「――どうして、解ったんだ?」
気がつけば、僕らは迷宮の外にいた。
いや、迷宮の外ではあるけれど、ここはまだ師匠の心の中だ。だって、絶対にありえない場所に僕らはいるのだから。
ここは師匠の山だ。僕らが二人でみた夕焼けが、今も僕らを照らしている。
「理由はいくつかありますけど――」
大体は、もう既に心のなかで語ってきたとおりだ。師匠は憧れと恋の区別がついていないけれど、だからといって置いていかれてしまったことにトラウマのある師匠が、過去の憧れを恋にできるはずがない。
つまるところ、
「――あそこで師匠の恋が傷だらけだと認めてしまったら、師匠の恋も、他の擦り切れた師匠と何も変わらなく成ると思ったから、ですかね」
「……なんだい、そりゃ」
いいながら、お手製の切り株椅子の上で膝を抱える師匠は、どこかすねているような、照れているような、そんな様子だった。
「というか、さっきから恋だの何だの言っているが、
「あはは……すいません、リリス汚染がひどくて」
「いや、その言い方もどうなんだ……」
――脳裏になのなのいいながら飛び回るリリスがよぎって、それからおかしくなって更に苦笑する。そんな様子に、師匠は少しだけ不機嫌そうだったけど、やがてつられて笑い出した。
「ははは、まぁ、いいさ。こうして見つけてくれたんだから」
「もう、師匠も無茶振りしないでくださいよ」
「……しょうがないじゃないか。私にだって
――さっき答えを最初から提示したと言っていたのに、まったくこの人は。僕はまた笑って、それから続ける。
「ここが、師匠の大事な場所だったんですね」
「まぁ、そうだなぁ……多分、きっかけはここだったと思う。っていっても、その時は何を言っているんだこいつ、って感じだったけどな」
――それは、ああ、
「大罪龍に
夕焼けでの会話。
あの時の会話は、今にしてみれば少し恥ずかしいな。師匠は自己評価が低い。それはたしかにそうだけど、でも、そんな事は誰にでも言われてきたことだろう。
何より、二人なら何かできるかもといった師匠の言葉を、嘘と断じたのは僕だ。
師匠のことを理解していながらも、かけるべき言葉は、致命的に間違っていたんだな。――と、師匠のことを理解してみれば、分かる。
僕も、師匠をゲームの中で見た、偉大な先達という印象で話を進めていたんだ。
そんな中で、例外は一つだけだった。大罪龍に勝とうという、非常識な発言。
そりゃあゲームではルーザーズの時代に暴食龍が討伐される。だとしても、それは僕たちが成り行きの結果、討伐の手段を見つけることができたからだ。
言ってしまえば、成り行き。
――それを言えるようになるには、まだ二十年ほどの時間が必要になる。
そういえば初代ドメインの主人公も、大罪龍を明確に
まだ、先の話だ。
「何より――」
だから、
「
――そういうことだ。
強欲龍に勝とうと言って、
「……ようやく、師匠のことを理解できたような気がします」
「むぅ、そう言われると照れくさいな――」
そういいながら、師匠が遠くを見る。そっぽを向いて、顔は夕焼けに照らされているのもあるだろうけど、少し赤かった。
みれば、夕日は少しずつ沈もうとしている。時間が経過している――というより、僕が師匠を見つけた時点で、ここは役目を終えたのだ。
おそらく、アレが刻限。日が沈めば、きっとこの空間は崩れ去るだろう。
「…………あ、そうだ」
――ふと、そんな視線がこちらを向く。
「今度は何を思いついたんですか」
「今度はってなんだよ――いや、何、さっきから私のことばかり詳らかにされて、ちょっと気恥ずかしい。……君のことを、教えてくれよ」
「……僕、ですか」
ふむ、と考える。
僕は普通――かどうかはともかく、そこまで面白い人生を送ってきたわけではないと思う。ゲーマーで、ドメインシリーズをやり込んでいて、そのシナリオを隅から隅まで覚えている。
それは普通ではなくとも、特別でもないはずだ。
「――君は、どうしてそんなに理不尽をひっくり返そうと思うんだい?」
「……敗因、ですか」
――概念的に言えばそうだね、と師匠はうなずく。
