『.......彩花』
その声が聞こえたと同時に、私は目を覚ました。だけど、頭がぼーっとする。私はぼんやりとしたまま辺りを見渡したが、何処も彼処も真っ白で、人らしき姿すら見当たらない。
そんな場所に私は一人で立っていた。
......ここは?何処なの?何か声が聞こえた気がする。暖かくて、優しくて、なんだか包み込んでくれるような....。
.....それに、この声は...何処かで聞いたことがある気がする.......。
...でも、何処で......。
『彩花。彩花』
その声がはっきり聞こえた時、私の頭の中にあったモヤが消え、それまでのことを思い出した。
そうだ。思い出した!私、確か腹を氷の塊で貫かれて.....。....いやそれも大事だけど、この声は......!
思い出したその瞬間、まるで霧が晴れるかのように、一面真っ白だった空間が消え、たくさんの草木に囲まれていたところに私はいた。
だが、この場所は道らしき道がなく、何処かの山奥にいるようだった。
ここって、もしかして....!
でも、なんとなくここが何処なのかは分かった。それと同時に、私は無意識に走り出していた。草をかき分けて真っ直ぐに進んでいき、やがてある家の前に辿り着いた。
「やっぱり。ここ、私の家だ」
目の前の家を見て、私はそう呟いた。
そう。見覚えのあるこの場所は私が昔住んでいた山だ。となると.......。
「ここは夢の中なのかな?でも、私は腹を貫かれていたし.......。....それなら死後の世界とかになるのかな.....」
私はその場で夢を見ているだけなのか死んでしまっているのかを考え込んでしまい、しばらく家の前で立ち続けていた。
すると、家の扉がゆっくり動き出し、私は考えるのを一度止めて警戒した。私が生きているのか死んでいるのか分からないけど、ここに私以外に誰かがいるとしたら、何者なのか分からない。
私は開こうとする扉に視線を向けた。無意識に肩へ力が入っていた。...だが、
「....えっ?
......お母さん?」
扉を開けた人物を見て、私はその場で固まってしまった。目の前にいるのは既に亡くなったはずの私の母親だった。
もう何年も前に亡くなったお母さんが私の目の前で笑っている。生きていた頃のように微笑んでいる。
...なんだか視界が少しボヤけているような....。
『彩花』
「...ぁ.....っあ....お、お母さん........」
『おかあさーん!』
私の名前を呼ぶ母親を見て、私は泣きそうになりながらも不安定な足元でお母さんに近づこうとした時、後ろから幼い声が聞こえてきた。その声を聞き、私は立ち止まってその声が聞こえた方を向いて目を見開いた。
聞き覚えのある声だと思っていたが、誰なのか全く心当たりがなかった。だが、その声の人物を見て驚いた。それと同時に色々と察した。
その声の人物は幼い頃の私だ。桃色の着物を着ていて、まだ赤色の紐で髪を結んでないので、肩につきそうなくらいの長さの髪が下ろされた状態で、風に吹かれて揺れていた。笹の葉の羽織も身につけていない。いや、身につけていないのは当たり前だ。だって、その羽織は目の前の母親が着ているのだから。
『彩花。もうそろそろお昼ごはんの時間なのに、なかなか帰らないから心配したのよ』
『ごめんなさい。でも、こんなにたくさん薬草を見つけたんだよ。凄いでしょ?』
『あらあら。こんなにいっぱいも...何処で見つけたの?』
『うーんとねー.....』
私をすり抜け、小さい私はお母さんに抱きついていた。どうやら小さい私とお母さんには私の姿は見えていないようだ。それと、おそらく声も聞こえていない。つまり、これは私の幻想か夢の中の出来事なのだろう。
母親は昼ご飯だと言いながら小さい私を家の中に入れた。小さい私は母親に今日の出来事を話していた。母親は小さい私の話に相槌を打ち、小さい私は嬉しそうに薬草を見つけた時のことを思い出しながら話していた。そこに父親も加わり、家族三人でご飯を食べ始めた。
私は目の前で行われている親子のやり取りを見て、これは過去の出来事の記憶だということに気がついた。昔の......まだ両親が生きていた時の記憶...。....両親が薬を作り、私がその手伝いで薬草を摘んで...両親の仕事を見ていた日々.....。
あの時の私はこの日々が永遠に続くように感じていた。鬼にさえ気をつければ大丈夫なんだと思っていた。だけど、それは間違いだった。
