憧れの人は、過去の人   作:おおきなかぎは すぐわかりそう

9 / 9
果物

  

 

 新しい朝がきた、憂鬱の朝だ。

 

 久々に戻った我が家。家族のおはようも、朝ごはんのいい匂いもそこにはなかった。ボロアパートの二階角部屋。けれども住めば都というのかな、久々によく眠れた気がする。

 

 センベイ布団のおかげかブリキの人形のように起き上がりはぎこちないが、なにこんなの慣れたもの。宿泊先で目覚めたみたいに自分の居場所を見失うのは、それだけ自宅としての役目を負わせていないなによりの証拠。

 

 学生の身分上、男女が同棲なんてしていることが学校にバレれば大騒ぎになる。いわばこの場所はペーパーカンパニー。ヒカリの御守りによってただの幽霊部屋となっていたここが、こんな形で日の目を浴びるなんて。

 

 低血圧の頭がブドウ糖を求めて彷徨い歩く。けれども幽霊屋敷に電化製品は過ぎたる代物。現代の必需品ともいえる冷蔵庫は、コンセントに繋がれていないどころか部屋に存在すら許されていない。最低限の生活も過ごせないこの部屋は、一般文化人として落第点だろう。

 

 コンビニでせっかく冷やされていたゼリー飲料は常温へと還り、それでも空腹からか凄まじい速度で腹に収まる。プハッと音を意図せず鳴らせば、朝食は十秒ももたずに終わりを迎えた。……ヒカリの部屋から荷造りもせずに逃げ出したからか、持ち物はほとんど回収できていない。

 

 ヒカリの選んだ服の類はそのまま放置。これは別に気にならない。問題は細々とした生活用品。パジャマだとか歯ブラシだとかタオルだとか細々したものを一から揃えるのは大変なので、ヒカリのうちから持ってきたいがそれは難しいだろう。

 

 ……そして、一番の懸念点がヒカリを怒らせてしまった報復が、いつ降りかかってくるのかと怯えるところだ。

 

 あれだけ大見え切ったはいいが、その場の空気と勢いだけで行動したことが悔やまれる。もっと冷静に対応できなかったのか? と自問自答を繰り返せば、一体どんな顔して学校に行けばいいんだと先が思いやられた。

 

 ……悩んでいても解決はしない。安全地帯から抜け出すのは勇気がいることだが、報復の対象がコカゲにもおよぶ可能性を想定すれば、うかうか腰をおろしてもいられないと制服を着込んだ。

 

 

 

 

 

 教室に近づくたびに、毒に隅々まで犯されるような気分だった。

 

 妙な吐き気と、酷い動悸、おまけとばかりに息苦しい。体調不良のタイムセールかと気を紛らわせるが、すり足で重荷を支えるのがやっとだった。

 

 いつもの空気だ、いつもの喧騒だ、けれども変に胸騒ぎ。しばし胸をさすって、酸っぱい口を唾液で流し、やっぱり耐え切れないと逃げ出したその先には……。

 

 

「タセツナくん大丈夫?」

 

 

「──────プハァ! ハ、ハ、ハ、……ハァ」

 

 

 呼吸が止まった。心臓が跳ねた。何事もなく動き出した心臓と同じくして、つまりにつまった息は出口に向かって殺到する。ついで体は弛緩に移り、コカゲの顔を見きもちが和らぐ。ふだん声をかけられることなど稀なので、あまりにも少ない選択肢の一つが、異様に殺気だっていたのか。

 

 改めてヒカリのことを恐ろしく思う気持ちを自覚し、不安からコカゲの体に抱きつきたくなる衝動に駆られたが、すんでのところで流行る気持ちを押さえ込む。こんな通行のど真ん中でのイチャつきなど、周囲はおろかコカゲにさえ迷惑だ。不自然に浮いてしまった両手を誤魔化すように周囲を偵察し、メガネから覗いた心配そう目に笑いかけた。

 

 

「あ、ごめん。もしかして迷惑だった?」

 

 

「いや! そんなこと! ちょっと気が立ってただけだから。うん、もう大丈夫」

 

 

 また意図せずに大きな声を出してしまったと口をモゴモゴとさせ、ワタワタと手を慌てふためかせるのがおかしかったのか、コカゲは苦く笑って"本当に大丈夫? "と再び問いかけた。それに、"本当に、大丈夫だよ"と照れまじりに応えると、さっきまでの気持ち悪さは多少紛れる。

 