つまるところ、どうして僕が負けイベントへの勝利に拘るのか。それはまぁ、とても単純だ。けれど、どうしたものかな、うまく語れるか――
――実のところ、師匠に僕の事情はおおよそゲロってある。つまり、別の世界からやってきて、この世界のことを知識として知っているということ。
ゲームの世界の人に、この世界はゲームだと伝えるのはどうなんだ、という話は在るが、そもそもこの世界にゲームの概念はない。
ただ、そういえば、ここに来る少し前に
「……そうですね。ちょっと、こっちに来る前の話をするんですけど」
「お、なんだ? 正直初めて詳しい所を聞くから、少しワクワクするな」
案の定、師匠は載ってきた。
「僕、ゲームが好きだったんですよ。ゲームっていうのは、さっき遺跡を探索している際にやった、アレですね」
「あの障害物を乗り越えてくやつか? ……そういえば、初見だったのにかなりうまかったな、君」
リリスは例外にしても、アレを初見一発でクリアすることは難しいだろう、ある程度ゲームというモノに慣れていなければ。
「他にも、衣物の中には盤上遊戯がいくつかあるじゃないですか」
「あるね」
「あんな感じの――ゲームを、僕は子供の頃からずっとやってきたんですよ」
「大概暇だな?」
「余裕のある世界から来たんです」
それで――と、僕はそこで少し考える。
「そのゲームでは、絶対に勝てない状況――イベントが、たまにあるんです」
「絶対に勝てない?」
「はい、さっきの遺跡のやつで言えば、そもそも鍵が取れない仕様になってたり、盤上遊戯なら、僕とは実力差が違いすぎる相手が目の前に座ってたり」
「……それ、楽しいの?」
さっきから、師匠はズバズバと切り込んでくる。そりゃまぁ、初めて聞く概念だから当然だけど。――先程触れて、なんとなくイメージがつくとはいえ。
「僕は楽しくなかったです」
「だろうね。っていうか、勝てないんじゃどうするんだよ、先に進めないだろ」
鍵の件で、なんとなくそこら辺を察した師匠の問い。
「負けたまま進むんですよ、そこでおしまいじゃなくて、次があるんです」
「あー、じゃあいつか強くなってリベンジしたりするわけだ」
「そういうことです」
「……それって、本来の歴史における強欲龍と同じじゃない?」
「
なんとなく、僕がどういう理由でこの世界のことを知ったか、理解したのではないだろうか。知識として知っている、というのは説明してあって
「はあー、君の世界は変わってるな」
ただまぁ、ゲームに対する理解度が薄ければ、反応としてはこんなものだ。もともと知識を知ってるというのを話しているのもあり、ゲームも知識媒体の一つ程度の認識だろう。
正直なところ、異世界の人間にそういうことを伝えても、ピンと来ないものはピンと来ないのだ。なので、師匠に関しては割とあること全部ぶっちゃけてある。
――師匠が僕を全面的に信頼してくれるだろう、という信頼も在るけれど。
そして今回、その信頼の出どころも、僕は知ることができた。そりゃあ、どれだけ言うことが胡散臭くとも、実際に強欲龍を討伐できてしまえば、信じるしかないよな。
「僕は
「……そりゃ強欲ってもんだろ、君」
う、師匠にすら言われてしまった……
「いや、でも盤上遊戯って、つまりそれ
「命はかかってない代わりに、何度でも挑戦できるんです。僕としてはおかしいのは、あくまでそれを現実――
「そうかもしれないけど、自分で言うなよ……」
いや、正直自分でもおかしいとは思ってはいるのだ。
いくら元いた世界で執着するくらい負けイベントに勝ちたかったからって、こっちの世界で命をかけてまでそれをできるかって。
そして、そう考えた上で僕の結論は、
それは、僕が自覚のある異常者だったのか、はたまた外的要因で精神的なサポートを得ているか。
――正直なところ、僕は両方であると思っている。
「まぁ、もっと言えば、今の所それで勝ててるから、ってのもあるでしょうけど」
「うん、まぁそりゃなぁ。そこは素直にすごいと思うよ。――ここまで、ちょっと挙げてみるとすごい相手としかやりあってないもんな」
