ナイチンゲールは支えたい   作:織部よよ

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かつて彼らは比翼の鳥……すなわち一眼一翼、相互補助をしないと宙に上がることすらままならない存在だった。

しかし、今は違う。それぞれもう片方の眼と翼が出来た、もう何の制限もなく飛べる存在になった。


____故に彼らは、己の翼で自由に大空を羽ばたいていく。

自らの意志で、互いに寄り添って。





最終話。どうぞ最後までお見守りくださいませ。







#LAST 比翼の小鳥

 

 

 

 

 

「リズ、君の足が治るんだ!君はもう一度、自分の足で歩くことも走ることも出来るようになるかもしれない!」

 

「………え?」

 

 

 

 

 

19時。

 

会議先から帰ってきて、ケルシーへの報告もおざなりに真っ先にリズのところへと向かった。幸い彼女は現在割り当てられている秘書用の部屋にいたので、丁寧に室内へと足を踏み入れる。

 

彼女の姿を視界に入れた瞬間、高揚に任せて先に高確率で訪れる未来(希望的観測)のことを彼女に伝えてしまっていた。

 

 

「……そ、れは……一体……」

 

「あっ、ああ……すまない。少々はしゃぎすぎてしまった」

 

 

前触れなく彼女の手を握りしめてしまっていたことに数瞬遅れて気が付き、慌てて手を放す。それに伴って私の弾んだ心も一旦冷静さを取り戻したようで、1つ深呼吸を挟んで改めて彼女に向きあう。

 

 

「……さて。どこから話そうか……そうだリズ。もし君の足だけがほぼ完治してまた自由に動かせるようになる方法があるなら、君はどうする?」

 

「……そのようなことが、あり得るのですか?」

 

「ああ。前の私の知り合いに細胞をメインに研究している医療機関の研究員がいてだな。そこが開発し以前から研究を重ねていたとある細胞が、君の足を治すのに一役買ってくれるかもしれないんだ______その名も、多様変化型適応性万能幹細胞。我々は単に『万能細胞』と略しているが」

 

「……それは、どのような?」

 

 

リズの返しを受けて、カバンから今日の会議の資料をまとめた書類を取り出し机に置く。

 

 

「ずばり、体の任意の部分の細胞の中にこの細胞を導入・培養することで、その部分の細胞と全く同じ細胞に変化し増殖していく。再生医療への画期的かつ極めて有効な手段だと言われていて、リズのその足にも適用できるかもしれないということで臨床を兼ねて譲り受けることになったんだ。今回は足の神経細胞に混入させることで再生させる手立てとなっている」

 

 

先ほどからリズは固まったままだ。唇が震えている。

 

 

「………私は、また歩けるようになるのですか?」

 

「万能細胞の働きについては、神経系への効力含め一定の結果が出ている。全く不可能じゃない」

 

「……貴方の隣で、どこまでも羽ばたけるのですか?」

 

「すぐにとはいかないだろうが、十分にあり得るだろう」

 

 

そう言うとリズは一瞬顔を伏せ、考えるような動作をする。あまり時間を置かずに顔を上げると、その目には決意が漲っていた。

 

 

「その話、お受けいたします」

 

「……ありがとう、君ならそう言ってくれると思っていた。さっそく先方に承諾の意を伝えよう」

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

「え、リズさんの足が治るの?」

 

「その可能性が高い、ということだそうです」

 

「もし本当にそうなれば、今よりも遥かにいろいろな所に行けますわね。手術はいつ頃になりますの?」

 

「ええと……最短で1週間後だな。まあうちにとっても重要なオペレーターだ、それなりに優先される事項なのだろう」

 

 

あの後、とりあえずお茶を淹れようという話になり執務室へ向かうと、ちょうどそのタイミングでプラチナとアズに出くわした。そんなこんなで計4人分のカップに淹れ、茶菓子も用意し、リズの足のことについて軽く説明したのだ。

 

まあ、最短でということなので実際いつになるかはわからないが。

 

 

「……んでも、リハビリとかあるんでしょ?すぐにってわけには行かないよね」

 

「そうだな、まあそこは仕方ない。リズが十全に走れるようになるまでと考えたら数か月程度我慢はしてやるさ」

 

 

初めに向こうに____××大学医療研究機関に連絡してからはや数ヶ月。やっと私の目標が叶うんだ、もう少しくらい待ってやる。

 

 

「どのみち私たちにはやることがない。後はケルシーら医療チームに任せるしかないさ」

 

「そうですわね……わたくしも毒素の除去こそ一助となりましたが、細胞については専門外ですから」

 

「私は元よりだね。その分、無事に治ったらうんと祝わなきゃ」

 

「そうだな。それはもう盛大にやろう」

 

 

近い将来の楽しいことを考えつつちらりとリズを見やる。しかし当の本人は、顔に色濃く疑問を表していた。

 

 

「どうした、リズ?何か心配事でも?」

 

 

しれっと私の手を不安そうに握ってくるリズに訊ねてみる。

 

 

「……私の体は、多くの病魔に侵されていると聞きます。このまま他のものも快復すればいいのに……と、過ぎた望みを抱いてしまうのです。貴方のお傍に、長くはいられないと思うと……不安で……」

 

「……確かに、現状のままでは難しいかもしれない。しかし、ここに集うのは世界的に見てもトップクラスの実力を持つケルシーやワルファリンを筆頭とする、様々な医学に精通したものたちだ。きっと……きっと、君は死ぬことなく生きながらえる。私はそう信じている」

 

 

重ねられた右手の上から更に己の手を重ね、安心させるようにゆったりと撫でる。随分と不健康そうな手が彼女の白くしなやかな手の上で往復しているのを見て、恐らく絵面的には逆の方が良かったのではないかという邪念が一瞬頭をよぎった。

 

少しばかりした後、手を放しついでに頭も撫でる。

 