ここが「鬼滅の刃」の世界だと思っていた私はそれ以外が原因で亡くなると考えていなかった。現実では事故死や病死とかで人は突然亡くなる。特にここは大正時代であり、前世と比べて医療が発達していない。鬼に襲われる以外にも気をつけないといけないことがたくさんあったのに、私はそれを忘れていた。これは私の油断である。今でも深く反省している。
両親の死は私の考えの甘さを教えてくれた。
....こんな方法で教わりたくなかったけどね...。.....でも、気づくのが遅かった私が悪い....。
小さい私が目を輝かせながら両親の薬作りの様子を見ていて、私もその後ろから両親の姿を眺めていた。
両親の姿を見るのは久しぶりだからね。この時代は一応写真が存在しているのだが、身近な物ではないので、写真を撮ることはなく、両親の姿をもう一度見ることができない。両親の姿はもう記憶の中にしかいない。
私は両親の姿を目に焼きつけるように見ていた。
『......今日はここまでにしようか。彩花が薬草をいっぱい採ってきてくれたし、手伝ってもくれたからね。たくさん薬ができたよ』
『そうね。彩花、お疲れ様』
『うん!お疲れ様でした!』
しばらくして、両親が薬作りの仕事を終えた。小さい私は無邪気に喜び、座布団に座る父親に近寄った。幼い頃の私はほとんど見ているだけで、たまにこれは私がしていいと聞いて、仕事の手伝いをしていた。
だけど....小さい私が手伝いをしている時、両親は小さい私の様子を見て、心配そうな顔をしているので、こうして見ると逆に迷惑だったのではないかと思う。当時の私は両親が見ていることに気づいても、目が合えばにこっと笑っていて、喜んでいると思ってはりきっていたような......。
...今見てみると、本当に恥ずかしい.....。一番疲れているのは両親の方なのに....これからお母さんが料理するのだから手伝ったら......。
....いやいや、当時の私に刃物を持たせたり火のある場所に近づけたりする方が駄目か。
記憶に曖昧な部分があるけど、たぶんそれでお父さんの方に行ったのだった。
これからお母さんはご飯を作らないといけないので、構っていられないくらい忙しくなるのは分かっていた。だから、お父さんと話をしようと思った。疲れているところを悪いと思っていたけど、仕事をしているからとずっと待っていたので、少しの間でもいいから構ってほしくて仕方がなかったのだ。
.....それにしても....。
昔の私って、あんなに喜んでいたのか。まあ確かに、近所に同い年の子がいなくて、遊ぶ相手もいなかった私は両親が構ってくれることに喜んでいたからね。俯瞰的に見たことがなかったから、当時の私がどんな表情をしていたのか分からなかったけど...なんだか純粋な子どもみたいに見える.....。
『....彩花。よく手伝ってくれるけど、もしかして大きくなったらこの仕事を受け継いでくれるのかな?』
『うん。そうだよ。私もお父さんとお母さんみたいにお薬を作って、色々な人達を助けたいの』
お父さんが不意に小さい私に聞いた。小さい私はその質問に頷きながらにこにこ笑っていた。
......ああ...。....このやり取りを私は知っている。
お父さんは私が薬屋を受け継ぐ道を選んだことに何か心配そうな顔をしていた。その時の私は...確か私って頼りないのかなと思っていたけど、お父さんの真剣な顔を見て、黙ってお父さんが話すのを待っていた。
今、目の前で小さい私が同じ行動をしている。自分がやったこととはいえ、こうやって成長して見ると、色々恥ずかしい。きっと私の顔は真っ赤になっているんだと思う...。
『.....彩花。この仕事をするなら約束しようか』
『約束?』
『そうだ。大切な約束だよ』
父親の言葉に小さい私は首を傾げたが、しっかり頷いた。
お父さんが薬屋について話そうとしてくれているようだ。当時の私は鬼殺隊に入って鬼狩りになる気がなく、この時代で生きていくためにも稼がないといけないと思い、両親の薬屋を引き継ぐ気だった。
だから、すぐに薬作りのやり方を両親に教えてもらおうとした。
まあ、この世界で生きていくために働こうと思ったからというのもあったが、一番の理由は両親と同じ薬屋になれたら、両親が喜んでくれるかなとか、両親の仕事を手伝うことができるし、負担を減らせるのではないかとか.......当時の私は恥ずかしながら親孝行をしたかったのだよね...。
