塵芥と呼ばれる概念の意思が、
そんな彼女は、世界に自分しかいない今、
最初に始めたのは世界の創造だ。
時間と、空間と、それから生命。三つの概念を集めて固め、自分という土台で括った。やがて眼下には、どこまでも広い、広い世界が広がっていて、彼女はその世界を、空から一人眺め続けた。
――その世界に手を出すことは許されなかった。
世界がそうしたのだ。
彼女はあくまで世界を作った創造者であり、そこに生命もなければ、時間も流れていない。空間には彼女という痕跡は存在していない。
故に彼女は意思を持ちながら、存在の枠から逸脱した。逸脱してしまった。そのことに怒りを覚えた彼女は、自身のコマを作った。暇を慰めるために、怒りをぶつけるために。
ウリア・スペルを作り、ガヴ・ヴィディアを作り、ミカ・アヴァリを作った。
誰もが自身を称賛し、自身に忠誠を誓った。少しだけ、心のささくれが癒やされた。
少女は最後にラファ・アークを作ろうとして、そんな時だった。
世界に人と呼ばれる種族が生まれたのは。
想像だにしないことだった。彼女は可能性を一つとしていじってはいない。偶然に偶然が重なって、そして生まれた奇跡だった。
自分と同じ意思を持つ存在。それに興味を覚えた彼女は、ラファ・アーク――最後の一体に意思を与えた。それは未成熟で、完全ではなかったけれど。
ラファ・アークだけは、四天の中で、
この頃だった。
「羨ましかったんだ。少女は誰からも愛される。愛を無限に注がれて、少女は幸せそうだった」
少女は誰からも愛されたかったのだ。
しかしそれは素直なものでは決してなく、
だって世界は自分が作ったのだから。世界で人間が生きていけるのは、全て自分のおかげなのだから。
――彼女のなかで、より一層、外界に関わりを持ちたいという欲求が強くなるのは必然だった。
方法はいくらでもあった。どれも遠回りなものではあったが、選択肢自体はいくらでもあったのだ。なにせ彼女は、可能性を操る少女、可能性さえ知ってしまえば、彼女は概念の可能性を操って、思うがままに世界に影響を与えられた。
とはいえ、条件はいくつかあった。
一つは、最終的に自分の力を削ぐこと。万全に可能性を振るえた創造主は、自分の世界に降りるにあたって、無敵ではあるが、完全ではない存在に引きずり降ろされることになった。
もう一つは、その方法が、外界の人間の手で行われるものでなければならないこと。
いくつか方法を考えることは出来たのだが、どういうわけか
一方的に、ただ思うがままに蹂躙することは許されなかった。
理由はきっと、少女が世界というジェネレーターを使って、この世界を生み出したからで、そんな世界が、この世界の支配者として生み出したのが、人間だったからだろう。
少女は、壇上からそれを見下ろすだけの部外者。世界の主役は観客席で見ているだけのはずの人間で、それが少女には何から何まで気に入らなかった。
人間という存在は愛していたが、世界という存在は、死ぬほど彼女にとって憎らしいものだったのだ。だから、彼女は人間の感情を使うことに決めた。
この世で最も強い力を持つ七つの感情、これを彼女は
色欲、エクスタシア。
――はじめに創造した大罪龍だった。龍としての姿もあるが、人としての姿を与えた。人に味方する龍として、――自分に愛を与える存在として、母をイメージして形作った。
怠惰、スローシウス。
次に作った龍だった。人は怠惰だ、少女にとって人の生は短すぎる。なのに人はその大半を怠惰に暮らす。少女が一番に目をつけた感情だった。
憤怒、ラーシラウス。
人々は争ってばかりだ。常に怒りを他人に向けて、憎悪と憤怒で当たり散らしている。こんなにも愚かな感情は、罪と言う他ないだろう。
嫉妬、エンフィーリア。
憤怒と並んで、人が争う大きな要因だ。女性の姿を与えたのは、今にして思えば、自分の中にそういった嫉妬の感情が強かったからかもしれない。――結果としてそれが不運を招いたときは、少女は激しくそのことを後悔したが。
暴食、グラトニコス。
貪り食らう、奪い取る側の感情だ。憤怒や嫉妬と比べれば数は少ないが、人の上に立つものは、不思議と暴食に囚われる。マーキナーにしてみれば、それは嘲笑の対象だった。故に暴食でありながら、無数という特性を与えた。
――ここまでで、五つ、少女は大罪を作った。
そしてその上で、残る二つには特別な意味を与えた。他とは隔絶した力を与えた。――この二つの感情が、少女の中では特に大きいものだったから。
強欲、グリードリヒ。
目の前で、手の届かないショーケースを眺め続けてきた少女にとって、強欲はあって当たり前の感情だった。それに何より、少女が見てきた人の歴史で、強欲無きものはいずれも破滅した。強欲あるものに奪われる形で。
そして、傲慢、プライドレム。
傲慢とはすなわち強者の証。最強にして無敵の創造主たる自分は、傲慢であって当然だ。自分のような存在が卑屈では、世界そのものが卑屈に成ってしまう。
強者とは、常に傲慢で無ければならない。少女の心の底からの結論だった。
そうして生まれた大罪龍は、魔物とともに世界をしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回した。最初のうちは、その蹂躙が愉快だった。
人が決死の覚悟で反撃し、暴食龍を討伐したことも、少女は興奮しながら見守った。強欲が封印され、ついに傲慢が人類との直接対決を選んだ時、少女は最高潮に達していた。
人類が自分の創造物へと意識を向けている。団結し、輝いている! 世界などという枷に頼らず、人間としての意地と根性で、傲慢龍を打ち倒そうとしている!