 

「……私も同じだ。君がいなくなるのはとても寂しい。生きる価値すら喪失してしまいそうなんだ……この手が、髪が、君の存在が私を繋ぎとめてくれるのだから」

 

「……クラヴィスさん……」

 

 

自然と近くなっていく私たちの距離。いつかのように、あるいはいつものように並んで寄り添う。すっかり、これが私たちにとってのリラクゼーションのような行為になっていた。

 

 

「……ちょっと、いちゃつくのはいいけど私たちの目の前でされると流石に……」

 

「ふふ、仲が宜しいのはこちらも嬉しくなりますわね」

 

「………ん?どうかしたか、2人とも」

 

「いーや、なんでも」

 

 

……まあ、仲が良いかと言われたら自信をもってそうだと言えるが。別に変なことはしてないと思う。リズも不思議そうにきょとんとしているし。

 

 

「……無自覚って怖いね」

 

「まあ、何のことを言っているかはいまいち理解出来ていないが……ここからリズは忙しくなるぞ」

 

「心得ています……ですが、それを乗り越えればきっと開けた景色が見えるはずですから。精進しましょう……」

 

 

うむ、そうでなくてはな。とりあえず今日のところはもう夜も遅いし、茶会もそこそこに休んでしまおうか。

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

「____以上だ。何か質問のある者はいるか?…………いないようだな。それではこれでカンファレンスは終わりだ。各位当日まで備えるように」

 

 

終了の言葉を告げ、会議室から足早に去る。

 

今回のナイチンゲールの手術の主治医は私が務めることとなった。難易度が比較的高いものであるため適任だと自分でも思うが、私の心中は複雑な感情が渦巻いていた。

 

 

____よりによって、()()からあんなことを頼んでくるとはな。

 

 

正直な話、最初にクラヴィスから「ナイチンゲールの足を治してほしい」と進言されたときは9割がた無視しようと思っていた。彼奴からの言葉だし、ナイチンゲールの足に関しても特段憂慮する必要はないと判断していたからだ。

 

しかし彼奴は具体的な手段を提示し、万能細胞の提供先も取り付け、後は本人の意思確認だけというところまで持ってきて私に要求を突き付けた。まるで記憶喪失とは思えないような整然とした内容……算段が付くのなら無視しないわけにはいかない。

 

そうして精査した結果、十分に成功する可能性があると判断し医療チームで担当することを告げたんだ。

 

 

 

 

 

_____彼奴は変わった。

 

チェルノボーグで目覚めてからは、ほとんど死人のような雰囲気で激務をこなしていたと聞く。数度会話してもまるで感情らしい感情など感じられなかったことから、確定的だろう。

 

ナイチンゲールが秘書として任命されたときは何かの冗談かと思ったな。過程は違えど同じ記憶喪失、何か思うところでもあったのだろうかとかすかに思ったくらい………だが、そこからだった。そこから彼奴は変わっていったように思える。

 

 

今や彼奴は、以前とは見違えるほど人間味に溢れている。私の言葉を信用しなかった前の彼奴とも違う、別に確固たる人格を作り上げたのだろうか。

 

確固たる人格と言えば、ナイチンゲールの変化にも私はただ驚嘆するしかない。鉱石病の他にも目を覆いたくなるほどの疾患を抱えている彼女は、当初は自我すらも喪失していた。受け答えこそ最低限するが、はっきり言えばただそれだけ。人形と言った方が適切ですらあったかもしれない。

 

 

____それが、どうだ。

 

 

定期健診を重ねるにつれ、彼女は明らかに変革していった。感情が豊かになっていった。人間味が増した____“人”になっていった。

 

クラヴィスがそれに関わっていると聞いた時は、流石に目から源石が零れ落ちたかと思うくらいに衝撃を受けたものだ。彼奴が、よりによって彼奴が。

 

それから彼女と対話をするときにはなるべく注視するように心がけて接したが、非常に重い病に侵されていても、鉱石病が未だに治らなくても。まともに歩行すらできずとも……ナイチンゲールの感情が偽物のものとは、どうしても思えなかった。

 

 

「……彼奴も、そしてナイチンゲールも。変わったのだな。似た者同士、というやつか……」

 

 

長い生、何が起こるか分からないものだ。

 

そうこう思いにふけっているうちにとある部屋へとたどり着く。中に入ると、ちょうど今考えていた人物が私を待っていた。

 

 

「……ケルシー先生」

 

「待たせたな、ナイチンゲール……それでは今から、先ほどのカンファレンスの内容を伝える。何か分からないことがあればその場で質問するといい」

 

 

「はい、ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「__以上だ」

 

「ありがとうございました、ケルシー先生………申し訳ありません、私の治療に手を貸していただいて」

 

 

ナイチンゲールがあまり浮かない表情を浮かべている。少し前までの彼女なら、そんな些細なことにには何も反応を示さなかっただろうに。こうして直に会話するのは初めてではないが、いつまで経っても慣れる気がしない……私にしては、珍しく。

 

 

「別に君が気にすることじゃない。1人の医者として、患者の容態が回復するのは喜ばしいことだ」

 

「……それでも、です。私は知識と力を持ちながら、それを自分に生かすことの出来ない状態なのですから」

 

「……礼ならクラヴィス(彼奴)に言ってやれ。私はただ医者としての責務を全うするだけだ」

 

 

ただ純然たる自分の心持を言っただけなのに、ナイチンゲールは何故か口元に笑みを浮かべていた。何か可笑しかったか。

 

 

「どうかしたか」

 

「……いえ。ドクターにこの先どうお礼を尽くして差し上げようかと、場違いな考えが頭をよぎっただけです」

 

「……そうか」

 

 

__少しくらいは、信じてやってもいいのかもしれない。ナイチンゲールをここまで見違えさせた彼奴を。自身も大きく変革した彼奴を。

 

