で、可能性はないと断言した彼女に対し。
過去から未来へ、旅路と言う名の
◆
僕と、そしてマーキナーの視界は今、
「――――あああああああッ!」
師匠が、
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
叫び、
「いっっけええええええええええええええええ!!」
――希望を手にしているからだ。
「“
「それは――!」
それは――ゲームにおいても象徴的な概念起源の一つ。
なにせ、
ライン公国二代目王。クロス。
最愛の人の生命を犠牲に生み出され、そして奇しくもその名を冠することと成ったそれは、今、
マーキナーに対して、向けられていた。
効果は、対象を世界から遠ざける。
これは、
具体的に言うと、効果を受けたものはどれだけ走っても、空間転移などを使ったとしても、
元の位置に戻される。
――効果は対象を選ぶが、影響を受けているのは対象ではなく、世界だ。故に、これは問題なくマーキナーにも作用する。
そして当然、僕に対しても。
「――ようやく」
「……っ!!」
「手が届きそうだな、マーキナー!!」
「はい、いん――――ッ!!」
どれだけ手を伸ばしても、届かない。世界から隔離されきったその場所で、僕とマーキナーは二人きりになった。
既に、時の鍵は起動準備に入っている。あとは、無敵時間をマーキナーに押し付けるだけだ。
「いや、だが、だとしてもお前には、可能性がない! ボクにその刃は――」
「――どうした?」
「――なぜ、届く? どうして、可能性が存在する?」
僕へ、剣を振りかぶる。
そう、いまここに、マーキナーのギミックを解除する可能性は、
手札があることを、今思い出したから。
だから可能性が生まれた。
それは――
「――そういうことか!」
マーキナーが、拳を僕へと叩きつける。マーキナーの手にする七典に、色欲の文字。
つまり、
これもまた、概念起源だ。
ただし、師匠にそれを使用する時間はない。
使用者は――僕だ。
「
「おっと、今は白光と呼んでもらおうか」
僕は、剣を振るっていた。
――時間が、飛んでいた。概念消失により、概念技が無効化されたものの、その間に発動したものが、世界に対して適用されているのだ。
僕が使ったのは、概念起源。
二重概念は、今僕や百夜とリリスがしているように、二つの概念を合わせるという意味もあるが、合わせた概念を使って、概念起源の回数を補填するという意味もある。
「けどな、白光。それはもう通用しない。お前を未来へ送る概念は消失した――」
剣を振るう僕へ、マーキナーは告げる。
「――一分だ」
人差し指を突き立てて、
それは、僕もすでに解っていた。
「お前が可能性の否定を無力化するために必要な時間は、一分になった。だが、だからどうした、たしかに可能性はゼロではなくなった。でも、――ゼロじゃなくなっただけだ!!」
一分。
数分というあまりにも長い時間に比べれば、たしかにそれは破格の一分だろう。マーキナーは可能性が存在すると言った。つまり、可能なのだ。
ああ、だから。
「――断言する、不可能だ! 失敗する! あまりにも可能性が低すぎる!!」
だったら、
「――その一分に、全てを賭ける」
「――――」
僕の全て。これまでの旅路の中で得てきた経験。重ねてきたものを全て、この一分に、僕という存在を賭して――
過去から送り込まれた、最後の希望。
――あまりにも低い可能性。
絶対に不可能だと断言された可能性。
それを、僕は、
――負けイベントと、呼んできたんだ。
さぁ、力を込めろ!
声を張り上げろ!
希望を胸に、高らかに!
誇りを持って、未来へ叫べ!
――――負けイベントに、勝ちたいと!