....たぶん、前世でおそらく両親より早くに亡くなってしまった負い目があったのだと思う。
両親と同じ仕事をして、色々教わって、同じ時間を過ごして....両親が働けなくなっても、私が後を継いだら安心すると思うし、もっと良い薬を作れたら喜んでくれるとも思っていた.....。
幼い頃の私は両親の役に立てると思い、早く一人前になろうとしていた。両親はそんな私の様子を見て、興味を持ってくれているならと色々教えてくれたり、実際に自分達の道具を貸して、私が練習できるようにしたりと、私の行動を止めることはなかった。もし危険なものがあったら私から離すし、注意してくれていた。
今回も薬作りに興味を持つ私が本当に薬屋として働くのかという確認をして、そのための心構えのようなものを教えておこうと思ったのだろう。
当時の私は両親の仕事を受け継ごうという思いがあっても、助かった人達のみを見ていたし、成功しか知らなかったので、割と甘い考えを持っていた。
だからこそ、お父さんはそれを見抜いて、子どもの私に忠告してくれていた。
後で痛い目に合わないように....。
『いいか。薬屋は薬を作り、それを体調の悪い人達に渡して怪我や病気を治したり軽減させたりするのが仕事だ。だけど、この仕事は逆に間違えてしまえば人の命を奪うことにもなるんだよ。薬は少なければ効き目がなく、多過ぎれば死に至ることがある。適切な量でないといけない危険な品物だ。
それに、薬は万能ではない。どんなに強い効き目を持つ薬でも助かる時と助からない時があるし、もう手遅れの時だってある』
『..........』
『この仕事は人の命を預かる仕事だ。目の前にいる人を助けることができるけど、判断を間違えてしまえば殺してしまうことにもなるし、死んでいくところを見ることもある。この仕事が命に関わるから、どうしても人の生死の近くに行くことになる。
お医者さんや身内じゃなければ見なかった死を、この仕事ではいっぱい見ることになるんだ。病気の人や怪我をしている人にも色々な状況があって、もしかしたら助けられたかもしれない命が消えていくところや殺してしまうところを目の前で見ることだってある』
小さい私はお父さんの話に何も言わず、黙って耳を傾けていた。大切な話をしようとしていることが分かり、自分もと思って真剣な顔をした。そんな小さい私を見て、お父さんは微笑み、小さい私の頭を優しく撫でた。
あの時、子ども扱いはしないでほしいと思っていた....。
でも、実際に子どもであるのは間違いなく、ちょっと照れくさく感じていたんだよね.....。
なんだか....もっと甘えたいとかそう感じて...体が子どもだった所為か、精神が少し子どもの方に引っ張られて、たまに幼くなる時があったんだよ。
『それは苦しいし、辛いことだ。だけど、それでも人間は生き続けないといけない。助けられなかった命があっても、それを忘れずに手を動かし、頑張り続けていくしかないんだ。自分に助けられなかった命のことを記憶に残し、同じことで助けられないということにならないように、今度はしっかり助けられるようにする。新しい薬を作ったり治療法を変えたりなどの技術を上げることで、助けられる命を増やす。それが亡くなった人を生かすことにもなるから』
『亡くなった人を生かす?』
『そうだ。お医者さんも薬屋も共通点は人を生かすために行動していることだ。亡くなった人はもう生き返らない。だけど、その人はまだ生きている』
『どういうことなの?お父さん』
お父さんの言葉に小さい私は首を傾げていた。私は小さい私の姿を見て、こんな反応をしていたかなと思いながら、ある疑問が湧いてきた。
あれ?この言葉.....私、知っている。...でも.......。
『例えば、彩花は昨日食べたご飯を覚えているかな?そのご飯はお腹の中に無くなっちゃったけど、頭の中にはそのご飯のことがあるだろう?それって、彩花の頭の中にはそのご飯がいる。目の前になかったとしても、まだこの世界で記憶として残っているということなんだよ。
そして、それは人間も同じなんだ。
人が亡くなって肉体が消えてしまっても、頭の中にはその人のことが残っているだろう。その時、その人はこの世界から消えていない。つまり、生きているということにならないかな?
