特殊性別診療記録   作:雪宮春夏

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五話

 パチパチと音を立てて弾ける暖炉を前に、二人の子供が戯れ付くように遊んでいる。

 そこにいたのは夜のように黒い髪の小さな男の子と、小麦のような綺麗な金色の髪の小さな男の子だ。

 上に下に、前に後ろにと、戯れ付くうちに、爪かなにかが勢いよく掠ったのだろう。黒髪の男の子が痛いと声を上げて、慌てた様子で金髪の男の子が検分する。

「大丈夫だって! 大げさだなぁ。ユージオは」

 ポタポタと、勢いよく零れた血液が、男の子の頸元を汚す。そこに声を上げて、布巾で抑えたのは彼らと共にいた同い年の女の子だ。

「もう、だから狭い場所ではやめなさいって言ったでしょう!?」

 母親のように叱りつける少女に、二人は揃って首を竦める。

「ごめんね、アリス。もうやらない」

「俺も」

 頷く二人に、アリスと呼ばれた少女はため息を漏らす。

「もう、仕方ないわね。ほらキリト、治癒術を使うからこっち向いて……あれ?」

 溢れた血を圧迫して抑え、残った傷を癒やそうと検分したアリスは、その頸元におかしな痣のような者が出来ているのに気がついた。

「んー?」

 見たところ、古傷のようにみえる。

 だが、生まれてからずっと一緒にいる幼なじみが、こんな怪我をした覚えがないことにアリスは首を傾げた。

「どうしたの? アリス」

 いつまでもキリトから離れないアリスに、痺れを切らしたかのようにユージオは問いかける。

 それに困惑したように目線を向けて、アリスは長椅子に座り込んで三人を見ていたガリッタ爺さんを呼んだ。

「こりゃ珍しい。祝音だな」

「シュクイン?」

 キリトの頸元に目線を向けたガリッタが笑うとキリトとユージオは首を傾げた。

「地の神テラリアが授けて下さるって言う祝福の徴さ。何でもその徴のある人間の家は代々子宝に恵まれるらしい」

「へー」

 ユージオのどこか感心したような音の響きに、キリトもまた、ふーんと鼻を鳴らした。

(子宝かぁ……)

 パチパチと炎がやけに大きく聞こえる。

 

 

 

 むわりと、何故か異臭の刺激が鼻についた。

 これは、タンパク質が焼ける独特の臭いだ。

 振り返ると、パチパチと音を立てて弾けていたはずの暖炉の中で、煌々と大きな塊が燃えている。竃でもないのに、誰も何の疑問も口にしない。

(あの形……まるで)

 動物というよりも、人として未発達な形をした、胎児のように見えた。

 

 

 

 薬の効きが悪く、異常行動を起こす雌変性をおとなしくさせる方法というのは実はとてつもなく効率的な方法が一つある。

 それは単純明確に、他者によって、発情状態を、発散させるというものだ。

 それは発情期の原因を鑑みれば酷く当然な選択で、同時にその行動そのものが雌変性の本能にも、酷く直結していることだ。

 そもそも、昔から雌変性の中では異常行動を起こす人間は一定数存在する。

 自立性が強すぎたり、雌変性としての本性が強くなく、己の中の発情期と上手く付き合えなかったり。

 それらの解決に、一番容易なのは「番」を作ることだった。

 しかし現在において、本人の同意無しに番うことは勿論、性行為の強要すら、基本許されていない。サポート役の専門職などはいるにはいるが、彼らとて性的行為の経験の少ない患者のサポートは基本口頭か、必要最低限の手動が主であり、その行為とてあくまで自慰行為の範疇に留まる。

 しかし、何事にも抜け穴が存在する。

 異常行動によって引き起こされる命の危険が存在する場合、主治医と、保護者の同意の元、擬似的に番と誤認させる薬の使用が許される事例が存在する。

 無論あくまで誤認させるだけなので、本当に生涯を縛られる訳ではない。

 ただ性行為そのものが行われることには変わりなく、そのうえで誤認させる関係上、危機意識が欠落する雌変性にたいして、強固な理性で間違いを犯さないでいられる強い精神性が相手役となる雄変性には求められる。

 

