***
以上、回想終了。今に至る。
「はあ」
またも大きなため息が出る。盛大な一人相撲をしている気分だ。
「どうしたんだよ、さっきからそんなため息なんかついて」
ほんと、誰のせいだと思っているのか。
湯船の中で膝を抱える。
ここで『私のことどう思ってるの?』などと聞いても返事は分かり切ったことだろう。そして私はそんな返事が欲しいわけじゃない。
私は――
「……不安なのよ」
静寂の後、掠れて小さくなった声が口をついて出た。ああ、言ってしまった。
「え?」
「不安なの。私の好きと縁満の好きは言葉が同じでも中身が違うんじゃないかって……考えちゃうのよ」
とんでもないことを口にしてしまっている気がする。何か取り返しのつかないものが温かい液体に溶け出して彼へと流れていっている気がする。
しかし後悔してももう遅い。口から出た言葉はもう戻らない。
彼の言葉を聞くのが怖い。彼は何と言うだろうか。『そうかもな』なんて言われたら私はどうすればいいのだろう。
「いや、そんなの分かるわけないだろ。俺は俺でお前はお前なんだから」
私の心の内を知る由もない彼は即答した。思わず彼の顔を見上げる。
……本当に、なんとも彼らしい返事だ。
「それでも俺は俺の中で一番の好きだって気持ちをお前に伝えてるつもりだけど」
ただの好きとは違う、彼なりの、彼が紡ぎだした返事。
「……それは……ずるい」
「ずるいってなんだよ」
そう言って彼は笑い、目隠しに手をかけるとするりと外してしまった。
「ちょ、ちょっと何勝手に外して……!」
彼と視線が合う。そういえば今日の日中は全く目を合わせていなかった気がする。
「いや、月が綺麗って言われたら気になるじゃん。さっき見てなかったし」
そういって彼は私に微笑む。
彼はそのまま空を見上げ「おー、でっかいな」と声を漏らした。
私はというと、その横顔に見惚れてしまっていた。
――ああ、結局私はこんな彼のことが好きで、愛おしくて仕方ないのだ。
単純な話で、彼のことを好きになった時点で私は負けていたのだ。
「ん、おい、ぼーっとしてどうしたんだよ」
こちらを向き彼が話しかけてくる。
彼の腕を水滴が流れていく。私とは違うしなやかだが確かに筋肉の付いた腕、そして体へ視線が移っていく。そういえば彼の体をまじまじと見たことは無かった気がする。
彼は傷の治りが早いらしく体は綺麗なものだが、今までどれだけの傷を負ったのだろう。彼が負った傷でどれだけ私は救われたのだろう。
そんなことを意識し始めるとどくどくと心拍数が跳ね上がるのが分かった。血管が拡張し、耳のすぐ隣で鳴っているような感覚さえする。いつも隣に座って話すのとは違う、肌と肌が触れ合う距離。この胸の音が彼に聞こえてしまっているんじゃないかという気がしてくる。
体が熱い。温泉のせいなのか、自分の体がおかしくなったのかもうわからなくなっていた。
「叢雲?」
頭がくらくらする。ぼやけた視界に、私の瞳を心配そうに覗き込んでくる彼が映る。
ああ、神様――
ごめんなさい、私は十分に幸せでした――
「叢雲!」
どうか、彼と過ごすこの時間が、少しでも長く続きますように――
***
心地よく涼しい風が顔を通り過ぎる。
ぱたぱたと音がする。団扇の音だろうか。
しかしなぜ団扇の音がするのだろう、私は温泉に入っているはずじゃ。
そこまで考えて、自分が目を閉じ横になっているのに気づく。
あれ? どうして。
ゆっくりと目を開くと、視界に映ったのは茶色の天井と団扇、そして神神子さんの顔だった。
「お、起きたか」
「神神子、さん?」
「ああ。おい、起きたぞ」
彼女は私以外の誰かにそう声をかけた。
「……私、温泉に入って。それで……」
そこまで言って気付く。私は神神子さんに膝枕されていたのだ。なぜだろう、でもとにかく、起き上がらないと。
