「ではいってまいります、ムショック様」
「うむ、気をつけてな。今日の弁当は、豚の生姜焼きである」
「ムショック様万歳」
今日も今日とて、働きに出る黒乃を玄関で見送る。彼女の手には、我の手製弁当が下げられている。
我が力を失い、人の幼子に身を堕として。見上げる黒乃は、これから向かう職場という戦場に清々しい顔で向かっていった。
「……さて」
朝食を用意し、二人囲んで。
黒乃を見送って我の一日も始まる。彼女の出勤は九時だ。職場はこのアパートからすぐの所に在る為、ゆっくりめと言える。
起こしたのは八時、朝食と身嗜みを済ませ出勤。我はその為に、朝の支度を早く起きて効率良く済ませておく。
そして、黒乃が帰ってくるまでの間。
近場のスーパーの情報を集め予算内で、一番心身共に栄養のある食材を吟味する。
ただの幼女の我は、時間だけはある。短い手足ではあるが、我の為に働いてくれる黒乃を癒す為ならば苦労とも思わぬ。
「ぬ。トマトが安いな、こちらの店は素麺が特売か」
ポスティングされたチラシを並べ、今宵の夕餉を組み立てる。昨夜の残りのレタスを使いサラダ素麺にしようか。
この低所得者向けアパートに、空調なんて物は存在しない。夏に片足をかけたこの時期、少しでも涼を得てもらおうではないか。
部下を管理してこそ管理職、上司である。
今は力なき姿ではあるが、我に尽くしてくれる部下を思わずして何が上司か。
「エネルギーさえあれば、な」
このような苦労を、黒乃に負わせることはない。働きたくないと願い我が下に堕ちた彼女を、働かせることになるとは。
怠惰のエネルギーを得ることは現状叶わず。我はただの幼女であるし、黒乃も魔法少女に変身出来なければエネルギー回収は出来ない。
……ない物強請りをしても、仕方がない。
状況を打開するとなれば。
黒乃が変身可能とするまで、彼女を癒し続ける。可能な限り怠惰に浸り、エネルギーを回復してもらう。
「しかしまずは、食わねばな」
なんて世知辛い。
怠惰に浸っているには、金が必要である。生身の我らはだらだらしていても腹は減る。家賃も払わなければならない。
そんなこの世を覆したいが為、我と黒乃は戦っている。
「もう、少し」
金を稼ぐ為に働く黒乃を、支え続けた。心から、忠する部下を想っての行為ではあるが。
無策ではない。
そろそろ、労働に勤しみながらも怠惰のエネルギーが貯まるはずだ。怠惰の魔法少女、プリナーブラックに変身する為の最低限が。
「頼んだぞ、黒乃よ」
独り、我が下に残った部下に信を置く。
さて次は洗濯だ。桶へ貯めた水に石鹸を泡立て、僅かな衣服を揉み洗いする。
全ては、世界を怠惰に染め上げる為に。
◇
俺とムショック様の新たな日常は、安定していた。
本拠地を壊滅させられ、無一文から始まった貧乏生活ではあるが。
「あー……良い天気だなぁ」
これから働きに行くというのに、俺の心はむしろ高揚している。
ムショック様の完全復活……それにより、理想の上司が理想のお姿になるという新たな夢を得たこともあるが。
何より、家を守って下さる存在が俺を労働へ前向きにさせている。
ムショック様の為に稼ぎたい。ムショック様に労われたい。
前世で俺は、そういう存在を持たなかった。
だから過労死して、今はこうして悪の手先となっているのだが。
「しかし、これでいいのか悪堕ち魔法少女俺」
生きる為に金が必要という、現実的な理由で働き始めた俺。
悪を名乗るんだから、非合法な手段取れば。というのは変身すら出来ない十代少女の俺と、何の力も持たない幼女のムショック様には不可能だった。
あとムショック様は滅茶苦茶善人だから、犯罪行為にはいい顔しないし。
「……ま、いいか」
いつか、怠惰のエネルギーが貯まればこの生活は終わる。
俺が変身し、更に収集に勤しめば本拠地の再建や三幹部の復活も成せるだろう。
ゴールさえ見えているのなら、どれほど屈辱的な労働でも耐えられる。
……猫状態で他人に腹を撫でられるのが、あれほど恥ずかしいこととは俺は知らなかった。今後俺はしないようにしよう。
「今日も働きますか」
気づけば、もう俺が働く猫カフェ『どんとわーく』の前だ。
おはようございます、と声をかけCLOSEの札が下げられたドアを開く。
「おっはようッッッ!!!!」
「声がでかい!?」
鼓膜が破れるかと思った。
店内に入った俺を出迎えた合法ロリ店長が、何時もより近い距離で声量を大にして迫っている。
「ど、どうしたんですか店長……?」
「何かね! やる気がね!! すっごいあるんですぅ!!!!」
何かキめておられる?
