氷と炎の泡沫世界   作:片岬(旧:片霧)

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出会い

その後は英次が苦手な科目の勉強を教える約束をして解散した。本当、いらないことに付き合わせてしまって頭が下がる思いだ。実際に頭を下げたけども。

しかし安心はしたものの、なんとなくルイの涙も思い出す。連絡先でも聞けば良かったかな、でも母親っぽい人も急いでいたようだし無理だったろうか。気軽なSNSとかがあるわけでもないし。悩み事――何に悩んでいたのだろうか。けれどそんな思いも受験の中に飲み込まれていった。時間は有限で、雄英は超難関。気を抜いたら過去の記憶というアドバンテージがあろうとも脱落する壮絶レースなのだ。

そうして時間が過ぎてゆき、ついに受験日となった。英次と駅前に集合してそのまま電車へ受験場所である雄英に向かう。二人して緊張して、難しい顔をしながら問題を出し合い時間を潰した。

到着してみると、僕のヒーローアカデミアで見ていたよりも小さいように感じて少し拍子抜けをする。時代が昔だからなのか、敷地面積は変わらずとも設備が少しばかり少ないように感じた。感じただけで事前に調べていたときはなんて充実しているんだと思ったのだから、これから作られるものが恐ろしく十全すぎるのだろう。

英次に背を押され、そのまま学内へ入る。普通の学校とは一線を画す清掃の行き届いた、しかも個性に配慮されたユニバーサルデザインだ。どこもかしこも天井は高いし扉はでかい。だからといって背の小さな人が不便になるような設計はしておらず、さすがはヒーローを育成する学校なだけあると舌を巻いた。

そのまま大講義室まで案内され、エントリーナンバーと冊子を手にして椅子に座った。人が犇めき、というのに人に対してのざわめきが少なく皆緊張しているのだとひしひしと感じた。

 

「今回の実技試験内容は、ズバリ鬼ごっこなのさ!」

 

驚いたことに実技試験の説明は、校長である人物。ネズミの外見をしているが人よりも優れた頭脳である個性を持つ根津校長直々のものだった。右目の傷はすでにあり、原作通りなら人間に色々された後、ということなのだろうか。しかし主人公たちが入学するまで校長であるということは――一体何歳なんだあの校長は。

若干思考が横に逸れつつも校長の説明をしっかりと聞き止めていく。配られた冊子にも書かれてはいるが、それ以外の情報もあるかもしれない。

 

「それぞれ人側、鬼側に分かれて追いかけっこをしてもらうのさ。十分間の試験中、人側は逃げるだけ逃げおおせて、鬼側は捕らえられるだけ捕らえる! 単純明快さ」

 

確かにその通りだが、個性を使用すると考えると危険ではないのだろうか。そう考えていれば、すぐに根津校長が続ける。

 

「個性の使用はもちろんありだよ。けれど相手に対して攻撃を加えていい場所はこの手袋をはめている箇所だけなのさ!」

 

大講義室の大スクリーンに手袋が映し出される。白と黒の手袋はそれぞれ白が人側、黒が鬼側のようだ。文字ででかでかと「現ヒーロースーツにも使用されている強化素材!」と表示されている。ヒーローのコスチュームは危険な現場でも耐えうる頑丈なものが使用されているのは知っているが、わざわざ試験で使用するために作ったのか。

 

「くれぐれも怪我のないようにするのさ!」

 

 

英次とは別グループでの試験となり、途中で分かれる。正直心細かったが英次はこちらをチラリと見ただけでさっさと別方向へ歩いて行ってしまった。相変わらずクールである。

見知らぬ他校の受験生たちとともに会場へと歩いて行く。たどり着いた先は――まるで本物の街が再現されたような演習場だった。事前に話は聞いてみたものの、実際に来てみると半端ではない。人気はなく住人がいるようには感じないが、だからこそ異様に感じる。しかも英次と別れたように他にもこの規模の演習場があるわけだ。この資金力がある雄英とは。

規模がすでに学園都市レベルではと思いつつ、演習場に入る前に渡された手袋をはめる。色は髪色と同じ白――つまり人側、逃げる側だ。

足は遅いわけではないが、相手も個性を使用して追いかけてくるだろう。

ルールは人側は制限時間中逃げつつける、そして鬼側は追いかけ続けるというものだが鬼側は人側の手袋を取る、または攻撃し手袋を破いたりしてつけられなくすることで得点を得る。人側は手袋をつけて逃げ続けることが得点に直結し、傷をつけられると減点され、手袋がなくなった時点で持ち点がゼロになる。大雑把に言うと鬼側は加点方式、人側は減点方式といったところか。

