語り部の鏡。
まぁ、端的に言ってしまえば、便利アイテムだ。使われた者の過去を映し出し、照らし出す鏡。何が便利かと言えば、ゲームでは度々この鏡でキャラの掘り下げが行われるのだ。
これが使われたタイミングは、ストーリーにおける大きな転換点を意味するタイミングであり、ターニングポイントと呼ぶべき代物だ。
今回、使われたのは師匠だ。
それはそうだろう、アンサーガが興味を示したのは師匠の方で、僕ではない。――彼女にとって、僕はどうでもいい存在だったのだろうか。その視点に興味はあるが、今は師匠だ。
僕が師匠の手を掴み、師匠の鏡の中へと踏み込んだ。
待ち受けているものはさまざまで、その人の心のありようによって変化する。師匠の場合は――
「――鏡の迷路、か」
周囲を見渡しながらつぶやく。師匠の心の中は、鏡の迷宮だった。ありきたりと言えばありきたり、しかし師匠と結びつくかと言えば、一見ノットイコールである。
というか、僕的にもこれはそこまで師匠とは結びつかない。――この場合、舞台はあまり関係ないのだろう。ありきたりという印象を抱くということは、
人の心に、ありきたりはないのだ。なにせ一つ一つ、どれも形が違うのだから。
「師匠の場合は――――」
僕が少し考えて、つぶやいた時だった。
“――私の始まりは、憧れが終わった時だった”
師匠の声が聞こえた。
――僕の眼の前の鏡に、僕は映っていなかった。
そこにいたのは、ボロボロで、泣き出しそうな、けれどもそれをこらえている幼い師匠の姿だった。これは――ゲームでも見たことが有る。
強欲龍に襲われて、逃げ出した時の師匠だ。
ゲームのそれと、
“父は優秀な概念使いで、私の生まれた故郷を一人で守っていた。けれど、強欲龍という災厄の前には、あまりにも無力だったんだ。”
「――父はそこで待っていろといった。二度と、父が帰ってくることはなかったけれど」
この独白は、知っている。
師匠の過去は、3でも語られている。
あらゆる者から置いていかれる過去。始まりは、自分を守ると出ていった父が、帰ってこなかったこと。
師匠の姿が変化する。少しだけ大きくなって、けれどもまだ、師匠は十にも満たない年だった。
“――概念使いになり、父に置いていかれないよう、強くなろうと誓った”
けれども、その体はびっくりするほどボロボロだった。傷だらけになって、顔もそれはもう、ひどい切り傷だらけで。ああそれは――どこかアンサーガに近いかもしれないな。
“しかし、私のそれは、普通とはあまりにもかけ離れていたらしい。私は、強くなりすぎたんだ”
――師匠が何をしたのか。
根本的に、概念崩壊をした概念使いは、再び概念化できるようになるのは、概念崩壊による痛みが引いた時だ。であれば仮に、
つまり師匠は、概念崩壊した後に自傷することで、強引にもう一度概念化が可能になるようにしたんだ。これは、僕ですら普段はやらない方法である。
まぁ、なんでやらないかと言えば、傷を負った状態で概念化すると、感覚が狂うからだ。血が足りないのに活動できるから、いきなり意識を失ったりする危険もある。SBSのような繊細なバグ技を常用する以上、そういった自傷は可能な限り避けたい。
――別にやる必要があればやるかといえば、やるのだけど。それでも、それがどれだけ狂気的な方法かくらいは理解している。
無自覚にそれをした師匠とは、根本的に違うのだ。
“二年、常に概念化と自傷を繰り返し、戦い続けた私は、気がつけば世界で誰よりも強い、概念使いになっていたんだ”
常に、とは本当にそのとおりの意味だ。
師匠は危険とされる魔物の棲息する地域で、
実ってしまったのは、きっと師匠にとっては不幸だった。
“そして、気がついた時に、私は誰かに頼る立場を、失っていたんだ”
だから次に師匠が置いていったのは。
――
心なんて、これっぽっちも育ててはいないのに。
――リリスのそれとはわけが違う。リリスは本人が優秀で、だからそれに相応しい振る舞いを周囲が求めるだけ。師匠のそれは、本当にいびつだ。
