―――焦るな、冷静になれ。時間はまだ数分単位である。その間に結論を出せ。
一瞬だけニーズヘッグの胸元をチラ見して冷静さを取り戻す。良し。
必要なのは冷静に考える事だ。読んで、数えて、そして計算することに関しては他の誰にも負けない特技だと思っている。だから現行の戦力で大体どれぐらいの成果を出せるかというのが予測できる。そんな自分の頭で考え、結論から言おう。タンク2人だと抑えきれない。あのフィールドボスは一応討伐済みではあるものの、耐久も火力もある。戦うなら最低でタンクスイッチ前提、それにヒーラーが必要だ。DD抜きでやるにしてもヒールクールでMP回復の時間を込みでヒーラーのローテーションを組みたい。そしてタンクも事故に備えた緊急スイッチ用に予備戦力が居る。そうなるとメインで抑えるのが2人、交代に2人、事故とサポートガードで2人欲しい。つまりタンクは6人だ。それを支えるヒーラーが最低で4人はいる。少なくとも短期的にしのぐだけならそれだけ必要だ。
そしてその数を捻出するのが難しい。
現状、手が空いているのは誘導チームのタンクだけだ。護衛チームのタンクは全て雑魚を纏めるので忙しい。他にも死亡しているタンクが既に王都で蘇っているだろうが、現状戻ってくるまでは時間がかかる。遊撃連中を対処に動かすか? いや、連中は特記戦力だ。寧ろ別のロールを振ったほうが成果を出してくれるだろう。それにDDを回しても火力足りなくて倒しきれないだろう。
なら重要なのは隔離だ。あのカエルを隔離する事だ。アビサルドラゴンと鉢合わせない事が大事だ。アビサルドラゴンとぶつけるという事も一瞬で案を考えたが、現状タンクがヘイトを〈挑発〉で取っている。アビサルドラゴンとカエルのステータスから考えて、一瞬でアビサルドラゴンが勝利するだろうし、〈挑発〉でヘイトトップを取っているからそもそも擦り付けられない。後カエルがドラゴンを襲う理由がない。寧ろ同じ魔晶石浸食生物だから連携するかもしれないし。
となるとカエルは隔離、除外だ。トレインして外へと連れ出すか? 騎士団に相手させれば騎士団ならば倒せるだろう。だがそうするとアビサルドラゴンを連れ出したタイミングで対応できない状況になっているかもしれない。騎士団とエルディア兵はこの作戦の肝だ。彼らをこんなことで利用することはできない。となるとこれは俺達プレイヤーだけで処理しなくてはならないだろう。
「……」
片手を口元に当て、深呼吸しながら思考を整える。
「タンク、領域内入口近くから6人、カエルの対処へ。近くのグループに突っ込んで乱戦形成。今相手してるグループは処理しても良い。遊撃組、出口付近まで移動、
『マジで!?』
『動け動け動け! 指示が出たんなら疑わずに動け!』
『考えるのは頭の良い奴に任せれば良いんだよ』
『俺達は、俺達の仕事を完全にこなす』
『それがロールってもんよ』
コメント『無理ゲーでは?』
コメント『とか言いつつ期待してる』
コメント『がんばえばえー』
コメント『死ねー! 早く死ねー!』
コメント『羨ましいぞ畜生』
コメント『いけ! いけー!』
「ニグ」
「ん、解ったわ」
ニーズヘッグがセクエスから此方へと飛び移り、セクエスを帰した。腰へと手を回してきたニーズヘッグがそのまま一回転、背中合わせになる様に位置を調整し、腰に回していた手を放しながらバランスを取る。此方もノルトを走らせながら片手で杖を抜き、魔法を放つ為の詠唱待機状態へと移行する。
既に道程はだいぶ踏破されている。封鎖領域の終わりはだいぶ近い。アビサルドラゴンの移動速度が速い影響で、踏破するのにそう時間がいらないのが幸いしている。それだけ考える時間が残されていないという事でもあるのだが、もはや腹は決まっている。
