集団が駆けてくる音も聞こえる。敵はもう、すぐそこまで迫っていた。
「ゴーレム。先手を打て」
クレイルがゴーレムの背後から指示を出すと、ゴーレムはその巨体に見合わぬ俊足で門から飛び出した。ゴーレムが通過して行った空間では、空気が荒れ狂い、振動が隊員の足を揺らした。
門付近で待ち構えていた隊員たちは、その大揺れを堪えるのに精一杯であったが、しかしてそれは、大多数の敵を前にして行動と外面はともかく、内心では緊張していた隊員たちを勇気づける効果があった。
そんな隊員たちとは反対に、武装集団ーー賊たちの眼前には、人体をいとも容易く破壊する岩石の巨腕が大きく映し出された。
今回は賊の人数こそ多いが、人の身ではゴーレムを倒せない。だから……ここで隊員たちは違和感を覚えた。通常、ゴーレムを差し向けられた賊は、その圧倒的な巨体に戦慄して、足を竦ませてしまうものだ。しかし、今回の賊はどうだ? 接近速度は緩やかになったが、前例どおりの怯んだ様子ではない。そして、この距離まで近づかれていれば、窺いづらかった彼らの顔色も確認することができた。恐怖に呑まれたような表情を浮かべる者は……誰一人としていなかった。
その状況を把握した隊員の頰に冷や汗が流れた。
こんなことは初めてであった。彼らがただの命知らずの狂人であれば、恐ろしくはあってもまだ増しだと思えた。しかし、もしも彼らが正常な判断をできる人間なのであれば、ゴーレムを倒す、あるいは無力化するような、なにかしらの勝機を見出しているに違いない。
別の隊員は、まだそのような考えに至っていないのか、または信じたくないのか、まるで悲鳴のように侮蔑の言葉を叫んだ。
「馬鹿かあいつらは!? 捨身で突っ込んでくるつもりか!?」
「気を付けろ! きっと無策じゃない! なにかある!」
予感は、すぐに確信へと変わった。
驚愕を隠せない隊員たちの前で、賊の一人が、ゴーレムに向けて何かを投擲した。それは二秒ほど空中に弧を描いて、その後、ゴーレムの腹部にぶつかった。その瞬間ーーそれは強烈に炸裂して、この場にいる誰にも聞き覚えのない爆音を轟かせた。
ゴーレムに遮られたため、隊員たちに被害は出なかった反面で、彼らはなにが起きたのかを具体的に把握することができなかった。ただ、賊が投擲した何かが爆発ーーではなく、爆裂したことだけが理解できていた。
ゴーレムは正真正銘、岩石の塊だ。それは即ち、耐性も岩石と同じであるということに他ならない。よって、ゴーレムが耐えられたかどうかは、爆弾の威力や当たり具合に依存する。隊員たちは被害状況を確認したかったが、爆心地は煙幕に包まれており、ゴーレムの安否は知れずにいた。
隊員たちが警戒したまま動けずにいると、一人が掠れ声で呟いた。
「……もしかして、これが噂に聴く、徹甲手榴弾? そうだとしたら、なんであいつらがそんなものを?」
その疑問に答えられる者はおらず、呟きは砂塵混じりの風に流されて行った。
直後に、向かい側から歓声が上がった。それを聴いた隊員たちは、事態が悪い方向に動いていることを一斉に悟った。誰かが唾液を飲んだ音が不自然なほどに大きく感じられた。あるいは、それは自分の喉が鳴らした音であったのかもしれない。
最早、誰もが理解していた。これは例を見ない異常事態だ。
だがしかし、想定外の事態に直面しても対応できるように訓練を積み重ねて来たのが守衛隊だ。故に、彼らは気力を失いはしなかった。全員が得物を強く握り直し、煙幕が晴れた瞬間に押し寄せるであろう、賊の群れを迎え撃つ覚悟を固める。
