ゴーレム君の守衛隊   作:志賀 雷太

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1章 10話 残りしもの

 

 街は今日も賑やかだ。先日に起きた、賊が王都に侵入した事件などなかったかのように。事後処理に追われる者の姿もちらほらと見受けられたが、街の喧騒に混じってしまえばそれも日常の一ページとなった。

 

 事件の翌日には被害情報が公表されていた。

 

 ――――――――――――――――――――――

 

 先日の騒動に関する被害情報

 

 人的被害……死者0人、負傷者18人。

 

 住家被害……商業店の商品、用品の損害等7件。

 

 公物被害……広場の石畳のひび割れ。

 

                    以上。

 ――――――――――――――――――――――

 

 市民向けに掲載された被害情報は実に簡潔なものだった。

 

 これに補足を加えるとすれば、本事件における負傷者はすべて隊員たちのことであり、一般市民への被害は出なかったということ。また、公物被害にトリモチが入っていないのは、ひとえに賊の捕縛直後に行われた隊員たちの努力の成果であるということだ。ちなみに、彼らが清掃を終えたのは、街が眠りに着いたころであったという。

 

 なお、事件の内容にまったく触れていない理由について、識者の間では都市防衛に関わる問題であるためだと言われている。しかし、公的な発表があろうとなかろうと、人の口に戸は立てられない。避難勧告を受けた住民たちがさまざまな情報を交わした結果、賊が王都に侵入した事実は近隣住民のほとんどに周知されていた。この件についての市民の反応は実にさまざまであった。ある者は壁建設以降はじめての一大事であると嘆き、ある者は守衛隊の不手際を叱責し、ある者は騒ぎに乗じて王政に文句を付け、ある者は酒の肴にちょうど良いと笑い、ある者は守衛隊に労いと感謝の言葉を贈った。このように、市民たちの目の付け所はそれぞれ異なっていたものの、いずれにしても一つの事実を見逃していた。それはもしかすると、近すぎるがゆえに見落としているのかもしれない。あるいは対岸の火事だと思っているのか。はたまた痕跡が消えたために気付かなかったのか……。

 

 事後処理を含んだ業務の荒波に襲われる守衛隊の中で、ゴーレムは今日も働いていることだろう。一つとして傷のない、完璧な姿で。

 

 

 

 

 

 いまだ事件の残り香が漂っている守衛所の廊下にて、エールの姿を見かけたアバンは彼の背中に向かって声をかけた。

 

「エール! クレイルから聴いたぞ! 前にいたところに戻るんだって?」

 

 いつもどおり晴れやかで気さくな雰囲気を醸し出しているアバンであったが、対するエールはばつが悪そうに会釈した。

 

「あ……ご報告が遅れてすみませんでした。なかなかタイミングが合わなくて……」 

 

「別にいいって」

 

 しかし、アバンは彼の胸中を知ってか知らずか、普段とまったく変わらない態度で気にするなばかりに手を振った。

 

「それよりもさ、こんなに早く戻ることになって反感を買ったりはしなかったのか?」

 

「あー……その件については大丈夫だと思います。あっちにいたころの上官にも確認して、了承を得られたと聴いています」

 

 そう言ってエールは複雑な表情で笑っていた。

 

「そうか……たった数日だったとはいえ、エールがいなくなると思うとちょっと寂しくなるけど……俺は守衛隊の先輩として、後輩の新しい門出を祝ってやらないといけないよな」

 

 それはアバンにしては珍しく、噛み締めるような、自分に言い聞かせるような話し方であったが、言い終えてから数度うなづくと、すぐに柔和な笑顔を浮かべた。

 

「よしっ! 全力で行って来いよ! 俺はいつだってお前のことを応援してるからな……頑張れよ!」

 

「はいっ!」

 

 エールは彼の期待に応えるように、威勢よく返事をした。

 

 そして、アバンに握手を求めようとしたところで……その手を出すのを躊躇った。

 

 ……そうだ、アバンさんはあの事件の最中に傷を負っていたのだった。

 

 エールがすっかり忘れていたのにも無理はない。広場で賊を捕縛する時もそうであったが、ここ数日、アバンは怪我などなかったかのように働いていたためだ。肉体労働だってこなしていたし、怪我の様子も隊服の上からでは視認できなかった。

