その便りが来たとき、私は確かに笑ったはずだ。
便りは結婚式への招待状だった。新郎新婦のどちらも見知った名前だが、唯一違和感を覚えるのは新婦側の名字だろう。夫の名字に合わせて変わった名は今までの彼女の響きを知っている身としてはどこか歪に思えた。天井につけられた照明が白い招待状を尚更純白に光らせて、目をぐっと細めた。
当日、披露宴が終盤にさしかかったころ、あいにくと曇天から雨がこぼれ落ちてきていた。
窓からその景色を眺め、傘を持ってきて良かったと会話を交わす同級生たちを尻目に上着を羽織る。二次会は参加しないと新郎新婦には告げていた。とても残念がってくれたけれど、どうしても外せない予定が入ったと言えばそれ以上引き留められなかった。一足先に披露宴を抜け出して、来る途中のコンビニで購入したビニール傘を差す。
敷地内を出て、第二駐車場までの多少長い道のりを歩く。手前にあった信号機の緑色が点滅し初めたので、小走りで道路へ踏み出した。雨がビニールを叩く音とヒールが地面を蹴る音を聞きながら、夫婦になった二人の姿が頭の中に浮かんできて思い切り傘を柄を握りしめた。
息をのんで、踵を返す。スカートがひらりと舞った。足に力を入れ、走り出そうとして――何か大きな陰に覆われたんだ。
「……名前、何になってたっけ」
ぼうっと白い天井を見上げながらフローリングの冷たさを感じる。にしても、見事に転げ落ちたものだ。まさか三百六十度回転するとは思ってもみなかった。
のっそりと上半身を持ち上げて、大きな欠伸とともに腕を思い切り上へ伸ばす。小気味の良い音が響き、その心地よさが最悪の目覚めを少しだけ挽回してくれる。髪の毛をごちゃごちゃとかき混ぜて、ベッドを支えに立ち上がった。ベランダに続く大窓を開けて何枚か洗濯ばさみでぶら下げられているTシャツをじろじろと吟味して、鮮やかな紺色の――かっこいい英語が胸が書かれたやつ――をひっつかんで回収する。洗面所へ行く最中に用意しておいたジーパンを手に取って、二つまとめて洗面所の棚に放る。
顔を冷え切った水で洗って、開ききった目でお気に入りのワックスを見つけだしていやに指触りの良い髪を左右で分けて軽くはねさせる。
髪を整えれば、鏡に現れるのは鍛えた胸筋と腹筋を隠しもしない少年だ。大人びた、というよりは少し格好付けているようにも思える髪型とその印象を消してくれる整った顔立ちと体つき。
「おし、今日もいけてるな!」
そう語りかければ、少年はご機嫌そうに歯を見せて笑った。
少年の名前は号声氷雅という。つまるところ俺の名前だ。
現在中学三年生、高校受験で忙しい十二月である。ジーパンと紺色のTシャツ、黒のミリタリージャケットを羽織って首にライトブルーのマフラーをしっかりと巻いて玄関前の全体鏡にかっこつけてる白い髪色の号声少年こと、氷雅ある。ニヒルに笑ってみたり、すかした仏頂面をしてみたり、身体を斜めにして流し目でどっかしらを見てみたり。誰にも見せられない姿であるが、残念ながらこの時間は俺にとって至福の時間だ。
体質で寒さに強いため、十二月と言ってもそこまで羽織る必要はない。けれど寒い時期にしかできない服装というものがある。しかも受験の時期なのでなかなか遊ぶ友達も捕まりづらい、今日は久しぶりの勉強の憂さ晴らしという名のフリーの日であり、学生服以外が着れる良い日だ。
俺は見た目上は十四歳の少年であるが、実は中身は異なる。いわゆる前世と呼ばれるものあるのだ。生まれた直後は分からなかったが、だんだんと意思をはっきり持って行く内に俺が一つ多めに人生を歩んでいることが理解できた。前世は冴えない平凡な人物だった。恋人もおらず、仕事はしていたが生きがいだったわけでもなく、だからといって大きな不満があるわけでもない。ある吉日に何かに襲われて――襲われて、というのは自身が理解できなかっただけでおそらく車とかに追突されて――死んだ。
鏡の中の俺が難しい顔をして俺を見つめている。改めて、今日の夢は最悪だった。
平凡であっただけで、過去の人生への思い入れは十分すぎるほどあり多大なる悔いがあった。だが俺は郷愁に心を震わせるよりも今の人生を愉快に歩むことを選んだ。
