ゴーレム君の守衛隊   作:志賀 雷太

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1章 4話 夕焼けの影

 

 太陽が沈み始めたころになって、二人はようやく守衛所への帰還を果たした。

 

 エールは全身から汗を垂れ流して、足を交互に引き摺るようにして歩いている。くたくたになるまで消耗したらしく、いまにもへたり込んでしまいそうだ。

 

 その一方で、アバンは額に汗を浮かべてはいるものの、まだ余裕しゃくしゃくと言った様子だ。とぼとぼと歩いているエールに応援の言葉をかけながら後ろ向きに歩いている。

 

 そんな二人を出迎えたのはゴーレムとクレイルの無表情組だ。

 

 クレイルは羊皮紙をじっと見つめていたが、二人の接近に気付くと、顔を上げて羊皮紙を携帯袋にしまった。

 

 近くで棒立ちしていたゴーレムも、彼の動作に釣られたように、二人の方へと振り向いた。

 

 二人ーーエールはそれどころではないがーーが声をかけるよりも先に、クレイルの方から声をかけた。

 

「戻ったか。随分と遅かったな」

 

「おう! まぁ、色々とあってな。でも、異常はなかったから安心してくれていいぞ!」

 

「了解だ。ご苦労だったな」

 

 クレイルは報告を済ませるアバンに簡単な労いの言葉を返してから、壁際にへたり込んだエールを困惑した面持ちで観察する。

 

「それにしても……新人はどうしてこんなに疲れきっているんだ……待っていろ、水を持って来てやる」

 

「あ、ありがとう、ございます」

 

 エールがお礼を言い終える前に、クレイルは守衛所に入って行ってしまった。

 

 彼が戻って来るまでの間、アバンはゴーレムに今日起きた出来事を聴かせていた。その様子を近くで聴いていたエールは、果たしてゴーレムに理解できるものなのかと訝しんでいたが、アバンの説明があまりにも大雑把であったがために、気付けば合間合間で補足を入れてしまっていた。当のゴーレムは、真剣にーーなのかはわからなかったがーー二人を凝視していた。そのせいなのか、エールは次第に、ゴーレムに話が通じているように思えて来るのであった。

 

 クレイルが水筒を持って戻って来たころには、エールの息切れはだいぶ落ち着いていた。ゴーレムに説明するという行為が、却って体を落ち着ける結果に繋げたのかもしれなかった。

 

 水筒を受け取ったエールは、早速、唾液が張り付いているせいで気持ちが悪かった口内を水で濯いだ。喉が潤されたので、時間の経過と共に、汗も段々と引いていくことだろう。

 

 数分が経ち、全力疾走はともかく、軽く走れる程度には体力が戻ったように感じたエールは、お礼を言ってクレイルに水筒を返した。それを受け取ったクレイルは、門へと視線を送った後、すぐにエールの方を向いてこう言った。

 

「そろそろ閉門の時間だ。閉め方を見ておくと良い」

 

「はい! 勉強させていただきます」

 

 エールは、言われたとおりに閉門の仕方を観察しようと首を捻った。

 

 今日はゴーレムを見たり、街の外を見たり、初めて見るものだらけの一日であったが、改めて考えてみれば、この門を見ることも初めての経験であると気が付いた。今になってようやく気付いた理由を考えて見れば、その答えはさほど難しいものではなかった。門は開かれている場合、ただの出入口でしかないからだ。自宅の門戸で考えれば、閉じているのが通常の状態で、開けるのは一時的なことだが、このような門ではその逆だ。ともすれば、ここを何回も通行したことがあるような者であろうとも、門の詳細は知らないことだろう。

 

 今は開門しているため、内開きの門は左右にわかれて、両脇の壁に寄り添っている。開口部の形状を見れば、門はアーチ状であることが一目でわかった。両脇に開かれている門の幅は、片方で約五メートル、両方を合わせた全幅では約十メートルといったところだろうか。この空間よりは一回り小さいが、それでも扉としてはかなり大きい。高さもそうだ。王都全体に関わる出入口であることを考えると、十分な高さがあって然るべきで、実際、ゴーレムが悠々と動いていても問題ないだけの高さがあった。

 

 また、その大きさに圧倒されて気づくのが遅れたが、片方の門には小さな扉がついていた。子供が通るには十分かもしれないが、大人が通るには億劫になりそうな大きさだ。取っ手などは見えるところにはないので、いま観察できていない反対側、つまり内側の方についているのかもしれない。閉門状態でもちょっとした出入りならできるようにしているのだろう。

 

 門の表面には光沢があり、遠目から見ても金属製であることがわかる。ただ、門の厚みが五十センチメートル前後はあるようなので、容積を鑑みると、門全体が金属製だとは考えにくい。ただ、材質が何であろうとも、あの巨大さだ。とてつもなく重たいに違いない。どのように動かすのだろうと思案すれば、答えはすぐに見つかった。開口部から両脇の門にかけて、床に円弧状の溝があった。その内部までは見えないので分析は不十分だが、なんらかの方法であの溝を利用するのだろう。その方法というのが、クレイルの言っていた閉め方なのかもしれない。

 

 エールは門から人に注目を移した。開かれた門の近くには数人の隊員が立っており、おそらく彼らが閉門を担当するのだろう。彼らは門の両面を確認してから外へ出た。今度は付近の様子を確認しているようだった。

 