それに...彩花には難しいかもしれないけど、亡くなった人の思いも消えない。その人が生きていて残したものは必ずある。それが目に見えない形であっても、まだ痕跡が残っているから、その人はこの世に存在し続けていることになる。
亡くなった人を覚えていたいなら、その人の思いを継ぎたいなら、私達はその人のことを忘れてはいけない。その人が存在していたことを、その人がどう亡くなったのかを覚えてなければならない。そして、その亡くなった人の命や思いを無駄にしてはいけないんだ』
お父さんは微笑みながら例を挙げて話し、まだ幼い私が少しでも分かりやすく伝わるように説明した。話の内容が難しいため、想像しやすいように食べ物を連想させるような例だ。
例えでご飯のことを出したのは私が幼稚園児くらいの子どもだったからかな。まあ、子どもには難しい話だったし、途中から飽きてしまう可能性もあるため、子どもにとって分かりやすく、身近にあるものや興味のあるものを話題にした方が集中して考えやすいと思ったのだろう。
なんだか食い意地のある子どものように聞こえるが、私はそんなによく食べる子ではなかったと思う。ただ、山菜の天ぷらや山菜と猪肉が入った鍋(ぼたん鍋)、甘味などを食べる時、目を輝かしているとか本当に美味しそうに食べるねとか言われるけど....それは違うからね。絶対に違うと思う。
この例を挙げたおかげで、小さい私はすぐにどういうものかを想像でき、内容もちゃんと理解できたようで、父親の言葉に何度も頷き、同じ言葉を繰り返し呟いていた。
私も父親のこの話を聞き、ある言葉を思い出した。それは『人間は二度死ぬ』という言葉だ。
人間は二度死ぬ。一度目の死は肉体が滅びた時、二度目の死は記憶から忘れ去られた時...という意味の言葉だ。私はこの言葉を初めて聞いた時、お父さんの話は当たっていると思った。この時代にこの言葉があるか分からないけど、お父さんはこの言葉をたぶん知らない.....。
人間は死んだらそれまでの人生だ。でも、その人の命が無くなっても、その人の人生が終わってもまだ本当の意味で終わったわけではない。その人の言葉や思い、その人との記憶とそれに関係する物が残っている限り、その人はまだこの世にいる。今も生き続けている。誰かが受け継ぐことでその人の記憶も思いも次の世代へ繋いでいける。
例を挙げるとしたら、歴史の偉人がそうだろう。歴史の偉人が亡くなってからもずっと覚えられているのはその人のしてきたことを、その人の人生を忘れてはいけないと思い、学校の先生達が子ども達に教え続け、その人について研究する教授が何度も論文を書いているから、現代でも偉人のことが残っている。
他にも本や銅像という実物が残っているからというのもあると思うが、それらも管理したり新しくしたりする人がいるから、それらはずっとそこにあるのだ。管理する人がいなくて、それを無くそうと言う人がいれば、どんな凄いことをしていても残していたものが消え、その人は忘れられて亡くなってしまう。これを後世に遺そうという意志があるからこそ、現代もそれらがしっかり残っているのだ。
最もその本や論文を読む人や銅像を見る人、教えてくれる人達がいても、それらのことを覚えて次に受け継ごうとする人達もいることで成り立つのであって、それがなかったら現在にその人の名前は消えているだろう。
そのため、ちゃんとその人のことを未来へ残そうとする人達がいなければ成立しないのだ。どんなに凄いものだろうと、どんなに珍しいものであろうと、それを残したいと思う人や知ろうとする人がいなければ誰にも受け継がれず、知られることも広まることもなく、その存在はやがて消えてゆくことになるから。
『彩花。亡くなった人を生かし続け、思いを受け継ぐのは想像以上に大変なことなんだ。だけど、私達は辛くても忘れてはいけないんだよ。止めることも駄目だ。薬屋は医者のように人に頼られ、助けるのが仕事だから、私達はたくさんの人の死を見ながらも前を向いて、新しい薬を作るしかない。その人達が亡くなったことを無駄にしないためにも、また犠牲者に出さないためにも、私達は次に向けて動かなければならないんだよ』
お父さんは小さい私を心配そうな顔で見ている。小さい私はそんな父親の顔に気づいて、大丈夫だというように笑顔を浮かべたが、お父さんはそれでも不安そうにしていた。
おそらく口ではそう言えても、実際に体験してみないとその通りに行動できるとは思えない。まだ幼い私が大丈夫だと言っていても、例えその言葉を信用はしても、その後で本当にできるのかは別問題だからね。