この世界は以前の世界とは異なり、異能力のようなものがある。それは『個性』と――個人的にはとてつもない皮肉に感じられるが――呼ばれており、人類の過半数がその異能力を持ち得ている。洋画で例えるとX-MENとかが思い浮かぶ。超能力のような想像できそうな能力から、身体の一部が動物化しているという人間の枠組みから外れたような能力まで多種多様だ。数十年前に突然変異のように現れた『個性』は世界を混乱の渦へたたき込んだ。それからこの世界での世界史で学んだ様々な出来事が起こり、今に至る。歴史を学ぶたび、生まれたのが現代でよかったと心から思う。個性出現時代に生まれていたらおそらくこの年まで生き残っていないだろう。
一通りポーズを決め終わり鏡の前から移動してすぐそばにある台所にある冷蔵庫を開ける。そこから卵を取り出してミキサーの中に空を割って入れ、適当に水、多めにプロテインを投入する。蓋を閉める前に手のひらをかざして、そこから砕けやすい小さめの氷を十個ほど落とし、蓋をしてスイッチを入れた。数秒すれば栄養たっぷり朝食の完成。
「天然スムージーのできあがりー」
鼻歌を歌いながら大きめのコップに注いでいく。氷がなければどろどろしているだけのそれはスムージーになったおかげでちょっとした店で売っていそうな見た目になった。まぁ味はけして売れたものではないのだが。
俺の個性は『氷を生み出せる』というもので、地味に私生活に役立ついい個性だ。個性故の体質なのか寒さを感じにくいが、代わりに暑いのが苦手で冬でもあまり暖房はつけない。あと、これもたぶん個性故だが、髪が雪のように白い。
先ほどは洋画に例えはしたものの、日本でなじみ深いものといえばドラマだとスペックとかだろうか。あと、知っていれば一番ピンと来る漫画は『僕のヒーローアカデミア』だ。むしろ『僕のヒーローアカデミア』の世界そのままといってしまった方が早い。異能力も『個性』と呼ばれているし、何よりこの世界にはヒーローがいる。職業として。
ただ唯一の違いは――違いというのだろうか――原作、つまり漫画で描かれていたような年代よりも過去である。という点だ。
そもそもそのままといったものの、ここが僕のヒーローアカデミアの世界であると決まったわけではない。似ているだけの別世界の可能性もある。が、酷似しているのは確かだ。漫画では僕のヒーローアカデミアが販売されていた時代と同じぐらいの描写が行われていた。新幹線が通り、スマートフォンを手に持ち、治安もものすごく悪いわけじゃない。だが、ここは新幹線もまだまだ少ないしスマートフォンはなく、携帯電話だ。しかも治安は残念ながらそこまで良くない。言うなれば抑止力が少ないのだ、つまり――ヒーローが。
ヒーローとはつまりX-MENであり、個性を扱う警察だ。ちなみに、警察組織自体はあるが、個性の使用は行わないのが警察である。
技術に関しては実はもっと発展していたらしいのだが、個性が発見された後の世界の動乱の中で消え去ったらしい。なんて勿体ないんだ! 順調に発展していたら今の俺でもスマートフォンを持っていたかも知れないのに! と、そんな誰に対して言えばいいか分からない文句は置いておいて。
「不味いけど冷えてるからうめぇ」
飲みきるために味わうわけにはいかないので一気に口へ流し込む。荒く砕けた氷の感触が最高なのでプラマイゼロといったところか。不味い。
どうやっても不味いが、これも将来のためと思えば我慢できる。
机に積まれた参考書を一つ手に取る。全く、高校受験でなぜ高校で学ぶことを勉強しなければいけないのか。それほど優秀な生徒だけが登れる高い山であるということだろうが、前世がある身でここまで苦労するとはおもわなんだ。さすが天下の雄英といったところか。
雄英とは俺の受験校、および日本中からヒーローになりたいものが集う高校だ。本物のヒーローが教師をしており、設備も飛び抜けて充実している。他にもヒーロー科がある高校もあるが、名門としての名をほしいままにしている。原作と違ってまだ有名ヒーローを輩出しているわけではないだろうに、それ以外の魅力も十分とはさすがである。
ぽい、と参考書を放り投げて最後の一口を全て流し込む。よし、まっっっずい!!!
