――マーキナーを概念崩壊させると、ゲームでは彼女は概念起源を起動させた。
負けたくないから、悪あがきとして――そして何より、塵芥の概念を指摘され、冷静を保てなくなったため。
この世界においても、マーキナーはそれを発動させた。
ただ、どちらかといえばそれは、防衛本能のような行動であった。マーキナーは明らかに僕の言葉に動揺していた。そして、最後。
あの一撃で勝敗が決した時、それが限界に達したのだと僕は思う。
とはいえ、今は彼女のことではなく、それに巻き込まれた皆のことだ。
この概念起源は発動時、周囲の存在を飲み込んで、効果を発揮する。
何が起きるかといえば、単純に言えば
ゲームでは、色欲龍と百夜がそれに囚われることとなった。
百夜は言うまでもなく、アンサーガのことだ。死なせてしまった母、もう少し別の方法があったのではないかという後悔。
そして何より、直接自分が彼女に引導を渡せなかったことへの後悔。それらが積み重なって、この概念起源によって表面化した。
結局、アンサーガへきちんと別れを告げ、さらには怠惰龍とも言葉を交わすことが出来た百夜は、後悔を乗り越え先へ進むことが出来た。
この概念起源は一長一短なのだ。後悔に囚われたまま、身動きが取れなくなれば、一生その後悔の中で苦しむことと成る。しかし、乗り越えてしまえば非常に大きな成長のきっかけとなる。
ただ、そもそもマーキナーが概念起源を発動するのはギリギリまで追い詰められてからなので、精神的な成長もなにもないのだが。
ともあれ、この世界において、後悔にとらわれるのは師匠とフィーの2人だろう。師匠は言うまでもない、あの人は表面上は強く振る舞えても、心のなかではたとえ一度乗り越えようと、後悔を死ぬまで引きずるタイプだ。
逆に、ゲームでは後悔に囚われた百夜も、この世界ではそうはならない。なにせアンサーガを救っている。それも自分の手で。
リリスも、そして僕も同様だ。僕たちは、後悔がない。こうするべきだったという大きな疵が存在していない。
問題は――フィーだろう。
彼女の場合は難しい、そもそも、
そう、フィーにとっての後悔は、未来。
それも、今のフィーではありえない未来。しかし、絶対にそれを意識しないわけにはいかない未来を、彼女は見せつけられる。
つまり、
クロスオーバー・ドメインにて、被害者でありながら世界を敵に回し、最後には世界に滅ぼされた大罪龍。嫉妬龍エンフィーリアと、フィーは同一の存在である。
だから、思ってしまうこともあるだろう。
もしかしたら、自分も
口に出すほどのことではない。そんなことはありえないと、すぐに意識を切り替えることもできる。だが、根底にはそのまま残り続けている。
そんな後悔を、フィーは抱いているはずだ。
加えて、フィーの未来は、僕にとっても無視できるものではない。
だが、
――嫉妬龍エンフィーリアは悲劇の存在であると僕は思う。救われるべきだと想い、行動し、そしてフィーとして彼女を救った。
だが、そうなることが許されないならば、僕はどうすればいい?
つまり、
これは嫉妬龍に限らない。
なにせ、僕は今まで
彼女が人を一人でも殺してしまう前に、なんとか事態を収めることができた。
僕の立場は、理不尽な負けイベントに晒される立場であると同時に、それをひっくり返せば、全てを丸く収めることのできる立場なのだ。
では、そうではない場合。
僕はどう行動するのか――ここにきて、はじめて。
そんな当たり前の疑問に、僕は出くわしているのだった。
◆
――気がつけば、僕は嫉妬龍の遺跡の前にいた。
ラストダンジョンである遺跡を抜けて、長い長い螺旋階段を降りた先、嫉妬龍が待ち受ける、その場所に立っていた。
「……よりにもよって、最後の最後、か」
マーキナーの概念起源によって、フィーは嫉妬龍エンフィーリアの末路を体験しているはずだ。できることなら、そうならないように行動したかった。
なにせ、フィーには話していないが、嫉妬龍は
知らないのなら、知らなくてもいいことだ。
しかし、ここまで来てしまえば、それを知らないということはどうあがいても不可能だ。だから、僕がするべきことは決まっている。
この場所、この状況で考えうる、
今、時系列はクロスオーバーのラストバトル直前だろう。扉は閉められており、嫉妬龍はすでにこの場に帰ってきている。その上で人の気配がしない。だから、クロスオーバーの主人公たちはまだここにたどり着いていない。
――猶予だ。まるで、僕にこの場をどうするのか、問いかけているような。見定めているような。
嫉妬龍はそれまで、横暴の限りを尽くしていた根底である、帝国という地盤が崩壊したことにより、もはや一人でこの場に逃れるしかない状況にある。
逆転の手は存在せず、強いて言うなら、最後の戦いで主人公たちに勝利することくらい。
だが、それにしたって単なる一時しのぎに過ぎないような、そんな状況。
取れる選択肢は、いくつかある。
嫉妬龍を討伐し、世界を救う。
もしくは、世界を敵に回し、嫉妬龍の味方となる。