そのような作業風景を眺めていたエールは、不意に違和感を覚えた。確認作業に当たっている彼らや、その付近ではない。もっと、そう、もっと遠く……門の開口部が切り取った景色の中に、夕焼けで赤く染まった世界の中に、黒点が見えた。立木や石の影ではない。多少揺らめきながら、徐々に大きくなっているように見えるそれは……そうだ、人の影だ。それも一つではない。数が多いうえに、重なっているために正確な数はわからないが……数十人はいるだろう。馬車のような目立った特徴はない。あれほどの集団が街と街の間を徒歩で移動する……あり得ないとまでは言わないが、一般的とも思えない。風体を確認しようにも、夕焼けが彼らを黒に染めている。

 

 水分を補給したばかりの喉が、早くも渇きを訴え始める。嫌な予感が焦燥感だけを活発にさせる。まるで考えがまとまらない癖に、脳は今日の出来事を思い起こす。

 

 ーーエールがなにか持ってるんじゃないのか?ーー

 

 アバンにそう言われた時に自覚したことは……己の不運だった。

 

 ただの杞憂で済んで欲しい……エールはそう祈りつつ、恐る恐る、呟くように、声を絞り出した。

 

「あ、あれは……なん、でしょうね? しゅ、集団が……門の……向こうに……」

 

 その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 

 たくさんの小さかった影が、急速に拡大速度を増したのだ。

 

 いよいよ、悪い想像が現実味を帯びてきたとエールが認めざるを得なくなったころ、外の様子を確かめていた隊員から異常を宣言する大声が上がった。

 

「伝令! 二十人あまりの武装集団が接近中! 到着までは……目算でおよそ一分! 閉門は間に合わない! 至急、報告と応援要請を頼む!」

 

 その一報は、その場にいた全員の耳に届いた。指示内容では誰も指名されてはいなかったが、守衛所の入口に最も近かった隊員が即座に椅子を立ち上がり、守衛所の中へと駆けて行った。同時に場が騒がしくなり始めるものの、それらは騒然とした音ではなく、むしろ沈着の音色だった。街側にいた隊員は避難を呼びかけに動き出し、検問担当の隊員たちは大切な書類などをかき集めて守衛所内に運び込む。不幸中の幸いは、通行中や検問中の一般人が丁度いなかったことであろう。

 

 そのような状況の中で、ただ一人、自分だけが動揺していることにエールは戸惑っていた。

 

 そんな心境を見破られていたのか、あるいは別の理由か、視線は外に向けたままにクレイルが指示を出す。

 

「第六班、戦闘体勢。エールは守衛所内に退避しろ」

 

「……ぼ、僕も戦います!」

 

 明らかに震えていた手を背後に隠して、エールはそう主張した。非常に不安定な精神状態ではあったが、確立したばかりの意志を手放したくはなかった。

 

 クレイルはエールの方を一瞥してから、ただただ冷静に、短く、簡潔に、状況を告げる。

 

「自分の体調を自覚しろ。これは実戦だ」

 

 そう言われて思い出す。突然の異常事態のせいで、体力を消耗していた事実をすっかり忘れていた。握り拳を作ってみても、その力はとても弱々しいかった。

 

「しかし……」

 

 それでも、エールは彼の指示にすんなりと従うことはできなかった。エールが抜けてしまった場合、この場の戦力は第六班の二名、閉門担当の二名、検問担当の四……三名、警備担当の……三名で、延べ十名。応援が間に合うかわからない中で、二倍以上の数を相手取らねばならない。だから、疲労が溜まって大した戦力にならないと理解していても、人数差を少しでも補うべきだと考えずにはいられなかった。

 

 エールは、まだ付き合いの浅いクレイルの人物像を把握できていない。しかし、彼が言わないでくれている、もう一つの本心を薄々察することぐらいはできた。自分を気にかけたままでは、第六班は全力を振るえず、結果として全員の危険度が高まるということを。それでも、引けないと思った。愚かで最悪な選択をしようとしている自分に嫌悪感を抱きつつも、それ以上に、心の中で静かに誓ったばかりの決意を破らざるを得ない嫌悪感が上回っていた。第三者からすればちっぽけに見えるのかもしれない葛藤であるが、エールにとってはこれまでの人生の中で最も大きな葛藤であった。

 

 クレイルとアバンはその様子を見兼ねたようで、二人は示し合わせたようにエールの両肩にそれぞれ手の平を置いた。そこから伝わる体温は、今のエールには気持ち良く感じれる冷たさがあり、自身の熱が下がっていくように感じられた。

 

 エールが顔を上げると、二人もエールの顔を見ていた。真剣でありながらも、不安をまるで感じさせない表情だった。

 

「悪いが問答をしている時間はない」

 

「安心しろって! 俺たちには最強の味方がいるんだからさ!」

 

 アバンが後ろ指で示した先の、その大きな大きな後ろ姿を見て、エールは今日一番の安心感を覚えた。それと同時に、自分が大きな誤解をしていたという事実に気が付き、彼に自分の誤りを伝えたくなった。けれど、わかっている。それは今ではない。大丈夫。焦ることはない。決意が消えたわけではない。前を向くことと、がむしゃらに走ることは、全くの別物だ。挽回のきっかけは既に与えられたのだ。それは長い人生の中で果たしていけば良い……。

 

 彼らに任せること、今すべきはそれだ。

 

「皆さん……ご武運を!」

 

「ああ」

 

「任せとけ!」

 

 敬礼するエールに二人が頷き返す。彼が守衛所内に走り去った時には、二人は得物を抜いて敵を視界に収めていた。

 


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