ゴーレム君の守衛隊   作:志賀 雷太

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今更ながら、1章は中世西洋風の『捕物小説』なのかもしれません。


1章 9話 二つの決着

 

 砂塵が霧散したあとの広場中央。そこには屈み込んだゴーレムの姿があった。彼の両腕は半円……と言うにはいささか角張っていたが、とにかく賊たちの前方を塞ぐ形となっていた。しかし、それは壁と言うにはまるで高さが足りていなかった。せいぜい柵程度の高さだ。成人の身長であれば登ることは難しくないだろう。

 

 一方、あの破壊と衝撃を間近で味わった賊たちは、唖然とした様子で棒立ちしていた。しばらく耳に残響する破壊音と、その原因たる力の化身が目の前にいるのだから無理もなかったが。

 

 賊たちが硬直していたのはほんの数秒の間だ。彼らは守衛隊に次の一手を打たれる前にその身を翻し、ゴーレムの腕が届いていない後方へと逃げ出した。ただの柵ならともかく、動く岩石に自ら近づこうとする馬鹿はいなかった。

 

「うへっ!」

 

 しかし、真っ先に脱出を図った賊の背中に、柔らかくもずっしりとした重しが突如として降りかかった。彼はその拍子に頭から滑り込むように転倒してしまった。

 

「ちっくしょ!」

 

 彼はすぐさまそれを払い除けようとして……しかし、彼の腕は動かなかった。不思議に思った彼は再度腕を動かそうとして、謎の抵抗感があることに気付いた。それも、途轍もなく不快な感覚だ。

 

 自分を苛立たせる元凶を探して、彼は怒りの形相を自分の腕へと向けた。そこにあったのは、汚れが混ざった白っぽい粘土のような塊だった。それが自分の腕に纏わりついて、石畳との間に太く粘り気のある糸を何本も引いていた。先程までの怒りの表情はどこへやら、彼の顔はすっかり気味の悪さに怯んでいた。

 

「コレはなんだ!?」

 

 叫ばずにはいられなかった。すると、彼に呼応するように、斜め後方あたりから声が上がった。

 

「ちぃ! お前ら気を付けろ! こりゃたぶんモチだ!」

 

 注意喚起を発した賊も、彼と同じく“モチ”に捕まっていた。彼らはそれを剥がそうと必死にもがくが、対するモチはまるで剥がれそうになかった。

 

 そんな白い地獄を目にした仲間たちは咄嗟に走る勢いを殺そうとした。そのほとんどは停止することに成功したが、たたらを踏んでモチに足を捕われる者もいた。

 

「はぁっ!? ……とでも言うと思ったか! 残念だったな! これくらい、靴を脱げばーー」

 

 セリフを言い終える前に、その背中にモチが着弾した。彼は反射的に受け身はとれたものの、全身がモチ溜まりに沈んだ。

 

 モチが降り、モチを踏み、モチに掴まれ、モチは足場を殺していく。次々と発生するモチ溜まりによって、ゴーレムが塞げていなかった残りの半円も次第に埋まっていった。

 

 走り幅跳びの要領で脱出を試みる者もいたが、工夫も虚しく、彼も仲間の後を追った。

 

「……っく! こんなのありかよ……なんて屈辱的な……!」

 

 誰かがそんな怒りの声をこぼしたかもしれなかったが、この阿鼻叫喚の中では埋没してしまったことだろう。

 

 ゴーレムが広場に現れてからというもの、賊たちが逃走の果てに造り上げた円陣は、とうに崩壊していた。そして、その代わりを務めるかのように、巨岩と粘着物で形成された歪な円陣が、さらに一回り大きく築き上げられていた。

 

 

 

 

 

 地獄絵図を生み出したモチの雨。それを降らせていたのは守衛隊の隊員たちだ。ゴーレムを連れて来た張本人であるクレイルに、捕縛の任を与えられた第三班、それと新入隊員のエール……彼らはゴーレムが腕を広げると共に展開し、その巨腕を塹壕に見立てて、専用の発射機でトリモチ弾を撃ち込み始めたのだ。

 

 逃走のために背を向けた賊たちは良い的であった。そのうえ、賊たちが射手の存在に気付いても、その間はゴーレムの腕で遮られているため、反撃に出るのも容易ではなかった。守衛隊の目論見が見事に的中したのだ。

 