人数の不利を覆す切り札は失われた。守衛隊の不利は確定し、防衛方針は大きな修正を余儀なくされる。本来であれば、この門を突破されないよう努めることが彼らの任務であるが、このような状況になってしまった以上、今、彼らにできることは、賊を一人でも多く街に入れないことだ。
幸いにして、近場にいた人々へは隊員の一人が避難勧告を行なっている。しかし、それだけでは人手が足りないので、仲間たちがここへの応援に駆けつけると共に、避難勧告の方にも手を回していることを祈るしかない。また、先程の轟音は、守衛所どころか街の中にまで届いたはずだ。勘の良い人々が事態の深刻さを予感して、自発的に避難を始めてくれていれば最高だ。隊員たちは歯痒くて仕方がなかった……そのようなことを最高と思わざるを得ない自分たちが。
ただそれでも、彼らはせめてもの役割を全うするべく、街の入り口に立ち塞がり続けた……。
煙は徐々に薄れていく。
灰色だった煙が己の色を忘れる前に、その中から得物を振り上げた荒くれ共が次々と飛び出し、隊員たちに襲い掛かってきた。
剣、短刀、手斧……あらゆる凶刃の雨が、隊員たちを横殴りに打ち付けた。大小まぜこぜの雨粒は、急所に構うことなく、全身へと降り注ぐ。そんな無秩序極まりない暴風雨を、彼らは懸命に捌いていく。
次第に雨粒は量を増し、波へと変化する。
彼らは怒涛の如く押し寄せるそれらを、ただひたすらに捌き続けた。受け止めてはいけない。自分の得物が塞がれてしまえば、数の差で押し切られ、荒波に呑み込まれてしまう。だから、彼らの立ち回りは必然により統一されていた。
左右から同時に切りかかられないように、仲間と連携して、夕焼け色に染まった雨を受け流す。
通り抜けていくそれらを捕らえたくなる気持ちを必死に抑え込み、この正念場を凌ぎ切ることをなによりも優先させる。
受け流そうとした自分の得物と腕が、力任せな強打で弾かれる。その隙に繰り出された一撃は、籠手で横っ腹を打ち払えたが、代償に腕が悲鳴を上げた。
皆が皆、死力を振り絞った。
血液が目まぐるしく循環し、沸騰した湯気で視界と思考が充満しそうになる。
交戦を始めた直後からそうであったが、戦況を把握しながら戦えている者はいなかった。いま、何人の賊に通過され、何人の賊と戦って、何人の仲間が無事に立っているのか……知りたいことはいくらでもあったが、知らずにいることが生存に繋がる。そして、自分の体がどれだけ持ち堪えられるのかが最も重要な情報で、だからこそ測ってはいけなかった。限界を悟ってしまえば、体力が、気力が、尽きてしまうから。
だからーーこの結果は必然だった。
落ちた剣が石畳を打った。それは賊の得物であったのか、隊員の得物であったのか、とにかく剣は小さく跳ねて、からんからんと音を鳴らす。ここが戦場でなければ周囲にも届いていたであろう、小さくも印象的な音だ。剣は弾力性を持たない。すぐにエネルギーを失い、静止するだろう。
衝突する金属音。四十を超える足音。言語を放り捨てた雄叫び。
「気張れやボンクラ共! 隊長である俺の前で、無様な姿を晒すんじゃねえ! わかったか!」
戦場に乱入した馬鹿でかい大声は、全ての音を打ち消して、全ての時を一瞬だけ止めた。ただ、静止寸前の剣が密かに震えたことを除いて。
一喝を受けた隊員たちは、疲弊した体に鞭を打つ。腹からひねり出した応答は、タイミングも声量もきっちり揃っていた。
その一方で、賊たちはなんの反応もできずにいた。隊員たちを一方的に蹂躙していた彼らが呆然と立ち尽くしている姿は、正にボンクラを体現していると言って良いだろう。所詮彼らは烏合の衆であり、組織力の欠如が著しかった。
他にも要因はあれど、これが決め手となった事実に相違はない。
このようにして、盤面は翻った。
門周辺の戦闘は終結を迎え、その場にいた賊たちは捕縛された。