 

 そうしてエールが固まっていると……。

 

「ん? どうした? ……ああ、もしかしてこれを気にしているのか?」

 

 アバンは自ずと察したらしく、隊服の袖をめくり上げ、包帯が巻かれた患部をエールの前に晒した。

 

「なに、生活や仕事には支障をきたさない程度のもんさ。完治するには今しばらくかかるらしいけどな。この程度の怪我で済んだのも、やっぱり日々の積み重ねだろう! 筋肉は味方! 筋肉は裏切らない! 筋肉は万事を解決する!」

 

 アバンはそう言いつつ、負傷中の腕で大きな力こぶを隆起させた。しかも、エールが安心していいやら安静にするよう注意すべきか逡巡している間に、なぜかもう片方の腕にも力こぶをつくって見せるものだから、エールは思わず笑ってしまった。

 

「ふふっ! もう、そっちの腕は怪我してないでしょう。アバンさんらしいですけど」

 

「だろ?」

 

「『だろ?』じゃないですよ、まったく……。怪我が治りきるまで、筋トレは控えめにしてくださいね」

 

 その注意に思い当たる節でもあったのか、ポージングを解除していたアバンの肩が小さく震えた。

 

「いや、でもな、これは包帯で保護しているから大げさに見えているだけで、もう傷口は塞がっているんだよ。そんなに心配されるほどのもんじゃーー」

 

「アバンさん。人間の体はゴーレムと違って簡単に治せるものじゃないんですよ」

 

「ゴーレムだって簡単に治せるわけじゃあ……」

 

「アバンさん。今はゴーレムの話ではなく、人間の話をしているんです」

 

「あ、はい」

 

 いつになく圧の強いエールの言葉に、アバンは咄嗟に身をすくめた。

 

「傷や症状は自然回復を待つしかありません。それなのに運動した弾みに傷口が開きでもしたら、せっかく順調だったはずの回復が遅れてしまいます。守衛隊であるアバンさんが知らないはずもありませんよね?」

 

「はい……自分の怪我だからって甘く見てました。以後、迅速な回復に努めさせていただきます」

 

「約束ですからね。よろしくお願いしますよ」

 

 そこで会話がいったん途切れると、二人はどちらともなく小さく吹き出した。それがまたお互いのツボに嵌ったらしく、彼らのひそひそとした笑いがあけすけなものになるまで、そう時間はかからなかった。

 

 二人の腹に住まう笑い虫が静まったころ、彼らの表情は随分と和らいでいた。転属初日は肩身を狭そうにしていたエールも、ここ数日の間ですっかりと馴染んでいた。治安維持隊にいたときは数ヶ月かけても得られなかった安らぎだ。エールは胸中に湧き上がるさまざまな気持ちを抑えつつ、呼吸を整えてからゆっくりと口を開いた。

 

「アバンさん……短い間でしたが大変お世話になりました。本当に、ありがとうございました!」

 

 アバンは深々と腰を折った彼の後頭部を見つめながら、少しばかりの思案に耽った。エールの言葉は形式的な別れの挨拶のようであったが、それ以上の機微も含まれていることは想像に難くなかった。しかし、具体的なことはアバンにはわからない。彼から相談を受けたことはあれど、それだけで心情を理解できたとはとても言えなかった。エールとてそうと承知しているからこそ、余計な装飾を施さなかったのであろう。つまり、アバンは深く考えることなく、素直な言葉を返せば良いだけだ。それだけでエールは満足できる。だからこそ、アバンはこう尋ねずにはいられなかった。

 

「解決、できたのか?」

 

 それはこれまでの文脈からは完全に破綻した質問であったが、エールは困ったように、それでいて明るく微笑んで見せた。

 

「わかりません……でも、だからこそ、僕は答え合わせに行ってきます!」

 

 アバンの瞳に映っていたのは、セリフとは裏腹に、確かな自信を抱いているエールの顔つきだった。初めて会ったときの彼の表皮は、すでに脱ぎ捨てられていた。それがアバンには自分のことのように嬉しく、そして誇らしく思えた。