「こっちだ爬虫類! 顔が気持ち悪いんだよ!」
飛び掛かるアビサルドラゴンに対して盾のバッシュから槍のカウンターを入れようとして―――地面に叩きつけられ、苛立つアビサルドラゴンがそのままタンクを地面に擦り付けてミンチにする。だがその動きが今までよりも執拗だ。まるでこれまでの鬱憤をストレスを発散するような残虐性であり、擦り減った大地に爪を叩きつけて破壊する程の徹底ぶりを見せている。
そしてその矛先が次のタンクへと向けられ、
その次のタンクへとバトンは渡され、
更にその次、
そしてその次が―――いない。
なぜなら当然の様にそのタンクたちはフィールド・ボスの足止めに駆り出されているからだ。自分がそう指示を出した。そしてそれに従った。だからタンクたちはここにはいない。だからアビサルドラゴンのヘイトが宙吊りになり、
「こっちよ。今度は私たちと遊びましょ」
ニーズヘッグがヘイトを取った。瞬間、アビサルドラゴンのヘイトをニーズヘッグが奪い、その姿が一気に加速して襲い掛かってくる。大地を粉砕する程の力で飛び出した姿に対して反応するのは困難であり、どのタンクも、反応は出来ても対応は出来なかった。
あぁ、だが来るのは解っているんだから、反応は出来るんだ。つまりタイミングさえわかればアクションは挟める。
「じゃあな、トカゲちゃん」
〈ヘイスト〉、発動。
この瞬間、この名馬はこの封鎖領域内で最も早い生き物となった。
当然の様に、追いつこうと噛みつくアビサルドラゴンの跳躍、その噛みつき―――それが届く、一歩分の距離をノルトは行く。ニーズヘッグの目前、手が届く距離で閉じるその顔面にチェーンソーの回転刃が滑る。火花を散らしながら初めてその顔面に傷跡が刻まれ、大地を抉りながら滑る姿が咆哮を上げながら四肢を大地に叩きつけて更に加速しようとしてくる。
「おぉ、やべぇやべぇ―――誰か、止めらんない?」
「無策だからってぶん投げてんじゃねぇぞボケがぁッ!」
罵倒が飛んでくるが、その声は楽しげな爆笑を抱えている。直ぐ横を大斧が飛翔している。それがアビサルドラゴンの顔面に衝突し、その姿に褐色、上半身裸の男が追い付いた。もう片手にも大斧を抱え、それを交差させるようにアビサルドラゴンの額に―――チェーンソーが生んだ傷の上に押し付けた。
「ぶっ散れや……!」
アビサルドラゴンを傷の上から、押し込んだその動きを抑え込んだ。一瞬の拮抗、一瞬の減速、そのスピードが大きく殺されるのと同時に男の両腕が負荷に耐えきれずに限界を超えて弾けた。あのアビサルドラゴンの巨体を止める程の恐らくはユニーク系統なスキル。俺が取得している《深境》と同じ、特殊な方法で取得したスキルを使ったように思えたが、そんな細かいことに気にすることはなく、
「サンキュー! 愛してるぜ!」
返答の代わりに爆笑が返ってくる。倒れ行く男の代わりにいくつかの影が一瞬で接近する。その中にレオンハルトとレインの姿が混じっているのも見える。いやぁ、やっぱ個人で強い奴は遊撃に回してよかったなぁ、と思いつつ、
頭、首下、足、腰に回り込み攻撃を叩き込んで姿を転ばせたのを見た。いやぁ、お強い。マジでお強い。アレは間違いなく武芸とかの技術サイドの動きだ。ああいうのは俺やニーズヘッグでは絶対にまねできない領域だ。やっぱ強いプレイヤーってのは技術か技能があるもんだよなぁ、というのを納得させられる。やっぱ勧誘するならそこら辺の技能か技術持ちのプレイヤーだよなぁ、と、今はそんな事を考えている場合じゃない。
『ごめん、頑張ったけど5秒しか持たないなこれ……』
『脳揺らして三半規管潰して神経麻痺らせての3種同時攻撃の筈なんだが??』
『ドラゴン。優性種』
『種族差かぁ―――ぐわー』