コップをシンクに転がして、玄関に並べてあったスニーカーを履く。ドアノブに手をかけようとしたところで、ドアの郵便受けに封筒が入っているのが見えた。
ドキリとして素早くつかみ取れば、何やら書類が入っている気配。差出人を見て、封をしてある頭を慎重に切って中をのぞき見ればそこには十万程度のお金と紙が入っていた。紙だけ取り出して、中の文字を眺めていってため息を零した。
「郵便物にお金はダメなんだけど、母さんさ」
まぁ、別にいいですけどね。いつもと変わらぬ文面に折りたたんで封筒の中に戻す。封筒の中から一万円だけ取り出して、バックの中に雑に入れた。今日は爆買いをしたい気分だ、前世の癖が抜けていないな。なんてどうでもいいことを思う。封筒を奥のベッドへ狙って放って、着地した様子を見ずにドアを開けた。
待ち合わせの場所に行けば、すでに友人は到着しており俺に気づき、携帯から目線を外し片眼鏡をかけた顔を上げた。
「すまんすまん、待った?」
「うん、五分待ったね」
「五分前に来てたのか、はえぇなぁ。デートじゃないんだし、ギリギリでいいんだぜ」
「デートの癖が抜けなくてね」
「嫌みっぽいなお前!!」
肩をくすめて余裕の表情を見せる友人――来見英次はクールな性格、整った涼しい顔立ちから学校の女子にかなりの人気を誇っている。で、当然のように彼女持ち。お前中学生だろ恋人とかはな! 高校になってからでいいんだよ! 勉強しろ勉学に勤しめ!!
思わず歯ぎしりすれば、あきれた表情が帰ってきて更に悔しさが増す。なんだその顔は! というかなんだその片眼鏡は! かっこいいんだよおい! ……当然、英字は趣味で片眼鏡などつけているわけではない。俺の髪色とかと同じく、彼の個性に起因するものである。が、こいつの場合はそれがイケメンを際立たせているのが腹立つ。
「で、今日は買い物だっけ?」
「おう! そろそろ春物の時期だろ、新しい服買いに行きたいんだ」
「また服? 別にいいけど、彼女とデート行ったときもそうだったよ?」
お前、前に誘ったときに断ったのデートだったのか? 知っていたら嫌みの一つでも言ってやったというのに。だから詳しく話さなかったのかこいつ。
しかし、それより言い方に引っかかりを感じて思わず突っかかる。
「なんだよ、女っぽいって言うのか?」
「ああ、はいはい。怒るなって、冗談だよ。おしゃれさん」
ずい、と近づいてきた俺に一歩下がって手をひらひらと振って誤魔化そうとする英次に沸いた怒りが胸にじわりと漂う。別に男がお洒落に気遣うことの何が悪いのか。むしろ世の中学生はもっと自分の見た目に気遣った方がいい。高校でもしかわいい女の子とデートできる役得にありつけたとして、私服がくそダサかったら一発でアウトだ。
だがこの考えもまだ年若い中学生には分からないだろう。だが英次、お前の初デートの服を見繕ったのは俺だぞ。だからこそアパレルショップにも付き合ってくれるんだろうけど。
「まぁその後はゲーセンだな。今度こそ格ゲーでお前に勝つ」
「無理でしょ」
「やってみないとわかんねぇだろ!」
「いや、僕の個性知ってるだろう?」
