二人が調書やら報告やらの諸々の事後処理を終えて、労働から解放された時には既に日が沈んでいた。他の隊員たちも片が付いた者から帰り出している。揃って守衛所を出た二人は、閉ざされた門の方へ立ち寄って行く。月明りは壁の厚みに遮られて、門の前までは届かない。代わりに、壁から突き出た燭台へと差し込まれている松明が、空間を照らしている。しかし、門表面のほとんどは暗闇に覆われていた。闇の輪郭はぼやけているうえに揺らめいていたが、それが角ばった巨人の影であることを二人は知っている。
影の持ち主も二人の接近に気付いていた。アバンは目を合わせてから、気さくに声をかける。
「おっす! 今日は大活躍だったなぁ! 偉かったぞ、ゴーレム!」
アバンに称賛の言葉を送られて、ゴーレムは微かに体を揺らした。しかし、その動作が何を意味するのかは、二人にはわからない。
ゴーレムは人間の言葉が理解できる。仕事をするためにそう創られているのだろう。ただし、難しい単語や複雑な文章が理解できるかは怪しい。
また、その先にあるはずの感情の変動については未知である。仕事をするために……そう考えたとき、感情の必要性には疑問が残る。だから、ゴーレムに話しかける人は少ない。そして、数少ない一人がここにいる。
「お前がいてくれるおかげで、俺たちは本当に助かっているんだ。ありがとうな!」
ゴーレムがわずかに屈み、その様子を見ていたアバンが大きく頷いた。
その後、誰も動かないひと時が流れた。
最初に動いたのはアバンだった。彼は隣でだんまりと立っているクレイルの脇を肘で小突いた。クレイルが横目で睨み返したが、アバンはまったく怯まなかった。次いで、顔を寄せたアバンがクレイルに耳打ちをする。
「ほら、お礼の言葉でも、労いの言葉でも、なんでもいいから声をかけてやれって」
クレイルは、ゴーレムに視線を戻して一言だけ告げた。
「ご苦労だったな」
すると、隣から非難めいた声が漏れ出す。
「えぇ……それだけかよ」
「なんでもいいと言ったのはお前だ」
これ以上、付き合うつもりはない。クレイルはそう主張するように踵を返して歩き出した。アバンはその背中を見つめながら呆れたように呟く。
「はぁ……毎度のことながら、どうしてそんなにつっけんどんな態度なのかねぇ……っと、悪いなゴーレム! また明日な!」
ゴーレムを正面から見上げたアバンが、手を振って別れの挨拶をする。ゴーレムは自身の手の平へとゆっくりと視線を落とした。その後、アバンから手の平が見えるように手首を回転させた。ゴーレムが顔を上げる。小さくなった二人の背中が、月と街の明かりに照らされていた。暫らくして彼らの姿が見えなくなっても、ゴーレムは街を見つめ続けていた。
アバンが大衆食堂の扉を引くと、店内に漂う焼き魚や肉の匂いが鼻孔へと侵入して、思わず腹の虫が鳴る。店内は夕食を取る人々で賑わっていたが、ピーク時は過ぎているために空いているテーブルがちらほらと見られた。アバンの後ろにいたクレイルも店内に入って扉を閉めた。二人が待つまでもなく、よく透る声が彼らの来店を歓迎した。
「いらっしゃいませー! 何名様でしょうか……って、あんたたちか。笑顔を安売りしちゃったじゃない」
出迎えた少女は給仕服を着ていた。顔つきや髪形からは活発そうな雰囲気が伝わってくる。
二人の顔を見るや否や、彼女の明るかった笑顔は早々に見る影を無くした。彼女の顔は接客業従事者にあるまじき気怠そうな表情へと変貌を遂げていた。しかし、そのような彼女の豹変具合を目にしても、二人は不快感や違和感を覚えていないようだった。
「お客様に対してあんたたちとは、これはまた随分な言い草だなぁ、ここ店員は」
アバンが苦情を訴えるが、それが冗談であることは誰の目にも明らかであった。
「はいはいすいませんでしたお客様……。二名様、お席にご案内いたします」
雑な謝罪を済ませてから、彼女はマニュアルどおりの業務を再開した。営業スマイルも無事に帰還する。つい先程までどんな表情をしていたかを悟らせないそれは、彼女が努力の末に身に着けた変幻自在の職人芸だ。
「ミル。切り替えの早さは相変わらずだな……いい性格をしている」
「あら? こんな素敵な女性を捕まえて侮辱するなんて最低ねクレイル。あんたこそ、いい歳してそんな性格じゃあ、いつまで経っても彼女なんてできないわよ。それと一発だけ殴らせなさい」