 それでもいつもの様子との違いを感じ取り、コカゲはクルクルクンクンと犬のように僕を中心にまわり始めた。あぁ、コカゲのこんな一面がみられるのなら、体調不良も悪くないかなと甘い感想を頭に浮かべる。

 

 可憐で、それでいて愛おしいような視線をコカゲに送れば、取り付いてポカポカと打撃が加わった。

 

 

「私たちの仲じゃん! 隠し事はナシだよ!」

 

 

 "いまさっきまで気分が優れなかったけど、コカゲに会えたから気が紛れたよ。ありがとう"……とは恥ずかしくていえるはずもなく、けれども彼女との時間を長く取りたくて、この状況に甘んじることにした。

 

 

 キャ────────────────────

 

 ヒカリサンモアクジョデスヨネ──

 

 エ─ヤダ─オニアイ──

 

 

「なんだか騒がしいね」

 

 

「うん。……うちのクラスからだ」

 

 

 始業前の喧騒をたやすく両断するその声は、特徴的な甲高さも相待って、廊下の雑踏のなかでもたやすく音を届けた。気になる様子で漕ぎ出したコカゲを次の瞬間には追い抜いていて、毒味をするような面持ちで盛り上がりのその原因を視界に収める。

 

 

「そ、そう? 変じゃないかしら?」

 

 

「全然おかしくないですよヒカリさん。むしろ、振ってやったコウキが未練も残せないようなベストカップルですよ」

 

 

「へ、へ〜」

 

 

 そういって腰に回された手にビクッとしながらも、ふだん人前で見せないような塩らしい態度で、ヒカリはぎこちない笑みを浮かべる。その相手は、学校で一位二位を争うような運動部の男子。こちらも普段とのギャップに苦しんでいるのか、その色男ぶりは鳴りを潜めていた。

 

 おめでたいことのように大袈裟に手を叩きながら、輪で囲む取り巻き達の顔には笑顔が張り付いたように楽しげだった。昨日今日の間に何があったのかを正確に推し量ることはできないが、ヒカリの束縛から解放された福音が鳴り響く。

 

 

「いいの? ヒカリさん……」

 

 

「うん。……肩の荷がやっと降りたよ」

 

 

 けっきょく、僕の役目はペット程度の憐れなモノで、ヒカリが飽きてしまったから捨てられたに過ぎないんだ。気の迷いのような許嫁の話も、向こうが是非もなく白紙に戻すだろう。これでいいんだ。昔のような憧れの存在であったのならまだわからないが、今ではそんな気も失せている。

 

 互いに新しいスタートを切る。父の会社は倒産まで追い込まれるだろう。けれども、イットキ家からの本格的な報復がないだけまだマシ。こうやってコカゲとお昼の約束を取り付けられるのも、待望の日常がようやく芽吹く、そんな冬の時代を乗り越えた確かな証なのだから。

 

 コカゲと教室の前で別れたのち、いまだに盛り上がりを見せる教室へと堂々と足を踏み入れた。クラスは新たなカップルの誕生に浮かれ、僕が入ってきたことなんか眼中にもないご様子だ。そうやって自分の席に腰を下ろす手前、ふと何気なく視線を預けたのは盛り上がりの発起点。

 

 ヒカリと視線が重なった。

 

 誰も自分のことになんて意識にも上がっていないだろうと高を括っていただけに、台風の目であるヒカリと目があったことに呼吸が凍る。

 

 

「おいタセツナ。お前、フラれたんだってな?」

 

 

「え、あ、うん」

 

 

「なんだよ、まだ未練あるのか?」

 

 

「いやそんなこと……」

 

 

 突然話しかけてきたクラスメイト。特にこれといって親しくした覚えはなかったが、僕がヒカリにフラれたそんな同情心が手伝ってか、気軽に声をかけられたのだった。

 

 どちらかといえば、むしろフったのはコッチだろうというツッコミをグッと堪え。体裁やメンツを気にするヒカリの言動を尊重すれば、むしろこの方が都合がいいとの判断にいたる。

 

 そして先ほど中断された視線の行方をそれとなく探せば、そんなものとっくに消え失せてた。当たり前だ、もう僕の役目は終わったんだ。なにを自惚れているんだ。そう心のうちで唱え、なおも"ミレン、ミレン"とうそぶく厄介ものの対処に移るのだった。

 

 

「お待たせコカゲ」

 

 

「ううん。私もさっき来たばっかりだから」

 

 

「いい場所だね」

 

 

「えへへ〜♪ そりゃもう私のとっておきだから」

 

 

 お昼休み。購買ダッシュののちに中庭のベンチへと急げば、コカゲは太陽からほどよく隠れた緑陰の中にいた。

 

