とある洋食屋の物語 作:ジャンパー
無事にバイトの許可を取り付ける事が出来た私は、承諾書をクリアファイルに挟み、鞄の中に入れる。
今日は風紀委員の仕事があるので、少し早めに出ようと手早く準備して部屋を出た。
それと同時に、隣の部屋からも扉が開く音がした。
隣の部屋を見ると、やはり私の双子の妹である日菜がパジャマ姿でちょうど出てきたところだった。
「ふぁ〜……あれ、お姉ちゃん、おはよー。今日は早いんだね」
「ええ、おはよう、日菜。今日は風紀委員の仕事があるから少し早めに行くのよ」
「そうなんだー。あっ、そうだ! 今度の日曜日なんだけど、一緒のライブ出るでしょ!? 会場まで一緒に行こうよー!」
「…行かないわよ。私も暇じゃないの」
「そっか…。じゃあ今度は一緒に行こうね!」
「ええ、タイミングが合えばね」
そう言って日菜をあしらう。
この子は誰もが認める『天才少女』であり、そして私のコンプレックスの元凶だ。
昔から私のやる事を真似しては私をあっさり追い抜いていき、そして私が辞めたら日菜もパタっとやめる。
それをずっと繰り返される内に、私の心は折れてしまった。
そして日菜を避けるようになった今では、必要最低限の会話以外は全て遠ざけるようになった。
日菜に悪気がないのはわかっているのだが、だからといって納得出来るのかと言われたらそうはいかない。
あれだけ日菜にバレないようにしていたギターも、偶然の積み重ねで日菜も始めてしまった。
その事がより日菜に対する怖れを倍増させ、結果として更なる忌避感を生んでしまっている。
それに対する罪の意識もあり、私は日菜を置いて、逃げるように学校へ向かった。
学校に着いてからはよく覚えていない。
気が付けば風紀委員の仕事も終え、教室に着いて自分の席に座っていた。
同じRoseliaのメンバーである白金さんに挨拶をしようと思った時、私の席の前に誰かがやってきた。
「氷川さん!おはようございます!」
「東雲さん。おはようございます」
昨日私がお世話になり、そして今度からさらにお世話になるであろうお店のオーナーさんの妹さんで、そして私のクラスメイトである東雲葵さんだった。
「昨日の話はどうなりましたか?」
「両親の許可は出ましたので、今日の放課後に承諾書を持って伺うつもりです」
「でしたら今日、一緒に帰りませんか?」
「ええ、問題ないです」
「わかりました!ではまた放課後に!」
そう言って東雲さんは自分の友達のグループに戻っていった。
そして私は同じRoseliaのメンバーであり、クラスメイトでもある白金さんの席へ向かう。
「白金さん、おはようございます」
「あ……氷川さん…おはようございます…」
「今日の練習なのですが、私は今日少し用事がありますので、少し遅れると伝えていただけますか?」
「そうなんですね…。わかりました…。友希那さん達には…伝えておきますね…」
「ええ、よろしくお願いします」
キーンコーンカーンコーン
そこまで話したところでチャイムが鳴ったので席に戻る。
そして特に何事もないまま放課後になり、東雲さんが声をかけてきた。
「氷川さん、お疲れ様です!」
「ええ、東雲さんもお疲れ様です」
「それでは行きましょう。兄さんがそろそろかと待ってるかと思いますんで」
そして東雲亭までの道中、東雲さんはお兄さんの話ばかりしてきた。
こんな時にこんな事をしたとか、あんな事されて喧嘩になったとか、いい事や悪い事も含めて本当に色々な話をされた。
しかしそれでも、東雲さんは常に嬉しそうだった。
本当にお兄さんの事が大好きなんだろうとすぐにわかったと同時に、やはり羨ましいとも思った。
昔は私もあの子の事が大好きだったのだから…
そして東雲さんの話を聞いている内に東雲亭へ到着した。
「兄さん、ただいま戻りました」
「東雲さん、こんにちは」
「2人ともお帰り。氷川さん、親の承諾はどうなったかな?」
「ええ、こちらです」
そして承諾書を手渡した。
お兄さんは東雲さんを自室へ促し、承諾書を軽く流し見してからそのまま面接となった。
面接と言っても雇用してもらえるのはほぼ決定していたようで、内容はほとんど雇用条件や希望の確認程度だった。
そんな内容なので10分程度で面接は終了し、初出勤は明後日の16時からという確認と、RINEだけ交換して東雲亭を後にする。
そしてRoseliaのメンバーが練習しているCiRCLEへと向かった。
「お疲れ様です。すみません、遅れてしまいました」
「あっ、紗夜。お疲れ様ー! 用事はもういいの?」
「ええ、今井さん。ご迷惑をお掛けしました」
「全然気にしてないよー!思ってた以上に早かったしね」
「というか、紗夜さんが遅れるって珍しいですよねっ!? 何があったんですか??」
「ええ、実はバイトを始める事にしたので、その面接に行ってました」
「あ…それで今日…東雲さんと帰ってたんですね…」
「うん? 東雲さん?」
宇田川さんが何か引っ掛かったみたいだが、どうしたのだろうか?