ざっと周囲を見てみると手を塞がれて個性使用がむずしくなる類いの個性はいなさそうに思える。おそらく人側、鬼側はそういう個性的な長所、短所も含めて分けられているのだろう。俺も氷は身体のどこかでも出せるし、多少効率は落ちるが手袋をしていても個性は発揮できる。

人側はおおよそ70名程度。鬼側は演習場までの送迎バスからまだ出てきていない。一分後にスタートなのだそうだ。本格的に鬼ごっこに思えてくるが、合格のかかった鬼ごっこだと思うと変に身体がこわばる。鬼側の人数は約30名。逃走側の方が二倍以上人数が多いが、そう考えるといやな予感がする。

その考えを振り払うように、隣でキョロキョロと演習場を興味深そうに眺めていた身長が低めの男子に話しかける。

 

「なぁ、どう? 自信あるか?」

「……」

「あれ、おーい」

「……え! 僕!?」

「え、うん」

 

目を開いて信じられない! とでも言うような表情を向けてくる少々丸みを帯びた少年に、まぁそういう反応にもなるかと納得する。何せ実技試験の間近だ、周囲の音が耳に入ってこなくても当然だろう。が、別に何も考えずに話しかけたわけじゃない。この実技試験において『人側』のコミュニケーションは実は大事だと思っている。何せ『獲物が少なくなればなるほど鬼は集中する』のだから、生き残りができるだけ多い方が全体として得だ。だからこそ情報収集もかねて話しかけたのだが――なんだかハムスターのようにビクビクとされてしまった。もしかして警戒されているのだろうか。

話のとっかかりにいいのはやはり個性だろう。手袋をつけていない右の手のひらを見せて、そこから氷を作り出す。

 

「俺の個性、氷が出せるんだ。ほらこんな感じ」

「そ、そうなんだ。で、でも他の受験者もいるし、あんまり見せない方がいいんじゃないかな」

 

確かに周りから視線を感じる。同じ人側と言っても競い合う同士ということは変わらないということか。それは分かっているのだが、せっかくだ。聞き耳を立てている受験生もいるようだし、魂胆を話しておこう。

 

「そうなんだけどな。けど、この試験、人側同士はあんまりいがみ合わない方がいいと思ってるんだ」

「いがみ合わない方がって……」

「ああ、人側が減るほどに鬼側が有利になるからな。一人が五人に追いかけられるより、五人が五人に追いかけられる方が生存率は高いだろ?」

「確かに、そうかも……」

 

この少年はどうやら納得してくれたようだ。聞き耳を立てていた受験生たちも他の受験者に伝えて言ってくれるといいが。

 

緊張はしている。けれど合格するやる気だってあった。けれど――この時点で、全く気を抜いていなかったかと聞かれるとあまり否定ができない。鬼ごっこというわかりやすいルールの上、人側は大勢いる。一分間逃げる時間もある。油断をしていたわけではない、だが危機感を持っていたわけでもなかった。

だからこそ――試験開始から一分後に現れた巨大な火柱に絶句した。鬼は鬼でも、本物の鬼がやってきていた。

 

吹き上がった火柱に同じ方向に逃走していた受験者たちから短い悲鳴が漏れた。俺はといえば火柱が目に焼き付いて足を止めてしまっていた。そして、同時に思い出していた。英次から聞いていたあの名前――今年の推薦者の話を。政治家である轟という人物の子供が推薦者として雄英を受けるという、コネか実力かは分からないがその生徒の個性は――。

 

「炎を、操る……」

 

だが待て、おかしい。そんなはずはない。なぜならその生徒は推薦で入学するという話だったのだ。つまり、この受験には参加していない、そのはずなのだ。

なら、一体誰が。空に昇る火が見えるほどの火力、そして何よりあの場所なら鬼側なのだろう、だというのに開始直後になぜあんなに派手に個性を使ったのか。個性のせいで滅多にかかない汗が手のひらにじわりと広がっていた。

はっとして周囲を見れば近くにいた受験生が一人を除いて姿を消していた。それもそうだ、あの個性を持った人物が鬼としてやってくるのだ。俺もうだうだ考えている暇はない。

残った一人の受験生――開始前に少しだけ話した少年に駆け寄る。

 

「大丈夫か、逃げるぞ!」

「は、はい……!」

 

火柱に驚いて座り込んでいた彼の腕を掴んで引っ張り上げれば、動揺しながらも立ち上がる。その間に先ほどとは違う場所で建物が壊れるような地面が響く音がし、炎の個性を持った受験生が暴れ回っていることが察せられた。自信なさげな女性の声でアナウンスが聞こえ、残り時間が八分であることを告げる。