 

「……今回は、細胞を混入させてきちんと増殖するまでが手術だ。成功率はそれほど低くはないが、100%ではない。頑張ることだ」

 

 

そんな馬鹿らしい感情が一瞬湧き出たが、すぐに頭の中のごみ箱に投げ捨てた。

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

あれからというものの、一気にロドスは(主に医療チームが)慌ただしくなった。メンバー総出で準備をしているらしい。私の時とほぼ同じ面子だというのだから、本当に彼らには頭が挙がらない……それに対して、私とリズはそれをただ執務室で度々知りながらゆったりと(前よりも控えめになった激務をこなしつつ)過ごしているだけ。当事者と言えど、その前に患者であるリズも特段何か準備に加わるということもなく、ただ運命の日を待ち続けていた。

 

 

 

 

 

そして、1日前。

 

 

 

 

 

「……いよいよ明日だな」

 

「そうですね………未だに、現実感がありません」

 

「誰しもそういうものだろう」

 

 

すっかり私にとってもリズにとっても定位置となった執務室のソファ。いつもの通りに座り、ゆるやかな空気を過ごしていた。当然、会話のトピックは明日の手術のこと。

 

リズの運命すら変える大きな大きな日がすぐ目の前に迫ってきているのにこんなに普段と変わらぬ日常を過ごしているのは、一周回って正常なんじゃないかと思えてきたほどだ。

 

 

「……クラヴィスさん。もし……もし、明日の手術が……細胞の増殖がうまくいかなくて、私の足がなくなっても……お傍に置いていただけますか?」

 

 

おもむろに、そう呟くリズ。

 

………そんな今にも鳥籠に閉じこもってしまいそうな眼はやめてくれ、と言葉にする代わりに、そっと彼女の細い腰に手を回し抱擁した。

 

それだけで私の感情が伝わったのか、力を抜いてこちらにしなだれかかってくる。

 

 

「……こういうことだ。君が羽ばたけなくなっても、私が君を連れ出そう……私たちに今できることは、ただ信じることだけ……」

 

「………そう、ですね」

 

 

私のそれとはまったく異なる、小さく細い腕が私の背中におずおずと回される。必然的に密着具合も増す。リズの体温と甘やかな匂いが直に感じられて、私の心に薄々貯まっていた不安も溶かされていくようだった……人肌の温もりは、ひどく落ち着くものだな。

 

 

「……あと数時間くらいこのままで……」

 

「それは……少しばかり多いと思われます……ですが、もうしばらくこうしていたいです……」

 

 

不安が読み取れる声音で更に体重をかけてくるリズを胸で迎え抱き入れる。そっと手入れされた髪を撫でようと後頭部に手を回す。リズが気持ちよさそうに息を吐いた。

 

 

………やはり、そうだ。

 

確かに私は他人としてリズのことをとても大事にしているし、彼女と過ごす時間は好きだ。それと同じくらい、プラチナやアズも加わった4人での時間も大事。

 

だが、プラチナやアズに向ける感情とリズに向ける感情は性質が異なるものであることが最近分かってきた。具体的に言えば、前者がオペレーターの枠を超えて大切に感じているのに対し後者はその上、アーツをあまり使わせたくないだとか、他の部分の心配や不安もまとわりついてくるような。

 

 

 

 

 

………リズに向ける感情は、どう考えてもいち他人に向ける感情の量を超えている気がする。これはつまり……そういうことなのだろうなあ…。

 

「……」

 

 

サラリ、とふわふわの金髪を一撫で。

 

 

よし、言おう。

 

 

即決だった。

 

 

勿論、互いに互いの存在というのは共通認識だろう。だが敢えてそれを感情にし、言葉にすることが大事なのだろう。そう意識した途端に、思わず口から無意識に言ってしまいそうな感覚に陥る。さながらふるいにかけた砂糖のように。

 

しかし、今ではない。恐らくリズの足の手術が成功し……てから先、リハビリが済んで完全に1人で歩けるようになったときかな。いろいろと予定を済ませて、落ち着いたところで。それがベストだろう。

 

 

だから……必ず、治ってくれよな。

 

 

普段はあまり信用していない天運に、この時ばかりは祈った。しばらく二人きりの時間を過ごし、来たるべき明日を待ちながら。

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

「____それでは、これよりナイチンゲールのオペを開始する。オペ自体はそれほど難しいものではないが、のちの細胞の増殖に適した形で成功させることを心に留めておけ」

 

『はい!』

 

「……」

 

「……怖いだろう、ナイチンゲール。局部麻酔だが」

 

「………少しばかり。ですが、皆さんの技量を信じていますから」

 

「……ありがたいことを言ってくれる____それでは始める。メス」

 

「はい」

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 

病室までの道のりをひたすら駆けていく。

 

「手術が終わった」という連絡をもらって、その時に手を付けていた仕事を即座に放置し、気が付けば自然と足が急げ急げと私に訴えかけていた。

 

ない体力もひねり出しつつ、目的の部屋まで一目散に走る。

 

 

「____リズ!」

 

「……ドクター」

 

「もう少し静かに扉を開けてくださいね、ドクター」

 

 

ガラガラとけたたましい音を立てて病室に滑り込むと、病衣を着てベッドに安静にしているリズと傍らでカルテらしきものを持って立っているアンセルの姿が視界に入った。

 

 

「はぁ……はぁ…ああ、すまん……そうだ、手術はどうなった?!」

 

「落ち着いてください。ちゃんと何事もなく完遂しました」

 

「……はあぁぁ~……良かった……おえっ……」

 

 

安心してしまったせいか、とうとう体力が切れてその場にへたり込んでしまった。息も絶え絶え、横っ腹が痛くてしばらく立ち上がれそうにない。

 

 

「……だ、大丈夫ですか、ドクター?」

 

