とある洋食屋の物語 作:ジャンパー
お店のレイアウトですが、キッチンから客席が見える、オープンキッチンみたいなイメージでお願いします。
今日は氷川さんの初バイトの日だ。
ランチも終わり、追加の仕込みも終わり、コーヒーを飲みながら休憩中である。
今の時刻が15:20なので、もうちょっとしたら来るだろう。
カランカラン
「兄さん、ただいま戻りました」
「こんにちは、東雲さん」
あれ、氷川さんもこんなに早く来たのか。
「2人ともお帰り。氷川さんはだいぶ早く来たんだね」
「はい、一度帰るにしても中途半端な時間でしたし、葵さんに相談したらこちらでお茶してようって誘われまして…」
「ああ、なるほど。それじゃあ味見がてら、今日のデザートでも食べようか。氷川さんはまたコーヒーでいい?」
この前うちで食べた時はコーヒーだったのでそう聞いてみた。
「はい、それでお願いします」
「了解。すぐ用意するから、葵は氷川さんを更衣室に案内して、荷物だけでも置いてきてもらって」
「わかりました。紗夜さん、こちらです」
ふと気付いたが、葵と氷川さんが名前呼びになっている。
まぁ俺も葵も東雲さんだから、混ざってややこしいとかそんなとこだろう。
仲良くやっているようで何よりだ。
そして今日のデザート、ティラミスを用意した。
本当はカルーアやラム酒を効かせたかった(というか俺が食いたかった)のだが、昔に葵がそれを食べて酔っ払って大惨事……という苦い過去があるので、それ以来はノンアルコールの作り方でしか作っていない。
「はい、お待たせ」
「わわっ!今日はティラミスなんですね!」
葵はティラミスが大好物だ。
見ただけでわかるぐらいテンションが上がっている。
「んんんんん!! とっても美味しいです!」
「それなら良かったよ。氷川さんも遠慮なくどうぞ」
「はい、いただきます」
そう言って一口食べる氷川さん。
一瞬だけ目を見開き、口元を隠しながらゆっくり咀嚼している。
そしてコーヒーを一口飲み、また一瞬だけ目を見開き、ふぅ、と一息つく。
色んな所作が一々絵になる子だな、ほんと。
「とても美味しいです。コーヒーととても合うんですね。あまりにも合いすぎてびっくりしました」
「へえ…。氷川さん、かなり舌がいいんだね。このティラミスにはこのコーヒーも少し使ってるから合うはずだよ」
「なるほど…。そういう合わせ方もあるんですね」
しばし雑談に花を咲かせながらも時間を確認すると、そろそろいい時間になっていた。
「よし、じゃあそろそろ切り替えよう。氷川さんはとりあえず制服に着替えてくれるかな。サイズは葵に言って用意してもらって」
「わかりました」
「兄さん、今日は私も一緒に出た方がいいですか?」
「出来たらありがたいけど、別に俺も仕込みはないし、いつも通りでもいいぞ?」
「じゃあ今日はちょっと課題が多いので、お任せしていいですか? 終わったら出ますので」
「了解。じゃあ氷川さんは着替えたら降りてきてね」
「はい」
そして氷川さんが降りてくるまでに練習用品一式を用意する。
「お待たせしました」
「ああ、お帰り。うん、とてもよく似合ってるよ」
ブルーを主体にしたシャツと七分丈のスカートに、スカーフタイとサロンというのがうちの女性用制服である。
髪色とのマッチもあるのか、元々氷川さんに合わせた制服だと言われても納得しそうなほどだ。
「あ…ありがとうございます…」
女子校に通ってるからだろうか、あまり褒められ慣れてないような雰囲気も見られるし、これぐらいにしておこう。
「まず最初に、俺の自論だけどね。接客で一番武器になるのは笑顔なんだ」
「笑顔…ですか?」
「そう。不快な印象さえ与えなければいいんだけど、自然な笑顔を見てそれで不快とは思わないでしょ?」