他の鬼もいるだろうが、まずはあの業火の鬼から逃げることが先決だ。手袋を燃やされるだけで済むとは思えない。音とは反対方向に走り出し、初期方針を頭に思い浮かべた。

初期方針に従うなら他の人側をアシストしなければならない。火柱による混乱で一人以外とは離ればなれになりなんとなく把握していた方向別の人数も合っているか分からなくなってしまった。それでも轟音から逃げるように動いていれば誰かしら会うだろうと思っていたのだが――誰にも会わない。

いや、誰一人会わなかったとは言わない。だが、その受験生の誰もが手袋を燃やされていたのだ。跡形もなくなくなった手袋になぜ燃やされたのかと分かるのかといえば、手が火傷状態になっていたことと、周囲が爆発でも起こったかのように焦げ付いていたからだ。受験生は痛みに悶えていたり、意識を失っていたりしたが小さな石などで傷ついた怪我以外の外傷は手袋をつけていた手以外存在しなかった。見つけたそういった人々の手を個性で冷やすだけ冷やし逃げながら、胸の中に恐怖なのかなんなのか分からない感情が渦巻いていた。

出会った受験生は皆手袋を燃やされていた、つまり受験を続行し続けられている生徒はいなかった。そして同時に、脱落した受験生は炎の個性によって手袋を奪われていた。なぜだ、他の個性によって取られた受験生が見当たらない、そして手袋を死守している受験生も見当たらない。確かにこの演習場は恐ろしく広いが人側の人数はかなり多くいた。それに轟音から逃げるとすればばったり出会うことだってあるだろう。

そしてなにより――なぜ、炎の個性の鬼以外の鬼と会わない?

 

「……君、名前は?」

「っへ、あっ、こ、転石、だけど」

 

どうにかそう返した、走り回って息も切れ切れの転石に自分の名前を手短に告げる。転石は返事はしたものの困惑した表情をしていた。転石の個性は逃げながら教えてもらっていた。前転、後転を行うとボールのように一直線に転がり続けられるという個性だ。長く転がり続ければ続けるほど障害物に当たったときの衝撃が激しくなる。ただ長く転がればその分、本人は酔うし回転後に行動がしづらくなる。

弱々しい女性の声のアナウンスが演習場に響く。『残り時間三分です』。その三分があまりにも長く感じ、じわじわと身を焦がされるようだった。

轟音は少し前から聞こえなくなっていた。つまりそれは獲物をずっと探し続けているということだろう。

足を止め、周囲の音を注意深く聞きながら静かに口を開く。

 

「転石、俺はこの試験、絶対合格する」

 

それは英次にも約束していることだ。ここで合格しなければあいつへの恩を仇で返すことになる。それだけは許せない。かっこ良くない。

だからこそ転石の目を見つめて告げる。これが頭の悪い俺が思いつく限りの一番いい作戦だ。

作戦を伝え混乱している転石を置いて、そのまま走り出そうとするとわずかに物音が聞こえた。それはビルの路地裏から聞こえたその足音だが、すぐに音の持ち主も姿を表わす。こういうときは、獲物に気づかれないように極力音を立てずにくるのが定石だろうに、そこまで頭を働かせていないか、それとも、強者の余裕か。

転石を後ろにつかせ、その方向を見てみればそこに鬼はいた。臙脂色の短い髪を逆立てて、肉食獣のような鋭い目元は髪色とは異なる藍色の光彩で彩られている。目立つ赤い半袖と長ズボンのジャージ、左手に黒の手袋をつけた俺より少し背の高そうな少年。

子供時代だというのに面影が色濃く出過ぎている――将来、No.2。そしてNo.1ヒーローとなる男。彼は、轟炎司だ。

 

「二匹か」

 

変声期前の鈴の音が聞こえ、眉が上がる。だがそれよりも気になったのは数え方だった。完全に獲物として捉えていない相手に歯を噛みしめる。

ゆっくりと歩いてくる轟に足を一歩前に出し臨戦態勢を取る。ああ、にしても、今ここで考えるようなことではないと分かってはいても考えずにはいられない――どうして推薦入学のはずの轟がここにいるんだよ!!