 

「そうか……だったら、次に会うときを楽しみにしておかないとな! 気張れよ、エール!」

 

 満面の笑みとともに放たれた力強い言葉は、小さな変革へ挑む者への応援歌であった。

 

 

 

 

 

 エールはクレイルの無感情な表情を見たとき、先程まで見ていた蒼天が、泥のように黒く重たい雲に覆い隠されてしまったように感じた。あまりに極端な温度差に、彼は内心では乾いた笑い声を漏らしていた。そんな彼の胸中を知らないクレイルは、今しがた目を通し終えた書類に印章を押して、傍らで待っていたエールに素っ気なく手渡した。それは、転属に関する書類の最後の一枚であった。

 

「ん、手続きはこれで終わりだ。……よって、今日がお前の守衛隊隊員としての最後の活動日となる。まだ仕事は終わっていない。最後の最後までしっかりと勤めるように」

 

「はい!」

 

 特に思うところはないと言わんばかりに淡々と話すクレイルに対して、エールは爽快な返事で答えた。それで会話は終わったかのように見えたが、クレイルはわずかに眉をひそめ、少し視線を彷徨わせてから小さな声で訊ねた。

 

「……なぁ、エール」

 

「はい?」

 

「今の言葉を俺に言われて、お前はなんとも思わないのか?」

 

 頭上に疑問符を浮かべたクレイルの顔。ああ、この人はなんだかんだと言っても、やっぱり第六班の班長なんだ……。そして、この表情を見るのもこれが最後になるのかと思うと、エールは一抹の寂しさと特別な高揚感を覚えた。

 

「それはまぁ、何も思わないってことはありませんが」

 

「言ってみろ」

 

「普通のことですよ……班長を見習って、僕もしっかり働かないといけないなって思いました」

 

 そう言い終えた後の一瞬の間だけ、エールには見えた気がした……クレイルの笑った顔が。

 

「反面教師か」

 

「さあ、どうでしょう? それよりも残りの仕事を片付けに行きましょう! 早くしないと暗くなっちゃいますよ」

 

「それもそうだな」

 

 席を立ったクレイルとともにエールは廊下に出た。

 

 移動中、エールはクレイルの横顔を何度か覗き見た。しかし、先程のような表情の変化は見受けられず、エールは少しだけ気を落とした。しかし、彼は考えた。逆に考えて見れば、あれは珍しいからこそ価値があるのだ。草原に咲く野草など誰も目にも止まらないが、岩場にポツンと咲いていればそれだけで気を惹かれると言うもの。だから、これ以上は求めるべきではないのだ。

 

 考えがまとまってスッキリとしたエールは、気持ちを切り替え、クレイルに仕事の話題を振った。

 

「これから行う仕事は、ゴーレムの点検……でしたか?」

 

 クレイルは頷いた。

 

「そうだ。だが、ほとんど形だけのものだ」

 

「そうなんですか?」

 

 エールが首を傾げると、クレイルは再び頷いて続きを話し始める。

 

「ああ。それと言うのも、おっさんーーあの事件の時にゴーレム修復の陣頭指揮を執っていた中年親父のことだーー奴が定期的に検査に来ることになっているから、俺たち第六班で見なきゃいけないことはほとんどない。第一、ゴーレムに異常が出てるかどうかなんて、刻印術師でもない俺たちにはまるで分からん。そういうのは専門家に任せるに限る」

 

「はあ……それでは、僕たちは何をすればいいんですか? 何もしないわけではないんですよね」

 

 でなければ、わざわざゴーレムのもとへと向かう必要もない。

 

「ご丁寧な事に点検項目のリストが用意されている」

 

 そう言いながら、クレイルは指先で摘んだ一枚の用紙をぴらぴらと揺らす。

 

「子供でもできるような簡単な確認作業だ。それを終えたら、最後にゴーレムの動作や行動について気になったことを記録する……それで終わりだ」

 

「なるほど……なんだか事務的な仕事ですね」

 

「ああ。だからこれとは別に、おっさんが様子を見に来るんだろうな」

 

 そのような会話を繰り広げているうちに、二人はゴーレムのもとへと到着していた。

 

