――マーキナーにとって、自身の概念の名を呼ぶことは絶対のタブーだった。
当然と言えば当然か、マーキナーにとってその名は屈辱以外の何ものでもないのだ。ゲームでは、その概念の名を呼ぼうとして自滅した奴がいた。愚かにも命乞いをするために、そいつの名は四天、ウリア・スペル。
傲慢龍に誘導されたのだ。当然である、傲慢のやつもマーキナーの概念を把握しているのだから。
その上で自分のオリジナルを主張する愚かな存在に、最も無様な最後を与えるために、傲慢にも話を誘導したわけだ。性格が悪いとは思うが、そもそも傲慢なんだから性格が悪いのは当然だし、プレイヤーとしても最高にスカッとしたのだが。
ともあれ、マーキナーにとって、それはあまりにも重大な秘密だと言うことだ。
自分の手足すら、明かそうとしたらそれよりも早く滅ぼし尽くすほどに。
そう考えれば、今回ウリア・スペルにチャンスを与えたのは意外と言えば意外な話だ。自分にとっての一番のウィークポイントを晒しかけたようなやつを現場に送り出して、しかもそいつはまた似たようなミスを繰り返した。
だったらウリア・スペルの器を使って降臨すればよかったのではないか。それをせずにミカ・アヴァリ……僕が一番相手にしたくない四天を器にしたのはどう言う理由だ?
ガヴ・ヴィディアはわかる。あいつは今回とんでもない失態を見せたが、特性も概念も、僕たちを最も苦しめたと言って良い四天だ。そしてラファ・アークも、奴の言葉を信じれば最高の四天、完成品だ。
その実力は、あまり他と隔絶したものがある印象はなかったが。
ならば、その上でなぜ残る二択でウリア・スペルを選ばなかったのか。
意味がないわけではないと思う。だが考えても仕方がないことだ。答えは出ないし、興味もない。
重要なことは
仲間たちにとっても、それはあまりにも意外な答えだろう。考えてもみなかったものだろう。
可能性を操るマーキナー、最も膨大な未来の選択肢を有する彼女の手元にあるのは何か。強大すぎる力を有する少女が、果たして何から始まった?
そう考えれば、少し答えが見えてくる。
彼女に力があるのは、可能性の数があまりにも多いから。
とすれば、彼女はそもそもなんだ?
そう、彼女の力は数。つまり、始まりのマーキナーは――
あまりにも
その上で、その小ささを許容できない彼女の概念は、すなわち――
◆
七典は概念崩壊した。
マーキナーが纏っていた気配が変化している。七つ、確かに存在していた威圧が剥がれ落ち、代わりに別のものが中から姿を見せようとしていた。七つの威圧は、無秩序な爆風のように撒き散らされ、子供の癇癪のように僕たちに当たり散らされる。
そして、それが終わってしまえば、後に残るのは一つの存在感だけだ。
けれど、すぐにわかる。こんな子供のわがままじみた暴圧が、
「やってくれた。やってくれたねえ!」
マーキナーは今、本来の力を取り戻そうとしていた。そこにあるのは、力だ。力を誇示するのに、雰囲気なんてものを纏わせるのは二流のすることだと、そう言いたげな彼女の力は、
群れ、群れ、群れ。
無限にも思える力の群れだ。彼女は光を帯びていた。粒子、概念起源を発動させようとして自壊した時のような力の粒子が、形となってあたりに溢れているのだ。
「だが、理解するんだね! ここで七典が破壊されたことで、何が変わるかってことを!」
やがて、その粒子が集まっていく。漏れていた力が収束し、マーキナーは完全な形へと変わるのだ。
「十分理解しているさ。アンタの戦い方も、ここからの展開も!」
「だったらわかっているだろう、ここからお前は、ボクに敗北するってことが!」
マーキナーは、手にした剣を二つに割いた。七典形態から、概念形態へと移行したのだ。
“ハッ、そりゃあこいつは、こいつだけでテメェに勝とうなんざ思ってねぇだろうさ。なぁオイ、もしんなことしたらよお、
「言ってろよ、強欲」
対してこちらは僕と強欲龍。二人きりだ。師匠たちの復帰にはまだしばらくかかるだろう。戦闘が切り替わったとはいえ、概念崩壊の痛みを長く受けた後なのだから。
すぐにでも参戦したいかもしれないが、フィーが止めてくれるはずだ。
故に、戦力としては若干心許ないが、精神的にはしかし、
強欲龍はそうではない。こいつにも死んでもらっては困るが、だからといって心配したりなどしない。必要もないし、向こうだってそうだろう。これもまたありがたいことだ。
無茶をしても心配をかけなくて済む。
何より――
“テメェも、大概強欲だよなぁ、敗因”
「……アンタに言われるとはな、強欲龍」
それは、思っても見ないことだった。強欲龍は誰よりも強欲で、故にそれを譲らないだろう。誰からも奪うために、誰よりも強欲でなければならないかの龍は、しかしそれ故に他者が全て獲物であるはずなのだ。
“ほかにお前を何と呼べばいい。俺にここまで食らいつき、俺が誰よりも奪いたい相手。最高の獲物は、俺すらも俺から奪おうとする強欲だ。それと、
マーキナーすら、獲物と言い切る強欲に。
僕は共に立つと言われたのだ。
「……それは」
つまり、
“お前と剣を交えるたび、お前を奪いたいと思うようになる。だが同時に、俺はこうも思うわけだ。
「……それがボク、と言うわけかい」
マーキナーが吐き捨てるように言う。この場にいるのは僕たち三人だけ。
だからマーキナーは、僕と強欲龍の前に並べられた食材だ。それを狩り尽くすと、強欲龍は舌なめずりした。
“ここに、お前と狩るのに最高の敵がいる。テメェが欲してたまらねぇ奴がいる!”
