――覚悟を決めて、迷宮をあるき出す。
迷宮は、複雑な構造はしていない。ただ、鏡の迷路は非常に迷いやすい。いくら僕が物覚えがいい方だからって、この迷宮を初見で何のマッピングもできずに進むのは無茶だ。
だから、迷わないことは諦める。一人ひとり師匠を観察し、虱潰しにするって方法は取らない。
僕の知ってる師匠の中から、正解を推察し、見つけ出す。
そもそも、ここは師匠の心の中だ、師匠の有り様によって、それは容易に変化しうるだろう。もっと言えば、僕が確信を持って答えを探せば、すぐに“彼女”は見つかるはずだ。
――手がかりとなるのは、リリスの言葉。そして、それを理解した僕の結論。
『――擦り切れた師匠の心のなかで、まだ擦り切れていない部分があるとすれば、それはもう恋心以外は残っていない』
というもの。
師匠は特別な存在だ。言うまでもなく、頼られれば誰かを助け、だからこそ
できてしまった師匠に、周囲はまた頼る。そんなことを続けているうちに、
例外が、僕だ。
けれど、たとえ僕が例外だったとしても、師匠の根幹を変えることは、今の今までできていない。というか、変えられる余地が今の師匠に残っていない。
それでも問題がなかったから。
そして、今。
僕はその余地を、そのチャンスをムリヤリに得た。
だからこれは理不尽に思えても、試練ではない。機会なんだ。師匠を救う機会、師匠にもう一度、生きていることを思い出してもらえるかもしれない機会。
たった一度の、細い、あまりにも細いチャンス。
――――今まで、僕がこの世界にやってきて、何度も掴んできたものだ。
やるべきことは決まってる。
この多くの師匠の中から、師匠の恋心を探し出す。師匠は恋をしたことがないという。けれど、だったら感覚派のリリスが、師匠に恋を見出すはずがない。
いや、もしかしたら――
とにかく、考える。
わかりやすい手がかりはある。
今、僕の周りには無数の師匠がいる。これら一つ一つが傷つき、捨ててしまった師匠の心だとしても、
最初に見た、幼い師匠。傷だらけの師匠。疲れ果てた師匠。威風堂々な師匠。ありふれた師匠。
この5つが、師匠が経験してきた大きな枠組み。
逃げ出して、強くなって、守りきれず、頼れる相手がおらず、全てを投げ出した。
これらを、一つ一つ精査してみよう。
その中から、師匠が恋をしているという確信を引っ張り出すんだ。
「今、僕が一番良く知っている師匠。――ありふれていて、可愛げのある年相応な師匠」
足を止める。
そこには、僕の隣に常にいた、彼女の姿があった。顔を伏せ、うずくまり、その表情は伺えない。彼女は恋をしているだろうか。
――もししているなら、相手は誰か。
「……僕、だよなぁ」
そもそも、こうなってから師匠にまともな出会いなんてなかったわけだから、自然とそうなる。ただ、あまりそうとは思えない。
一応、鈍いつもりはないが、もし師匠が僕のことを好きなら、もう少しフィーに対してなにかあるだろう、という当然の感情。
それに、
「僕と旅をするのは、アレだけ強く固執してくれたけど。恋に対しては同時に猜疑的なままなんだよな」
単純な話、師匠は僕の目的を、僕だから助けたいという。それはそのとおりで、けれどもそれは恋心故ではないだろう。僕にそれを語ってくれた後も、師匠の態度が何一つ変わらなかったのが、その証拠。
ではなぜか? というと言語化できないのだけど。
「……ううん、パス、パス。とにかく、ここになにもないとは思わないけれど、だからといって、それが恋にイコールになるとは思えない」
結論は、一旦保留。ただしかなり否定より。
――次は、威風堂々とした師匠。
「この師匠は、今も師匠の中にあるんだよな。そりゃあ他と違って、擦り切れてはいるけれど、絶望はしていないからな」
僕も、師匠が師匠然とした姿は何度も見てきている。間違いなく、今の師匠を作る、大事な師匠だ。とはいえ、“今”という意味では、間違いなく先程の師匠ともろかぶりするので、
ここはあくまで過去の師匠として彼女を考える。
「ラインやアルケと、色々と大きなことを為すために奮闘していた頃だな」
――この頃の師匠には、明確に相手となりうる人物がいる。
言うまでもなく、ライン達だ。師匠と並び称される強者。そしてそれ故に、師匠と対等――に近い立場を築ける二人。
「ただなぁ、アルケは言うまでもなく同性だし、ラインに至ってはあのラインだぞ?」
正直、ラインとアルケなら、アルケのほうがまだあり得るレベルでラインはヘタレだ。加えて言えばラインはあそこでヘタれた時、師匠のことは存在すら触れなかったじゃないか。そもそも年齢差がありすぎてそういう対象ですらなかったのだろう。
