嫌な予感がする。
朝笑顔で仕事に行ったカスミ、それが帰って来た時には誰の目にも分かる程落ち込んで帰ってきたのだ。この段階でも多少は嫌な予感がするもののそれだけ、カスミが不運に巻き込まれたか何かがあったのだとその時は考えた。だが当の本人が此方を見るなり顔を逸らしたのだ、普段から積極的なスキンシップを取る事も無く。
この段階で嫌な予感は確信に変わった、そして不運に選ばれたのはカスミではなく自分なのだと悟らざる得なかった。
「ごめんなさいソラ」
玄関から最低限の返事しかしなかったカスミが夕食の席で口を開いた。だが開口一番に出てきたのは謝罪の言葉、予想していたとはいえ本心としては勘違いであってほしかった。だが現実逃避していては何事も進展しない、ソラは真剣な眼差しでカスミの言葉に耳を傾ける姿勢をとる。そして最初の謝罪からしばらく間を置いてから再びカスミは口を開いた。
「明後日、軍の同僚が家に来て料理を奢ってくれって………」
「何がどうなってそうなったんですかッ!?」
「食事していると声を掛けられてね。普段から一人で食べているんだけど、今日食べた物は同僚たちにとっては見慣れない物で味見させてくれと言われたんだ。それで特に考える事も無く食べさせたら思いの外好評で、それを聞きつけた他の同僚達も集まってきて。それで何処で買ったかと聞かれたんだけど……」
「それで俺が作ったと言ったのか?」
「言ってないよ!だけど店で買ったと嘘を付けば明日には直ぐばれるから自分で作ったと言ったんだけど……」
──お前に料理の才能が無い事も馬鹿舌なのも皆が知っていることだ。もう少しマシな嘘を付けないのか。
──見ろよこの料理、合成食以外の食品もそうだがかなり手間暇が掛かっている。うらやましいね、こんな御馳走が食べれるなんて。
──なら誰が作ったのか、少なくともここら辺の店舗で販売している物ではないのは間違いない。売っているならアタシが既に買い占めている。
──残る可能性は非売品、それもカスミの為に作ってくれるような奴だがいるのか?
──いるだろ、カスミが熱を上げている奴が。
──それって男?彼氏に食事を作ってもらって、おまけに職場までの分も用意しているの?それを此処で食べていたの?殺されたいの、コロコロされたいの?
──殺すコロスころす殺すコロスころす殺すコロスころす殺すコロスころす殺すコロスころす殺すコロスころす殺すコロスころす殺すコロスころす殺すコロスころす殺すコロスころす殺すコロスころす殺すコロスころす。
──隊長、武器使用の許可って下りますか?えっ、目的?そんなの分かっているじゃないですかやだ~。
──カスミ……、流石に弁護できんぞ。
「なんていうかさ、殺意と嫉妬が混ざった物を同僚達から向けられたらね。おまけに逃がさないよう肩を掴まれて、それでもいきなり今日は無理だからって言ったんだよッ!それで何時ならいいんだって詰め寄られて一週間後って言ったら後ろで撃鉄が下ろされる音がして……」
「御免、流石にこれは考え無しに渡した俺が悪かった」
普段からスキンシップ過剰で飄々しているカスミが顔を青くしてガタガタ震えているのを目にしては強くも言い出せない。しかも聞く限りではカスミに落ち度は全くなく、真に恐れるべきなのは嫉妬と殺意の波動に目覚めた同僚達であって、しかも目覚めさせる切っ掛けになってしまったのは自分が作った料理が原因。
間抜けは何処にいる?──此処にいるよッ!チクショウッ!
判明したどうしようもない事態にカスミは落ち込み、それ以上にソラは落ち込んでいく。だが落ち込んでばかりはいられない、明後日には殺意と嫉妬に目覚めたカスミの同僚達が来るのをどうにかしなければならない。
「もし馬鹿正直に家で料理を振舞ったらどうなる?」
「人間の三大欲求って知ってる。睡眠欲と食欲と……」
「分かったそれ以上は言わなくていい」
お腹が一杯になったら今度は別の所も一杯にしないと気が済まないほど気が立っているらしい。現行犯じゃないの?豚箱行きじゃないの?そんなものは本能に支配された野獣には関係が無く、美味しいそうな獲物は食べ尽くされる運命にあるようだ。
「逃げるのは……無理だな。準備が間に合わないし、第一何処に逃げるのか見当もつかない」
近隣の都市でも片道で数日は掛かる、。その為の移動手段と食料、自衛手段も簡単に用意できるものではなく、廃墟の隠れ家に至ってはカスミとの喧嘩で使い物にならない。
現状を表すなら詰みと言えるだろう。そして飢えた野獣に蹂躙されたくなければ大人しく都市に自首するしかなく、それは今後の人生を諦めるのと同じである。だが仕方も無いだろう、流石にソラも嫉妬と殺意に狂った推測だけで此処まで追い詰められるとは予想も出来るはずが──
「ちょっと待ってくれ、カスミは俺の事を一言でも話した、性別も含めて?」
「言ってないよ、それ以前に恐ろしくて喋れないよ」
「つまりカスミの同僚達が勝手に推理して炎上しているだけか……」
嫉妬と殺意に狂った推測にソラは追い詰められているか、現状を冷静に考えてみればカスミの同僚達が勝手に騒ぎ立てているだけ。その中心にあるのは甲斐甲斐しくお世話を焼いてくれる彼氏が出来たのが妬ましいという醜い嫉妬心だ。
だがここで重要なのは内容ではない。これは彼女達の一方的で身勝手な想像に過ぎないのだ。
故に其処を突けばいいと考え、そして頭に浮かんできた策が一つだけある
「今回の事はカスミにしても不本意なんだよね」
「自慢したくないとは言わないけど、自分から積極的に言い触らす真似はしないよ」
「だったら一芝居打とう、勿論カスミにも全面的に協力してもらうけど」
時間に余裕はなく、直ぐに動き出さなければならない。夕食を手早く食べたソラは準備に駆けだしカスミがその後を付いていく。
そして時間は流れ当日の夕方、カスミが同僚達を引き連れて家に帰ってきた。
「お帰りなさい、カスミ」
玄関前でソラは満面の笑みでカスミに話しかけ、カスミも笑みを浮かべてソラに帰宅を告げる。その姿は誰が見ても二人が確かな信頼で結ばれた事が理解できるだろう。だがカスミの同僚達には関係の無い事、寧ろ目の前で出合い頭にいちゃつく様を見せ付けられた当人たちにすれば鬱憤物だ。
だからこそ八つ当たりの意味を込めて文句を言おうとし──口から吐き出されることは無かった。
「皆様がカスミの部隊の方達ですね。今晩は精一杯御もてなしさせていただきます」
カスミの背後にいる軍人たちに向かってソラは笑顔で話しかける。その姿を目にした彼女達は顔に驚愕を浮かべていたからだ。
身なりを整え、軽く化粧を施した顔、まだ幼さを感じさせる甲高い声。それでも精一杯背伸びをして礼儀正しく出迎えてくれたように見えるソラ。
その姿は誰が見ようとも可憐な少女であったからだ。