第7話 「油をぎゅっ!ぎゅぽっと!」
目蓋の裏まで染め上げるような、圧倒的な“あお”の光に呑まれて、ぎゅっと目を瞑ったーーそうして再び目を開けたボクの前に広がっていたのは、暗い空に、それを覆い隠さんばかりの鬱蒼とした木々だった。
「ーーえ?」
呆けた息が口からこぼれる。そうして気づく。ーー
「ッ!」
そんなボクの隣で、シドーが身体を跳ね起こした。さっきまでボクと同じく地面に転がっていたのに、瞬きの合間に既に棍棒を構えて周囲を警戒している。赤い目が辺りを注意深く見渡しーーボクを見つけて、少しやわらいだ。
「クリエ、怪我はないな?」
「ん、大丈夫だ!シドーも?」
「ああ」
差し出された手を取り、ボクも身体を起こす。スカートについた土や葉っぱなどを払い落としながら、改めて周囲の様子を窺った。
暗い森だ。それは木々が陽の光を遮っているからとか、今が夜だからとか、そんな理由ではない気がした。もっと根本から、この森は、空は、闇に包まれている。光が届かないからかどこかじめっとした森の空気は、明らかにエスタード島とのそれと違う。植生も、地形も、雰囲気も、何もかもーー。
「……ここは……」
どこなんだ?と疑問を口にするより早く、ボクらの隣で倒れていたアルスたちが身動ぎした。
「あいたたた……」
頭を抱えながら起き上がったキーファは、きょろきょろと辺りを見渡した。鈍痛のせいか眉間に皺が寄っていたが、同じくよろよろと起き上がったアルスやマリベルに目を留める。
「……なんだったんだ?今のは……アルス、マリベルも、大丈夫か?」
「う、うん。僕は平気だけど……」
「大丈夫なわけないでしょ!なんだったのよ今のはっ!? 」
おずおずと頷くアルスも、フシャー!と怒りの声を上げるマリベルも、みんなこの事態に混乱しているようだ。もちろん、腕を組んで首を捻るキーファもだ。
「さあ……?あの神殿にいて、何かが起こったのは確かだけど。……そういえば見たことのない場所だな。島にこんな所があったのか?」
「……キーファも、知らない場所なのか?アルスたちも?」
「うん……エスタード島にこんなところ、なかったと思うんだけど」
「……そうか」
なるほど、と頷く。島中を探検して駆け回っていた2人が知らないというのなら、ここはーー
「なに言ってんのよ。あったに決まってるじゃない。現にこうしてあるんだし!」
マリベルがフンと鼻を鳴らす。思考を中断したボクは彼女を見た。ボクらの視線を気にした様子もなく、彼女は辺りを見渡してぷんすか怒っている。
「……にしても、どうしてここってこんなに空が暗いのよっ!?それでなくても気分悪いのに、もうホントにサイテーな気分だわ」
「マリベル、」
「なによクリエ。っもう、あたしは家に帰るからね!」
つん、と唇を尖らせて、マリベルはオレンジブロンドの髪をふわり、風に靡かせた。
「アルス、キーファ。クリエにシドー。遊んでくれてありがと、つまらなかったわ。じゃあね」
素っ気ない声色。可愛くない台詞。
それは通常運転でもあるけれど、それだけじゃない。……強がりでもあるんだと、ボクは思った。
「さて……俺たちもいつまでもここにいても仕方な……クリエ?」
「ごめん!先行く!」
きっと、お節介だって怒るだろうな。わかってるけど、それでも今マリベルをひとりにするのはいけない気がして、ボクはあの頭巾頭を追って走り出した。わけのわからない状況にーーマリベルは信じようとしてなかったけれどーーどこなのかわからない場所、それに、