絶対にない、あるわけない。何ならクロスの方がありうる。年齢的にも数歳の差な上に、クロスはアレ絶対にモテるからな。
まぁ、本人がアン一筋過ぎて、初代におけるゲームでもアンに操を立ててるわけだから、これまたありえないけど。
「……師匠が同性愛者な可能性かぁ」
少しだけ思考が逸れる。
アルケと師匠なら、そう仮定すればむしろあり得る。ただ、だとしたら再会の時の互いの反応が淡白だ。既に破局済み……だとしたら、恋が擦り切れてるわけないだろう。
――そう考えると、師匠が恋をしている可能性は、少し限られる。
まず師匠に恋への自覚はない。無自覚な恋で、さらにはそれを今も続けているか、恋と気づく前に終えている可能性がある。
きっと後者だろうな。前者なら、もう少しそういう素振りがあると思うし――
「……何よりリリスが気付かないはずがない」
そういうことだ。
ともあれ、ラインやアルケと組んでいた頃の師匠。
結論は、否定。
「次は――」
一人で無茶をしていた頃の師匠。
――疲れ果て、顔を覆っているはずなのに、痩せこけているのが分かる。とはいえ、次は更にわかりやすいのだが。
「――あんなトラウマ負わされて、素直に恋ってできるかな」
最初に思い出したのは、師匠から直接話された花嫁の呪い。ああやって師匠はいろいろなものを背負わされてきたのだろうけれど。
あの呪いはドンピシャだ。師匠が恋をしたくない、と今も思っているのはアレが原因の一端ではあるだろう。
時系列が何時の頃かわからないが、少なくともアレを経験してしばらくは、そういうことを意識するのも億劫だったのでは?
そして、この時期に師匠と関わる人々は、だいたいが弱者で、師匠を頼る人だ。
「……向こうから恋を諦める傾向もあっただろうけど、師匠も意識したことなんてないだろうな」
思い出されるのは、師匠と出会ってすぐのこと。師匠は僕が得体のしれない相手であるにも関わらず、同居を許可した。そして、自分のほうが強いのだから、危険なんてない、と言ってのけた。
師匠の守るべき対象に対する意識は、あくまで守護するというもので、それ以上踏み込んだものではなかったのだ。
「で、それが結果として脈なしを悟らせて、更に向こうから諦めるというループか」
守るべき対象だった村人と、そういったロマンスがあったことはない。これは間違いない。であれば同輩は? 同じように村を守る概念使いはどうだ?
「――あったら、そもそもこんなことにはなってないよな」
師匠が頼れるほどの概念使いと、この時代に組めていたら、師匠はもうちょっとちゃんとした人生を送れていたはずで。
何より、ゲームでそれが語られていなければおかしい。
師匠は孤独であると、さんざん描写を見せつけられて、今更この頃の師匠に大切な人がいましたってのは、唐突過ぎる。
結論、否定、
「でもって――」
――傷だらけの師匠。
「ないな」
結論、否定。
――――まぁ、真面目な話をすると。
この師匠は、あまり見たくない。今は傷も癒えて、跡も残らないように概念技を使ってもらったから、師匠の肌はきれいなものだ。
だが、だからこそ。
――師匠にこの傷は似合わないと思う。
それが似合う人、勲章になる人もいるだろうけれど。師匠の場合は、本当にただの無茶と蛮勇、無謀の結果だ。僕は、そういうことをしない師匠が好きだ。
「……まぁ、色々否定してきたけれど」
そして僕はたどり着く。
――僕の目の前には、幼い師匠がいた。泥まみれで、ボロボロで、どこかから逃げ出してきたかのような少女。
結局の所、
「師匠に恋があるとするならば、この時しかない」
僕は最初から、そう結論付けていたんだ。
「考えてみれば、師匠は最初に宣言したじゃないか」
周囲を見渡す。そこには、いろいろな師匠がいる。誰もが少しずつ違うけれど、概ね同じな五人の師匠。その中に、一人だけ。
幼い師匠、ボロボロで、泥だらけで、大切な人に置いていかれた、始まりの師匠。
師匠の過去は積み重ねだ。一つ一つが大きな傷になっているわけではない。小さな一つが積み重なって、大きな傷になっている。
だからこうして、周りには無数の師匠がいるし、僕はその中から、生きている師匠の心を見つけ出す必要がある。
けれど、
その経験を二度も三度も経験できるはずはない。そして何より――
“――私の始まりは、憧れが終わった時だった”
師匠自身が語っていた。師匠は父に、概念使いとしての父にあこがれていたと。憧れ、尊敬。そんな感情を抱いた相手が、師匠にとって父以外に存在するか?