「はぁ……ふぅ……全速力で走って来ただけだ、すぐに回復するさ」

 

 

ズリズリとへたり込んだまま頑張って移動し、リズの近くへと寄る。

 

 

「……良かった。無事に手術が終わって。調子はどうだ、リズ」

 

「はい、特段違和感などはありません……それほど、急がなくとも宜しかったのですよ?」

 

「バカ言え、今日のことは私たち共通の懸念だったろう。業務中は居ても立っても居られなかったさ」

 

「……私がいなくとも、しっかりお仕事はしてくださいね」

 

 

ド正論だった。

 

とは言え、これで第一段階クリア。細胞の増殖期間がおおよそ数ヶ月と言われているので、その数ヶ月のうちの最初の1週間で増えるかどうか、それが勝負の分かれ目になる。

 

 

「……アンセル、正直な話、どうだ?」

 

「オールクリア、後遺症も特にないとでしょう。ケルシー先生の見立てでは細胞増殖も特段問題ないという推論が出ています……安心してください、ドクター」

 

「……そうか。ケルシーの言葉なら信用できる……ああ、待ち遠しいな」

 

「………私も、同感です」

 

 

ここ最近でだいぶと握り慣れた色白の手をそっと包む。もう不安に塗れてはいないことを示すようにしっかりとした手つきで握る。リズがそれにつられてこちらに微笑み返した。

 

物事に絶対はない。それは分かっている。だから、きっと彼女が青い空へと自由に羽ばたけるように、その軽やかな足で無限の大地を駆けられるように。

 

彼女が必死にリハビリをこなすように、私も自分に出来ることを精いっぱい頑張ろうと思った。

 

 

そのとき、後ろの方でガラガラと控えめな音が聞こえた。誰だ?

 

 

「……ドクター?」

 

「…………ア、アーミヤ……」

 

「今は私が秘書を務めさせていただいていますよね?ドクターのサボりを諫めるのも私のやるべきことですから」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ、あと5分」

 

「____問答無用です♪」

 

「あっ、ちょっ、リズ、アンセル助けて____」

 

 

 

 

 

執務室へと強制送還された。

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

あれから一週間が経つと、無事に増殖し、神経細胞が再生しているのが確認されたそうだ。ケルシーほどの医者の見立てだ、外れることはまずないだろうと思っていたため、意外にもニュートラルにその事実を聞き入れたような気がする。

 

そして予想外の出来事が1つ。どうやら件の万能細胞の増殖が、これまで観測されたデータよりも遥かに速いスピードで行われているらしいのだ。勿論今までモルモット等の小動物でしか実験されていなかったためヒトの場合は違う結果が出る可能性はあったのだが、向こうに報告したところ『例えヒトであっても増殖速度は大差ないという予測が出ていた』らしい。

 

考えられるのは、リズの体と万能細胞の親和性。もしくはサルカズ族と細胞の親和性。おそらくこのどちらかなんだが、正直割とどうでもいい。増殖速度の急上昇がリズの体にデメリットを引き起こさなければ。

 

それもあり、本来なら増殖だけで数ヶ月かかるところを、たった2週間ちょっとの期間で完了してしまうという見立てが出た。

 

 

「リズの足が本当に動くのか、心配になって来たな……」

 

「……ドクター、何も恐れることはありませんよ。細胞は問題なく足に根付き、組織と神経系を形成していっていますから」

 

「……シャイニング」

 

 

自販機横にあるベンチで缶コーヒーを飲みながら独り言ちていると、隣からシャイニングに声をかけられた。突然だったために一瞬心臓が跳ねたが、彼女特有の落ち着いた低音によりさほど驚かずに済んだ。

 

 

「そうだと……いいけどな。いかんせん私は神経学が専門とは言え、細胞に関してはさっぱりだ……飲み物はいるか?奢ろう」

 

「……ロドスの医療技術の高さは、貴方の方がよくお知りでしょう?……お気遣いありがとうございます。では紅茶を」

 

「了解」

 

 

静けさが辺りを支配している中、ピッ、と自販機のボタンを押す音だけが木霊する。無機質な鋼板の壁に反射して思いのほか響いた。

 

 

「……ドクターは、現在仕事中のはずでは?」

 

「今日はアーミヤが外に出ているんだ。だから仕事の終わる時間くらいは自分で決められる。今秘書をしてもらっているスカジにも、もう部屋で休んでもらうように言ったさ」

 

「……やはり、アーミヤさんは厳しいのですね」

 

「はは、本人には言ってやるなよ。あれでも常に私たちのことを考えて発言しているのだから。本当に頭が挙がらない」

 

「……それも、そうですね……ドクター」

 

 

会話が切れてしまったと思って右に顔を向けると同時に、シャイニングに空いている右手を握られる。視線を上にあげれば、何やら泣きそうな彼女の顔が目の前に迫っていた。

 

 

「なんだい」

 

「…………リズの人格を繋いでいただいて、本当にありがとうございました。いくら同じ仲間でも、同様の症状を経験していない私では、理解に限度がありましたから……」

 

「……それは、ただの偶然さ。たまたま記憶喪失だったり、たまたま仕事に追われてドクターとしての責務を果たそうとばかりしていたり。全ては私の天運が悪かったからに過ぎない」

 

「……それでも、です。少し前までは、彼女の()()()()笑顔が見られるなんてつゆほども思っていませんでしたから……」

 

 

それは、最初期の私も薄々感じていた。ドクターとして生きていたとき、「ただ同じ記憶喪失だから何か話の手がかりになるかもしれない」という極めて打算的な考えでリズを秘書にした直後のとき……多少会話を交わしただけでも、「ひどく空虚なオペレーターだ」という感想を抱いたのはよく覚えている。

 

 

「……言ったろう、偶然さ。とは言え、今は私も切にそう感じている。ああ、リズの感情が豊かになったことを考えたら……そうだな、涙が出そうになる」

 