「待て、起き上がるならゆっくりだ」
神神子さんはそう言って私の肩を支え、起き上がらせてくれた。
体を起こすと、そこは宿のラウンジだった。そして周りには神神子さんのほかに、縁満、咲音さん、かりんさん、希留耶さん、由梨花さん、真理花さん、シロちゃんとなんだかたくさんの人が集まっている。
「はああああああよかったああああああ」
縁満が大きく息を漏らす。
「だから大丈夫だって言ったろ……。叢雲、お前倒れたんだよ。のぼせてな」
神神子さんが口を開く。
「のぼせた……?」
そういえば、記憶が途中で途切れている。
「こいつが『叢雲がー! 叢雲が倒れたー! ちびこ姐さああああああん!』ってオレと希留耶の寝室に転がり込んできてよ。……枕元にタオル一枚腰に巻いただけのずぶ濡れの銀河が立ってた時は本気で通報してやろうかと思った」
体の状態を見るために人差し指をちょっと噛ませてもらったけど、必要経費だと思って許してくれ、と彼女は続けた。
「銀河があんまり騒ぐもんだからここにいるやつらみんな起きちまってさ。それでみんな叢雲が起きるまで待ってたってわけ」
「それにしてもこいつと二人で温泉だなんて、あんた結構大胆なことするのねぇ」
「叢雲さん、私もう一歩踏み込んでもいいと思うとは言いましたけど、流石に三段くらい飛ばしすぎではないかと」
かりんさん、希留耶さん、咲音さんがそれぞれ口を開く。
「ええと……」
説明を聞くうちに鈍重だった思考が流れを取り戻していく。
ええと、つまり?
「二人で、お風呂……」
もじもじとシロちゃんが口を開く。
私はお風呂でのぼせて倒れて介抱され、あまつさえここにいる全員に知られた、と?
「はああああああああああああああああ!?」
私は悲鳴をあげていた。ラウンジに私の絶叫が響く。
「ちょ、は、え、縁満あんたなんてこと!!」
思わず彼に詰め寄る。
「だって倒れたんだぞ! そりゃ心配するだろうが!」
「うぅ……」
ぐうの音も出ない。
「そうですよ、銀河さんさっきまでずっとこのへんぐるぐるしてたんですから」
由梨花さんが私を優しく諭すように言う。
「うぅ……やだ……もう死にたい……」
膝を抱えてうずくまる。一生の恥だ、こんなの。
「明樽さん明樽さん」
うきうきといった声音で真理花さんが縁満に呼びかける。
「叢雲さんとのお風呂、どうでした?」
「ちょっと!?」
公衆の面前でそんなこと聞かないでくれる!?
そんな私の内心の焦りをよそに、しばしの逡巡ののち彼――明樽縁満は
「うーん、月よりも叢雲の方が綺麗だと思った」
と、さも当然の感想のようにそう言い放ったのだった。
キン、と場の空気が固まるのが分かる。
ああ、かの文豪もこいつには敵うまい。
固まった空気の後みんなが取った反応は、片手で顔を覆い空を仰ぐ咲音さん、引き攣った笑みを浮かべる神神子さん、「背中かゆっ!」と叫ぶかりんさん、飽きれたようにため息をつく希留耶さん、笑いをこらえるように下を向き肩を震わせる由梨花さん、その由梨花さんにきゃあきゃあと抱き着く真理花さん、顔を真っ赤にして固まったままのシロちゃんと、本当に様々だった。
そして私はというと
「ば……ば……」
壊れたロボットのように、言葉が出ないでいた。
「え、何、どうしたんだよみんな」
みんなの反応に不思議そうな顔をする縁満。
ほんと、こいつ、こいつはっ……!!
「バカ縁満ああああああああ!!!!」
ラウンジに、私の絶叫がこだました。
月に叢雲、花に風。
人生なんてそんなものなのだろう。
それでも私は、彼と離れず生きていく。
そんな確信が、この日以降、私に芽生えるのだった。
ほんまこいつ……と思った皆さん、大丈夫です。
僕もほんまこいつ……と思っています。