振り向いた彼女の顔には満面の笑みが貼り付いていた。クレイルはそこに鬼の形相を幻視した。小娘だからと決して侮ってはならない。小娘だからこそ持ち得る攻撃性もあるのだと彼は知っていた。まだ、前歯を失いたくはない。
彼は誤解を解こうと必死に弁解を始めた。しかし、生憎にも無表情が災いして周囲からはそう見えなかった。
「待て、俺にはなじったつもりなどない。そう見えたのなら誤解だ」
「そうなのか? 俺もてっきり皮肉だと思ったぞ」
味方だと思っていた存在から攻撃が飛んで来た。
「違う。俺が言いたかったのは、なんと言うか、表情が変わりやすいことは良いことだと……」
三人の誰にも自覚がないが、彼らはこのような応酬を繰り広げることによって、相互に健康であることを教え合うのであった。
ミルに案内されたテーブル席に着いた二人は、間を置かずに彼女へと注文を伝えた。彼女は頷いて机の上に置かれていたメニュー表を回収してから、他のテーブル席の注文を取りつつ、厨房の方へと歩いて行った。
注文した品々が運ばれてくるまでに少し時間がかかる。その間、二人は専ら他愛もない雑談で暇をつぶす。ただし、会話をしながら周囲の声にも耳を傾ける。二人が暫らく耳を澄ませてみたが、賊と一悶着あった件は噂にはなっていない様子だった。アバンとゴーレムが門の外で賊の鎮圧に成功したので、街の中への影響はないだろうと踏んではいたが、やはりどこかしらに不安感もあったからだ。市民に余計な不安を与えずに済んだことは、守衛隊隊員として喜ばしいことであり、務めをまっとうしたことの証左でもあった。
二人が安心して雑談を再開しようとしたところで、両手にジョッキを持ったミルがテーブルの傍に来ていた。彼女は少々荒っぽい仕種でジョッキを置いたが、衝突音はほとんど鳴らず、中身がこぼれることもなかった。さすがに熟れているらしい。
「はい、お待ちどうさまー」
彼女に短いお礼の言葉を述べた二人が、持ち上げたジョッキを互いに突き合わせた。ジョッキの中に満ち満ちと注がれている液体を口に流し込むと、喉仏が音を奏でた。疲労した彼らの体にはそれが心地良かった。ジョッキから口を離した二人は満足気に息を吐いた。その様子をつまらなそうに眺めていた彼女であったが、二人がジョッキから手を離した瞬間に声をかける。
「お勤めご苦労様。今日は少し遅かったじゃない。なにかあったの?」
「ちょっとだけなー。でもすぐに片付いたから、心配ご無用!」
そう言ってから、アバンは気持ちよさそうに背伸びをした。彼の言葉を保証するようにクレイルも頷いた。反対にミルへと質問を飛ばす。
「そっちの方はなんともなかったか?」
「うん? お店のこと? 地区のこと? どっちにしても、いつもどおりだと思うわよ。今日も地区内の農場からはちゃーんと食材が届いたし。お客さんたちの間にも共通の話題もないみたいだし」
ミルは思い出すように視線を宙に向けて回答した。その後は二人の顔を順繰りに見ながら続ける。
「というかそのための守衛隊でしょ? あんたたちがしっかりと働いてくれていれば大丈夫よ! それになにより、私たちはあーんなに大きな壁に守られているんだもの」
ミルは、壁の大きさを表現するために全身をうんと伸ばて見せた。それを見たアバンが「それもそうだ!」と笑って返して、クレイルは珍しいものが拝めたとばかりにほくそ笑む。そんな彼らの反応を見たことで、ようやく幼子のような表現方法を取っていた自分に気付いた彼女は、紅潮していく頬を見せないように素早く顔を背けた。
アバンが途切れてしまった会話を繋ぐ。
「俺も詳しいことは知らないけどさ、あの壁と門は魔術を撃ち込まれて大丈夫な造りになっているらしいぞ。つまり夜間は正に鉄壁! 安心安全無病息災!」
「……安心安全はいいが」
「無病息災は違わない?」
「え、違ったか?」
クレイルが真顔で全然違うと返すと、見ていたミルは笑い出してしまった。つられたアバンも笑い出す。楽しげなテーブルに周囲の注目が集まった。それを咎めたのか、単純に忙しかったのか、ミルが他の従業員から仕事を振られた。彼女は両手を合わせてはにかんだ。
「ごめんね! こっちはあんたたちの相手ばかりしてらんないのよ。料理は少し待っててね」
ミルはそう言い残しつつ手を振って、別のテーブルへと向かって行った。労働に勤しむ彼女の背中を眺めながら、二人は再びジョッキを突き合わせた。
彼らの一日はもうじき終わり、そしてまた新しい一日が始まる。