そしてマーキナーへと概念の斧を掲げ、そして僕へ視線を向けた。
“あれを奪うぞ、敗因!”
「――ああ!」
そして
「ふん、僕の創造物が、一丁前な口を利くんじゃないよ」
“……それで、あれが、てめぇらの言う
「……今更すぎないか?」
マーキナーがそう呟いたことで、ようやく強欲龍は意識を向けたようだ。さっきからずっとフードの奥のあどけない顔を晒していると言うのに、強欲龍は本当にマーキナーのパーソナリティに興味がないようだ。
まぁ当然と言えば当然かもしれないが。しかし、それをマーキナーはどう思うのだ?
「……強欲龍、どうやってここに来た?」
意外にも、マーキナーは冷静に問いかけた。激昂して文句の一つも言うかと思ったが、しかし全くそんな様子は見せない。本来のマーキナーなら、自分に意識が向いていないことは、許せることではないと思うのだが。
“答える理由がないだろうがよ。そもそも、すでにわかってるような顔だぜてめぇ”
「……そうだね」
どうしてそこまで、マーキナーは冷静なのだ? こちらを見下してはいる。強欲龍にも、逆らうことへの怒りはある。しかし、それだけだ。それ以上のことをマーキナーは追求しない。
まるで、本当に冷静に、強欲龍をフラットに見ているようじゃないか?
いやそもそも、そういえば、僕に対して怒りを直接向けるようになったのは――
それはつまりどう言うことだ?
答えは――
“テメェはよお、なんだって、創造主を名乗る?”
「……何故、だって? ボクに作られた君がそれを問うのかい」
“ちげぇだろ、テメェは俺を作ったから創造主を名乗るんじゃねぇ、それを
その言葉は、マーキナーの本質を突いていた。だから、わかっているのだろう、強欲龍は。マーキナーがどんな存在であるのか。
「強欲龍?」
“この世界の根源は概念だろう。傲慢のやつがよくそう言っていた。だからわかる。本来ならてめえに俺たちを作る力はないはずだ。だからてめぇはそういうこと何だろう”
「強欲龍!?」
マーキナーの本質がわかっているなら、君はそれ以上踏み込まないはずだ。踏み込んではいけないとわかっている筈だ。なのに何故、そこで踏み込む。マーキナーを暴く!
“少し黙ってろ敗因。いいか、つまりてめぇは、
ああ、いや。
「…………」
マーキナーは答えない。強欲龍の言葉を待っているようだった。
“テメェは――”
それは、マーキナー最大の秘密。絶対に触れてはいけない禁忌中の禁忌。創造主でなければならないマーキナーが、神であり、最上位者であり、絶対を具現しようとする彼女にとって、その事実は、
絶対に、耐えられない事実だった。
“
「――――
事実の、はずだった。
「では、改めて名乗らせてもらおうかな」
そうだ、マーキナーは一体いつ、出会ってからこれまで、その名を口にすることを躊躇った? 躊躇うことすら嫌なのだとおもいもした。だが、こうして肯定された以上、それはあくまでこちらが触れなかったから、そうしているだけなんだ。つまり、マーキナーは、
「ボクは、機械仕掛けの概念。この世界の最小にして、君たちを構成する物。故に可能性になりうるもの。可能性その物であり――可能性となる全ての粒子を束ねる者」
とっくの昔に、変革し尽くしていたんだ。
「
かつてそれを、矮小だと傲慢は見下した。
なによりも小さき者だと、塵のような卑小さだと言った。
だが、それに激昂する神はいない。尊大なだけの少女は、もういない。
“なら、名乗らせてもらうぜ。俺は勝利のグリードリヒ! 俺の奪うものの中に敗北はいらねぇ! テメェが負けろ!”
「……もはや名乗るまでもないが、敗因白光! お前の敗因になり、世界に日の出をもたらすものだ!」
ことここに至って、躊躇いは無用。
名乗ったのだ、マーキナーが臆することなく。
だったら、これ以上の問答は彼女に失礼。
機械仕掛けの概念二戦目。