前者では本来の歴史となんの変化も訪れず、後者は僕にとっても論外だ。
――意外に思うかもしれないが、僕は救うべき少女が目の前にいるからといって、その少女のために世界を敵に回したりはしない。
もちろん、世界のために少女を犠牲にする選択肢を取ることもしないが。
ならば、
世界を救い、少女も救う。それが僕の選択肢かといえば、
何故か、それでは少女が救われないこともあるからだ。特に今の嫉妬龍には、たとえ救われたとしても、背負うべき罪が多すぎて、彼女自身がそれに耐えられない。
故に、僕の選択肢は決まっていた。
だから、それはつまり――
◆
「――――あんた、誰よ」
僕のことは知らない――つまり、今の嫉妬龍はフィーではなく、あくまで嫉妬龍としての彼女なのだろう。フィーは、それを俯瞰するように見守っているのだろうか。
ならば、情けないところはみせられないな。
「
故に、単刀直入にそう告げた。
聞いた嫉妬龍の表情が、みるみると阿呆を見るものへと変わっていく。
「本当に誰だかわからないんだけど、頭おかしいんじゃないの? アタシは嫉妬龍エンフィーリア。大罪の一つにして、――世界の敵よ」
しかし、それでも応対はしてくれた。彼女が律儀なのもあるだろうが、たとえそれがいかにも阿呆なヤツだとしても、これは変化なのだ。
嫉妬龍にとって、
「それは少し正しくないな。君は世界の敵じゃない。
なにせ、世界――君をこのような状況に追い込んだ元凶は、それを嗤っている。愉しんでいる。君の破滅を、待ちわびている。
「それが、何だって言うのよ。どちらにせよ、アタシはここで死ぬのよ。だから――」
「――喧嘩を売ったのは、あっちが先じゃないか」
僕は、そういって彼女の言葉を遮る。
「だから、君は権利があったはずだ。それに抗う権利が」
「……っ、そんなもの! もうとっくの昔に投げ捨てちゃったわよ! 今のアタシにはなにもない! なにもないんだから!」
「
僕は、言い切った。
「ないわよ! どこにも!」
「――どうして君は、色欲龍に助けを求めない?」
「……!」
その言葉に嫉妬龍は目を見開いて、そして理解したようだ。――それまで、こちらの言葉に聞く耳を持っていた態度が、変化する。
より、剣呑なものへ、殺意すら混じった、敵対的なものへ。
これまでは得体のしれない存在だった僕が、
「アンタ、どこまで理解してるのよ」
「……全部。君がライン帝国の犠牲となり、その復讐の過程で、君を助けてくれるかもしれなかった人を、殺してしまったことも、知っている」
「――!!」
決定的に、嫉妬龍は僕へ敵意を向けた。
何故か、など問うまでもない。
――彼女は僕へ、嫉妬しているのだ。
「アンタも同じか! アタシに救いという言葉とともに、憐れみと見下しと、そして侮蔑を向けるあいつらと!!」
「違う、とは言えない。僕は君の味方にはなれない。しかし――
君が
僕は
――世界は、僕らに負けろと言っている。
だが、それにふざけるなと僕は叫んだ。
だから、今も僕は、世界の敵だ。世界が僕に提示した、最適解を溝に捨て、自分の取れる最善だけを選んだ。
「アタシに味方なんていらない……! いても嫉妬してしまうだけよ! それなら最初から味方なんていらない! いらなかった!!」
「――知っている。君が嫉妬を止められないことを知っている。それでいいんだ、構わない。それを変える必要はない。――何よりここまでくれば、変えたところで世界がそれを許さない」
「……だったら!!」
嫉妬龍が、いよいよ持って僕の言葉が敵対の宣言であるとみなしたようだ。しなだれるように、うなだれるように寄りかかっていた石碑から背を離し、立ち上がり、
「だったらアンタはアタシに何をするっていうのよ! 救いなんていらない! 憐れみなんてもとめてない! アタシはアタシよ! たとえそれがどれだけ無様でも!!」
鉤爪を、僕へと向けた。
「
そして。それは――
「――それは、
否定した。
決定的に、僕は嫉妬龍の破滅を否定した。
僕の答えは、嫉妬龍の破滅でもなければ、世界の破滅でもない。
「僕は、終わらせに来たんだ」
「――何を!」
「
そう言って、剣を抜いた。二刀の剣は変わらずに、僕に二重の力を与える。――だからこそ、わかる。この場において、
何よりも、彼女を滅ぼすことが、世界にとっての解決策だとしきりに
解っている。
知っている。
だから言ってやる。
僕の答えは、お前にとっての最善でもなければ、救いをもとめてない相手への、自己満足の救いでもない。
「……やれるものなら!」
嫉妬龍が構え、
僕もまた、踏み込む。
僕の答えは、
「――やってみなさいよ!」
飛び込んでくる嫉妬龍に、
「僕は――すべてを終わらせる! この戦いを、世界が納得のいく形で、そして同時に」
そして、叫んだ。
振り返り、今にも泣き出しそうな少女へと。
見慣れた――けれども、そんな顔からはありえない、絶望に満ちた彼女へと。
「君が納得のいく形で、君を終わらせる!!」
既に罪を背負ってしまった少女へ、