守衛隊の勝因は三つ。一つは、隊長に鼓舞された隊員たちの反攻。二つは、要請していた隊員側の加勢。三つは、街への侵入を許してしまった代わりに、交戦する賊の人数が減ったことだ。
捕縛者の人数は十名……つまり、半数以上は街に侵入してしまった計算となる。
なればこそ、彼らには己の不甲斐なさを嘆く余裕も、反省する暇もなかった。
現状は、後から参戦した無傷者が主となり、全員の怪我の具合を確認しているところであった。あれだけの死闘を繰り広げながら、五体を失った者も、命を失った者もいない。成果はともかくとすれば、この結果は彼らの奮闘と訓練の賜物であろう。
過ぎ去ってみれば、あの夕焼けに染まる豪雨は一分に満たない間の出来事であったらしく、いつ終わるともわからなかったのがまるで嘘のようだった。
剣を鞘に納めたアバンは、一息吐いた後、体を軽く動かすことで己の体に大事がないことを確認した。次いで、壁を背にして座り込んでいるクレイルに近寄って、その足元にしゃがみ込んだ。彼の肩は大きく上下しており、呼吸も荒かったが、急ぎ止血が必要となるような大きな傷は見当たらない。この様子はおそらく、身体的疲労と精神的疲労の両方によるものだろう。
アバンは安堵の溜息を吐いた後、感心したような声を上げた。
「お前、凄く弱いのによく無事だったな!」
クレイルはぜいぜいと呼吸をしながら、切れ切れに言葉を返す。
「それ、皮肉みたく、聞こえるから、止めろ……あと、そのためにお前が、いるとは言え……ありがとよ、おかげで、助かった」
「おぉ、素直に感謝された。気持ち悪りぃ」
「はぁ、はぁ……後で……覚えておけよ」
「安心しろって! こんなどうでもいいこと、すぐに忘れちまうから!」
「よくわかった……お前を不倶戴天の敵と認めよう」
二人のやり取りを見ていた隊員たちは、苦笑を浮かべてこう思っていた。この状況下で漫才を始められる神経が、羨ましくも恐ろしい、と。
そんな彼らの心境などお構いなしに、退避していたエールが二人のもとへと駆け寄った。
「アバンさん! クレイルさん! 無事だったんですね! 本当に良かったです……」
涙が目尻に溢れそうになっているエールを見た二人は、反応の大きさにこそ違いがあったものの、息を合わせたかのように一斉に吹き出した。エールからすれば、彼らの反応が面白くないのは当然のことであった。
「あっ! なんで笑うんですか!? 人がこんなに心配しているのに!」
「すまんすまん! でも、なんだか面白くてさ!」
「それ……全く言い訳になってないですからね?」
楽しげに謝罪するアバンを半目で睨みつけるエールに、呼吸が落ち着いて来たクレイルが声をかける。
「俺たちは平気だ。ただ、数か所に切り傷を負っている。行動への支障はないが、放置も不味い。手当を頼めるか?」
「あ、はい! 任せてください……って、露骨に話を逸らしましたね? まぁ、そんなことより手当が優先ですから、別にいいですけど、いいですけれども!」
退避中に、エールは隊員たちが怪我をする事態を想定したようで、応急手当の準備を万全にして来ていた。道具を取り出しながら怒るという、非常に器用な姿を見て、今度は気付かれないように、二人は声を出さずに小さく笑った。
エールがクレイルの手当に取り掛かり始めた頃合いに、隊長が怒声と間違えてしまいそうな大声を飛ばした。
「治療中の者はそのまま手を動かしながらで良いので聴くように!」
安心感と英気を分かち合っていたざわめきが、ぴたりと止んだ。