なにせ、怠惰龍以外の大罪龍を全制覇、今回で怠惰龍にも手をかけようというところだ。傲慢龍とは直接やりあってはいないけれど、やり合うことも想定していた。
「しかし、そうすると危ういなぁ。もし負けたらどうするんだよ」
「……多分、負けることは最初から許されてないと思います。僕の眼の前には無数の負けが転がっていますけど」
「うん?」
「
僕は、一瞬だけためらって、
「世界が滅びます」
けれど、言った。
「…………」
師匠は少し停止して。
「――責任重大じゃないか!?」
「だから頑張ってるんじゃないですか。でもって、今の所順調ですよ。大罪龍はまだ五体残ってますけど」
「先は長いなぁ――」
僕はそこで、師匠に向き直る。
「だから、僕はずっと負けをひっくり返すことに執着してるんですよ。負けちゃいけないから、自分を奮い立たせるために」
――見れば、空は暗がりに染まり始めて、星々が遠く望めた。
「
――そんな夕焼けのなかで、師匠はどうしてか、輝いているように見えたのだ。
「師匠、たしかに師匠は僕に憧れを抱いたかも知れません。でも、それは僕だって変わりません、たしかにあの時言った言葉は師匠にとっては耳にタコができるほど聞いたことだったかもしれませんけど」
「……」
「
師匠が僕と一緒に戦うことに憧れるなら、僕も師匠と戦うことに憧れます。だって言うまでもなく、
「ねぇ、師匠。もし、よければ――」
これからも、師匠の弟子として――そう、続けようとして。
「……ふふ、そこまでにしておきなよ」
ふと、師匠は笑った。
それは、これまで一度も見たことのないようなものだった。慈愛と、暖かさと、そして何より優しさに満ちて、けれど、どこか熱っぽい。
「――だってそれじゃあ、まるで、君は私に告白しているみたいだぞ?」
「……え?」
ふと、
そうつぶやいた師匠は、
――――そっと、僕に、口づけをした。
唇が重なる。
熱が、伝わる。
ああ、それは――
「憧れは未熟な恋、だったか? そんなことをいう君も、恋なんてほとんどしたことはないんじゃないのか?」
「し、しょう――」
「じゃあ、それはまるで愛の告白だ」
「僕は――」
「おっと」
――言葉を続けようとして、師匠の人差し指がそれを塞いだ。熱っぽい笑みを浮かべたまま、師匠が続ける。
「君にはエンフィーリアがいるだろう。解っているよ、君の口からそれを聞くまでもない。私だって横からそれに割って入るつもりはないさ」
――なら。
視線で問いかける。
「でもね、
「――――」
「だから」
そして、師匠はその人差し指を、自分の唇へ添わせる。そのまま、少しだけ小首を傾げて、
「――――君を、勘違いさせたくなったんだ」
一瞬。
夜空に染まった世界で、
僕たちは静止した。
沈黙と、鼓動だけが世界に響き渡って。
僕は、
師匠は、
――――僕は、
「
師匠は、いたずらっぽく舌を出して笑った。
「……え?」
「いやいや、君が言ったんだろ、私は真面目過ぎるって。――変わろうと思ったんだよ、少しでも」
「だ、だからその、いたずらを?」
「そういうこと、だよ」
ぽん、と僕の方を叩いて師匠は立ち上がった。ウインクまでして、そんなのどこで覚えたんですか――――?
僕も合わせて立ち上がる。
もう、世界は終わろうとしていた。
――この世界から抜け出せば、次に待っているのはアンサーガだ。改めて、概念化で武器を取り出す。ああ、しかし。
終わりゆく世界の中で、言葉はない。
ただ、誰のものともわからない鼓動が、瑠璃色に染まった世界で、祝福のように響き渡っていた。
◆
そして、世界が元の景色を取り戻す。
「――よし」
目の前には、不気味な人形少女、アンサーガ。
今回の、無茶な戦闘、二人では彼女を打倒することは難しいだろう。だとしても、
「行きましょう、師匠」
「ああ、そうだな――こういう時は、こういうんだったっけ?」
「――――」
惚けるように、呆れるようにこちらをみるアンサーガに、僕らは剣を、槍を突きつける。
そして、高らかに宣言してやるのだ。二人合わせて、突きつけるように。
「――
ってね。