小柄なエプロン姿をぴょんぴょんと跳ねさせて、元気いっぱいやる気満々といった様子の店長。眼もギラついている。
開店前の掃除をしていたのだろうか、何時もより店内も綺麗になっている。
同僚達……キャストたる猫たちは、普段と違う雰囲気に居心地悪そうにしているが。
「メニューも一新しますよぉ! 新しい子も入ってくれましたしねぇ!!」
さっきから声がでかい。いやあんた、もっとゆるふわ系ののんびり口調だったはずじゃないか。
駆けるようにキッチンへ向かった店長に続く。新人さんとは聞いていなかったが、とりあえず挨拶しないと。
「紹介しますよぉ、こちら
「あ、よろしくお願いします。阿久野 黒乃です」
キッチンにいたのは、俺と同じくらいの年頃の少女。
茶髪のショートカットに、白のリボンを両側に付けている。エプロンの下は白のシャツにジーンズと、しかしそれでもスタイルが良い為映える着こなしになっていた。
女性的な丸みの多い俺と比べ、細身で足も長いモデル体型だ。健康的で、活発な印象。
「こちらこそよろしくお願いしますッス! 先輩!!」
おおう。
店長に負けず劣らずやる気勢だ。体育会系って感じ。
前世での上司とかがこういう感じだったから、ちょっと苦手なんだよなぁ……。
「さぁ、それじゃあオープンしますよぉ!!」
顔合わせを済ませ、店長が開店を宣言する。
……やる気が天上突破している彼女によって、SNSなどで広告を打っていたらしく開店前から行列が出来ていた。
しかしバイトの数は限られている、今日も出勤は店長と俺、犬崎さんだけ。これ、回るのか……?
「黒乃ちゃん『今日』は店員としてお願いしますねぇ!」
店員として、つまりキャストの猫としてではなく人の姿のまま接客しろとのこと。
まぁこの状況だ、猫の手も借りたいということだろう。
本日から働き始める、新人の犬崎さんのサポートをするよう指示が下る。
「……今日は忙しそうだから、手が回らなかったらごめんね」
「いえ、勉強させて頂きますッス!!」
これだけの客数を朝から捌くのは初めてだ。それに加えて、新人教育まで任されてしまった。
猫の姿で働いて、揉みくちゃにされ続けるよりはマシだろうか。
いらっしゃいませ、の俺達三人の合唱と共に開店。
店内に客が雪崩れ込んでいく。
新メニューや新サービス、そして割引までも突然始まったせいだ。すぐに店内は一杯になり、店の前にはまだ行列が残っている。
「アイスコーヒー二つ、ケーキBセットで」
「はい、かしこまりました」
「こっちはタピオカミルクティー、サンドイッチセットの7番で」
「は、はい、かしこまりました!」
「中華丼とラーメン、ヤサイマシマシアブラマシコイメ。後、黒ウーロン茶」
「少々お待ちくださいぃぃぃいいい!?」
あちこちから飛び交う注文を捌いていく。
軽食は以前からやっていたが、店長メニュー増やし過ぎ。セットメニューも種類が増殖して、混乱の元だ。
最後の中華丼とラーメンも、当然やっていなかった。猫カフェに存在していいのか。
「オーダー入りまぁす!!」
忙しさで半ばヤケクソ気味に伝票を回す。
店長は次々と入るオーダーで、キッチンに縛り付け状態。しかし何時もよりやる気がある為か、一応は回ってはいる。
でもこれ犬崎さんの教育どころじゃねーぞ。駆けるように、彼女が残る店内に戻ると。
「Cセットお待たせしましたッス! こちらは4番のセットです!!」
「お会計ですね、2,860円になります! ありがとうございましたぁ!!」