「それで紗夜。どこでバイトする事にしたの?」
そう湊さんが問い掛けてきたので
「商店街の中にある、東雲亭という洋食屋さんです」
その瞬間
「ええええええええええええええええええ!!!!!」
「あこ…うるさいわよ…」
「ああ!友希那さんごめんなさい! でもすっごく驚いちゃって!」
「…あこちゃん…何に驚いたの…?」
「紗夜さんのバイト先だよー! 東雲亭って、悠兄ぃと葵姉ぇのお店だから!」
よくよく話を聞いてみると、どうやら宇田川さんのお姉さんである巴さんからの知り合いだったらしく、案外世間は狭いものなんだと思った。
そして練習後、宇田川さんから「今度、紗夜さんが働いてるところ見に行きますね!」と言われたので丁重にお断りした。
とは言え、全くもって諦めてはいなさそうだったのでいずれは奇襲のように現れるだろうとは予測できるのだが。
そしてあっという間に2日経ち、今日が初バイトの日だ。
「氷川さん、今日も直接うちに向かいますか?」
東雲さんにそう問われ、チラッと時計を見てみると14:45。
家に一旦帰ったとしても、家にいれる時間は30分もないだろう。
「そうですね…。少し早いのですけど、一旦帰るには中途半端な時間なんですよね…」
「それでしたら、早く着いたらうちでお茶でもしませんか? きっと兄さんも何か用意してくれると思いますし!」
「そうですか。では東雲さん達がご迷惑でなければそうしましょう」
そう答えると、東雲さんが何やら考え事を始めたようだった。
やはりご迷惑になりそうなら、何かしら時間を潰す方法を考えないと。
そう思い始めた頃、東雲さんが
「私も兄さんも『東雲さん』と呼んでますよね? それだとどっちかわからなくなるので、私の事は『葵』と呼んでください!」
なるほど、言われてみれば確かに呼ばれた側はどちらかわからなくなるだろう。
「そうですね。それでは『葵さん』と呼ばせてもらいます。私の事も『紗夜』と呼んでください」
「はい!紗夜さん!」
そうして私達は名前で呼ぶようになった。
そしてまたもや葵さんによるお兄さんトークを聞きながら東雲亭に着いた。
「兄さん、ただいま戻りました」
「こんにちは、東雲さん」
「2人ともお帰り。氷川さんはだいぶ早く来たんだね」
「はい、一度帰るにしても中途半端な時間でしたし、葵さんに相談したらこちらでお茶してようって誘われまして…」
「ああ、なるほど。それじゃあ味見がてら、今日のデザートでも食べようか。氷川さんはまたコーヒーでいい?」
葵さんによるお兄さんトークの中に、『人の好みをよく覚えている』というのがあったが、本当にその通りだと思う。
そして控室に荷物を置かせてもらってる間にお兄さんがお茶の準備をしてくれていた。
今日はティラミスを用意してくれており、これが今日のセットのデザートだとの事だ。
1口食べてみると、濃厚なコクとほろ苦さが共存しており、すごく美味しかった。
しかし、更に驚いたのはその後だった。
ティラミスの甘みを流そうとしてコーヒーを1口含むと、途端に味が膨らんでいく感覚に襲われる。
あまりにも衝撃的な体験だった。
これが、『合う』という事なんだろう。
「とても美味しいです。コーヒーととても合うんですね。あまりにも合いすぎてびっくりしました」
「へえ…。氷川さん、かなり舌がいいんだね。このティラミスにはこのコーヒーも少し使ってるから合うはずだよ」
私はしばし、ティラミスとコーヒーに舌鼓を打ったのだった。
そしてようやく私の初バイトの時間となる。
葵さんに制服を用意してもらい、着方も教わってようやく準備を終えた私は、葵さんに『頑張って下さいね!』お兄さんの待つホールへと向かうのだった。
「お待たせしました」
「ああ、お帰り。うん、とてもよく似合ってるよ」
余りにも唐突に褒められてしまったので、反応が追い付かなかった。