そう内心で叫んだ瞬間だった――バッとあげられた右手から巨大な火の塊が噴出したのは。咄嗟にその場から飛び退くが、その炎が狙ったのは俺たちではなかった。斜め後ろにある十階建てのビルの柱へ当たる。まさかと思う暇もなく、火の塊はまるで爆破物のように爆音を立て、ビルを下層を破壊した。支えのなくなったビルはそのまま倒れゆく。それは俺たちを避け、数メートル先に倒壊し広かった道路の逃げ道を轟音とともに塞いだ。それを見て、顔を青ざめながらも今までの轟音はこういう仕組みで鳴っていたのかと納得した。

 

「ひ、ひぃ」

「……しっかりしろ、大丈夫だ」

 

引きつった声を上げる転石に共感しつつも、それを出さないように鼓舞する。

ああ、畜生。カッコイイじゃねぇか炎の個性。やっぱり炎ってイコール強者って感じだよな。つか、学生の頃からこの火力が出せるってやっぱり天才っつーか、秀才っていうか。けどな、俺はやっぱりこういうのは好かないんだよな。こういう――絶対的な力でねじ伏せられて、未来の種が潰されるのは。

轟が足を踏み込む、どっと額から汗が噴き出すのが分かった。冷や汗は、しかしすぐに凍って霜となる。

 

「行くぞ」

 

轟の足下からの爆音とともに口にする。それは転石に対してでもあり、轟に対してでもあり、なによりも俺に対しての号令だった。

個性を使用し、弾丸のように距離を詰めてきた轟に、思い切り足を地面へたたきつける。足を痺れさせる振動を合図として、氷の導火線を伸ばし、五メートル先に分厚い氷の壁を出現させる。

氷の向こう側、まるで水の向こう側にいるように見える轟の顔が目を見張ったように見えるのはおそらく希望的観測で、当然のように放たれた火炎に氷の壁が溶かされてゆき、数秒後には溶かされきることは明白だった。溶かされた部分を断続的に氷の壁で補強し、同時に踏みしめていない右足で背後に氷の氷像を作り出す。

 

「号声く、」

「合格するぞ、絶対に――!」

 

弱々しい声に叫び声を上げる。気を張れよ、ヒーローになるんだろ! 個性の連続使用と目の前の炎に尖る目で睨み付けるように転石を見て、無理矢理口角を上げる。転石はくしゃりと泣きそうなほどに顔をゆがめて、ころりと後ろへ回転し――なるほど、そうなるのか――そのまままるでボールのように身体が円球となり、そのまま車がエンジンを踏んだ時のタイヤのように発進する。

そのまま俺が作り出した氷像――ビルを飛び越えるように設置してある上り坂に勢いよく登り、すっ飛ぶ。そのままビルを通り越し、土埃を舞わせつつその場から消えていく。素晴らしい早さに思わず表情が緩んだ瞬間に、熱の上がった空気が頬をかすめる。

咄嗟に真横へ飛べば、轟音とともに水へと帰す氷像が見え、ごくりと息を飲んだ。

 

「一匹逃したか」

 

舌打ちが聞こえ、まだ愛らしい声だというのに原作の気質が窺い知れて顔が歪む。昔からこんな感じだったのか、三つ子の魂百までとでもいうのだろうか。

基本的に年下――精神年齢の――は皆かわいらしく思えるのだが、こいつはそうもいかない。なんせヒーローになりたい少年と言うよりも、弱者を潰す敵にしか見えないからな。まだ若いだろうに、殺伐とした目をしやがって。

 

「なぁ、あんた。他の鬼はどうしたんだよ」

 

俺の声に被り、残り時間を告げるアナウンスが響く。あと一分。

轟は何一つ感情が動かされていないような表情で、口を動かす。

 

「それを知ってどうする」

「他の鬼を一人も見なかったから、どうなってんのかなってさ」

「なら安心しろ――鬼は俺だけだ」

 

――察してはいたが、こうも清々しく肯定されるとは。

つまり、あの開始直後の火柱は轟が『他の鬼たちを脱落させるための攻撃』だったのだろう。確かに校長は言っていなかった。同じ陣営の受験生を脱落させてはならない、とは。鬼側は加点方式だ、そうなれば人側と条件が異なってくる。他の鬼がいればいるほど自分が点数を会得する可能性が落ちていく。雄英は狭き門だ、鬼側がそれぞれ努力して平均よりも多く手袋を会得したとしても、更に優秀なものの点数に負けるだろう。ならば――同じ鬼側を減らせば点数の取り合いになることはない。

勝てればなんでもいい、か。なかなか見習うところがある――が、好みか好みじゃないかと聞かれれば。

 

「そういうの、いけ好かねぇんだよなぁ……!」

 

そもそも、轟が通常の受験を受けているのが納得いかねぇ! 未来に生まれる息子を見習え!

むしゃくしゃした思いを込めて、両手を前へ掲げる。同時に氷の壁がまるでミラーボックスのように俺の周囲を包み込む。こういう大規模なのは私生活じゃあ使えないからうまくいくか不安だったが、以外とできるもんだな……!