少し考えた様子だったが、パッと思い当たる事がなかったようで、そうですねと頷いた。
「よし、じゃあとりあえず笑顔出してみようか」
「は…はい…。えっと…こう……でしょうか…?」
うん、かなり引きつってるね。
まぁここまでで思い返してみても、氷川さんは常にクールな感じで、笑顔らしい笑顔を見た記憶がなかったからな…。
「うーん、だいぶ強張ってるね。もうちょっとリラックスして…なにか好きな事とか楽しい事を思い浮かべてみて?」
「好きな事…楽しい事…えっと…」
あ、ダメだ。さらにどんどん強張ってきててパニック寸前っぽくなってる。
「よし、とりあえず笑顔はここまでにしようか」
「……え?いいのでしょうか…?」
「うん、こういうのはナチュラルに出来る子もいるけど、慣れるまでにすごく時間がかかる子もいるからね」
俺なんか3ヶ月はかかったよ、なんて笑いながら言うと、とても驚いていた。
こんなもんは慣れで、練習したら出来るものではない。
ある日突然出来るようになるのだ。
「とりあえず当面は気にせず、たまに意識してみてくれたらいいよ」
「わ…わかりました」
頑張って口角を上げようとしているのはわかったが、やはりだいぶ強張っててかなり不自然だ。
「次はお皿とグラスの持ち方だ」
「持ち方…ですか?」
「うん。これは実はかなり大事だよ。だから頑張って覚えてね」
そう言うと、気を引き締めた様子でメモを取り出す氷川さん。
『メモを取る』という意欲のある子を教えるのはとてもやりがいがある。
頑張って覚えようとしてるのが見てわかるのだから。
本当に真面目ですごくいい子だ。
「まずは簡単なグラスからいこうか。グラスはなるべく下の部分を持つんだ」
「下の方…ですか?」
「うん。お客様の口が入る部分を触ってはいけないって感じだね。氷川さんも誰かが口元を触ったグラスを使うのは嫌でしょ?」
「それは嫌ですね」
「つまりはそういう事。だから、一番下を持つって感覚でいいと思うよ」
他にはグラスの種類や、持ち運びの注意点を伝えていく。
「じゃあ次はお皿の持ち方だね。お皿は摘むように持ってはいけないんだ」
「摘む…ですか?」
「そうそう。お皿に指紋が付くからね。指は真っ直ぐにして、親指の付け根の辺りで挟む感じかな」
これに関しては実演してあげると難なく出来ていた。
同じように3枚持ち、4枚持ちも実演してみせる。
3枚持ちは多少バランスは悪いながらも出来ていたが、4枚持ちはちょっとまだ感覚が掴めていないようだ。
ちなみに使ってるお皿は落としても大丈夫なようにメラミン樹脂製のお皿を使っている。
「まぁいずれは出来るようになってくれた方がありがたいけど、そこまで急がなくていいからね。これも急に上達したりするからさ」
4枚持ちのメリットは、2名のお客様のテーブルのメインとライスを一気に持っていける点である。
何回も往復しなくていい分、時間効率もいいし、何よりスマートだ。
「思ってた以上に難しいんですね…」
「最初は誰だってそうだよ。俺、初めて4枚持ちやってちゃんと出来たって子は見た事ないし。そんな子いたら天才だね」
「天才……そうですよね…」
何やら氷川さんの雰囲気が変わる。
もしかして何か地雷でも踏んだか…?
話の流れ的には『天才』だとは思うのだが、さて、どうしたもんか…。
「兄さん、課題が終わったので代わりますよ。どこまで教えたんですか?」
そう言って2Fから降りてきた葵。
マジでナイスタイミングだ!!
「皿の持ち方までだな。笑顔と4枚持ち以外はほぼ出来ててかなり優秀だったよ」
「え、紗夜さんすごいですね!」
「いえ…私なんて…」
ふむ…この妙な自信の無さはなんだ?