そうだ、これこそが少女のもとめていたものだ。自分を模したと言っても良い傲慢が敗北することは業腹だが、人がそれだけ素晴らしいものを見せてくれたのだ。いずれ自分と対決するときに、きっとそれはもっともっと輝かしいものになっている!
そう、思っていた。その時は、
しかし、人類はどういうわけか、それから牛歩の如く歩みを遅くした。まるでそれで満足してしまったかのように、大罪龍を、魔物を脅威とみなさなく成った。
「ふざけるな、人類はボクの玩具だ。ボクが好きに遊ぶためのものだ! もっとボクに意識を向けろよ! ボクを脅威だとみなして立ち上がれよ!!」
そんな思いをよそに、人々は数百年の怠惰を貪った。
一万年という少女の生からすれば、それは短いが、けれども地獄のような数瞬だった。
変化が起きたのは、嫉妬龍だった。嫉妬するしかない弱者として創造した彼女は、人々に食い物にされるように少女が力を削いだ。結果、人々は彼女を食い物にしたが――少女の想像を越えるほどに、人々は暴食だった。
そのことに後悔を覚えながらも、嫉妬の最期は彼女の思い描いた通りになった。嫉妬龍が尊厳を奪われる可能性は否定しつつ、それ以外の部分は概ね満足のいく時代になった。
それから、人が自由を謳歌するようになった時代は、少女も決して悪いものではなかった。世界を踏破し、人がその頂点に君臨し、世界を食い物にする様は、いっそ痛快だと言っても良い。
そんな中で強欲龍が目を覚まし、彩ったことも少女を満足させるには十分だった。
しかし、そこから人の歩みは更に遅いものになる。
五百年、少女は待ちわびた。怠惰が滅び、しかし人類は少女との対決を遠ざけて、少女はさらにやきもきさせられた。こんなことなら、もっと早くに決着がつくよう、可能性を選ぶべきだった。
そんな時、色欲龍が一人の子供を拾った。
影欲龍が未来へと飛んで、四天の準備が整った時、満を持して少女は四天を世界に放った。人類と四天、どちらが勝利するか、少女は興奮とともに見守った。
――勝利したのは人類だった。
傲慢が人類の味方をするのは意外と言えば意外だったが、構わない。自分が勝てばいいのだ。これまで、ずっとこの時を待ちわびてきた。人類にとっての歴史など、自分の恋い焦がれ続けてきた時間に比べれば塵も同然。
勝利を確信し、彼女は戦いに臨み。
――そして敗北した。
その時の醜態に関しては、この場では一度棚上げしよう。大事なのはここからだ。少女はたしかに敗北し、消滅した。消滅するはずだった。
しかしその時に、少女はあるものにすがった。
もはや余裕などどこにもなかったのだ。
縋れるものがあれば、それでよかった。
だってそうだろう?
自分はまだ何もしていない。
何もなせていない。
おかしいではないか、世界を作ったのは自分だというのに、自分が世界に拒絶されるなど。
――意外にも、世界はそれを許容した。これまで散々恨みつらみを募らせてきた相手の懇願を、まるで何も感じていないかのように受け取った。
そもそも感じてはいないのだ。この世界で意思のある存在は、人間と、それから少女――そして彼女の作り出した衣物以外に存在しないのだから。
世界は意思なくそれに答えた。そして、それに忠実に答えた結果、
「――なんて、願ったんだ?」
「勝ちたい、と願った」
長い長い昔話の末に、そう、ぽつりと吐露した彼女の答えに、全ては詰まっていいた。世界はその願いを叶え、別の可能性に彼女を導いた。
そしてそこで――
だが、そこで話は終わらなかった。世界はただ彼女の懇願を叶え続ける。もう十分だと彼女が言っても、最初に受け付けた命令だけを忠実に。
「――
「……それは?」
フィーが問う。答えは最初から、解っているのに、問いかけずには、いられなかった。
「これまでボクが、
封印を願うのも当然だ。
敗北ではなく、封印ならば、彼女は永遠に眠ることができる。それくらいは、彼女に許される救いだろうと、誰もが思う。
しかし、それは僕によって否定された。
「なぁ、敗因――ボクは、いったいどれだけ、負け続ければいい? 後何回、人類が僕を蹂躙するさまを、こうして見せつけられればいいんだ?」
あまりにも弱々しい彼女の言葉は、
世界の創造主、邪悪の化身たる機械仕掛けの概念にしては、あまりにもか細いもので――
――僕たちは、少しの間、それに答えることができないでいた。