 件のゴーレムは門の方を向いて佇んでいた。まるで大きいだけの石像のように指先ひとつ動かさない。しかし、二人が来たことを感知すると、ゴーレムは石の体をがたんと揺らして、二人の方へゆっくりと向き直った。二人の前に現れた岩石の腹部は凹凸のないキレイな表面をしていた。まるで爆破による破損などなかったかのようだ。自然とエールの顔に笑みが浮かぶ。

 

「兎にも角にも、ゴーレムが無事に復活できて良かったですね」

 

「……ゴーレムは、自律稼働する石の兵士だ。部品さえ取り換えてしまえば、無傷と言って差し支えないだろう。人とは根本的に異なる……生命体だ」

 

「……」

 

 二人の間にわずかな無言の時が流れる。エールは彼の言葉に含まれた意図が読めず、なんと返せば良いのかがまるで分からなかった。とりあえず別の話を差し込んだ方が良いだろうかと思案していると、それよりも先にクレイルの方から口を開いた。

 

「この都市を守っている三枚の壁と同じく、こいつも王都の象徴だ。市民が安心して平和に暮らすことができるのもこいつのおかげだ。……だからこそ俺たち第六班は、こいつを適切に管理・運用してやらねばならない。わかったか?」

 

「……は、はいっ」

 

 エールはそれが自分に向けられた問いかけだとすぐに気付けなかった。それから慌てて返事をしたため、声は上擦ってしまっていた。

 

 しかし、クレイルはそれを気にすることも咎めることもなく、首を大きく回して息を吐いた。

 

「さて……仕事を始めるか」

 

 そう言って、クレイルが例の用紙に目を移したタイミングで、エールは思い出したように声を上げた。

 

「あ! クレイルさん。その前に一つだけいいですか?」

 

「なんだ?」

 

「その、ゴーレムとお別れの挨拶をしたいと思いまして……」

 

「そうか……わかった」

 

 エールの要望はすんなりと承諾されたらしい。ゴーレムはクレイルに呼ばれると、二人のもとへと近づいてから、少し腰を落として静止した。ゴーレムの待機姿勢は、まるで命令を待つ騎士のようだとエールは思った。

 

 しかし、ゴーレムが命令もなしにポーズを決められるものなのか? ただの偶然の産物ではないだろうか? もし、ここに居続けるのであれば、いずれその答えがわかる日も来るのではないか? ……そんなどうでもよいことが、ついつい気にかかってしまっている。エールは理解していた。この場所に、彼らに、後ろ髪を引かれる自分がいることを……。

 

 ふとエールが視線を上げると、美しい煌めきを見せる赤い結晶が目に入った。その結晶は多面体で、面によってさまざまな色合いを見せている。底のない暗さを感じる面もあれば、発光体のような明るさを放つ面もあった。そして、真正面の一面には、人の顔が映っていた。少々ぼやけてはいるが、それは道に迷った幼子のように見える。その子はエールに観察されていることに気付くと、はっと驚いたように目を見開いてから、一転して朗らかに笑って見せた。その姿が滲むように消えると同時に、エールはゴーレムに手を差し出していた。

 

「本当に短い期間だったけど、君と働けて嬉しかったよ。これからも、この街とみんなを守り続けて欲しい」

 

 そう告げたエールの言葉が伝わったのかどうか……ゴーレムはまじまじとエールの手を観察していた。その姿は、餌を握った手に鼻を寄せる動物のようだ。

 

 エールはその手を少しだけ下げて、もう片方の手を開いた状態で突き出した。すると、ゴーレムはぴたりと止まってから、「なに?」と言うかのように頭を傾げた。エールはそんな仕草を愛らしいなと思いつつ、ゴーレムとの意思の疎通を試みる。

 

「教えてあげる。これはね、握手をしましょうの合図なんだ。ほら、手を出してみて。片手でいいよ」

 

 そう言われて困惑したのか、ゴーレムはしばらくたじろいでいた。しかし、エールの身振り手振りが伝わったのか、ゴーレムは次第にエールの所作を真似し始めた。指を折り曲げたり、手首を捻ったり……それはお世辞にもすんなりとは言えなかったが、ゴーレムは苦戦の末、ついに握手の所作を真似ることに成功した。そして、エールの顔に視線を合わせ、頷くように頭を揺らした。