 強い日差しに手を掲げ、立ち竦んだ僕に手招きして彼女が誘う。この時間帯の太陽は真上から降り注ぐため、なかなかに涼しさと暖かさ、その調整は至難の技。こんな好条件の場所、競合もさぞ多いだろうに。『とっておき』そんな彼女との秘密を共有するような文言に、えらく心はかき乱された。

 

 

「購買こんでた?」

 

 

「あ、あーうん。殺伐としてたよ」

 

 

「いつもはお弁当だもんね?」

 

 

 利き手に握られた最安値の菓子パンを見てコカゲがいった。久々の購買はまさに戦場。うなぎの餌やりとも形容し難いその光景を思い出し、おしくらまんじゅうが可愛く見えるその生存競争に、今この場でも体の温度が上がってしまう気さえするのだった。敗者の烙印とも取れる菓子パンにため息。せっかくの解放記念日にしては質素な昼食になりそうだな。と一人考えを巡らせる。

 

 

「ほらほら早く食べちゃおうよ」

 

 

「そうだね」

 

 

 小さな風呂敷を広げたコカゲ。中からは可愛らしいミニサイズのお弁当箱が。成り行きで小さな菓子パンになってしまった自分と違って、コカゲの場合これが普段通りなんだろう。

 

 それでもやはり、"それで足りるの? "とつい言ってしまいそうになるのは許してほしい。健康を通り越した、過剰なダイエットが横行している現代において、なにも責められるほどすっとんきょんな発言ではないはずだ。お弁当を開けたコカゲにならうように、小さな包装を解いた。

 

 

「お一つど〜ぞ」

 

 

「え? い、いや悪いよ」

 

 

 袋から覗く菓子パンに食いつこうとした矢先、先端に卵焼きを串刺した、可愛らしいピンク色のピックが接近してくる。ホレホレと左右に揺さぶりをかけながら、ニヤニヤと挑発するような蠱惑的な笑み。目の前にぶら下げられた卵焼きに食らいつきたい欲求を、弁当に空いたスペースの重大さで押さえ込んで、弱々しい否定的な言葉が飛び出した。

 

 "そっかー"と引っ込む卵焼きに名残惜しげに声が出漏れてしまえば、"……男の子はそれだけじゃ足りないんじゃない? "と心配されてしまう。それは僕が言うか言うまいか悩んだセリフによく似ていた。けれども、「備え膳食わねば男の恥」ともいう……使い方これであってるよね? 

 

 

「……ありがたくいただきます」

 

 

「ンフフ。ど〜ぞ召し上がれ」

 

 

 ピックの主導権がコカゲにある現状。これは食べさせてくれるということでいいのだろうか? いやでもしかし、ただの思い上がりだった場合、痛いくらいに恥ずかしいことになる。さっきの挑発的に見えた笑みも、もしかしたら何か企んでいる顔だったりして。

 

 ……いけないな、ひどく人間不信だ。交友関係は極々狭く、唯一の繋がりだったものもニセモノだったのだと確信した今、思えばひどく心は傷ついていたのかもしれない。

 

 このイベントがただの男女間の戯れの域を大きく超えていることに気が付く。長年しばられていた古い自分を捨て、いまから新しい人生を送る自分へ脱皮する。そんな重大な局面なのだ、と。一歩、ただ一歩ふみ締める。人生を捧げてきた光のもとから、静かに佇む木陰のなかへと。

 

 

「? もしかして、どこか具合……」

 

 

「いや、そんなんじゃないよ。それよりも……コカゲ」

 

 

「はへ? あ、は、はい」

 

 

「いくよ」

 

 

「!? ど、どうぞ」

 

 

 僕にピックを差し出したっきり動かなくなったからだろうか。コカゲは今朝のことを加味してか、体調を心配してきてくれた。それに対してすぐさま否定をぶつけ、熱く視線を送って手を握る。ワンテンポ遅れて顔を紅潮させたコカゲは、抵抗する意志もなくなにかに肯く。その頷きを僕の肯定と前向きに捉え、合図を送る。コカゲはなおのこと驚愕を大きくする。が、それでも僕のことを許してくれた。

 

 さぁ、いけ。舞台は整えた。僕に枯れかけた人生を後悔さえないでくれ。後は、一歩踏み出すのみ。

 

 

「どう? しっかり出来てる?」

 

 

 ガリッ

 

 

「……うん、完璧だ」

 

 

「なんか卵焼きからは絶対しない音が聞こえるけど……」

 