とは言え、ツッコむわけにもいかないし、とりあえずまずいって感じでもないから葵に任せておくか。
「じゃあ葵、あとの細かいところはよろしく頼むな」
「わかりました。じゃあ紗夜さん、今からトレーの持ち方を…」
そんな感じで葵にバトンタッチし、俺は食材の最終チェックを行う。
この微かな違和感も、時間が解決してくれるか、もしかしたらいずれ本人から話してくれる事もあるかもしれない。
それまでは問題がない限りは見守るとしよう。
「いらっしゃいませ! こちらのお席でお願いします!」
「ご注文は本日の肉料理のデザート付きセットメニュー、チョイスはライスでお間違いなかったですか?」
「お待たせしました。ご注文は以上でお間違いなかったでしょうか? それではごゆっくりどうぞ」
まずは葵がお手本を見せて、その後に実践してみてもらうみたいで、手際良く案内、オーダーテイク、サービスをこなしていく。
一通り教えたみたいで、次のお客様は氷川さんに対応してもらうようだ。
カランカラン
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。あれ、新しい人雇ったんだね」
ありゃ、常連のお爺さんだったか。
「こんばんは、村松さん。今日から入った、期待の新人なんですよ。今後も見掛ける事もあるかと思いますんで、良かったら覚えてあげて下さい」
「そうなんだね、わかったよ。じゃあ席に案内してくれるかな」
「かしこまりました。こちらのお席でお願いします」
この人は近所に住むお爺さんである。
家で1人になる時はいつも来てくれる人で、とても人のいい好々爺だ。
初めての接客相手としてはとてもいい人だろう。
「今日は本日の魚料理でお願いするよ。ライスは半分で。今日のデザートは何かな?」
「本日のデザートはティラミスでございます」
「ティラミスか。それならデザートもお願いするとして、コーヒーか紅茶か迷うねえ…」
「……先程試食で頂いたのですけど、ここのティラミスはコーヒーとの相性が抜群だったので、もし苦手でなければコーヒーの方がオススメです」
「…ほう、それならコーヒーを頂こうかね」
「はい、かしこまりました」
正直驚いた。
最初からそんなセールスが出来るとは思ってもいなかった。
どうやら村松さんも同じだったみたいで、何やら感心している風であった。
「お待たせしました。本日のデザートのティラミスとホットコーヒーでございます」
「お、これが君のオススメだね。どれどれ……。うん、とても美味しいよ。オススメを選んで正解だったね、ありがとう」
「こ…こちらこそ…ありがとうございます…」
そしてその後の村松さんは食休みで本を読むのだが、今日はいつもより長居している。
「いつもより遅くまで悪かったね。そろそろ帰るよ」
気付けば村松さんで最後だったので、ホールまで出ていく。
「村松さん、いつもありがとうございます」
「やぁ、悠介くん。今日も美味しかったよ。あとあの新人の彼女、とてもいい子だね」
「ええ、想像以上でしたので、嬉しい誤算ってやつです。これで葵にも少し楽させてやれそうです」
「ははは、そうだろうね! あ、君、名前を教えてくれるかな?」
そういって氷川さんに問いかける。
「氷川と申します」
「氷川さんだね。君のおかげでいつも以上にいい時間を過ごせた。また来るよ」
「あ…ありがとうございましたっ!またお待ちしておりますっ!」
村松さんが帰られたので、今日はこれで店仕舞いだな。
「葵、氷川さん、お疲れ様」
「「お疲れ様です」」
そう言って用意してた烏龍茶を2人に手渡す。
2人とも喉が渇いていたのか、一気に飲み干していた。
「氷川さん、今日はこれで終わりだけど、ご飯はどうする? 食べるなら賄い出してあげるよ。フライドポテトもそこそこ量作れるけど」
「それではお願いします」
フライドポテトに惹かれたのか、ほぼ間髪入れずの返答だった。
ほんとに好きなんだね、フライドポテト。
「2人とも、出来たぞー」
そう言って料理を運ぶ。
今日はいいアサリが入ってたんだが、ちょっと余ってしまったのでボンゴレビアンコを用意した。
あとはサラダとスープとフライドポテト。
「「「いただきます」」」
やはりフライドポテトがすごい勢いで減っていくので見ててちょっと面白い。
「氷川さん、改めて今日はお疲れ様。初日働いてみてどうだった?」
そう聞くと、ポテトを食べる手を止め…
「色々覚える事が多くて大変でした。でも、お客様皆さん、とてもいい笑顔で食事されているのを見ると、こちらもちょっと嬉しい…なんて思ってしまいました」
「へえ、お客さんに恵まれたのもあるだろうけど、初日でその感想に至れるなんて氷川さんは接客業向いてるのかもね」
サービス業の素養というのは、『お客様に喜んでもらえる』という事に楽しみを見いだせるかどうかだと思っている。
もちろんこれが無いとサービス業が出来ないという訳ではないのだけど。
しかし、初日からこのスタートだとついつい期待してしまうね。
とにかく今日は存分に労おう。
いつの間にか空になってしまったフライドポテトの器を心なしか悲しげに見つめている氷川さんに、追加を揚げてくるのであった。
余談だが、生真面目な性格だからだろう、接客中になんとか笑顔を出そうとして顔が引きつってしまっていたのが何というか、微笑ましくてかわいかった。
村松さんも『微笑ましい』と思っていたのであろう、妙にニコニコして見ている姿にもちょっと笑いそうになった。
不器用ながらも好感が持てるサービスであったのは明確だろう。
今後の氷川さんの成長を期待しつつ、こうして彼女の初バイトが終わった。
もっと紗夜をかわいく書きたいのに、まだ打ち解けるまでいけてないので固くて仕方ない…