不安に思っても仕方がない。
『彩花には忘れるなと言っておきながらこんなことを話すのは悪いけど.....。
....記憶というのは永遠に残るものではないんだ。亡くなった人のことは時間が経てば薄くなってしまうし、何処か欠けてしまう。その人を知っている私達も忘れないように意識しても、その記憶は気持ちとは裏腹に消えていく。私達はそれに抗うことができない。
だから、私達は何かを残そうとする。それが私達の仕事でいうと、その人が亡くなった原因を解消できる薬を作ったり治療を早くしたりすることだ。
亡くなった人もその家族も悲しいと思っているが、それと同時に原因の解明と次の犠牲者が出ないことを望んでいる。助けられなかったことに恨みを抱く人達だっているけど、それでも私達はそのことを謝罪しながらもやるべきことを、薬を作り続けて自分の仕事を全うしないといけない。非難されても手を動かし続け、その死からきちんと学ぶ。
それがその人を救えなかった私達なりの償いであり、その人の死を無駄にしないための方法だと、私は思っているんだ』
お父さんは私に強く言い聞かせるようにそう言った。
その時、私は薬屋の仕事に対する父親の思いを初めて知ったのだ。
思えば私はその時まで父親が薬屋を始めた理由やこの仕事をどう思っているのかを知らなかった。
まあ、前世でも両親の仕事について聞いたり調べたりするきっかけになるのはほとんど学校の授業や宿題だったことが多いし、私もそうだった。今世の私にはそのようなきっかけがなく、聞いてみようとも思っていなかったのだ。
......お父さん、そっちに興味を持たなくて申し訳ありません...。
『だから、どんなことがあろうとも私達は諦めてはいけない。その人の死から何も学ばず、何もできなかったら、その人はそこまでだ。
亡くなった人を二度も死なせたらいけないし、その人の死を無駄にしてはいけない。そうして、私達はその命を守り、思いを受け継いでいく。そして、私達の仕事でその原因を解明し、次の人の命を救うことで受け継いでいけるんだ。その人の死を後悔しかないものとせず、胸を張って貴方と同じ人を今度は救えましたと、その人に言えるようにする。
.....少し難しかったかな。まあ簡単に言うと、彩花は何があってもずっと頑張っていくしかないということだね。どんなに辛くても足を止めてはいけない。その瞬間が人を救うことになるかもしれないし、運命を変えることにもなるかもしれないから』
そう言ったお父さんの目はとても強い光がある。その目から強い意志を宿しているのだと感じ取れた。お父さんはこの仕事と真剣に向き合っているのだということがよく伝わった。
幼い頃の私も今の私もこの話を聞くと、両親のように真剣に取り込もうと、ちゃんと命と向き合おうと思った。この言葉は私の心に深く刻み込まれているのだ。
だから、私は.........。
.....あれ?私、何を考えたの...?
『....一つ、間違った考えをしないように訂正しておこうかな。薬屋は辛いことがあると言っていたけど、それは薬屋以外も同じなんだ。どんな人でも、どんな仕事をしていても、辛いことや悲しいことは起こる。理不尽なことだって、彩花の想像以上にあるんだ。
だけど、どんな理不尽なことがあろうとも、私達はそれを許し合って生きている。すれ違うことがあっても、憎しみをぶつけられても、暴言を吐かれても、それでも私達は前を向いて、自分の道を進むんだ。褒められなくても、誰かに肯定されなくても、本当に自分の道が正しいのかと疑問に思っても、悩みながらも少しずつ進んでいくんだ。
どんな道でも多少の後悔があると思うけど、その後悔を少しでも減らしていけるように頑張ってほしい。後悔でいっぱいの人生を送らないようにしてほしい。転んでも立ち上がってほしいんだ。
七転八起という言葉があるけど、彩花は知らないかな?』
『うん。知らないよ』
『七転八起とは、何回失敗してもその場に座り込まず、何度も立ち上がり、力の限りその困難に立ち上がるという意味なんだ。
私は彩花に何処かで挫けずに諦めないでほしい。諦めてその場で座り込んだらそこから一歩も進まないだろう。諦めたらそこで止まることになる。足を動かさないと進めないのは知っているな』
『でも、座ったままでも動けるよ』
お父さんは間違ったように捉えさせないためにと言い、人生やそれについての父親としての願いのことを話した。小さい私は『七転八起』という言葉を知らなそうにしていて、お父さんがそれを説明している。私はそれに首を傾げた。