 

 そうして差し向けられた手のひらから影が落ちる。エールの体半分を覆ってしまうような大きさだ。それは握手を交わす光景と言うより、巨人が人を捕まえようとしている光景と言った方が違和感がないだろう。

 

 そこで、エールは自らゴーレムの手元へと踏み込み、自身の手のひらよりも太い人差し指に片手を伸ばし、その先端に触れた。手のひらから伝わってくる感触は石の壁を触ったときと同じ硬さで、さらにひんやりとした冷気を帯びている。エールは自身の体温が吸い取られるような感覚を覚えたが、それは決して不快ではなかった。

 

「うん、よくできたね! これが握手だよ。出会いと別れ、そのどちらでも使える挨拶方法なんだ。これなら、言葉を話せない君でも、相手に気持ちを伝えられると思う。覚えておくといいよ!」

 

 そう、覚えていてくれたら嬉しい。本当に短い期間ではあったけれど、彼らには言い表せないほどの恩義がある。この行ないにどれほど意味があるかはわからないけれど、少しでも感謝の気持ちを形にできたのであれば……。

 

「エール」

 

 感慨に浸っていたところを横から呼ばれて、エールはそちらへ顔を向けた。

 

「こいつが恐いか?」

 

 その言葉には聞き覚えがあった。その時、自分はなんと答えていただろうか。数日前の出来事が、遠い昔の思い出のように思える。

 

 でも、それでいいんだ……答えは記憶から引き出さなくていい。

 

 エールは自信を持って口を開く。

 

「ちっとも恐くなんてありません。だって、僕たちの頼もしい仲間ですから」

 

「……そうか」

 

 その回答に対して、クレイルは滲み入るように相槌を打った。彼は最後まで愛想のない男であったが、愛想がないだけの男だともエールは知っていた。

 

「クレイルさんも、握手、しませんか?」

 

「……お前、いつの間にこんなやりづらい奴になったんだ?」

 

 ゴーレムは握手が解かれるまでの間、指先に触れるエールの手をずっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 空に浮かんでいた白雲がすっかり茜色に染まったころ、門を潜り抜けた街の入り口側に三つの影が並んでいた。そのうちの一つは天井や壁を気にしているようで、小さく挙げた手を緩やかに振っていた。それと比べると、他二つの影はどちらも小さい。片方は背中を丸めて歩き出し、壁際に着くと体の向きを反転させて、壁へともたれかかった。もう一方は片腕を最大まで伸ばしきり、全身のバネを使って大きく大きく振っていた。

 

 三つの視線はただ一つの背中へと送られていた。その背中は少しずつ、しかし確実に、街に溶け込むように小さくなっていく。それは時折、動きが遅くなるようであったが、止まりそうになる度に速度を取り戻した。三つの影は時間の経過とともにその長さを増していったが、それでも両者の距離は埋まらない。もう少しで、その背中は完全に街と同化し、姿を消してしまうことだろう。そのわずかな時間を、光景を、彼らは惜しむように味わっていた。

 

 

 

 

 

 あくる日……生活地区Cブロックにある治安維持隊の応接室で、エールは上官と向かい合って座っていた。それは一般的には面談と表するような場面ではあったが、そこに漂う空気に畏った雰囲気はない。彼らは他愛のない会話で早朝の舌を解してから、ようやく本題へと入っていく。

 

「今回の転属の件で、面と向かってしっかりと話しておきたいと思ってな」

 

 上官がそう切り出すと、エールは勢いよく席を立ち、腰を深く折り曲げた。

 

「この度はいろいろとご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした! 心機一転、新人のつもりで励ませていただきます!」

 

 エールは考えた。閉塞感を解消するにはどうしたらいいのか。自分が前進するためにはなにが必要なのか。そうした思考の末に導かれた答えが維持隊への復帰であり、その第一歩が今の熱意のこもった謝罪と今後の決意表明であった。

 