「……ドクターも、随分と人間らしくなりましたね?」

 

「言わないでくれ。少し恥ずかしい……」

 

「……ふふっ、可愛いですね」

 

「よせやい」

 

 

夕日も地の下に隠れ暗闇で空を塗りたくりつつある時間帯。温もりの薄い蛍光灯が冷たく照らすベンチで、存外にゆるりとした会話が広げられていた。

 

 

「こちらこそ、お礼を言わなきゃいけないな……シャイニング、ありがとう。リズをここに連れてきてくれて」

 

「……ここに来たのは、道中で偶然ロドスという組織を知ったからです。貴方と同じですから、礼を言われるようなことはありません……」

 

「それでも、だ。リズと出会っていなければ、私は未だ“ドクター”という立場に縛られていただろうから……って、似たような会話さっきも交わさなかったか?」

 

「……あら、そうでしょうか?」

 

「はは、これは一杯食わされたな……もう少し、話さないか?」

 

「……構いませんよ。私も今は、誰かと関わっていたい気分ですから」

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

コンコン。

 

 

「リズ、入って良いか」

 

『……構いませんよ、クラヴィスさん』

 

 

それからまた1週間経って、リズの足の神経細胞の再生が完了したという連絡を受けた。実際にどういったものか、というのは私も知らないので少し楽しみにしていたものだ。

 

許可を受けて病室に入る。今度はもちろん丁寧に。

 

久しぶりに見た彼女は、前よりも少し元気そうな様子でベッドから体を起こしていた。

 

 

「……1週間ぶりだな」

 

「……お仕事が立て込んでいたのですか?」

 

「というよりほぼアーミヤのせいだな。流石にあの剣幕からは逃れられんよ」

 

 

他愛もない日常会話。本当に久しぶりにリズと会ったので、先ほどから胸の高揚を抑えきれていない。このままだらだらと会話に花を咲かせていたかったが、それよりも気になることがあるよな。

 

 

「………それで、どうだ?」

 

 

ふっ、とリズの顔が柔らかいものに変わる。

 

 

「……クラヴィスさん……今、私には足があるのです。とうの昔に失くしたはずの、自らの両脚が……ちゃんと、私に付いてあるのです。見てください……」

 

 

そう言って掛布団をめくり、病衣すらはだけさせて、鉱石すら分布していない細く白い足をこちらに見せつけてくる。筋肉量がひどく心もとないように見えるが、そんなことは重要じゃない。

 

 

私に見せつける際に、左右の足を組み替えたり膝を曲げたり、五指を開いたりして自由を示すリズ。

 

その動きは、健常者のそれと何も変わらないスムーズなものだった。

 

 

「______」

 

 

____瞬間、胸から様々な感情があふれ出す。さながら並々に張られたコップに、蛇口から水を注ぐときのように。

 

 

「……本当に、治ったのだな」

 

「………ええ」

 

「……これで、君はまた歩けるようになるのだな……っ」

 

「……ええ…そうなのです……」

 

「……これが、君の本当の足なのだな……っ!」

 

 

腿からふくらはぎにかけて、自身の手でそっと撫でつける。きめ細やかな肌の手触りをしっかり感じ取っていく。触れ合っていく。

 

そこに通っている血管にまで到達させるように、じっくりと確かめていく。枷のなくなった、紛れもない彼女自身の下肢を。

 

 

「……クラヴィスさん、少しばかりくすぐったいです……」

 

「……ああ、ああ……そんな感覚も感じられるようになったんだな……本当に、本当に……」

 

「……泣いていらっしゃるのですね」

 

 

気が付けば、私の目からは抑えられなくなった感情が形になって零れ落ちていた。拭おうと思えば拭えるのに、何故か止めることをせず流れ落ちるままに任せている____仕方がない。この涙は、私の感情の象徴にも等しいのだから。

 

ボロボロと零れる液体で視界が霞む。

 

 

「……っ……っ!」

 

 

この腿も、膝も、ふくらはぎも、足の指も。今の今まで事実上存在しなかったものが、今はある。ひどく単純で、それでも眼前に確かに見えている現実。

 

声にならない歓喜の叫びが、確かに轟いていた。

 

 

「……クラヴィスさん、私のときより涙を流されていますよ……」

 

「……っぐ、すまない。いざこうして目の前で見せられると、様々な激情が溢れてしまって……」

 

「……今なら、貴方の涙の意味が分かります。私のために、泣いてくださるなんて……私は、恵まれていますね……拭かないと、皆に知られてしまいます」

 

「……指で私の目元を拭うと汚れるだろう」

 

「これは貴方の感情ですから……汚いなんてこと、あるはずがありません……」

 

「……いいさ、別に。後で自分で拭いておくよ」

 

 

 

 

 

 

「ナイチンゲールさん、大人しくしてm………」

 

「………」

 

「……ススーロさん」

 

 

「____な、ななな何をしてるのおおぉぉぉぉぉぉぉ!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく、病室でふしだらなことはダメだからね!わかった!?」

 

「……はい」

 

 

突如として室内に入ってきたススーロ。どうやら彼女は今日の定期健診係に任命されていたらしく、リズの足の細胞組成が完了した様子を見に来ていたらしい。一旦医療ルームにチェックシートを取りに帰っていたのだとか。

 

それだけなら良かったのだが、彼女が戻って来た時に運悪く私がリズの素足に触れているシーンを目撃してしまったために、今現在誤解の元に叱られていたのである……正座で。いかがわしい目でリズを見たこともない身からすれば濡れ衣もいいところなのだが、それを伝える勇気はない。

 

 

「すまなかった。リズの足が動くようになったと聞いて、思わず感情が溢れてしまった」

 

 

とりあえず先ほど話したことと全く同じ内容を伝えて場を凌ごうとする。どう考えても容疑者の苦しい言い訳にしか聞こえなかった。

 