あれ?あの時、私はお父さんに知らないって聞いたの?私、七転八起の意味を知っているけど.....。
....本当は前世で知っていたが、何故知っているのかと追求されても前世の記憶のことを言えないので、黙っていたのかな...。
なんだかこの辺の記憶が少し曖昧なんだよね.....。
小さい私は座っていても動けると思ってそう言うと、お父さんはその言葉に苦笑いを浮かべた後、少し考えてから話し出した。
『.......まあ、確かに前に進むことはできるね。だけど、それだと手を使ったりするから大変だろう。それに、座ったまま前に進む方と立ち上がってから進む方だと、どっちが速いかな?』
『...立ち上がった方が歩きやすいと思う』
『そうだろう。だから、私は彩花が何度転んでも立ち上がり、どんなに重い物を背負っていても、どんなに険しい道であろうとも進むことができるようになってほしいと思っているんだ。でも、無理に立ち上がろうとしなくてもいいから。座っていることも大事なんだよ。さっきも彩花が言っていたけど、座っていても前に進むことができる。
....いつまでも立ち続けていたら彩花も辛いだろう。座っている時は進むのに大変だけど、それは一種の休憩だよ。立ち上がった時に座った分も取り戻せるくらい速く進むための。
座り続けることを不安に思う必要はない。むしろ焦り過ぎて躓くことになる。焦らずに冷静に考えて、何が大切なのかを忘れず、前に進み続けていく。悩んでいても、歩く速度を遅くなっても、前に進むことを諦めなければいいんだ。
.....これは私の勝手な願いだけど』
お父さんの質問に小さい私が答えると、お父さんは頷きながら自身の思いや願いを話し出した。最後の言葉で、これは自身の願いであって、私がそれを守らなくてもいいのだということを言いたいのだろう。
お父さんの考えを聞き、小さい私は思考に沈み、自分なりの答えを見つけようとしている。私もその様子を見ながら思いを巡らした。
そうそう。私はこの言葉が原動力だった。両親が亡くなってからの私にとって、前を向いて生きていくために必要な言葉で、本当に大切な言葉だった。両親が生きていた時も、亡くなってからもこの言葉はずっと覚えていて、心の中で生き続けた。
両親が亡くなってからも、私が薬屋をできたのもこの言葉のおかげだ。諦めたらそこで立ち止まっているところを見られたら両親が悲しむ、両親は何があっても前に進もうとする姿を見る方がきっと喜んでくれると思いながら、私は今を生きている。
あの頃の楽しい思い出が心に残っているからこそ、それを支えにしていくことができる。
それと、煉獄さんの『心を燃やせ』という言葉にも私は救われたね。
この世界に転生したと知った時、私は不安でしょうがなかった。それもただの転生ではなく、漫画にある『鬼滅の刃』という世界だということも知った。その時に前世の世界にはいない鬼が存在する『鬼滅の刃』という別の世界に来て、とても不安だった。その時の私は記憶の整理として『鬼滅の刃』の内容を思い出していた。その中で心が惹かれ、印象に残ったのが煉獄さんの言葉だ。煉獄さんの言葉はこの先に不安しかなかった私を励ましてくれた。
この世界で生きるのは前世よりも難しいし、不便なところもある。だけど、この世界で生きていくことは変わらない。だから、どんなに苦しいことがあっても心を燃やし続ければ乗り越えられる。辛いことがあっても歯を食いしばって前を向こう、自分の人生に胸を張れるようにしようと思った。
そう前向きな考えを持てるようになった。
お父さんの言葉と煉獄さんの『心を燃やせ』に私は力を貰ったのだ。反復動作の試練もこの二つの言葉があったからこそ、乗り越えることができた。この二つの言葉に私は感謝している。
私は小さい私が何と答えたのかと気にしながらその様子を見ていた。今の私と昔の私では感じ方が違うと思うからね。あの時の私はどう........。
その時、私の心臓がドクンと鳴った。それと同時に、心臓のところが熱を持ち始め、その熱が体中に広がっていった。
あ、れ?な...んで?なんで、体が...熱くな、って........。
体温が上がり、心臓の鼓動がバクバクと大きくなっていくのを感じながら、私の意識はだんだん遠くなっていった。
『今が辛くても頑張って。私達は手を伸ばして助けることができない、見守ることしかできないけど、彩花の味方よ。.