(……この気配は、)
ぼんやりとだけど、覚えがある。ぎゅうと拳を握り締めて、湿った地面を蹴って、ボクはマリベルに追い付いた。案の定マリベルは眉を吊り上げたけれど、この右手を離す気はない。
「なっ、なんの用よ、クリエ!」
「あはは、やっぱり怒っちゃったな!」
「~~っ、じゃあさっさと離してくれるかしら!?」
「ごめんね、それはできなーー」
話をしていたボクらの耳に、ガサッ、と草むらが揺れる音が届いた。それからーー何かしら、とマリベルが草むらを覗き込もうとしたのと、ボクが彼女を抱き締めるようにそれを止めたのと、魔物ーースライムが飛び出てきたのは同時だった。
「!?きゃあああッ!!?」
「マリベル!」
悲鳴を上げる彼女を腕の中に庇い込んで、襲い来る衝撃に備えた。けれどいくら待っても背中に痛みはやって来ず、そればかりか、ピギー!とひび割れたスライムの悲鳴が聞こえて、ボクは驚いて目を開けた。
背後を振り返る。そこには、棍棒を携えた相棒の背中があった。
「シドー!!」
庇ってくれた。助けてくれたのだと、安堵と歓喜で声が輝く。そんなボクにちらと視線をやって目だけで微笑んだシドーは、すぐまたスライムと対峙した。スライムはざっと10匹ほどいて、全員がボクらを襲おうと身体を震わせている。……いつもは可愛く感じるその笑顔が、なんだか無機質なそれに見えて、ボクはぎゅっと握り拳をつくった。
「マリベル!みんな、大丈夫!?」
「アルス!」
「なっ……なんなんだ!?このヘンな生き物はあ!」
マリベルの悲鳴に駆けつけたアルスとキーファ、そしてマリベルにとっては初めて目にする魔物なんだろう。その困惑と驚き加減でわかってしまう。比較的慣れてるボクが対処しなければならないだろう。
守らなければいけない子が3人、相対する魔物は10匹ーーだなんて、状況は最悪そうではあるが、まったくもって問題ない。だって!
(だってシドーが、いてくれる!)
それだけで恐怖が消えていく。勇気が湧いてくるのは、何でなんだろう?わけもわからないのに、妙な確信が胸にある。ボクは袋から以前作っていたひのきのぼうを取り出し、シドーの隣に並んだ。
瞬間、飛び掛かってきたスライムたちに向かってそれぞれの得物を振るう。
「ハアアッ!」
「せっ、やあっ!」
ぶおん、とフルスイングされた棍棒が一気に5匹のスライムを薙ぎ倒した。こぼれ落ちた1、2匹はボクが相手取る。スライムの身体はぷにょんと柔らかく、衝撃を逃がしてしまう。だからボクは3発攻撃してやっと倒せるといった有り様なのだけれど、シドーはたった一撃で次々とスライムを伸していった。
「シドー!さっすが!」
「ああ、魔物の相手は任せておけ。オマエは、……油でも採取しとくか?」
「!お言葉に甘えさせてもらうよ!」
スライムのぷにょんとした身体の中には油が詰まっている。倒されて染み出たその油を瓶に詰めていった。この油は火種にも食用にも使えるから便利なんだよな!とほくほくしながら素材を集める。
「……ホントにクリエ、お前……緊張感を壊す天才だな……」
「ええ、なんでだいキーファ!失敬な!」
ぎゅっとしてぎゅぽっと油を集めて回るボク。なんら可笑しなことをしているつもりはないけど、うーん、まあ、若干?殺伐とした雰囲気が散ってしまったのは否めないかな?