「悪いが、お前たちを労うのは全てが片付いた後だ。まずは現況を知らせる。街への避難勧告について、これは俺たち加勢組が武装している間に、第一班を先行させた。住民たちに近場の建物へ避難するように指示を出すとともに、もしもの事態を考えて治安維持隊にも伝令を走らせた。街はあちらさんの管轄だからな。だがしかし、諸君ならば当然予想済みのはずだが、これは我々の失態であり、それでいて一刻を争う状況だ。よって、これより我々は、残党の討伐を開始する!」
その発令に、治療中の隊員以外はすかさず返事をした。
隊長は頷いて、続いて作戦指示を行う。迅速かつ巧妙に包囲網を敷いて、賊たちを囲い込むことだ。
「すでに街に入られている以上、今回はいつもの防衛任務とはまるで違う。守るべきは、街ではなく市民一人一人だ。被害を最小限に抑えるためには、討ち漏らしは厳禁、かつ、迅速な解決が求められる。よって、我々は包囲網を敷き、賊を広場に囲い込む」
クレイルの手当が終わり、エールは続いてアバンの手当に着手する。
「では、役割を分担する。第三班は捕縛担当だ。捕縛用装備を整え次第、ポイントへ急行せよ。第四班とアバンは追跡担当だ。外周からポイントへ向かって敵を追い立てろ。ただし、予想外の動きをされないように、なるべく交戦は控えろ。第五班は防衛担当だ。至急閉門さぎょ……いや待て、先程到着されたばかりだったな……クレイル、サナール氏にゴーレムを診てもらえ。第五班はその修復作業の手伝い、その後に閉門作業だ。その間は誰一人として通行を許すな」
隊長は少しの間、額に手を当てて思案する。そして、見逃している点はないと判断したのか、息を大きく吸ってから開口した。
「以上だ! 諸君らの働きに期待する! それでは総員、行動開始!」
号令と応答が空間を満たした。直後から、隊員が各々に行動を開始して、場は一気に騒がしくなったが、統率の取れた動きに、やかましさはなかった。
背後を通った隊員が街に向かって走り出した時に、エールが両手をぱちんと打ち鳴らした。
「はい! アバンさんの手当も終わりました」
「ありがとな! それじゃあ俺は行ってくるぞ!」
「ああ、行って来い」
「お気をつけて!」
アバンは街へと振り返る前に、二人の顔を眺めた。クレイルはこんなときでも表情を変えない。エールは心配そうに眉をひそめている。アバンは反射的に、温かな吐息を漏らした。それから振り返って、他の隊員に混ざり、街へと駆け出して行った。
エールは暫しその背中を眺めていたが、はっとしてクレイルの方へと振り返った。
「あの、クレイルさん!」
ーー僕は何も指示されていませんが、どこに参加するべきでしょうか?
そう尋ねようとした。
「お前は第三班に加われ」
「えっ!」
エールは驚いた。まだ本題には一切触れていなかったのに、自分の質問が先読みされていた。
「それとなくわかる。働きたいんだろう?」
いや、それだけではない。状況証拠だけでは、この言葉は出てこない。更新したばかりの自分の姿を、このほんの少しのやり取りの中で、見抜いたとでもいうのだろうか。その真偽のほどは不明であったが、しかし確かなこともあった。心の内を読まれたというのに、そこには不思議と、なんの不快感も存在していなかった。
だから。
「はい」
その簡潔な返事に、返答以外の気持ちも込めた。さすがにこれは伝わっていないかもしれないが、それでも良いのだ。
クレイルは相変わらず表情を変えない。ただ、顔と視線で方向を示し、指示を出すだけであった。
「あっちだ……あそこで指揮をしているあいつが三班の班長だ。俺に指示をされたと伝えろ。以降は第三班の指示に従え。それでいいか?」
「……はい! 行ってきます! 班長!」
連投はここで中断です。
この後の5話分は書けているのですが、それらは推敲がこれからなので、続きはしばしお待ちください。(1章5話投稿時点)