 

「はぁ……気持ちは分からなくもないけど、女性の体にみだりに触れるのは、いくら秘書だからと言っても良くないからね?一歩間違えたらセクハラだよ?」

 

「心得ている」

 

 

いけてそうでダメだった。しっかりと釘を刺されてしまった。いや、私も私で本当に無意識じみた行動だったから流石にもうしないとは思うが。

 

私の奇行の被害者(語弊あり)を見やっても、本人はきょとんとしているだけである。

 

 

「よし。それにしても、まだ連絡がそっちに行ってから十数分だっけ?ふふ、早すぎるよドクター」

 

「ずっとこの日を夢に見ていたんだ。気持ちが逸らずしてどうする」

 

「……そこかしこで『ドクターが変わった』って聞いてたけど、本当だったんだね。うん、私的にはこっちの方が好きだよ」

 

「ありがとう、自分でもそう思う。っと、そうだ、明日……いや今日からでもリハビリだろう?どれくらいかかりそうだ?」

 

 

通常の歩行リハビリテーション、例えば脳卒中などの患者の場合は、平均して4週間ほどで歩行可能になるという研究の結果が出ている。当然病状も違うのでそうはいかないが、出来れば早めがいい……。

 

 

「ナイチンゲールさんは前々から受けていたから、歩くこと自体ならそんなにかからないと思うよ。もちろん、完全に筋肉量を取り戻すために向こうしばらくは通院しないといけないけどね………うーん、そうだね。早くて2週間ってところかな?いまの段階でどれくらい歩けるかにも依るけど」

 

「……早いな?」

 

「あくまで現段階での予測にしかすぎないから、これから実際にリハビリを行って様子を見る予定だよ」

 

「そうか……2週間か。これは心の準備が間に合わないかもしれないな」

 

「大げさじゃない?」

 

「そんなことはない」

 

「はぁ……それじゃあ、この後13時からリハビリに入るからそれまで談笑なりなんなりしてていいよ。ナイチンゲールさんも大丈夫ですか?」

 

「構いません」

 

 

 

 

 

その後しばらく、ススーロも迎え入れ3人で会話に花を咲かせた。彼女にあれこれ聞かれたのは意外だったが、特にやましいこともないのですらすら答えると「あ~……私、邪魔だったかな……」と苦笑いを浮かべていた。まあ特段そういうのを気にする性質じゃないから、その後も普通に居てもらったが。

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

「ご機嫌よう」

 

「……ん、偶然だね。どうしたの?」

 

「いえ、何だか背中に哀愁が漂っていたように見えたので。何かありました?」

 

「……んー、何か寂しいなって」

 

「……寂しい、ですか?」

 

「ほら、ドクターが目を覚ましてからもう何週間も経ったけどさ、リズさんとドクターの関係性が一個上のものになったじゃん」

 

「……確かに、そうですわね……そう言えば、貴方はドクターに好意を寄せていたのでしょう?」

 

「まあね、最初は「一緒に旅しながらゆっくりと過ごせたらな」とは思ってた……けどさ、環境が変わったじゃん」

 

「そうですわね。リズさんとお話しするようになり、朝の食卓を4人で囲むようになり……とても、平和で楽しいものですわ」

 

「そ。最初はドクターの近くに居られるからと思って参加してたけど、いつの間にかすっかりリズさんとも仲良くなってさ……」

 

「……実はわたくしも、ドクターに懸想していましたの」

 

「……まあ、何となく分かってたよ。そうでもなければわざわざご飯なんか作りに来ないだろうしね」

 

「あら、確かにそうですわね……ですが今となっては、ドクターとリズさんを見守るのが嬉しくて仕方がありませんの。不思議ですわよね?」

 

「私はまだ付け入る隙はあると思ってるよ。私のプライドを折って愛人にしてくれたって構わないとさえ思う___やっぱり、ドクターの近くに居たいことには変わりないなぁ」

 

「ふふっ……諦めが悪いのですわね、プラチナさんも」

 

「生来だね……ふぅ……とは言え、これからも緩やかに過ごせたらそれが一番だよ、アズさん」

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

2週間という時間は存外に早く流れるもので。

 

 

日々快復に努めていると、意外にもすぐに自立歩行の許可が下りました____すなわち、私の退院する日がとうとう訪れたのです。

 

 

「……お疲れ様です、リズ」

 

「ありがとうございます、シャイニングさん……本当に、このまま執務室へ向かっても良いのですか?」

 

「……ええ、構いません。ですがくれぐれもお気をつけてくださいね。まだ完治したわけではありませんから」

 

 

普段着用している戦闘服に身を通しながら、この2週間ですっかり馴染んだ両脚を軽く動かします。シャイニングさんはこう仰っていますが、個人的な感覚では今すぐにでも走り出せそうなほど……。

 

下肢の感覚の軽さを抜きにしても、今現在において私の心はかつてないほど逸っていました。

 

 

「……準備が出来たようですね」

 

「ええ、万全です」

 

「………リズ」

 

 

荷物を整えてもう出発しようかというタイミングで、シャイニングさんは私の右手を取り、しばらく目を閉じた後そっと呟きました。

 

 

「ドクターに、よろしくとお伝えください」

 

「……はい、勿論です……それでは、行ってきます」

 

「……ええ、お気を付けて」

 

 

大事な仲間に見送られて、私は病室を後にしました。

 

大切な人に、今の私の姿を見ていただきたくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちはリズさん!どこに行くの?」

 

「……クオーラさん」

 

 

執務室へ向かう道をゆっくりと歩いていると、前方からクオーラさんが歩いてきました。その手には細長い棒と小さい球が。

 

 

「これから……野球ですか?」

 

「うん、広場でやるんだ!リズさんもどう?」

 