片眼鏡に付随されている紐を首を傾けて揺らす姿に思わず拳が震える。なんだその動作めちゃくちゃカッコイイじゃねぇか……。英次の個性は『予測』であり、かなり便利な能力だ。物事が起こる一歩先を優れた動体視力で観察しその数歩先を予見する。だからこそ格ゲーで常人では分からないキャラのブレを察知し動きを読むため、今まで俺が英次に勝てたことはない。動体視力がめちゃくちゃ優れている、という個性にも感じられるが中学の間に個性を伸ばした英次は『予測』にまで昇華させたのだ。一つの身体の動きから次の動きを予測し、更に次を予見していく。当たり外れや予想外の出来事には対応できないらしいが、俺の場合は悉く未来の行動を当てられるので『未来予知』とかに成長したのかとさえ思う。――確か原作にそんなキャラいなかったか? 英次の場合は相手や物体の一部でも目に入れば予測できるから滅茶苦茶強い訳なのだが。そして片眼鏡はその個性の補強材といったところか。微細な部分を感じ取れれば取れるほど予測が明確になる。まぁつまり片眼鏡をかけた英次は格ゲーにおいて最強、ということだ。
が、それとこれとは話が違う。
「ヒーロー志望が一度破れたぐらいで諦めるわけないだろ」
「数十回やってると思うけどね」
「うぐ」
正直数えるのも億劫になるほど負けているのは事実である。携帯に細々と負けた回数を書き留めているため、実は二十三回負けている。
ただ単純に負けず嫌いなので、正直この回数まで付き合ってくれる英次はかなり付き合いがいいというか、まぁいいやつである。イケメンだが。おかしいよな、俺は全然モテないのに。なんだ、性格か?
「ま、いいよ。氷雅に勝つの結構好きだし」
「んだよそれ、絶対勝つからな!」
どうやら今日も付き合ってはくれるそうだ。ゲーセンの後は英次に付き合うと言えば、参考書を買いに本屋に行きたいと帰ってきて、思わず笑みが引きつった。
アパレルショップ、ゲームセンター、本屋と回り終わり、充実した一日が夕方の赤い空で終わりを告げようとしていた。
「何時まで平気なんだ?」
「暗くなるのが早いから、五時だってさ」
「五時かー、まぁそうだよなぁ」
「僕の家は氷雅の家と違って放任主義じゃないからね」
わずかに含まれる羨望の声色に夕日を見上げてそういうんじゃないんだろうな。と一人声に出さず呟く。
今俺は一人暮らしだ。親が借りてくれたアパートで好きに過ごしている。学費は両親が出してくれて、家にも生活費として十万円が振り込まれる。そこからアパート代、食費、交遊費を出して生活をしていた。元々家は厳しかったのだ。一人暮らしなどもってのほか、だったはずなのだが弟が生まれてから変わった。俺が十歳の頃に生まれた弟は母親の個性を色濃く受け継いでいた。俺は父親の個性である『手が冷える』が更に強くなった個性だったが、母親の個性は『声によって振り向かせる』個性だ。以外と利便性の高い個性で対人に向いていた。で、弟は『声に感情を乗せる』個性。これまた母親の個性の強化版で相手の感情を自分の思った風に操作できることも将来的には可能とのこと。母親が嬉しそうに語っていた。
小さいながらも会社を家族経営している我が家は、母親が社長で父親は婿養子。今までは俺を跡取りにと考えていたらしいが、弟が生まれて方向転換をしたらしい。
うーん、世知辛い。俺は自分への無関心が見ていられずに家を出ることにした。放任主義というか、家からの逃亡という方が正しいだろう。
だが、こんなことを零しても困らせるだけなのはわかりきっているので「いいだろ」と笑みで返す。そうすると「だからって遊んでないでちゃんと勉強しろよ」と帰ってきた。余計なお世話である。