そのままその周囲の壁を木の幹のように成長させるイメージで手を媒介にして周囲を凍らせていく。力んでいるから息を止めてしまいそうだ。だが当然、相手も俺の防御を何もせずに見ているわけもない。壁の向こうに真っ赤な色が見えて、相性の最悪さにめまいがした。氷の柱が個性によって補強されていくバキバキという氷の息と、炎が氷をなめ尽くしていく音と業火の咆哮。一分とはこんなに長い時間だったか、様々な音を聞きながら噛みしめた歯がカチカチと鳴り始める。

個性を使用している両手から届く冷えに身体の動きが制限されていくのが分かる。目の前には業火が迫ってきているのに、身体は逆に個性によって氷漬けにされようとしていた。個性には人それぞれ上限がある。それは個性によってできることの区切りであったり、今の俺のような、身体への負担故に使えなくなることである。指の感覚がなくなり、口から零れる息が弱々しいものへと変わっていく。こうなるだろうとは予測していたが、実際になったのは初めてだった。動揺とともに、嫌に薙いだ気持ちになる。首に巻いていたマフラーも凍り付き、身体の表面はほぼ氷に侵されていた。

ダメだ、押し負ける。馬力が違う。俺が小型バイクだとすれば相手はトラックだ。おそらく、鍛錬してきた時間とそもそもの個性としての性能差。薙いだ心は体温の低下による思考能力の低下かと半ば理解しながらも、くじけそうになる足をどうにか踏みしめる。それでも氷の息はだんだんとしぼんでいき、眼前の業火ははっきりと色づいていく。

 

「英次……」

 

約束を破るつもりなんてない。今だって俺ができる最善を選んだ結果だ。でも、怒るよなぁ。呆れるよなぁ。かっこ良くないって、本当に思われちまう。

ガラスに罅が入る鋭い音が手の先で鳴り、咄嗟に右手で左腕をガッと掴んだ。刹那、紅色が視界を埋め尽くす。だが、その澄んだ水のような炎の背後に立つ轟が見えた。ただの数瞬、揺らめいた業火のせいか、それとも炎がそれほどに澄んでいたのか。視界に映った轟は、強烈な炎のせいか右腕から胸にかけてジャージが燃えて素肌が露わになっていた。中学生にしては筋肉質な腕と、広めの肩。だがどこか丸みを帯びた輪郭に、半分露出した胸元と、そこを覆うようにある布。そして同じく丸みを帯びた胸――は?

 

俺は、故意ではなく、本当に唖然として、個性を出すのを止めていた。

 

そして手袋をつけた左手が燃える痛みと、炎の風圧に身体が吹っ飛んで――背後にあった自分で作った氷の壁をぶち壊して、その後ろのビルに激突した、気がしたところで意識がなくなった。最後に何か別の衝突音を聞いた気もしたが、何かを推測することは適わなかった。

 

 

 

轟炎司。僕のヒーローアカデミアで出てきた登場人物の一人だ。根津校長などと併せて、この世界が僕のヒーローアカデミアという世界であること、そして原作より過去の世界であることを証明する存在でもあるだろう。本当にそっくりそのままの世界なのかと考察すれば分からないと答えるしかないが。確かめるすべは俺にはない。

しかし――原作と同じであるならば轟炎司は、確か炎を噴出する個性を持っており、その性別は男。だったはずだ。

だが、意識を失うあの一瞬目に映ったのは確かに女性的なそれだった。思えば声色も変声期前だと感じたが、あれは低めの女性の声だったのではないだろうか。背も俺よりは高いようには思えたが、俺もまだ成長途中で女子と比べても身長が負けることもある。中学生なら、男女ともに性差はそこまでないはずだ、はじめに少年と思った俺の想像が、間違っていたというのが正しいだろう。

ぐるぐると試験での光景が思い出される。強烈な個性、傲慢そうな態度。原作でのNo.1になる前に通ずるところしかない。轟炎司というキャラクターは最初は主人公の同級生の父親として登場し、その同級生にトラウマを刻んだ存在として描かれる。それは事実であり、彼によって同級生、轟焦凍の家庭は崩壊したと見て取れた。強さに執着し、No.1に固執する。だが、No.1には主人公の師匠であるオールマイトがそびえ立っていた。自ら頂点を取ることを望みながら、それができないと悟り子供にその夢を託したという色々な業が宿った人物だった。だが、No.1ヒーローであるオールマイトが敵との戦いでヒーローを引退し望まぬ形でNo.1になってから彼の描写と内面が変わっていったりもするのだが、それは別の話だ。

 

こちらを射貫く眼光はヴィランと言われた方がしっくりくる。炎で上半身が見えるようにならなくとも他にも性別を正確に察する要素はあっただろうに、固定概念とその迫力に読み違えた。

雄々しい少女、彼女は轟炎司だ。そうとしか考えられない。あの恐ろしい炎の個性でヒーローになりたがる存在が彼以外にいるとは考えられないし、考えたくない。けれど、ならばここは、正しく僕のヒーローアカデミアの世界ではないのだろうか。とても似ているだけの――平行世界、とか。