「……申し訳ございません、これからドクターにお会いするので……」

 

「それなら仕方ないね!それじゃ!」

 

 

……あっという間に私の来た道へ消えていきました。相変わらず元気なお人です。

 

少しだけ、その元気を分けていただいたような気がしますね……足が軽くなったような気もします。

 

 

「……体力がないことが、悔やまれます……」

 

 

一歩一歩目的地に近づくたび、少しづつ自分の足を動かすたびに、私の心が更に高揚していくのが分かりました。

 

……体力も筋力も、私はまだ取り戻せていません。それなのに、私のこの2本の足だけが速く早くとその歩みを進めようとしているのです。徐々に歩行の速度も高まっていっているのです。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

____このまま歩行が加速すれば、目的地にたどり着くころには私は息切れを起こしているでしょう……ですが、それでも。

 

 

 

 

 

早く、クラヴィスさんにお会いしたいのです。

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

そわそわ。

 

 

「……」

 

「………ねえ、ドクター。少しは落ち着いたらどう?」

 

 

そわそわ。

 

 

「……」

 

「良いではありませんか、プラチナさん。ドクターのお気持ちはよくわかりますもの」

 

 

そわそわ。

 

 

「……」

 

「………テンジン」

 

「ピィッ!」

 

「痛ぁッ!?」

 

 

たった今シルバーアッシュのペットであるテンジンに強撃をかまされたのは、他でもないドクター。今ではすっかりマスクを着用しなくなり、その不健康そうな顔や出で立ちは誰から見ても浮足立っていることが窺えるだろう。そんな彼は、先ほどからしきりに執務室内を右往左往している………では何故、今日に限ってこんなにも落ち着いていられていないのか。

 

答えは簡単。今日が、他でもないナイチンゲールの退院日であるからだ。

 

 

「ドクター、いくらナイチンゲールさんのことが心配だからって、そこかしこを歩き回らないでくださいね」

 

「こっ、こここれが大人しく座っていられるか!?リ、リズがここまで自力で歩いて来るというのに……」

 

「はぁ……そんなに心配ならリハビリもちょくちょく見に行けば良かったのにね。まあ、当日までのお楽しみって感覚は分からなくもないけど」

 

 

そう。

 

このドクター、2週間にわたって行われていたナイチンゲールの歩行リハビリテーションを一切見ないようにしていたのである。会うのはプログラムが終了した夜だけ。プラチナが言ったように、退院日である今日までナイチンゲールの歩く姿を取っておきたかったのだと。

 

「ナイチンゲールがこちらに来る」という連絡をもらったのはほんの2,3分前。通信機を切った直後からこの様である。

 

 

「ここと病室まではおよそ徒歩10分。距離にして1㎞ほど。今までの彼女であれば到底歩ききれるようなものではありませんが」

 

「……そうこうしているうちにも、ほうら……刻一刻と迫ってきているぞ……プラチナ、大丈夫だよな?私の顔は変な感じになっていないよな?」

 

「大丈夫だから、安心してリズさんを迎えてあげてね」

 

「それならいいが……おう……おおう………」

 

 

この様である。

 

 

連絡を受けてから5分が経った。ドクターは早すぎるのか遅すぎるのか分からない時間の過ぎように、とうに混乱を迎えている。

 

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

 

やがて、誰も口を開かなくなる。チッ、チッと秒針の進む音だけが執務室に響き渡り、それが却って彼の焦燥を駆り立てていた。あまりの緊張と不安で動きを止めたドクターを、アーミヤ、プラチナ、アズリウス、シルバーアッシュ(+天井裏のグラベル)は静かに見守っている。

 

もう後数分か、という意識が部屋にいる人物全員に広まった………丁度その時だった。

 

 

 

 

 

ガラガラガラッ!

 

 

「ッ!?」

 

「____はぁっ……はぁっ……っふ………」

 

 

唐突にけたたましい音を立てて執務室に転がり込んだのは、今一番ドクターが待ち望んでいた人物。彼女は激しく肩で息をしながら、開けた扉に手をつき必死に呼吸を整えていた。

 

 

「……ぁ」

 

 

 

そのとき、ドクターの気だるげな双眸が大きく見開かれる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()という、本当に誰にも見えることの出来なかった事実(到達点)が、彼の心の緊張と不安をいとも容易く塗りつぶし驚愕と歓喜に染め上げたのである。

 

 

「あ………あ……」

 

「はっ……はあっ…………っ」

 

 

自然と近くなる2人の距離。止めるものも遮るものも、何も誰もいない。

 

 

 

 

 

「____リズッ!!」

 

「____クラヴィスさん……っ!」

 

 

 

 

 

周りに誰がいたかも忘れて、ドクターとナイチンゲールはどちらからともなく抱擁を交わしていた。

 

 

「走って来たのか……そんなに急がずとも良かったのに……!」

 

「……違います、はぁっ……クラヴィスさんに、一刻も早くお会いしたくて……」

 

「動かせるようになったばかりなのだから……無理はしなくとも」

 

「……それでもっ……貴方に、私が羽ばたく様を見ていただきたかったのです……っ」

 

「……ああ、ああ……しっかりと見たよ…万感の思いだ……」

 

 

 

完全に蚊帳の外な他のオペレーターも、大なり小なり微笑ましい様子で2人を見ていた。

 

 

「……ああ、そうだ、リズ」

 

 

ここでドクターがナイチンゲールとしっかり抱き合ったままひとつ、居住まいを正す。

 

その目つきは真剣そのもの。何か大事なことを言わんとしていることは、この場にいる誰にもきっちり伝わっているだろう。

 

少しばかり時間を取って、覚悟を決めたようにドクターが口を開いた。

 

 

 

 

 

「……リズ、聞いてくれ……私は、君のこ「……申し訳ございません、クラヴィスさんっ」え……って、んむっ!?」

 

 