「お客様、その猫ちゃんはこの玩具がお気に入りッスよ!!」
なにあれすごい。
犬崎さんは、怒涛の如く働いていた。滅茶苦茶有能な新人だった。
複雑になったメニューなのに間違いなく、速やかに配膳し。
お会計も淀みなく、熟練の店員のように片づける。
キャストである猫についても、しっかり頭に入れているようだ。入って一日目の、新人の動きじゃない。
「先輩、2番テーブルの方お願いしますッス!!」
「がってん!!」
……気づけば、先輩のはずの俺は使われる側だ。情けないが、彼女の優秀さは認めざるを得ない。
従うまま、目が回るような忙しさの中で働き続ける。
「――つ、疲れた……」
「お疲れ様ッス、先輩!!」
忙殺され続けたが何とか閉店まで働いて、片づけを終え終業。
店長はまだ、仕事を続けていた。本当にどうしたんだろう……。
バイトである俺達はそんな店長を背に、帰路についていた。
「いやー、ごめんね。何時もはこんなに忙しくないんだけど」
初日からあの状況、新人の彼女は面食らっていないだろうか。
素晴らしい働きを見せてくれた犬崎さんが、これに懲りて辞めてしまうなんてなれば俺はまた過労死してしまうかもしれん。
「すっごく楽しかったです! いやぁ働くっていいッスねぇ!」
なのに犬崎さんは、すごくいい笑顔。あれだ、働くのが苦にならないタイプの人だ。
店長のやる気はともかく、心強い同僚だな。
「犬崎さんが良い子で良かったよ。これからもよろしくね」
「はいッス! 先輩、お近づきの印に自分は白奈と呼んで下さい!」
「うん、それじゃ……白奈ちゃん」
「――っ」
隣を歩く白奈ちゃんを、見上げるように呼ぶ。年頃は同じくらいっぽいが、モデル体型の彼女は身長も高い為だ。
いきなり顔を背けられてしまった。
……ちゃん呼びは、少し馴れ馴れしかったか?
いやでも同世代の女の子同士、俺は元男だがこれくらいの距離感でもおかしくはないはずだが。
「先輩みたいな人が先輩で、自分幸せッス!」
「そ、そう?」
振りむいた彼女は、にへにへと表情が緩んでいる。可愛らしい顔だが、何か危うげな気配を感じる。
「じゃ、じゃあ、私こっちだから」
「お疲れ様でした、先輩!!」
「ん、お疲れ様ー」
ボロアパートの前に着き、そこで白奈ちゃんと別れる。
ちょっと変わった子だけれども、頼もしい後輩だ。
忙しい一日だったが、店が儲かればきっと時給も上がるはずだ。
……あの腹黒店長がきっと上げてくれると、信じたい。
「ただいま帰りました」
へとへとになった身体で、帰宅。今日もムショック様が出迎えてくれた。
目まぐるしかった一日のことを話したり、どこそこに新しいスーパーが出来ていたことなどを聞きながら夕食。
働きたくない為に働く、そんな矛盾な日常。
けれども。
確かに俺はこの日常に、幸福を覚え始めていた。
◇
「えへへ」
陽は落ち、電灯どころか家具一つない暗闇の部屋。
自分は、壁に耳を当てて小さな声で嗤う。
「せんぱぁい……」
このアパートは壁が薄い。
彼女達の会話も、こうして壁に耳すれば筒抜けだ。
逆に自分の部屋の音も、向こうから聞こえてしまうから気を付けないと。
自分を、名前で呼んでくれた先輩。
疲れ切った、怠そうな顔。
擦り切れかけた、掠れた声。
――それでも、燃え尽きない意思。
「はやく堕としたいなぁ……もっと、もっと……」
声を大にして、叫びたい衝動を抑える。
「自分『達』を倒したあの人を、もっと」
怠惰の悪から、正義の労働へ。
堕としたい。