 

「名前、なんて言うんだろ」

 

意識を失って担架で運ばれた俺にはそれを知るすべはなかった。

炎によって吹っ飛ばされた後、気絶した俺は気づいたときには担架で運ばれており、青い空を見上げていた。担架はロボットたちが運んでおり、揺れの少ない動きに最初は何が起こっているか分からなかったぐらいだ。声をかけられて首をひねると、担架の速度に合わせて歩く転石がいた。そして謝られた。

謝られる義理はなかったし、それよりも俺は転石が手袋を死守できたのかどうかが気になっていた。轟がやってくる直前に話した作戦は単純明快で、俺が鬼を引きつけ、転石が逃げる。という寸法だった。二手に分かれて逃げるというのも考えたが、どちらの手袋も死守しようと思うのならば、まだ炎と拮抗し、時間の稼げそうな個性である俺が立ち塞がる方が希望があった。だが結果は動かない身体、左腕にない手袋だ。意識を手放す前に感じた痛みはすでになく、どっとした身体の重さだけがある。確か、リカバリーガールだろうか、彼女が治癒してくれたのか。

英次にどう謝ろうかと思案していれば、転石の指が俺の右手を指し示した。つられるようにゆるゆると見てみれば――そこには汚れてはいるものの燃えても、破れてもいない手袋がはめてあった。驚いて暴れそうになる俺を転石がたしなめて事情を話してくれた。転石は記念受験的な感覚で雄英を受けたらしい。勉強もしたし、個性を特訓もしたし、ヒーローにもなりたかった。けれどヒーロー科のある私立高校を滑り止めに受ける予定だったし、雄英に受かろうと思ってはいなかったと。けれど、俺が話しかけてきた。で、最後まで絶対合格すると鼓舞してきたと。想定外だったらしい。皆ピリピリとして受験をしたことを後悔までしていたところで俺のようなやつに話しかけられて。そして、転石は試験の五秒前まで手袋を死守し続けた。唯一の鬼であった轟の目を俺が引いていたために、他の鬼に狙われることがなかったと。

けれど――最後の最後、五秒前に全速力で転がってやってきて、気絶している俺の手に手袋をはめたという。普通に怒った。何やってんだ。運でも偶然でもなんでも、手袋を死守したのは転石だった。ずるのような手で右手にはまっている手袋に、納得がいかなかった。俺が怒ることは想定していたのか転石は何度も平謝りをした。

『号声君にヒーローになってもらいたくて、気づいたらそうしてた』。そうどこか柔らかな顔で言われて、俺は押し黙ることになったけれど。そもそも、他人の手袋をはめることについて反則にならないのかと思ったが、説明を思い返してもそういった文言はどこにもなかった。つまり、鬼側と同じと言うことだったわけだ。鬼が鬼の手袋を剥ぎ取って権利を奪取していいように、一度手袋を鬼に奪われて得点を失った人側も他の人側から手袋を奪取すれば自分の持ち点とできる。校長は『自分の手袋を死守しなければならない』とは言っていない。鬼ごっこと軽い名前がついてはいるものの、随分とえげつない試験だった。さすが根津校長の考える試験である。

転石に謝罪とお礼はちゃんと言っておいた。

 

試験が終わってから、英次とは連絡を取り合っていなかった。俺は治療を受けていたから帰りも別々。

実技試験が色々と濃すぎてそちらに気が取られてばかりだったし、結果発表まで一週間あり、緊張が抜けきっていないこともあったのだろう。登校しても受験について英次と話すことはなかった。他の生徒たちも別の学校ではあるものの受験をしたわけだし、それぞれ受かったか受かっていないかなんてデリケートな話はしづらかったというのもあるかもしれない。いや――私としては実施試験のことだけで埋め尽くされていたけれど。

 

そして今日、ベッドに寝そべりながら俺は雄英からの書類を眺めていた。薄い四角い機会が同封されており、そこに映像が映って試験結果を端的に述べられた。結果は――合格。

その他の紙の書類を眺めながら、俺はどうしても轟の姿が頭から離れなかった。

 

両親からの支援は高校卒業まで。逆を言えば高校までは学費から衣食住まで保証してもらえるということだ。恵まれているな、と思うには思う。両親に雄英合格を知らせたときはいっそ清々しいほどの無反応だった。まぁ、両親はヒーローに世間一般ほど興味のある人たちではなかったし、弟の世話と仕事の方が忙しかったのだろう。連絡した口座に学費はしっかりと払われていたし、それ以外に必要な費用もいつもの茶封筒に入っていた。金で支払われる愛、なんちゃって。手切れ金、というキーワードが浮かんできて苦笑いした。

