不快感、嫉妬、嫌悪。
その感情に以下ほどの名前をつけようとも、目の前で繰り広げられるやりとりをただの手放しで喜べる奴なんて、果たして世界にどれほどいるのであろう。
昔馴染み、とはあまりいいたそうではないが。中等部からのヒカリと面識がある取り巻きの一人は、コウキがヒカリのために尽くし、またヒカリも満更でもない状態に嫌気が差していた。
最初こそ、素直になれないヒカリに対して微笑ましい気持ちも少しばかり抱く。だが、こう何度も目の前でラブコメを演じられると、どんな聖人君子だってさすがにイライラ来る。
美女と野獣カップルとまではいかないものの、特別イケメンでもないコウキに、ヒカリがゾッコンなのがそれはそれで腹立たしい。
雑誌に印刷された、まさに女子力を全開にしてくれそうな眩いほどのイケメン。
キャアキャアと鼓膜破壊兵器ともなり得る黄色い声援に、いつかは背を向け、妥協とも言える男性と愛を育んで行かなくてはならない。ヒカリほどの容姿があれば、黄色い声援の中の選ばれた一人になれる素質があるだろうに。
わざわざかぐや姫みたいく、下界に降りるその行為を影から笑ってやれば、今度はどこもパッとしない凡夫にご執心。
運命の出会いとでも言いたげに声に喜色が乗り、心底楽しげに顔を綻ばせる。昔のキツい性格の角は次第に取れ、彼との幸せな未来しか見えていないような盲目ぶり。
いつからか、決定的な温度差を孕んだ白い目が、ヒカリの周囲を取り囲んでいた。
正攻法ではおそらく勝てない。というよりも、イットキカンパニーの財力が圧倒的抑止となって、二人の甘々な空間を守護していた。ならば、彼女にやってもらおう。
どんなに堅牢な城砦も、内側から火の手が上がれば落城は免れない。言葉を交わすまでもなく頷き合う。彼氏との仲に亀裂が生じていたり、まだ見ぬ彼氏を切望する乙女の導火線に火花が散った。
幸せでお腹一杯で困っちゃうと喋り出しそうなヒカリに、おっかなびっくりと言葉が届く。
「コウキ君って素敵な人だよね〜」
「あ! わかるー。付き合ったりしたら一番優しくて良い人かもね」
「成績も優秀でスポーツも抜群。それに物怖じない性格で、努力家で、格闘技も習ってるんだっけ? 自分より弱々しい男なんて論外だから、彼氏にするならあんなタイプかな〜」
尚も続く、コウキを褒め称える言葉に、ヒカリは図らずもクルクルと毛先をいじり自尊心をくすぐられる。しかし、ある段階からその気持ちは波が引くように後退して、今度は心配や不安と行ったネガティブ思考が押し寄せてきた。
「でもさー、もしもコウキ君が浮気をするような節操のない人間だったら、今までのプラスも吹っ飛んじゃうよねー」
ピタッと止まるヒカリの動き、しかしコウキといままで積み上げてきた思い出のカードを引き合いに出して気持ちを落ち着かせる。コウキがそんなことするはずないと自分に言い聞かせ首を振るった。
「でも素敵な人には変わりないから、ワザと誘惑するような女子の一人や二人いても、不思議じゃないかも」
あっけらかんと言い放つその言葉。
常識的に考えて、大企業の娘の相手に手を出すなんて自殺行為も甚だしい。けれども恋の魔力の前に、トップの成績を誇るヒカリですらめくらにならざる負えない。自分がコウキのような素敵な男性に出会えたとして、その相手が、恐ろしいほど大きな会社の娘だとしたら……。
こんな異常事態、通常なら諦めて身を引くのが普通。だが、コウキに絶対的な執着を見せるヒカリ自身にとって、そんなリスクを許容した上で突っ込んでくる可能性を拭うことができなかった。
ゆえに恐怖する。もしもの延長線上にある、愛しのコウキが誰ともしれない相手と駆け落ちする、そんな偶然にも針に糸が通るような可能性に。なんともいえない表情で沈黙するヒカリは、ほくそ笑んだ取り巻きの姿を捉えることが出来なかった。