 

「いや? 気のせいじゃないかな?」

 

 

 初動がもっともエネルギーを使うのと同様に、飛び出してしまえば大したことない。……なんてことは結構ある。ドラマティックは境目の一瞬。それを過ぎてしまえば、不思議な高揚感はそそくさと荷造りを終えた。そうして、異音の元をウグッっと飲み込む。この小さいながら噛み寄せるたびに口内に響く歯応えは……卵の殻入りの卵焼きか。……カルシウムとれて良い感じだな! (脳死)。

 

 なに、どこぞのお嬢様もはじめはヘマしていたんだ。コカゲの方が普通に食事できる分、上達もそれだけ早くなるだろう。そうやって、もうまんたいとコカゲに笑いかける。

 

 

「卵焼きから変な音が出るとか、あり得ないから」

 

 

「ヒ、ヒカリさん……」

 

 

 新しく生まれ変わったはずの僕は、せっかく破った殻の中に再び閉じこもった。『人はそんな簡単に変わることはできない』誰かがいっていた言葉を痛感する、一生モノの体験となった。ヒk、イット……。彼女は突如として現れると、下卑た笑みをこちらに向けてくる。怯えるようなコカゲの声。僕は目を伏せるので精一杯。

 

 

「あーあーみすぼらしい食事だこと。いつも食べてたお弁当はどうしたのかな〜?」

 

 

「……」

 

 

「てかさ、卵焼きをミスするとかなんなの? 基礎中の基礎も出来てないじゃん」

 

 

 言葉が降りかかってくる。僕はなにも言い返せず。次いでコカゲに矛先が移ると、不覚にも安堵してしまう自分がいた。自己嫌悪を抱けば、殻に逃げ帰った僕を殴り起こし、急造仕立てで元主人に噛みつきにかかる。

 

 

「……お前、そういうのやめろよ」

 

 

「は?」

 

 

「悪い癖だぞ、それ」

 

 

「なにコウキ、高説を垂れるだけ自分はエライとかスゴイとか思っちゃってるわけ? ナニ様?」

 

 

「もう終わったことだろ。……今後、僕たちに二度と関わらないでくれ。頼むから」

 

 

「泣いて謝って、ごめんなさいヒカリ様! 僕が間違ってました! っていえたら考えてあげる」

 

 

「出てけよ本当に」

 

 

「ッ!? ずいぶん生意気になったみたいね。かりそめの自由はそんなに楽しい?」

 

 

「会話になってないよ。いこうコカゲ、せっかくの昼食が台無しだ」

 

 

 いまだに怯んでいるコカゲの手を握り、過去の象徴をひどく睨みつけた。それに彼女はいっしゅん驚いたように身を縮こませ、こちらも負けじと睥睨を返されたが、そんな刺激を真正面から受ける道理もなくそそくさとその場を後にする。

 

 

「あーあー辛気臭いのがいなくなってせいせいするわー」

 

 

 コカゲがとっておきの場所といった所は彼女に占拠され、勝利の余韻に浸るようにあからさまな大声でそう口に出す。僕は、そんな後ろから届く声に、自分の不甲斐なさを呪うのだった。

 

 

 

 

 

 結論をからいえば僕の日常はひどく。いや、もしかしたら前よりももっと悲惨なことになっていた。もはや僕の存在などそこらへんの石ころと同等か、それ以下かと勝手に決め込んでいたが、彼女からすれば新しく誓約したカップルの会合より重要なことらしい。

 

 毎日二、三度は突っかかってくる。

 

 取り巻きを引き連れ、こちらを下に見て挑発するような態度。

 

 特に、コカゲといる時間は執念に近い恐ろしいものを感じた。

 

 彼女の口にしていたかりそめの自由とは、実に的を射ていた表現だったようだ。あぁ、こういう形での復讐なのかと素直に納得さえしてしまう。過去の自分が顔を出すたび、氷像にされて幽閉されて『お前は一生わたしのおもちゃだ!!』と彼女に叩きつけられている気がしてならなかった。

 

 コカゲに大丈夫かと問いかけて、大丈夫と返し。落ち込んだ僕をコカゲが励まして、こちらも元気付けて。……これでは単なる傷の舐め合いではないか。

 

 縁が切れても、まだ。まだ僕のことを彼女は縛りつづける。毎日、毎日のように通り過ぎる嵐に固く身を丸め、ストレスでおかしくなってしまいそうな頭に天命が下った。

 

 もう耐え切れない。

 

 僕と彼女をつなぐ全てを、断ち切る。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。