そんなこんなでシドーが最後の1匹を倒し終わり、ボクもきゅっと蓋を閉めた。揃ってアルスたちの元へ戻ると、彼らは戸惑うように瞳を揺らしている。
「な……なんだったんだ、こいつら?」
突然の魔物の襲撃。シドーの比類なき強さ。ボクの素材集め。急に目の前で起きた出来事に、はじめに混乱から帰ってきたのはキーファだった。彼は口の端をひきつらせつつ、それでもやっぱり魔物が気になるのかスライムがいた場所を指差していた。そんな彼にマリベルが続く。
「な、なんなのよ!ここは!どうして魔物なんかいるのよ!」
悲鳴じみた声には、信じられないという響きに彩られていた。ぶんぶんと、拒否するように首を横に振っている。
「……魔物?今のが、魔物なの?」
「じゃなかったら今のうす気味わるい生き物はなんだっていうのよ!? 」
「魔物……」
恐怖。驚愕。焦燥。混乱。そんなマリベルの表情とは裏腹に、ぽつりと呟いたアルスとキーファの顔は驚きから変わっていった。頬が赤く染まり、目がきらきらと星のようにーー輝いた。
「お、おい!アルス!見たよな!本物の魔物を!!」
「うん……!まるでおとぎ話みたいだけど、本当に魔物っていたんだね!」
「……クウ~ッ!なんだか知らないけど、ワクワクしてきたぜ!」
「……なあクリエ、こいつらの反応おかしくないか?」
「うーん、否定できないな!」
今まで魔物のいない島で平和に暮らしていたはずで、今さっき、その魔物に襲われたというのに、恐怖や戸惑いよりも未知への喜びと好奇心が勝るなんて。なかなかにクレイジーだと言わざるをえない。
「バカッ!どうしてこんなときにあんたたちは喜んでんのよっ!」
そうそう、マリベルの反応の方がよっぽどまともだ。今は怒りが勝って強がりを維持できているけれど、その目が、眉が、恐怖でゆらゆら揺れているのがわかる。
そこから涙がこぼれるのは見たくないなあ、と。それなら可愛く怒っててほしいなあ、と。そう願うボクだから、やることはひとつだ。にこっと笑ってマリベルの肩を叩く。
「大丈夫さ!スライムごときシドーの敵じゃないし!」
「……、なに他力本願なこと胸張って言ってんのよ」
「あはは、ごもっとも!でもボクだって、そりゃあシドーと比べたらありんこみたいな戦闘力だけど、キミを守ることはできるよ」
とん、と、華奢な背中を優しく叩く。
「大丈夫。必ず無事に帰すから、心配いらないさ」
そう言った途端、きゅっとマリベルは口許をきつく結んだ。白い頬は少しだけ赤くなっている。
「~~ッ、とにかく!あたしはいつまでもこんな所にいたくないわ。さっさとあたしを連れて家に帰るのよ!いいわね!」
「はーい、了解!」
暗い森に、マリベルのツンデレと、ボクの能天気な声と、アルスとキーファの苦笑と、シドーの「仕方ないな」と言いたげなため息が響いた。
それから、とりあえず森を抜けようとしばらく歩いていたボクたちの前に、人影が現れた。その人影もまたボクたちの気配に気づいたのか、ハッとしてこちらを振り返る。がちゃり、と金属が擦れる音がした。
「誰っ!?」
まず印象的だったのは、その豊かな金髪だった。ふわりとした巻き毛が動きに合わせて翻る様は、薄暗い森を照らすかのようだった。ビキニアーマーを纏い腰に剣を提げたその姿を見ていると、美しく勇ましき女戦士、という言葉が頭に浮かんだけれど、浮かぶ表情はどこか儚げだった。
「あなたたちは、……誰?」
ボクらに敵意がないとわかったのか、女性は剣の柄から手を離した。それを見てキーファが一歩進み出る。
「驚かせてしまってすいません。ボクたちはあやしい者じゃありません。
ボクの名前はキーファ。グランエスタードの王子です」
「おお、“ボク”って言ったな」
「うさんくさいわね」
「いやマリベルそれ言っちゃ悪いよ!確かに違和感ものすごいけどさ!」
「ちょ、ちょっとみんな、」
「おいお前らうるさいぞ!」
やいのやいの言っていたボクらに、怒るキーファ。わいわいがやがやうるさかったから、危うく女性の呟きを聞き逃すところだった。
「……エスタード?まさか……」
「ーー?」
なにが、“まさか”なのか。問い掛けようとしたのだけれど、それより早くキーファが口を開いた。