...だから、諦めないで』
意識を失う前にお母さんの声が聞こえた気がした。私はそれが聞こえてすぐに手を伸ばそうとしたが、腕が全く上がらなかった。目の前が真っ黒になっていき、やがてプツンッと音を立てて途切れた。
「お父さん!お母さん!待っ......」
「...ふう。無事に着地できたわ。あの子はあの傷の深さじゃ動けないだろうし、真っ逆さまに落ちていったのかしら。
あれから随分経っているし、もう死んでいるわね。そもそもあの出血量からして長く生きられそうもなかったもの。本当に運のない子ね。
.....でも、最後に貴女と話せて良かったわ。
ごめんなさいね....」
上弦の伍である彼女は地面に着地し、そんなことを呟いた。その後、別のことに興味を出したようで、屋根の上に登って周りを見渡した。少し経って目的のものを見つけたのか、彼女はその屋根の上に座った。
「鬼殺隊と戦ってるのは鬼舞辻無惨だけね。他の上弦の鬼はアタシ以外にいないわね。それに対して、鬼殺隊は誰も欠けてないわ。まあ、それは当然よね。全員が二回目なんだから、一回目の彼らに負けるわけがないもの。ここまではアタシの予想通りに行ってるわね」
彼女は屋根の上からその様子を眺めていた。鬼殺隊が全員この場に揃い、鬼舞辻無惨に立ち向かっていく姿をじっと見ていた。
その目は喜んでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。だが、それ以上に待ち望んでいたという表現が一番正しいのかもしれない....。
「よいしょ。さてさて、アタシもあの方に加勢しないと。......やっとゴールが見えてきたんだから。邪魔はさせない!」
彼女は屋根の上から立ち上がり、鬼殺隊と無惨が戦っているところで向かおうとしたその時、
「華ノ舞い 月ノ花 月光華・草々」
その声が聞こえたと同時に、彼女はその方向を見ながらも手を振った。すると、彼女の周りを水が囲み、風のように向かってくる斬撃から彼女は身を守った。
その攻撃は彼女を傷つけることがなく、問題はなかった。でも、気になることがあった。
鬼殺隊はあそこに全員揃っているのに、一体誰が.....。....それに、この声は.......。
彼女が斬撃を防いだ血鬼術の水を消して前を見ると、その人物が立っていた。
その攻撃してきた人物を見て、彼女は驚いた。その人があまりに予想外だった。腹の辺りを血で真っ赤に染め、足元が少しおぼつかない様子でこちらへ歩いてくるのは、先程まで戦っていた生野彩花だった。生野彩花は俯いた状態で立っていた。
「あら。貴女、生きていたの?腹を貫かれて、あの高さから落とされても生きていたなんて...運が良いのね」
彼女は余裕そうな態度だった。もう既に彩花が腹を貫いて大量の血が流れ出ているから、限界なのだろうと思ったのだ。そんな彼女が彩花に声をかけるが、彩花は無言で刀を握り締めた状態で彼女に近づいていく。彼女はそんな彩花の様子を見て、何かおかしいと思った。
(あの子の様子、何かがおかしいわ.....。...あの子の怪我の状態からして、もう限界の筈なのよ。だけど....なんで歩けるのかしら、あの子。おぼつかない感じでふらふらしているように見えたけど、ちゃんと歩いている。それに、あの高さから生き残るなんて普通はあり得ないわ。
瓦礫が積まれたところに運良く落ちたのかと思ったけど、瓦礫の上に落ちたのなら、バキッとかそういう大きな音が聞こえる筈よ。いや、他の瓦礫が落ちていく音で掻き消されたのではと思ったが、それはおかしいわ。他にも瓦礫が落ちていたのなら先にあの子が落ちたということになるが、そうなればあの子の上にも瓦礫が降っていて、それらが降ってきたら怪我を負う筈よ。なのに、あの子はさっきの戦い以外の怪我をしていない。
それなら.....まさか、自力で着地したというの!だけど、あの子の腹の傷はかなり深いのよ。あの大怪我で体を動かすなんて無理に決まってる。それも、あの時のあの子は重力に従って頭から落ちていった。自力で着地したということは途中で体勢を立て直し、足から着地したことになる。あの重傷のままで、そんな行動ができるわけがない。
それよりも、気になるのはあの子が...あんな血だらけで、動くのもやっとのような子が.....なんで普通に呼吸を使えているのよ!止血している状態でもあの大怪我ではそれがやっとなのよ!傷口を塞ぐ物なんてない。腹を貫かれたのだから、その痛みだってある筈なのに.....。...それなのに、止血ができているうえに、刀を振るえるほど体を動かすこともできている。
....これは一体.......。...でも、体はもう限界の筈よね.....。....同じ転生者としての慈悲で、この一撃で逝かせてあげるわ...)