「英次のほうは勉強どうなんだよ」
「悪くはないけど安心できるわけじゃない。って感じかな。氷雅は?」
「あー。同じ感じ」
「ちょっと、蓋を開けてみたら僕だけ合格。なんてことやめてよ」
「分かってるよ!」
机に詰んである参考書を思い浮かべながら惚けた返事をすれば、わずかに眉を寄せてチクリと刺してくる。そう、英次も雄英志望なのだ。すでにモテているのにヒーローなんかになってしまったら更にモテるではないか。いや英次がヒーローになりたい理由は知らないけど。
強めに返事をしたものの、まだ心配らしい英次は片眼鏡を外してポケットから取り出したハンカチで拭きながら口を開く。
「未だに相棒希望なの?」
相棒(サイドキック)――ヒーローと同じように個性によって敵(ヴィランと呼ばれる個性犯罪者たち)を逮捕したり、市民を助ける職業のことだ。唯一ヒーローと異なるのはサイドキックが「ヒーローに雇われる立場」だということだろう。基本形態としてはヒーロー活動の部下としてサイドキックがおり、サイドキックから独立してヒーローとして活動し始める人たちもいる。が、俺はサイドキック希望だ。相棒、といってもヒーローの資格を持っている立派なヒーローの一人だし、指揮を執る上司がいると言うだけでヒーローもサイドキックも特に変わらない。
どちらも『ヒーロー』だし、カッコイイ。何より指示を出す側じゃないのが良い。俺はそういうのにはあまり向いていないのだ。
「ああ。変わんねぇよ」
英次はヒーロー希望なので、せっかくだから英次の下で働くのもいいよな。というのも話したことがあるはずなのだが。
首を傾げながら英次を見てみれば、不満げにため息をつかれてむっとする。
「氷雅、ヒーローになりたい理由が理由だからな。あまり信用できないというか」
「な! なんだよ、モテたいっていうのも立派な理由だろうが!」
モテたい欲求を馬鹿にしちゃいけないんだぞ! モテたいという気持ちでバンドを初めて世界的に有名になる歌手とか、サッカー選手とか野球選手とかたくさんいたんだからな前世だと! サッカーと野球はこの個性社会だと衰退しちゃっているけれども! そもそも、原作でもそういうキャラいただろうに。モギモギする子、確か名前は……ダメだ、主人公格とか、気に入っているキャラとかしか覚えてないな。
しかし、俺のヒーローになりたい理由としてはこれが強い。でも別にそれだけじゃない、純粋に人を助ける職業というのに憧れたというのもある。けれどなによりヒーローはカッコイイ、つまりモテる。これ絶対。
自分でも邪道だとは思うが、それが熱量になっているのなら問題ないだろう。命までかけられるなら立派な動機ですよ。
磨き終わった片眼鏡を装着した英次は冷えた目で俺へ向ける。
「な、なんだよ……」
「いや?」
確実に馬鹿にしてやがる。というか英次もまだ中学生なのに女子にモテたいという欲求がないのか。健全な男子中学生としてそれはどうなんだ、彼女がいるからこその余裕か……?
しかしこれは譲れない。なんたって俺の将来の目標は背の小さくて細くて――貧乳が好きなので胸は小さめな――大和撫子みたいな女の子といちゃラブ家庭を築き上げることなのだから! 子供はいっぱいいた方が嬉しいな! 夫婦の大事なことだから奥さんと相談して決めたいけど!