 

 

 

「なっ!?」

 

「えっ」

 

「あら」

 

「……ふっ」

 

「ピィッ!」

 

 

それを紫電一閃と切り捨て割り込んだナイチンゲール。

 

 

「んっ…んむぅ……ちゅっ、ちゅるっ……んふぅっ……」

 

「んっ!?んんっ!?!?」

 

 

接吻をかましたのである。

 

ドクターの頬に両手を添え、舌を絡め、唇に啄み、口内をいじらしくも激しく求めるその様子は、されている当事者含め見るものすべてに大打撃を与えていた。あまりの予想外の出来事に、誰もが口を開けたままで棒立ちになっている。

 

 

「____ん、ぷはぁっ……」

 

「はっ……はぁっ……な、ななな何を……」

 

 

たっぷり数十秒、ようやく2人の距離はゼロから回復した。ただし余韻として、口の間に粘性の銀に煌めく一筋の橋が掛けられている。

 

衝撃的なスキンシップをした張本人は今まで見たことのないくらいに顔を赤に染め、しかしドクターの方をしっかりと見据えている。接吻の印象と彼女自身のギャップに、ドクターもナイチンゲールから全く目を離せないでいた。きっと彼自身、己の顔が燃え上がっていることを自覚しているだろう。

 

 

「……突然のこと、申し訳ございません。ですが、どうしても抑えられなくて……私から、言わせてください……」

 

「あ、ああ。別に、構わな、い……」

 

 

混乱、動悸、その他諸々の激情がない交ぜになったドクターは、声を絞り出すだけで精一杯だ。

 

 

 

 

 

そんな彼の様子に、ナイチンゲールは熱に浮かされた__あるいは、見惚れているような表情を浮かべて。

 

 

「……クラヴィスさん」

 

 

自分だけを見つめているドクターに純真無垢な感情を乗せた、()()()顔を見せて。

 

 

「私は」

 

 

そうして、彼と溶け合うように言葉を紡いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方を、愛しています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







「貴方を愛しています」

この一言を言ってもらうまでおおよそ20万字。これにて「ナイチンゲールは支えたい」完結です。










……さて。ここからは少し長めの後書きです。もうしばらくお付き合いくださいな。


まず、ここまでご愛読くださった読者の方々にはとても感謝しております。

この作品、終わりは決めていたものの、途中でどうなっていくかは完全に彼らの動くままになっていました。途中からの怒涛の伏線回収(という名のつじつま合わせとも言える)という無茶ぶりもしつつ、最終的にうまいところにまとまったのかな、とは思います。今読み返すと本当に#1とか文章ヘッタクソですね……書き直したいところですがそれはしません。彼らの歩んだ道はこれで良かったのです。#0の「綻び」から最終話の「綻びた顔」まで、なんとか繋げた気がしますね。



誰にも知られていませんが、実はこの作品には前身がありました。1話(#0とナンバリングしていた)を投稿してすぐに消したのでもうタイトルも覚えていません(確か『人格破綻者のドクターが~』とかそんな長ったらしいの)が、大体同じ内容でしたね。ですが余りにもお粗末な文章だったので全消しして、「ナイチンゲールは支えたい」として新しく投稿し直したのです。それがあまつさえ完結まで続くとは思っていませんでした。本当に感謝。

そう言えば評価乞食したなぁ……とあとがきを書いている途中で思い出しました。今となってはいい思い出です。本当にそこだけはすみませんでした(‘ω’)




「ナイチンゲールは支えたい」を書くにあたって一番難しかったのは、もちろんリズの内心描写でした。キャラ崩壊を起こさないように気を付けつつ感情の芽生えをどう表現していくか結構悩みましたね……閃夜なんて知らない。博夜しか知らない。

ちなみにこれは小ネタですが、最後の接吻はリズは「接吻」だと分かっていません。とにかく何故かドクターの唇に自分のそれを重ねたくなって思わずやっちゃった、という感じです。え、割には結構ねちっこかった?まあそういうこともあるでしょう……あるでしょう!




これでこの作品の執筆は終わりますが、彼らの物語はまだまだ続きます。どうかカタルシスに包まれて、良い夢を_____





____と、言いたかったのですが。





…………まあ、ね。

……まあ、まあ。





スゥ……ハァ……(深呼吸する音)










これで終わらせるわけねえよなあ!?

私の答えはこれや!ドロー、追加攻撃!(某決闘者感)


https://syosetu.org/novel/239630/


題して「鳥籠と博士は無知である」!2人が性欲ゼロ性知識ゼロの状態からえっちなことを覚えていく話だ!発禁だから見るのは自己責任でな!





はーい、というわけで新作もとい続編です。

R-18です。すまんえっちな目で見るの我慢できんかった(おっぴろげの足とか肩とか見ながら)。


ポイントと致しましては、まず初手にノーマルな開発(意味深)から入ることでしょうか。やっぱり、すんなりと結合できるイメージがなくてですね……。後は鉱石病の影響という名目で心ばかりのご都合主義を組み込みました。許せ。

ついでにタグにもあるように「生理的耐性:欠落」を若干ネタにします。そうです、さんざんっぱらスレッドとかで言われてきたアレです。そのための対抗馬として開発をメインに仕立てた感はあります。


私はこの2人の物語を終わらせたくありません。当たり前です。誰よりもリズの未来を願っていると言っても過言ではありませんから。なので1話当たりの文字数を減らすことにします。終わり方は既に決めていますが、(余程何かない限り)まず完結はしません。ゆるゆるといろんなプレイを書きます。

そして当方、えっちな小説の書くのは初めてなので、こちらもまたアレコレ勉強しながらの執筆になります。創作者としての好奇心が尽きないぜ。頑張ります。


もう少し続く彼らの歩み、どうかご覧になってくださいな。





____それでは、また“この先”でお会いしましょう。

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