「はぁ……」
交番のお巡りさんに、笑顔で見送られながらもとぼとぼと歩く。
登校途中、また落とし物を拾った。
それは何時ものことなので、元気がない理由ではない。
高そうな革製のカバンには札束がみっちり詰まっていて、落とし主から謝礼が支払われるそうだが何時も通り断って。
それでも手続きに時間がかかって、もう一限目の授業は始まっているだろう。学校にはもう連絡してあるし、よくある事なので先生も気にしないだろう。
元気がない理由はそれでもない。
「ひのちゃん……」
抜けるような青空。その青は、彼女のことを思い出させる。私の親友のことを。
私は桃空 心愛。
どこにでもいる中学一年生。
少し運がいいことだけが取り柄の、普通の女の子だ。
ある日、突然地球を襲った悪の組織ヒキニートー。それを率いるムショックによって、この街は狙われている。
私は偶然出会った正義の妖精ハロワーから魔法の力を授かり、正義の魔法少女プリナーフェイトとして街の平和を守ることになった。
「どうして」
苦戦しながらも敗北することなく、戦い続けた。
同じ魔法少女の仲間もできて、絶対にヒキニートーに負けることはないと思っていた。
なのに。
「どうして、私達が戦わなくちゃいけないの……?」
ひのちゃん。蒼河 氷乃。青の、プリナーズ。
魔法少女プリナージーニアスとなった私の幼馴染は、ヒキニートーに攫われてしまった。
再び戻ってきたその時、ひのちゃんは黒の衣装を身に纏い私達と敵対した。
あんな目……この世全てを憎んでいるような濁り淀んだ目を、ひのちゃんがするわけがない。
大好きなひのちゃんが、あんな目で私達を睨むわけがないのに。
昨日の戦いから一夜明けても、心のもやもやは晴れなかった。
「はぁ……」
朝から何度目になるか分からないため息。どうすれば。
「心愛。たぶん氷乃は、操られているだけだよ」
「ハロワー……」
学生カバンの中にいた正義の妖精、ハロワーが声をかけてくれる。
掌くらいの大きさの、柴犬のような姿。ちっちゃな天使の羽を、ぱたぱたと羽ばたかせて私の隣へ。
「憑りついている邪念を君たちの力で祓えば、きっと帰ってくるはずだよ!」
「そっか、取り戻せるんだ。ひのちゃんを……!」
心に闘志が宿る。
必ずひのちゃんを取り戻すんだ。バカで世話のかかる私を、いつも助けてくれたひのちゃん。
幼い頃から、ずっと大好きなひのちゃんを。
どこにでもいる、ただの女の子の私だが。
ひのちゃんへの想いなら、誰にも負けない。
「――心愛、ヒキニートーの気配だ!」
「えっ!?」
ハロワーが悪の気配を察知した。
驚きながらも、私も目を閉じその気配を探る……いた。
急いでその場所に走る。
きっと、その先に彼女がいるはずだから。
「ははは! 満員電車になんぞ乗る必要はない! 働く必要などないのだ!!」
出勤のため駅に集まった、スーツ姿の人々。
みんなが、カバンを投げ出して地面に倒れている。
「あー、いいんだー」
「そうだよなー。働くの辛いもんなー」
「寝よう。もっと寝ようー」
だらしなく、虚ろな目で呟いている。ヒキニートーに襲われた人は、みんな働く気持ちを奪われこうなってしまうのだ。
許せない。みんなの頑張る気持ちを奪うなんて。
「そこまでよ!」
「……ちっ」
駅舎の屋根の上に立つ、黒い影。
みんなを襲っていたのは……ひのちゃんだった。悪の黒に染まった、魔法少女。憎悪に染まった瞳。
痛々しいその姿に、辛くなる心を今は抑える。
――取り戻すんだ。
屋根から飛び降りて、襲い掛かるひのちゃんを迎え撃つように。
「セット、プリナーレコーダー!」
懐から、変身アイテムを取り出して掲げる。
ペン立て程の大きさのそれ。可愛いピンク色の、その頭の部分に私のプリナータイムカードを差し込む。
レコーダーから桃色の光が爆ぜるように広がって、学生服がレコーダーに圧縮収納され。
光に包まれた私の身体へ、次々と魔法少女の衣装が纏われていく。
真っ赤な靴、ふわふわのスカート。スーツジャケットを模した衣装。リボンとフリルがどっさりの、女の子の憧れの姿。
私の地味な茶色がかった黒髪が、桃色の光に染まりウェーブのかかったロングに。
最後にネクタイをきゅっ、と締め上げて。
「頑張るみんなに祝福を! プリナーフェイト!」
光の奔流が解き放たれ、私は変身を完了した。
魔法少女、プリナーフェイト。
ピンクと白に包まれた、最初のプリナーズ。
この力で。
ブラックジーニアスになってしまったひのちゃんを、取り戻すんだ!