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「ねぇ……コウキは私に隠し事とかしてない?」
「どうしたのヒカリ? 突然」
「う、う〜ん……ちょっとね」
そこに、常日頃見られるような楽しげな雰囲気はなかった。
コウキの言葉の端々、一挙手一投足まで目線に気を配り、コウキが自分を裏切っていないか。そんな兆候を探す。
しかし、いくら考えを巡らせようとも答えは出るはずもない。コウキ自身に、他の仲良くしている女の子とどんな関係なのかと問い詰めることもできたが、そんなことをして望んだ結果が得られないことぐらいヒカリでもわかっている。だからこんな方法で不安を紛らわせる他なかった。
「ねぇコウキ……私にキスして?」
「え、え!? ここで!!」
「……うん」
モジモジと顔を朱に染め体をくねらせるヒカリに、コウキは確認をとる。
いきなり大胆になりすぎじゃないかと周囲を見渡すが、突然大声を上げた声に、同級生の視線が集まるばかり。
こんな場所での公開羞恥なんて、ヒカリの趣味だっただろうか? でもヒカリが望むのなら……。
「う、うん。わかった」
「じゃあ……ん」
目を瞑り、唇を控えめに尖らせて、朱色に朱色をなおのこと塗り重ね彼女はその瞬間を待ち望む。
さっさとヒカリの望むことをしないといけないことはわかっている。だが、先ほど集まった視線がそうとはいかせない。ワタワタと慌てふためき動揺するコウキの姿を、片目を薄く開いたヒカリが捕らえた。
恥ずかしいのは、むしろキス顔で待機させられているヒカリの方なんだと理解が及べば、痛いほどに波打つ心臓に鞭打つ以外選択肢はない。
心の準備だとか雰囲気だとかは蚊帳の外。理由はどうあれ、それでも望まれてしまえば全力で応えるように上半身が机を跨ぐ。
つんぐりつぼめられた、彼女の魅惑的な唇に触れる瞬間に、あろうことか狙いは意図的にそらされた。急接近した顔を急なカーブを描き、しかし中断するのは口惜しいと柔らかな頬紅へ。
来るはずの衝撃に備えていたヒカリは、狙いがそれていることに声を上げずとも、非難の視線をコウキヘと向けた。納得いかないとプルプルと震え、足先で脛先を小突く。
それがわざとじゃないことぐらい、彼の顔を見れば怒るよりも先におかしくなって笑ってしまう。彼もまた、彼女に負けず劣らずの爆発寸前の顔で情けなくも縮こまっていた。
許されたのだと、そっと胸を撫で下ろすコウキ。どうやらこれ以上の延長戦はないものと考えて良いらしい。パタパタと片方が、手のひらで顔を仰いだ。そんな幸せ空間を、取り巻き達が許さないとも知らずに……。
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じっくりとだが確実に、ヒカリの取り巻きは目的を達成しつつあった。
暴走しつつあるヒカリの愛。彼女らは異性との交際において、上手くいく方法を知らない。知っているならぜひとも教えて欲しいくらいだ。しかしそれは裏を返せば、破滅へと向かう方法は熟知していることになる。
そのままなら、なんら心配する必要のない順調な男女の関係。その絶妙に保たれているバランスに、今日ついに終止符が打たれる。
「あ、そういえば。今日タセツナが図書室で女子と楽しそうに話してるのみたんだー」
会話の脈絡を無視した、平穏な日常に突如として落とされた隕石。本人はそれを故意でやっているが、火遊びを承知で楽しむように、轟々と火柱を音もなくあげるヒカリに引きつった笑みを浮かべた。
想像を超える効果じゃないかと、変形する口の端を犬歯で挟む。そっからはもう、ダムが決壊するように早かった。
「その話詳しく聞かせて?」
瞳孔が開き切り、深みを増したリッチブラックの黒目。眼前の相手を流れで殺さんばかりの冷え切った表情。血管が凍るような幻覚に襲われた張本人。成果物に笑みを浮かべることもとうに忘れ、ただ頷きで同意を示す他なかった。