守衛隊の一日は朝礼から始まる。とは言え、夜間警備にあたっていた数名の隊員にとっては真逆の意味となる。
朝礼では各班の班長から報告が上がる。隊全体に通達しなければならない情報があれば共有し、なにもなければ隊長からの一言だけで終わる。ただし、後者は滅多にないことだ。
この日も代わり映えのしない朝礼が行われていたが、各班からの報告が済んだところで隊長からもう一つ連絡があると告げられ、隊服を着用した青年が隊長の隣に並んだ。
青年は背筋を伸ばして姿勢を正した。それは気合が入っている……というよりは緊張しているのだろう。全身が
凍り付いたように固まっている。もし背中を突かれようものなら、驚きで跳び上がってしまいそうな様子だ。今は口を固く結び緊張した面持ちが前面に表れているが、青年の顔つきは、クレイルの達観を越えた冷淡な顔つきとも、アバンの溌剌さを表した精気溢れる顔つきとも異なっている。新入隊員らしいと言われれば否定できない、己が確立していないような顔つきだ。見た目から推察される年齢はアバンに近いだろう。
隊長に自己紹介を促された彼は、唾を呑み込み、一呼吸を置いてから口を大きく開いた。
「この度、こちらの守衛隊へ転属となりました! エールロング=ショートと申します! 以前に所属していた生活地区Cブロック治安維持隊ではエールと呼ばれておりました! 維持隊と守衛隊では業務内容が異なると聞き及んでおります! 一日も早く、こちらでの業務を熟せるように精一杯努めますので、ご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願いいたします!」
少し上擦った声音で行われた自己紹介は、清潔で蛇足なく纏まっている反面、無味乾燥としていて硬かった。
彼……エールが風を切るように勢い良く頭を下げた後、隊員たちからは同質の拍手が送られた。彼は適度に響いているそれを床を眺めたままの姿勢で聴いて、こっそりと安堵の息を吐いた。
暫らくすると、拍手は少しずつ小さくなっていき、そして鳴り止んだ。そして彼が頭が上げたところで、隣に立っていた隊長が口を開く。
「彼は第二班に所属する手筈となっているが、諸君も承知のとおり、第二班は都外調査隊の任で王都を離れている最中だ。よって、第二班が帰還するまでの一定期間、彼は第六班に仮所属とする。第六班は彼に施設案内と業務指導を真面目に行うこと。私からは以上だ」
朝礼終了後、エールは一仕事を終えたような気分で肩の荷を下ろした。人前で注目を浴びるとどうにも息が詰まりそうになるのが彼の性分であり、自己紹介は何度繰り返したところで慣れる気がしなかった。けれど、今日の一大イベントはこれで片付いた。そう思うと途端に気が楽になった。
先程まで目の前に整列していた隊員たちは、既に各々の持ち場へと散り始めている。先程まで隣にいた隊長は、エールの肩に手を置いて、「習うより慣れろだ」とだけ言い残して早々に退室していた。やはり隊長ともなると常に忙しいのだろうかとエールが考えていると、突如として彼の鼻先に人間の横顔が出現した。反射的に距離を空けようとしたエールであったが、直角に振り返った人物に両手を引っ張られ、手を合わせる形で外から握り込まれた。
エールより背が高いその人物は、明らかに喜びに満ちた表情を浮かべていた。それがあまりにも満面の笑みだったので、エールは逆に怖気づいてしまい顔を引きつらせた。
そんな彼に救いの手が差し伸べられた……否、救いの手はアバンの側頭部をぺしんと叩いた。つまりはクレイルがアバンの耳を引っ張ることで、やや強引に引き離してくれたと言うだけのことだった。
アバンとクレイルの二人は、エールに名乗るだけの簡単な自己紹介をした後、早速、施設案内を始めていた。アバンは主な案内役を務めつつ、合間合間で二人に関する情報をエールに教えていった。エールは相槌を打ちながら、得たばかりの情報を口に出して整理する。
「なるほど。クレイルさんが班長。アバンさんが班員ですね。わかりました。ちなみに他の班員の方々はどちらにいらっしゃるんですか?」
「第六班に他の班員はいない」
クレイルの直球な回答がエールの思考を鈍らせる。
「他にはいない、と……え? いない? いないとは存在しないということだから……あー、それだと第六班は二名だけで構成されている班ということになりますよ?」
「大丈夫だ! それで合ってるぞ!」
アバンからも証言が取れた。残念ながら勘違いでも誤解でもなかった。
「しかし、先程の朝礼で見た感じでは、ざっと四十人以上はいらっしゃったと思いますが……」