◇
間に合わなかった。
ムショック様の復活の為、働く人々から勤労意欲を奪いエネルギーを集めていると。
どうやって察知したのかプリナーフェイト、桃空 心愛が現れた。
……中学生の彼女達は、本来なら朝礼中のはずだ。だからこそ、この時間を選んだと言うのに。
「ちっ」
舌打ちする。
俺の目的はあくまでムショック様の復活、働かなくても良い世界を実現することだ。
それを妨害するプリナーズとの戦いは避けられないが、彼女達を傷つけたいわけではない。
前世でいい大人だった俺は、女子中学生を痛めつけて喜ぶ趣味はない。
『私』蒼河 氷乃の心も、悲鳴をあげる。
ならば。
「セット、プリナーレコーダー!」
――戦う力を、奪ってしまえば!
駅舎の屋根から飛び降りた勢いのまま、心愛に飛び掛かる。
なんの冗談か、出退勤を管理するタイムカードレコーダー型の変身アイテム。それさえ、彼女の手から奪えば変身はできなくなるはずだ。
お約束の変身タイムだが、元々この世界の住人ではない俺は遠慮しない。
特に今は、世界の侵略者。その手先だ。
しかし。
間に合わなかった。
「正気に戻って! ジーニアス!」
伸ばした手を、プリナーフェイトが握った拳で受け止める。
変身、早過ぎるだろ……。
ぴかっと光ったら、既に変身を完了していた。0.001秒以下だろう。変身バンク見てねーぞおい。
蒼河 氷乃の記憶だともっと段階があったはずだが……プリナーズへの変身、周囲からはこのように認識されるらしい。
「俺は、正気だッ!!」
零距離からの、ブラックブリザード。
手に持つ魔法のペンから氷結の魔法を放つ。
とにかく、足を止めて―――ッ!
「違うよ!」
プリナーフェイトを中心として、桃色の光が炸裂する。
純粋な魔法エネルギーの爆発。
それだけで俺の魔法は霧散してしまう。
「ひのちゃんは『俺』なんて言わない……っ」
視界を焼く光に視力を奪われ、無防備な腹にプリナーフェイトの拳が突き刺さる。
俺は、ブラックジーニアス。この身体は、蒼河 氷乃は彼女の親友のはずだ。
なのに。
全力で腹パンしやがったこいつ。
「ぐ、えッ……!!」
意識が一瞬で白黒に明滅する。
魔法少女の防御力で、威力は軽減されているはずだ。
なのに、その一発で後方の建物まで吹っ飛ばされる。
「お願い、帰ってきて」
全身がバラバラに砕け散るかと思うほどの衝撃。
コンクリートをクッションにして、ようやく止まったが身体に力が入らない。
「ひのちゃん」
瓦礫にまみれ、立てない俺を見下ろしながら近づくプリナーフェイト。
『私』を求める目は、あまりにも危うかった。
……プリナーフェイト。桃空 心愛は断じて、普通の女子中学生ではない。
幸運だけが取り柄と言う彼女は、産まれながらに戦士の素質を持っている。
ただの普通が、理知外の存在に力を与えられただけで戦えるはずがない。巨躯の怪物に立ち向かい続け、今悪に堕ちた親友を全力で殴れるはずがない。
心愛は、歪んでいる。
ごく普通の家庭に産まれ、当たり前に育った彼女は偶然に与えられた力でその才能を開花してしまった。本来ならば、目覚めるはずのない才能。
産まれながらの戦士。
俺に近づきながらもその目は忙しなく、周囲に配られている。
戦いに『使えるモノ』を探している。剥き出しの鉄骨、転がった小石ひとつ。