「ああ、それと、ここにいるうるさいのはアルスとマリベル。クリエにシドー。ボクの仲間たちです」
「うるさいって失礼ね。……コホン、それはそうと、この辺りはずいぶんと空が暗いのね。えっと……」
「……申し遅れました。私の名前はマチルダです」
「マチルダさん?マチルダさんはこんな暗い所で草むしりでもしていたの?」
マチルダさんと名乗った女性の手には雑草が握られていた。マリベルの問い掛けに対し、彼女はその草をそっと撫でるように抱える。
「いえ……この草は、そこにある墓に供えようと摘んでいたものです」
「お墓に供える……って、ねえ、それって雑草じゃない?雑草をわざわざお墓に植えなおすの?」
「この草は花の代わりです。見てのとおりこの辺りには花が咲かないのです」
「……、花が、咲かない?」
「ええ、なので……せめて雑草でもと思って……」
確かにこの森を歩いている間、どこにも花は見当たらなかった。こんなにも草木に溢れているというのに、だ。
(花は、命を未来へ繋げるために咲くものだ)
それが、一切咲かないというのは、やはりーー
「あ、そうだ!花ならあるわよ!……って、種だけど」
ボクの思考を止めたのはマリベルの明るい声だった。彼女はごそごそとスカートのポケットを探って、小さな包みを取り出す。
「花の……種……」
「グランエスタードの森で拾ったの。家の周りにでも撒こうかと思って」
「……すみません。もしよければその種を、少し分けていただけませんか」
「もちろん!全部あげるよ!」
「……!ありがとうございます!早速撒いてみますわ」
これまで悲しげだったマチルダさんの顔と声が輝いた。ふわりと嬉しそうに微笑んだ彼女は、マリベルから受け取った種を墓の周りに撒いていく。そっと、土を撫でる手が優しかった。
それを見守りながら、ボクはマリベルに耳打ちした。こそり、笑みを送る。
「ふふ!やっぱり優しいな、マリベルは」
「う、うるさいわね……」
ボクには相変わらずツンケンしてるけれど、マチルダさんに種を渡せて、ありがとうと言われて、その頬がやわらかく綻んでいた。……うん、やっぱり、その優しさはマチルダさんにも伝わっているんだろう。戻ってきたマチルダさんの表情は穏やかだった。
「これで死んだ者のたましいも少しは癒されましょう」
墓は手入れがあまりされていないのか、時が経ちすぎているのか、そこに刻まれた名は掠れていて読み取れなかった。それでもこうして冥福を祈る人がいるのだから、きっと名も知らぬこの人も浮かばれるはずだ。
ボクは墓の前に跪き、指を組んで祈りの言葉を呟いた。アルスやキーファ、マリベルも同じようにして祈りを捧げる。シドーは少し戸惑うように沈黙していたけれど、しばらくしてからボクの隣で静かに目を閉じた。
そんなボクらを見て、マチルダさんは静かに目を伏せ「ありがとうございます」と言った。顔を上げた彼女は、ゆっくり目を瞬かせて首を傾げる。
「ところで……あなたがたはこれからどこに向かうおつもりでしたか?」
「ん~……どこって言うか、とりあえずそれぞれの家の方に戻りたいと思うんですけど……」
「……申し上げにくいのですが、」
ーー今すぐにあなたがたの住む場所に戻ることはできませんわ。
「……え?」
「おい、それってどういう……」
ボクの疑問とシドーの訝しみを無言でかわして、マチルダさんはマリベルたちに向き直った。
「ですが……この森を抜けた先にある村なら、あなたがたの休める場所もありましょう。種をいただいたお礼に、その村に着くまで、あなたがたのおともをいたしますわ」
剣の柄に手を置き、微笑む。その姿は美しかった。その剣が使い込まれている様子から、手練れの女戦士なのだとわかる。そんな彼女が守ると言ってくれているのだから、安心するべきなのだろう。
ーー“悲しい”、なんて、感じるはずないんだ。
「……?」
何故だか、胸の奥がざわめく感じがして。えも言われぬ感覚にボクは首を傾げた。
第7話 「油をぎゅっ!ぎゅぽっと!」
スライムの油は重要な火種。旅の大切なおともですね!
マチルダさんとのエンカウント。このウッドパルナ編ではマチルダさんもそうですがマリベルの発言もめちゃ好きなので、彼女の出番が増える予定です。