――そして、僕は師匠の可能性へと歩を進める。
フィーは言っていた。
「あのね、アタシ――本来の歴史で自分がどういう目にあったのか、追体験したわ」
少しだけ、嫌そうに。
けれども、僕がそばにいることで、不安はない様子だった。
「でもね、
そして、言いにくそうに、けれどもそこは安心してほしいと僕に言うように。
「……アンタはボカしてたけど、いくらなんでもアタシだってわかるわよ。アタシが捕まったら、誰だってそうするでしょうから。ルエは……気づいてなかったみたいだけど」
こちらの気遣いは、本当に気遣いでしかなかったということか。僕は苦笑する――ともあれ、それは本題ではない。ようするに、そういうことが問題なのではなく、そういうことを
それをしたのが誰か。
言うまでもなく、マーキナーだ。
「……マーキナーが、そういった行為を嫌ったのか?」
「たぶんね。……考えてもみなさいよ、あいつ、本来性別なんて選ばなくてもいいのに、女であることを選んだのよ。本能的に、そういったことには嫌悪感があるんでしょ」
流石にそれが理由ではないだろうが、ともかくマーキナーのパーソナリティで、
「――ねぇ、ルエの可能性って、どうなると思う?」
「強欲龍が父を殺す直前とか、直後に到着する?」
師匠の場合、たとえ後悔していないと口で言っても、心の底では絶対に後悔を抱えたままなのだ。どれだけ周囲に癒やされたとしても、それが完全に消えることはない。
フィーは言った。たとえどんな目にあったとしても、最後に僕のもとにいれればそれでいい。
そんなフィーと、師匠は根底が違うのだ。
「……確かに普通ならそうかもしれないけど、この可能性は、お父様が介入してるのよ」
しかし、フィーはそうではないだろうと言う。
確かにそうだ。
フィーに対して配慮があったように、
しかし結果は、
◆
――そこは、陣、と呼ぶべき場所だった。戦場で大将が居座る場所。周囲を概念使いたちが慌ただしく動き回り、そして中央に――シェルとミルカがいた。
戦略を話し合うためか、地図が拡げられた机には、色々とコマが並べられ、あーでもないこーでもないと、彼らは議論を続けていたようである。
それが、終わりをつげたタイミングだった。
いよいよすべての戦略、戦術が固まって、それを皆で共有する段階。僕はシェルを囲む概念使いの輪に加わって、それを聞いていた。
「明日。すべての雌雄を決する戦いになる。――各自、ゆっくりと休養を取ってくれ」
その声は、何も変わるものではない。
いつものシェルの声だ。そりゃあ、演説ということもあってか、明らかに声に力ははいっているけれども、そうそう変化があるものではない。
しかし、
直後、彼の口から――信じられない言葉が出た。
「
――それは、考えても見なかった可能性。
そもそも世界が、
見れば、周囲にフィーの姿はない。
確かめてみれば、アタリマエのことだった。
――夜、僕は一人で静まり返った戦陣を眺めていた。いよいよ明日が決戦ということもあり、見張り以外に出歩くものはいない。
僕はその唯一の例外だ。
なにせ、情報を集めるのに手間取ってしまったから。
ともかくまとめると、この世界は
結果どうなるか、この世界で概念使いは
本来の歴史でも、概念使いは排他される存在ではあったが、大罪龍という共通の敵から身を守るため、唯一の旗頭として活躍する下地があった。
しかしこの世界ではそういった脅威も存在せず、魔物は概念使いと同様に衣物で傷つけることができる。概念使いが人を守る必要がないのだ。
すると、どうなるかは言うまでもないだろう。概念使いこそが、今は世界の敵そのものなのである。
如何に概念使いが強大といえど、数に勝てるものではない。虐げられ、否定され続けてきた。しかし、それがこの年月の中で少しずつ概念使いは数を増やし、不満を募らせ、爆発させる瞬間を待ち続けてきた。
そしてそれが成ったのが、今から少し前のこと。
世界を概念使いの支配下に。そう理念を掲げ、世界に対して宣戦布告した概念使いたちがいた。彼らは破竹の勢いで勝利を重ね、彼らのもとに概念使いが集まって、そしていよいよもって、世界を支配する直前までたどり着いたそうだ。
しかし、同じ概念使いの中からも、その横暴を否定するものが現れた。結果、概念使い同士での内輪もめが発生し、今に至る。
――そのうち、概念使いの支配に反発する集団の長がシェルとミルカであり、概念使いが世界を支配しようとする集団の長が――
――紫電のルエ、つまり師匠だということだ。
なんというか、いつの間にか流されて、その立場に祭り上げられる師匠の姿が目に浮かぶようだ。絶対に断れないし、断らない。
そうこうしているうちに止まれなくなって、きっと今も後悔の真っ只中だろう。
特に僕がこちら側にいるということは――
「――敗因、どうしたんだこんな時間に」
――思考を巡らせていると、ふと声をかけられた。この声は――よく知っている。