本人の力だけが異常に成長してしまったがために、相応しくない部分まで、それ相応の振る舞いを求められてしまう。
そして師匠は、
“――初めのうちは、それが嬉しかった”
結果は、語るまでもない。師匠には、力があった。けれども、
“だから、頼られるままに、手を伸ばしていって、やがて抱えきれなくなった”
――師匠は多くの街を、村を、魔物の手から守った。そして、別の街を守りに向かい、帰ってきた時に――別の魔物に、その街は滅ぼされていた。
例の、花嫁に恨み言を遺された村も、似たような経緯だった。
そうやって、誰かを救えずにいるうちに、師匠は気付いてしまったんだ。自分ひとりがどれだけ強くとも、救える相手には限りがあると。
“なぁ、私はどうすればよかったんだ? 私は一体誰を救えばいいんだ? 確かに私は強いのかもしれない。誰からも頼られるくらい。私がいれば、後ろにいる人達が安心して眠れるくらい”
ああ、でも――と師匠は自嘲する。
“――私一人じゃ、大罪龍に勝つことはできないのにな”
師匠には概念起源があって、大罪龍と戦える強さもある。師匠が四人いれば、世界はきっと救われていただろう。でも、そうではない。
師匠は一人で、結局最後まで世界を救うことはできなかったのだ。
――ゲームの場合、そうして置いていかれることの恐怖から、最後に助けた負け主に、置いていくことを押し付けるかのように師匠は死んだ。
そのことが、師匠の中では、ずっと後悔の種だったのだ。あの時、もう少しだけ自分に生きる気力があれば、世界はもう少しいい方向に、誰かを喪わずに救えたのではないか。
生き残った負け主が、仲間たちと成し遂げたことと、それに対して失ったモノを比較して、師匠はそう思ってしまうのだ。
でも、だから、どうしても――師匠は怖かった。
“……なら、今度は私以外の誰かと協力しようと考えた”
一人でダメなら、複数人で、当然の考えだ。師匠だって、一人で抱え込むことが悪癖であることは知っている。そして、知っているからこそ、そこで折れなかった。
折れることができなかったんだ。
半端に融通が聞いたから、師匠は誰かと組むことを考える。
“開闢のライン。灰燼のアルケ。どちらも私と並び称される強者だった。ラインとは人々が安寧に眠る国を。アルケとは人々が夢見る街を作った”
――ラインとのこと、アルケとのこと。
そのどちらも、師匠の行動は成功だったと言って良い。事実、ライン国は今も繁栄の中にあるし、アビリンスの活気は、思わず僕らも息を呑むほどだった。
どちらも師匠と優れた概念使いたちが作り上げたのだ。
それは間違いなく師匠の輝かしい功績であり、師匠の名声を高める一助となった。そう、成功だったのだ。それまでの師匠とは違い、間違いなく、明白に。
しかし、
“しかし――ある時気がついてしまった。アルケもラインも、
――だから、その気付きは、誰にとっても不幸だった。
師匠が誰かと協力しようと考えたのは、
ああ、でもこれはしかし――結局、頼られているのは師匠だけ。
“原因は、私とアルケやラインとの間にすら、明確な強さの差があったから。位階の違いだけでなく、概念戦闘におけるセンスの差”
そうした差から、
やがて、耐えられなくなった。
誰かが悪かったわけではない、途中で投げ出したわけではない。ただ、支えてくれる人がいなかっただけ。支えることしか、できなかっただけ。
だからライン国がおおよその完成を見せた時、アルケがアビリンスの顔役に収まった時、自然と師匠は、二人の前から去っていった。
彼らも、師匠が去っていくのを解っていたから、止めなかった。
そうしてたどり着いたのが、アリンダさんの村だ。
“気がつけば私は、目の前にいる誰かを助けることしかできなくなっていたんだ。世界を救うことも、大きなコミュニティをまとめて、人々の安寧を守ることもできただろうけど”
「――それをするための経験と余裕が、師匠にはなかった」
奪われるだけだった師匠。
置いていかれるだけだった師匠。