 円陣の中を逃げ惑う賊たちはろくな抵抗もできないままに撃たれ、その強力な粘着力の前に強制的にひれ伏していく。

 

 射撃体勢をとっていたクレイルが新たな一発を撃ち込むと、瞬く間に短い悲鳴が上がった。つい先程外したばかりのエールは、その腕前を見て正直な感想をもらした。

 

「すごい……クレイルさん、お見事です! ……それにしても、弓矢ならともかくトリモチを撃つなんて、僕はこれが初めての経験ですよ。これって守衛隊特有の装備ですよね?」

 

 クレイルは視線では応じなかった。次弾の発射準備をしつつ、淡々と回答する。

 

「そうだ。実に古典的だが有用な武器だ。維持隊には備え付けられていないのか?」

 

「ええ、ありませんでした。仮にあったとしても使うような機会はなかったと思いますけど」

 

「そんなものか」

 

「は……いっ! あっ、また外した……」

 

 エールは返答とともに射撃を行なったが、それは対象の近場に着弾するに留まった。彼が撃ち漏らした賊は、足元に細心の注意を払って空いている足場を探している。

 

 すぐ隣で照準を合わせているクレイルが、エールの悔しげな呟きに答える。

 

「命中しなくてもいい。奴らの行動を制限できれば、それで十分……だ!」

 

 クレイルはそう言い終えるともに弾丸を撃ち出した。それは賊が踏み出そうとしていた足場を塗りつぶし、その爪先を優しく受け止めた。

 

 

 

 

 

 クレイルとエールが会話をしつつも手を動かしている間、他方では二人の隊員が黙々と働いていた。彼らは上司と部下の関係であり、部下は一人で装填と射撃を繰り返していた。一方の上司は、周囲の隊員が撃ち終えた発射機に弾を込めるばかりで、自分では一度も射撃を行なっていない。隊員たちが射撃後の発射機を置くと、上司が回収して次弾を装填する。隊員たちはその間に装填済みの発射機を拾って射撃を行う。このようなテキパキとした流れ作業によって彼の周囲にいる隊員たちは絶えなく射撃を続けていた。

 

 その様子は誰の目にも明らかな素晴らしい連携なのだが、その実、部下は上司に対して少しばかり気が引けていた。彼はその気持ちをおくびにも出さないようにしていたつもりであったが、照準を乱して明後日の方向へと撃ち出してしまった時、ついに彼の忍耐力は限界を迎えた。

 

「あの……やはりおかしくはないでしょうか?」

 

「ん? 何がだい?」

 

 部下から歯切れの悪い言葉を受けた上司は一時的に手を止めた。彼は部下と視線を合わせてから、小さく首を傾げる。現状を鑑みても、おかしいと言われるような心当たりはなかった。

 

 その反応を見た部下は、少し言い淀んでから、率直に疑問を呈することにした。

 

「その……班長ともあろう方が、そのような雑用の如き作業に従事することが、です。本来なら、班長は少し離れた位置から状況を観測して指揮を執り、装填作業は経験の浅い隊員に行わせるのが、然るべき配役だと思いますが」

 

「いやいや」

 

 上司……捕縛の役割を任せられた第三班の班長は、手を小さく左右に振った。

 

 そして回答を続ける。

 

「これだって重要な役割なんだよ? それにね、上達しようと突き詰めていくことは実に楽しいことなのさ」

 

 言いながら、彼は抱え込んでいた発射機への装填を終え、それを部下へと差し出した。

 

「ほらできた。君も使ってみてよ」

 

「……ありがとうございます」

 

 部下は装填中の発射機を一旦横へと置いて、手渡されたそれを受け取った。

 

 班長は近場に置かれていた空の発射機を股座に据え、装填作業を再開しつつ、部下への意見を付け足す。

 

「それにさ、こいつに関しては実戦での使用経験がない隊員も多いから。不謹慎だと言われてしまうかもしれないけどね、皆にはこの機会を逃して欲しくないんだよ」

 

「……そういうお考えであれば……わかりました、野暮な発言でした」

 

 反省の意を伝えてから、部下は標的に照準を合わせた。

 

「なに、気にすることはないよ」

 

 班長がそう言い終えるとともに部下が発射した弾は、吸い込まれるようにして標的の臀部へと命中した。さらに、同時に別の角度から飛来した弾が、標的だったものの顔面に直撃する。賊は勢いよく足を滑らせたかのように転倒し、尻餅を着いて石畳に貼り付いた。そして、彼は本能的に顔面へと手を伸ばし、完全に行動不能に陥った。