「ふ、誰にも俺の幸せは邪魔させないぞ!」
「……何考えてるか分かるから言わなくていいけど」
薄っぺらいんだよな。そう俺の個性よりも冷たい瞳で言われ、思い切り眉間に皺を寄せた。
人の幸福を薄っぺらいとは随分なことである。しばらく口を聞いてやんない。具体的に言うと五分ぐらい。唇を引き締めれば、英次は分かっていましたと言わんばかりに携帯の画面を見た。おい、いつも拗ねると五分間口をきかなくなるからってそうもあからさまに時間確認されると困るんだけど。
適わないなぁ、と思いながらもここで折れたら負けだと謎の意地を張って顔を逸らしてしばらく帰りの道を歩いていれば英次が今思いついたように声を上げた。
「そうだ。推薦入学者」
「?」
「知らない? 今年は雄英に推薦入学で入ってくる生徒がいるんだよ」
何それ初耳。
雄英高校は今まで推薦入学者を受け付けていなかった。皆平等に試験でふるいをかけられて入学者が決まる、そういう仕組みだと学校の先生からは教えてもらっていたが、どうやら今年は異なるようだ。目線で続きを促せば、英次は確か、と前置きをして話し出した。
「かなり個性が強力で、一般試験に混ぜると他の生徒が全力を出せないからって」
それはまた、他の生徒も雄英を受けようと鍛えている生徒だろうに。その受験者たちを尻込みさせると学校側に思わせる学生か。
どんな人物だろうかと考えてみる、原作と同じ人物がいるとしたらもしかしてオールマイトとかだろうか。あの強力な個性では他の受験者たちも驚くだろう。オールマイトの話はまだ耳に入ってきていないし、そうなるとまだ学生だろうか。けど、話を聞かないだけで数年前のテレビで流れた雄英の体育祭でそれっぽい人もいた気がするんだよな。
首元に巻いたマフラーの先を動かしながら考えていれば、すぐに隣からヒントが聞こえた。
「政治家の轟氏って知らない? その人の子供らしい」
「とど、ろき?」
聞き覚えのある名前だ。それはテレビのニュースでもそうだし、過去の記憶の中でも。
もしかして、と思わず零れた声に片眼鏡をキラリと光らせて正解を述べようと英次が口を開く。
発せられる直前、ドンッと身体への衝撃に思わずのけぞった。かなり重い、しかし耐えられないほどではない強さに持ちこたえると同じくのけぞっていた顔を下へと向けた。
紺色の髪色、そして一房だけある赤い色の髪束。分かったのはその人物が少女で、どうやら走っていてぶつかってきたということだった。十センチ以上背に差があるらしく、肩口に顔を埋める少女の顔は分からなかったが、とりあえず肩を持ってゆっくり距離を離す。
「おい、あんた大丈夫か?」
「っ、だ、大丈夫、です」
「って男かーい!」
「氷雅、失礼」
「ああ、すまんすまん」
顔を合わせてみれば、髪の毛が長かったから分からなかったがどうやら少年のようだった。声色を聞けばすでに声変わりをしていて、俺ほどではないが低い声色が聞こえた。
どうやら同じぐらいの年齢の子らしい、とりあえず息が滅茶苦茶荒かったので軽く背中を叩いて落ち着かせようと試みてみる。少年は困惑した様子でこちらを見てきたので、笑って怒っていないことを伝えれば困惑した表情は変わらないものの時間経過とともに息は少しずつ整っていった。
「それで、どうかしたのかい?」
「そうだ、あの、私」
英次が対他人用の言葉遣いで優しく少年に尋ねる。イケメンが一割増しである。少年はその問いに何かを思い出したのか、この寒い中汗を流して周囲を見回した。その様子を見て、なんとなくこの場を離れた方がいいのかと察して、少年の肩を持って来た道を戻るためにぐるりと百八十度回転する。驚いた少年の声をスルーしつつこのあたりでゆっくり話が聞ける場所を思い浮かべて、少し歩いたところにある小さな公園を思い浮かべた。あそこなら警察署も近いしちょうどいいだろう。
「俺、白蓮公園にある自販機のココアすきなんだよな」
「へ、え、あの」
「なにせこの時期でもコールドがある!」
「氷雅、なにしてるんだよっ」
「いいんだよ」