自然に脱力して。いつでも、どんな状況でも対応できるように思考している。
俺が、どんな策を弄しても叩き潰せるように。
心愛の恐ろしさは、それだ。
異常な幸運と、天性によって得た戦士の心得。
それが何より危なっかしくて。
『私』は、彼女を守ろうと魔法少女になった。
いつも一緒だった心愛。
『私』であった頃には、何よりも頼もしかったそれが、『俺』に向けられていた。
「戦闘不能になれば、変身は解除される」
すでに必殺の距離まで近づいて。死刑宣告が告げられる。
プリナーフェイトは、魔法のペンで俺を差す。
「ちょっとだけ我慢してね?」
桃色の光がペン先に収束していく。
「――やめて、心愛っ」
「え?」
俺自身、叫んだ言葉に戸惑う。
『撤退だ』
一瞬の間。
まさに打ち取られんとしたその瞬間に、差し込まれたムショック様の声。
撤退用転移魔法によって、俺の身は突きつけられた銃口から逃れた。
「……ひのちゃん」
心愛の、寂しそうな呟きを俺の耳に残して。
◇
「ご苦労だった、ブラックジーニアスよ。撤退には追い込まれたが、大量のエネルギーを得ることができた」
陽炎のように不定形の黒。
気づけば、俺はムショック様の前に転移していた。
「……申し訳ございません、ムショック様」
「気に病む必要はない。新人の貴様にしては、十分な働きだ」
跪いて、頭を垂れる。
あのままムショック様が撤退魔法を使ってくれなければ、俺は終わっていただろう。
なのに功績を認め、慰めてまでくれる。マジ悪の組織ホワイトだわ。一生ついていきますムショック様。
「貴様には期待している。共に、不労の世界を築こうではないか」
前世でロクに褒められていない俺に染み渡るお言葉。
敗退したというのに、ムショック様はそんな言葉を下さる。
「はッ……全ては、ムショック様のために!」
その応えに、頷くように影が揺らめいて。
ムショック様の姿が霧散する。
誓いを新たにして、立ち上がる。
「……心愛」
なのに、俺の誓いを揺るがす彼女の名前を呟いてしまう。
『私』の部分。
あの子は、いつも危うくて。
人並外れた幸運に恵まれながらも、お人よしで全ての享受を分け与えてきた。
危険に遭って保身なんて考えすらしない勇気を持ち、天武の才であらゆる脅威を打ち払う。
心愛は、私のヒーローだった。
バカでドジで、目を離せばいなくなってしまいそうな心愛。
それでも、いざという時は誰よりも頼りになる正義のヒロイン。
だから私は彼女と同じ魔法少女になったし、彼女の力になれることが嬉しかった。
「私は。俺は」
だが。
正義という盲心に囚われた魔法少女、その外から俺はやってきた。
正体不明の、正義の妖精……ハロワーに唆されたプリナーズを解放する。
不労の世界を築く。
ただの中学生が、世界の命運の為に戦うだなんて間違っている。
――過労死する人間を許容する世界を守る為に、子供が戦う必要なんてない。心愛達が、戦う必要なんてない。
「世界を、侵略する」
誓う。
ただの女子中学生、心愛達が守らなければならない世界なんて壊さなければならない。
蹂躙し、破壊しなければならない。
平穏で不変な不労の世界。
心愛が、頑張らなくていい世界を実現する。
だから、私は。俺は。
戦わなければならない。