九話
塾のバイトを始めてかなりの時期が過ぎていった。最初は不慣れな教えると言う行為も、何度も繰り返せばそれなりに板につく。今では担当する子もそれなりに増えてきて、教師を目指す俺にとっては充実した毎日を過ごしていた。
対して、中野五月はと言うと。彼女も彼女なりに頑張っているらしい。元々、勉強はあまり得意ではなかったらしい彼女だが、それゆえ自分と同じタイプの人間を教えるのには秀でていた。それに加え、面倒見の良さと美人さがプラスされる。今では塾の中で1、2を争うほどの人気を--男子中学生や男子高校生からーー博しているらしい。
俺はそんな彼女を見て、自分も負けていられないなと感じていた。
そんな塾バイトに明け暮れていた日のことである。
自分が担当している子がやけに暗い顔をしていた。いつもは真面目に笑顔を振りまきながら、俺の解説をきいてくれるいい生徒なのだが、この日は妙に物静かで、心ここにあらずいった様子だった。
別に、放心気味なことを別に悪く言う気はない。人間いつも平常運転でいなさいとか、いついかなる時も集中を切らさずにいなさいとは言えないからだ。
それでも、ここまでガラッと雰囲気を変えられると流石にこちらも心配になる。担当している子ということもあって、それなりの親密度が気づけている子だ。俺にできることがあるのならば、力になってやりたいとそう感じた。
______何かあったのか?
生徒は俺のその問いに、ハッとしたような顔をすると何でもないと言った表情で首を横にふる。
いやいや、そんな対応されたらますます心配しちゃうじゃん。絶対何かあるんだろうなっていうことがバレバレで、逆にこっちがどういう返しをしたらいいのか困ってしまう。
俺は、一応見て見ぬ振りをするべきなのか迷った末、とりあえず今はこちらからは何も言わないでおくことにした。
そんなことがあって、また一週間の月日が経った。
あの生徒との授業は毎週同じ曜日、同じ時間にある。そのため、一週間が経ったその日も、その生徒との授業があるはずだった。
だが、時間になってもその子が塾に訪れることはなかった。俺は遅刻なのかなと思って、一応指定されている席について待っていた。が、それでもその子が現れることはなかった。
俺はバイトの帰り際、塾長に家へ連絡を取るようにお願いする。
塾長は気にしすぎだと言って笑っていたが、俺はどこかそんな笑い事じゃないことが起きているような気がして、内心ハラハラしていた。
次の一週間。その子は時間通りに塾にやってきた。
俺はその子に何で先週は来なかったのか、聞いてみた。その子は俺の問いに数迅悩んだあと、また先々週と同じように何でもないと行った表情で「別に」とだけ口にした。
俺の限界はそこまでだった。
たかが塾だとしても、目の前にいる子は紛れもない自分の生徒だ。その生徒が何か無理をしているような気がする。何か嫌な事を隠そうと、誤魔化そうとしている。それを放っておくことは俺にはできなかった。
困った生徒を導いてやるのが教師だとするならば、ここで動かなければ俺は教師などではない。ただの非常な大人に成り下がってしまう。
それだけは嫌だった。それだけはしたくなかった。
非常な大人にだけはなりたくなかった。
俺はその子の肩をガシっと掴み強い言葉で問いかける。
______困ったことがあるなら言って欲しい。無理してないか心配でたまらないんだ。
俺のその強い言葉に、その子も決心がついたのかポツリポツリと語り始めた。
簡単にいうと、その子はいじめを受けているらしい。
いじめの経緯としては簡単な話で、どこにでもある、至極ありふれたものだった。
誰かをターゲットにして、みんなでそいつをいじめる。そのターゲットに飽きたら、またみんなでそいつをいじめる。いじめのループ。そのターゲットがとうとうその子にきてしまっただけのこと。
しかし、そんなありふれたものだからこそ解決は難しかった。ありふれているということはつまり、そのいじめという外道な行為がこの世に蔓延っているということ。解決されず、放置されていることが多いということの裏返しでもあった。
でも、それを見捨てる理由にしていいのだろうか?困っている生徒がいるのに、無理だからとか、無駄だからという言葉だけ片付けていいのだろうか?
答えは否である。
そんな言葉で片付くのなら誰も苦労しない、そんな理由で見捨てていいのなら教師なんてそもそも不要の長物だ。
ならば、俺のすることは一つである。必死に頭をフル回転させ、解決策を模索する。どうにかその子を救える方法を見つけるために思考を巡らせる。不可能や無理と言う言葉は今はいらない。欲しいのはもっと違うものなのだから。
俺はその子と話しながらある結論を下した。
いじめをなくす方法。いじめられなくする方法。それは徹底的な無視である。
いじめのループは飽きたら終了すると言う特徴がある。ならば、早々に飽きさせるのが無難だと言えた。
変にターゲットを変えるとか、クラスの担任に言いつけるだとか、そう言った事をするのは逆に相手を刺激する可能性がある。
だから、徹底的に無視をして、自分をいじめても楽しくないと言うことを、そのいじめっこたちの身に覚えさせると言う作戦だった。
その解決方法を聞いた生徒は満足して、その日帰って行った。最後には「先生ありがとう」と嬉しい言葉すら言ってくれた。
久しぶりに見たその生徒の笑顔は、俺にとって忘れられないものとなった。
その日以降、俺がその生徒を見ることなくなった。