「いっそ、噛まれてしまえば簡単なのではなくて?」

 事情を電話越しで聞いた京子は思わず男に対してきつい言葉を浴びせた。

 無論、この場合、それを噛むのは娘である明日奈ではない。

 京子からしてみれば、特殊性別を偽るなど、今まで娘の純真さを弄んでいたようにしか見えない所業だ。

 何故そんな相手の為にこちらが出向かなければならないのか。

「……いくらなんでも、異常行動の沈静化の為に無理矢理番わせるなんて真似出来ませんよ。保護者の同意だって、得られる訳ないじゃないですか」

 僅かに間を開けてから、当人の主治医だという男が口を開く。

 わざわざ私的な関係の為に保持していた携帯端末にかけられてきた番号を見た時点で嫌な予感はしていたが、ことここに至っては、苛立ちもまた、高まりつつある。

 白々しい。

 一言京子は吐き捨てた。

 この男を含め、国から特別な資格を得て特殊性別専門医となる人材とやらは、基本不変性を持つ。

 その中でも、雄変性に対して憧憬や羨望を持たず、雌変性に対して侮蔑や忌避を持たずと理念としては教えられるらしいが、京子からすれば、国が掲げるそれ自体が酷く綺麗事に聞こえてならない。

 基本的に特殊性別専門医は施設としては利用価値はあるのかもしれないが、個人的親交など持ちたい相手ではないのだ。

 正確には、情で交わっても、ろくなことにならない相手と言うべきだろう。

 その言い分すら、半分は利益損得の勘定が入っている可能性はあった。

 だいたい、無理矢理番わせる気はないと言いながら何故「候補」の一人としてこちらに声をかけたのか。

 あわよくば自分の娘との間に何かあったら、という魂胆が透けて見えると言うもの。

「一応投薬は実施しますが、今の状況下では間違いなく効果が発揮されるという保証がないんです。それに関しては避妊薬にも同じことがいえる」

「最初から出さなければ問題ないでしょう」

「それじゃあ真面目に一時しのぎにしかなりませんよ。発情期最中の雌変性の本能としても、()()が無ければ落ち着く可能性は極めて低い。……どうしてもと言うならば七日間着きっきりと言う手もありますけど、本物の番でもないのに、そこまでやってくれる奇特な人は基本いません」

 基本はボランティア精神に頼っている状態なのだと言う、相手の言い分も、白々しさに拍車をかける。

 雄変性の中には格が存在する。

 それは雄変性としての血の濃さであったり、能力の高さであったりと多岐にわたるが、総じて「強い」雄変性は、ある一つの共通した強みを持つ。

 血中濃度の濃いホルモンを持つ雌変性に対して、一定水準の理性を働かせることが出来るのだ。

 だがそうした人間は得てして自我が強く、人物性としても大きく歪むことは珍しくない。

 昔ながらの歪んだ権威欲を持つ者が多いことも、何を隠そう、結城本家が良い例と言えた。

 ボランティアと言いながらも、実際は熟したばかりの雌変性の「味見」という一面もあるだろう事は容易に想像できる。

「それで、わざわざこちらに声をかけなくてももっと適切な人材はいなかったのかしら」

 皮肉十割で問いかけたこちらに、相手も皮肉交じりの言葉を返してきた。

「それはですね、いない訳じゃあありませんよ。こんな時間でも力を貸してくれるって親切な人はいらっしゃいます。……ですがこのままだと、誰が来てもまともな処置に移れない可能性が浮上しているんです」

 勿体振った言い回しに思わず眉間に皺が寄った。

 どういうことかと問いかけるよりも先に、近くの部屋からガタガタと物音が聞こえ出す。

「……あぁ、やっぱり娘さんの方にも、もう異変は伝わったみたいですね」

 溜息と共に吐き出された言葉の不可解さに眉をひそめると、男もまた、うんざりとした様子も隠しもせずに直面している問題を語った。

 曰く、グローバルネットに接続可能な病院内で、入院期間中、桐ヶ谷和人は度々アミュスフィアを使用していたらしい。

 そこは別に問題では無い。事前に申告されていた上、使われていたのもルール上の範囲内だ。

 だが問題は、そのアミュスフィアを介して病院のデータベースにまでとあるプログラムが入り込んだことだ。

「……AI?」

「はい。詳細は……おそらくそちらの娘さんの方が詳しいでしょう。気になるならそちらで尋ねてください。まぁ早い話、そちらのお嬢さんを説得して、そのAIの暴走を止めて欲しいんですよ」

「そんなもの。あの子を当てにしなくても、製造元へ依頼すればいい話でしょう? まさか高セキュリティーを自認している場所がそんな子供の所有しているAIに乗っ取られたとでも言うつもり?」

