ゴーレム君の守衛隊   作:志賀 雷太

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1章 7話 拳が唸る

 

 賊たちは短いやり取りを交わしてから、その片割れが離れていく。彼らに追いつけていないアバンは、その光景に歯噛みしながらも見送ることしかできなかった。少しして、アバンが残った賊の近くに到着すると、賊は人質にナイフを突きつけたまま気丈に叫ぶ。

 

「そこで止まるッスよ!」

 

 急停止をかけるために、アバンは擦り減った靴の本底を、石畳の荒い表面に強く擦り付けた。

 

「それ以上近づかれたら、俺のわがままなおててが一人遊びを始めちゃうかもしれないッスねぇ」

 

 彼がナイフが揺らめかせる度に、ミルは喉を細くした。その柔らかそうな喉に、冷たい金属が滑るように走る光景が、アバンには容易に想像ができた。

 

 まずい。どうにかしないと。どうすればいい。考えろ。なにを考える。助ける。どうやって助ける。どうなったら助かる。やつを倒せばいいのか。彼女を救出すればいいのか。

 

 鳴り止まない警鐘が彼を焦燥させるが、知り合いが人質にされるという初めての経験は、彼から冷静さを剥奪する。思考は全力を尽くしているようなフリをする癖に、その実なにも考えることができなかった。冷静さを取り繕っているのは脳内に限ったことではない。閉ざされた口に代わって、鼻が一所懸命に酸素を求める。額から垂れる汗は、排熱することを忘れて、すっかりと冷たくなっている。手汗が不快で気が散りそうだ。気を抜いたら膝が折れそうだ。身体がどこもかしこもあべこべであったが、相手に焦りを伝えないことだけはどうにか上手くやれていた。開口するという簡単な行為でさえ、唇が震えないことを祈った。

 

「わかった。言うとおりにしよう。その代わり、絶対に彼女を傷つけるな。違えたときには全身の骨を折ってやる」

 

 脅しはハッタリだ。訓練中に事故でお互いに骨折させてしまうことはあっても、意図的に骨を折ったことは一度もない。ただ、相手が後先考えずに行動する可能性を少しでも減らす。そのための勧告だ。

 

 賊は一度だけ全身を震わせたようであったが、少し目を伏せたあと、すぐに不敵な笑みを浮かべた。

 

「ははぁーん。あんた、強がるのもほどほどにしておくッスよ。膝が震えてるのばればれッスから」

 

 それは嘘だーーと、アバンはそう決めた。正直、賊の発言の真偽を確かめることはできない。それほどまでに感覚が薄れていた。だからと言って、自分の足を目視することはできない。それは自身の動揺を相手に教えることになり、心理的優位性を奪われる。混乱する思考とは裏腹に、本能がアバンに指示を出していた。

 

 賊の姑息な行為が癪に障ったアバンは、仕返しとばかりに猿真似をした。

 

「俺のことを気にしているとは随分と余裕な様子だな。でも、大丈夫か? 今、この街の各所には仲間たちが散開している。中にはそう……屋根上からの狙撃役もいたな」

 

 そう言って、アバンが左方の屋根に視線を走らせると、賊の目も追いかけた。アバンが視線を戻してからも、賊は周囲の屋根を忙しなく確認していた。それは明らかな警戒心を窺わせた。どうやら、思惑どおりに動揺を与えることができたらしい。賊は見渡す限りの屋根上を確認した後、唾を飛ばして叫喚した。唾はアバンの顔にかかりそうな勢いだった。

 

「はぁあ!? はぁー! なんスか!? 嘘じゃないッスか! どこにもいないッスよ! それしきのことで俺がビビるとか本気で思ってたんッスかね!? ばっかじゃないんスか! バーカ! バーカ!」

 

 それは酷く幼稚な罵倒であった。

 

 結果として、アバンが心理的優位に立てた反面、賊の行動はより感情的になった。

 

 賊が怒りを叫び身体を大きく動かす度、ナイフを押しつけられたミルの顔が恐怖に歪む。彼女の象徴たる快活さは、すっかりとなりを潜めてしまった。アバンは彼女のことを明るく逞しい女の子だと思っていたが、それは命の危機が迫ったときにも適用されるほど人並み外れたものではなかったと、今、はじめて知った。

 

 アバンは思った。この状況から彼女を一刻も早く解放したい。そして、いつもの彼女の笑顔が見たい。

 

「くっそぉ……無視すんなッス! 俺が泣いてもいいんスか!」

 

 賊が脅迫にならない脅し文句を情けない声音で吐き散らし、アバンはそれを無視した。代わりに賊の後方を眺めて舌打ちをした。

 

「さっき逃げたやつ……増援を連れて戻って来やがったか……」

 

「え! まじッスか!?」

 

 賊はアバンの呟きを聴いて、表情を歓喜で彩った。直後、彼がパッと後ろを振り向く動作が、アバンの目にはスローモーションに映った。

 

 集中しろ! チャンスはここしかない!