今までの自分の生活において、容姿方面の事を父親以外の男性から褒められるという事が滅多になかったからだと思う。
動揺した私は
「あ…ありがとうございます…」
としか言えなかった。
それを察してくれたのか、お兄さんはそれ以上は言ってこなかったのが、ありがたかった。
嬉しいとは思うのだが、気恥ずかしさの方が勝ってしまうから。
そしてここからはお兄さんによる指導が始まる。
とにかく笑顔が大事という事を教わったのだが、思えばいつの間にか『笑う』という行為が日常から抜け落ちてしまっていた私には相当な無理難題なのでは…と思う。
「よし、じゃあとりあえず笑顔出してみようか」
そしてこの無茶振りである。
しかしやらない訳にもいかないので、意を決して笑ってみる。
「は…はい…。えっと…こう……でしょうか…?」
「うーん、だいぶ強張ってるね。もうちょっとリラックスして…なにか好きな事とか楽しい事を思い浮かべてみて?」
好きな事、楽しい事。
昔は色々あったのだが、気付けば無くなっていた。
今の私には…もうギターしかないのだから…。
それも楽しかったのだが、今後も同様の感情を抱けるかわからない。
そして自分の中で負の感情がグルグルと回り始めたところで
「よし、とりあえず笑顔はここまでにしようか」
止められた。
「……え?いいのでしょうか…?」
お兄さんによると、すぐに出来ない場合は急に出来るようにならないとの事だ。
今は常に笑顔といった感じのお兄さんも、最初は3ヵ月はかかったというのでとても驚いた。
とは言え、早く出来るように頑張ろうと思う。
そしてその次はグラスとお皿の持ち方を習う。
お皿の持ち方なんて今まで気にした事はなかったのだが、お兄さんはとても大事だと前置きしたのでメモを取り出した。
指紋を付けないように持つというのも難しいのだが、特にお皿の4枚持ちに関してはバランスが相当難しく、お兄さんがプラスチック製のお皿を用意してくれてなかったら間違いなく割ってしまっていただろう。
うまく出来ない自分が不甲斐ないと思ったが
「最初は誰だってそうだよ。俺、初めて4枚持ちやってちゃんと出来たって子は見た事ないし。そんな子いたら天才だね」
最初から出来る人はいないと言うのだ。
でも、それもあの子なら難なくこなしてしまうのだろうなと思うと
「天才……そうですよね…」
気付けばそう呟いてしまっていた。
失言だとも思い、どうしようかと思ったところで、ちょうど良く葵さんが2Fから降りてきた。
もうそんなに時間が経っていたのか…。
そこからは葵さんがお兄さんに変わって指導してもらう。
トレーの持ち方、オーダーの取り方、注文の通し方、開店準備の仕方と、怒涛のような内容だった。
「それにしても紗夜さん、ほんとに物覚えがいいですよね。兄さんが先程褒めていたのもわかります」
「そうでしょうか…?」
「はい。いつも新人の方は私が教える事が多いんですけど、紗夜さんより早かった人はいなかったと思いますよ」
恐らく本心なのだろう。
それは葵さんの顔を見ればわかる。
わかるのだが…それでもやっぱりあの子に対する劣等感がそれを素直に認めさせない。
それでもずっと引き摺るわけにもいかないので、「ありがとうございます」とだけ言うのだった。
そしてオープン時間となり、最初の1人は葵さんがおさらいという事で一通りの流れを実演してくれ、2人目は私が接客する事になった。
葵さんはとても手際が良く、素敵な笑顔で接客していてとても参考になった。
そしてドキドキしながら2人目のお客様を待ち、ようやくそのお客様がやってきた。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。あれ、新しい人雇ったんだね」
どうやら常連さんのようでお兄さんが挨拶しており、私の事を紹介してくれた。
慣れている方なようで、私が聞くまでもなくサクサクと注文される。