最後に置いていってしまった師匠。
それが、僕の知るゲームの中の師匠だった。ただ、それが語られたのは、師匠が死んでから五百年以上たった頃である。
端的に言って、一人で有り続けた師匠には、心の整理をする余裕があった。だから、ゲームでヒロインに対して語られる師匠の過去はどこか他人事で、師匠個人の考えや、悩み。
そして何より、
ゲームでは、そうするべきだと思った。命に変えてでも、負け主を守るべきだと思った。といった。――実際それは正解だったけど、でも。
一人で大罪龍に勝てないと嘆く師匠には、それ以外の思いがあるように、僕には思えてならなかった。
「――っ、師匠は」
いつしか、普段と変わらない姿になり、けれども生気を失った瞳でこちらを見つめる鏡の向こうの師匠へ、僕は叫ぶ。
「師匠は、真面目すぎます! 融通が効かない、頑固で実直。その割に、誰かの願いや想いに、ホイホイと応えてしまう。だから抱え込みすぎる!」
“……そうだな”
「できてしまうから、やれてしまうからやろうとする!? 結局それも、最後まで貫けていないじゃないですか。最終的にアリンダさんの村へ引きこもって、見てみぬふりをしようとした!」
“…………そうだな”
師匠は、妥協できないのだ。できないから、疲れてしまう。そんなことを何度も何度も繰り返し、やがては全てに疲れてしまった。
けれど、
「――でも、疲れてしまったのなら、また立ち上がることだってできます。一度ゆっくりと休んで、また歩き出せるようになったなら、また歩けばいい」
それは、きっと疲れてしまった人には、酷な話だろう。残酷で、語ることすらおぞましいかもしれない。けれど、師匠はそれを選べていた。
アリンダさんの村へとやってきたのは、疲れた心を癒やすため。誰にも頼られる英雄としてではなく、単なる概念使いとして。そりゃあ概念使いは人とは違うゆえに、疎まれる立場ではあったけど、それでも排斥するような状況ではなかったから。
――師匠はあそこにいてもよかったんだ。
「そして、今ここにいる。僕と一緒に、マーキナーと戦うために動いてくれている。だったら、前に進めたんじゃないんですか? 誰かのためじゃなく、僕と一緒だって言ってくれた師匠は」
だから師匠は、ここにいる。
言ってくれたじゃないですか、僕と一緒だから、世界を変えてやろうと思ったんだって。それって嘘だったんですか? やっぱりそれでも、師匠は変われていないんですか?
“……そんなわけあるか。君が手を引いてくれて、君のやりたいを助けることは、とても楽しいよ”
「じゃあ、それでいいじゃないですか。師匠はまた立ち上がれたんです。その事は誰にも否定されやしない。正しいことをしてるんです」
“そう言ってくれると嬉しいよ。私自身、今こうして君やエンフィーリア、リリスと旅をすることは楽しい。新鮮さに満ちている”
そういって、師匠は笑ってくれた。困ったように、受け入れるように。ああ、たしかに――
ダンジョンアタックのときの連携も、皆がいなければ成り立たないもので、ダンジョンで見つけたゲームで、師匠はそこそこ以上の結果を出さなかった。クリアしたのはリリスで、得意なのは僕だ。
だから、あそこで師匠は一番上じゃない。ともに戦う仲間がいる。ともに過ごす仲間がいる。
師匠は救われてるんだ、僕たちに。
ならよかったと、心の底から思う。だって僕は師匠をムリヤリ巻き込んで、大層なことを始めた側だ。師匠がそう言ってくれなきゃ、安心できない立場なんだ。
だから――
――と、ふと鏡が揺れる。光の加減が変わって、師匠の顔が光に隠れた。
“――
「……師匠?」
“君と出会ってからの私は、
「――!」
師匠の瞳は、けれども先程と何も変わっていなかった。笑みを浮かべた時も、僕の言葉にうなずいたときも。
「師匠――?」
“君もなんとなくわからないか? 私はたしかに救われているけれど、
――否定は、
“君という目標ができた。けれど、その目標に対するスタンスを、私は何か変えたか?”