逆に友人たちはすごく喜んでくれた。具体的に言うと英次と転石。英次はそもそも同じ中学に通っているのだ。通知後に顔を合わせた際に、二人とも笑顔だったのだからそれでお察しだ。で、転石は試験の後にメアドを交換した。それからは時折連絡を取り合う仲だ。英次はそれぐらい当然だ、という顔をしていたが珍しく顔のにやけが収まっていなかった。俺も英次と同じ学校にいけるのが純粋に滅茶苦茶嬉しかった。

転石は別の私立高校のヒーロー科に受かったらしい。ああ、今から将来の楽しみが増えてしまった。

だが合格発表がされたと言っても入学まではしばらくある。雄英もヒーローも一筋縄ではないかない、勉強も入学後に出遅れないように予習復習喜んで。さらには個性の強化も加わった。実施試験で氷漬けになりかけた体験が尾を引いていた。

 

「なぁ、推薦入学者の轟っていう生徒。女子、だよな?」

「え? いや、性別までは知らないよ。推薦入学っていうのも噂だからね」

「そうか……」

 

確かに英次から性別とかは聞いていない。俺が勝手に名字から男だと判断しただけだ。チラチラと頭の中に烈火が過る、合格発表から数日経過しても俺の頭にはあの印象深い人物が消えなかった。

しっくりこない顔でもしていたのだろう、帰路を歩きつつ英次が尋ねてくる。

 

「何かあった?」

「……実施試験で会ったんだ。その轟に」

「えっ!? ……でも、推薦って噂だよ? しかも、どうして轟さんだって分かったんだ?」

「あ? ああ、すげぇ炎使いだったから、たぶんそうだ」

 

訝しげな顔でふぅん、と相づちを打った英次だが、そういえば俺は轟炎司のキャラクターを知っているからそう断言できるのだと思い出す。試験で相手が名乗っていたわけでもない。信じてもらえないかもしれないとは思いつつ、モヤモヤとした胸の内が抑えられない。

 

「すげぇ強かった。たぶん、一人で受験生をほぼ捕まえてた」

「……なんだそれ、化け物じゃないか」

「マジで『鬼』って感じだったぜ」

 

女性に対して失礼だが――人側の受験生を『匹』と数えていたのだ。俺にそう言われても仕方がない。あの熱さと寒さを同時に思い出して、首に巻いていたマフラーを巻き直す。その姿を隣で見ていた英次は、少し思案した後に眉をひそめる。

 

「轟さんって、女の子だったの?」

「おんな、のこ……?」

「氷雅、さっきそう言ってたよね」

「い、いいいいい、言った」

「なんでそんな動揺してるの……」

 

だ、だって!!! あの、あの轟炎司が。エンデヴァーが、女だったんだぞ。しかも、中学生だから、当然で当たり前で否定できない事実だが『女の子』なんだぞ!!?? 原作知っている身としては、あ、あり得ないだろ!? 身長だってほぼ二メートルぐらいあったよな、筋骨隆々で、THE男!! って言う感じのキャラクターで……! この言い表せない衝動を全部叫び出したい気持ちに駆られるが、この感覚を分かるのはこの世でおそらく俺だけだ。誰も僕のヒーローアカデミアを知らないし、当然エンデヴァーなど知らない。だってそのヒーローはまだ生まれてさえいないのだから。

マフラーの中に顔を半分埋めて唸る。くそ、なんで誰も突っ込まないんだ。なんで誰も気にしない? 女の子だぞ、あの轟炎司が、あの頑固親父キャラが――!

一人で悶え苦しんでいれば、英次が不思議そうな顔で俺を眺めてくる。なんだよくそ、見物料取るぞ。

 

「でも氷雅は合格したんだから、その子とは特に何もなかったんだろう?」

「いや、俺は手袋白で、轟は黒だったんだ」

「じゃあ、まさか」

「個性の力比べで負けた」

「炎個性と力比べしたのか!?」

「……ああ。で、手袋ごと手を燃やされた」

「……まさか、人側と鬼側がほぼ全滅したグループって」

「そんな話流れてたのか。たぶん俺のとこだぞ」

 

はぁ!? と珍しくオーバーリアクションを取る英次に受験の流れを一通り説明してやる。そうすると段々眉間に皺を寄せていって、最終的に大きなため息をついて眉間の皺を手で解していた。けれど話した眉間にはわずかに皺が刻まれており、剣呑な瞳が俺を見つめてくる。

 

「そんなこと、聞いてなかったけど」

「そりゃ話してないじゃねぇか。俺だって英次の実施試験の話聞いてねぇし」

「それは話すような大事がなかったからだよ! ……全く」

 