いないだろう。頼れる人のいなかった師匠にとって、唯一だれかを頼った記憶。だから大切で、だからこうして傷になっている記憶。
憧れとは、即ち未熟な恋心でもある。
素敵な人だから憧れる、素敵な人だから恋をする。そこに何の違いがあるだろう。ましてや、憧れることのできる人が一人しかいなかった師匠にとって、それと恋の違いはわかるまい。
幼い少女。
――恋と親愛の区別もつかない頃ならば、親愛の中に恋が混じっても可笑しくはない。尊敬の中に愛情をつのらせても不可解ではない。
本当にありふれた、どこにでもある微笑ましい光景だ。
初恋の人は父である。
――父が立派な人ならば、それは決してありえない現実か?
そして、だからこそその恋は恋になる前に終る。憧れと恋は似ているが、憧れによって始まったとしても、いずれ恋は憧れから巣立つのだ。
愛するということは、最終的にパートナーになるということ。
ただ憧れて、後ろから追いかけているだけでは、何時まで立っても隣に立つことはできない。
師匠が憧れは終わったと言った。
憧れのままそれが終わったのなら、師匠の心は――
――未だにキチンと恋をしないまま、けれども恋に触れたことだけはあるんじゃないか?
それがリリスの言っていたねむねむの恋。
いつか育って、形になるかも知れないけど、そのまま眠っているかもしれない恋。
「だから、師匠――」
僕は、手をのばす。この世界に、ただ一人しかいない師匠。一度しかない経験故に、ここにいる師匠。そしてそれ故に、実ることのないまま未熟で終わっている師匠。
結論。師匠の恋心は――――
そこまで、考えて、
ふと、
『――アンタは、まだ止まったままなのかい?』
どうしてか、アルケの言葉が脳裏をよぎった。
――なぜ?
なぜいまさら? 彼女の言葉は、師匠の現状を端的に示しているだけだろう? 止まったままの師匠、歩むための力を失った師匠。
それが、ここにいる師匠たちなんだろう?
いや、
いや、
――――いや。
アルケはこうもいった。
ルエを頼む。
僕に確かにそういった。これも、何も可笑しくはない。アルケならばそう言って当たり前で、そして僕が頼られるのも、アルケが僕と師匠の関係を見抜いていたからだろう。
あれ、じゃあ。
恋人ではない。
仲間だ。
家族ではない。
相棒だ。
互いに信頼を置く相手。僕からも信頼し、そして師匠からも僕を頼ってくれている。
だとしたら、だとしたら――
――あ、
『僕が世界を変えようとしているのに付き合うのも、目の前で僕がやろうとしているからですか?』
『――違う』
『君以外に、そもそもそんなことを言い出すやつはいないだろう』
じゃあ、
その感情は、
「――――っ!」
駆け出す。
僕は大きな見落としをしていた。
確かにこの迷宮に一人しかいない師匠は一人だけだ。幼い頃の師匠だけが、この鏡の中に唯一存在している師匠である。
だとしても、いや、だからこそ。
そして、考えてみれば。
――師匠の中で一人しかいない彼女こそ、師匠が最も傷ついた瞬間じゃあないのか?
憧れが終わって、一人になって。
形になる前に、未熟なままに、微笑ましい過去のまま。
走る、走る。走る。
「すいません、すいません、すいません師匠! 間違っていました! 師匠を傷つけるところでした! 安易な答えで妥協するところでした!」
探す。
あるはずだ、いるはずだ。
そこには、そいつが。
今になって現れて、かつて捨て去ったはずのあこがれを、尊敬を、
ああ、それは――
もはや、語るまでもない。
走る僕の視界に、ふと、それが映る。
僕の姿だ、ここは鏡の世界。それは決して不自然ではないごくごくアタリマエのこと――ではない。今、鏡の中には無数の師匠がいる。
その中で、
僕が映る事はありえない。だから、
「――――みつ、けた」
僕は拳を振りかぶり、自分自身の映る鏡を、
ぶち破った。
――僕のやろうとしていることに、師匠が執着した理由。それは師匠が、
また、あこがれを抱きたいと思えたから。
ふと、声が聞こえた――
“……そこまでして、お前達はなんだって勝ちにこだわる。俺に勝つなんて異常を成し遂げた、お前らの
強欲龍の声。
そして、
『――そうすることが
それに応える、僕の声だった。
鏡を叩き割った先に。
――彼女はいた。
「――迎えに来ましたよ、師匠」
「……本当に、君には敵わないな」
あの時、僕の横で。
――強欲龍に勝利して、父の仇を討った時と同じ姿の師匠が、そこにいた。