「あそこにいた人数は守衛隊の総数ではない。だが第六班については俺たちで全員だ」
「……ちなみにですが、他の班はどのくらいの人数で構成されているのですか?」
「ばらつきはあるが……概ね十人以上、二十人未満だ」
エールの脳内に疑念が渦巻く。彼ら第六班は、実は隊内で爪弾きされているのではないだろうかと。まだ出会ったばかりであるために真偽の程はわからないが……もしそうだとすれば、一時的なことだとは言え、選りに選って周囲から浮いていそうな班に編成されてしまったということになる。
そんな風にエールが邪推していることを察したのか、懸念したのか、アバンが慌てたように補足を加えようとする。
「うちの班はこう……あれだ! ちょびっとばかし特別と言うか、例外と言うか……つまり! 他の班にはない役目を任されているわけだ! ……仕事はほとんど同じだけど」
アバンは独りでにしどろもどろになっていく。難しい話ではないのだが、適切な表現が出てこないようだった。クレイルはその様子を敢えて見ているだけであったが、守衛所の出口が見えてきたために、そろそろ助け船を出すことにしたらしい。
「丁度いい……そこを出てみればわかる」
三人が守衛所を出た先にあったのは、分厚い壁で囲われる王都内外を通行するための空間であった。
「あれを見てみろ」
クレイルが顎で指した先には巨大な門が開かれており、その手前にはこちらを見つめる巨人が佇んでいた。
エールは咄嗟に唾を呑んでいた。巨人は特に干渉してきてはいないのに、蛇に睨まれた蛙のようにぴたりとも動けなくなった気がした。しかし、意識せずとも口だけは動く。そうしないと呼吸さえも忘れてしまいそうであった。
「これが……噂に聴く……ゴーレム」
大きい……いったい、この巨人の背丈は自分の何倍あるのだろうか? 三倍……はないかもしれないが、二倍は優に越すだろう。シルエットは明らかに人間とは異なっていたが、腕、足、頭部などの人体構成を模した形状と二足歩行。筋骨隆々な大男を見たときに威圧感を感じることはあっても、これほどの脅威を感じることはなかった。
「うん? エール。もしかしてこいつを見るのは初めてなのか?」
アバンに問いかけられたことがきっかけとなり、エールはゴーレムに釘づけになっていた視線をようやく外せた。無意識に自分の顔を撫で擦った。自覚はなかったが、体が本能的に求めるほどに顔が冷たくなっていたらしい。
視界にアバンを映したまま、エールは彼の質問に答える。
「はい。僕は生まれも育ちもこの街なので……恥ずかしながら外に出た経験はありません」
それはこの街では決して珍しいことではなかった。その証拠とでも言うべきか、人の集まる酒場等では、毎日のように「マトン生まれは外界を知らぬ」というフレーズを誰もが耳にする。王都に住んでいる人間も、王都に滞在している人間も、王都の外で暮らしている人間も。
「なぁ、こいつが恐いか?」
ゴーレムを見るように言ってから暫らく口を出していなかったクレイルがそう問いかけた。
彼の視線を辿るようにして、エールは再びゴーレムを観察した。
ゴーレムをゴーレムたらしめている要素は、なにもその体躯の大きさだけではない。頑丈で重そうな岩石でできた全身そのものだ。エールは岩ではない部分を探してみた。小さめの頭部に埋め込まれた眼部の結晶。肩や肘、手首、膝などの関節部分の土……いや、おそらくは粘土のようなものであろう。他には……見当たらなかった。全身のどこにも軽そうな部位がない。もしもゴーレムの下敷きになろうものなら、人間など簡単に潰れてしまうに違いない。そんな大質量の塊だ。エールは人間で、ゴーレムは岩石の巨人だ。エールは己の本能が認めた答えを口にした。
「恐くない……とは、とても言えそうにないです」
「その気持ち、大切にしろよ」
「え、あ、はい」
回答を聴いたクレイルがなぜだか感慨深そうに囁くものだから、エールはすっかり困惑してしまった。
そのやり取りを隣で聴いていたアバンは、しばし唖然とした後で、足を一歩進めて二人に近づいてから大きな声を上げる。
「……ちょっと待とうか!? それはダメだろ! 珍しくボケたかと思ったらわかりづらすぎるわ! おいクレイル! エールが恐がったままになっちゃうでしょうが!」
「お前がそんな反応するなんて珍しいな」
「お前が言うな!」
エールはこの小さな応酬が第六班崩壊の始まりに結びつくような気がして、大きく息を吸った。
「第一、俺は――」
「あの! すみませんが! 次の場所に案内してくれませんか!?」
エールの心の声、もとい叫び声が空間内に木霊した。