疲れたような声色に、実際に死ぬほど疲れたのはこちらだというのになんとなく気まずい気分になった。まぁ確かに人に話したくなる大事だったかもしれない。けれど俺にとってはそんなことよりも轟炎司が女の子だったということに頭がいっぱいでそれどころではなかったのだ。だからこそこの話題も英次に轟の性別を聞くところから始まったわけだ。

 

「にしても推薦じゃなかったんだね」

「そうだな。推薦自体なかったのかもなぁ」

「そうだね、今までなかったし」

 

そうなのだろうか。英次の噂ではあまりにも強力な個性故に推薦となったと聞いた。確かにあの火力は通常の受験生が出していいものじゃなかった。けれど、事実として轟は受験場に現れた。別の可能性として、実施試験に現れた轟と推薦されている轟は別人という可能性がある。例えば――兄妹、とか。双子の兄妹? いやいや、あり得ないだろう。原作でそんな描写はなかったし、そもそもあんな強さ執着マンが二人もいたら世界バランスが壊れる。いや知らないけど。

それに、いくら双子だとしてもあんなに似ることはないだろう。けれど可能性としては捨てきれないのは確かだ。やっぱり、名前が気になる。あの子の名前は『轟炎司』なのだろうか。

 

「名前、なんて言うんだろうな」

「下の名前ってこと?」

「ああ……。聞けばよかった」

 

あまりにも気になって、頭の中からあの炎が消えてくれない。明確な原作との違いに自分でもかなり動揺しているようだった。こちらを睨み付ける藍色がフラッシュバックする、氷を思わせる青さなのに、その個性と同じようにどこか熱さに揺らぐあの瞳――彼女は、一体誰なんだろう。彼女は、轟炎司のようにヒーローに、なるのだろうか。女の身で。

再びマフラーに顔を埋めだした俺に、英次が軽い口調で――本当に軽い声色で、言った。

 

「なんだよ氷雅、その子に惚れたのか?」

 

……なんだって?

「なんだって?」

 

思ったことがそのまま口から出ていた。何を言ってるんだ、英次。

 

「さっきから深刻そうに轟さんのこと考えてただろう。それに名前を知りたいなんて、惚れてるみたいじゃないか」

 

――惚れてる? 俺が?

自分より身長が低くて、線が細くて、笑顔が似合うような子が好みの俺が? 誰に惚れてるみたいだって?

流れていた風景が止まっていて、自分が足を止めていたことに気づいた。英次がどうしたと声をかけてくるが、右から左に通過して頭へ入ってこない。

惚れてるって、好きってことか? なんだそりゃ、実施試験で俺がどんな酷い目に遭ったと思ってるんだ。治った者の手を燃やされたんだぞ。狩り対象と見られたんだぞ。鮮烈で強烈で、鬼側を最初から自分以外全滅させるぐらいの合理的で暴力的で、個性に見合った苛烈そうなけど聡明そうな青い瞳で、傍から見ても鍛えてるって分かる身体してて、身長が俺より高くて、女性らしからぬ短い髪を髪質故か立たせていて、どこか知的そうな面持ちをしていて、全く笑顔のかけらすら浮かべなさそうな仏頂面で、女の子で、以外と胸があるっぽくて、よく見ればなんとなく女性的な丸みがあって、女の子にしては低いが思わず耳を傾ける声色をしていて――は、え?

何もかも違う、俺の好みじゃない! 力強い意思を感じる目つきも、周囲を雑魚としか思っていなさそうな態度も、女の身で周囲を圧倒する強さも!

ああ、そうだろ。そうだろ俺。そうなのに、どうやったって俺が好きなタイプじゃないのに――どうして綺麗だなんて言葉が思い浮かぶ!?

真っ赤な炎が、氷のように澄んだ瞳が、強さを求める姿が――どうして脳内でかっこいいなどという言葉に変換されるんだ……!

 

「氷雅! しっかりしなよ、どうしたんだよ!」

 

いつの間にか視界に映っていたのは、足下のコンクリートで、手のひらの一部だった。冷たい手の温度と目の前の光景に、顔を手で覆ってその場に屈み込んでいたことを悟る。

ああ、俺。なんだこれ、分からない。けど、あれか、いわゆる、吊り橋効果というものなのだろうか。命の危険を感じるところに彼女がいたから? 危険を冒させたのは彼女だって言うのに? けれど、他になんて説明すればいい、このよく分からない感情を。混乱を、困惑を。けれどこれは、前世で覚えのある感情と、確かに――。

 

「こんな失恋前提の初恋、ありかよ……」

 

最悪だ。

とりあえず、吊り橋効果を生ずる人体の仕組みを呪えるだけ呪うことにしよう。

 

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