そうは言っても、了承を得なければただの拉致である。肩を抱いた少年に「いいか?」とゆっくり確かめるように問いかければ、大きく目を見開いた後に大きく首を縦に振られた。
確認が取れたのでそのまま公園へと向かえば、突然のことに今度は英次の機嫌が悪くなりちょっと苦笑いが零れる。そりゃあ友人がぶつかってきた赤の他人と公園に行く、なんて言い出して了解も得ずに歩き出したら怒るだろうな。けれど、なんとなくこの子を一人にしてはいけない気がする。完全に勘なのだが――何かに怯えているような気がするのだ。
自分より若い子を放っておけないのは前世故か。というか前世がなかったら同年代なので、何をどう言っても前世のせいなのであるが。変に記憶があるせいで、周囲が皆年下に思えてしまう時がある。そんなことを考えていたら生きづらいのであまり思い出さないようにはしているのだが。
たどり着いた公園で、自販機で冷たいココアを買う。紺色赤メッシュの少年に信じられないような顔をされたが、寒い時期に飲む冷たいココアは最高なのだ。
「あんた、名前は?」
「な、名前?」
「おう。俺は号声氷雅」
「え、っと。ルイ、です」
ルイ。外人っぽい名前ではあるが、違うだろう。個性のおかげかどうかは知らないが名前はキラキラネームが大人気だ。俺の名前もなかなかのものだし。
千円札を自販機に流し入れて、コールドのココアのボタンを押すとガコンという音とともお望みのものが受け口に落ちてくる。
「ルイは何飲む?」
「え、いや……」
「じゃあ冷たい水で」
「あ、暖かいお茶が、いいです」
「りょーかい」
冷たい水もなかなかの美味さだがやはり一般受けはしないらしい。言われたとおりホットのお茶のボタンを押して、最後に一足先にベンチで腰掛けている英次の分を購入した。あいつは炭酸が好きなので、少しは機嫌を直してくれるだろう。
飲み物を持ってベンチへ足を向ければ、明らかにご機嫌斜めな英次が携帯をいじっていて、先に帰ってもらった方が良かったかと額に皺を寄せた。
「ほら、これ」
眉を寄せながらもそれを受け取ってくれたので、とりあえずはまだ大丈夫そうだ。それでも怖い顔をしている英次の隣に座らせる訳にもいかず、俺が真ん中に座って右側にルイを座らせる。
心配そうな顔をしてきたルイに、笑って誤魔化して早速ココアの蓋を開ける。そうするとつられるようにルイも飲み口を開けた。
「うまい?」
「……はい」
「そっか。ならよかった」
冷たい液体が口の中を占めて、喉越し堪能してルイを見ればチビチビと飲んでいて少し微笑ましかった。よくよく見てみれば服装があまり厚着ではないように見えて、そうすると熱を欲しているようにペットボトルを両手で握っていたり鼻が赤かったりするのが目につく。
「これ巻いてろよ」
「えっ、いや、わ、悪いです……!」
「いーから、俺新しいマフラー買ったし」
自分が巻いているマフラーを外してルイの肩にかけてやる。新しいマフラーを買ったのは本当のことだ。店内を見て回っているときに、偶然暖かそうな白い編み込みのマフラーを見つけたので今のは洗濯中の予備にでもしようとしていたので丁度いい。咄嗟にはずそうとするルイに素早く首元に巻いてやる。動きは鈍いらしいルイは俺にされるがままになってしまっていた。
「ほら、暖かいだろ」
「な、なんで」
「俺さ、氷が出せる個性なんだけど出し過ぎると身体冷えるからさ。一応対策。個性使わなきゃ寧ろ寒いの好きなんだけどさ」
少年が当惑の目でこちらを見る。うん、そういうことが聞きたいんじゃないってのは知っている。
しかしこちらとて気が利くわけではないのだ。前世という記憶があるからといって、今の人生を器用に生きられてきたわけじゃない。社会に出てからの処世術を多めに知っているだけで、人間関係に関してはどちらかというと不得意な部類だ。家族のことがあるから、苦手と言ってもいい。
ごそごそと今日買った荷物を入れた袋を漁ってまだ値札のついているマフラーを取り出す。そのまま首に巻き付けてどうだと言わんばかりに笑みを作って見せた。
「似合ってるだろ」
目を瞬かせたルイは、一つ頷くとそのまま俺を見つめて――その目から涙をこぼし始めた。
え――なに、俺。泣かせた?