 せせら笑う。

 そう表現して足りる京子の嘲笑に、男は()()()()()()

「その通りです。……まぁ正確にはまだ乗っ取られてはいませんよ。ただ掌握はされてますね」

 掌握。

 その言葉に京子も眉を顰める。

 あまり聞いていて笑える状況では無さそうだ。

「乗っ取りと掌握。どう違うのかしら?」

「掌握って言うのは「いつでも乗っ取り可能な状態の維持」であって、主導権はまだこちらにあるって事です。……おそらく医療用のAIプログラムではないからでしょう。こちらを強制退去させると所有者の桐ヶ谷和人の命が危うくなる、そんな二律背反で動けなくなっているのではないかと思います」

 なるほどと、納得しかけて、京子は流されかけている己に気づく。

「それでも、娘を連れて行く理由にはなりません。製造元へ頼みなさい」

「製造元、アーガスっぽいんですが」

 アーガス。その言葉に、思わず問いかける声音がかなり低いものとなった。

「馬鹿を言わないでくれる? あそこは既に倒産しているはずよ?」

「はい。だから製造元はもうないんです」

 だからそちらへ連絡をいれた次第ですと、男は続けた。

 

 

「現状はまだ投薬で抑えている状態ですが、これが二日、三日と続けば同じ薬では免疫が出来ます。発情もこれから目に見えて激しくなっていく。これらを抑えるためにまた薬を使うにしろ、効能の強い薬は比例して副作用がある。……何より」

 ここで一度口を閉ざして、男は呼吸を整える。

 電話越しで話す女性の気性の強さは知っていた。

 自身に課せられた圧力すらも、はね除ける強さも。

 これから口にすることすらも、彼女を動かせる割合はそこまで高くない。

 それどころか、いい気味だと笑いを浮かべるかもしれない。

「今回は投薬で何とかなっても、次の発情期でも同じ行動をとるようになる可能性が極めて高いんです」

「だったら、さっさと施設にでも入れてしまえば良いじゃないの」

 にべもなく返された返答にやはりと思いながらも、それしか無いだろうと落胆もしていた。

 このような状態になった以上、養い親に当たる彼らも表だって反対は出来ないだろう。

 既に番となっていたならばともかく、彼と向こうの娘の関係性は未だ恋愛関係にあるだけの他人だ。

 そこに政府所有の施設への入所を阻むだけの強い繋がりがあるとは認識されない。

 それ以上にいつかは施設への入所をすることになるだろうと言うことは、それこそここへ通うようになったあの十歳の頃から桐ヶ谷和人自身も覚悟はしていたことだろう。

 自身の内心に納得をつけるように箇条書きで材料を羅列していく。

 そうですねと、同意と共に切った電話が酷く重たかった。

 

 

 

 

 己の気分がたとえどん底でも、男には休んでいる暇はなかった。

 たとえ担当する患者達には邪険にされたとしても不足しているデータを補完しておかなければこの先、彼がどうなるにせよ、動きにくくなることは間違いない。

 次にプッシュした番号は、彼の症状管理の為に今まで彼のホルモン血中濃度を測定し続けていた組織、ラースである。

 さてどう切り出せば良いだろうかと、コール音を聞きながら話の運び方を模索する。

 そもそも、ゲーム内で「番」契約を交わしたかもしれないと言うのも、ない可能性を絞り出して組み立てた仮説に過ぎない。

 結局彼の中のどのような衝動が、ゲーム内で起きたトラブルによって発生した「状態異常」……それに近い行動をとらせているのかは、彼以外誰にも、いや、下手をすれば彼自身にすら分からないのかもしれない。

(そもそも茅場晶彦が開発したナーヴギア、その後継機たるアミュスフィアには、特殊性別による性差は反映されていない。反映されているのは医療用に開発されたメディキュボイドだけだ。ラースが開発されていた機械はあくまでゲーム機側の系列ならば前者の二つと同じ、性差の起こらない設計の筈……)

 考察を続けながらもその低い可能性も起こりえる可能性の一つとして候補に挙げておく。

 このような状態になっている以上、ラースの中で使われている次世代型のハードウェアに関するデータも集める必要があるだろう。

(しかしどこまで打ち明けるべきか……)

 患者の個人情報に直結する以上、必要以上の情報開示は出来ない。

 しかしなるべく精密な情報がなければ現状の原因究明は難しくなる。

 内心頭を抱えながらも、電話越しに聞こえた声に彼は会話を切り出した。

 

 

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