 頭を下げたままのエールに、上官は顔をあげるよう促した。彼は慌てたり困ったりする様子もなく、静かに苦笑していた……予想どおりの展開を面白がっているように。

 

 続けて視線で着席を促されたため、エールは大人しく腰を下ろした。その様子を見届けてから、彼は明るく話し始めた。

 

「その気持ちだけで十分だ。ここに戻って来たということは、つまりはそういうことだろう? 私に報告したいことがあるんだったら、言葉以外の形で受け取ることにしよう」

 

 上官は一方的に言い切ると、手を打ち合わせ、椅子に深く腰掛けた。この話はここまでだと言う意思表示のようだ。

 

 エールは彼の心意気に御礼を述べようとして……出かかった言葉を呑み込んだ。言葉で伝えるのは簡単だ。だからこそ、彼の言ったとおり、形で返そう……それが最大の恩返しのはずだ。頭が固いと馬鹿にされようが構わない。それまでは感謝の意を示せないものだと思え、わかったかエール。

 

 改めて決意を固め終え、エールは顔を上げた。すると、待ってましたと言わんばかりに、上官が身を乗り出した。彼は悪戯が成功したわんぱく小僧のような顔付きをしながら楽しげに口を開いた。

 

「それでどうだった? あそこは変な奴ばっかりだったか?」

 

 その発言を受けて、エールはようやく合点がいった。

 

 自分を送り出してくれた上官は、あそこのことをよく知っていたのだ。そうとわかると、左遷のようなものだと勘違いしていた自分が恥ずかしくなる……顔が熱い……もしかしたら頰が紅潮しているかもしれない。ああ、意図的に体温を下げられるわけでもないし……だったらいっそのこと、熱暴走してしまえ! 目には目を、熱には熱をだ!

 

 エールは握り拳をつくり、上官と同様に身を乗り出した。

 

「はい! それは、もう、凄かったです! 決して悪い人たちではありませんが、明らかに一癖や二癖はあって、一緒に居ると気が抜けていくようで……でも、いざと言うときには頼もしくて、カッコ良くて、優しくて……」

 

 彼らのことを思い出しながら、噛み締めるように一言一句を並べていく。その様子を眺める上官は逐一、相槌を打っていた。

 

「僕の憧れの……ん、憧れ? 尊敬の……参考……うーん?」

 

 エールに溜め込まれていた熱は、熱した鉄板に冷水を浴びせたように、急速に蒸発していってしまった。

 

 一方、適切な評価が定まらない様子を間近で見ていた上官は、腹を抱えて笑い出した。

 

「あっはっはっ! そうかそうか! そうだよなあ! わかるわかる!」

 

 その反応に、エールは最初こそ苦笑いを浮かべていたが、次第に釣られるように大きな声で笑い出していた。

 

 

 

 

 

 皆さん。僕は答えを確かめるため、こちらで頑張ってみます。

 

 またいつか、お会いできるその日を楽しみにして……。

 




あとがき

【ゴーレム君の守衛隊】一章はこれにて終幕となります。プロローグみたいなものでしたけど。

最初は「可愛いゴーレム君を描きたい!」といった至極単純な理由から書き始めたのですが……どんな物語にしよう、どんな人物を出そう、と深掘りしていくと、それに反比例してゴーレム君の出番が減っていくんです。ごめんねゴーレム君。でも君は喋れないから仕方ないんだ。いずれ主役の話を書くから許してね。

さて、この先のお話ですが、エピソードや登場キャラクターがまとまっていないので、更新頻度はまったく未定です。ただ、二章はほのぼの要素大盛りでやっていきたいと思っていますので、一章よりはテンポよく読めるようになるとは思います。あと、できるだけ各話完結型にするつもりです。更新したらTwitterで通知しますのでお待ちいただけますと幸いです。

また、本作を面白いと思っていただけたなら、作者に感想を伝えていただいたり、ブックマークをしていただけますと、モチベーションがゴゴゴっと沸き上がり、次話がズババっと書けるかもしれません。今のところ、一人相撲状態なので……と、自虐ネタは誰も喜ばないからダメですよね……申し訳ないです。エール君みたいに頑張ります。

それでは、いつかまた次章でお会いしましょう!

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