「そっちこそ、どうしたんだ。――シェル」
剛鉄のシェル。本来の歴史でも見知った概念使いのものだった。
「俺は巡回だ。そういう予定だっただろう。そっちは理由もないのに外に出て、眠れないのか?」
「そういうわけじゃないけど、まぁ気分転換にな」
「……今は休め、気分転換をしてどうにかなるものじゃないだろ」
シェルの言うことは最もだが、そもそもからして僕は部外者だ。この可能性の中で、僕は敗因としては行動できない。
そんな僕の様子を見かねてか、シェルが隣に腰掛けて、僕と同じように陣を眺めた。
「……紫電のルエのことか。彼女に助けられたことが、あったんだよな」
どうやら、この世界での僕と師匠の出会いはそう違うものではないらしく、川で溺れていたところを、彼女が放っておけなかったようだ。
最大の違いは、彼女は僕の師匠にはならず、僕と師匠は最終的に敵対することに成る、という点だが。
「俺は……そうではないが、クロスの父上、ラインというのだが、彼も紫電のルエに助けられたことがあるそうだ。彼女は大陸最強の概念使い、そう珍しいことでもないのだろう」
――クロスの父の名前として、ラインの名が挙げられた。
それは、結局の所、この世界も僕らの世界とそう違わない歴史をたどっているということだろう。この戦いは、敗北の戦いだ。
この戦いに僕たちが勝利しても、世界は何も変わらない。しかし、師匠たちが勝利してしまえば、世界は間違いなくマイナスに傾く。そんな戦いだ。
敗北者たちの物語なのだから、当然のことだが――おそらく、この世界では僕が師匠を討伐し、その後シェルとミルカは子を設ける。
そして、何らかの形で死を迎え――2人の子供が、世界を変える英雄に成るのだ。
不思議なほど、可能性は集束していた。これもマーキナーの介入によるものだろうか。いやそもそも、大罪龍が存在しないこと事態が彼女の介入そのものだ。
その上で、歴史は大筋を違えど、方向性は同じ場所へと向かっている。
――きっと、大きな大きな流れの中で、最終的に世界の器は生まれて、マーキナーを討伐するのだろう。この世界で見られる可能性も、それを多分に示唆していた。
「紫電のルエは決して悪人ではない。それは俺もよく解っている。だがな、彼女はこの暴走を止められなかった。どころか、背中を押してしまったのだ」
「……」
「止められなくなってしまった彼女は、俺たちが止めるしかないんだよ。たとえ敗因に彼女への恩があったとしても、こちら側についた以上、
「……解ってるさ」
心ここにあらず。
考えることは多い、シェルとの話は情報を知る上でとても大事だが、今はそれ以外のことだ。
師匠のこと……でもない、師匠に関しては、これからどうにかすればいい。今僕が考えているのは、師匠ではなく
マーキナーはこれを僕にみせてどうしようというのだ?
……考えはある。想像はできる。マーキナーがどういった経緯でああなったのか、流石にそろそろ予想もついてきた頃だ。
しかし、それとこれになんの関係がある。
自分の置かれた状況を気付かせたいのか、何か別の意図があるのか。
フィーの時は、嫉妬龍の置かれている状況を、マーキナーに置き換えればなんとなくわかる。
結果は、ああいうものだった。可能性が解け、霧散したことは正解を表していたのか、まだそれはわからないが――何にせよ、この時代、この世界でもまた、変化は起きている。
「……もしも師匠……ああいや、紫電のルエにそういった可能性を押し付けるやつがいたとして、そいつは何を考えてるんだろうな」
「嗜虐……ではないのか?」
「そうではない……と思うんだ。人一人の人生を自由に操れるやつがいたとして、だったらもっと直接的に不幸に叩き込めばいい。紫電のルエの人間性なんて、そうそう変わるものではないのだから」
筋金入りのお人好しで、気にしい。
いろいろなことを引きずりすぎる彼女の性格は生来のもので、変えようと思って変えられるものではないだろう。
「だとすれば……そうだな」
シェルは、あくまで真剣に僕の言葉を聞いてくれた。それが可能性の世界故か、彼の人間性故か――後者だろうな、とミルカとの仰々しいまでに鬱陶しいやり取りを見ていると思う。
その上で、
「
「……義務?」
「そうだ。
「与えられた命令を、そのとおりに実行してるってことか」
しかし、マーキナーは我の強い傍若無人な神だ、僕たちと直接相対した時であっても、それは変わらなかった。これはマーキナーの意思ではないのか?
いや、
封印も同時に選択肢として考えていたとしても、
「……もう少し、ここで考えてみるよ、ありがとう付き合ってくれて」
「すぐに寝るんだぞ、あまり、明日に疲れを残すべきではない」
「ああ、大丈夫だ」
そういって、シェルを見送る。
――さて、これで一人になった。
「そう、大丈夫だ」
――なにせ、僕はこれから、
大変申し訳無いけれど、