変に心臓が高鳴って、慌てたせいで膝に置いていたココアが地面へ転げ落ちた。その音に、ルイが小さく口を開けたかと思うと漸く自分の状態に気づいたらしい。
「ど、どうした? 大丈夫か?」
とりあえず背をさすろうと手を伸ばすと、ルイがビクリと身体を震わせて距離を開けた。それに思わず手を止めれば、謝罪の言葉とともにルイは立ち上がりそのまま走り出していた。
「あ、おい! 待てって!」
「氷雅!」
「あっ」
声を張って追おうと立ち上がった瞬間、背後からかかった声に英次のことを思い出す。彼自身のことを忘れていたわけではないが、時間のことは忘れていた。
小さくなっていくルイの背中を気にしながら英次の方を振り向けば、携帯を片手に仁王立ちしている英次がいた。
「う……英次……」
「……僕は帰るよ」
「ごめん……」
さすがにばつが悪く、素直に謝る。空を見上げれば太陽が沈む直前で空には星が薄らと光っているのが見えた。けれど先ほどの少年が気になるのも事実で、意図せず首がルイが去った方を向いてしまう。そうすると英次の方から腹立たしげなため息が聞こえ、咄嗟に首をそちらへ戻した。
「いいよ、探すんだろ」
「いいのか?」
「三十分だけだよ」
俺が狼狽えていれば、英次はすでに走り出しておりその先はルイがいなくなった方向だ。慌てて俺も走り出して、いい友人を持ったと心から感謝した。
そこからは俺は英次について行くだけだった。英次の個性は追跡にも役立つ。足跡、人の視線、そう言ったものを見て予測していく。俺も時折人にルイの見た目を説明して来なかったかと聞いて回ったりしたものの、英次の予測がなければ通りに出てすぐに途方にくれていただろう。人通りが少なく、英次が予測しなければならないものも少なかったのが良かったのか、おおよそ間違いないという英次の言葉とともに駅前までたどり着いた。とっくに陽は落ちており、できればここで見つけたかった。俺はいいが付き合わせている英次はまだ心身ともに中学生だ。それに受験生だし、自分で探し出しておいてなんだか申し訳なさ過ぎる。
英次と二手に分かれ、必死で周囲を探していれば、背後から女性の声が降りかかった。
「君、ルイ君の友達かな?」
「えっ、あ、はい! そうです!!」
ルイの名前に驚きながらも勢いよく振り返れば長い茶色髪を肩ほどで緩く縛った妙齢の女性が立っていた。俺の大声に目を瞬かせた後に、口元に手を当ててはにかんだ。
「あの、ルイ、君は?」
「ごめんなさい。ルイにマフラーをくれた子よね? もう帰らなきゃいけなかったんだけど、お礼を言わなくちゃと思って」
「いや、全然! 寒そうだったんで、気にしないでください」
「ありがとう。それで、聞きにくいんだけどあの子泣いていたみたいで」
「あ」
「何か知ってるかしら?」
雲行きが怪しくなってきた。ルイの母親らしき女性は柔らかい表情だが、どこかこちらを伺うような視線を送ってきている、ように思えて仕方がなかった。やばい、これうちの子何泣かせてるの。ってやつじゃないか? 完全なる誤解なのだが、それを信じてもらえるかどうか。
「いやっあの! なんでですかね! いじめたわけじゃなくて!」
「ああ、そういうことじゃなくてね……。何か迷惑とかかけなかったかなって」
「迷惑なんて、ただ、話してる途中でいきなり泣き出して逃げるみたいにいなくなっちゃったんで、気になって追いかけてきたんです」
彼女は俺を見つめて、そう。と一つだけ零して笑みを浮かべた。信じてもらえたのだろうか。
「何か言ってたかしら、あの子悩み事があるみたいで」
「あー、っぽいですね。けど、本当に突然、思わずみたいな感じだったんで、理由とかはちょっと」
「そうなの。分かった、色々聞いちゃってごめんなさいね」
ふわりと綻んだ表情を見るとどうやら疑いは晴れたようだった。本当にそうかは分からないが、これ以上追求されることはなさそうだ。彼女は頭を下げると、駅前の時計を見て「そろそろ行かなきゃ」とこちらに軽く手を振ってその場を後にした。それにほっと息をつく、とりあえずルイは母親と出会えたようだしこちらもいらぬ疑いを避けられたようだ。
彼女が見上げた時計を同じように確認して、あっと声を上げた。
「英次! もう五時回る!」
「もうとっくに連絡したよ」
「さすが!!」
急いで英次と合流して母親と出会ったことを告げると、安堵二割、呆れ八割の表情で見られ再び頭を下げることになった。