 

「いいねえ」

 

「ありがとうございます」

 

 部下は送られた賛辞に感謝の言葉を返すと、間髪を入れずに次弾を装填し始めた。

 

 そして、彼は作業を進めつつ班長に話を振った。

 

「それにしても、この計略は妙案でしたね。まるで毒沼に突き落としたうえに長枝で突くような徹底振り……実にお見事です」

 

「まさしく君の言うとおりだ。作戦が完了した暁には、彼に感謝と賞賛の気持ちを伝えるべきだろうね」

 

 部下は作業する手こそ止めなかったものの、その発言にはいたく驚いていた。

 

「この策は班長が立案したものではなかったのですか?」

 

 班長も作業は休めずに、見られていないことを承知のうえで相槌を打って見せた。

 

「僕ではこれほど効率的な策は思いつかないさ。定石どおりが精々だよ」

 

「ではいったい誰が?」

 

「クレイル君だよ」

 

 その名前は彼も当然知っていた。守衛隊の石守を務める、第六班の班長だ。良い評価と悪い評価の両極端を耳にするため、人間性が掴みづらい人物……彼はそのように認識していた。

 

「あの方ですか……ゴーレムのお守役でしたよね?」

 

「そうだよ。実に具体性に欠ける職務だ。でも、やはりゴーレムとの距離が近いからなのか、あの図体と頑強さを活かす術を熟知しているみたいでね。ゴーレムを街中で積極的に戦わせた場合に街へと与え得る余波をとても気にしていたよ」

 

 門が突破されたと聞いた時、思わず部下が想像したのは、血で染まった街に、人だったものが散乱している光景だった。

 

 結果として、そうはならずに済んだことを嬉しく思いつつ、もはや射的訓練場と化してしまった戦場に、憐憫のような感情を抱いていたのも仕方がないことではあった。

 

「石守とゴーレム……恐いような、頼もしいような……」

 

「お相手さんからすれば恐くて、僕たちからすれば頼もしい。それでいいのさ。あとは彼の悪癖さえ治れば言うことはないんだけどねえ」

 

「ははは……」

 

 自然と溢れた上司のぼやきに、部下は乾いた笑いを返した。

 

 

 

 

 

 ゴーレムとトリモチの囲い込みにより逃げ場を失った賊たちは、それぞれが好きな体勢でモチの湖に溺れ、気付けば行動可能な賊の数は二人にまで減っていた。

 

 円陣の内部はすっかり斑模様に成り果てており、残った彼らが仲間たちの後を追うことになるのは目に見えていた。

 

 そこで、這いずる姿勢のまま動けなくなっていた賊の一人が、がむしゃらに声を張り上げた。

 

「こっちからの逃走は無理だ! 岩石野郎の腕を越えていけ! 奴らがすぐ後ろにいるせいで動けないはずだ!」

 

 その意見を聴いた二人は一縷の望みにかけることにしたようで、ゴーレムに向かって一目散に駆け出した。

 

 彼らは切羽詰まった状況のためか、あるいは興奮で思考能力が鈍ったためか、あれほど恐れたゴーレムの巨碗が、今となってはただの石壁にしか見えなかった。そこを乗り越えた先に活路がある、そう思わねば正気を保てそうになかったのかもしれない。

 

 ゴーレムに近づくほど、彼らは面白いような心地に浸っていった。自由に走れるというだけのことが、まさかこれほどまでに気持ち良いとは想像もしなかった。心の昂りは、彼らの身体を羽のように軽くした。

 

 彼らが石壁に手をかけると、圧倒的な硬さとともに、艶々とした手触りと、己の生命を自覚させるような冷気が感じられた。だが、それがどんな障害になろうと言うのか? 彼らはそう言わんばかりに、実に身軽な動作で石壁の上に足を乗せた。

 

 さあ、立ち上がって奴らを見下ろしてやろう。自分たちが逃げ切れないのはわかっている……だから、これは最後の抵抗だ。可能な限り暴れてやろう。せめて傷痕を残してやろう。この街に、王都に、無形の記念碑を残そう。

 

 もしも、彼らがそんな虚勢を張っていたとしたならば、「へい、らっしゃい」と、目の前でニカっと笑う男のことが、さぞ憎たらしく思えたことだろう。

 