5秒経過し、復帰するアビサルドラゴンが遊撃チームを一掃する。そしてそこから一気に追いつこうと此方へと向かってくる。〈ヘイスト〉の効果が切れて、徐々に距離は詰まってくる。アビサルドラゴンも一気にトップスピードに乗り、街道を粉砕し、土砂の津波を両側に引き起こし、巻き込まれたプレイヤーとエネミーを諸共始末しながら大地を抉り突き進んでくる。振り返ったら最後、飲み込まれそうな予感に振り返る事もせずに後ろから降り注ぐ土砂を砕く回転刃の音を聞く。
迫るアビサルドラゴン。追いつかれれば死は必須。
だが正面―――瘴気色のスクリーンは終わりを迎える。
跳躍するように飛び出すノルト。封鎖領域を満たす空気を振り払いながら嘶きを放ち、アビサルドラゴンを振り切って脱出する。その瞬間を出口に待機している者達全てが見た。そして地響きを鳴らしながら迫ってくる姿が薄い瘴気の向こう側から迫る姿を見る。
「スイィィィッチィィッ―――!!」
叫び、飛び出す此方と入れ替わるようにタンクが前に出た。
「任せろぉ!!」
〈挑発〉が飛び、飛び出すアビサルドラゴンに突き刺さる。殺したい相手を殺せない、強制的に視線をタンクへと向かされる事実にアビサルドラゴンが怒りを隠す事もなく咆哮し、それだけでタンクを吹き飛ばす。そのまま跳ね上げたタンクを掴んで投げ落としながら即死させ、次に刺さった〈挑発〉を受けて、
落下しながら口に力を溜めた。
その視線の先は
一直線に並んだタンクを全て殺すという殺意をこの瞬間、最大まで溜め込んだ。そのAIがアップデートされた訳ではなく、或いは、
溜めは一瞬、だがその前にアクションを挟み込む姿がある。
―――騎士団連中だ。
アビサルドラゴンが飛び出した瞬間にはその行動は開始されていた。割り込む様に、囲む様に、差し込む様に、全てのアクションを連携させながらタンクに食らいつくのを待ち、そのアクションが大振りになった瞬間を求めた。
「我ら護国の騎士!」
「守護せしは安寧!」
「振るうは誇り!」
「己が身を盾とし!」
「民の明日を守らん!」
3人が正面に割り込んだ。正面からブレスを受けとめて後ろへと僅かに押し出されつつも―――そこで攻撃を止める。同時に左右に回り込んだ騎士が足に斬撃を叩き込んで裂傷を刻んだ。赤い血の線を空中に撒き散らしながら反対側へと抜け、背へと飛び掛かった剣が、槍が深々とその姿に突き刺さる。咆哮と共に全方位へと衝撃を放つアビサルドラゴンが血走って目を正面へと向け直す。背中を突き破る様に翼を生み出し正面を薙ぎ払う様に突進する。
そのまま、数百メートルという距離を一気に直進する。無論、その進路の上にいたプレイヤーたちは反応する事すら許されずに蒸発し、当然の様に弾き飛ばされる騎士団も血を吐き出しながらその進路から弾き出される―――それでもプレイヤーたちの様に即死せず、膝をつきながら立とうとする姿を見せるのは驚異的という言葉で表現する他ならなかった。
だがアビサルドラゴンは進んだ。怒りを吐き出すように、解放されたかのように、最も多い人の気配を求めて
もはや作戦の続行は不要。獲物は自ら処刑台に上がった。作戦はアビサルドラゴン本人の怒りによって成し遂げられた。アビサルドラゴンが纏う破壊のエネルギーはもはや、プレイヤーでは止める事の出来ない領域にあった。
だが止められないのか? 本当に?
否―――否。
それを止められる存在がいるとすれば、
「その働き―――まこと、大儀であった」
轟音、衝撃、撒きあがる土砂と埃。
アビサルドラゴンがこれまで全てを蹂躙してきた圧倒的な暴力と破壊力、そのエネルギーの全てはその瞬間、たった1人の騎士に―――いや、
たった1人の英雄の姿によって止められた。
詰みです。