 

 振り返り開始時にタイミングを合わせて、アバンは全力で石畳を蹴った。弾かれたような急加速。足がもつれそうになるのを必死に堪え、その力でさえも前方に進むためのベクトルに変換した。自分の鍛え上げた脚力を信じて、ひたすらに前進する。

 

 たかだか数秒の時間だったが、アバンには妙に長く感じられた。気持ちに余裕はなかったが、なぜか思考できる余裕はあった。アバンはこの現象を以前に聴いたことがあった。死を察したときに体感時間が長くなる現象……たしか、走馬灯と言っていた。ならばきっと、彼女の死は、自分に死ぬほどの苦しさを与えるのだろう。

 

 アバンと賊の距離が半分にまで縮んだとき、賊は騙された事実に気付き、顔を正面に戻し始めていた。アバンは延びる時間の中で、自分の足も遅くなることがもどかしくて仕方がなかった。

 

 そして、ちょうど賊の横顔が見えたとき、アバンは察した。

 

 間に合わない。

 

 必死に手を伸ばしても、その距離は埋まらない。

 

 ついに、賊は正面に迫りくるアバンを認識した。到達時間を逆算すれば彼には二つの選択肢があった。人質を離してアバンに応戦するか、人質の喉にナイフを滑らせるか。どちらの結末になるかは、彼の選択しだいであった。

 

 そしてーー彼はナイフを引いた。

 

 アバンが目を見開いたのと、ミルから悲鳴が上がったのは、まったく同じタイミングであった。

 

 悲痛な声が、路上に響いて、消えた。

 

 役割を果たし終えたナイフは、弧を描いて明後日の方向へと飛んでいく。

 

 次いで、ミルの身体が音と共に崩れ落ちた。その頃には、アバンの手が届く範囲に賊がいた。

 

 アバンは仰け反っている賊の胸倉を両手で掴み、彼の足が石畳から離れるほどに強く持ち上げた。賊の首は自然と締め上げられることとなり、圧迫された喉からはかすれた呼吸音が漏れ出ていた。彼は瞳から玉の涙をこぼし、必死に許しを乞うていた。

 

「おえっ! ぐるじい……あの、ボンドにずみばぜんでじだッズ! おどなしぐじまずがら、だがら、おろじてぐだじゃいッズ! なんでもじまずがら、おねがいじまず! おぶっ! ゆるじ、って、ぐおっ! っいったぁ! 尻いったぁ! 足いってぇ!」

 

 嗚咽を吐きながら赦しを懇願をする賊に対して、アバンはしばらくしてから放るように手を離した。その賊はといえば、着地の際に足を捻ったらしく、体勢を崩して尻餅をついていた。アバンは手錠を取り出して、両手で尻を抑えている彼の手にそれをかけた。賊はもう抵抗する気力もないらしく、足の痛みを愚痴りつつ、労わるように尻を摩っていた。

 

 アバンは方向転換をして屈んだ。そうして、傍らに倒れているミルに声をかけた。

 

「死んでないよな……生きてるよな?」

 

 返事がない。少し焦った様子で、アバンが彼女の顔に耳を寄せると、半開きの口から呪詛が聴こえてくるような気がした。

 

「死んでないから。でも死ぬかと思った。生きてて良かった。でも生きた心地がしない。もっと早く助けなさいよ。途中で漫才を始めたときは二人とも殺してやろうかと思ったわ。ていうか、あの助け方はないでしょう。体を鍛えるのはいいけど、脳みそまで筋肉にしてんじゃないわよ。結局ただの力づくじゃない。あいつがへたれじゃなかったら私死んでた。絶対に死んでた。死にかけた。だから大人しく頭を差し出しなさい。大丈夫、優しくするし、一発で全部チャラにしてあげる。助けて貰ったのも事実だもの。あたし、これでも恩義に厚いのよ。だからほら、さっさと、あたしに、その殴りやすそうな頭を、差し出しなさいな」

 

 淡々と呟かれるそれは呪詛ではなかった。しかし、これが呪詛だと言われれば、誰もが信じるだけの迫力と怨念が込もっていた。圧に屈したアバンの頭にキレイなタンコブが生成された。後日、それに気付いた仲間たちから何があったのかと尋ねられた際に、アバンは「洪水や山火事がこれで鎮まってくれるなら安いものだろう」と言って彼らを大いに困惑させたが、それはまた別のお話である。

 

 タンコブをこさえたアバンがゆっくりと立ち上がる。アバンは、丹精込めて鍛えた筋肉も、女性相手では形無しであることを知った。彼はまた一つ、世界の真理を紐解いた。

 

 その横で、ミルは拳を解いて一息吐いていた。理由はどうあれ、彼女も気持ちを持ち直せたようだ。

 