そしてデザートが何かと聞かれたので、ティラミスである事を伝えたらコーヒーか紅茶で迷っていた。
私としては先程の衝撃があるので断然コーヒーなのだが、それを知らないお客様は迷っても仕方ないのだろう。
是非ともコーヒーと食べてほしいとは思うのだが、私なんかがオススメなんかしてしまっていいのかとても悩む。
それでもお兄さんもコーヒーと合うと言っていたのを思い出し、意を決して言ってみる事にした。
「……先程試食で頂いたのですけど、ここのティラミスはコーヒーとの相性が抜群だったので、もし苦手でなければコーヒーの方がオススメです」
「…ほう、それならコーヒーを頂こうかね」
「はい、かしこまりました」
言ってしまった。
これで後戻りは出来ない。
もし後で文句を言われたらどうしようかとも思うと不安になり、少しばかり後悔した。
そして食事を終えられ、デザートとコーヒーをお持ちする。
「お待たせしました。本日のデザートのティラミスとホットコーヒーでございます」
「お、これが君のオススメだね。どれどれ……」
お客様が早速口にされる。
どんな返答が返ってくるのか、すごくドキドキする。
そして
「うん、とても美味しいよ。オススメを選んで正解だったね、ありがとう」
すごくホッとして、そしてすごく嬉しいと思った。
勇気を出して言ってみて良かったと思う。
「こ…こちらこそ…ありがとうございます…」
それからは少し忙しくなったのだが、初の接客がうまくいったからかそこまで気負わずに出来たと思う。
笑顔も頑張って出してみようと思ったが、そこはやはりまだうまくいかなかったけど…。
そして気付けば、閉店間際になり、お客様も私が最初に接客した方、村松さんのみとなる。
お兄さんとお話してる時も話の中で褒められていたのだが、何故か先程とは違って悪い気はしなかった。
「あ、君、名前を教えてくれるかな?」
急にそう問われたので少し驚いた。
「氷川と申します」
「氷川さんだね。君のおかげでいつも以上にいい時間を過ごせた。また来るよ」
「あ…ありがとうございましたっ!またお待ちしておりますっ!」
本当にあの時に勇気を出して良かった。
あの時に勇気を出さなかったらこんな気持ちにはならなかっただろうから。
こうして私の初バイトが終わった。
「葵、氷川さん、お疲れ様」
「「お疲れ様です」」
お兄さんが冷えた烏龍茶を入れたグラスを手渡してくれた。
飲むまで気付かなかったのだが、いつの間にか喉が渇いていたようだった。
そしてまた賄いを出してくれる事になったので、それまでに葵さんに閉店作業を教わり、その後に学校の制服に着替えた。
今日の賄いはアサリのパスタがメインで、また沢山のポテトを用意してくれていた。
やはりお兄さんのポテトはとても美味しく、際限なく食べられる気になる。
「氷川さん、改めて今日はお疲れ様。初日働いてみてどうだった?」
そんな質問が飛んできたので、ポテトを食べるのをやめて
「色々覚える事が多くて大変でした。でも、お客様皆さん、とてもいい笑顔で食事されているのを見ると、こちらもちょっと嬉しい…なんて思ってしまいました」
特に村松さんは、私がした事に対して喜んでくれて、それを口にも出してくれたのがとても嬉しかった。
それまでは不安もあったが、そこからはお客様に喜んでもらえるのが嬉しく思えてきてならなかった。
「へえ、お客さんに恵まれたのもあるだろうけど、初日でその感想に至れるなんて氷川さんは接客業向いてるのかもね」
お客様に恵まれたのは間違いないと思う。
あのきっかけが無ければ、逆に今頃落ち込んでいたかもしれないのだから。
それと同時に、接客業の楽しさと難しさも知った。
そして今日感じたこの気持ちは大事にしていきたいと、そう強く思った。
やる気になった私は、家に帰ったら4枚持ちの練習を頑張ろうと、お兄さんにプラスチックのお皿を借りる事にしたのだった。
そういえばRASガチャ爆死しました。
許せない。