「失せろ!!」「クソ野郎!!」

 

 彼らは吠えた。そうせずにはいられなかった。大海に落ちた滴が己の存在を保てないように、そうしなければ消えてしまいそうだった。

 

 そして、獲物を構えようとした彼らだったが……その首にアバンの両腕がかかった。

 

「特別な旅へ……」

 

 目を見開いた彼らはそれを必死に振り解こうとする。しかし、アバンの鍛え上げた膂力はびくともしなかった。

 

「二名様、ご案内!」

 

 と、そんな楽しげな掛け声とともに、アバンは二人を伴って、円陣の中へと飛び込んだ。

 

 まもなく、靴の本底が石畳を叩いたような軽快な音と、包装された積荷を落としたような音が聴こえた後、硬い何かがぶつかり合ったような痛々しげな音が周囲に響いた。

 

 そこから少しの沈黙があった後。

 

「対象沈黙! 行動不能です!」

 

 アバンが作戦の成功を高らかに宣言した。

 

 

 

 

 

 アバンの宣言を受けて、ある隊員は肩の力を抜いて長い息を吐き、ある隊員は近場の隊員と手を打ち合った。そのように、隊員たちが思い思いの行動をとり始めたところで、班長が「みなさん、いつ任務が終わましたか?」と丁寧な口調で囁いたため、隣にいた部下は慌てて息を吸い、「お前ら! 誰が気を抜いていいと言った! 我々に与えられた任務は賊の捕縛だ! 喜んでいいのは完遂してからだろうが!」と周囲の者たちを戒め始めた。

 

 また、万が一に備えて路を塞ぎ続けていた第四班の面々も、その可能性はほぼなくなったものと見て、広場の中心に集まり始めた。

 

 各班が動き始めたのを見て、クレイルがゴーレムの胴体に近づく。

 

「ゴーレム」

 

 呼ばれた巨人は、体勢をしっかりと維持したまま、頭部だけを動かしてクレイルを視認した。

 

「もう腕を上げていい。直立したまま待機しろ」

 

 そのように指示を出すと、命令の受託を示すようにゴーレムの瞳が明滅した。

 

 屈んだ姿勢をとっていたゴーレムは、足を伸ばして立ち上がり、同時に引きずるようにして腕部を持ち上げた。手が擦っていった場所からは粉塵が舞い上がり、割れた石畳とその破片が周辺にぱらぱらと散らばった。隊員の誰かが思わず息を飲み込んだ。これほどまでに破壊という言葉が相応しい痕跡は、隊員たちでさえ見たことがなかった。

 

 隊員たちは、手錠や縄などの捕縛用の道具を手にして、傷痕を跨ぎ、円陣の中へと入っていく。

 

 手前にはアバンと気絶した賊の二人が、奥には白い斑点や池ができており、その中に隠れるようにちらほらと賊の姿があった。気絶している者はともかくとして、十一人の中にはいまだ抵抗の意思がある者もいた。手に持った獲物を向けていたり、何度も体を捩っていたり、脱衣による脱出を試みたりと。しかし、人の身長ほどの長棒や数人がかりでの押さえつけの前には、いずれも無駄な抵抗であった。

 

 一方で、アバンは自分の手錠を既に使っていたため、駆けつけた隊員たちに賊二人を引き渡していた。捕縛は彼らに任せて、アバンは周辺を見渡した。すると、何か目ぼしいものでも見つけたようで、ある場所へと近づいて行く。そして、間近でじっくりと見ることで確証を持ったらしく、エールたちの方へと振り向いた。

 

「エール! こっちに来てくれ!」

 

 不意に自分の名前を呼ばれたエールは一瞬だけ跳び跳ねたが、すぐに平常心を取り戻した。

 

「ええっと……わかりました! 今行きます!」

 

 エールは自分が呼ばれる用件に見当がつかないながらも、手招きをしているアバンの方へと向かって行く。一歩一歩進むたびに、白い斑点が合流して、大きな池になっていく。辺りに散乱するそれらを避けながら慎重に進むさなか、後ろについて来ているクレイルに「なにがあったのでしょうね?」と尋ねてみたが、「行けばわかる」とにべもなく返されてしまい、エールは苦笑いを浮かべた。

 

 アバンのもとへと辿り着いたエールは、彼が言いたかったことを瞬時に理解した。また、自然と表情が引き締まったことも自覚した。

 