――――否定は、
“リリスという世話を焼いてくれる人ができた。でも、そんな彼女は、今も私に小言を投げかけてはいないか?”
―――――――否定、は。
“エンフィーリアという仲間ができた。君を好きだという彼女に、
否定……は、
“どれもこれも、過去の私の延長じゃないか?”
否定は、できなかった。
「……っ、でも、師匠!」
“なんだ、その続きを言ってみなよ。否定できるなら、否定しておくれよ”
「…………」
“できないだろう! 君自身が一番それをよく解っているはずだ! 私のことを隣で見てきて、私の過去を、知識として把握している君ならば!”
――別の鏡に、泣きつかれた幼い師匠がいた。
“これが私なんだよ。私はもう変われないんだ。置いていかれてしまったあの頃から、何一つ”
――別の鏡に、傷つきボロボロになった師匠がいた。
“変わろうとした。変わろうとするたびに、別のことに挑戦した。どれもこれもダメだった”
――別の鏡に、疲れ果て、痩せこけた師匠がいた。
“私は真面目過ぎるといったな。そのとおりだよ、だから次に進むために、私はその度に、私を捨ててこなくちゃいけなかったんだ”
――別の鏡に、威風堂々、誰かを導くときの師匠がいた。
“時折君が、私を切り替えが早いというけれど、
――眼の前の鏡には、いつもの師匠。年相応で、ありふれていて、
“諦める度に、私が死んだ”
“置いていかれる度に、死んだ私を置いていった”
“そうするうちに、私は私を見失っていた”
“今も私が信じられない。だってこんなにも恵まれているのに”
“私は――”
五人の声が、唱和する。
いや、違う。その声の数は、
“
――無数。
気がつけば、鏡の中にいる師匠はうずくまっていて、その顔は覗けない。けれど、見なくとも分かる。
“――そう思えてしまう、私自身が、怖いんだ”
――うずくまる師匠は、死んでいる。
身体ではなく、心が。
――これが、師匠の心の正体。
死んでしまったまま、壊れてしまったまま、失ってしまった、殺してしまった心の在り方。これが全部そうなのか? 今目の前にいる師匠すら、死んでしまった師匠の心の痕なのか?
僕の知る師匠は、とっくの昔に、割れてしまった鏡のように、バラバラになってしまっていたのか?
僕は、
「――違う。だったら師匠はどこかで諦めていたはずだ! まだ、師匠の心のなかに、
叫んでいた。
語り部の鏡。ああ、なんてくそったれなアイテムだ。師匠の心を丸裸にして、そうした結果がこれか! 残酷過ぎやしないか? 自分の死を、自分の虚無を突きつけるなんて。
ああでも、鏡に罪はないだろう、アンサーガだって。
――全ては必要なことだったんだ。いつかは向き合わなくちゃいけなくて、たまたまそれが今だっただけ。
だったら、
“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”“――なら”
“――なら、見つけてくれよ。
一斉に、声がした。
願いのようだった。
祈りのようだった。
“でもな、一つだけ条件がある”
「……なんですか」
“
そう言ってくれるのは、どこか気恥ずかしくも、嬉しいけれど。
――それは、つまり。
「僕は師匠のしみったれた顔を見ることはできない。けれど、師匠が生きているかは、
“……そうだな”
「そして、生きてる師匠はこの中から、きっと一人しかいないのでしょう」
“……もっと生きている私がいれば、私はこんなふうにはならなかったよ”
「
――それは、大変理不尽じゃないか。
大変どころじゃない、理不尽どころじゃない。
無理ゲーってやつだ。
ああ、でもそれは、そんな無理ゲー、僕は今まで何度もやってきた。
「
――だから、これは、
広い広い鏡の迷宮。どこまで続くかわからない、その広大な
僕はいつものとおりに、負けイベントと相対したときの、笑みってやつを浮かべているんだ。