彼女は彩花の様子を観察しながら何が起きたのかと考えた。だが、答えは見つからず、後回しにして満身創痍の彩花にトドメを刺すことにした。
彼女はゆっくり手を上げる。
「血鬼術
彼女は彩花に向けて血鬼術の水を飛ばした。その水が彩花を貫くと思ったが.....。
「華ノ舞い 妖狐ノ花 狐空円輪」
彩花はその水の攻撃を全て斬り、血鬼術の水は弾け飛んだ。動きがさっきの戦いの時よりも速くなっていた。それに、攻撃の重さも全く違った。
彼女はそのことに驚いたが、彩花の様子を確認しようとして見て、今度は絶句してしまった。
彩花の持つ日輪刀は炎を纏っていた。だが、その刀は赤色ではなく、赫色と言った方がいいだろう。炎を纏っていてもその色の区別はできた。そのため、彼女は動揺したのだ。
何せあの真っ赫に変色した刀には見覚えがあった。間違いない、あれは赫刀だ。しかも、その赫刀には彼岸花の模様が描かれている。
さらに、彩花が顔を上げたことで、漸くその顔を見ることができた。彼女はその顔を見て、困惑した。彼女が童磨の目で見た痣は左目の近くから左耳の近くの位置にあったが、その痣は大きくなり、蔦のような痣が左目を呑み込むように広がったり首から下の方へと伸びていたりした。そこからは着物で隠れてしまって見えなかったが、風で着物がはためき、左手首に蔦のような痣が現れ、さらには手の甲に段菊の花の痣があった。おそらくあの痣は首から左腕へと広がっていき、左手の甲で止まったのだろう。
それと、今までは蔦と葉の模様の痣だと思ったが、この痣はよく見てみると、蔦に見えていた模様が茎だったのだということに気づいた。さらに、痣が今までよりも濃くなり、葉の模様もよく見えるようになり(これまでの痣は葉の形が分かるくらいだった)、それらによって本当の痣の模様は段菊なのだということが分かった。
それに、今まで痣が出た時に左目の色だけが変わることはあったが、今回は両目とも色が変化している。しかも、その瞳は翡翠のような緑色をしていて、光り輝いている。
「そんな....馬鹿なことがあると言うの!」
それを見て、彼女は動揺した。この状態で赫刀を覚醒させるのは予想外だった。
原作で時透君が上弦の壱との戦いに死にかけの状態で動くことができず、上弦の壱に刺さった刀が抜けないように刀を強く握り、それがきっかけで赫刀に変わっていた。炭治郎も死にかけだった状態から生還してすぐに赫刀を使っていた。だから、死にかけだろうと赫刀にすることは可能だ。
だが、彩花にそれができると思ってもいなかった。
赫刀は高熱と強い衝撃で極められた鉄のように真っ赫に変色した日輪刀であり、熱そうな見た目の通りに超高熱を発している。元々が鬼を殺せる特性がある刀に超高熱が加わったことで、より鬼の再生力を阻害し、突き刺すだけで鬼へ強烈な苦痛を与える力を宿す様になっているのである。原作によると、赫刀の発現方法は日輪刀同士を強くぶつけ合ったり、日輪刀の柄を万力の握力で握ったりすることでできた。
このことから、赫刀の発現には痣を発現させた剣士が引き出す強い衝撃か万力や圧力と剣士自身の持つ高熱の両方が必要なのだと分かる。
痣を発現させ、痣の発症に伴う高い体温を刀身に込め、その高熱が日輪刀そのものへ伝播している。そのため、赫刀の発現には痣を発現していることが前提である。
彩花は痣者であるため、この高熱の方の条件は満たしている。問題は強い衝撃(万力や圧力)というところだ。先程の戦いの様子から、彩花は力がそこまでないのは分かっている。あの子の動きは腕の力だけで斬っているのではないわ。重力などの力や勢いを上手く使っている。だが、あの子は力勝負をしたら確実に負けてしまうような子である。単純な力では鬼の頸すら斬れないだろう。そんな子が赫刀を発現できるほどの圧力を握力で加えられるのかというと、あり得ないと思っている。
それなら、日輪刀同士をぶつけ合ったのではないかということも考えてみたが、あの子の周りには誰もいなかったのだから、ぶつけ合う相手なんていない。
あの子がここに来るまでの時間は僅かで、離れたところにいる仲間と出会い、日輪刀同士をぶつけ合うことは無理だろう。
それらのことから、あの子は赫刀を発現できないだろうと高を括っていた。
事実、彩花には赫刀の発現に至る段階ではなかった筈だった。彩花もそれに気づいていて、華ノ舞いの方に集中していた。それなのに、赫刀になっている。
何が起きているのかは分からない。だが、これだけは言える。何らかの力が働き、何処かの歯車が噛み合わなくなり、狂い出したのだということを感じたのだ。
「...もう終わらせよう、この戦いを」
彩花はそう言いながら、炎を纏った刀を彼女に向けた。彼女は困惑しながらもあることに察して歯を食いしばった。
何が起きたのかは分からないけど、戦況が逆転したのだということを......。
そして、彩花の言葉通りに戦いは次で終わるのだということを.....。
それらに気づき、彼女はやられるわけにはいかないと抵抗するために右手を上げ、血鬼術の水を操った。
それに対して、彩花は炎を纏う赫刀を握り締めて構えた。