 アバンは、若干放心状態の賊の背後にしゃがみ込み、しっかりと嵌っている手錠に短めの手綱を取り付けた。少し強めに引っ張り、接続部に問題がないことを確認し終えると、立ち上がってミルに声をかけた。 

 

「ミル! ちょっと頼みがあるんだけど」

 

「……なに?」

 

 ミルは男どもとの距離を空けたまま、アバンを半眼で見ていた。明らかに警戒している。まぁ、あのような事態を経験した直後だし、無理もないだろう。自分も警戒対象にされていることは考えないようにして、アバンは頼み事を伝える。

 

「じきに守衛隊の仲間が駆けつけるはずだから、それまでここでこいつを預かっておいてくれないか」

 

 こいつと言った際にアバンが賊の尻を足蹴にした。豚の鳴き声のような短い悲鳴が上がる。

 

 アバンはミルの反応を窺っていたが、何も反応がなかった。当然か……こいつはつい先程まで、自分にナイフを突きつけていた張本人だ。いくら無力化されていたとしても、彼女の心には恐怖が刻みつけられている。そんな彼女に無理強いはできない。

 

「いや、やっぱなんでも……」

 

「いいわ」

 

「え?」

 

 頼み事を取り消そうとしたところで、彼女から思わぬ反応が返って来て、アバンは自分の耳を疑った。

 

「頼まれて上げるって言ってるの」

 

「いや、しかし……俺が言っておいてなんだが、本当にいいのか?」

 

「あのね、私がなけなしの勇気を絞り出して許諾しているんだから、あんたはありがとうございますって言えばいいのよ」

 

 ミルは腰に手を当てて胸を張って見せた。手の震えを隠すように、笑顔を浮かべて。

 

「……逃げたやつを、追いかけなくちゃいけないんでしょ?」

 

「……ああ。今も誰かが危険な目に遭っているかもしれない」

 

「なら迷うことないじゃない。役目を果たさないとでしょ?」

 

「ミル……ありがとう」

 

「ちょっと! なによその反応……私のことは気にしなくていいの! ほら、あれよ、後で謝礼金をもらう代わりに承諾するんだから。臨時収入が入る機会を奪わないでちょうだい」

 

 アバンは彼女に言いたいことがたくさんできてしまった。だから、それは後の機会に取っておくことにする。

 

「わかった! お礼は必ずするから! ありがとう!」

 

 ミルに感謝の言葉を伝えた後、アバンは賊の頭を鷲掴みにした。そして、彼が真上を向くように首を強引に曲げた。

 

 迫力のある笑顔を浮かべたアバンは、諭すような優しい口調でこう言った。

 

「お前、ちゃんと大人しくできるよな?」

 

「え、じっとしてるのは苦手……」

 

 アバンは賊の返答を聞き終える前に指に込める力を増大させ、賊の頭皮に指を徐々にめり込ませる。

 

「……じゃないッス! はいっ! むしろ得意ッス! 大人しくするの大好きぃっ! 任せてください、兄貴っ!」

 

「そうかそうか、えらいぞー。約束だからな? あと、兄貴って呼ぶのはやめろ」

 

 賊が従順になったところで、アバンは万力を緩めてやった。

 

「は、はいッス……ちなみに、これは俗に言う虐待ってやつなんじゃないんスか? 賊だけに」

 

「おっと、すまんすまん。握力が弱くなっていたみたいだ」

 

「あ、ちが、嘘ッス! ごめんなさい、嘘嘘そそそそそそそーー」

 

 

 

 

 

 ーー二回目の握力測定を終えて、アバンは手綱の先をミルに手渡した。

 

「それじゃあ頼んだ! こいつが大人しくできなかった場合にはいくらでも躾けてくれていいから!」

 

 ミルは思案するような表情で「躾ける……か」と呟いた後、「任せて。そういうのは得意なの」と言って頷いてみせた。

 

 アバンは道端に転がっていたナイフを回収してから、任務に戻って行った。

 

「あの……あねご」

 

「誰があんたの姉さんよ」

 

 賊は座り込んだままの姿勢で、ミルに声をかけてきた。

 

「緊張が解けたら、なんだか小便がしたくなっちゃって……便所に連れてって欲しいッス」

 

 ミルが落とした拳骨はきれいに彼の旋毛へと吸い寄せられ、痛烈な音が静かな路上に響き渡った。

 

 背後から感嘆の声と拍手が聞こえて、ミルは店の方へと振り返った。店内から顔だけを覗かせる連中がいた。

 

「あぁん?」

 

 ミルの小さな口からドスの効いた音波が発せられた。ここまでの一連の流れで、彼女の心はすっかり乾ききっていた。ミルが固まってしまった彼らを高圧的に睨みつけると、彼らは震えながら口笛を吹いて、もぐらのように店内へと引っ込んだ。

 


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