 そんなエールの反応を見て、アバンは優しく切り出す。

 

「こいつで合ってたよな?」

 

「……間違いありません」

 

 彼らの視線の先に転がっていたのは、顔面にモチを貼り付けた男……つまり、エールから直撃弾を受けた賊だった。顔全体が隠れているので真偽の確認はできないが、しくしくとすすり泣いている様子だ。完全に意気消沈した有様で、哀愁すら漂っている。顔に伸ばされた手はそのまま固定されており、涙を拭おうとしているのか、絶望感に頭を抱えているのかはわからない。ただ、絵描きの想像力を掻き立てるものに、これ以上の題材はないだろう。生憎にも三人の中に絵心を持った者はいなかったが。

 

 アバンはエールの肩に手を置いた。

 

「せっかくの機会なんだ。仕留めたお前が最後までやってみたらいいんじゃないか?」

 

「僕が……手錠を……」

 

 エールはそう呟きながら、この任務に参加するにあたって貸し与えられた手錠を、後ろ手にギュッと握りしめた。顔が熱くなるのを感じて、唇を噛み締めた。

 

 そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、いつの間にか賊の傍らにしゃがみ込んでいたクレイルが「この姿勢……まるで懺悔しているみたいだな」とのたまった。その言葉が聴こえたのだろう、賊のすすり泣きが酷くなった。エールは敵ながら、彼への同情を禁じ得なかった。雰囲気もなにもあったものではない。余計なことを忘れようと、エールは頭を振った。

 

 気を取り直すと、握っていた手錠を手に取って、改めて眺めてみた。

 

 自身の短い職務経験を遡ってみても、何者かを捕縛したことはなかった。機会がなかったわけでも、手錠を持っていなかったわけでもない。しかし、酒場で殴られたときもそうであったが、手錠をかけていたのはいつも同僚で、自分はそれを見ているだけだった。

 

 一歩後ろで。

 

 遠巻きに。

 

 渦中に入らないようにして。

 

 でも、それでいいと思っていた。不満はなかった。功績や正義を重んじてはいなかった。自分は立っているだけで、あとは誰かしらが勝手になんとかしてくれる。それが常であり、最適な在り方だ。

 

 そうだ。あの時はそう考えていた。だから……働けなくなった。

 

 今、この広場ではたくさんの人たちが働いている。与えられた任務に対して……なんでもかんでも人に委ねず、誰の顔色を窺うでもなく、皆が皆、やるべき仕事を果たしている。不貞腐れた顔も、取り繕った顔も、ここには存在しなかった。

 

 アバンさんの言葉を思い出す。

 

 ーーせっかくの機会なんだ。仕留めたお前が最後までやってみたらいいんじゃないか?

 

 彼からすれば、特に意図せず放った言葉であったとしても、僕にはそうは聴こえなかった。

 

「エール。お前はもう渦中の人間だ。皆と一緒にここで働いているんだ」

 

 僕にはそう聴こえたのだ。

 

 ……。

 

「ほら! いつまでそこに突っ立っているつもりだ? 行った行った!」

 

 アバンのゴツゴツとした堅い手が、エールの背中をすとんと押し出す。

 

「早くしろ。これは演技で、本当は今にも逃げ出すかもしれないぞ」

 

 クレイルの素直じゃない言葉が、エールの意識を前へと引き出す。

 

 広場はすっかりと暗くなっていたが、代わりに、隊員たちから発せられる色とりどりの声が、広場を明るさで満たしていく。事件の終結を察した人々が、戸口を開いてひょっこりと顔を出すと、建物から橙色の明かりがこぼれた。それは広場を中心として街中に伝播していき、気付けば王都はいつもの明るさを取り戻していた。

 

 あの時には決して感じられなかった、心地の好い喧騒。

 

 余計な感情や葛藤が混じっていない、純粋で、眩しいほどの輝きに満ちた喜び。

 

 それらを初めて手にして、エールはようやく表情を綻ばせた。

 

「はい! 今行きます!」

 

 自分でもわかるぐらい、自然と口角が上がった。

 

 ……これは癖になりそうだ。

 

 そんな想いを胸中に宿して、彼は一歩を踏み出した。

 




次の話で1章は終了です。
2章からは毎話単独の日常話を中心として、未登場キャラクターを続々と出していく予定です。

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